明日への一歩 1
2015 / 01 / 03 ( Sat ) 「う~~ん・・・・・・」
眩しい・・・ カーテンから差し込む強い日射しにつくしは思わず顔をしかめた。 うっすらと目を開けていくと少しずつぼやけた部屋の様子が視界に捉えられるようになってくる。 いつも真っ先に入ってくるのはヨーロッパテイストの綺麗な花柄のソファだ。つくしに用意された道明寺邸での部屋は、普段頓着の全くないつくしでも思わず女子力が上がったような気分になれる、そんな上品で可愛らしい部屋だった。 花柄のソファは中でもつくしが特にお気に入りの一品だ。 花柄の・・・・・・・・・暖炉が見える。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暖炉?!」 ガバッと体を起こすと、そこには全く見覚えのない内装が広がっていた。 いつもの部屋に暖炉なんてない。ということはここは自分の使っている部屋ではないということ。 ただ、いつもと負けず劣らず豪華絢爛な部屋であることに変わりはないが。 「あ、あれ・・・? ここどこだっけ・・・・・・?」 手でクシャっと髪の毛を掴んで必死で頭を働かせる。まず自分が今どこにいるのか。 身につけているのは・・・・・・パジャマだ。 ・・・・・あれ、でもこのパジャマには身に覚えがない。 どう見ても高級シルク素材のそれは、自分ではまずお目にかかることのない一品だ。 「え・・・なんで・・・? 何がどうなってるんだっ・・・きゃあっ?!!」 今だはっきりしない頭で記憶を辿りながら一人ブツブツ呟いているつくしの後ろから大きな手がヌッと顔を出す。当然そんなことには全く気づきもしないつくしの腹部に回された手が、あっという間に体ごとベッドに引きずり込んだ。 ボフッ! といういい音を立てて後ろからダイブしたつくしはわけもわからず目をまん丸にして驚くばかりだ。 「お前うるせーよ」 「えっ・・・えっ?!」 自分に覆い被さるように見下ろしているのはすっかり見慣れた男。 朝起きたときにこの男が同じ場所にいるのも不可抗力だがもう日常の一部だ。 「なーにをさっきからブツクサ言ってんだよ」 「えっ・・・あ、あの、ここって・・・・・・?」 未だに状況が掴めないつくしに目を細めると、司はつくしの頬に手をあてた。 「覚えてねーのか? ここはNYの邸だろ」 「NY・・・・・・?」 NYという言葉につくしの脳裏に少しずつ記憶が蘇っていく。 ・・・・・・そうだ。 昨日ついに日本を飛び立ったのだった。 退職して3週間余り、ついにその時を迎えた。 半年後には帰って来るというのに、邸では盛大なお見送りを受け、ほとんどの使用人に大号泣されてしまった。「今生の別れでもないのに泣くんじゃないっ!!」 とタマの喝を浴びながらも、そんなタマの瞳もうっすら濡れていたことには皆気付かないふりだ。 「あ・・・そっか。そうだったね・・・。なんか記憶がごっちゃになっちゃってた」 「お前相当緊張してたもんな。いつでもどこでも寝るのがお前の専売特許だってのに、昨日はフライト中も一睡もしなかったしな」 「だ、だって・・・」 それは無理もない話だ。 何故なら6年ぶりに魔女との対面を果たす時が来たのだから。 NYにつけば、邸に行けば魔女がいる。 そう思ったらとてもじゃないけれど眠ってなんていられなかった。 昔は無謀にも魔女にあんなに立ち向かっていたというのに、今回はあの時とはまた違う緊張感で落ち着かない。 司の言う通り、ここに来るまで一睡もできなかった。 乗り物に乗っていて眠らなかったことなんて生まれて初めてかもしれない。お前は歩くゆりかごか! と友人にからかわれるくらいすぐに寝てしまうような自分だというのに。 それほどに魔女との再会はつくしにとって一大事だった。 ____それなのに。 破れそうな心臓で邸に辿り着いてみれば、当の本人は不在だった。 何でも、数日前からヨーロッパに出張しているらしく、あと一週間ほどは帰って来ないとのこと。 それを聞いた途端、つくしの体からへなへなへなと力が抜け落ちていった。 腰が抜ける。 まさにその言葉が相応しい。 ペタンとエントランスに座り込んでしまって____ ・・・・・・・・・・・・・・・あれ、それからどうした? 「お前あれからどうなったか覚えてねぇだろ?」 「えっ?」 「ババァがいないってわかった途端いきなりへたり込んで、俺が立ち上がらせようとしたらお前どうしたと思う?」 「え? えーーと・・・・・・」 この状況から察するに・・・ 「ね・・・寝ちゃった・・・とか?」 ほぼファイナルアンサーで違いないだろうが、一応自信なさげに言ってみる。 と、目の前の男の顔がクッと愉快そうな顔に変わった。 「正解。ってかお前ならそのパターンしかねぇよな。いくらババァがいなくて脱力したからってあの場所で寝るなんてさすがにびびったぞ。くくっ」 「え、えへへ・・・?」 「使用人はお前が倒れたんじゃないかって大騒ぎするし」 「えっ!!」 た、確かに・・・。 やって来た客人がいきなりエントランスでペタンと倒れ込めば心配するのが当たり前だ。 あぁ、いきなりやらかしてしまった。 「あぁ~~っ、しょぱなからやっちゃったよぉ・・・」 きっとその騒ぎは魔女にも報告が行ってしまっているに違いない。 認めてもらってるとは俄に信じがたいけれど、それでも再会する時はきちんとした自分を見せようと固く心に誓っていたというのに。 はぁ~~っと両手で顔を覆うとつくしは盛大に溜め息をついた。 だがその手も大きな手ですぐに引き剥がされてしまう。司はつくしの手を掴むと、そのままベッドの上に縫い付けた。 「お前らしくていいじゃん」 「お前らしいって・・・それ全然褒め言葉になってないよ」 「なんでだよ。そういう自然体なお前だからいいんだろ」 自然体・・・? ちょっと意味が違うような。 ただの間抜けと言った方が正解だと思う。 「気にする必要なんてねーんだよ。変に緊張してお前らしさを見失うなよ。お前はそのままでいいんだから。邸の人間だって最後には楽しそうにしてたぜ」 楽しそうというより呆れて笑われただけなんじゃ・・・ 「お前だってよく知ってんだろ? うちの邸ではそういう風は吹かないってこと。あいつらが感情を見せるのもお前がいるときくらいのもんだ。そうして日本の邸を変えたんだろ?」 「変えた・・・?」 「あぁ。いつでもニコニコ楽しそうにしてるじゃねーか。少なくとも俺の前ではそんなことはあり得ねぇ」 「そ、それは・・・司が怖いだけなん・・イタッ!」 ビシッ! と。 額にデコピンが一発。 「いーから。とにかく褒めてんだよ。ごちゃごちゃくだらねぇこと考えてんじゃねーよ」 「う・・・うん・・・」 これは緊張しっぱなしのつくしへの司なりの優しさなのだろう。 そう思うとなんだか心がほっかり温かくなってくる。 優しい顔で自分を見下ろす男をあらためて見ると、つくしもニコッと笑って見せた。 「・・・・・・ありがと」 言葉の代わりに、つくしの唇に柔らかい感触が落ちてくる。 フワリと。 優しく触れるそれをつくしも静かに目を閉じて受け入れた。 「・・・・・・んっ・・・」 ほどなく口内に侵入してきた生温かい存在に思わず口から声が漏れてしまう。 ・・・やっぱりこの男はキスが上手い。 そんなことを考えながらつくしはその極上の時間に身を委ねていく。 「・・・・ん? んんっ?!」 うっとりとキスに酔いしれているうちに、いつの間にやら胸元でごそごそと手が動き回っているではないか。 「ちょ、ちょっと・・・?!」 「何だよ」 慌てて唇を離したつくしに、司は不満そうな顔を隠さない。 とはいえそれでも止まらない動きを見せる手をつくしはガシッと掴んだ。 「・・・・・ダメだよ?」 「だから何が。つーか手ぇ離せ」 「だっ、ダメダメっ! 触ったら司止まらなくなるでしょ?」 「そもそも止める気なんてねーし。いいから早く手ぇどけろ」 チュッチュッ・・・ 言うが早いか、司はつくしの首筋に顔を埋めるとそのまま舌を這わせて刺激を与えていく。 途端につくしの体がピクッと跳ねた。 「あ、朝だからっ! めちゃくちゃ明るいからっ!!」 「そんなん今さらだろ。もうお前の体で見てねーところなんてねぇんだよ」 「ななっ・・・・?!」 「ずっとお前の添い寝してやったんだ。今度は俺に尽くせ」 「えぇっ?! あっ・・・!」 いつの間にやら外されていたパジャマのボタンごと開くと、文句を言う暇もなくさらけ出された肌に司の唇が落ちてくる。すっかり愛される喜びを知ってしまった体が素直に反応してしまう。 このまま快楽の淵に落ちて行ってしまおうか・・・・・・? 「だっ、ダメーーーーーーーーっ!!!」 「いてっ!!」 つくしが司の髪の毛を思いっきり引っ張ると、あまりの痛みに思わず司が顔を上げた。 「てめぇっ、何しやがる!」 「今はダメ!お願いだから!」 「なんでだよ? どうせ今日は何の予定もねーだろ?」 「そ、そうかもしんないけど、昨日お邸についてあんな大失態を見せちゃってるし・・・それなのに朝からこんなことしてるなんて。やっぱりできないよ」 「誰も気にもしねーよ」 「あたしはするのっ! せめて今日だけはきちんとけじめをつけて挨拶だってしたいっ!」 必死で懇願するつくしに司が呆れたようにはぁ~~っと溜め息をつく。 「・・・・・・駄目?」 とどめに上目遣いのおねだり攻撃をされてはもうお手上げだ。 この女、相当タチが悪ぃ!! 「はぁ~~~~~~っ。 わーーーーーったよ!」 「あ、ありがとうっ!」 何度も何度も溜め息をつきながらも司はつくしの体を引き起こす。 満面の笑顔を見せるつくしにこれが惚れた弱みかと苦笑いするしかない。 「言っとくけど今だけだからな。夜には俺の好きにさせてもらうからそのつもりでいろよ」 「えっ?! う・・・・・・うん・・・」 考えると怖いが司の主張も尤もだとつくしは頷くしかない。 と、 にやーーーーーーーっと司の顔が怪しげに歪んでいく。 ゾクッ! や、やっぱり選択を間違ったかもっ?! 「つーかすげーいい天気だな」 「あ、うん。そうだね」 司が視線を送ったカーテンの向こうからはこれでもかと強い日射しが差し込んでいる。 こんな日は散歩でもしたらさぞかし気持ちがいいことだろう。 「観光でもするか?」 「・・・・・・えっ?」 司には似つかわしくない単語につくしは思わず二度見する。 「お前にとって俺とのNYは苦い思い出しかないだろ? まぁ俺にとってもそうだけど」 「司・・・」 「どうせ今日明日はオフなんだし、塗り替えようぜ」 「塗り替える?」 「あぁ。 ここをいい思い出の場所にな」 そう言ってニッと司が笑って見せた。 ![]() ![]() このお話は「あなたの欠片」の続編になります。 そちらを読んでいない方は是非そちらを先に読むことをオススメします。 スポンサーサイト
|
明日への一歩 2
2015 / 01 / 04 ( Sun ) 「わぁ~っ、懐かしいっ!!」
そう興奮気味に叫ぶと、つくしは思いっきり駆けだした。 「あ、おいっ!!」 「早く早く~! 司もおいでよっ!!」 あっという間に数メートル先まで行ってしまったつくしが振り返りながらおいでおいでと手招きする。 「・・・ったく、ガキかよ」 やがて芝生のど真ん中に座り込んでしまったつくしに呆れつつも、その顔はどこか楽しげだ。 ゆったり歩いている司につくしはさらに大きく手を振る。 「早くおいでよーっ! 気持ちいいよっ!」 嬉しそうに空を見上げるつくしの横に辿り着くと、ゆっくりとその隣に腰を下ろした。 「つーか何か敷物ぐらいねぇのかよ」 「えー? 天気もいいんだし別にいらないよ。こうした方が直に自然を感じられていいでしょ?」 「汚れちまうだろーが」 「もー、これだから無菌育ちの坊ちゃんは~。 これでいいのっ!それに汚れたくらいで人間死にゃあしないんだから」 「話が飛躍しすぎだろ」 「ふふふっ、いいのいいの。 はー、ほんとにいい天気だねぇ」 両手を後ろにつくと、つくしは真上を見上げて目を細めた。 日本は春だとはいえ、この時期のNYはまだまだ肌寒い。 だがこの日は少しの風もなく雲一つない快晴で、まるで日本の春を思わせるような気候だった。外で過ごすには絶好の日和だ。 「なんでここなんだよ?」 「えっ?」 声に視線を戻すと、どこか腑に落ちないような顔で司がこちらを見ている。 「俺は観光するかっつっただろ?」 「うん・・・? だから来てるでしょ?」 司の言いたいことがわからないつくしはキョトンとする。 「ちげーだろ。ここはただの公園じゃねーか」 「えー? 公園って言ったってNYで一番有名な公園でしょ? しかも観光客だってたくさん来るじゃん」 「いや、そういうことじゃなくて・・・」 あれから、司の提案に大喜びしたつくしが指定した行き先はセントラルパークだった。 司としてはてっきり自由の女神が見たいだの、ブロードウェーを鑑賞したいだのと言うだろうとばかり想像していたのだが、こともあろうにつくしがやりたいと言い出したのはセントラルパークでのピクニックだった。 この歳でピクニックとは・・・・・・ そもそも司自身、ピクニックなるものを経験したことがない。 急遽厨房のスタッフに指示して作らせたランチを手にここにやってきたわけだが・・・ 「もっと行きたい場所とかねーのかよ? 公園なら東京だってあるだろ?」 「違うよ」 「え?」 「東京の公園とは全然違うよ、ここは」 「・・・? どういう意味だよ」 怪訝そうな顔を見せる司につくしはクスッと笑った。そして公園をぐるっと一望して再び司に視線を戻す。 「夢だったんだ」 「?」 「司とこうして青空の下誰の視線も気にせずに堂々とのんびり過ごすってことが」 「・・・つくし?」 「ほら、昔のあたしたちって常にどこか監視されてるようなところがあったでしょ? NYに来たときだって、本当は司とこうしてのんびりできたらいいなぁなんて夢見てた。なんでもないことが一番幸せなんだぞって一緒に実感したかったって言うか・・・」 「・・・・・・」 黙り込んでしまった司に構うことなくつくしは言葉を続ける。 「7年前一人でここに来たとき、ここに司がいたらどれだけいいだろうって思ってた。でも、やっぱり夢と現実は違って・・・正直心が折れそうになった場所でもあるんだ。だから今、司とこうしていられるってことはあたしにとってはっ・・・?!」 そこまで言ったところで急に腕を引っ張られ、気が付いたときには司の腕の中に閉じ込められていた。突然のことにつくしは呆気にとられる。 「な、なに?! 一体どうした・・・」 「ごめん」 「えっ?」 「あの時はお前にひどいことしたって思ってる。俺なりに必死だったとはいえ、もっとやり方があったって・・・」 「ちょ、ちょっと! 違うからっ!」 慌てて体を離すと、つくしは司の両腕を掴むとどこか悲しげな顔をしている男を見上げた。 「あたしが言いたいのはそんなことじゃない! 司を責める意図なんてこれっぽっちもないの。・・・そりゃ確かにあの時しんどくなかったって言ったら嘘になる。でもね、ここはミラクルが始まった場所でもあるんだよ?」 「ミラクル・・・?」 「そう。ほら、あの当時お義母さんが交渉で色々とうまくいってない時期だったでしょ? その相手のおじさんと出会ったのがここだったの!」 「?!」 「もちろんなーんにも知らずに話してるうちになんだか気に入られて。まぁ、とは言ってももう二度と会うこともないだろうなぁなんて思ってたんだけど・・・あんたの邸に行って、日本に帰るって決意して、その前にもう一度ここに立ち寄ったらまたそのおじさんと再会して。食事だけでも是非ごちそうさせてくれってあまりにも言うもんだから、なんだか断れなくておじさんの会社に行ったら・・・」 「・・・行ったら?」 「そこで会ったのがあんたのお義母さんだったの」 「・・・!」 驚きに目を見開く司に思わず笑ってしまう。彼がそんな反応を見せるのも当然だろう。偶然にしても劇的すぎる展開なのだから。 「なんか交渉決裂寸前だったらしいんだけど、おじさんがあたしのこと気に入ったのがきっかけでうまくまとまったみたい。自分じゃ何が何だかさっぱりだったけど。でもそれがきっかけであんたと日本で会う時間をもらえて、それで・・・・・・。色々遠回りはしたかもしれないけど、あの時ここに来てなかったら今のあたし達はいないのかもしれないなーなんて」 「・・・・・・」 「だからそういう大切な場所でいつか司とのんびり過ごせたらいいなって夢見てた」 「つくし・・・」 ふふっと笑うつくしが眩しくて。どうしてだか直視できずに司はその体を再び引き寄せた。 戸惑いがちなつくしも抵抗することなくそのまま身を委ねている。 「司・・・? どうかしたの・・・?」 「いや・・・なんでもねぇ」 「・・・・・・? ふふっ、変なの」 「うるせぇ」 そう言って少し体を離した司の顔はどこか照れくさそうで。 めったに見られないその姿をもっと見ていたいと思ったのに、次の瞬間には目の前が真っ暗になって、ただ柔らかい感触だけがつくしを包み込んでいた。 ただ唇が触れ合うだけの子どものようなキスなのに、この上なく幸福感に満たされていく。 「・・・・・・もう、ここ外なのに・・・」 「誰も気にもしねーよ。つーかお前だって全然抵抗してなかっただろ」 「・・・バカ」 ハハッと笑うと司がゴロンとその場に大の字に寝転んだ。 「言われてみればこうして公園なんかでゆっくり過ごすとか経験したことねーな・・・」 空を見上げながらそう呟く司に微笑むと、つくしもその隣にゴロンと横たわる。 眼前には透き通るような青空がこれでもかと澄み渡っている。 「たまにはこういう時間もいいもんだよ。特に司はいつも忙しいでしょ? なーーんにも考えずにただこうしてぼーっとするだけで心も体も癒やされることってあるんだよ」 「それは・・・」 「何?」 「・・・いや。 ・・・そうかもな」 「でしょでしょ~?! お弁当だってすっごくおいしいんだから!」 「くっ、お前は結局それかよ」 「え~、でもほんとなんだもん」 「くっはははっ!」 道明寺司ともあろう者が、NYのど真ん中でのんびりピクニック? あり得ねぇ。 あり得ねぇったらありゃしねぇ。 心底そう思うのに、どうしてだかこんな自分が嫌いじゃない。 こうしてのんびりする時間が身も心も癒やす? バーーーーーーカ。 相変わらずこの女は何一つわかっちゃいねぇ。 俺にとって大事なのはいつどこで何をするかじゃねぇ。 そこにお前がいるかどうかだけが重要だってのに。 「気持ちいいねぇ・・・」 「・・・かもな」 相変わらずなんにもわかっちゃいねぇ女は幸せそうに微睡むばかり。 つーかまた寝るんじゃねぇぞ。 そう思いながらも、つくしに寄り添うように司も静かに目を閉じた。 *** 「そういえばお前がNYに来たときどうやって過ごしてたんだよ?」 「え?」 あれからまったり微睡んでいると、グーーーっという凄まじい音で雰囲気がぶち壊された。 司がお腹を抱えて大笑いし、恥ずかしいながらもつくしは幸せだった。 そうして今、邸で作ってもらった特製サンドイッチでお腹を満たしている。 「身ぃ一つでNYに来て、どう考えても無謀だろ? よく犯罪に巻き込まれなかったな」 「あー・・・巻き込まれなかったって言ったら嘘になる、かな」 「?!」 「実はさ、NYに着いて早々ひったくりにあったんだよねぇ・・・」 「はぁっ?! マジかよ」 初めて知る事実に司が驚愕する。つくしはあの頃を思い出して苦笑いだ。 「ほんとほんと。もうどうしようかと思ったよ。で、途方に暮れてここに来たらトーマスに再会してさぁ」 「トーマス? 誰だそれ」 「ほら、昔桜子があたしを嵌めた時があったでしょ? あの時の外国人」 「・・・あぁ、あのヤローか・・・」 忌々しい記憶が蘇ってきたのか、司が指をバキバキッと鳴らす。 「あはは、怒んないでよ。あんな男でもあの時のあたしにとっては救いになったんだよ。右も左も言葉もわからない場所だったんだから。・・・でも結局トーマスの仲間がひったくり犯だったってわかったときはズッコケたなぁ。今思えばめちゃくちゃだよね~、あははっ」 「それで? そっからどうしたんだよ」 「え? あぁ、それからはあんたの邸に突撃して・・・まぁ当然の如く追い返されてたんだけど、タマさんが助けてくれて。何とか中に入れてもらえたってわけ。後はまぁ・・・あんたも知ってるとおりだよ」 「・・・・・・」 「その後はどうしようかなーって、川辺でぼーっとしてたんだよね。そしたら突然類が現れて」 類という言葉に司のこめかみがピクッと動く。 「なんか色々心配してくれてたみたいで。それから帰国するまでの間は類のマンションでお世話になったんだ」 ピクピクッ! 「そうそう、トーマス達と一緒にご飯も食べに行ったんだけどさ、会計しようと思ったらなんと!! 類までスられてたんだよ?! それでどうしたと思う? 2人で朝まで片付けのバイトしたんだよ!あの類がだよ?! 今思い出しても貴重な経験だったなぁ~!」 ピクピクピクっ!! 「頑張ったからお店の人が最後に2ドルくれてさ。類が自分で初めて働いてもらったお金だって感慨深そうにしてて。そのお金で一輪の花を買ってくれたの。押し花にしたのを今でも記念にとってあるんだよ」 ブチッ!! 「だから色々あったけどそれなりに楽し・・・きゃあっ?!」 ドサドサッ!! ニコニコと思い出話に花を咲かせるつくしの視界が突如反転する。 背中に感じるのは芝生の感触、目の前には眉間に深い皺を寄せた司と青空が見える。 これは明らかに怒っている顔だ。 何故?! 「な・・・何?!」 「お前・・・・・・類類うるせぇんだよ」 「えっ?!」 「俺の前で類とのノロケ話を出すんじゃねぇ」 「の、ノロケって・・・ただの昔話じゃん! 全然違うよ」 思いも寄らぬ主張につくしは目を丸くする。 「違わねーよ。俺の前で類の話は禁止だ」 「禁止って・・・あははっ! もしかして妬いてるの?! も~、なんで類のことになるとそうピリピリするのかなぁ」 ビキッ! のほほんと大笑いするつくしにさらに青筋が一本。 目の前の女はそんなことには気付かない。 「お前・・・類とは何もなかったんだろうな?」 「えっ?」 「NYで2人きりでいる間・・・何もなかったんだよな?」 「何も・・・?」 何もって・・・ 確か、マンションで目が覚めたあたしにあいつが突然キスしてきて、 「好きかも」なんて飄々とわけのわからないことを言い出して・・・・・・ ・・・って! キスされたんじゃん!! 思い出した途端つくしの顔がボンッと赤くなる。 それと同時に司の青筋がビクビクっと引き攣る。 「・・・・・・何だよ、まさかお前・・・」 「なっ、何もない! 何にもないよっ! 類となんて、なんにもなかったからっ!!」 「・・・・・・正直に言え」 「えっ!!」 「お前ほどわかりやすい女はいねーんだよ。何があったのか正直に言え。 でないと・・・」 「え・・・? ・・・・ひっ!!」 洋服の裾から大きな手がスルッと侵入してくると、さわさわと明らかな意図をもってつくしの腹部を這いながら上を目指していく。 「ちょっ、ちょっとっ!! 冗談はやめてっ!」 「冗談じゃねーよ。お前が言わねーなら俺はやるぜ」 「ひぃっ!!」 この男は本気だ。 やると言ったらやる。 そういう男だ。 「俺はいいんだぜ? 別に人目を気にするような人間じゃねーからな」 「やっ・・・ちょっ・・・」 さわさわさわ。 いやらしい指使いで臍の辺りを撫でられて背中がゾクッとする。 「わ、わかったから! 言います、言いますっ! 類にキスされて好きだって言われましたっ!!」 ピクッ。 お腹を這っていた手の動きがピタリと止まり、つくしはホッと息をついた。 ・・・・・・のも束の間。 目の前の男の機嫌はすこぶる悪そうだ。 こ、これは・・・ 「あ、あの、言っておくけど突然で避けられなかっただけだからね? しかももう時効なんだからね? さらにはあたしを追い返した司にはあれこれ言う資格はないんだからね?!」 ピクピクピクっ。 相当痛いところを突かれたのか、司の眉間に凄まじい皺が寄る。 こ、怖いからっ!! 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・確かに俺には何も言う資格はねぇ」 「・・・ホッ、じゃあ手を離し・・」 「でもそれと感情は別もんだ」 「えっ」 笑いかけていたつくしの顔が中途半端なまま固まる。 「いかなる事情があろうとお前と類がイチャイチャすんのは許せねぇ」 「そ、そんな横暴な」 「あーそうだよ。俺はそういう男なんだ。諦めろ」 「なっ・・・」 何だそれは! もはやめちゃくちゃな理論じゃないか! 「つーわけでおしおきだ」 「えっ?!」 「とりあえずキスだけで我慢してやるから有難く思えよ」 「なっ、なにをんっ・・・!!」 問答無用で塞がれた唇に、つくしの抵抗も虚しく体から力が抜けていく。 全く、NYのど真ん中で、青空の下で一体何をやってるというのか。 ここでは超有名人の男が公衆の面前で。 しかもおしおきの理由も全くもって意味不明だ。 というか理不尽極まりないじゃないか! ・・・・・・それなのに。 こんな過ごし方も悪くないと思えるなんて、これも全ては異国の地がそうさせているのだろうか? ・・・うん。 そういうことにしておこう。 ![]() ![]() |
明日への一歩 3
2015 / 01 / 05 ( Mon ) 「えー、いいよぉ」
「いーから。どの辺りなんだよ。場所を教えろっ!」 「そんなに類に対抗しなくったっていいのに・・・」 ボソッと呟いた一言に司の地獄耳がピクリと反応する。 「何か言ったか? タイムズスクエアのど真ん中で濃厚なキスしてやろうか?」 「ひっ・・・! い、いえいえいえ、何も言ってませんからっ!!」 一歩後ずさりながらつくしが必死で首を横に振る。 司はふんと鼻を鳴らすと辺りを見渡した。 「で? 実際どの辺りなんだよ?」 「えー・・・もう7年も前の話だからなぁ。ぼんやりとしか覚えてないよ。しかも露店だったから今もある可能性は限りなく低いだろうし・・・」 「とにかく場所だけでも思い出せ」 「うーん、あのレストランで食事して・・・で、朝になって外に出て・・・・・・・・・あ。」 辺りをキョロキョロ見渡していたつくしの視線がある一点で止まる。 「なんだ? あったか?」 「うん・・・わかんないけど、もしかしたらあれかも」 つくしの視線の先には一台のトラックが止まっている。 荷台の部分には色とりどりの花が置かれていて、次から次に客が来ては花を買い求めている。 司は迷わず足を進めると、あっという間にその車のところまで行ってしまった。 「あ、ねぇ、待ってよ!」 急いで追いかけると、何やら店員の女性に聞いている。 「 Do you have this shop from seven years ago here? 」 「 Yes , for ten years 」 「 OK. so... this one please 」 ペラペラとまるでネイティブのような流暢な英語でやりとりを繰り返すと、やがて2本の花を手にした司が戻ってきた。持っているのは赤と青の薔薇だ。 「10年前からここでやってるらしいから多分ここだな。 ん。」 「えっ?」 「お前にやるよ」 「え・・・あ、ありがとう。・・・綺麗」 差し出された薔薇を受け取ると、思わずそんな言葉が素直に出ていた。 情熱的な真紅の薔薇と、今日の青空にも負けないような真っ青な薔薇。どちらも花びら一枚一枚が生き生きとしている。 「俺は2本だぞ」 「えっ?」 うっとりと見とれているつくしに司がおもむろに声をかける。 「類がやったのは1本だろ。俺は2本だ。これでお前の思い出が塗り替えられたな」 「へっ?」 「言っとくけどちゃんと自分で稼いだ金だからな。学生の頃とは違うぞ」 「・・・・・・・・・」 ポカーンと口を開けたまま呆気にとられるつくしに構うことなく、当の本人はどこか誇らしげに胸を張っている。 ・・・まさか、類に対抗するために? それだけのために?! 「・・・・・・ぷっ、あはははははははっ!! そ、そんなにムキになんなくても・・・あははっ!」 「うるせー。何と言われようとあいつには譲れねぇもんがあんだよ」 「あははっ、もうだめ、おかしー!」 お腹をよじって大笑いするつくしに次第に司の顔がしかめっ面に変わっていく。 「おい、笑いすぎだろ」 「だ、だって・・・! 司が可愛いからっ・・・!」 「あぁ?!」 「もう7年も前のことなのにっ・・・なんでそこまでするのよ、あははっ!」 ついには涙を拭い始めてしまった。 そんなつくしにムッとしつつも、司は決して怒ろうとはしない。 「・・・嫌なんだよ」 「・・・え?」 「ここでの楽しい記憶が類とのものだけだってのが・・・今さらあの時のことをどうにもできねぇってのはわかってる。それでも、俺との記憶が苦々しいものだけなのは許せねぇんだよ」 「司・・・」 そう言った司の顔には自分への怒りや後悔、悲しみ、ありとあらゆる感情が滲み出ていた。 あれから公園で昼食を終えた後、特にどこかはっきりとした目的があるわけでもないが、2人でNYの街並みをぶらりぶらりと見て回った。何でもないことがこの上なく楽しかった。 だがもうすぐ日が暮れる頃になって突然司が 「類に花を買ってもらった場所を教えろ」 などと言い出した。 一体何を言っているのかとつくしは呆れかえったが、この男は本気だった。 うろ覚えな記憶を無理矢理にでも引っ張り出させ、散々探し回させられて今に至る。 ・・・もうとっくに時効だというのに。 思い出ならこれからいくらだって塗り替えられるというのに。 今だってまさにそうだ。 それなのに、この男はそれでも自分が許せないのだと言う。 あまりにも真剣な司の顔を見ていたら、つくしは自分でも気付かないうちに自然と笑っていた。それが面白くないのか、またしても司の眉間に皺が寄る。 「何笑ってんだよ」 「ううん、幸せだなぁって思って」 「・・・は?」 訝しげな顔をする司にクスッと笑うと、つくしは握りしめている薔薇を見つめた。 「司がそう思って今こうしてくれてることも、全ては今が幸せだからできることなんだなって。確かにあの時はお互いにとって辛いことばかりだったかもしれない。でもそれも全てが今に繋がってるわけでしょ? そう思ったらなんだか全てが愛しい記憶に思えてくるよ。自分でも不思議なくらいに」 「つくし・・・」 「ほら、終わりよければ全てよしって言うでしょ?」 「おい、勝手に人の人生終わらせんな」 「あははっ! ごめんごめん。でもさ、あの時の思い出はずっと変わらないし、今この瞬間の思い出だってそうだよ。あたしにとってはどれもかけがえのないことなの。これからは司と色んな思い出を積み重ねていけたらいいなって思ってる。・・・この薔薇も今この瞬間、思い出のアルバムに載せられましたとさ」 そう言うとつくしは薔薇を顔の横に持ってきてニカッと笑った。 「・・・お前、薔薇の花言葉知ってるか?」 「えっ? ・・・えーと・・・」 確か・・・薔薇は情熱的な愛の言葉だったような・・・ ベタな恋愛漫画なんかにもよく出てくるし。 「あなたを愛しています、だよ」 「あ、そっか・・・」 照れるでもなく真っ直ぐに見つめられながら言われると恥ずかしい。 まぁこの男にとってはそんなことは全くもって今さらなのだろうが。 つくしは思わず赤い薔薇に視線を泳がせた。 「じゃあ青い薔薇は知ってるか?」 「・・・え。 赤と青で違うの?」 「あぁ。花言葉は色によって変わることもよくあるからな」 「へぇ~、そうなんだ。 青・・・・・・なんだろう?」 普段あまり目にすることのない青い薔薇を見ながらうーんと首を捻る。 司はつくしの手から青い薔薇をスッと抜き取り、色んな角度から一通り見ると、その様子をじっと見ていたつくしに視線を戻した。 「 『奇跡』 だよ」 「奇跡?」 「あぁ。青い薔薇を作り出すのは不可能だと言われていたくらい難しいことだったんだ。だからもともとはそういう花言葉しかなかった。でも作り出すことを諦めなかった研究者達のおかげで今こうして普通に世の中に溢れてる。夢を現実に変えたんだ。ちなみに日本人も研究に関わってるんだぜ」 「へぇ~、そうなんだぁ・・・」 つくしは初めて知る事実にただただ感心する。 「俺たちに相応しい花だと思わねぇか?」 「え?」 「一見不可能と思われることを現実にしてんだから」 「あ・・・」 そっか。 そういうことだったのか。 彼の伝えたいことがようやくわかった。 本当に、誰がどう考えても自分たちが一緒になることは奇跡としか言い様がないのだから。 交わるはずのない糸が結ばれる。 それを世間では運命というのだろうか? 「うん、そうだね。あたしたちに相応しい花だね。・・・司、本当にありがとう」 心から嬉しそうに笑ってみせると、ようやく司にも笑顔が戻って来た。 そしてつくしの手を取りもう一度花を握らせる。 「あぁ。ちゃんと最後は押し花にして保管しろよ」 「へっ?!」 じーーんと。 とても感動的な気持ちで胸がいっぱいになっていたというのに。 この男の放った一言で全てがぶち壊しになってしまった。 全く! 「ぷっ、あははははっ! まだそこ気にしてたの?! もう、相変わらず執念ありすぎだよっ!」 「うるせーな。お前が何と言おうとここは譲れねぇんだよ」 「あははは、わかりました。ちゃんと押し花にしてずーーーーっと大切にさせていただきますよ」 「・・・よし。じゃあそろそろ行くか。いつまでもここにいるのもなんだしな」 「あ、ほんとだね」 ここはタイムズスクエアのど真ん中だ。 薔薇を2本持った男女がいつまでも何をやっているのだろうか。 「ん」 「うん」 たった一言。 まるで暗号のようなやりとりだけでつくしは差し出された大きな手にごく自然に自分の手を重ねる。 はじめはぎこちなかったこの一連の動作も、今ではすっかり当たり前のことになってしまった。 不可能と思われたことが現実となり、それが日常となっていく。 これを奇跡と言わずして何と言うのだろう。 「お義母さん、週明けには帰って来るかな」 「多分な。良くも悪くも予定が変更されることはあるから確実なことはわかんねぇけどな」 「そっか、そうだよね。・・・奇跡がそこで終わったりしませんように」 「ドアホ。させるわけねーだろ」 「あはは、そうだよね。頼りにしてます」 「おー。頼れ頼れ。まぁ今はひとまずメシ食って帰るぞ。腹が減っては戦は終わるからな」 「あはは、何それ。戦は終わるって、なら食べない方がいいじゃん!」 「なんでだよ? 食わなきゃどうにもなんねーだろが」 「あはは、再会してからすっかり大人になったと思ってたけど、やっぱり人間ってそう簡単には変わらないのね」 「あぁ?!」 「あはははっ」 少しずつ灯され始めたネオンの中に、楽しげに寄り添う2人の影がやがて消えて行った。 ![]() ![]() |
明日への一歩 4
2015 / 01 / 06 ( Tue ) 「牧野様はどのようなご様子ですか?」
「あ?」 西田の口から出た意外な一言に動かしていたペンが止まる。 マンハッタンにそびえ立つビル群の一つに道明寺ホールディングス本社がある。 司が再びこの地に足を下ろしてから早くも5日が経過していた。 「お前が自分から気にするなんて珍しいな」 「副社長の大切なお方ですからね。慣れない地での生活にストレスが溜まっているのではないかと少し気になりまして。差し出がましいことでしたら失礼致しました」 そう言って頭を下げる西田に、鉄仮面たる男にも珍しいこともあるもんだと感心する。 「ストレスか・・・まぁババァのことがあるから緊張してることに違いはねぇだろうけどな。でもまぁ困ってるのはむしろあいつじゃなくて邸の人間の方かもな」 「・・・それはどういう意味ですか?」 ほんの少しだけ目を細める西田に司は手にしていたペンを机に置いた。 「お前もつくしのことは多少なりとも知ってんだろ? それこそ色んな報告書を通して、な」 「それは・・・まぁ、そうですね」 言外に過去の数々の妨害に対する嫌味を滲ませる司に、さすがの西田も身に覚えがありすぎるからか、多少なりともバツが悪そうだ。 「あの女はただじゃあ転ばねぇからな。何てったってこの俺を変えた女だぞ。NYでの邸でもその雑草パワーを炸裂させてんだよ」 「・・・と言いますと?」 司は何かを思い出したのか突然ククッと肩を揺らし始めた。 「・・・あいつ、今使用人もどきやってんだよ」 「使用人・・・ですか?」 「あぁ。 『働かざる者食うべからず』 ってな。いくら俺の婚約者だとはいえまだ未婚の人間がタダで置いてもらうわけにはいかねぇとかなんとか言いやがって。使用人を拝み倒して何だかんだと邸の仕事を強奪してるらしいな」 「強奪・・・」 「当然俺はそんな必要はねぇって言ってんだけどな。でもそれで引き下がるような女じゃねぇんだよ、つくしは」 そう話す司はどこか楽しげだ。 西田はそんな司を見ながらあらためて牧野つくしという女の存在意義を認識する。 道明寺司にこんなに人間らしい表情をさせた人間は自分を含めて誰一人としていないのだから。 「まぁ、とは言ってもずっとそうするわけでもねぇだろうけどな。もう少し生活に慣れて落ち着けばあいつもこっちでしかできない何かに精を出し始めるに違いないだろ。ま、とりあえず今は邸で英語の家庭教師なんかはつけてんだけどな」 「そうですか・・・半年という期間ですからね。長いようで意外と短いですし、何かをするには中途半端な時間なのかもしれません」 「かもな。それでもあいつなら自分で見つけるだろ。元々中に籠もって大人しくしてるようなタマじゃねぇんだ」 「・・・確かにそうですね」 妙に納得したような西田に司がクッと笑う。 「で? ババァはどうなってんだ? 全てはババァが帰って来てからの話だからな」 「社長でしたら今のところ予定通りに帰国されるとの報告を受けております」 「ってことは明後日か」 「そういうことになりますね」 「明後日か・・・あいつに言ったら眠れなくなんだろうな」 そして対面後には気が抜けてそこかしこで眠りこけるに違いない。 もう間もなくやって来るその瞬間を想像しながら、司はそれからしばらく笑いが止まらなかった。 *** 「つくし様! お願いですからおやめください!」 「大丈夫、大丈夫。こういう作業は昔から得意なんですよ~」 「万が一お怪我でもなさったら大変です! 司様が何とおっしゃられるか・・・!」 「あー、それなら大丈夫ですよ。私が言って聞かせますから」 ケラケラっとあっけらかんに笑い飛ばすつくしに使用人はオロオロ狼狽えるばかり。 客人、しかもVIP中のVIPにもかかわらず邸での仕事を毎日、いや、毎時間のように強奪していくことにも驚きだが、司に対してこんな口の利き方ができる人間を見たことがない。 あの男に物が言えるのは楓以外にはせいぜいタマくらいのものなのだから。 そのタマですらTPOはきっちり使い分けているのが現状だ。 司が日本で突如婚約を発表したというのは道明寺家に使える人間ならば誰もが知るところではあったし、その相手が渡米前に公にしていたあの女性だと同じだということでこちらの邸でも俄に騒ぎとなっていた。 そして本人がやって来るとの話が伝わりどこか邸中が落ち着かなかったのだが、いざ来てみればいきなりエントランスで倒れ込むようにして眠ってしまった。 つくし自身が気にしていたようにまさに鮮烈なデビューだった。 中には7年前につくしが邸にほんの少しだけ来たことがあるのを覚えている使用人もいたが、烏の行水のような僅かな滞在時間に、ほとんどの人間にとってはあれが初対面だ。 「あっち側もやりますね」 「あぁっ、こちらは私が・・・!」 「いいんですいいんです、私、働いてないと落ち着かない性分なんですよね」 「は、はぁ・・・」 ニコニコと楽しそうに壺を拭くつくしに使用人は気が気じゃない思いでいっぱいだ。 司の婚約者にこんなことをさせて自分の首が飛びやしないだろうかと。 「あ、ちなみに司には許可もらってるので全然心配いらないですからね?」 「えっ?!」 「だから首になったりはしませんよ」 「は・・・はぁ・・・」 全てをお見通しなつくしの言葉に、使用人の脳裏にもしかして日本の邸でもこういうことが日常的にあるのだろうかとふとよぎる。 つくしがこの邸にやって来てから3日目。 突然 「お仕事を手伝わせてください!」 と言い出した。 当然使用人一同それに反対したし、司もそんなことを許すはずがないとばかり思っていた。 彼らが知る司という人物像は、楓に負けず劣らず人を寄せ付けない厳しい人間であったから。 司の場合それだけでなく横暴な振る舞いも際立っていた。 だが彼らの予想に反して司はつくしを止めることはなかった。 それどころかそんなつくしをどこか面白そうに見守っているのだ。 そんな司の姿を見るのは初めてだったから、邸の誰もが戸惑い、呆気にとられた。 だがそれと同時に実感する。 あの窮地を乗り越えられたのは今の司だったからだということを。 昔の彼だったならば、もう取り返しのつかないところまで会社は地に落ちてしまっていたかもしれない。それくらい厳しい状況だった。 そしてその司を変えたのが他でもない今目の前にいる女性、牧野つくしだ。 日本で働く使用人から度々噂を耳にしていたが、実際会ってみるとその不思議な魅力にわずか数日で邸の人間が虜にされていた。 小柄だが醸し出すパワーは底知れない。 それが誰もが抱いたつくしへの印象だ。 あの女嫌い、いや、人間嫌いの司が選んだ女性とはどんな人物なのか。 ただの一般人だということは当然知っていたが、こうして目の前にすると何故司が心惹かれたのかがよくわかるような気がする。わざとらしさや厭らしさがないのに、気が付けばいつの間にか懐に入り込んでしまっている、それがつくしだから。 司を相手にしても物怖じすることなく言いたいことをポンポン言ってのける、その度胸にも誰もが驚愕した。司に意見でもしようものなら半殺しにされるのがオチだと言うことはここでは共通認識だったのだから。 そんな司が唯一選んだ相手が牧野つくし。 立場上そんなこと言える者などいないが、司の女性を見る目に誰もが感動していた。 そしてたった数日で今までにない風が邸に吹いていることも感じていた。 これまで豪華でただ広いだけの殺伐とした空間だった場所が色づき始めている。 その異質な空間を誰もが嫌がってなどいなかった。 そんな中で誰もが気になることが一つ。 それはこの邸の主が帰ってきたらその色がどうなるのだろうか、ということ。 司以上に近寄りがたいオーラを纏っているのがこの邸の主、楓だ。 過去にはこの2人を引き離すために壮絶なやりとりがあったらしい・・・という噂はある。 だがあくまで噂の域を出ないその話に、実際につくしと楓が対面したらどうなるのかということが誰しも気になって仕方がないのが本音だ。 「終わりましたっ!」 「あ・・・ありがとうございました。助かりました」 隅々までピカピカに拭き上げて満足そうなつくしに使用人はペコペコと頭を下げる。 助かったような、かえって困ったような、何とも微妙なところではあるのだが。 それでもつくしと共に過ごすことを皆楽しみにしているのは間違いない。 「あの、お願いがあるんですけど・・・」 「はい? 何でございましょうか?」 まさか別の仕事を割り振ってくれという打診だろうか。 そうだとすれば非常に困る。 つくしの申し出に使用人の女がゴクリと喉を鳴らした。 「庭にあるフラワーガーデンを見せてもらってもいいですか?」 「えっ?」 「確か大きいのがありましたよね?」 「あ、はい。もちろん結構ですよ。ではご案内致しますね」 「ありがとうございます! 嬉しいです」 予想外の申し出にホッと胸を撫で下ろすと、使用人は喜んでつくしを庭園へと案内した。 まるで迷路のような広大な敷地にあるこれまた大きなフラワーガーデン。 ここはつくしにとっても消えない思い出の場所だ。 「こちらでございます」 「わぁ、懐かしい・・・!」 目の前に広がる庭園を前につくしから感嘆の声が漏れる。 ここだけでも有料で一般人に開放すればそれなりの人が集まるのではないかと思えるほど手の行き届いた花々に、思わず言葉を失ってしまう。ここだけでもアパート数件分の広さが軽くあるのだから、管理するには相当な人手が必要なことだろう。 「奥様がお好きなんです。ですからここは特に丁寧に管理されている場所なんですよ」 「そうなんですか・・・」 7年前のあの日を思い出す。 単身ここに乗り込んできて、真っ先に会ったのが魔女だったことを。 そしてその場所がここだったということを。 あの時と同じ場所に今、自分がいる。 「奥様はお忙しい方なので邸にいる時間はほとんどありませんけど、お時間があるときは大抵こちらに足を運ばれて色々な花の観賞をされてるんですよ」 「へぇ~・・・」 なんだかちょっと意外。 ・・・なんて言ったらまたとんでもない目にあってしまうだろうか。 「あ! 青い薔薇・・・」 少し先にある薔薇の一角に青々とした薔薇が咲いている。 つくしは引き寄せられるようにその場所まで行くと、大輪の花を咲かせている花びらにそっと触れた。 「奇跡・・・か」 つくしがぽつりと呟いた一言に使用人が興味深そうに反応した。 「つくし様もお花がお好きなんですか?」 「あ、いえ・・・あ、もちろん見るのは好きですよ? でもあまり詳しくはないんです」 「でも花言葉をご存知なんですよね?」 「あ・・・それはつい先日たまたま教えてもらっただけというか、あはは」 「ふふ、そうだったんですね」 「青い薔薇がここにもあったなんて・・・なんだか感慨深いです」 「え?」 目を細めてしきりに青い薔薇を見つめるつくしに使用人が不思議そうに首を傾げる。 確かに青い薔薇は珍しい品種ではある。だが最近はもっと複雑な色をした新種も数多く開発されているというのに、何故青限定なのかがわからない。 「俺も今初めて知ったぜ」 「・・・えっ?」 ハッとして振り返れば、高級スーツに身を包んだ司がすぐ後ろに立っていた。 「司・・・もう帰って来たの?」 「あぁ。その代わり別の日が遅くなるけどな」 「そうなんだ。・・・おかえり」 「おう、ただいま」 さらりと。 極自然に司の口から出たその言葉に使用人が目を丸くする。 司がこの手の挨拶をするなんてまずあり得なかったことだからだ。 「もう下がっていいぞ」 「えっ?! あ・・・はいっ、それでは失礼させていただきます」 「あ、今日はお世話になりました。またお願いします」 「・・・はい。こちらこそ是非。では失礼致します」 お礼を告げるつくしに頭を下げると、使用人は急ぎ足でその場を去って行った。 その胸はなんだかドキドキと不思議な感覚で落ち着かなかったが、心がふんわり温かくなっていくのを感じていた。 2人になった庭であらためてバラ園を見つめる。 「お義母さん、薔薇が好きなんだって」 「へぇ~、あのババァにも人間らしいところがあったのか」 「もうっ! ・・・でもあたしも正直意外だなって少し思っちゃったんだけどね」 「だろうな」 顔を見合わせてハハッと笑いあう。 「・・・でもさ、今ならわかる気がするよ。鉄の女としてずっと気を張ってなきゃならなくて、何も考えずにホッとできる時間なんてなかったんじゃないのかな。だから、こうして花を見て心を癒やしてたんじゃないかなって・・・」 そう言ってぐるりと見渡した庭園には見慣れたものから新種のものまで、所狭しと花が植えられている。 「きっとそんな思いでここまで大きくなったんだろうね」 「・・・かもな」 司自身ここに花を見に来たことなんてただの一度もなかったし、そこにどんな意味が込められているかなんて考えたことすらない。それなのに、つくしがそう言うのならそうなのかもしれないと思えるのだから不思議だ。 自分のあまりの変わりように思わず笑うと、尚も花に見入っているつくしの腕を引いた。 「え? な、なにっ・・・」 軽く引いただけで無抵抗の体はあっという間に司の腕の中に飛び込んで来た。驚いていたのも最初だけで、すぐに背中に回ってきた腕に自分たちの歴史を思う。 「明日だね」 「ん? ・・・・あぁ、だな」 胸の中から聞こえてきた声はやはり少し緊張しているのだろうか。 司はつくしの背中をゆっくりと摩った。 「なんも心配する必要はねぇっつってんだろ? お前らしくいろよ」 「うん、それはわかってる。でもこの緊張は何て言うか・・・ほら、お嫁さんをください! って挨拶に行く男の人と同じようなものなんだよ」 「なんだそりゃ」 「ふふふっ」 相変わらずつくしの言うことは司にとっては半分もわからないが、それもまた楽しみの一つになっているのも事実だ。 「 ? ・・・あ」 顔にフッと影が差したような気がして顔を上げたときには、もう司の顔が目の前まで迫っていた。 つくしはゆっくりと目を閉じてそれを受け入れると、すぐに2人の唇が重なった。 あの場所で今2人がこうしているなんて。そして2人の目の前には青い薔薇。 ・・・・・・奇跡。 その言葉が心を埋め尽くしていく。 やがて唇が離れると、つくしは幸せを噛みしめるようにもう一度司の胸の中に顔を埋めた。 「そろそろ入るか? ちょっと寒くなってきたし」 言葉もなくしばらく抱き合っていたが、つくしがほんの少し体を震わせたことに気付いた司がゆっくりと体を離していく。 「うん、そうだ_______ っ?! 」 「うおわっ?!」 ドンッ!!! ドサドサッ!! 何の前触れもなく、同じように顔を上げたつくしが突如司を思いっきり後ろに突き飛ばした。 さすがに司と言えど何の抵抗もない状態では思わずそこに尻餅をついてしまった。 突然のことに怒りも何もわからずただ呆然とするだけ。 「・・・おいっ! いきなり何しやがるっ!!」 ようやく自分に起こったことが理解できると、目の前に立つつくしに怒鳴りつけた。 だが何故か突き飛ばしたはずの張本人の方が驚愕に満ちた顔をしている。 「・・・おい? つくし、どうしたんだよ?」 「あ・・・」 口を開けたまま、言葉にならない言葉を放つだけ。 全くもって意味がわからない司は眉間に深い皺を寄せる。 だがつくしの視線が自分に向いているのではないことにようやく気付いた。 見ているのは・・・・・・自分のさらに後方・・・・・? 「・・・・・・?」 一点を見つめたまま固まるつくしにわけがわからないが、司はひとまず立ち上がると振り返ってつくしの視線を辿った。 つくしの見つめていた、その先にあったのは・・・ _____いや、いたのは・・・ 「こちらで何をされてるのかしら?」 「・・・・・・ババァ・・・」 今ここにいるはずがないと思い込んでいた人間の姿に、2人ともしばし言葉を失った。 ![]() ![]() |
明日への一歩 5
2015 / 01 / 07 ( Wed ) 威風堂々。
ビリビリと、空気中を見えない稲妻が走っているような。 そんな錯覚を起こしてしまうほどにその場の空気が変わった。 7年ぶりに見る、だが昔と何一つ変わらない何人たりとも寄せ付けないそのオーラに、 つくしは自分でも気付かないうちにゴクッと喉を鳴らしていた。 長身の体に司に負けず劣らず高級なスーツを身に纏ったその姿はあまりにも様になっている。 それは初見の人間でもこの女性が普通の立場の人間ではないとわかってしまうほどに。 再会したらすぐに挨拶をするとあれだけ決めていたというのに、あまりにも凄まじいその風格に、つくしはなかなか言葉を出せないでいる。 「帰って来るのは明日なんじゃなかったのかよ」 言葉にできない沈黙を断ち切ったのは司だった。 つくしとは対照的に、この状況に何一つ動揺した様子も見られない。 「予定が流動的であることはあなたもよくご存知のことではなくて?」 「・・・まぁそうだな」 実に事務的な会話を交わすと、楓の視線がチラリとつくしに向けられた。 目が合った瞬間つくしの背筋がビッと伸びる。 と同時に頭の中を一気に色んな思考が駆け巡った。 一体いつからそこにいたのだろうか? 結構な時間2人の世界に入ってしまっていた気がする。 しかもキスまでして・・・ それもよりにもよって楓が一番大切にしているというこの場所でだなんて。 とどめに驚いたとはいえ司を吹っ飛ばしてしまった。 ・・・・・・あぁ、タイミングが悪すぎる。 ・・・いや、自分に対する評価なんて元々地の底にあるも同然だ。 今さら驚かれることは何もないに違いない。 ええい、ぐだぐだ考えるな! 逆境に強い、それが雑草だろう!! なるようになれっ!! つくしはグッと握り拳に力を込めると、意を決したように楓を真っ直ぐに見据えた。 「あ、あのっ! 長い間ご無沙汰しています。留守中にもかかわらずこちらにお世話になっていて申し訳ありません! ですが今回はどうしてもお話したいことがあって参りました。どうか話を聞いていただけないでしょうか?」 若干声が上ずりながらもつくしははっきりと言い切った。 だが楓の表情は一貫して変わらない。何を考えているのか全く読めない。 ただじっとつくしを見たまま動かない。 そんな様子に痺れを切らしたように司はつくしの隣に立つと、指輪の輝く左手をギュッと握った。 「俺からも話がある。帰国する時にも話したように俺はつくしと結婚する。もう誰の邪魔もさせねぇ。それだけの力をつけてきたことに揺るぎない自信をもってる。だから」 「お話の途中で申し訳ないけれど」 「・・・なんだよ? 言っておくけど反対意見は一切聞かねぇぞ」 話の腰を折られた司が明らかにムッとするが、楓は気にする様子もない。 「こんな場所でするお話ではないのではなくて?」 「え?」 「立ち話で済ませるようなことなのですかと聞いているのです」 意外な一言だったが、確かに楓の言う通りだ。 ここは庭園、すなわち外で空はもう日が随分傾いている。暗くなるのも時間の問題だろう。 吹く風も一気にひんやりとしてきた。 「それって・・・・・・いや、まぁいい。確かにそうだな。つくし、お前も寒いんだったな。邸に戻るぞ」 「え? あ、あのっ・・・」 「いいから。全ては中に入ってからだ」 有無を言わさずにつくしの手を引くと、司はズンズン邸の方への足を進めていく。 ほとんど引き摺られる形となったつくしは慌てて後ろを振り返るが、その時には既に楓も動き出していて、2人に全く視線を送ることもなく颯爽と歩いて行ってしまった。 その後ろ姿を見ていたつくしに一気に不安が襲いかかる。 「やっぱり反対なのかな・・・」 思わず出てしまった弱音に司は反対の手でドスッとチョップをお見舞いした。 「いたっ!」 「バーカ。お前が弱気な発言するからだろうが。何も心配することはねぇって言っただろ?」 「でも・・・」 「あのババァだぞ? 愛想良く会話なんてできる女じゃねぇのはお前も重々知ってるだろうが。話を聞く姿勢があるだけでも結果は見えてるようなもんだろ」 「あ、そっか・・・」 司の言うことはもっともだ。 昔の楓ならば話をすることすらまず不可能なことだったのだから。 「お前は俺と結婚しねぇのかよ?」 「す、するよっ!!」 顔を上げて即答したつくしにニッと口角を上げると、司はポンポンとつくしの頭を叩く。 「だったらお前は自信を持って堂々としてろ。それだけでいいから。あとは俺に任せとけば何の問題もない」 「司・・・」 「ほら、行くぞ。待たせっとうるせぇからな」 「・・・うんっ!」 たった一言で。 不思議なほどに不安が消えて行く。 本人を目の前にさすがに萎縮してしまっていたつくしだったが、司の言葉にようやく自分を取り戻すと、2人軽い足取りで邸の中へと戻っていった。 *** 「それでは失礼致します」 深々と頭を下げた使用人がワゴンを押して部屋を出て行くと、広い部屋には3人が残された。 ガラス張りの見るからに高級なテーブルの上に置かれた紅茶を手に取ると、楓は綺麗な所作でそれを口にする。向かいのソファに座るつくしはボーッとその一連の動作を見つめていた。 よくよく考えれば楓のこういう姿を見るのは初めてかもしれない。顔を合わせるときはいつだって対決モード全開で、ただ睨み合っているだけだった気がするから。 コトンと静かに食器を置いた楓がフッと視線を上げた瞬間、つくしと視線がぶつかった。 「あ・・・」 やはり条件反射で背筋が伸びてしまう。 何かを言わなければと思うのにいきなりのことですぐに言葉が出てこない。 「で、さっきの話の続きだけど、もう何も問題はないよな?」 そんなつくしの心中を知ってか知らずか、一息ついたタイミングを狙って司が切り出した。 と同時に楓の視線がつくしの隣へと移される。 「まぁ今さらなんだかんだ言われたところで聞くつもりもねぇけどな。俺としては別にわざわざ許可をもらいにくる必要もねぇと思ってたんだが、つくしがそれじゃ駄目だってどうしても言うからな」 「そ、それは当然でしょ!」 まるでつくしのせいだと言わんばかりのセリフに思わずつくしが食い付いた。 「俺は与えられたビジネスをきちんとこなしたんだ。その時点で条件はクリアーしてんだよ」 「それとこれとは別問題!」 「同じだろ」 「違う! たとえ許されてるのだとしてもけじめをつけるのは当然のこと」 「もう結婚するのに親の許可なんている歳じゃねぇだろが」 「大人だからこそでしょ! 大人ならけじめの一つくらいきちんとつけなきゃ駄目」 「相変わらずお前は回り道が好きだよな」 「好き嫌いじゃなくて当然のことをしているまでです」 楓がいる緊張感などそっちのけ。 そんなことはすっかり忘れて延々と言葉のキャッチボールを繰り返す。 楓はそんな2人の様子を何を言うでもなく、ただ黙って見ているだけ。 「つーかお前と言い合ってどうすんだよ。目的が違うだろうが」 「あ・・・ごめん」 司の指摘通りだと思うと同時にやってしまったと後悔する。 さっきから見苦しいところを見せっぱなしだ。 つくしは恐る恐る視線を横に戻すと、全くの無表情で自分たちを見ている楓の姿に一気に熱が引いていく。 「あ、あの、すみません、うるさく・・・・・・」 「司さんの主張はよくわかりました」 つくしのセリフに被せるように満を持して楓が口を開く。 「あ? わかったってことは了承したってことだよな?」 「あなたの仰るとおりこれはビジネスです。ビジネスとして約束し、それが履行されたからには私の口から何かを言う必要はありません」 「え、それじゃあ・・・」 結婚してもいいってこと? こんなにあっさり? いいの? 本当に? 信じられないような顔で言葉を挟んだつくしに再び楓の視線が戻ってくる。 「あなたは覚悟がおありで?」 「えっ?」 覚悟・・・? 「この道明寺財閥の嫁になるという覚悟です。あなたが大好きな綺麗事だけでは済まないこともある世界ですよ。そこに足を踏み入れる覚悟があるのかと聞いているんです」 綺麗事だけでは済まない・・・ きっと昔自分が経験したことなんか比べものにならない困難だってあるのだろう。 ・・・でも、たとえそうなのだとしても。 つくしはギュッと膝の上で手を固く握りしめると、真っ直ぐに楓を正面から見据えた。 そして大きく頷いた。 「はい。あります。私は何にも持っていない人間です。それでも、司を想う気持ちと覚悟だけは揺るぎません。たとえ無一文になることがあろうともその気持ちに変わりはありませんし、いい時も悪い時も彼を支えていきたいと思ってます」 「つくし・・・」 つくしの言葉を聞いても尚、楓の表情は変わらない。 喜怒哀楽いずれも感じられない、例えるなら 「無」 のままだ。 しばし言葉もなく見つめ合ったまま沈黙が続く。 息が詰まりそうになりながら、つくしはじっと耐える。まるで我慢比べのようだ。 いや、楓は全く動じてもいないのだろうからつくしの一人相撲なのだが。 「・・・そうですか。わかりました」 「・・・・・・えっ?」 「聞こえませんでしたか? わかりましたと言ったんです」 「え・・・えっ? それじゃあ・・・」 ポカンと口を開けたまま言葉を探すつくしに呆れたように楓が小さく息を吐いた。 再会して初めて見せた表情の変化だ。 確実に呆れられてはいるが・・・どこか今までにない優しさを感じる気がするのは自惚れだろうか? 「はぁ・・・あなたは言葉の意味もご存じなくて? わかったということは了承したという意味です。まだ説明が必要かしら?」 「あっ・・・いいえ! あ、ありがとうございますっ!!」 ガタッと音をたてて立ち上がると、つくしは膝に頭がつきそうなほどにお辞儀をした。 「道明寺家の嫁になるのなら品のある行動を心がけることが第一です。立ち上がるのに音をたてているようでは困ります」 「あっ・・・! ご、ごめんなさい!」 上げた頭を今度は謝るために再び慌てて下げる。 そんなつくしに楓はフーッと溜め息を零した。 「・・・・・・クッ」 一連のやりとりを見ていた司の口から笑い声が漏れると、楓の視線がチラリと司に向けられた。 「相変わらず面倒くせぇな」 「・・・どういう意味かしら?」 「素直に認めるって言やぁいいだけだろ? なんでいちいちそう面倒くせぇ言い回しするんだよ」 「・・・何のことだか意味がわかりませんね」 「くっ、素直じゃねぇところはつくしとそっくりだな。案外似たもん同士で上手くいくのかもな」 「えっ?!」 似ていると言われて心外だとばかりに反応したつくしに楓の痛い視線が突き刺さる。 それに気付いた瞬間飛び上がるほどにつくしの背中が真っ直ぐ伸びた。 「あ・・・いえっ、何でもありませんっ!」 「くっはははは!」 ただ座っているだけの楓を相手に一人で百面相を繰り返すつくしにとうとう司が盛大に吹き出した。つくし自身も我ながら情けないと思いつつも、そんなに急に緊張が解けるはずもないのだから仕方ない。 ジロッと恨めしげに司を横目で睨むが全く効果なしだ。 「じゃあ籍だけでも先に入れるからな。式なんかは帰国してからにするから」 ひとしきり笑い終えると、急に大真面目な顔で司が宣言した。 「そのことですけど」 「異論は聞かねぇぞ」 何やら言い出しそうな気配がムンムンの楓の言葉を先手必勝とばかりに遮る。 だが楓はそれに構うことなく言葉を続けた。しかも何故か視線はつくしに向いている。 「牧野さんは結婚した暁にはどうするおつもり?」 「えっ?」 「邸にとどまるのか、他に何か考えがあるのか。ご自身の身の振り方をどうお考えなのかしら」 「そ、それは・・・」 痛いところを突かれてつくしは言葉に詰まる。 それはつくし自身がまだ模索している最中だった。 司を支えていくという根幹は揺るがないが、具体的にどのような形でそうするのか、自分でどうしたいのか、まだわからずにいた。司は家に入るだけでいいと言うに違いないが、それだけではいけないような気がどうしても消えずにいたのだ。 「ごめんなさい・・・まだわからずにいます。このNYにいる間に自分に何ができるのか考えてみようと思っていました」 「別に何もしなくていいだろ。お前は邸を守ってくれるだけで充分なんだよ」 「うん・・・そうなんだけど・・・」 何と言えば伝わるのだろうか。 自分でもわからないこの感情を司に理解してもらうのは難しいだろう。 そんなつくしの微妙な心理を楓はじっと観察している。 「それならばビジネスの話をしませんか?」 「えっ・・・? ビジネス・・・?」 「おい、何言い出すんだよ。余計なことは認めねぇぞ」 「司さんに言っているのではありません。牧野さん、あなたへのビジネスです」 「私に・・・?」 予想外の展開に戸惑うつくしに構わず楓はさらに驚きの提案をした。 「こちらにいる間に可能性を模索したいというのなら、帰国までの間うちの本社で働いてみてはいかがかしら」 「えっ!!」 「もちろん入籍は待ってもらいます。あなたが婚約者であるということも伏せたままの状態で」 道明寺ホールディングスで・・・? このあたしが働く? しかもNY本社に?! 「おいっ! 何ふざけたこと言ってやがる! 今さらそんな必要ねぇだろうが! なんだかんだ言ってそうすることで結婚を先延ばしさせたいんじゃねぇのかよ。俺は絶対に認めねぇからな! つくしっ、従う理由なんてねぇぞ」 「で、でも・・・」 怒り狂う司が気になりつつも、つくしはチラリと楓を見た。 その顔は何かを妨害しようとしているようにはとても思えない。直感で感じたことだ。 「決めるのはあなたですよ、牧野さん。家に入ると言うのならそれも一つでしょう。ですがこの家の人間になる以上会社は切っても切り離せない存在です。いずれ司が社長になるときが来ればあなたは社長夫人。無関係ではないのはわかりますね」 「はい・・・」 楓の言う通りだ。もちろん自分に司の代役ができるわけではない。 けれど、夫となる男がどのような仕事をしていて、その母体がどのような会社であるか、自分の目で知ることは大切なことではないのだろうか。 ・・・・・・少なくとも何一つ無駄になることはない。 「・・・・・・やります」 「は?」 驚愕の顔で自分を振り返った司を見ることなく、つくしは真っ直ぐ楓に向かって言い切った。 「やらせてください。お願いします」 頭を下げたつくしに司がガタンっと音をたてて立ち上がった。明らかに怒りのオーラに満ちている。 「ふざけんなっ! んな必要ねぇっつってんだろ! こんなん結婚を先延ばしさせるための策略に決まってんじゃねーか!」 「違うよ、司。お義母様は私のことを考えてくれているからこそそう提案してくれてるんだよ」 「んなわけねーだろが! もう何も問題もないってのに今さら会社に入れ? しかもその間入籍はするな? 策略以外の何物でもないだろうか!」 「司・・・」 さっきまでの穏やかな空気が嘘のように重苦しいものに変わってしまった。 司の背後には見えない業火が燃え上がっている。 楓はそんな息子にハァッと呆れたように溜め息をついた。 「司さん、少し落ち着きなさい。副社長ともあろう人間がそんなに感情的になってどうするのです」 「落ち着いてられっか! 目的はなんだ? その間にまだ何かしようってのか?!」 「司っ、落ち着いてよ! そんなんじゃないんだよ!」 掴みかかっていきそうなほどの勢いの司の体を自分の全身で必死に食い止める。 どうすればわかってもらえるのだろうか? これはつくしのことを思っての提案なのだと。 「はぁ・・・興奮するのは勝手ですけど、まずは最後まで聞いてから判断された方がよろしいんじゃなくて?」 「あ゛ぁ? 判断も何もねぇだろうが!」 「牧野さんには西田の下についてもらいます」 楓の口から出た一言に小競り合いをしていた2人の体がピタリと止まった。 そして鏡のように全く同じ動きでギギギ・・・と顔を動かしていく。 楓の表情は相変わらず淡々としたままだ。 「今・・・・・何つった?」 珍しく司の声が上ずっているような気がする。だが無理もない話だ。 「聞こえませんでしたか? 牧野さんには西田の下について働いてもらいます」 「えっ・・・?!」 「そ、それって・・・」 面白いほどに目と口を開いたまま自分を凝視するつくしと司に、楓ははっきりと告げた。 「牧野さんには帰国までの間、司の第二秘書をやってもらいます」 ![]() ![]() |