足し算の法則 前編
2015 / 01 / 09 ( Fri ) 「どうしたんですか? 何だか元気ないですね」
「えっ・・・そ、そう? そんなことないよ?」 「・・・相変わらず嘘がつけない人ですよね、あなたって人は」 呆れたような口調の桜子につくしはそれ以上反論できなくなってしまう。 久しぶりに会ったというのにずっと心あらずの状態でいられれば桜子でなくとも様子がおかしいことに気付くに決まっている。 「それで? 今度は何があったんですか?」 「今度はって・・・そんな、人を問題児みたいに言わないでよ」 「あら、違うんですか?」 「あんたね・・・・・・まぁいいわよ。・・・実は、さ」 そこで一度言葉を切ると、つくしは何故かキョロキョロと周囲を見渡して挙動不審な行動をし始めた。そしてひとしきり見終わると、桜子に手招きして顔を近づけろと合図する。桜子も意味がわからないが、つくしがここまでするにはそれなりの理由があるのだろうと素直に指示に従って顔を近づけていく。 つくしも顔を寄せると口元を手で隠しながらひそひそと話し始めた。 「ここのところ乗り気じゃなくて・・・さ」 「は?」 「ほら、夜の、いわゆる・・・わかるでしょ?」 そこまで聞いただけで桜子の中でははぁ~と大まかな筋書きが成立した。 夫婦生活に乗り気じゃないつくしとやる気満々の司。 男と違って女にはバイオリズムというものがあって、つくしの言う通りなんとなくその気になれない時があるのが事実だ。だがつくしのことだからそれを上手く司に伝えることができないのだろう。 そして司は司でその辺りの女性心理というものをよくわかっていない。 何故ならどちらもお互いしか知らないのだから。 司からしてみれば自分を拒絶されたような気がして、おそらくそれが原因で口論にでもなったのだろう。 「それで喧嘩しちゃったんですね」 「えっ! まだ何も言ってないけど?!」 「先輩達ならその一つの情報だけでどうなるかくらい容易に想像つきますよ」 そんなにわかりやすいのだろうかとつくしが驚きながらも何とも微妙な顔になる。 「それで? 道明寺さん怒っちゃったんですか?」 「怒ったっていうか・・・拗ねたって言った方が正しいのかな」 「はぁ~、なんですかそれ、ある意味ノロケですよ」 「えぇっ?! のろけてなんかないから! もうこっちは面倒くさいったらありゃしない。毎日毎日獣みたいに求められても体がもたないっつーの! たまにはそんな気分になれない時があったって仕方ないじゃん!」 「・・・先輩、声大きい」 「はっ!!」 口に手を当てたときは時既に遅し。 周囲を見渡せば同じカフェにいた客の視線がチラチラと自分に突き刺さっていた。 あぁ、やってしまった。 「道明寺さんはどうしてるんですか?」 「それが・・・昨日から大阪に行っちゃってて。連絡もしてこないの、あの野郎! ったく、あれくらいのことでそういう態度に出るならこっちにだって考えがあるってのよ!」 「とか言いつつこうして私を呼び出して悶々としてるわけですね」 「うっ・・・!!」 思いっきり図星だったのだろう。 つくしは言葉に詰まってしまった。 桜子はそんなつくしに苦笑いだ。 「全く・・・相変わらず素直じゃないですね。どうせ売り言葉に買い言葉で可愛くないこと言っちゃったんでしょう? 道明寺さんだってちゃんと話せばわかってくれますよ。先輩の嫌がることを無理強いするような人じゃないでしょう?」 「う・・・」 「だったら素直に言えばいいじゃないですか。大丈夫ですよ。道明寺さんだってどうしようかって思ってますから。先に素直になった者勝ちですよ。その方がこの後の主導権を握れますから」 「主導権って・・・あはは、確かにそうかもね」 「先輩、男女の仲は駆け引きが大事ですよ。足し算と引き算を上手に使い分けるんです。押すときは押して、引くときは引く。それが上手な嫁は旦那の操縦も上手くなるらしいですよ」 「あはは、何それっ」 桜子の言葉に頑なになっていた気持ちがなんだか楽になった気がする。 ・・・そうだよ。難しく考えなくたっていいんだ。素直にごめんねって言えばいいだけ。 きっとあいつだって言い過ぎたって後悔してるに違いないんだから。 「・・・ありがと。なんか気が楽になってきたよ。今日帰ったら電話する」 「そうそう、素直が一番、ですよ。帰って来たらいっぱい可愛がってもらってくださいね」 「あはは、可愛がってもらうって。あんたが言うとなんかやらしくなるわ」 「まぁ、失礼な」 「ふふっ、あ、ちょっとお手洗い行ってきてもいい?」 「どうぞ、ごゆっくり」 緊張が解けた途端体中が緩んでしまった気がする。 つくしはガタンと立ち上がるとお手洗いを目指した。 その時。 スーーーーーーーーっと。 急に立ちくらみがしたような気がして、なんだか目の前がグラリと揺れたような気がして。 「先輩っ!!!」 ガタガタンッ!! _______桜子の言葉を最後に意識が途絶えた。 *** 「随分ご機嫌斜めのようですね」 「あぁ? 誰がだよ!」 あなた以外に誰がいるのかこちらが教えていただきたい、という言葉は呑み込んで西田はやれやれと書類を渡す。乱暴にそれを奪い取ると、司は不機嫌を隠しもせずに目を通し始めた。 「何があったか知りませんが仕事には支障を出さないでくださいね」 「んだと?」 「いえ、それでは失礼致します」 しれっと頭を下げるとそれ以上の追及から逃げるように西田はさっさと出て行ってしまった。 西田のいなくなったドアに向かって持っていたペンをガツンと投げつけると、細いペンがコロコロと虚しく転がっていく。 「・・・くそっ!」 やり場のないイライラに司はガシガシと自分の髪を掻きむしった。 ことの始まりは一週間ほど前に遡る。 このところどこかつくしがおかしい。 どこがと言われても難しいが、いつもと何となく違う。それは感じていた。 それが一番顕著に表れていたのが夜の生活だ。 結婚してから三ヶ月、つくしの体調が悪いとき以外はほとんど毎日のようにつくしを求めていた。 口ではなんだかんだ言いつつも、つくしもまんざらではなさそうなのは間違いなかった。 実際体は全く拒絶などしていなかったのだから。 それがここ一週間明らかに拒絶されている。体調が悪い・・・というわけでもなさそうだ。 それなのに、夜にベッドに入るとそれとなくそういうことを避けようと必死になっている。 なんだかんだわけのわからない理由をつけては抱かれるのを拒んでいるのだ。 最初の2、3日こそまぁそんな時もあるのだろうと聞き入れていたが、さすがにこうも続くと心も体も不満が溜まってきた。理由を聞いても相変わらずなんともはっきりしない言葉を並べるばかりでさっぱりわからない。 そしてついに一昨日大喧嘩になってしまった。 まさに売り言葉に買い言葉。本筋とは関係ないところまで飛び火して互いに言いたい放題。 翌日になってもイライラは収まらず、会話もすることなく大阪へと飛んだ。 つくしから折れてくるまでは今回は連絡しないと決めているが、相手は意地っ張りの代表格。 うんともすんとも連絡して来ない。それが原因でイライラは募るばかり。 鳴らない携帯を見て溜め息をつくのはこれで何千回目だろうか。 「あの野郎、いつになったら連絡して来やがる・・・」 今回ばかりは俺は悪くねぇ。 こっちは何度も譲歩してたってのにあの女がわけのわからないことばっか言って誤魔化しやがるから。 ・・・だから絶対に俺は悪くねぇ!! そう思うのに胸のもやもやは晴れない。 最後に見たあいつの悲しそうな顔が頭から離れない・・・ 「あーーーー、くそっ!!」 ガンッ! と拳でデスクを叩きつけるのと同時にドアからノック音がした。 だが司が返事をする前には扉は既に開いていた。普段なら考えられないことに眉間に皺を寄せた司の視界に慌てた様子の西田が入ってくる。 何があっても取り乱すことのない西田のその様子に、瞬時に妙な胸騒ぎが司を襲った。 「おい、にし・・・」 「つくし様が倒れられて病院に搬送されたとの連絡が入りました」 「なっ・・・・・・?!」 ガタンッ!! 信じられない言葉に凄まじい勢いで立ち上がるとその勢いで椅子が派手な音をたてて転がった。 そんなことには構わず血相を変えて西田の元へ駆け寄ると、胸ぐらを掴んで問い詰める。 「倒れたってどういうことだよっ?! あいつは? 一体何があったっ!!」 「それはまだわかりませんっ・・・三条様と一緒にいたらしいんですが、急に倒れられたとかで。病院に向かう途中に三条様が急いで連絡をくださったようです。ですので詳しいことはまだっ・・・!」 ギリギリと締め上げる力に耐えながら西田も必死で言葉を紡ぐ。 バッと突き飛ばすような形でその手を離した司の顔は真っ青だった。 「ヘリを飛ばせ」 「は・・・」 「今すぐ手配しろっ!」 「ですがこの後には藤田社長との会食が・・・」 「そんなん後でいくらでもフォローする! とにかく今はヘリを用意しろっ!!」 「・・・わかりました。すぐに手配致しますのでお待ちください」 普通なら副社長ともあるものがドタキャンなどあり得ない。 西田も普通であればまずそんなことは許さない。 だがこの時ばかりはすんなりと頷いていた。 相手が日頃から懇意にしている藤田社長だから話が通じるということもあったかもしれないが、それを抜きにしても今すべきことは司の言う通りだと思えた。 ドクンドクンドクン・・・・・・ 急いで西田が部屋を出て行くと、急激に司の心拍数が上がっていく。 ここまで動揺したのはおそらく人生で初めてだろう。 倒れた・・・? 誰が・・・? ドクンドクンドクン・・・・・・ ふと自分の手のひらが小刻みに震えているのに気付く。 震える・・・? この俺が・・・? ・・・・・・・・しっかりしろ!! 「司様、最短で今から30分後に飛び立つことが可能だそうです」 戻って来た西田の声にハッと我に返る。 震えていた手をギュッと握りしめると、西田のいる方へと振り返った。 「すぐに帰るぞ」 「かしこまりました」 西田が頭を下げたときにはもう既に司の体は部屋から出て行っていた。 その心はとうにつくしの元へと飛んでいたに違いない。 ![]() ![]() スポンサーサイト
|
足し算の法則 後編
2015 / 01 / 10 ( Sat ) ・・・・・・しっ! ・・・・・・・・・・つくしっ!!
・・・・・・・・・・・・・誰・・・・? あぁ、司か っていうかその顔はなんなのよ まだ怒ってるの? あんたも大概しつこいんだから ほら、女の子にはね、女の子ならではの色んな事情があるのよ だから別にあんたのことが嫌だったとかそういことでは決してない・・・・・・え? 何? 違う? 何が違うのよ? えっ? 聞こえないよ! 何言ってるの? ・・・・・・あれ、っていうかあんた・・・・・・司? 似てるけど・・・・・・なんか違うような・・・・・・・・・・誰・・・? あっ! ちょっと待ってよ! ねぇっ、どこ行くのっ! 待ってったらぁっ!! *** バタバタガタンッ!! 廊下の奥から聞こえてきた物音に桜子がハッと顔を上げた。 ほどなくして騒がしい声が聞こえてくる。 「道明寺様、お気持ちはわかりますがここは病院ですからお静かに!」 「うるせぇっ! つくしのところに行くだけだ!」 バタバタバタッ!! 「はぁはぁはぁっ・・・・・・三条・・・」 「道明寺さん・・・」 凄まじい音と共に現れた男はこれまでに見たことのないような顔色をしていた。 いつだって自信に満ち溢れたオーラが今日は鳴りを潜めている。 「あいつはっ、つくしは?!」 「あ・・・まだ眠って・・・あっ、道明寺さんっ!」 桜子の言葉も最後まで聞かず、司は目の前の特別室の扉をバンッと開けた。 「つくしっ!!」 広い室内の中央にベッドがあり、そこが盛り上がっていることから人が寝ていることがわかる。 急いで駆け寄ると、つくしが静かに目を閉じて眠っていた。 「つくし・・・」 はぁはぁと息を切らしながら近付くとそっとその頬に触れる。 最後に見たときよりも顔色が悪いのがわかる。 一体いつから? もしかして最近様子がおかしかったのはこのことを隠していたからだろうか? そう考えると自分のしたことに激しい後悔の念が襲いかかる。 もっとちゃんと話を聞いてやっていればこんなことにはなっていなかったのかもしれない。 「くそっ・・・!」 「道明寺さん・・・」 床に膝をついたままつくしの手を取り、まるで懺悔をするように額をつける姿に、後を追ってきた桜子もそれ以上の言葉をかけることができない。 「医者は何て言ってるんだ・・・?」 「あ、それがまだ・・・ご家族が来てからお話ししますと」 「そんなにひどいのか・・・?」 家族にしか話せないような病状だというのだろうか? 司はつくしの寝顔を見ながら万が一のことがあったらと想像するだけで体の奥底から震え上がる。 そんなことは絶対に許さない。 何が何でも助けてやる!! 病院に辿り着いてからはつくしを己の目で見て確かめることしか頭に入っていなかったが、ここに来て医者の話を聞かなければといてもたってもいられなくなる。 司は急いで立ち上がると、握っていたつくしの手をそっとベッドに置いた。 「ん・・・・・・」 病室を出ていこうと振り返った時だった。 「先輩っ?!」 「つくしっ!!」 微かに聞こえた声に踵を返すと、司は置いたばかりのつくしの手を再びその手に捉えた。 次の瞬間、ギュッと握り返すようにその手に力が込められたのがわかった。 やがてピクピクと動き始めた瞼がゆっくりと上がっていく。 「つくしっ! 俺だ、わかるかっ?!」 司はまだ焦点の合わないつくしの顔を覗き込んで声をかける。 ぼんやりとしていた目が次第に一点を捉えると、しばらく考えるようにして口を開いた。 「・・・・・・司・・・?」 「つくし! 良かった・・・! 気分はどうだ? どっか苦しいところは?」 「私、お医者様を呼んできます!」 そう言うと桜子は急いで病室を後にした。 「・・・・・・なぁんだ、やっぱりあれは司だったんだぁ」 「お前何言って・・・? それよりも気分はどうだ? 顔色が悪いぞ。一体いつからこんなことに・・・」 「え・・・あたし・・・ここ、どこ?」 ようやく周囲が見えるようになってきたのだろうか。つくしがキョロキョロと視線を泳がせて自分が見慣れない場所にいることに驚いている。 目の前にいる我が夫は真っ青な顔で心配そうに自分を覗き込んでいるではないか。 「あれ・・・・・・そういえば大阪に行ってたんじゃ・・・?」 夢と現実がようやく別のものとして認識できるようになってきた。 「お前が倒れたって聞いて飛んで帰ってきたんだよ」 「えっ?! 倒れた・・・?」 「あぁ。三条と一緒にいたときに急に倒れたって。救急車に乗ったのも覚えてないか?」 「ぜ、全然・・・」 とても信じられない話だが、目の前の司を見ればそれが本当だということは疑いようがない。 「お前それでだったのか?」 「え・・・?」 「ずっと調子が悪かったから拒んでたのか? それならどうして言わなかったんだ。そうとわかっていれば俺はあんなこと・・・」 「あっ・・・違うの! そうじゃなくて・・・」 後悔の念に苛まれて苦痛に顔を歪める司に、つくしは慌ててフォローを入れようとした。 「目が覚めたようですね。気分はどうですか?」 司の背後から桜子と共に医師が現れた。ニコニコと、とても優しそうな中年男性だ。 医者だとわかった途端司はガバッと立ち上がり、そのまま掴みかかりそうなほどの勢いで医師に迫る。 「つくしは! 妻の病状は一体何なんだっ!」 「司っ、落ち着いて・・・!」 引き止めたいのにすぐに動けないのがもどかしい。 だがそんな司の無礼にも医師はニコニコと笑顔を絶やさない。 「道明寺様、落ち着かれてください」 「これが落ち着いてられっか! 早く診断結果を・・・」 「奥様は病気ではありませんよ」 「・・・・・・・・・・えっ?」 苛立ちからもうすぐで襟首を掴みそうになっていた司の手がピタリと止まる。 「病気じゃないって・・・・・・じゃあ一体・・・」 驚いているのは司だけではない。つくしもよく意味がわかっていない様子だ。 医師はそんな両者を交互に見てうんうんと頷くと、これまでで一番の笑顔で告げた。 「おめでとうございます。奥様は妊娠されていますよ。現在8週目、もうすぐ3ヶ月に入るところです」 思わぬ医師の言葉にしばし室内を沈黙が包み込む。 夫婦揃ってポカンと口を開けたまま身動き一つ取れないでいる。 司に至っては上げていた手が宙で止まったままだ。 「・・・・・・妊娠・・・?」 「あたしが・・・?」 ほぼ同時に呟いた2人に桜子がプッと吹き出した。 「道明寺さん、先輩、大丈夫ですか? ちゃんと戻って来てくださーーい」 パンパンと手を鳴らすと、2人ともハッとしたように我に返った。 と、司が後ろにいるつくしを振り返り、まだどこか夢見心地のつくしの両手をガシッと掴む。 「つくしっ!!」 「え・・・あっ、あたし・・・?!」 「よかった・・・! お前に何かあったんじゃねぇかって心配でっ・・・」 「司・・・」 ぎゅうぎゅうに手を握りしめてはぁ~~っと安堵の溜め息を吐く司に、つくしの胸がグッと締め付けられる。それと同時に自分の中に芽生えた命に言葉にできない感動が沸き上がってくるのを感じた。 「ありがとうな・・・」 「司・・・・・・うん、こっちこそありがとう・・・」 優しく自分を見つめる瞳がほんの少し潤んで見えたのは気のせいだろうか。 自分の視界が既に滲んでいたからかもしれない。 「泣くなよ」 「だって・・・嬉しくて・・・」 ポロポロと溢れていく涙を大きな指で拭うが、それはきりがないほどに溢れ続けていく。 司はつくしの体をゆっくりと抱き起こすと、そのままその体を自分の胸の中に引き寄せた。 つくしはすぐにしがみつくと、大きな胸に自分の顔をうずめて大きく息を吸い込んだ。 「鼻水ついちゃうよ・・・」 「今日は特別に許してやる」 「グズッ・・・へへ、幸せ・・・」 そんな2人を医師と桜子が温かく見守っている。 「そっか・・・。だからだったんですね」 「・・・桜子?」 「赤ちゃんはお母さんを守ろうとシグナルを出してたんですね。だからその気になれなかったんですよ」 「あ・・・」 そうか。そういうことだったのか。 ここ数日自分でもよくわからない感覚が続いていたけれど、それはきっと自分に気付いてくれない子どもが必死で何かを訴えていたのだろう。 元々生理不順になりがちなつくしにとって、今回も少し遅れているのだろう程度にしか考えていなかった。いつだってそうなる可能性はあったというのに。 結婚した身として考えが浅かったことに反省しきりだ。 「つくし様は貧血の症状が出ていらっしゃいました。それで倒れられたのでしょう。ですが母子共に健康状態は良好ですよ。今日一日だけは念のために入院してもらって、明日からは日常の生活に戻ってもらって大丈夫ですよ」 「あ・・・ありがとうございます」 「いいえ。元気な赤ちゃんを育てていきいましょうね」 「・・・はいっ!」 満面の笑顔で答えたつくしに医師も嬉しそうに頷くと、一言二言必要なことを司に伝えてそのまま部屋を後にした。それと入れ替わるようにして桜子がベッドまで近付いて来る。 「道明寺さん、先輩、本当におめでとうございます」 「サンキュ」 「桜子、ありがとう。・・・桜子がいてくれて本当に助かった。何てお礼を言っていいのか・・・」 「やめてくださいよ、先輩。むしろあの場にいたのが自分でちょっと感動してるんですから」 「え?」 「お子さんが生まれたら自慢してやるんです。私が助けたんだぞって」 「あはは、そうだね」 「・・・先輩、もう一人の体じゃないんですからね。今までみたいに何でも一人でやろうとしないこと。ちゃんと道明寺さんに頼るんですよ?」 「桜子・・・・・・うん、そうだね。ちゃんとそうします」 「わかればよろしい」 まるで先生然として頷く桜子につくしはアハハっと心の底から笑った。 「それじゃあ私はこれで失礼しますね。あとはお二人でごゆっくりどうぞ」 「あぁ。三条、ほんとに助かった。ありがとな」 「とんでもありません。私もこの場にいられて幸せです。それじゃあまた」 「桜子、ほんとにありがと! またゆっくり会おうね!」 つくしの言葉にニッコリ綺麗な笑顔を見せると、手を振りながら桜子は出ていった。 2人きりになった部屋に何とも言えない感情が沸き上がる。 そんなつくしの気持ちをわかっているのか、再び司がつくしの体を抱きしめた。 そこはどんな場所よりも温かくて安心できる。 「・・・すげーな」 「・・・うん、すげー」 司の口調を真似するつくしにどちらともなくクスクスと肩を揺らす。 「ぜってー無理はすんじゃねぇぞ」 「うん」 「今日は俺もここに泊まるから」 「うん・・・・・・って、えっ?!」 驚いてガバッと顔を上げたつくしに司が何だよと言わんばかりの顔を見せる。 「だって大したことじゃないし・・・それに仕事は? ・・・ハッ! 大阪の仕事はっ?!」 「そんなもん後でいくらでもフォローできる。できないような仕事はしてねぇから心配すんな」 「でも、あたしのせいで・・・」 「大丈夫だから心配ない。それに、今日会う予定だったのは藤田のオヤジだからな。あのじじぃ、お前のことが大のお気に入りだから、事情を知ればむしろ涙を流して喜ぶんじゃねぇか?」 「あ、藤田さんとの仕事だったんだ・・・」 結婚後に顔見知りになった藤田は、つくしをいたく気に入り、時に司が嫉妬をするほどの猫可愛がりっぷりを見せる社長だ。 「だからお前は余計な心配なんかしなくていい。自分と子どものことだけ考えてろ」 「うん・・・・・・。藤田さんには今度手紙でも書くよ」 「間違いなく泣いて喜ぶな」 「あはは、そうかもしれないね。でも泣いて喜ぶと言えばお邸の人達も凄いことになりそうだなぁ・・・」 その翌日、つくしの予想通り、邸に帰ってからはとんでもない大騒ぎとなった。 邸の人間にとって、司がつくしと結婚しただけでも天にも昇るほどの喜びだったというのに、2人の間に待望の子どもができたとあれば、その狂喜乱舞っぷりたるや想像の遥か上をいっていた。 「あんた達の子どもを拝むまでは何としても死ぬわけにはいかないと思ってたけど、そうかい、とうとうその日がやって来るのかい。元気な子どもに会えたらあたしゃあもういつお迎えが来ても本望だよ」 そう言ってタマはホロリと涙を流した。 「何を言ってるんですか!タマさんには子どもの成長を見守ってもらわないと困るんです!まだまだあっちには行かせませんよ!」 そう言って活を入れたつくしの言葉に、またホロリと涙を零したのを邸の人間は知っている。 *** 「はぁ~、やっぱり凄い大騒ぎになったね」 「まぁな。あいつらお前のことが好きすぎるからな」 「あははは」 大歓迎もそこそこに、体を案じた司はつくしを部屋に戻し、今2人でベッドにゴロンと横たわっている。ただそうしているだけなのに、まさに至福の時だ。 「・・・・・・あの、さ。・・・・・・ごめんね?」 「・・・なんだよ?」 突然申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にするつくしに司が眉をひそめる。 「その・・・ずっと拒んでて。ほんとに司が嫌だとかそういうのじゃなかったの! それで、その・・・これからももうしばらくは無理かしれないから、だから・・・ごめん」 ぼそぼそと、徐々に声を小さくして申し訳なさげに眉を下げていくつくしに、司は額に手を当ててはぁ~っと溜め息をつきながら天を仰いだ。 そんな司にますます心苦しくなってしまうが、次の瞬間には予想に反してギュッと抱きしめられていた。 「つ、司・・・?」 「バカ。 謝らなきゃなんねぇのは俺の方だろ。そうだとわかってればあんなこと言わなかった。何も気付かずに悪かった」 「そんな! それはあたしの方だよ。母親のくせに気付かないなんて情けない・・・」 「お互い初めてのことなんだ。わからなくて当然だろ? これから一緒に勉強していけばいい」 「うん・・・。 でも、ほんとにいいの? 次にできるのがいつになるかわかんないかもしれないよ?」 我慢できないでしょ? と言わんばかりのつくしの言葉に司がクッと笑った。 「バーーーーーーーーカ! 人を性欲魔神みたいに言ってんじゃねぇよ」 え、そうじゃないの?! ・・・・・・と言いかけて慌てて口をつぐむ。 「もともとお前を手に入れるまでにどれだけ待ったと思ってんだよ。俺ほど忍耐強い男もそうそういねぇぞ。今は自分の事だけ考えてろ。余計な心配すんなっつったろ?」 「・・・・・・うん。 ありがと・・・」 その言葉が嬉しくてギュッとしがみつくと、それに応えるように背中に回された手にも力がこめられる。 「おー、できる時が来ればその時は思う存分やらせてもらうから気にすんな」 「 え 」 「くくっ、バーカ」 「ふっ・・・あはは」 トクントクンと、互いの鼓動が伝わり合う中に、今は新しい命も確かな鼓動を刻んでいる。 「そういえばさ。昨日桜子に言われたんだよね。男女の仲は足し算と引き算と上手に使い分けるんですよって」 「何だ? それ」 「・・・でもさ、あたし、魔法の足し算に気付いちゃった」 「あ?」 「1たす1の答えって何?」 「はぁ?」 「いいから! 答えは何?」 聞くまでもない質問に司は意味がわからなそうに首を傾げる。 「何って・・・当然 「2」 だろ?」 「正解。 でもね、魔法の足し算じゃそれだけじゃないんだよ」 「・・・・・・?」 「1が司でもう一つの1があたし。2人が一緒になったらどうなるの?」 「どうなるって・・・・・・・・・あ。」 しばらく考えて何かに気付いた司につくしが大きく頷いた。 「そう。答えは3にでも4にでもなるの。そうやって新しい家族が増えていくんだよ! 凄いと思わない? 魔法の足し算なの!」 そう言って目を輝かせるつくしこそまるで子どものようだ。 「じゃあサッカーチームができるくらいには頑張らねーとな」 「あはは、さすがにそれは難しいなぁ。・・・あ、でもあたしお腹の子に夢の中で会ったかもしれない」 「はぁ?」 「ほんとだよ?! 倒れて寝てる時にあんたに似た男の子に会ったの。最初は司だと思ってたんだけど、なんか微妙に違ってておかしいなぁ~って。あれって今思えばお腹の子だったんじゃないかなって」 「・・・・・・へぇ~」 「あー! 絶対信じてないでしょ?! ほんとなんだからっ!!」 「わかったわかった。だからお前は少し寝ろ。 な?」 「・・・・・・うん。 ありがと・・・」 「おー」 そう言うと既に半分ほど夢の世界に足を踏み入れていたつくしは、目を閉じるとあっという間にスースーと寝息を立て始めた。そのあまりの早さに思わず笑ってしまう。 「お前は相変わらずわけのわけんねぇこと言うのが好きだな」 呆れたように苦笑いしながら、やがて司も静かに目を閉じた。 つくしの言っていたことがおとぎ話なんかじゃなかったとわかるのは、もう少し未来の話____ ![]() ![]() |
| ホーム |
|