プライスレス
2014 / 11 / 22 ( Sat ) 「どこ見てやってんだ!ゼロからもう一度見直せっ!!!」
「は、はいぃっっ!!申し訳ありませんでしたっっっっ!!!」 遥か上空から地上まで届くほどの怒号が響き渡ると、まるで逃げるようにして一人の男が部屋の中から飛び出して行った。日常茶飯事とばかりに全く動じることなくその青い顔をした男と無言ですれ違うと、やがて辿り着いた扉をノックする男が一人。 「失礼します。随分と派手にやられたようで。相当下まで聞こえてたんじゃないですか」 一言声をかければ中にいた男の眼光が鋭く光る。 「誰がだよ。派手にやってくれたのはあいつだろうが。あんな初歩的なミスしやがって・・・。誰のせいで出勤する羽目になったと思ってる」 「まぁそこは否定いたしませんが」 「・・・・・ったく、いつぶりの休みだったと思ってんだ」 眉間に皺を寄せて苦々しく零すと、デスクに山積みになった書類を睨み付けながら手に取る。 「お昼はどうされますか?」 「あ?んなもんいらねーよ。そんな暇があんだったら一秒でも早く終わらせる」 「・・・承知致しました」 軽く一礼すると今来た道を戻っていく。 「西田」 「はい?」 「野口の野郎に言っておけ。あと2時間で片付けられないようならお前はうちにはいらねぇってな」 「・・・クビ宣告ですか?」 「あぁ?それくらいのことをあいつはやらかしてんだよ。今度こそ心を入れ替えられねぇようならどのみち先はねぇだろ。むしろこっちはチャンスをやってんだ。感謝されこそすれ文句言われる筋合いはねぇ」 「・・・・・・・」 黙ってじっと自分を見つめる西田を訝しげに睨む。 「なんだよ」 「・・・・いえ、副社長の仰るとおりです。彼にはそのように伝えておきます。では」 再びペコリと頭を下げると、西田は今度こそ部屋から出て行った。 「・・・・・なかなかですね」 廊下で立ち止まり誰に聞かせるでもなく独りごちた言葉の意味は一体何なのか。 西田はほんの少しだけ口角を上げると、すぐにいつもの顔に戻りエレベーターへと向かった。 大財閥のジュニアとして生まれてきて嬉しかったことなんて一度もない。 使っても使っても有り余る金ならある。 だが金で買えるものなんてたかが知れてる。 本当に欲しいものはどんなに金を積んだところで絶対に手に入れることなどできない。 そんなこと知りもしなかった。 会社の危機?役員としての立場?責任感? んなこと知ったこっちゃねぇ。 誰が路頭に迷おうとそいつの人生。 自分には露ほどの関係もない。 泥船だろうと最後まで残れなかったそいつが弱いだけ。 いっそのこと全てが壊れてみるのも面白い。 どうせつまらねー人生なんだ。 自分の意思なんて関係ない、まるで機械仕掛けのような道を歩かされて生きる道しるべすらない。 そんな人生にどれだけの価値がある? つまらねぇ。くだらねぇ。 死ぬまで、いや、死んでもこの空虚は満たされることはない。 「副社長、できましたので確認をよろしくお願い致します・・・・!」 あれから1時間半、再び副社長室に現れた野口は青白い顔をしながらも、どこかやりきった感が漲っている。きっと西田に厳しいながらも心に火がつくような発破をかけられたに違いない。死なない程度に手を加える。いかにもあの男のやりそうなことだ。 渡された書類を一枚、また一枚と確認していくその様を、男は直立不動で固唾を飲んで見守っている。指一本でも触れればパーンと弾けてしまうのではないかと思うほど、体はガチガチだ。 やがてカサッと音を立てて全ての書類がデスクの上に置かれると、男の喉がゴクリと大きな音を響かせた。紡がれるのは一体何か。死の宣告か?それとも・・・・・・・ 「・・・・・・・・まぁまぁだな」 「・・・・・えっ?」 「良くはねぇが悪くもねぇ。できんだったら最初からやれって話なんだよ」 「は、はい。仰るとおりです・・・・」 どうやら明るい話ではなさそうだと察知すると、一気に男の背中が萎んでいく。 「・・・・・・無駄にすんなよ」 「え?」 「くだらねぇミスなんかでその能力を棒に振るなっつってんだよ。お前はそこさえ直せばいくらでも上を目指せる奴なんじゃねーのか。家族を路頭に迷わせてもいいのかよ」 「い、いえっ、そんなことは・・・・!」 己の予想とはかけ離れた言葉に野口も困惑気味に答えることしかできない。 「だったらもっと本気になれ。てめぇの力をもっと見せてみやがれってんだ」 「・・・・・・!」 自分を真っ直ぐ見据える男の目から視線が逸らせない。そこには揺るぎない自信が満ち溢れていて。今自分は叱咤激励の言葉をもらったのだとようやく理解すると、野口は足元から震え始めた。 「・・・・・・はいっ!ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!これから心を入れ替えて精進します!!」 震えそうな声を振り払うように大きな声で誓いを立てると勢いよく頭を下げる。目尻がほんのり赤く見えたのは気のせいだろうか。 「データの管理は厳重にやれ。それが終わったら帰っていい」 「は、はいっ。副社長、ありがとうございました!!」 嬉しそうに顔を上げたときには既に相手は窓からの景色を眺めていた。それでも、そこに確かな愛情を感じた。野口はもう一度頭を下げると軽快な足取りで部屋を出て行く。やって来たときとは正反対に、今にも小躍りしそうに去って行く男の後ろ姿を黙って見つめている男がまた一人。 「失礼します。無事に終わったようですね」 「あぁ。お前も相当手助けしたんだろ?」 「いえ、私は何も」 「クッ、どうだかな」 「今にも泣きそうな顔で出ていきましたよ」 「あ?」 「よっぽど嬉しかったようで」 「知らねーよ。俺は何も言ってねぇ」 「・・・・そうですか。後の処理は私がしておきますので副社長はこれでお帰りになってください。それから、明日は一日オフとなっております」 思いも寄らぬ西田の言葉に再び書類を手にしていた司の動きがピタリと止まる。 「・・・・・今なんつった?」 「今日出てきてもらった代わりに明日の分まで仕事をこなしてもらっていました。ですので明日はお休みになられて構いません」 「お前・・・・」 驚きに言葉を失う司を前にしても西田は表情一つ変えることはない。 「何か不都合でも?」 「・・・・・・いや。・・・・くくっ、さすがはアンドロイドだな」 「褒め言葉として有難く頂戴致します」 「・・・じゃあ後は頼んだぞ」 「はい。お疲れ様でした」 雑務を西田に託して部屋を後にしようとした司は、出ていく直前思い出した様に振り向いた。 「サンキュ」 ニッと不敵な笑みを浮かべながら一言だけ告げると、颯爽と部屋から出て行った。 完全に足音が聞こえなくなった頃に西田の口元がほんの少しだけ上がる。 「・・・・あなたの口からそんな言葉が出るなんてね。人生というのはなかなかに面白いものです」 しみじみと噛みしめるように呟いた言葉は誰の耳に届くこともなかった。 他人の人生なんてクソっ食らえ。俺には一切関係ない。 生きるか死ぬか、ただそれだけ。 そんな俺が誰かを激励する? 誰かに感謝される? あり得なさすぎて笑いが止まらない。 それなのにどうしたというのか。 そんな今の自分が嫌いじゃない。 俺が変わる?それとも周りが変わった? そんなこと知るか。どっちでもいい。 今、目の前にある現実が全て。 「お帰りなさいませ、司様」 「あぁ。あいつは?」 「若奥様ならさきほどまで・・・・・」 「あーーっ、お帰りっ!!」 エントランスで恭しく主を出迎える使用人の背後から、何とも軽快な声が響き渡る。 見る前に既に笑いそうになるのを堪えて視線を送ると、全ての疲れが吹っ飛んでしまうほどの笑顔を携えた愛する妻の姿を捉えた。行儀もへったくれもない、司の姿を確認するなりバタバタと走り寄ってくるその姿を。 「おかえりっ!思ったより早かったんだね?」 「あぁ。死ぬ気でやらせたからな」 「あははっ、あんたがそれ言うと全然シャレにならないから」 「・・・・なんかお前匂わねぇ?」 目の前までやって来たつくしから微かな匂いを感じる。つくしは自分の服をクンクン嗅ぎながら苦笑いする。 「あー、匂いついちゃってる?ごめんごめん」 「何か作ってたのか?」 「うん、まぁね。司はお昼食べたの?」 今現在午後3時。普通ならとっくに昼食を終えている時間だ。 「いや、何も。そんな暇があったら仕事やった方がましだからな」 「あ~、やっぱり。そうじゃないかと思ったから厨房を借りて軽めの食べ物作ってたんだ。もう少ししたら会社に持っていこうと思ってた」 「そうなのか?」 「うん。じゃあせっかくだから食べてよ。はい、来て来て!」 嬉しそうにそう言うと、つくしは極々自然に司の手を握って目的の場所へと導いていく。普段はこちらから積極的にスキンシップをとれば恥ずかしがってばかりのくせに、こんな時は自分の方から平然と触ってきているのを本人はどれだけわかっているのだろうか。 苦笑いしながら連れて行かれた場所は厨房。色々と試行錯誤したのであろうそこには様々な道具が残されたままだ。 「じゃーん!これ!」 「サンドイッチか?」 「そう。これなら手が汚れなくていいかな~と思って」 ニッコニコで差し出されたトレイには色とりどりの一口サイズのサンドイッチが所狭しと並べられている。卵やハムサンド、アボカドにチキン、ベーコントマト、他にも栄養バランスを考えられたものばかり。しかもどれも一口で簡単に食べられるようになっており、仕事をしながらでも食べやすいようにと考えて作ってくれたに違いない。 つくしがどんな思いでこれを作ってくれたのだろうかと思うだけで口元が緩んで仕方ない。 「サンキュ」 「うんうん。ねぇ、食べてみてよ!どれがいい?」 厨房に立ったままの状態にもかかわらず今ここで食べろと言う。食事のマナーもへったくれもあったもんじゃない。ますます笑いが止まらないが、不思議なことに少しも不愉快じゃない。 「お前のオススメは何なんだよ?」 「あたし?そうだな~、アボカドサンドかな。この前テレビで作ってるの見たらすっごくおいしそうでさ!メモしておいたレシピを参考に作ってみたんだ~」 「へぇ・・・・・じゃあ、ん。」 「・・・・へ?」 突然目の前で口を開けた男につくしは意味がわからなそうにきょとんとする。 「お前のオススメなんだからお前が食わせろ」 「へっ?へぇえええええ??!」 へっ?って・・・・もう少し色気のある言い方はできねーのかよ。 ・・・・全く、こいつといると何から何まで飽きない。 「へぇー?じゃねぇよ。早く食わせろ」 「じ、自分で食べられるじゃん!一口でパクッといけるよ!」 「俺は仕事で疲れてもう指一本動かせねぇんだよ」 「そっ、そんなわけないでしょ!」 「あー、疲れた疲れた。こんなに頑張ったっつーのに何かご褒美くらいねぇのかよ」 首を動かしながら大袈裟に疲れたアピールをかます。 そんなの演技だとわかっていてもこいつが放っておけなくなるのは全て計算済み。 「う~・・・。わかった、わかったわよ!あげればいいんでしょ!」 「わかりゃーいい」 「うぬー、なんか腹が立つんだけど・・・・はい、口開けて。あーん」 「あー」 大きく開けた口にちょうどいいサイズのサンドイッチがパクリと呑み込まれる。 「ん・・・・・・美味い」 「ほんとっ?!良かった~!まだまだいっぱいあるから食べてねっ!」 さっきまでの不満顔など何処へやら。美味しいのその一言でぱぁっと笑顔の花が咲く。 きっとその威力がどれだけのものなのかなんて本人は露程も気付いていないのだろう。 自分がどれだけお金にはかえられないだけの価値をもった人間なのかということを。 「あぁ。いっぱい食わせろよ」 「うんうん、いっぱい食べ・・・・・・・え?食わせろ?」 にこにこ顔がピタリと止まったかと思えば眉間に一本の皺が。 「当然だろ?俺は疲れて動けねぇんだから。まぁとりあえず部屋に行ってから、な」 左手にトレイを、右手でつくしの肩をぐいっと引き寄せるとそのまま厨房を出て部屋へと向かう。つくしに抵抗する間を与えない一瞬技だ。 「ちょ、ちょっと!サンドイッチすら食べられないくらい疲れてる人がなんでこんなに力が出るのよ!おかしいでしょっ!」 「うるせーな。それとこれとは別問題なんだよ」 「全っ然意味がわかんないからっ!!」 「わかんなくていいから俺の疲れを癒せ、な?」 「な?じゃなーーーーい!!」 ずるずる、ずるずる、サンドイッチすら掴めないはずの片手がほぼ抱え上げてると言ってもいい状態でつくしを引き連れていく。実際、本当に疲れているはずの足取りはこの上なく軽い。 「メイン食った後はデザート食わせろよ」 「え?デザートなんて作ってないよ?」 「あるだろーが。目の前に」 「へ?」 またしても意味がわからずにアホ面になったところで部屋の扉がバタンと音を立てて閉まった。 「えぇ~~~~~~~~っ!!!!!」 今日もまたつくしの雄叫びが響き渡る。 それはこれまでの道明寺邸では聞くことのなかった音色で。 その音が邸中に明かりを灯していく。 死んでも満たされることはないと思っていた空虚が、小さなサンドイッチ一つでこれ以上ないほどに満たされていく。 手に入れた雑草の価値はプライスレス。 ![]() ![]() スポンサーサイト
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