男はつらいよ
2015 / 01 / 18 ( Sun ) 「よぉ~、司。やっと来たか」
「お前、最近付き合いが悪いぞ~」 VIPルームに足を踏み入れた自分を見ながらニヤニヤと野次を飛ばす親友を前に、司は憮然とした表情を隠さずにドサッとその体をソファに沈めた。 「で、何だよ? 用事って」 明らかに不機嫌そうな司に、総二郎とあきらが顔を見合わせてやれやれと溜め息を零す。 本当であれば司はこの場に来ることに乗り気ではなかった。 だが、両者からしつこく今日は絶対に来いと言われ続け、そんなに大事な用があるのならばと仕方なく重い腰をあげてやって来た。 それなのにいざ来てみればニヤニヤ顔で自分を見ているとあれば、元来短気な司がイライラしないわけがない。 「おいおい司ぁ、お前何をそんなにイライラしてんだよ。今日は久しぶりなんだから楽しく飲もうぜ」 「俺はそんな気分じゃねぇんだよ。さっさと用件を話せ」 それとなくあきらが宥めてみてもとりつく島もない。 「なんだよお前、さてはあれか? 欲求不満でストレスでも溜まってんのかぁ?」 総二郎がいつものノリでお堅い雰囲気を崩そうと何気なく言った時だった。 ガァンッ!!! 司の拳がテーブルを凄まじい力で叩きつけた。 幸いグラスこそ倒れなかったが、その衝撃で浮き上がった拍子に中に入っていたアルコールがテーブルの上に飛び散っている。これは本気の怒りモードだと察知した総二郎はそれ以上の言葉をつぐんだ。 司が獰猛な瞳でそんな総二郎を睨み付ける。 「てめぇはそんなことを言うために俺を呼び出したのか? あ?」 「おいおい、司。いつもの冗談だろ? マジでどうしたんだよ?」 あきらが慌てて宥めてみても司のイラつきは収まらない。むしろ増しているようにすら思える。 「・・・・・・お前らは何も知らねぇから」 「え?」 「あの姿を見てねぇからそんなふざけたことが言えんだ」 ボソッと、司の口から吐き出された言葉は明らかに苦痛の色を滲ませていた。 「・・・牧野、大変なの?」 と、ここまでソファーに横たわって我関せずを貫いていた類がむくっとその体を起こした。 「・・・あぁ。見てらんねぇ」 「そんなにひどいのか?」 「・・・あぁ。もう生きた心地がしねぇ」 「そんなになのか・・・」 司の表情からそれは大袈裟でも何でもなく、リアルなのだろうということがひしひしと伝わってくる。 その場にいた全員がそれ以上何と言えばいいのか、二の句を継げないでいた。 ・・・・・・・・・ 「おいっ、タマっ!! 医者は? 一体どうなってんだ! あのままじゃ死んじまうだろうが! 早く何とかしろっ!!」 邸中に響き渡る怒号に、その矛先がいつ自分に向いてしまうかと、その場にいた全員が戦々恐々と震え上がる。だが、名指しされたタマ本人は全く動じず至っていつも通り。ドンと構えて主が近付いてくるのを待っている。 「やれやれ。坊ちゃん、もう充分手は施してるんですよ」 「あぁ? あんなんどう考えても異常だろうが! あんなに苦しんでるのにあれ以上何もできないなんてことはねぇだろ!」 つくしと結婚してからというもの、たまに喧嘩で邸内に風が吹くことはあっても、これだけの大嵐が巻き起こったのは司が学生の頃以来だ。 きっかけは2ヶ月前に遡る。 結婚して幸せな生活を送る2人の間に待望の赤ちゃんを授かった。 発覚後はそれはそれは凄まじい喜びようで、邸中が幸せに満ち溢れていた。 だがそれも長くせずして事態は急変する。 妊娠3ヶ月も半ばを過ぎた辺りから、つくしにつわりの兆候が見られるようになったのだ。 最初は吐き気をもよおす程度だったそれが、日に日に悪化の一途を辿っていった。 子どもに栄養をと口に含んだ食べ物は、激しい吐き気によりすぐに戻してしまう。それでも最初は柑橘類やアイスなど、限られた食べ物だけは口にできていた。 だがそれも最初のうちだけ。 じきにそれすらも体が受け付けなくなってしまう。 とにかく口に入るもの全てに拒否反応を示してしまう。無理をして食べてもあっという間に戻す。 ついには食べてもいないのに戻すようになり、胃の中は空っぽでもその行為が繰り返されるため、時には胃液を吐いて苦しむほどだ。 何も口にできないのだから当然つくしは痩せていく一方。 とてもじゃないがそのお腹に小さな命が宿っているなんて信じられない程に、みるみる痩せ細っていった。 ただでさえスリムな体型のつくしが痩せたらそれはもう見ていられないほどで、今にも折れてしまいそうな体に司は手当たり次第に医者を呼んでは手を施すように奔走した。 だがどんなに手を尽くそうとも言われることは皆同じ。 今できることはこれが精一杯だと。 少しでも負担を減らすために病院へは連れて行かず、入院しているのと同じだけの設備を邸に整えさせた。だができることと言えば医師が見守ることと栄養を補給するための点滴を打つことくらい。 ひどい吐き気などは薬を多用することで胎児への影響も考えられることから、基本的にはそのままにするしかない。 ひたすら吐き気に耐えながら点滴を打ち続ける愛する妻の姿。 耐えられないのは司の方だった。 それだけ苦しい中でもつくしは決して弱音を吐くことはなかった。 嘔吐して涙を流すことはあっても、決して苦しい、辛いという言葉だけは吐かなかった。 心配そうに自分を見つめる司に弱々しい笑顔を作って見せる。 そんなつくしの健気さが余計司には辛かった。 いっそのこと苦しさを吐き出してくれたらどれだけいいか。 安っぽい言葉になってしまうが、自分が代わってあげられたらどれだけいいか。 自分のせいでこんなに苦しい思いをさせているのかと思うといてもたってもいられなかった。 タマは苦しそうに顔を歪める司にフッと微笑んだ。 「いいですか? 坊ちゃん。つくしは子どもと一緒に闘ってるんですよ」 「闘ってる・・・?」 「そうですよ。あの子のお腹の中には坊ちゃんとの大事な大事な赤ちゃんが育ってるんです。確かに見た目は痩せて心配なのはよくわかりますよ。あんなに苦しむあの子に胸を痛める坊ちゃんのお気持ちだってよーーーーくわかります。でもね、確かにあそこに一つの命が育ってるんですよ。力強く、日一日成長してるんです」 「成長・・・」 「そう。この前の検診で見たでしょう? 食事なんて全くできてないのに、赤ちゃんはちゃーんと大きく成長してたじゃないですか」 タマの言う通り、つくしはほとんど食べ物を口にしていないにもかかわらず、たった二週間の間に子どもは一回り大きくなっていた。 「大丈夫。坊ちゃんが思ってる以上に体の神秘は凄いんですよ。そして母親は強い。子どもはもっと強い」 「・・・・・・」 黙り込んでしまった司の背中をタマはバシンと一発叩いた。 子どもと大男くらいの体格差があるというのに、その一発は司の体中に響く。 「ほらっ、しっかりしなさいな! 父親になるんでしょうが!」 「父親・・・?」 「いーや、なるんじゃなくてもうなってるんだね。坊ちゃんはもう立派な父親なんだよ。嫁さんと子どもが頑張ってるときにお父さんがそんな弱々しくてどうするんだい? もっとドシッと構えて安心させてやらなきゃだめじゃないか」 「俺が・・・」 「そうさね。つくしを守ってやれるのも、子どもを守ってやれるのも坊ちゃんしかいないんだよ」 「俺しかいない・・・」 タマの言葉は、司の心にズドンと直球で突き刺さった。 父親になる・・・ 子どもができて素直に嬉しかった。 つくしとの絆が揺るぎないものになったのだと、その奇跡に震えた。 だがその意味を自分は本当に考えたことがあったのだろうか? 夫として、父親として、 今の自分ができることは何なのか。 「・・・・・・そっか。牧野、めちゃくちゃ頑張ってんだな」 「あぁ。苦しむあいつをみて右往左往してる自分が情けねぇ」 司が一通り話を終えると、室内はシーンと静まりかえっていた。 「・・・・・・なんか悪かったな。そんなつもりはなかったんだけどよ」 総二郎としては元気づけるつもりで言った一言だったが、さすがに今の話を聞いては不謹慎だったと思わざるを得ない。 「・・・いや。実際に見てもない奴らにわかれって言う方が無理な話なんだよな。俺も自分が目の当たりにするまであんなに大変だなんて夢にも思ってなかったからな」 「男からしたら妊娠して10ヶ月経てば自然と生まれてくるくらいの認識しかねぇもんな・・・」 「あぁ。同じ女でも何ともねぇ奴もいるみたいだし、つくしの場合は相当重いみたいだな」 「そうか・・・」 「牧野はさ」 「え?」 「牧野はさ、それが原因で司が胸を痛めることが一番辛いんじゃないの?」 「・・・・・・類?」 これまでずっと聞き役に徹していた類がぽつりぽつりと呟いていく。 「確かに俺たちの想像を絶するくらい苦しいんだと思う。でもあいつがもっと嫌なのは司がそれを気に病むことの方でしょ。自分の痛みより他人の痛み。そういう女でしょ? 牧野は」 類の言葉に司は黙って耳を傾けている。 そのあまりの真剣さに思わず類の口元がクスッと緩んだ。 「大丈夫だよ。司が伴侶にしたのは誰? 何よりも逞しい雑草でしょ? 踏まれれば踏まれるほどより強く逞しくなって戻ってくるって」 「類・・・」 いつもならば誰よりもつくしを理解していると言わんばかりのその言葉が腹立たしいが、今日は不思議なほど司の心に突き刺さった。 その言葉の一言一句が真実であったから。 つまらない嫉妬なんて今は湧き上がってくることはなかった。 司はしばらく黙り込んでいたが、やがておもむろに立ち上がって3人の顔を見渡した。 「・・・悪ぃ。やっぱ俺帰るわ」 「・・・だな。傍にいてやれよ」 「あぁ」 「こっちこそ悪かったな。無理言って出てこさせて」 「いや。なんだかんだ気分転換にはなったわ。サンキュ」 「司がそんなに素直にお礼を言うなんて・・・牧野のつわりも明日急に良くなってるんじゃない?」 類の言葉にピクッとこめかみが動く。 「んだと? ・・・でもまぁそれならそれでありがてぇな」 「はははっ、だな」 「じゃあ俺行くわ。またな」 「おう、牧野にもよろしくな」 その言葉に軽く手を上げると、司は後ろを振り向くことなく颯爽とその場を立ち去った。 その心は、体は、一つの場所を目指して_____ 「言わなくて良かったのか?」 「ん? そんな必要はないだろ。きっと言わなくたって司はわかってる」 「・・・だな」 「心配をかけて申し訳ない、司に少しでも息抜きさせてやって欲しいって、俺たち全員に電話してきてお願いするなんて、いかにも牧野らしいよなぁ・・・」 「一番苦しい思いしてるのは自分だってのにね。・・・でもらしすぎるくらい牧野らしいんじゃない」 「だよなぁ」 「・・・・・・愛だな」 「・・・だな」 しみじみと噛みしめるように口にすると、誰ともなしに手元のお酒をグイッと飲み込んだ。 *** サラサラと、とても心地よい感触が自分を包み込む。 温かくて、大きくて、不思議とそれだけ幸せだと思えてくるような、そんな感覚が。 「ん・・・」 気持ち悪さで目が覚めなかったのはいつぶりのことだろうか。 ぼんやりと目を開けていくと、そこには心配そうに自分を見つめる夫の姿があった。 「・・・あ、悪い。起こしちまったか?」 「司・・・・・・ううん、その逆。なんだかすごく気持ちが良くて目が覚めたの」 その言葉に司はホッと胸を撫で下ろす。 「そっか。苦しいときはいつでも言えよ。お前はすぐ我慢するからな」 「クスッ、大丈夫だよ。あたしには司も、この子だっているしね」 そう言って右手でお腹の辺りに手を当てる。その手は驚くほど痩せてしまっている。 司はすぐにその手の上に自分の手を重ねた。 「あったかぁい。・・・そっかぁ。ずっと司がこうして撫でてくれてたんだね」 「え?」 「今ね、眠りの中ですごーーーく気持ちのいい感触に包まれてたの。そんな気持ちで目が覚めるのはほんとに久しぶりだった。司のおかげだったんだね。・・・ありがとう」 「つくし・・・」 ふわっと微笑んだ姿に何故だか司の胸がギュッと締め付けられる。 その顔はもうすっかり母親そのものだ。 「・・・よし。もっとあっためてやる」 「え?・・・って、なに、どうしたの?」 「いいから、ほら」 突然ごそごそとその大きな体をベッドの中に侵入させてきた司につくしは驚きを隠せない。 そんなつくしに構うことなく背中に手を回すと、司はその細くなった体を潰してしまわないようにそっと優しく抱きしめた。 「・・・あったか~い」 はじめこそ驚いていたつくしだったが、全身に伝わるその温もりに、すぐにうっとりと恍惚の表情に変わる。 「特注の湯たんぽになってやる。だからお前はゆっくり寝ろ」 「あははっ、特注の湯たんぽって・・・。でもほんとだね、どんな湯たんぽよりもあったかいよ」 「おー、この俺様がやってやってるんだ。ありがたく思え」 「ふふふっ、はーーーい」 肩を揺らして笑うと、つくしは司の胸元に顔を埋めるようにしてピタッと寄り添い、大好きな香りを思いっきり吸い込んだ。何もかも受け付けないはずの体なのに、どうしてだかこの香りだけは安心できる。 「なんだかすごくいい夢が見られそう・・・」 「当然だろ。愚問だな」 「ふふ、ほんとだね・・・。あぁ・・・なんだか・・・しあわせ・・だなぁ・・・・・」 ぽつりぽつりと、噛みしめるように呟くつくしの瞼が徐々に下りていく。 やがて完全に閉じると、長くせずしてスースーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。 司はそんなつくしの額にそっと唇を落とす。 「子どもと一緒にぐっすり休めよ。・・・おやすみ」 あっという間に夢の世界に落ちたつくしにそう囁くと、司自身も静かに目を閉じた。 後になってわかることだが、この時2人して子どもと楽しそうに遊ぶ夢を見たらしい。 そして偶然なのか必然なのかは誰にもわからないが、この日を境につくしの症状は少しずつ軽いものへと変わっていく。やがて二週間ほどが経過する頃には、いつもと変わらない、誰もが待ち望んだあの元気な笑い声が響き渡る邸へとその姿を変えていた。 あながち類の言っていたことも間違っていなかったのかも・・・? しれない。 ![]() ![]() ポチッと応援をよろしくお願い致します! |
ヒーローになりたい
2015 / 03 / 10 ( Tue ) 「ねぇ、パパ。 りこん ってなぁに?」
息子の口から飛び出したとんでもない一言に、手にしていた本が思わずぽろりと零れ落ちた。 その拍子にほんの少しだけ、横になっていた息子の頭を掠って落下してしまった。 「いたぁっ!!」 「あっ、わりっ!」 みるみる大きな瞳に溜まっていく涙に 「これはやばい」 センサーが鳴り響く。 「ふぇっ、えっ・・・」 「おいっ、泣くなっ! お前は男だろ! 男ならこれっくらいのことでピーピー泣くんじゃねぇっ!!」 「えぐっえぐっ・・・・・・ないたらダイゴレンジャーになれない・・・?」 なんとかレンジャー。 俺には何のことだかさっぱりわからねぇが、つくしが言うにはどうやら息子がこのところ大のお気に入りの戦隊ヒーローらしい。将来の夢はなんちゃらレンジャーになって世界を守ることだとか宣言しているようで、そんな息子につくしはメロメロしっぱなしだ。 正直面白くねぇが、今はそのなんとかレンジャーに助けてもらう他ない。 「あぁ、なれねぇ。ちょっと痛いくらいで泣いてるような奴じゃあ悪役にすらなれねぇぞ」 「えぐっ・・・そうなの・・・?」 「当たり前だろ。泣いてる奴を助けるのがそいつの仕事なんじゃねぇのか?」 「うん、そうだよ」 「だったらこれしきで泣いてるような男には到底ムリだな」 ムリという一言で真っ青な顔になると、面白いように涙が引っ込んでいく。 グッと唇を噛みしめて涙を堪えると、チビのくせにいっちょまえに男の顔で俺を真っ直ぐ見上げた。 「ぼくなかないよ! だからだいじょうぶだよね? ダイゴレンジャーになれるよねっ?!」 まるで藁にも縋るようなその顔は1000%真剣そのものだ。 くりくりの黒目はつくしにそっくりで、頭は自分の生き写し。 それぞれの特徴をまんま足して2で割ったような息子を、つくしが猫可愛がりしてしまうのも致し方ないのかもしれない。 「今回だけじゃダメだ。普段から強い男になれるように努力しろよ。そうすればお前の夢は叶うはずだ」 「ほんとっ?! パパがいってかなわなかったおねがいなんてないからぼくがんばるっ!!」 ほんの1分前まで泣きかけていたのが嘘のようにぱぁっと笑顔に変わると、愛する妻そっくりの顔で心底嬉しそうに笑っている。 この俺が子どもを可愛いと思う時が来るなんて夢にも思わなかったが・・・あいつに似ていると思うだけで可愛く見えてくるから不思議だ。 つくしがこいつを見て目尻が下がりっぱなしなのはそれと同じことなのだろうか。 ・・・って、今はそれどころじゃない! さっきの聞き捨てならねぇ言葉を確認しなければ。 「おい、それよりさっきの話はなんだ? あんな言葉一体どこで覚えたんだよ」 「え・・・なぁに?」 自分で言ったことすらすぐ忘れるところもあいつにそっくりだ。 「なぁにじゃねぇっ! 離婚がなんとかって言ってただろ。どこでそんな言葉聞いたんだ」 「あぁ、それかぁ。それならママがいってたんだよ」 「んだとっ?!」 つくしが? まだ4歳になりたてのこいつに何の必要があってそんな言葉を言うっつーんだよ?! 「きのうね、ママがひとりでおはなししてたんだ。 『もうりこんするしかないのかな』 って」 何・・・? 「わがままだしはげしいし、やっぱりそうするしかないのかなっていってた」 離婚・・・だと・・・? あいつが俺と・・・? 「ねぇパパ、りこんってなぁに?」 「・・・・・・」 「パパ・・・?」 ゆさゆさと手を揺らされてハッと我に返る。 見ればどこか不安そうにこちらを見上げている息子がいた。 ・・・だめだ。 俺が動揺を見せてどうする。 「・・・それはな、お前の聞き間違いだ」 「まちがい・・・?」 「あぁそうだ。 ママはほんとは 『だいこん』 って言ってたんだぞ」 「え? ちがうよ、りこんっていってたんだよ」 「いーーーーや、違う。いいか、ママの生まれたところの言葉ではな、大根のことをりこんと言う場合もあるんだ」 「・・・そうなの?」 んなわけねぇだろが。 そもそもあいつは東京生まれの東京育ちだ。 ・・・確かあいつの親父さんが地方出身だったな。 ま、んなこたぁ後でどうとでもなる。 「そうだ。そういうのを方言って言うんだよ。お前にはまだ難しいだろうけどな。言葉っつーのはお前が考えてる以上に奥が深いんだよ」 「・・・へぇ~~。パパ、なんでもしってるんだね」 「あぁ。俺に不可能はねぇ」 「パパやっぱりかっこいい~~! ぼくもパパみたいになれるかなぁ?」 「なんとかレンジャーになりたいんじゃねぇのか?」 「あっ、そうだった! どうしよう・・・ダイゴレンジャーにもなりたいし、パパにもなりたいよ・・・」 そんなことで本気で悩み始めた息子がこの世の生物とは思えなくなる。 つーか俺にもこんな時代があったんだろうか? 「言っただろ。お前が強くなれば夢は叶うって。俺みたいな何とかレンジャーになればいいだろ」 「パパみたいな・・・?」 「あぁ」 「・・・・・・ぼくなるっ! パパみたいなダイゴレンジャーになりたいっ!!」 キラッキラの星が飛び散っているかと見紛うほどの笑顔が眩しい。 ・・・どう考えてもやっぱり俺にこんな時代があったとは俄に信じがたい。 「だったらまずはちゃんと寝ないとな。もう時間過ぎてるぞ」 「あっ・・・いっけない! じゃあきょうはパパがずっとここにいてくれるの?」 「あぁ。ちゃんと眠るまで見ててやる。だから安心して寝ろ」 「わぁ~い、うれしいっ!! パパ、だ~いすき! おやすみなさいっ」 「あぁ、おやすみ」 心底幸せそうに微笑むと、ギュウッと腕にしがみついたかと思えばそう長くせずしてスースーと寝息が聞こえ始めた。 「つーかもう寝たのかよ。一体どんだけ早ぇんだ?! DNA受け継ぎすぎだろ・・・」 開いた口元がほんのり笑っているのを見て自然とこちらまで笑顔になってしまう。 愛する者との間にできた新しい命。 自分には一生縁のない世界だと思っていたが・・・ 自分でも信じられないほどにこの空間が心地いい。 ____ だからこそ。 あの聞き捨てならねぇ言葉の真相をすぐに確認しなければ。 *** 「ただいま~! 今日は子どもを寝かしつけてくれてありがとう! おかげで久しぶりにゆっくり桜子達と食事ができたよ~! ・・・ってあれ、どうしたの?」 10時を回った頃、つくしが実に楽しそうに帰ってきた。 普段忙しい俺の影響と子育てでゆっくり自分だけの時間をもつことができないつくしのために、たまに設けている自由時間が今日だった。本人はそんなのはいらないと言っていたが、タマの強い勧めでそういう時間を作ることにした。母親にも息抜きをする時間は大切なことなんだと。 こういうことでもなけりゃあ子どもとマンツーマンで話すこともないから、俺にとっても決して悪い時間ではない。子どもは俺の知らないつくしの様子を教えてくれたりと、何気に話を聞くのが楽しみだったりもする。 「ね、ねぇ、聞いてる? なんかここにすっごい皺が寄ってるんだけどどうした・・・きゃっ?!」 俺の眉間につんつんと触れた細い手をガシッと掴むと、そのまま後方にあるキングサイズのベッドへと背中から一気に押し倒した。何が起こったのか全く理解できていないつくしは呆気にとられたまま口を開けて俺を見上げている。 「な、なに・・・・・・」 「離婚ってどういうことだよ」 「・・・え?」 「あいつが寝かしつけの時に言ってたんだよ。お前が 『離婚するしかない』 って言ってたって」 「り、離婚・・・?」 わけがわからない顔できょとんとしてやがる。 くそっ、可愛い顔でごまかそうと思ってもそうはいかねぇぞ! 「惚けんじゃねぇよ! 我儘で激しいから我慢できねぇんだろ?!」 「我儘で激しい・・・?」 確かに俺の性格が我儘かそうじゃないかを聞かれたら前者だろう。 こいつに出会ってかなり改善されたとはいえ俺様だという自覚はある。 それに、夜の生活だってこいつにとっちゃあかなり激しいのだろう。 俺にとってはまだまだ手加減しているつもりだが・・・いつも最後は 「もうムリ」 とかなんとか言いながら泣かれちまう。口ではそう言いながらも気持ちよさそうにしてると思ってたんだが・・・本気で嫌がってたってことか?! 不満は残るが離婚なんてシャレにならねぇ。 性格はこれ以上どうにもなんねーが夜の生活は少々セーブするしかねぇ。 「お前がそこまで本気で嫌がってるとは思わなかったからな。今度からは・・・・・・少しは手加減する」 「へ・・・?」 うっ・・・! ポカーーンとアホ面で見つめやがって。 てめぇのその面を見てると下半身がギュンギュン疼いて仕方ねぇっつーんだよ! 俺が手加減できねぇのはお前のせいだってこと、ちったぁ自覚しろよっ!!! 「ね、ねぇ、さっきから何わけわかんないこと言ってるの?」 「あぁ? わけがわかんねーのはお前の方だろ。あいつの前で離婚なんてとんでもねぇこと話しやがって。この俺がびびって一瞬時間が止まったんだからな」 「離婚ってそんなバカな・・・・・・・・・・・・・・・あ。」 ぶつぶつ何やら呟いていたつくしがハッと何かに思い当たったらしい。 ほら見ろ、やっぱり言ってたんじゃねぇか! 「・・・・・・・・・ぷ。 あははははははははははははっ!」 だが何を思ったのか突然大爆笑し始めた。 俺の真下で体をイモムシのように捩りながら腹を抱えて大笑いしている。 「・・・おい、何がそんなにおかしいんだよ。こっちは真剣に・・・!」 「あはははははははっ! だ、だって・・・それ、全然ちがうんだもっ・・・ははははっ」 「あぁ?! だから何がだよっ!」 こっちはお前が帰ってくるまで生きた心地がしなかったって言うのに、てめぇは何をそんなに楽しそうにしてやがるっ! 「・・・このっ、いい加減何の話だか説明しやがれっ!」 「わっ?!」 いつまでも笑い終わりそうにないつくしの両手を掴んでベッドに縫い付けると、目ん玉が零れ落ちそうなくらいに驚いてるあいつの顔の目の前にズイッと顔を寄せた。 しばしびっくりしていたが、やがてつくしはフッと呆れたように微笑んだ。 「・・・バカだなぁ」 「あ゛ぁっ?!」 てめぇ、この期に及んで喧嘩売ってんのか? 「あたしが離婚なんて言うわけないじゃん」 「嘘つけよ。だったらなんであいつがそんな言葉知ってんだよ。子どもは嘘つかねぇだろ」 「ぷっ、司の口からそんなセリフが出るなんてなんか感慨深いね」 「だから本筋からずれんじゃねーよ。一体どういうことなのか説明しろっ!」 「クスッ。全く、ほんとにすぐカッとなるんだから。今からわかりやすく説明するからまずは手を離して。逃げも隠れもしないから」 「・・・・・・」 頭の中では嫌だと思いながらも何故だかこいつの笑顔を見ていると自然と力が抜けてしまう。 つくしはすぐに自分の手を引き抜くと、そのまま体を起こして俺の前に正座した。 そしてお決まりの上目遣いでこっちを見やがる。 ・・・だからそれをやめろっつってんだよ! 「あの子が聞いたのはドラマの話だよ」 「ドラマ?」 「そう。今あたしが嵌まってるドラマがあるでしょ? あれで主人公が離婚の危機に陥ってるの。旦那さんが典型的なモラハラ夫でね、暴言が激しくって。互いに愛し合ってるのに歪んだ形でしかそれを表現できないから今ピンチなのよ。多分その録画してたのを見た直後に何かしながら呟いちゃってたんだろうね。あたしの中ではあの子の前でそんなこと話した記憶なんてないんだもん。っていうか言うはずがないし」 「・・・・・・」 つまりはなんだ? 単なるくだらねぇ独り言をあいつがたまたま聞いてただけってことか? ・・・・・・紛らわしいにもほどがあるだろっ!!!! 俺の顔にそれが出ていたのか、つくしはもう一度呆れたように笑うと、そっと両手で俺の頬に触れた。 「ほんとにバカなんだから」 「・・・んだと?」 「バカだよ。ううん。大バカ者」 「てめぇ・・・」 「だってあたしがあんたと離婚したいだなんて思うわけがないじゃん。こんなに幸せなのに」 その言葉に額に出かかっていた青筋がスーーッと引っ込んでいく。 こいつが言った言葉を頭の中で復唱しようと考えていたところでフワッと唇に柔らかいものが触れた。 一瞬の出来事で何が起こったかわからなかったが、頬を染めて照れくさそうにしているこいつが全てを物語っていた。 「あたし、世界一の幸せ者だよ? いくらあの子が勘違いしたからって、真に受けてそんなに悩むなんて・・・なんかちょっとショックだよ。あたしのこと何にもわかってないの?」 うっ・・・ 口を尖らせてふて腐れるそのツラは反則だ。 ・・・やっぱりこの女は世界一タチが悪ぃ。 「・・・悪かったな。予想もしない言葉が出てきてさすがの俺も動揺しちまった」 「もう、これからはバカなことは考えないでよね?」 「あぁ、約束する」 にっこりと、満足そうに微笑んだあいつの頬を今度は俺が両手で挟み込む。 顔の自由を奪われたつくしの目がすぐに丸くなった。 「え?」 「心底悪かったと思ってる。・・・・・・・・・だから」 ドサッ 「え? え? えぇっ?!」 「この申し訳ないという気持ちを体でゆっくり表してやる」 「はぇっ?! ちょっ、ちょっと待って! 今日は汗かいたから先にシャワーを浴びさせ・・・」 「そんなんどうでもいいだろ。汗ごとお前を愛してやるよ」 「いやっ、それはちょっと困る! 困るぅううううっ?!」 ガタガタうるせぇ女を無視してさっさと邪魔くせぇ下着のホックを外してやった。 あまりの早技に慌てふためいているがそんなことは知ったこっちゃねぇ。 スイッチを入れまくったお前が悪い。 「世界一どころか宇宙一幸せな女にしてやるよ」 「うっ・・・!」 唇のくっつく距離でそう囁くと、一瞬にしてあいつが朱に染まった。 この瞬間がたまらなく情欲をそそってるなんてこと、お前は知りもしないんだろ。 そうやってこれからも俺を煽り続けてればいい。 その度に俺はお前を愛してやるからな。 すっかり戦意喪失したあいつに満足して笑うと、ペロリと舌舐めずりをして柔らかな肌に顔を落としていった。 さぁ、今夜はどうやってこいつを満足させてやろうか。 「パパはやっぱりすごいよっ! ずっとぼくがほしかったおとうとかいもうとをプレゼントしてくれるなんて! パパはぼくのヒーローだよっ!!!」 それから数ヶ月後、つくしのお腹に新たな命が芽生えたことが判明し、それから俺は息子にダイゴレンジャーよりも崇拝されるヒーローとなった。
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Holy Night 前編
2015 / 12 / 24 ( Thu ) 聖なる夜は思い出す。
あなたと誓ったあの約束を ____ 「つくしぃ~~~~!」 一通りの挨拶を済ませてほっと一息ついたところで耳馴染みのある声が聞こえてきた。 見なくともともわかるその声にクスッと笑うと・・・ 「諒くん、久しぶりっ!!」 振り向くと同時に飛び込んで来た小さな体を正面から受け止めた。 「こら~っ! 呼び捨てするなって言ってるでしょーがっ!!」 「滋さん・・・久しぶり!」 「つくし~~!! 逢いたかったよぉっ!!」 「わっ?! あははっ!」 後ろから追いかけてきた母親は息子に説教をたれながらもとる行動は全く同じ。 いきなり抱きついてきたかと思えば親子揃ってギュウギュウしがみついて離れない。 もう何年経とうと変わらない光景だ。 「元気だった?」 「もちろん! 滋さんは?」 「見ての通り元気元気!」 「つくしぃ~、俺も元気だったぞ!」 「あはは、それはよかった。またグンと大きくなったね?」 「あったり前だろー? ご飯モリモリ食って早くつくしを追い越すんだからな!」 「あはは、それは楽しみだなぁ~!」 「こらっ、だから呼び捨てはやめなさいって言ってるでしょっ?!」 「あははは!」 おしとやかなお嬢様とはほど遠かった滋も今では二児の母。 結婚と同時に海外移住が決まり、今ではこうして節目の時に会うくらいしかできなくなってしまったが、たとえ会える回数が少なくとも自分たちの友情は何も変わらない。 「毎日大変そうだね」 「ほんとにね~! 家に怪獣がいる感じ」 「あははっ、でも滋さんも負けてないからバランスは取れてるんじゃない?」 「ちょっとー?! どういうことよっ!」 「あははははっ!」 楽しそうに笑うつくしを見て一瞬だけ言葉に詰まったが、滋は笑顔でお腹に手をあてた。 「実は・・・さ、来年もう1人増えるんだわ」 「えっ?」 その言葉に目を丸くしたつくしは滋のお腹を凝視した。 まだぺたんこのその場所だが、滋の顔は既に母性で溢れている。 「そうなの?! それはおめでとう~~!! 体大事にしてね!」 「ふふ、ありがと」 「あ~、そんな時にわざわざこっちに来てもらっちゃって・・・大丈夫だった? ごめんね、無理させちゃったよね」 「何言ってるの! あたしにとってもこれが楽しみの1つなんだし、無理だと思うならそもそも来ないから。だから何にも気にしないでいいんだからね?」 「滋さん・・・ありがとう」 「お礼を言うのはこっちの方。いつも招待してくれてありがとね」 あらためて感謝の気持ちを伝え合うのはどこか照れくさい。 「そういえば司は?」 「あー、数日前からちょっと色々とね。今も会社に行ってる。もうすぐ戻って来るみたいだけど・・・」 「そっか~、相変わらず忙しいんだね。だからつくしが1人で挨拶回りしてたんだ。納得納得。な~んか、すっかり道明寺夫人になったんだねぇ」 「やだ、全然そんなんじゃないから」 「え~? 誰がどう見たって立派な女主人でしょ。つくしが来てからこういうパーティもすっかり様変わりしちゃってさぁ。昔はもっと無機質な感じだったのに、今ではアットホームな雰囲気で来る人も楽しいと思うよ?」 「あはは、だといいんだけど」 「そうだって! もっと自分に自信もっていいんだよ、つくしは」 「・・・ありがと」 なんだかむず痒くて鼻を掻いたところで遠くから滋を呼ぶ声が聞こえてきた。 「あ、ごめん。ちょっと行かなきゃ」 「うん、今日はほんとにありがとう」 「またあっちに戻る前に連絡するから!」 「了解! 諒君、またね!」 「つくし、またなっ!!」 ブンブン笑顔で手を振る男の子に負けじと手を振りながら、そんな親子の姿が人混みに消えた瞬間、何故か全身から力が抜けていくのを感じた。 言葉に表すことのない脱力感、虚無感。 笑っていた顔が無意識のうちに真顔へと戻っていく。 ダラリと落ちるようにして手が下がると、つくしは華々しく賑わう会場をどこか他人事のようにぼんやりと眺めた。 「・・・・・・ちょっと疲れが溜まってるのかも」 司がいない分自分がしっかりしなければと気を張りすぎたのもしれない。 道明寺夫人として恥じることのないよう、陰で笑われたりしないようにと。 その張り詰めた心は体を誤魔化すことまではできなかったのか、今日が近づくにつれて日に日に眠れない夜が続いた。 懐かしい友に会ったことで緊張の糸がプツリと切れてしまったかのように、体は思うように動いてはくれない。 「あ・・・ほんとにやばい、かも・・・」 覚えているのはそう口にしたところまで。 次の瞬間グラリと視界が反転すると、つくしの意識はそこでプツリと途絶えてしまった。 ガタガタガシャーーーーーンッ!! 「きゃあーーーっ!!」 「奥様っ?! 奥様っ! しっかりなさってくださいっ!!」 「誰か、救急車っ! 救急車を早くっ!!」 遠ざかっていく意識の向こうで何か騒がしい音がする。 けれどそれが何かなんてわからない。 クリスマスの度に思い出す。 そして思い出してはちょっぴり切ない痛みを伴う。 何故ならあたしは・・・ 『 あたしと離婚してください 』 10年前の今日、あいつに離婚を申し出たのだから ___
昨日は2回更新しています。(そして 「また逢う日まで」 完結しました!) 見落としのある方は是非そちらもご覧くださいね^^ |
Holy Night 中編
2015 / 12 / 25 ( Fri ) 『 今なんつった・・・? 』
その声は震えていた。 怒りに、悲しみに。 ありとあらゆる負の感情が入り交じって。 それでもあたしは構わずに言葉を続けた。 『 だからあたしと離婚してください。あたしの分はもう書類に捺印してるか・・・きゃあっ!! 』 バシィッ!! 乾いた音が広い部屋に響き渡る。 勢い余って床に倒れ込んでしまったあたしを、あいつが今にも泣きそうな顔で見下ろしていた。 ジンジンと熱を持つ頬に不思議と痛みは感じない。 あたしは殴られて当然のことをしているのだから。 それよりも、今目の前で苦しげに顔を歪めている男を見る方がよっぽど痛い。 『 ・・・ざけんなよ・・・・・・ふざけんなっ!! 』 「 ふざけてなんかいない! あたしは真剣にっ・・・! 」 『 だからそれこそがふざけてるっつってんだよ! 離婚? 捺印した? この俺がそんなことを許すわけがねーだろうが!! 』 「 だって! だってっ・・・!! 」 『 いくら子どもがいたってお前がいなきゃ何の意味もねぇんだよっ!! 』 「 ・・・・・・っ! 」 空気を切り裂くような悲痛なその叫び声に息が止まる。 座り込んだまま呆然と見上げるあたしの前にゆっくりと跪くと、あいつはあたしの両手を握りしめて顔を埋めた。その手は微かに震えていた。 『 なんで・・・なんでわかんねぇんだよ・・・。俺にはお前が全てなんだって・・・ 』 「 ・・・・・・ 」 『 子どもができない? それが何だっつーんだよ。んなこと俺たちの人生に何の関係もねぇ 』 「 でもっ、あんたはっ・・・! 」 『 道明寺の後継者だからって? だからどうしたんだよ。実子じゃなきゃ後を継げない法律でもあんのか? あるとするならそんな法律は俺が変えてやる 』 「 そんなバカなこと・・・ 」 『 バカ? 馬鹿げてんのはお前の方だろうが。子どもがいないだけで何故俺たちが別れる必要がある? 俺は子どもが欲しくてお前と結婚したんじゃねぇ。お前と人生を歩みたくて家族になったんだ。逆にお前は俺に子どもをつくる力がないんなら俺を捨てるのか?」 「 そんなわけないじゃないっ!! 」 即座に否定した言葉は思いの外大きな音で響き渡る。 自分でも驚くほどのその声に、司は何故か嬉しそうに笑って見せた。 『 だろ? そんなん俺だって同じだ。子どもの有無なんてどうだっていい。お前さえいれば 』 「 でも、でも・・・あんたは・・・ 」 『 今時養子をもらうことは珍しいことじゃねぇ。それに、姉ちゃんのところにだって子どもはいる 』 「 でも、でもっ・・・! 」 あたしはあんたに 『 家族 』 をつくってあげたかった。 愛情を知らずに育ったあんたに、愛ってこんなにも素晴らしいんだよって。 そんな笑顔溢れる家族の姿をあんたに ____ 『 つくし・・・やっぱりお前は何もわかっちゃいねぇ。たとえ10人子どもがいたってなぁ、そこにお前がいなきゃ何の意味もねぇんだよ。お前たった1人の価値に敵う存在なんて、この世のどこを探したっていねぇんだよ! ・・・俺はお前がいて初めて人間らしく、俺でいられんだよ・・・ 』 「 つ、かさ・・・ 」 『 お前さえいれば俺は何も望まない。・・・お前を愛してる 』 「 つか・・・っ 」 パタパタと、どこからともなく音が響いてくる。 それはとめどなく続いていき、やがて完全に視界が歪んだときに初めて自分が大粒の涙を流しているのだと気付いた。 『 つくし・・・ 』 「 うぅっ・・・うぅ゛ーーーーーーーーーーーーっ・・・! 」 『 お前を愛してるんだ・・・お前以外は何もいらない。お前だけ・・・ 』 「 あぁ゛ーーーーーーっ・・・! 」 まるで壊れた機械のように、手負いの獣のように大声で泣き崩れるあたしの体を、あいつは優しく優しく抱きしめた。壊れないように、労るように。けれど絶対に離さないという強い意思だけは伝わってきて、あたしの涙腺は完全に崩壊してしまった。 張り詰めていた糸が切れてしまったように、ただひたすらに声を上げて泣いた。 「・・・・・・え? 今、なんと?」 「・・・ですから、奥様は非常に妊娠しづらい体質であることが判明しました」 医師から告げられた言葉に頭が一瞬にして真っ白になる。 ・・・何? 妊娠しづらい・・・? ・・・一体、誰が・・・? 「数ヶ月にわたり精密検査をしてきましたが、奥様の場合は卵子を作る機能に・・・」 具体的な説明をしてくれているというのに何一つ頭に入っては来ない。 何も、 ___ 何も。 『 お子さんはまだですか? 』 そんな何気ない他人の一言が気になるようになったのはいつからだっただろう。 子どもなんて、結婚して欲しいと思えばそのうち自然にできるんだって信じて疑わなかった。 だからすぐにできなくたって、夫婦仲良くしてればいつかその時が来るって深く考えもしなかった。 『 一度軽い気持ちで検診受けてみるのもいいんじゃないですか? 健康診断にもなりますし 』 そんな桜子のアドバイスで初めて婦人科を訪れたのは・・・結婚してから2年経ってのことだった。 そしてそこで告げられた衝撃の事実。 全くもって想定だにしていなかった事態に、頭は完全に考えることを拒否してしまっている。 「あ、あの・・・しづらいってだけでできないってわけじゃないんですよね?」 そう。彼女は 「できない」 とは言ってはいない。 そんな淡い期待に胸を膨らませながらそう尋ねたが、医師の表情は晴れないまま。 そのことがまた暗黒の世界へと自分を突き落としていく。 「仰るとおりできないわけではありません。ですがデータを見る限り奥様の場合は自然妊娠は限りなく難しい状況なのも事実です。ですから人工授精や体外受精などの不妊治療へとステップアップされることが望ましいかと。卵は少しでも若い方がいいですから、取り組むお気持ちがあるのでしたらすぐにでもなされた方がよろしいかと思います」 「・・・・・・」 「・・・突然のことで混乱もおありでしょう。自然妊娠が不可能なわけではないし、治療をすれば子どもができるという保証もありません。何よりも治療は心に無理な負担をかけてまでするものではないと思っています。ご夫婦の問題ですから、ご主人とじっくり話し合われて答えを出されてくださいね」 そう言って優しく微笑みかけてくれた女医の顔がやけに歪んで見えた。 ・・・あぁそうか、あたしは泣いているんだ。 この涙は何? 悲しくて泣いてるの? ・・・違う。 不甲斐ない自分自身への怒りで泣いてるんだ。 今までだって気付くチャンスはいくらだってあったはずなのに、何故あたしはこんな大事なことに気付かなかったのだろう。 「 当たり前 」 なんてこの世には存在しないのに、目の前の幸せで頭がいっぱいになって、そこかしこに転がっていたその可能性を素通りしてしまっていた。 あいつと一緒になるまでたくさんの試練を乗り越えたんだから、この先にはもう幸福な未来しかないなんて、そんな馬鹿げたことをあたしは本気で信じていたのだ ____
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Holy Night 後編
2015 / 12 / 26 ( Sat ) 医師から告げられたことを正直に話したあたしにあいつが言った言葉 ___
『 だからなんだ? そんなことは俺たちにとって何の問題もない 』 少しも考えることもなく即答したあいつに、あたしの心は打ち震えた。 そして心のどこかで彼ならきっとそう言うに違いないと信じていたし、そう期待もしていたのだ。 思いも寄らぬ宣告にショックを受けたのも事実だけど、悲観してばかりはいられない。 そう、可能性がたとえ1%でも残されているのなら。 その可能性を信じて前を向いて進んでいくだけ。 司は無理してまで子どもを作る必要なんかないって言ってくれたけど、あたしに迷いはなかった。 あいつに温かい家族をつくってあげたい、それはあたしの何よりの夢だったから ___ けれど現実はそんなに甘いものではなかった。 検査結果を受けていきなり体外受精から入ったものの・・・望まない結果が繰り返されるだけ。 やがて時間と共に顕微授精へとステップアップしたけれど、そこでも結果は同じ。 今度こそ! と期待を抱いて胎内へ戻しても、そのうち駄目になって流れてしまう。 そんなことの連続だった。 頑張ろうと気持ちが空回りするばかりで、結果は全くついてこない。 辛いなんて弱音を吐くことは許されない。だって、あたしは経済的に恵まれてるんだから。 お金の心配をせずに治療に打ち込ませてもらえる。それだけでもどれだけ幸せなことなのか。 だから、絶対に弱音なんて吐いちゃいけない ___ あたしは知らず知らず自分を追い詰めていった。 気が付けば治療を始めてから4年目に突入した頃、突然あいつが言った。 『 俺はお前がいれば後は何もいらない。辛い治療を続けて悲しむお前を見るよりも、子どもがいなくたってずっと笑っていられる2人でいたい 』 と。 涙が止まらなかった。 あたしを慰めるためじゃない。 あいつは心の底からそう思って言ってくれたんだってわかってるから。 自分がどれだけ幸せなのか、いつバチがあたってもおかしくないほどに恵まれているのか。 こんなにも自分を愛してくれる人と巡り会うことができた奇跡。 その奇跡にこれほど感謝したことはない。 それなのに・・・ それと同時にどうしても消すことのできない罪悪感があたしの中で渦を巻き始めた。 どうして・・・どうして神様はこんなに残酷なのか。 誰よりも家族の愛を知って欲しい男に、何故こんな試練を与えるのか。 あいつにそっくりな子どもを抱かせてあげたい、くだらないことで大笑いしたい。 そうすればあいつはもっともっと本当の自分を取り戻すことができるのに ___ あたしの心を疲弊させていったのは自分自身だけではない。 道明寺財閥の副社長という立場上、ありとあらゆる人脈がある。 何かにつけて人と会う度に、 「お子さんはまだですか?」 と決まり文句のように言われる。 結婚した夫婦に対してありふれたはずの会話が、こんなにも鋭い凶器へと変貌するなんて。 自分がそうなるまで気付きもしなかった。 今になって思う。これまで自分は知らず知らず無神経なことをしていなかっただろうかと。 上手く話を流してくれるあいつの横で作り笑いをするあたし。 そんなことを繰り返していくうちに、いつしか笑おうとすると息苦しささえ感じるようになっていた。 そんなあたしをあいつは大事に大事に労ってくれた。 その優しさが嬉しいと思う一方で、とてつもない罪悪感が自分に襲いかかるのだ。 自分は心配ばかりかけて一体彼に何ができるというのだろうか。 何が雑草のつくしだ。 ポキッと根元から折れてしまっては、いくら雑草だって立ち上がることなどできやしない。 情けない。 悔しい。 腹が立つ。 ・・・・・・悲しい。 どんなに這い上がろうとしても、出口の見えない底なし沼のように負の感情から抜け出せなくなってしまったあたしは、結婚してから6年目のあの日、あいつへ離婚届を差し出した。 別れるなら早いほうがいい。 あいつにはいくらだって家族をつくるチャンスがあるのだから。 最初は寂しくても、いつかあいつが幸せな家族を築いてくれるなら・・・あたしは心の底から笑って祝福したい。それは嘘偽らざる本音だった。 あいつは優しいから自分からそんなことを言い出したりしない。 だから、あたしの方からあいつを自由にしてあげなければ ____ 『 いいか、つくし。二度とこんなバカな真似はするな。もし万が一こんなことをしようものなら・・・俺はお前を殺して自分も逝く 』 「 ・・・っ! 」 『 俺は本気だ。それほどにお前が俺の全てなんだよ 』 「 ・・・っうぅ゛っ、つかさっ・・・づがざぁあっ~~~っ・・・! 」 『 ・・・さっきは殴って悪かった 』 ぶんぶんと必死で首を振る。 こんな時まであたしの心配をしてくれるあんたは心の底から優しい人だ。 こんなに弱くて愚かで自分勝手なあたしだというのに。 獣のように激しい一面と表裏一体で併せ持つ優しさ。 そんなあんただからこそあたしは家族をつくってあげたかった。 ・・・ごめんね、司。 それでもあたしはあんたといたい。 あんたがあたしを必要としてくれる限り、この命が尽きるまであんたの傍を離れたくない。 ううん、ずっとずっと、たとえ命が尽きようともあんたと一緒に ___ 久しぶりに懐かしい夢を見た。 もうずっと前に割り切っていたはずのちょっぴり苦い思い出。 最大の試練を乗り越えたあたし達は、まるで憑きものが落ちたかのように日々が笑顔で溢れるようになった。子どもが欲しくないわけじゃない。それでもお互いにとって一番大事なことが何なのか、ようやく気付くことができたから ___ 今を精一杯に生きる。 それこそがあたしたちにとって一番なんだって、やっとわかったから。 それでもふとしたときにこうしてセンチメンタルな気分になるのは、今日がクリスマスだから。 10年前のあの日を思い起こさせるこの日だけは、ほんの少しだけ苦い痛みをあたしに与える。 そしてその度に大事なことが何なのかを気付かせてくれるのだ。 「ん・・・」 体が、だるい・・・ ここは・・・どこ・・・? 「気が付いたか?」 「え・・・? あ・・・つかさ・・・?」 ぼやけた視界に浮かび上がってきた輪郭、それはこの世で一番愛する人。 やけに心配そうに覗き込むその顔に、自分の記憶を必死でたぐり寄せる。 「あたし・・・?」 「覚えてねぇか? お前パーティの最中に倒れたんだよ」 「倒れた・・・?」 そういえば朝から体が重かったことを思い出す。ここ数日は思うように眠れず、そこに加えてしっかり道明寺夫人としての役目を果たさなければという重圧がのし掛かって、結果的にこんな失態をおかしてしまった。 そう、今自分がいるのは病院だ。 「ごめんなさい! あたし・・・!」 「起きなくていい。寝てろ」 「でもっ・・・!」 「パーティならとっくに終わってる。それにお前は既に自分の役目をしっかり果たしてる」 「・・・・・・」 その言葉にどっと力が抜けていく。 道明寺の後継者をつくってあげることができないのならば、せめて自分にできることは常に全力で取り組もうと思っていたのに。こんな形で穴を開けてしまうなんて・・・自分はどうしてこうも空回りしてしまうのだろうか。 潤んできた視界にグッと唇を噛むと、つくしは見られまいと黙って俯いた。 そんなつくしの頬に温かな手が優しく触れる。 「・・・お前ずっと我慢してたのか?」 「・・・え?」 「ずっと体調悪かったんじゃねぇのか?」 心配しながらもどこか怒っているような声に思わず顔を上げた。 その表情は何とも言えない複雑なもので・・・何を考えているのか読めない。 「どうして言わなかった」 「いや・・・言わなかったってわけじゃなくて、単なる寝不足だったから。ほら、あたしって未だにパーティとか慣れないでしょ? だからどうしても緊張して眠れなくてさ。今回は司もいないってわかってたから余計に。だから別に体調が悪かったってわけじゃ ___ 」 「もうお前1人の体じゃねぇんだぞ」 「・・・・・・え?」 言われた言葉の意味がわからずにキョトンとする。 ・・・どういうこと? わけがわからずにいるあたしの両手を握りしめると、司はそっと手のひらに口づけをしながらあたしを見つめた。 「 ・・・お前の腹の中に俺たちの子どもがいる 」 ・・・・・・・・・・・・え・・・? な・・・に・・・? いま、なに、を・・・ 「子どもができたんだ」 ギュウッと握りしめられた手に我に返る。 ハッとして顔を上げれば・・・司が笑っていた。 はにかむような、照れくさいような、一言では表現できない初めて見る顔で。 「う・・・うそ・・・」 「じゃねぇよ」 「な、何かのじょうだ・・・」 「こんな悪趣味な冗談誰が言うか」 「・・・・・・・・・」 未だ放心状態のあたしに痺れを切らしたのか、司の手が再び頬へと戻って来る。 自分から目を逸らすなと言わんばかりにしかと支えられた視界が捉えるのは司だけ。 でもその端正な顔もすぐにグチャグチャに歪んで見えなくなっていく。 「嘘・・・でしょう・・・? だって、だって・・・!」 「あぁ、医者だって驚いてたさ。でも医学は絶対じゃない。可能性がほんの僅かでもある限り、それはいつだって起こりうる。それが俺たちにも起こっただけのことだって。だからこれは奇跡なんかじゃねぇ。俺たちはたまたま人よりも時間がかかっただけなんだ」 「・・・うぅっ・・・つ、つかっ・・・」 「子どもがいなくたって何ら構わねぇっつー俺の考えは変わらない。だがお前が笑ってくれるならそれが一番いい。・・・だから体を大事にしろよ」 「つっ・・・づがざぁっ・・・!」 「おう、好きなだけ泣け」 「うっ・・・うぅっ・・・うわ゛ぁああああぁああああん!」 あたしがこんなに泣いたのは10年ぶりだった。 全てを割り切って、受け入れて、そして諦めたあの日。 まるで生まれたての赤ん坊のように泣いて泣いて、泣いて。 それから10年。 結婚して15年、司が間もなく40という節目を迎えるこの冬 ___ 何の前触れもなく突然天使は舞い降りた。 「 大事に育てていこうな 」 「 うんっ、うんっ・・・! つかさぁっ・・・! 」 「 ははっ、お前の方がよっぽど赤ん坊みてーだな 」 そう言って笑いながら涙を拭ってくれたあなたの顔をあたしは一生忘れないだろう。 クリスマスはいつもちょっぴり切ない。 けれどそれも今年まで。 あたしはきっと、今日この日を思い出す度に人目も憚らず大泣きするのだろう。 喜びに顔をぐしゃぐしゃにして ____ Merry Christmas !
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