男はつらいよ
2015 / 01 / 18 ( Sun ) 「よぉ~、司。やっと来たか」
「お前、最近付き合いが悪いぞ~」 VIPルームに足を踏み入れた自分を見ながらニヤニヤと野次を飛ばす親友を前に、司は憮然とした表情を隠さずにドサッとその体をソファに沈めた。 「で、何だよ? 用事って」 明らかに不機嫌そうな司に、総二郎とあきらが顔を見合わせてやれやれと溜め息を零す。 本当であれば司はこの場に来ることに乗り気ではなかった。 だが、両者からしつこく今日は絶対に来いと言われ続け、そんなに大事な用があるのならばと仕方なく重い腰をあげてやって来た。 それなのにいざ来てみればニヤニヤ顔で自分を見ているとあれば、元来短気な司がイライラしないわけがない。 「おいおい司ぁ、お前何をそんなにイライラしてんだよ。今日は久しぶりなんだから楽しく飲もうぜ」 「俺はそんな気分じゃねぇんだよ。さっさと用件を話せ」 それとなくあきらが宥めてみてもとりつく島もない。 「なんだよお前、さてはあれか? 欲求不満でストレスでも溜まってんのかぁ?」 総二郎がいつものノリでお堅い雰囲気を崩そうと何気なく言った時だった。 ガァンッ!!! 司の拳がテーブルを凄まじい力で叩きつけた。 幸いグラスこそ倒れなかったが、その衝撃で浮き上がった拍子に中に入っていたアルコールがテーブルの上に飛び散っている。これは本気の怒りモードだと察知した総二郎はそれ以上の言葉をつぐんだ。 司が獰猛な瞳でそんな総二郎を睨み付ける。 「てめぇはそんなことを言うために俺を呼び出したのか? あ?」 「おいおい、司。いつもの冗談だろ? マジでどうしたんだよ?」 あきらが慌てて宥めてみても司のイラつきは収まらない。むしろ増しているようにすら思える。 「・・・・・・お前らは何も知らねぇから」 「え?」 「あの姿を見てねぇからそんなふざけたことが言えんだ」 ボソッと、司の口から吐き出された言葉は明らかに苦痛の色を滲ませていた。 「・・・牧野、大変なの?」 と、ここまでソファーに横たわって我関せずを貫いていた類がむくっとその体を起こした。 「・・・あぁ。見てらんねぇ」 「そんなにひどいのか?」 「・・・あぁ。もう生きた心地がしねぇ」 「そんなになのか・・・」 司の表情からそれは大袈裟でも何でもなく、リアルなのだろうということがひしひしと伝わってくる。 その場にいた全員がそれ以上何と言えばいいのか、二の句を継げないでいた。 ・・・・・・・・・ 「おいっ、タマっ!! 医者は? 一体どうなってんだ! あのままじゃ死んじまうだろうが! 早く何とかしろっ!!」 邸中に響き渡る怒号に、その矛先がいつ自分に向いてしまうかと、その場にいた全員が戦々恐々と震え上がる。だが、名指しされたタマ本人は全く動じず至っていつも通り。ドンと構えて主が近付いてくるのを待っている。 「やれやれ。坊ちゃん、もう充分手は施してるんですよ」 「あぁ? あんなんどう考えても異常だろうが! あんなに苦しんでるのにあれ以上何もできないなんてことはねぇだろ!」 つくしと結婚してからというもの、たまに喧嘩で邸内に風が吹くことはあっても、これだけの大嵐が巻き起こったのは司が学生の頃以来だ。 きっかけは2ヶ月前に遡る。 結婚して幸せな生活を送る2人の間に待望の赤ちゃんを授かった。 発覚後はそれはそれは凄まじい喜びようで、邸中が幸せに満ち溢れていた。 だがそれも長くせずして事態は急変する。 妊娠3ヶ月も半ばを過ぎた辺りから、つくしにつわりの兆候が見られるようになったのだ。 最初は吐き気をもよおす程度だったそれが、日に日に悪化の一途を辿っていった。 子どもに栄養をと口に含んだ食べ物は、激しい吐き気によりすぐに戻してしまう。それでも最初は柑橘類やアイスなど、限られた食べ物だけは口にできていた。 だがそれも最初のうちだけ。 じきにそれすらも体が受け付けなくなってしまう。 とにかく口に入るもの全てに拒否反応を示してしまう。無理をして食べてもあっという間に戻す。 ついには食べてもいないのに戻すようになり、胃の中は空っぽでもその行為が繰り返されるため、時には胃液を吐いて苦しむほどだ。 何も口にできないのだから当然つくしは痩せていく一方。 とてもじゃないがそのお腹に小さな命が宿っているなんて信じられない程に、みるみる痩せ細っていった。 ただでさえスリムな体型のつくしが痩せたらそれはもう見ていられないほどで、今にも折れてしまいそうな体に司は手当たり次第に医者を呼んでは手を施すように奔走した。 だがどんなに手を尽くそうとも言われることは皆同じ。 今できることはこれが精一杯だと。 少しでも負担を減らすために病院へは連れて行かず、入院しているのと同じだけの設備を邸に整えさせた。だができることと言えば医師が見守ることと栄養を補給するための点滴を打つことくらい。 ひどい吐き気などは薬を多用することで胎児への影響も考えられることから、基本的にはそのままにするしかない。 ひたすら吐き気に耐えながら点滴を打ち続ける愛する妻の姿。 耐えられないのは司の方だった。 それだけ苦しい中でもつくしは決して弱音を吐くことはなかった。 嘔吐して涙を流すことはあっても、決して苦しい、辛いという言葉だけは吐かなかった。 心配そうに自分を見つめる司に弱々しい笑顔を作って見せる。 そんなつくしの健気さが余計司には辛かった。 いっそのこと苦しさを吐き出してくれたらどれだけいいか。 安っぽい言葉になってしまうが、自分が代わってあげられたらどれだけいいか。 自分のせいでこんなに苦しい思いをさせているのかと思うといてもたってもいられなかった。 タマは苦しそうに顔を歪める司にフッと微笑んだ。 「いいですか? 坊ちゃん。つくしは子どもと一緒に闘ってるんですよ」 「闘ってる・・・?」 「そうですよ。あの子のお腹の中には坊ちゃんとの大事な大事な赤ちゃんが育ってるんです。確かに見た目は痩せて心配なのはよくわかりますよ。あんなに苦しむあの子に胸を痛める坊ちゃんのお気持ちだってよーーーーくわかります。でもね、確かにあそこに一つの命が育ってるんですよ。力強く、日一日成長してるんです」 「成長・・・」 「そう。この前の検診で見たでしょう? 食事なんて全くできてないのに、赤ちゃんはちゃーんと大きく成長してたじゃないですか」 タマの言う通り、つくしはほとんど食べ物を口にしていないにもかかわらず、たった二週間の間に子どもは一回り大きくなっていた。 「大丈夫。坊ちゃんが思ってる以上に体の神秘は凄いんですよ。そして母親は強い。子どもはもっと強い」 「・・・・・・」 黙り込んでしまった司の背中をタマはバシンと一発叩いた。 子どもと大男くらいの体格差があるというのに、その一発は司の体中に響く。 「ほらっ、しっかりしなさいな! 父親になるんでしょうが!」 「父親・・・?」 「いーや、なるんじゃなくてもうなってるんだね。坊ちゃんはもう立派な父親なんだよ。嫁さんと子どもが頑張ってるときにお父さんがそんな弱々しくてどうするんだい? もっとドシッと構えて安心させてやらなきゃだめじゃないか」 「俺が・・・」 「そうさね。つくしを守ってやれるのも、子どもを守ってやれるのも坊ちゃんしかいないんだよ」 「俺しかいない・・・」 タマの言葉は、司の心にズドンと直球で突き刺さった。 父親になる・・・ 子どもができて素直に嬉しかった。 つくしとの絆が揺るぎないものになったのだと、その奇跡に震えた。 だがその意味を自分は本当に考えたことがあったのだろうか? 夫として、父親として、 今の自分ができることは何なのか。 「・・・・・・そっか。牧野、めちゃくちゃ頑張ってんだな」 「あぁ。苦しむあいつをみて右往左往してる自分が情けねぇ」 司が一通り話を終えると、室内はシーンと静まりかえっていた。 「・・・・・・なんか悪かったな。そんなつもりはなかったんだけどよ」 総二郎としては元気づけるつもりで言った一言だったが、さすがに今の話を聞いては不謹慎だったと思わざるを得ない。 「・・・いや。実際に見てもない奴らにわかれって言う方が無理な話なんだよな。俺も自分が目の当たりにするまであんなに大変だなんて夢にも思ってなかったからな」 「男からしたら妊娠して10ヶ月経てば自然と生まれてくるくらいの認識しかねぇもんな・・・」 「あぁ。同じ女でも何ともねぇ奴もいるみたいだし、つくしの場合は相当重いみたいだな」 「そうか・・・」 「牧野はさ」 「え?」 「牧野はさ、それが原因で司が胸を痛めることが一番辛いんじゃないの?」 「・・・・・・類?」 これまでずっと聞き役に徹していた類がぽつりぽつりと呟いていく。 「確かに俺たちの想像を絶するくらい苦しいんだと思う。でもあいつがもっと嫌なのは司がそれを気に病むことの方でしょ。自分の痛みより他人の痛み。そういう女でしょ? 牧野は」 類の言葉に司は黙って耳を傾けている。 そのあまりの真剣さに思わず類の口元がクスッと緩んだ。 「大丈夫だよ。司が伴侶にしたのは誰? 何よりも逞しい雑草でしょ? 踏まれれば踏まれるほどより強く逞しくなって戻ってくるって」 「類・・・」 いつもならば誰よりもつくしを理解していると言わんばかりのその言葉が腹立たしいが、今日は不思議なほど司の心に突き刺さった。 その言葉の一言一句が真実であったから。 つまらない嫉妬なんて今は湧き上がってくることはなかった。 司はしばらく黙り込んでいたが、やがておもむろに立ち上がって3人の顔を見渡した。 「・・・悪ぃ。やっぱ俺帰るわ」 「・・・だな。傍にいてやれよ」 「あぁ」 「こっちこそ悪かったな。無理言って出てこさせて」 「いや。なんだかんだ気分転換にはなったわ。サンキュ」 「司がそんなに素直にお礼を言うなんて・・・牧野のつわりも明日急に良くなってるんじゃない?」 類の言葉にピクッとこめかみが動く。 「んだと? ・・・でもまぁそれならそれでありがてぇな」 「はははっ、だな」 「じゃあ俺行くわ。またな」 「おう、牧野にもよろしくな」 その言葉に軽く手を上げると、司は後ろを振り向くことなく颯爽とその場を立ち去った。 その心は、体は、一つの場所を目指して_____ 「言わなくて良かったのか?」 「ん? そんな必要はないだろ。きっと言わなくたって司はわかってる」 「・・・だな」 「心配をかけて申し訳ない、司に少しでも息抜きさせてやって欲しいって、俺たち全員に電話してきてお願いするなんて、いかにも牧野らしいよなぁ・・・」 「一番苦しい思いしてるのは自分だってのにね。・・・でもらしすぎるくらい牧野らしいんじゃない」 「だよなぁ」 「・・・・・・愛だな」 「・・・だな」 しみじみと噛みしめるように口にすると、誰ともなしに手元のお酒をグイッと飲み込んだ。 *** サラサラと、とても心地よい感触が自分を包み込む。 温かくて、大きくて、不思議とそれだけ幸せだと思えてくるような、そんな感覚が。 「ん・・・」 気持ち悪さで目が覚めなかったのはいつぶりのことだろうか。 ぼんやりと目を開けていくと、そこには心配そうに自分を見つめる夫の姿があった。 「・・・あ、悪い。起こしちまったか?」 「司・・・・・・ううん、その逆。なんだかすごく気持ちが良くて目が覚めたの」 その言葉に司はホッと胸を撫で下ろす。 「そっか。苦しいときはいつでも言えよ。お前はすぐ我慢するからな」 「クスッ、大丈夫だよ。あたしには司も、この子だっているしね」 そう言って右手でお腹の辺りに手を当てる。その手は驚くほど痩せてしまっている。 司はすぐにその手の上に自分の手を重ねた。 「あったかぁい。・・・そっかぁ。ずっと司がこうして撫でてくれてたんだね」 「え?」 「今ね、眠りの中ですごーーーく気持ちのいい感触に包まれてたの。そんな気持ちで目が覚めるのはほんとに久しぶりだった。司のおかげだったんだね。・・・ありがとう」 「つくし・・・」 ふわっと微笑んだ姿に何故だか司の胸がギュッと締め付けられる。 その顔はもうすっかり母親そのものだ。 「・・・よし。もっとあっためてやる」 「え?・・・って、なに、どうしたの?」 「いいから、ほら」 突然ごそごそとその大きな体をベッドの中に侵入させてきた司につくしは驚きを隠せない。 そんなつくしに構うことなく背中に手を回すと、司はその細くなった体を潰してしまわないようにそっと優しく抱きしめた。 「・・・あったか~い」 はじめこそ驚いていたつくしだったが、全身に伝わるその温もりに、すぐにうっとりと恍惚の表情に変わる。 「特注の湯たんぽになってやる。だからお前はゆっくり寝ろ」 「あははっ、特注の湯たんぽって・・・。でもほんとだね、どんな湯たんぽよりもあったかいよ」 「おー、この俺様がやってやってるんだ。ありがたく思え」 「ふふふっ、はーーーい」 肩を揺らして笑うと、つくしは司の胸元に顔を埋めるようにしてピタッと寄り添い、大好きな香りを思いっきり吸い込んだ。何もかも受け付けないはずの体なのに、どうしてだかこの香りだけは安心できる。 「なんだかすごくいい夢が見られそう・・・」 「当然だろ。愚問だな」 「ふふ、ほんとだね・・・。あぁ・・・なんだか・・・しあわせ・・だなぁ・・・・・」 ぽつりぽつりと、噛みしめるように呟くつくしの瞼が徐々に下りていく。 やがて完全に閉じると、長くせずしてスースーと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。 司はそんなつくしの額にそっと唇を落とす。 「子どもと一緒にぐっすり休めよ。・・・おやすみ」 あっという間に夢の世界に落ちたつくしにそう囁くと、司自身も静かに目を閉じた。 後になってわかることだが、この時2人して子どもと楽しそうに遊ぶ夢を見たらしい。 そして偶然なのか必然なのかは誰にもわからないが、この日を境につくしの症状は少しずつ軽いものへと変わっていく。やがて二週間ほどが経過する頃には、いつもと変わらない、誰もが待ち望んだあの元気な笑い声が響き渡る邸へとその姿を変えていた。 あながち類の言っていたことも間違っていなかったのかも・・・? しれない。 ![]() ![]() ポチッと応援をよろしくお願い致します! スポンサーサイト
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