プライスレス
2014 / 11 / 22 ( Sat ) 「どこ見てやってんだ!ゼロからもう一度見直せっ!!!」
「は、はいぃっっ!!申し訳ありませんでしたっっっっ!!!」 遥か上空から地上まで届くほどの怒号が響き渡ると、まるで逃げるようにして一人の男が部屋の中から飛び出して行った。日常茶飯事とばかりに全く動じることなくその青い顔をした男と無言ですれ違うと、やがて辿り着いた扉をノックする男が一人。 「失礼します。随分と派手にやられたようで。相当下まで聞こえてたんじゃないですか」 一言声をかければ中にいた男の眼光が鋭く光る。 「誰がだよ。派手にやってくれたのはあいつだろうが。あんな初歩的なミスしやがって・・・。誰のせいで出勤する羽目になったと思ってる」 「まぁそこは否定いたしませんが」 「・・・・・ったく、いつぶりの休みだったと思ってんだ」 眉間に皺を寄せて苦々しく零すと、デスクに山積みになった書類を睨み付けながら手に取る。 「お昼はどうされますか?」 「あ?んなもんいらねーよ。そんな暇があんだったら一秒でも早く終わらせる」 「・・・承知致しました」 軽く一礼すると今来た道を戻っていく。 「西田」 「はい?」 「野口の野郎に言っておけ。あと2時間で片付けられないようならお前はうちにはいらねぇってな」 「・・・クビ宣告ですか?」 「あぁ?それくらいのことをあいつはやらかしてんだよ。今度こそ心を入れ替えられねぇようならどのみち先はねぇだろ。むしろこっちはチャンスをやってんだ。感謝されこそすれ文句言われる筋合いはねぇ」 「・・・・・・・」 黙ってじっと自分を見つめる西田を訝しげに睨む。 「なんだよ」 「・・・・いえ、副社長の仰るとおりです。彼にはそのように伝えておきます。では」 再びペコリと頭を下げると、西田は今度こそ部屋から出て行った。 「・・・・・なかなかですね」 廊下で立ち止まり誰に聞かせるでもなく独りごちた言葉の意味は一体何なのか。 西田はほんの少しだけ口角を上げると、すぐにいつもの顔に戻りエレベーターへと向かった。 大財閥のジュニアとして生まれてきて嬉しかったことなんて一度もない。 使っても使っても有り余る金ならある。 だが金で買えるものなんてたかが知れてる。 本当に欲しいものはどんなに金を積んだところで絶対に手に入れることなどできない。 そんなこと知りもしなかった。 会社の危機?役員としての立場?責任感? んなこと知ったこっちゃねぇ。 誰が路頭に迷おうとそいつの人生。 自分には露ほどの関係もない。 泥船だろうと最後まで残れなかったそいつが弱いだけ。 いっそのこと全てが壊れてみるのも面白い。 どうせつまらねー人生なんだ。 自分の意思なんて関係ない、まるで機械仕掛けのような道を歩かされて生きる道しるべすらない。 そんな人生にどれだけの価値がある? つまらねぇ。くだらねぇ。 死ぬまで、いや、死んでもこの空虚は満たされることはない。 「副社長、できましたので確認をよろしくお願い致します・・・・!」 あれから1時間半、再び副社長室に現れた野口は青白い顔をしながらも、どこかやりきった感が漲っている。きっと西田に厳しいながらも心に火がつくような発破をかけられたに違いない。死なない程度に手を加える。いかにもあの男のやりそうなことだ。 渡された書類を一枚、また一枚と確認していくその様を、男は直立不動で固唾を飲んで見守っている。指一本でも触れればパーンと弾けてしまうのではないかと思うほど、体はガチガチだ。 やがてカサッと音を立てて全ての書類がデスクの上に置かれると、男の喉がゴクリと大きな音を響かせた。紡がれるのは一体何か。死の宣告か?それとも・・・・・・・ 「・・・・・・・・まぁまぁだな」 「・・・・・えっ?」 「良くはねぇが悪くもねぇ。できんだったら最初からやれって話なんだよ」 「は、はい。仰るとおりです・・・・」 どうやら明るい話ではなさそうだと察知すると、一気に男の背中が萎んでいく。 「・・・・・・無駄にすんなよ」 「え?」 「くだらねぇミスなんかでその能力を棒に振るなっつってんだよ。お前はそこさえ直せばいくらでも上を目指せる奴なんじゃねーのか。家族を路頭に迷わせてもいいのかよ」 「い、いえっ、そんなことは・・・・!」 己の予想とはかけ離れた言葉に野口も困惑気味に答えることしかできない。 「だったらもっと本気になれ。てめぇの力をもっと見せてみやがれってんだ」 「・・・・・・!」 自分を真っ直ぐ見据える男の目から視線が逸らせない。そこには揺るぎない自信が満ち溢れていて。今自分は叱咤激励の言葉をもらったのだとようやく理解すると、野口は足元から震え始めた。 「・・・・・・はいっ!ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!これから心を入れ替えて精進します!!」 震えそうな声を振り払うように大きな声で誓いを立てると勢いよく頭を下げる。目尻がほんのり赤く見えたのは気のせいだろうか。 「データの管理は厳重にやれ。それが終わったら帰っていい」 「は、はいっ。副社長、ありがとうございました!!」 嬉しそうに顔を上げたときには既に相手は窓からの景色を眺めていた。それでも、そこに確かな愛情を感じた。野口はもう一度頭を下げると軽快な足取りで部屋を出て行く。やって来たときとは正反対に、今にも小躍りしそうに去って行く男の後ろ姿を黙って見つめている男がまた一人。 「失礼します。無事に終わったようですね」 「あぁ。お前も相当手助けしたんだろ?」 「いえ、私は何も」 「クッ、どうだかな」 「今にも泣きそうな顔で出ていきましたよ」 「あ?」 「よっぽど嬉しかったようで」 「知らねーよ。俺は何も言ってねぇ」 「・・・・そうですか。後の処理は私がしておきますので副社長はこれでお帰りになってください。それから、明日は一日オフとなっております」 思いも寄らぬ西田の言葉に再び書類を手にしていた司の動きがピタリと止まる。 「・・・・・今なんつった?」 「今日出てきてもらった代わりに明日の分まで仕事をこなしてもらっていました。ですので明日はお休みになられて構いません」 「お前・・・・」 驚きに言葉を失う司を前にしても西田は表情一つ変えることはない。 「何か不都合でも?」 「・・・・・・いや。・・・・くくっ、さすがはアンドロイドだな」 「褒め言葉として有難く頂戴致します」 「・・・じゃあ後は頼んだぞ」 「はい。お疲れ様でした」 雑務を西田に託して部屋を後にしようとした司は、出ていく直前思い出した様に振り向いた。 「サンキュ」 ニッと不敵な笑みを浮かべながら一言だけ告げると、颯爽と部屋から出て行った。 完全に足音が聞こえなくなった頃に西田の口元がほんの少しだけ上がる。 「・・・・あなたの口からそんな言葉が出るなんてね。人生というのはなかなかに面白いものです」 しみじみと噛みしめるように呟いた言葉は誰の耳に届くこともなかった。 他人の人生なんてクソっ食らえ。俺には一切関係ない。 生きるか死ぬか、ただそれだけ。 そんな俺が誰かを激励する? 誰かに感謝される? あり得なさすぎて笑いが止まらない。 それなのにどうしたというのか。 そんな今の自分が嫌いじゃない。 俺が変わる?それとも周りが変わった? そんなこと知るか。どっちでもいい。 今、目の前にある現実が全て。 「お帰りなさいませ、司様」 「あぁ。あいつは?」 「若奥様ならさきほどまで・・・・・」 「あーーっ、お帰りっ!!」 エントランスで恭しく主を出迎える使用人の背後から、何とも軽快な声が響き渡る。 見る前に既に笑いそうになるのを堪えて視線を送ると、全ての疲れが吹っ飛んでしまうほどの笑顔を携えた愛する妻の姿を捉えた。行儀もへったくれもない、司の姿を確認するなりバタバタと走り寄ってくるその姿を。 「おかえりっ!思ったより早かったんだね?」 「あぁ。死ぬ気でやらせたからな」 「あははっ、あんたがそれ言うと全然シャレにならないから」 「・・・・なんかお前匂わねぇ?」 目の前までやって来たつくしから微かな匂いを感じる。つくしは自分の服をクンクン嗅ぎながら苦笑いする。 「あー、匂いついちゃってる?ごめんごめん」 「何か作ってたのか?」 「うん、まぁね。司はお昼食べたの?」 今現在午後3時。普通ならとっくに昼食を終えている時間だ。 「いや、何も。そんな暇があったら仕事やった方がましだからな」 「あ~、やっぱり。そうじゃないかと思ったから厨房を借りて軽めの食べ物作ってたんだ。もう少ししたら会社に持っていこうと思ってた」 「そうなのか?」 「うん。じゃあせっかくだから食べてよ。はい、来て来て!」 嬉しそうにそう言うと、つくしは極々自然に司の手を握って目的の場所へと導いていく。普段はこちらから積極的にスキンシップをとれば恥ずかしがってばかりのくせに、こんな時は自分の方から平然と触ってきているのを本人はどれだけわかっているのだろうか。 苦笑いしながら連れて行かれた場所は厨房。色々と試行錯誤したのであろうそこには様々な道具が残されたままだ。 「じゃーん!これ!」 「サンドイッチか?」 「そう。これなら手が汚れなくていいかな~と思って」 ニッコニコで差し出されたトレイには色とりどりの一口サイズのサンドイッチが所狭しと並べられている。卵やハムサンド、アボカドにチキン、ベーコントマト、他にも栄養バランスを考えられたものばかり。しかもどれも一口で簡単に食べられるようになっており、仕事をしながらでも食べやすいようにと考えて作ってくれたに違いない。 つくしがどんな思いでこれを作ってくれたのだろうかと思うだけで口元が緩んで仕方ない。 「サンキュ」 「うんうん。ねぇ、食べてみてよ!どれがいい?」 厨房に立ったままの状態にもかかわらず今ここで食べろと言う。食事のマナーもへったくれもあったもんじゃない。ますます笑いが止まらないが、不思議なことに少しも不愉快じゃない。 「お前のオススメは何なんだよ?」 「あたし?そうだな~、アボカドサンドかな。この前テレビで作ってるの見たらすっごくおいしそうでさ!メモしておいたレシピを参考に作ってみたんだ~」 「へぇ・・・・・じゃあ、ん。」 「・・・・へ?」 突然目の前で口を開けた男につくしは意味がわからなそうにきょとんとする。 「お前のオススメなんだからお前が食わせろ」 「へっ?へぇえええええ??!」 へっ?って・・・・もう少し色気のある言い方はできねーのかよ。 ・・・・全く、こいつといると何から何まで飽きない。 「へぇー?じゃねぇよ。早く食わせろ」 「じ、自分で食べられるじゃん!一口でパクッといけるよ!」 「俺は仕事で疲れてもう指一本動かせねぇんだよ」 「そっ、そんなわけないでしょ!」 「あー、疲れた疲れた。こんなに頑張ったっつーのに何かご褒美くらいねぇのかよ」 首を動かしながら大袈裟に疲れたアピールをかます。 そんなの演技だとわかっていてもこいつが放っておけなくなるのは全て計算済み。 「う~・・・。わかった、わかったわよ!あげればいいんでしょ!」 「わかりゃーいい」 「うぬー、なんか腹が立つんだけど・・・・はい、口開けて。あーん」 「あー」 大きく開けた口にちょうどいいサイズのサンドイッチがパクリと呑み込まれる。 「ん・・・・・・美味い」 「ほんとっ?!良かった~!まだまだいっぱいあるから食べてねっ!」 さっきまでの不満顔など何処へやら。美味しいのその一言でぱぁっと笑顔の花が咲く。 きっとその威力がどれだけのものなのかなんて本人は露程も気付いていないのだろう。 自分がどれだけお金にはかえられないだけの価値をもった人間なのかということを。 「あぁ。いっぱい食わせろよ」 「うんうん、いっぱい食べ・・・・・・・え?食わせろ?」 にこにこ顔がピタリと止まったかと思えば眉間に一本の皺が。 「当然だろ?俺は疲れて動けねぇんだから。まぁとりあえず部屋に行ってから、な」 左手にトレイを、右手でつくしの肩をぐいっと引き寄せるとそのまま厨房を出て部屋へと向かう。つくしに抵抗する間を与えない一瞬技だ。 「ちょ、ちょっと!サンドイッチすら食べられないくらい疲れてる人がなんでこんなに力が出るのよ!おかしいでしょっ!」 「うるせーな。それとこれとは別問題なんだよ」 「全っ然意味がわかんないからっ!!」 「わかんなくていいから俺の疲れを癒せ、な?」 「な?じゃなーーーーい!!」 ずるずる、ずるずる、サンドイッチすら掴めないはずの片手がほぼ抱え上げてると言ってもいい状態でつくしを引き連れていく。実際、本当に疲れているはずの足取りはこの上なく軽い。 「メイン食った後はデザート食わせろよ」 「え?デザートなんて作ってないよ?」 「あるだろーが。目の前に」 「へ?」 またしても意味がわからずにアホ面になったところで部屋の扉がバタンと音を立てて閉まった。 「えぇ~~~~~~~~っ!!!!!」 今日もまたつくしの雄叫びが響き渡る。 それはこれまでの道明寺邸では聞くことのなかった音色で。 その音が邸中に明かりを灯していく。 死んでも満たされることはないと思っていた空虚が、小さなサンドイッチ一つでこれ以上ないほどに満たされていく。 手に入れた雑草の価値はプライスレス。 ![]() ![]() スポンサーサイト
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Midnight love xx
2014 / 11 / 24 ( Mon ) |
ゆく年くる年
2014 / 12 / 31 ( Wed ) 「わぁ~、こんな小さなところでもやっぱり混んでるんだねぇ・・・」
見つめた先に溢れかえる人波を見てつくしはハァ~っと感心する。 ゴーン、ゴーンと、辺り一面に新年を迎える鐘の音が鳴り響いている。 「感心してる場合じゃねぇだろ。何が楽しくてわざわざ人混みに来なきゃなんねぇんだよ」 すぐ隣に立っている司がうんざりしたように前を見ている。 そこは子連れからカップル、引いては外国人まで、ありとあらゆる人でごった返している。 「だって日本人でしょ? だったらちゃんと新年の挨拶に来なきゃ!」 「あいにく俺は何の信仰もねぇんだよ」 「いーの! 大事なのはそういうことじゃないんだから。日本の昔からの風習に習うことだって大事なことなんだよ?」 「チッ、俺にはわっかんねーな・・・なんでわざわざ混んでるってわかってる場所に出向かなきゃなんねーのか」 「はいはい、ブツブツ言わなーい。じゃあ並ぶよっ!」 今だブツブツと愚痴が止まらないことに構うことなく、つくしは司の腕を掴んでグイグイと前へと引っ張っていく。口ではなんだかんだ文句を言いつつも、いとも簡単にその体は動いてしまうのだから、つくしは可笑しいやら嬉しいやらだ。 今日は12月31日、 大晦日だ。 牧野家では日付が変わる前に神社へ出向いてそこで新年を迎えてお参りをして帰る、それが幼い頃からずっと続いていた習慣だった。 独立してからはさすがにその機会も減っていたが、今日は牧野つくしとしてではなく 『道明寺つくし』 として迎える初めての年越しだ。初詣に行きたい!というつくしのお願いに盛大に嫌そうな顔をしてみせた司だったが、上目遣いのおねだり光線をビンビンに浴びてはその抵抗など瞬時に泡と消えてしまった。 有名所に行けばそれはそれは凄まじい人で溢れかえっているだろうからと、道明寺邸からほど近い地元の小さな神社へやって来たのだが・・・やはりさすがは大晦日。普段はほとんど人もいない小さな神社にも驚くほどの人出があった。 本殿へ続く行列の後ろまでやって来ると、つくしは司を引き連れてそこに並んだ。 「ここが最後尾みたいだね。じゃあ並んで待ってよ」 「何すんだよ?」 「え? 順番が来たらあそこでお参りするんだよ。司もやったことあるでしょ?」 「ねぇな」 「えぇっ?! ないの? 一回も?」 「あぁ、1回も」 年が明ければ司は間もなく25歳になる。 それなのに一度も神社にお参りに来たことがないなんて。 つくしは正直驚きを隠せない。 「え・・・じゃあ年末年始ってどうやって過ごしてたの?」 「あ? ・・・どうだったかな。もう覚えてもねーよ。使用人以外誰かが邸にいるわけでもねーし、せいぜいあいつらと適当に飲むとかそんな感じだったんじゃねーか? 年末年始なんてことを意識したこともねぇからな」 「ちっちゃい頃から・・・?」 「まぁな。節目に家族で何かをしたなんて記憶、俺には残ってねーからな」 「そう・・・なんだ・・・」 特段気にした様子もなくサラッと話す司だが、つくしは胸が苦しくなるのを止められなかった。 確かに今の司にとっては何でもないことなのかもしれない。 それでも、幼い少年にとってみればそれはきっととてつもなく不安で寂しいことだったに違いない。寂しいことが当たり前の日常だったから、だから諦めることが自然と身についてしまっただけで・・・ つくしはギュウッと司の腕にしがみついた。 「なんだよ? ・・・お前まさか泣いてんのか?」 自分を見上げるつくしの瞳がうっすら潤んでいるように見えて司は驚く。 「お前バカじゃねーの? 俺がそんなことでいちいち悲しむような男じゃねぇってことくらいわかってんだろ? ったくお前はすぐ情に流されんだから・・・」 「っ、泣いてなんかないっ!」 そう言って腕に顔を埋めてしまったつくしに呆れたように笑いながら頭をグリグリする。そうするとますますしがみつく力が強くなっていく。 「バーーーーーーーーーーカ!」 「バカじゃないっ! ・・・・・・寂しくないわけないじゃん。悲しくないわけないじゃん。だって子どもなんだよ? 家族と一緒にいたいって思うのは当然のことでしょ? ・・・・・・司はそうすることでしか自分を守れなかったんだよ・・・」 「つくし・・・・・・」 グスグスと、しがみついた場所からくぐもった声が聞こえてくる。司の顔がフッと緩むと、今度はポンポンと優しくつくしの頭を撫でた。 「ズズッ」 「おい、人の服で鼻水拭いてんじゃねぇ」 「・・・・・・ばれた?」 「ったく! お前は油断も隙もねぇ」 「えへへ、まぁまぁ。細かいことは気にしなーーい」 あははっと笑うと、つくしはあらためて司の腕にしがみついて顔を見上げた。 「あたしと家族になったからには覚悟しておいてよね? 仕事とかやむを得ない事情でもない限りありとあらゆるイベントを家族で過ごすんだから。今日はその1年の最初のイベントだよ!」 「・・・・・・ちっ、めんどくせぇな」 「あーーー! そこっ! 本音と違うことを言ってしまうそんな君にはおしおきです。はい、鼻水拭いちゃいますよー」 「おいっ!!」 照れ隠しでつい悪態をついてしまう司の胸元につくしが顔を近づけていくと、司は焦ったように体を仰け反らせた。 「あはははっ! 嘘だよーだ。 でも、家族でたくさん過ごすって言うのは本当だからね。あたしと結婚したからにはこれは譲れない条件です」 「つくし・・・」 「あ、もうすぐあたしたちの番が来るよ。行こっ!」 「・・・あぁ」 満面の笑顔で自分の手を引くつくしを見ていたら、人が多いことなんていつのまにかどうでもいいことになってしまっていた。司はそんな自分に笑いが止まらない。 それから5分ほどするとようやくつくしたちの番が回ってきた。礼儀作法としてなんとなくは知っていても、実際お参りになんてきたことのない司はどうしたものかと手持ち無沙汰な様子だ。 「はい。これもって」 「なんだこれ? ・・・5円?」 「そう。これをお賽銭箱に投げ入れるんだよ。そして鈴を鳴らして二礼二拍手一礼するの。その時にお願い事を頭の中で伝えてね」 「願い事すんのに5円かよ? 景気よく万札ぐらい入れたらどうなんだ」 手元の5円玉を信じられないものでも見るように司が眉を寄せる。 「あー、お金の問題じゃないんだよ? 大事なのはココっ!」 そう言ってつくしがドンッと胸を叩く。 「たかが5円、されど5円。この5円にだってちゃんと意味があるんだよ。『御縁がありますように』ってね」 「へぇ~・・・俺にはよくわかんねーな」 「いいからいいから。さっ、やってみよ!」 そう言ってつくしがチャリンと5円をお賽銭箱に投げ込むと、それに続くように司も投げ入れた。そして紐を掴んで2人で一緒に鈴を鳴らす。パンパン!と手を叩いてお参りする姿は、さすがは育ちのいい男、全てが様になっている。 それを見てあったかい気持ちに包まれながら、つくしも目を閉じるとじっと手を合わせた。 *** 「ねぇねぇ、おみくじ引いていこっ!」 「おみくじ?」 「年始めの運試しみたいなものかな」 「なんだそりゃ」 「いいのいいの。ほら、司も1コ選んで! あたしはこれにしよっと」 「ったく・・・」 呆れながらも司は言われたとおりに1つおみくじを選ぶ。 「あーーーーっ! やったっ! 大吉だぁっ!!」 きゃーっとつくしから嬉しい悲鳴が上がる。たかがくじくらいで何を大袈裟な。 司は苦笑いしつつ自分の紙を開いていく。 「こんな子供だましみたいなもんにいちいち一喜一憂してんじゃねー・・・・・・あ。」 「えっ、何? 司は何だったの?・・・あ」 司の手に握られた紙に書かれているのは 『末吉』 の文字。 ふと視線が合うと司が何とも微妙な顔をしている。 「・・・・・・ぷっ! あはははっ!めちゃくちゃ不満そうなのが顔に出てるじゃん!」 「・・・・・うるせーな」 「ほらほら元気出して! ほらっ、中身は結構いいこと書いてあるよ? 言うほど悪くないじゃん!」 「いいんだよ。どうせこんなん子どもだましなんだから」 「ぷくくっ、うんうん、そうだねっ・・・」 「てめぇ・・・笑いすぎだろっ!」 プルプルと肩を揺らして我慢していたつくしだったが、とうとう耐えきれずに吹き出してしまった。 それと同時に司の額に青筋がビキッと走る。 「あははははっ! だって、司が可愛すぎてっ・・・」 「っざけんなっ! こんなもんっ・・・」 「あぁっ!! ダメだよっ!! 破いたりしないで! これはちゃんと神社に結んでいくんだから!」 「あぁ?!」 破り捨てようとした司の手を慌てて掴むと、つくしはそのままつかさの手を引いて敷地内にある1本の木の前までやって来た。 「おみくじはこうやって敷地内に結んで帰るんだよ。ほら、皆もしてるでしょ?」 そう言って見上げた枝には既にたくさんのおみくじが結ばれている。 「はい。じゃあ司も結んでね」 「・・・・・・」 決してやりたいわけではないが、やらないことには帰れなそうだと判断し、司は渋々上の方に紙を結びつけていった。 「・・・あれ、お前はやんねーのか?」 「え? あ、あたしはねー、大吉が出たからお守りにするの」 「結ぶんじゃねーのか?」 「うん。結んでもいいし、ラッキーアイテムとしてお守りにしてもいいんだよ」 「へぇー、要は何でもありってことだな」 「あははっ、それ言っちゃあおしまいだけど。まぁそういうことだね」 ははっと笑うと、つくしは大事そうにおみくじを鞄の中にしまった。 「願い事が叶うといいなぁ・・・」 ぽそっと。 聞こえるか聞こえないかの声で呟いた一言を司は聞き逃さなかった。 「お前の願い事って何だよ?」 「えっ?」 「今言ってただろ」 「え、聞こえてた? えーーーーと・・・司は? 司こそ何願ったの?」 「俺はもう叶ってるからな」 「えっ?」 「俺の願いはお前を手に入れることだけ。もう叶ってる。今の生活が続くんならそれ以上の願いなんてねぇよ」 「司・・・」 相変わらず。 キザなセリフを恥ずかしげもなくサラッと言ってのけるこの男は。 どうしてこの男が口にするとギュンギュン胸が締め付けられるのだろうか。 「で? お前は何なんだよ?」 「あたしは・・・・・・・・・・・・・・・ナイショ」 「はぁ?」 「ふふっ、叶ったときに教えてあげるね」 「なんだそりゃ」 「いいのいいのー! じゃあ帰ろっか」 「・・・だな」 どちらからともなく手を伸ばすと、ギュッと固く手を繋いで歩き始める。 2人の頭上からはまだ鐘の音が響き渡っている。 「今年もいい年になるといいねぇ」 「俺といるんだからなるに決まってんだろ」 「あははっ」 吐く息は真っ白で寒いはずなのに、ちっとも寒くなんかない。 笑顔の溢れる2人に一歩ずつ、もうすぐそこまで近付いて来ている。 新たな幸せが。 ・・・・・・新しい家族が。 つくしの願いが叶う日がやってくるのは、もう、すぐ目の前の未来のこと____ ![]() ![]() |
足し算の法則 前編
2015 / 01 / 09 ( Fri ) 「どうしたんですか? 何だか元気ないですね」
「えっ・・・そ、そう? そんなことないよ?」 「・・・相変わらず嘘がつけない人ですよね、あなたって人は」 呆れたような口調の桜子につくしはそれ以上反論できなくなってしまう。 久しぶりに会ったというのにずっと心あらずの状態でいられれば桜子でなくとも様子がおかしいことに気付くに決まっている。 「それで? 今度は何があったんですか?」 「今度はって・・・そんな、人を問題児みたいに言わないでよ」 「あら、違うんですか?」 「あんたね・・・・・・まぁいいわよ。・・・実は、さ」 そこで一度言葉を切ると、つくしは何故かキョロキョロと周囲を見渡して挙動不審な行動をし始めた。そしてひとしきり見終わると、桜子に手招きして顔を近づけろと合図する。桜子も意味がわからないが、つくしがここまでするにはそれなりの理由があるのだろうと素直に指示に従って顔を近づけていく。 つくしも顔を寄せると口元を手で隠しながらひそひそと話し始めた。 「ここのところ乗り気じゃなくて・・・さ」 「は?」 「ほら、夜の、いわゆる・・・わかるでしょ?」 そこまで聞いただけで桜子の中でははぁ~と大まかな筋書きが成立した。 夫婦生活に乗り気じゃないつくしとやる気満々の司。 男と違って女にはバイオリズムというものがあって、つくしの言う通りなんとなくその気になれない時があるのが事実だ。だがつくしのことだからそれを上手く司に伝えることができないのだろう。 そして司は司でその辺りの女性心理というものをよくわかっていない。 何故ならどちらもお互いしか知らないのだから。 司からしてみれば自分を拒絶されたような気がして、おそらくそれが原因で口論にでもなったのだろう。 「それで喧嘩しちゃったんですね」 「えっ! まだ何も言ってないけど?!」 「先輩達ならその一つの情報だけでどうなるかくらい容易に想像つきますよ」 そんなにわかりやすいのだろうかとつくしが驚きながらも何とも微妙な顔になる。 「それで? 道明寺さん怒っちゃったんですか?」 「怒ったっていうか・・・拗ねたって言った方が正しいのかな」 「はぁ~、なんですかそれ、ある意味ノロケですよ」 「えぇっ?! のろけてなんかないから! もうこっちは面倒くさいったらありゃしない。毎日毎日獣みたいに求められても体がもたないっつーの! たまにはそんな気分になれない時があったって仕方ないじゃん!」 「・・・先輩、声大きい」 「はっ!!」 口に手を当てたときは時既に遅し。 周囲を見渡せば同じカフェにいた客の視線がチラチラと自分に突き刺さっていた。 あぁ、やってしまった。 「道明寺さんはどうしてるんですか?」 「それが・・・昨日から大阪に行っちゃってて。連絡もしてこないの、あの野郎! ったく、あれくらいのことでそういう態度に出るならこっちにだって考えがあるってのよ!」 「とか言いつつこうして私を呼び出して悶々としてるわけですね」 「うっ・・・!!」 思いっきり図星だったのだろう。 つくしは言葉に詰まってしまった。 桜子はそんなつくしに苦笑いだ。 「全く・・・相変わらず素直じゃないですね。どうせ売り言葉に買い言葉で可愛くないこと言っちゃったんでしょう? 道明寺さんだってちゃんと話せばわかってくれますよ。先輩の嫌がることを無理強いするような人じゃないでしょう?」 「う・・・」 「だったら素直に言えばいいじゃないですか。大丈夫ですよ。道明寺さんだってどうしようかって思ってますから。先に素直になった者勝ちですよ。その方がこの後の主導権を握れますから」 「主導権って・・・あはは、確かにそうかもね」 「先輩、男女の仲は駆け引きが大事ですよ。足し算と引き算を上手に使い分けるんです。押すときは押して、引くときは引く。それが上手な嫁は旦那の操縦も上手くなるらしいですよ」 「あはは、何それっ」 桜子の言葉に頑なになっていた気持ちがなんだか楽になった気がする。 ・・・そうだよ。難しく考えなくたっていいんだ。素直にごめんねって言えばいいだけ。 きっとあいつだって言い過ぎたって後悔してるに違いないんだから。 「・・・ありがと。なんか気が楽になってきたよ。今日帰ったら電話する」 「そうそう、素直が一番、ですよ。帰って来たらいっぱい可愛がってもらってくださいね」 「あはは、可愛がってもらうって。あんたが言うとなんかやらしくなるわ」 「まぁ、失礼な」 「ふふっ、あ、ちょっとお手洗い行ってきてもいい?」 「どうぞ、ごゆっくり」 緊張が解けた途端体中が緩んでしまった気がする。 つくしはガタンと立ち上がるとお手洗いを目指した。 その時。 スーーーーーーーーっと。 急に立ちくらみがしたような気がして、なんだか目の前がグラリと揺れたような気がして。 「先輩っ!!!」 ガタガタンッ!! _______桜子の言葉を最後に意識が途絶えた。 *** 「随分ご機嫌斜めのようですね」 「あぁ? 誰がだよ!」 あなた以外に誰がいるのかこちらが教えていただきたい、という言葉は呑み込んで西田はやれやれと書類を渡す。乱暴にそれを奪い取ると、司は不機嫌を隠しもせずに目を通し始めた。 「何があったか知りませんが仕事には支障を出さないでくださいね」 「んだと?」 「いえ、それでは失礼致します」 しれっと頭を下げるとそれ以上の追及から逃げるように西田はさっさと出て行ってしまった。 西田のいなくなったドアに向かって持っていたペンをガツンと投げつけると、細いペンがコロコロと虚しく転がっていく。 「・・・くそっ!」 やり場のないイライラに司はガシガシと自分の髪を掻きむしった。 ことの始まりは一週間ほど前に遡る。 このところどこかつくしがおかしい。 どこがと言われても難しいが、いつもと何となく違う。それは感じていた。 それが一番顕著に表れていたのが夜の生活だ。 結婚してから三ヶ月、つくしの体調が悪いとき以外はほとんど毎日のようにつくしを求めていた。 口ではなんだかんだ言いつつも、つくしもまんざらではなさそうなのは間違いなかった。 実際体は全く拒絶などしていなかったのだから。 それがここ一週間明らかに拒絶されている。体調が悪い・・・というわけでもなさそうだ。 それなのに、夜にベッドに入るとそれとなくそういうことを避けようと必死になっている。 なんだかんだわけのわからない理由をつけては抱かれるのを拒んでいるのだ。 最初の2、3日こそまぁそんな時もあるのだろうと聞き入れていたが、さすがにこうも続くと心も体も不満が溜まってきた。理由を聞いても相変わらずなんともはっきりしない言葉を並べるばかりでさっぱりわからない。 そしてついに一昨日大喧嘩になってしまった。 まさに売り言葉に買い言葉。本筋とは関係ないところまで飛び火して互いに言いたい放題。 翌日になってもイライラは収まらず、会話もすることなく大阪へと飛んだ。 つくしから折れてくるまでは今回は連絡しないと決めているが、相手は意地っ張りの代表格。 うんともすんとも連絡して来ない。それが原因でイライラは募るばかり。 鳴らない携帯を見て溜め息をつくのはこれで何千回目だろうか。 「あの野郎、いつになったら連絡して来やがる・・・」 今回ばかりは俺は悪くねぇ。 こっちは何度も譲歩してたってのにあの女がわけのわからないことばっか言って誤魔化しやがるから。 ・・・だから絶対に俺は悪くねぇ!! そう思うのに胸のもやもやは晴れない。 最後に見たあいつの悲しそうな顔が頭から離れない・・・ 「あーーーー、くそっ!!」 ガンッ! と拳でデスクを叩きつけるのと同時にドアからノック音がした。 だが司が返事をする前には扉は既に開いていた。普段なら考えられないことに眉間に皺を寄せた司の視界に慌てた様子の西田が入ってくる。 何があっても取り乱すことのない西田のその様子に、瞬時に妙な胸騒ぎが司を襲った。 「おい、にし・・・」 「つくし様が倒れられて病院に搬送されたとの連絡が入りました」 「なっ・・・・・・?!」 ガタンッ!! 信じられない言葉に凄まじい勢いで立ち上がるとその勢いで椅子が派手な音をたてて転がった。 そんなことには構わず血相を変えて西田の元へ駆け寄ると、胸ぐらを掴んで問い詰める。 「倒れたってどういうことだよっ?! あいつは? 一体何があったっ!!」 「それはまだわかりませんっ・・・三条様と一緒にいたらしいんですが、急に倒れられたとかで。病院に向かう途中に三条様が急いで連絡をくださったようです。ですので詳しいことはまだっ・・・!」 ギリギリと締め上げる力に耐えながら西田も必死で言葉を紡ぐ。 バッと突き飛ばすような形でその手を離した司の顔は真っ青だった。 「ヘリを飛ばせ」 「は・・・」 「今すぐ手配しろっ!」 「ですがこの後には藤田社長との会食が・・・」 「そんなん後でいくらでもフォローする! とにかく今はヘリを用意しろっ!!」 「・・・わかりました。すぐに手配致しますのでお待ちください」 普通なら副社長ともあるものがドタキャンなどあり得ない。 西田も普通であればまずそんなことは許さない。 だがこの時ばかりはすんなりと頷いていた。 相手が日頃から懇意にしている藤田社長だから話が通じるということもあったかもしれないが、それを抜きにしても今すべきことは司の言う通りだと思えた。 ドクンドクンドクン・・・・・・ 急いで西田が部屋を出て行くと、急激に司の心拍数が上がっていく。 ここまで動揺したのはおそらく人生で初めてだろう。 倒れた・・・? 誰が・・・? ドクンドクンドクン・・・・・・ ふと自分の手のひらが小刻みに震えているのに気付く。 震える・・・? この俺が・・・? ・・・・・・・・しっかりしろ!! 「司様、最短で今から30分後に飛び立つことが可能だそうです」 戻って来た西田の声にハッと我に返る。 震えていた手をギュッと握りしめると、西田のいる方へと振り返った。 「すぐに帰るぞ」 「かしこまりました」 西田が頭を下げたときにはもう既に司の体は部屋から出て行っていた。 その心はとうにつくしの元へと飛んでいたに違いない。 ![]() ![]() |
足し算の法則 後編
2015 / 01 / 10 ( Sat ) ・・・・・・しっ! ・・・・・・・・・・つくしっ!!
・・・・・・・・・・・・・誰・・・・? あぁ、司か っていうかその顔はなんなのよ まだ怒ってるの? あんたも大概しつこいんだから ほら、女の子にはね、女の子ならではの色んな事情があるのよ だから別にあんたのことが嫌だったとかそういことでは決してない・・・・・・え? 何? 違う? 何が違うのよ? えっ? 聞こえないよ! 何言ってるの? ・・・・・・あれ、っていうかあんた・・・・・・司? 似てるけど・・・・・・なんか違うような・・・・・・・・・・誰・・・? あっ! ちょっと待ってよ! ねぇっ、どこ行くのっ! 待ってったらぁっ!! *** バタバタガタンッ!! 廊下の奥から聞こえてきた物音に桜子がハッと顔を上げた。 ほどなくして騒がしい声が聞こえてくる。 「道明寺様、お気持ちはわかりますがここは病院ですからお静かに!」 「うるせぇっ! つくしのところに行くだけだ!」 バタバタバタッ!! 「はぁはぁはぁっ・・・・・・三条・・・」 「道明寺さん・・・」 凄まじい音と共に現れた男はこれまでに見たことのないような顔色をしていた。 いつだって自信に満ち溢れたオーラが今日は鳴りを潜めている。 「あいつはっ、つくしは?!」 「あ・・・まだ眠って・・・あっ、道明寺さんっ!」 桜子の言葉も最後まで聞かず、司は目の前の特別室の扉をバンッと開けた。 「つくしっ!!」 広い室内の中央にベッドがあり、そこが盛り上がっていることから人が寝ていることがわかる。 急いで駆け寄ると、つくしが静かに目を閉じて眠っていた。 「つくし・・・」 はぁはぁと息を切らしながら近付くとそっとその頬に触れる。 最後に見たときよりも顔色が悪いのがわかる。 一体いつから? もしかして最近様子がおかしかったのはこのことを隠していたからだろうか? そう考えると自分のしたことに激しい後悔の念が襲いかかる。 もっとちゃんと話を聞いてやっていればこんなことにはなっていなかったのかもしれない。 「くそっ・・・!」 「道明寺さん・・・」 床に膝をついたままつくしの手を取り、まるで懺悔をするように額をつける姿に、後を追ってきた桜子もそれ以上の言葉をかけることができない。 「医者は何て言ってるんだ・・・?」 「あ、それがまだ・・・ご家族が来てからお話ししますと」 「そんなにひどいのか・・・?」 家族にしか話せないような病状だというのだろうか? 司はつくしの寝顔を見ながら万が一のことがあったらと想像するだけで体の奥底から震え上がる。 そんなことは絶対に許さない。 何が何でも助けてやる!! 病院に辿り着いてからはつくしを己の目で見て確かめることしか頭に入っていなかったが、ここに来て医者の話を聞かなければといてもたってもいられなくなる。 司は急いで立ち上がると、握っていたつくしの手をそっとベッドに置いた。 「ん・・・・・・」 病室を出ていこうと振り返った時だった。 「先輩っ?!」 「つくしっ!!」 微かに聞こえた声に踵を返すと、司は置いたばかりのつくしの手を再びその手に捉えた。 次の瞬間、ギュッと握り返すようにその手に力が込められたのがわかった。 やがてピクピクと動き始めた瞼がゆっくりと上がっていく。 「つくしっ! 俺だ、わかるかっ?!」 司はまだ焦点の合わないつくしの顔を覗き込んで声をかける。 ぼんやりとしていた目が次第に一点を捉えると、しばらく考えるようにして口を開いた。 「・・・・・・司・・・?」 「つくし! 良かった・・・! 気分はどうだ? どっか苦しいところは?」 「私、お医者様を呼んできます!」 そう言うと桜子は急いで病室を後にした。 「・・・・・・なぁんだ、やっぱりあれは司だったんだぁ」 「お前何言って・・・? それよりも気分はどうだ? 顔色が悪いぞ。一体いつからこんなことに・・・」 「え・・・あたし・・・ここ、どこ?」 ようやく周囲が見えるようになってきたのだろうか。つくしがキョロキョロと視線を泳がせて自分が見慣れない場所にいることに驚いている。 目の前にいる我が夫は真っ青な顔で心配そうに自分を覗き込んでいるではないか。 「あれ・・・・・・そういえば大阪に行ってたんじゃ・・・?」 夢と現実がようやく別のものとして認識できるようになってきた。 「お前が倒れたって聞いて飛んで帰ってきたんだよ」 「えっ?! 倒れた・・・?」 「あぁ。三条と一緒にいたときに急に倒れたって。救急車に乗ったのも覚えてないか?」 「ぜ、全然・・・」 とても信じられない話だが、目の前の司を見ればそれが本当だということは疑いようがない。 「お前それでだったのか?」 「え・・・?」 「ずっと調子が悪かったから拒んでたのか? それならどうして言わなかったんだ。そうとわかっていれば俺はあんなこと・・・」 「あっ・・・違うの! そうじゃなくて・・・」 後悔の念に苛まれて苦痛に顔を歪める司に、つくしは慌ててフォローを入れようとした。 「目が覚めたようですね。気分はどうですか?」 司の背後から桜子と共に医師が現れた。ニコニコと、とても優しそうな中年男性だ。 医者だとわかった途端司はガバッと立ち上がり、そのまま掴みかかりそうなほどの勢いで医師に迫る。 「つくしは! 妻の病状は一体何なんだっ!」 「司っ、落ち着いて・・・!」 引き止めたいのにすぐに動けないのがもどかしい。 だがそんな司の無礼にも医師はニコニコと笑顔を絶やさない。 「道明寺様、落ち着かれてください」 「これが落ち着いてられっか! 早く診断結果を・・・」 「奥様は病気ではありませんよ」 「・・・・・・・・・・えっ?」 苛立ちからもうすぐで襟首を掴みそうになっていた司の手がピタリと止まる。 「病気じゃないって・・・・・・じゃあ一体・・・」 驚いているのは司だけではない。つくしもよく意味がわかっていない様子だ。 医師はそんな両者を交互に見てうんうんと頷くと、これまでで一番の笑顔で告げた。 「おめでとうございます。奥様は妊娠されていますよ。現在8週目、もうすぐ3ヶ月に入るところです」 思わぬ医師の言葉にしばし室内を沈黙が包み込む。 夫婦揃ってポカンと口を開けたまま身動き一つ取れないでいる。 司に至っては上げていた手が宙で止まったままだ。 「・・・・・・妊娠・・・?」 「あたしが・・・?」 ほぼ同時に呟いた2人に桜子がプッと吹き出した。 「道明寺さん、先輩、大丈夫ですか? ちゃんと戻って来てくださーーい」 パンパンと手を鳴らすと、2人ともハッとしたように我に返った。 と、司が後ろにいるつくしを振り返り、まだどこか夢見心地のつくしの両手をガシッと掴む。 「つくしっ!!」 「え・・・あっ、あたし・・・?!」 「よかった・・・! お前に何かあったんじゃねぇかって心配でっ・・・」 「司・・・」 ぎゅうぎゅうに手を握りしめてはぁ~~っと安堵の溜め息を吐く司に、つくしの胸がグッと締め付けられる。それと同時に自分の中に芽生えた命に言葉にできない感動が沸き上がってくるのを感じた。 「ありがとうな・・・」 「司・・・・・・うん、こっちこそありがとう・・・」 優しく自分を見つめる瞳がほんの少し潤んで見えたのは気のせいだろうか。 自分の視界が既に滲んでいたからかもしれない。 「泣くなよ」 「だって・・・嬉しくて・・・」 ポロポロと溢れていく涙を大きな指で拭うが、それはきりがないほどに溢れ続けていく。 司はつくしの体をゆっくりと抱き起こすと、そのままその体を自分の胸の中に引き寄せた。 つくしはすぐにしがみつくと、大きな胸に自分の顔をうずめて大きく息を吸い込んだ。 「鼻水ついちゃうよ・・・」 「今日は特別に許してやる」 「グズッ・・・へへ、幸せ・・・」 そんな2人を医師と桜子が温かく見守っている。 「そっか・・・。だからだったんですね」 「・・・桜子?」 「赤ちゃんはお母さんを守ろうとシグナルを出してたんですね。だからその気になれなかったんですよ」 「あ・・・」 そうか。そういうことだったのか。 ここ数日自分でもよくわからない感覚が続いていたけれど、それはきっと自分に気付いてくれない子どもが必死で何かを訴えていたのだろう。 元々生理不順になりがちなつくしにとって、今回も少し遅れているのだろう程度にしか考えていなかった。いつだってそうなる可能性はあったというのに。 結婚した身として考えが浅かったことに反省しきりだ。 「つくし様は貧血の症状が出ていらっしゃいました。それで倒れられたのでしょう。ですが母子共に健康状態は良好ですよ。今日一日だけは念のために入院してもらって、明日からは日常の生活に戻ってもらって大丈夫ですよ」 「あ・・・ありがとうございます」 「いいえ。元気な赤ちゃんを育てていきいましょうね」 「・・・はいっ!」 満面の笑顔で答えたつくしに医師も嬉しそうに頷くと、一言二言必要なことを司に伝えてそのまま部屋を後にした。それと入れ替わるようにして桜子がベッドまで近付いて来る。 「道明寺さん、先輩、本当におめでとうございます」 「サンキュ」 「桜子、ありがとう。・・・桜子がいてくれて本当に助かった。何てお礼を言っていいのか・・・」 「やめてくださいよ、先輩。むしろあの場にいたのが自分でちょっと感動してるんですから」 「え?」 「お子さんが生まれたら自慢してやるんです。私が助けたんだぞって」 「あはは、そうだね」 「・・・先輩、もう一人の体じゃないんですからね。今までみたいに何でも一人でやろうとしないこと。ちゃんと道明寺さんに頼るんですよ?」 「桜子・・・・・・うん、そうだね。ちゃんとそうします」 「わかればよろしい」 まるで先生然として頷く桜子につくしはアハハっと心の底から笑った。 「それじゃあ私はこれで失礼しますね。あとはお二人でごゆっくりどうぞ」 「あぁ。三条、ほんとに助かった。ありがとな」 「とんでもありません。私もこの場にいられて幸せです。それじゃあまた」 「桜子、ほんとにありがと! またゆっくり会おうね!」 つくしの言葉にニッコリ綺麗な笑顔を見せると、手を振りながら桜子は出ていった。 2人きりになった部屋に何とも言えない感情が沸き上がる。 そんなつくしの気持ちをわかっているのか、再び司がつくしの体を抱きしめた。 そこはどんな場所よりも温かくて安心できる。 「・・・すげーな」 「・・・うん、すげー」 司の口調を真似するつくしにどちらともなくクスクスと肩を揺らす。 「ぜってー無理はすんじゃねぇぞ」 「うん」 「今日は俺もここに泊まるから」 「うん・・・・・・って、えっ?!」 驚いてガバッと顔を上げたつくしに司が何だよと言わんばかりの顔を見せる。 「だって大したことじゃないし・・・それに仕事は? ・・・ハッ! 大阪の仕事はっ?!」 「そんなもん後でいくらでもフォローできる。できないような仕事はしてねぇから心配すんな」 「でも、あたしのせいで・・・」 「大丈夫だから心配ない。それに、今日会う予定だったのは藤田のオヤジだからな。あのじじぃ、お前のことが大のお気に入りだから、事情を知ればむしろ涙を流して喜ぶんじゃねぇか?」 「あ、藤田さんとの仕事だったんだ・・・」 結婚後に顔見知りになった藤田は、つくしをいたく気に入り、時に司が嫉妬をするほどの猫可愛がりっぷりを見せる社長だ。 「だからお前は余計な心配なんかしなくていい。自分と子どものことだけ考えてろ」 「うん・・・・・・。藤田さんには今度手紙でも書くよ」 「間違いなく泣いて喜ぶな」 「あはは、そうかもしれないね。でも泣いて喜ぶと言えばお邸の人達も凄いことになりそうだなぁ・・・」 その翌日、つくしの予想通り、邸に帰ってからはとんでもない大騒ぎとなった。 邸の人間にとって、司がつくしと結婚しただけでも天にも昇るほどの喜びだったというのに、2人の間に待望の子どもができたとあれば、その狂喜乱舞っぷりたるや想像の遥か上をいっていた。 「あんた達の子どもを拝むまでは何としても死ぬわけにはいかないと思ってたけど、そうかい、とうとうその日がやって来るのかい。元気な子どもに会えたらあたしゃあもういつお迎えが来ても本望だよ」 そう言ってタマはホロリと涙を流した。 「何を言ってるんですか!タマさんには子どもの成長を見守ってもらわないと困るんです!まだまだあっちには行かせませんよ!」 そう言って活を入れたつくしの言葉に、またホロリと涙を零したのを邸の人間は知っている。 *** 「はぁ~、やっぱり凄い大騒ぎになったね」 「まぁな。あいつらお前のことが好きすぎるからな」 「あははは」 大歓迎もそこそこに、体を案じた司はつくしを部屋に戻し、今2人でベッドにゴロンと横たわっている。ただそうしているだけなのに、まさに至福の時だ。 「・・・・・・あの、さ。・・・・・・ごめんね?」 「・・・なんだよ?」 突然申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にするつくしに司が眉をひそめる。 「その・・・ずっと拒んでて。ほんとに司が嫌だとかそういうのじゃなかったの! それで、その・・・これからももうしばらくは無理かしれないから、だから・・・ごめん」 ぼそぼそと、徐々に声を小さくして申し訳なさげに眉を下げていくつくしに、司は額に手を当ててはぁ~っと溜め息をつきながら天を仰いだ。 そんな司にますます心苦しくなってしまうが、次の瞬間には予想に反してギュッと抱きしめられていた。 「つ、司・・・?」 「バカ。 謝らなきゃなんねぇのは俺の方だろ。そうだとわかってればあんなこと言わなかった。何も気付かずに悪かった」 「そんな! それはあたしの方だよ。母親のくせに気付かないなんて情けない・・・」 「お互い初めてのことなんだ。わからなくて当然だろ? これから一緒に勉強していけばいい」 「うん・・・。 でも、ほんとにいいの? 次にできるのがいつになるかわかんないかもしれないよ?」 我慢できないでしょ? と言わんばかりのつくしの言葉に司がクッと笑った。 「バーーーーーーーーカ! 人を性欲魔神みたいに言ってんじゃねぇよ」 え、そうじゃないの?! ・・・・・・と言いかけて慌てて口をつぐむ。 「もともとお前を手に入れるまでにどれだけ待ったと思ってんだよ。俺ほど忍耐強い男もそうそういねぇぞ。今は自分の事だけ考えてろ。余計な心配すんなっつったろ?」 「・・・・・・うん。 ありがと・・・」 その言葉が嬉しくてギュッとしがみつくと、それに応えるように背中に回された手にも力がこめられる。 「おー、できる時が来ればその時は思う存分やらせてもらうから気にすんな」 「 え 」 「くくっ、バーカ」 「ふっ・・・あはは」 トクントクンと、互いの鼓動が伝わり合う中に、今は新しい命も確かな鼓動を刻んでいる。 「そういえばさ。昨日桜子に言われたんだよね。男女の仲は足し算と引き算と上手に使い分けるんですよって」 「何だ? それ」 「・・・でもさ、あたし、魔法の足し算に気付いちゃった」 「あ?」 「1たす1の答えって何?」 「はぁ?」 「いいから! 答えは何?」 聞くまでもない質問に司は意味がわからなそうに首を傾げる。 「何って・・・当然 「2」 だろ?」 「正解。 でもね、魔法の足し算じゃそれだけじゃないんだよ」 「・・・・・・?」 「1が司でもう一つの1があたし。2人が一緒になったらどうなるの?」 「どうなるって・・・・・・・・・あ。」 しばらく考えて何かに気付いた司につくしが大きく頷いた。 「そう。答えは3にでも4にでもなるの。そうやって新しい家族が増えていくんだよ! 凄いと思わない? 魔法の足し算なの!」 そう言って目を輝かせるつくしこそまるで子どものようだ。 「じゃあサッカーチームができるくらいには頑張らねーとな」 「あはは、さすがにそれは難しいなぁ。・・・あ、でもあたしお腹の子に夢の中で会ったかもしれない」 「はぁ?」 「ほんとだよ?! 倒れて寝てる時にあんたに似た男の子に会ったの。最初は司だと思ってたんだけど、なんか微妙に違ってておかしいなぁ~って。あれって今思えばお腹の子だったんじゃないかなって」 「・・・・・・へぇ~」 「あー! 絶対信じてないでしょ?! ほんとなんだからっ!!」 「わかったわかった。だからお前は少し寝ろ。 な?」 「・・・・・・うん。 ありがと・・・」 「おー」 そう言うと既に半分ほど夢の世界に足を踏み入れていたつくしは、目を閉じるとあっという間にスースーと寝息を立て始めた。そのあまりの早さに思わず笑ってしまう。 「お前は相変わらずわけのわけんねぇこと言うのが好きだな」 呆れたように苦笑いしながら、やがて司も静かに目を閉じた。 つくしの言っていたことがおとぎ話なんかじゃなかったとわかるのは、もう少し未来の話____ ![]() ![]() |