牧野家の人々 前編
2015 / 02 / 20 ( Fri ) ピンポンピンポンピンポーーーーーン!!
けたたましく鳴り響いたインターホンの音に手にしていたお椀が思わず手から滑り落ちた。 「あぁっ! 貴重な味噌汁が・・・!」 「いいから早く拭いて拭いて! ・・・にしてもこんな朝早くに一体誰かしらねぇ?」 台ふきを手渡すとよっこいしょと立ち上がり玄関へと移動する。 今現在朝の7時。 人が訪問してくるには非常識な時間帯と言えるだろう。 「どちらさまです___ 」 「牧野さんっ!! 大変よっ!!」 「わぁっ?! びっっっくりした・・・。早川さん、こんな朝早くに一体どうし・・・」 「そんなことはいいから! テレビ見てないの?!」 「テ、テレビ・・・?!」 ボンビーまっしぐら。朝からテレビなんて余程のことでないとつけられるはずもなく。 「あぁ、もうじれったいわね! ちょっとお邪魔するわよっ!」 そう言うと早川は許可も取らずにズカズカと室内へと上がっていく。 突然入って来た隣人に必死で床を拭いていた晴男が呆気にとられているが、早川はそんなことなどお構いなしにテレビのリモコンを掴んでスイッチを入れた。 「早川さん、一体どうし・・・」 「いいからほらっ! 今日のトップニュース見なさいな!」 「えっ・・・?」 早川の指差した画面を晴男と千恵子が覗き込むようにして眺める。 ・・・と、そこに写っている映像にたちまち目を丸くした。 「こ、これは・・・・・・!」 「これって牧野さんのところの娘さんじゃないの?! やけに綺麗な格好してるから一瞬わからなかったけど、この人が牧野つくしさんって言ってたから間違いないわよね?!」 「えっ、えぇ・・・うちの娘に間違いありません・・・」 呆然としたように千恵子が呟くと早川が黄色い声を上げた。 「まぁーーーーっ!! やっぱり!! お宅の娘さん、とんでもない人と結婚するのねぇ~~!! 朝からこのニュースで持ちきりよぉ~~!!」 「は、はぁ・・・」 小さな画面に映し出されているのは紛う事なき我が娘。 普段の姿からは想像もつかないような綺麗な格好をしていて、親でなければ一瞬わからないのは当然のことだろう。 その娘の隣に立っているのは他でもない、かの道明寺司本人で、堂々と婚約宣言をしているではないか。 しかも娘を抱きしめたかと思えば続いて濃厚な接吻シーンまで映し出され、見ればその一連のシーンが何度も何度も繰り返し放送されていた。 これは全国放送だ。 画面左上には 『 平成のシンデレラ誕生!! 』 とデカデカと書かれている。 それから、早川がしばらくの間なんだかんだと大興奮で喋っていたが、晴男も千恵子もただ画面に釘付けになるばかりで会話らしい会話は成立しなかった。 一通り騒いで気が済んだのか、それからほどなくして早川は帰っていった。 「パ、パパ・・・・・・」 「マ、ママ・・・・・・」 「と、とうとう来たのね・・・?」 「と、とうとう来たんだな・・・?」 しばし呆然とした後、同じ動作でゆっくりと向き合う。 見つめ合ったままぷるぷると体が震えていたが・・・ 「や・・・」 「「やっったあああああああああああああああああああ!!!!」」 まるでタイミングを合わせたようにひしっと抱き合うと、玉の輿だーーーっ!! と叫びながら2人歓喜の渦に包まれていった。 遡ること1年ほど前___ 不況の煽りで東北で生活していた晴男と千恵子の元に一本の電話が入った。 それはつくしが交通事故に遭って重傷を負い、さらには記憶喪失になったというものだった。 信じ難い連絡に慌てて上京すると、思わず目を逸らしたくなるほど痛々しい娘の姿があった。 つきっきりで介護が必要なことは誰の目にも明らかだった。 進は都内の大学に通ってはいるが、そろそろ就職活動が始まること、また異性である進には全てのお世話は無理だということ。相談の結果、当初千恵子だけ上京してきてつくしの看病にあたるつもりだった。 だがそれを止めたのが類だ。 彼が言うには無条件で全ての面倒を見てくれると言うではないか。 事故に遭ったときに一緒にいたことで相当な責任を感じているようだった。 当然彼は何一つ悪くなどない。 有難いと思う一方で、さすがに重傷を負った娘を人任せにすることはできない。 玉の輿願望の強い千恵子達と言えど、今回ばかりは丁重にお断りしたのだが・・・ 類は決して譲ろうとはしなかった。 結局厚意に甘えさせてもらうことにした2人の元には、類の邸の人間から逐一つくしの様子についての報告が来る生活がそれから数ヶ月続いた。 「なんつーかさ、類さんってもしかしてねーちゃんのこと好きなのかな?」 「えっ!!!」 休みを利用して東北へ様子を見に来ていた進がポツリと呟いた。 内職をしていた千恵子の手が思わず止まる。 「だってさ、普通に考えたらそう思うんじゃないの? いくらねーちゃんと友達だって言ってもあそこまでする?」 「そ、それは確かにそうよね・・・」 いくら友人と言えど。 いくらお金持ちの御曹司と言えど。 何とも思ってない相手を邸に住まわせてまで面倒を見ることは普通なら考えられない。 「俺、前から思ってたんだよね」 「何を・・・?」 「類さんがねーちゃんのこと好きなんじゃないかって」 「そっ、それは本当なのか?!」 風呂上がりの晴男がパンツ一丁で進に食い付く。 「っていうか父ちゃんシャツ着ろよ! ・・・いや、まぁわかんないけどさ。類さんって簡単に心を開くような人じゃないじゃん。でもねーちゃんにだけは昔っから違ったっていうか・・・。少なくとも事故の責任感だけであそこまでやる人じゃないなって」 「確かに・・・」 晴男がやっとシャツを着てうんうんと頷く。 「でも道明寺さんとはどうなってるの?」 それは千恵子がずっと気になっていたが聞けずにいたことだった。 司と恋人同士だということは間違いなさそうだったが、もともとつくしは自分の事をペラペラ話すような性格ではない。 とはいえ、こちらから聞けばチラチラとそれらしい話をしてくれてはいた。 だがここ2年ほどは司の話題がパッタリと出なくなっていた。 何度かそれとなく話を振ったが、いずれも司には触れずにさらっと流されてしまった。 それ以降、聞きたくても聞けないでいる、それが現状だったのだ。 そこに来て今回の事故、そして類の過度なまでの世話の焼き方。 一体どうなってるんだと気になって気になってしょうがなかった。 「・・・別れたっぽいよ」 「・・・えっ?!」 「俺、1年前くらいにねーちゃんの家に行ったときに聞いたんだよ。道明寺さんは元気?って。そしたらもう会わないからわかんないって。それって別れたって事だろ? なんか、あまりにもさらっと言ったから俺、それ以上は聞けなくてさ」 「そ、そうなのか?」 「うん」 進の言葉に室内がシーーーンと静まりかえる。 「で、でもほら、花沢さんがいるじゃないか! ねぇママ?」 「えっ? ・・・えぇ、そうね。つくしが幸せになれるならどちらでもいいわよね」 「そうそう! しかもどっちもいい男、しかも玉の輿間違いナシ!」 「あらやだ、パパったらぁ~!」 沈みがちな空気を盛り上げようと2人がアハハと大袈裟なくらいに笑い飛ばす。 「・・・今度こそうまくいくと思ってたのになぁ。 ・・・道明寺さんと」 「・・・・・・・・・」 だが進の放った言葉に再び沈黙が戻って来てしまった。 「俺、類さんのことも大好きなんだよ。もちろん道明寺さんも。・・・でもやっぱねーちゃんには道明寺さんが一番あってるんじゃないかと思うんだよね。アメリカに行く前に俺言われたんだ。俺がいない間姉貴がフラフラしないように見張ってろよって。だから道明寺さんが心変わりするとは思えないし、それはねーちゃんだって・・・」 「・・・・・・」 「道明寺さんの会社、少し前に大変なことになってたみたいだから、やっぱそういうのも関係してんのかな。婚約者の噂とかも週刊誌で見たし・・・」 進の一言一言に、千恵子も晴男も黙り込むばかりで何も言えない。 「・・・でもまぁ類さんもねーちゃんのことすげぇ大切にしてくれてるからね。・・・それに、記憶がないのならある意味では余計なことを考えなくていいのかな・・・」 もしそこに辛い記憶があるのならば尚更のこと。 「そっ、そうよ! あんなに良くしてくれる人なんてそういないわよ」 「そうだな。俺たちがここでなんだかんだ言ったってつくしが決めることなんだから」 「うんうん、そうよね。そうだわっ!」 「それにほら、どっちにしたって玉の輿であることに変わりはないじゃないか」 「あらやだっ、パパったらもう~~!!」 わざと明るく振る舞うようにおちゃらけてみせる晴男の背中を千恵子がバシッと叩いた。 その時。 ピンポーーーーーーーン 狭い室内に鳴り響いた音に3人が顔を見合わせた。 「・・・誰? こんな夜遅くに」 時計を見ればもう夜の10時。 こんな時間に来訪者など普通は考えられない。 ピンポーーーーーーーン だが考えている間にもインターホンが再びその音を響かせた。 「・・・まさかつくしに何かあったとか?」 千恵子の言葉に全員がハッとすると進が慌てて立ち上がった。 「俺が出る」 急ぎ足で玄関まで移動すると、覗き穴も見ずに勢いよくドアを開けた。 「・・・えっ・・・?!」 玄関から聞こえてきた声に千恵子と晴男が部屋から顔を覗かせる。 「進、どうしたの? 誰だったの?!」 「あ・・・・・・・・・」 だが進は口を開けて驚愕したまま何も答えようとはしない。 一体どうしたというのだろうか。 「ちょっと進、一体何が・・・・・・」 コツン・・・ 痺れをきらした千恵子が一歩足を踏み出したのと同時に、高質な靴の音が室内に響いた。 「・・・・・・えっ?!」 正面を見た千恵子もまた進と同じように固まる。 1人残された晴男がどうしたもんだと千恵子の後ろから顔を出した時だった。 「ご無沙汰しています。夜分遅くに申し訳ありません」 「・・え・・・あ、あな、あなたは・・・・・・!」 2人に続いて晴男もそれ以上の言葉を無くしてしまった。 「大事なお話があるんです。聞いていただけませんか」 驚き腰を抜かす3人を前に、6年ぶりに突如現れた男が言った。 その男は高級な黒いコートを身に纏い、昔と変わらぬ堂々たる風格を醸しだしている。 ・・・いや、6年前など比較にならないほど大人になった姿がそこにはあった。 「ど、道明寺さん・・・・・・!」
なんだか昨日の拍手が凄いことになっていてただただびっくりしています( ゜Д゜;) 本当なら今日はお休みをもらう気満々だったのですが、皆さんの気持ちが嬉しくて頑張って書いちゃいました。なんとかギリギリで間に合いました(^_^;) 予告通り、つくしの知らない司と牧野ファミリーのお話になります。 昨日いただいたコメントで、「婚姻届を出しに行ったけど何かしら失敗して結局出せない話」とか、「やる気満々で邸に帰ったら当然の如くF3達が来ていてやり損ねる」など、皆さんどんだけドSやねんと言わんばかりのリクエストが多数ありました(笑) 全部書きたいところですが・・・さすがに全部はムリ(笑) スポンサーサイト
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牧野家の人々 中編
2015 / 02 / 21 ( Sat ) 「ほら、パパっ! もっとそっちに寄って!」
「そ、そんなこと言ってもママ、もうこれ以上行く場所がないんだよ」 「ちょっ、押すなよ父ちゃん!」 「そ、そんなこと言ったってママが」 一枚の畳の中で所狭しと3人がギュウギュウ詰めになって押し問答を繰り返す。 「あの」 「「「 は、はいっ!!! 」」」 正面に座る司のたった一言で全員のお尻が浮いた。 「や、やっぱりお茶を・・・!」 「いえ、結構ですからどうか座ってください」 「は、はいっ・・・」 どうにもこうにも落ち着かなくて立ち上がった千恵子を司が手で制止する。 止められるままに座ると、正面にいる男をあらためて見つめた。 ___ 道明寺司 言わずもがな、日本一の大財閥の御曹司だ。 仮にも娘の恋人・・・・・・だった人物。 6畳一間の空間に座らせるにはあまりにも恐縮過ぎる、生きている世界の違う男。 一体彼がこんな場所に何をしに来たと言うのだろうか? そもそも何故この場所を? 進が言うにはつくしとは別れたと言う。 仮につくしに会いに来たのなら何故わざわざこんな地方まで足を運ぶのか。 それ以前にさっきの会話を聞かれていやしまいか。 壁の薄いボロアパート、会話が筒抜けでもなんの不思議もない。 今思えばとんでもないことを話していたと、さっきから生きた心地がしない。 「まずは」 「は、はいィっ!!」 思わず声が裏返った千恵子に司が少しだけ驚いた顔をしたが、真面目な表情のまま言葉を続けていく。 「こんな時間に連絡もなしに突然押しかけてしまったことをお許しください」 「い、いやっ・・・そんな! 頭など下げないでください! うちはぜーーーんぜん気にしてませんから! ねっ?」 千恵子の問いかけに晴男と進がブンブンと首を縦に振りまくる。 「・・・ありがとうございます。それで、今日はお願いがあって参りました」 「は、はい・・・」 身分の違う男がこんな貧乏人に一体なんのお願いがあるというのか。 よもや貧乏生活を体験してみたいなんてお願いが出てくるわけでもあるまいに。 あまりにも真剣な司の様子に3人がゴクッと大きな音をたてて唾を飲み込んだ。 「つくしさんをうちで預からせていただけないでしょうか」 「・・・え?」 「つくしさんをうちの邸へ連れて行きたいんです」 「そ、それは・・・」 思いも寄らないお願いに3人が顔を見合わせる。 「彼女の事故の原因は私にあります」 「えっ?!」 そんなばかな。 事故が起こったとき彼は遥か遠くの空の下にいたはず。 3人の考えていることがわかったのか、司は首を横に振る。 「いえ、私のせいです。うちの会社のゴタゴタがあって以降、つくしさんには我慢ばかりさせてきました。彼女があんなに辛い目にあっていることも私は知らず・・・本当に申し訳なく思っています」 膝の上に置かれた拳がギリッと握りしめられる。 「そ、そんなっ、事故は誰のせいでもありませんからっ! 不注意だったつくしにも非があるんです。・・・ただ、今つくしは花沢さんのお邸で・・・」 「わかっています。類にも彼女にも話をした上で連れて行くつもりです。ですから許可していただけませんか」 「・・・・・・」 何と言えばいいのか。 すぐにはイエスともノーとも言えずに晴男と千恵子が顔を見合わせた。 「・・・・・・それでどうするつもりですか?」 「・・・進?」 何も言えずにいる両親の代わりに口を開いたのは進だった。 その言葉に司の視線が真っ直ぐに自分に向かってきて思わずその場から逃げ出したくなる。 だがグッと全身に力を入れて自分を奮い立たせると、負けじと司を真っ直ぐに射貫いて言葉を続けた。 「ねーちゃんを連れて行って・・・それでどうしたいんですか?」 「・・・弟?」 「こんなこと俺が言うのはあれですけど・・・・・・ねーちゃんとは、別れたんじゃないんですか?」 その言葉に司の目が大きく見開かれる。 ここに来て初めて表情が変わった瞬間だ。 「す、すいません・・・。でも、ねーちゃんが道明寺さんとはもう会わないって言ってたから、だから俺・・・。大怪我して記憶までなくして、多分今は現実を受け止めるだけで必死なんじゃないかと思うんです。類さんのことだって何も覚えてはなかった。時間をかけて最近になってようやく落ち着いてきたのに、道明寺さんのところに行ってまた環境が変わるなんて・・・」 「・・・・・・」 「それに、もし本当に2人が別れたのだとすれば、いくら記憶がないからってねーちゃんを道明寺さんのところに連れて行っていいのか。俺たちには判断できないんです。それでねーちゃんがまた傷つくようなことがあったら、俺・・・。 ・・・すいません、こんなこと言って」 「進・・・」 そのまま黙り込んでしまった進に誰も言葉を続けることができない。 司も黙って進の話を聞いていたが、しばらく何かを考えるとゆっくりと口を開いた。 「弟」 「・・・え?」 「俺はお前の姉貴と別れてなんかいねーぞ」 「・・・えっ?!」 驚いて顔を上げた進にニッと不敵な笑みを見せる。 「あいつがお前に何を言ったか知らねーけどな、俺はあいつと別れてなんかいねーし、一度たりとも別れようだなんて思ったこともねぇ」 「・・・・・・」 「だがあいつにそんなことを言わせたのは他でもない俺の責任だ。俺が不甲斐ないせいであいつを追い込んだ。そこは否定しない。おまけにてめぇの知らないところであんな怪我までさせて・・・」 ギリッと握りしめた拳に血管が浮き上がる。 「俺はあいつに言ったんだ」 「え?」 「地獄の果てまでお前を追いかけるってな」 「・・・・・・」 過激なセリフに思わず進の口がポカンと開く。 「俺が今まで死に物狂いでやってきたのは何のためだ? 全てお前の姉貴と一緒になるためだ。あいつの記憶がなかろうとそんなことは関係ねぇ。俺たちはな、そういう表面的なところで繋がってるんじゃねぇんだよ」 「表面的・・・?」 「あぁ。俺だって昔、瀕死の状態に陥って記憶喪失にもなった。それでも魂はあいつを求めてた。あいつだけを。お前の姉貴だって今俺を求めてるに違いねぇんだ。薄暗い闇の底で何かを掴もうとして掴めずにもがき苦しんでる、そういう状況なんだよ」 「・・・・・・」 「そんなあいつを俺が引き上げなくてどうする? ・・・まぁ仮に記憶が戻らねーとしても俺は構わないけどな」 「えっ?!」 驚きの声を上げた進にフッと笑った。 「記憶がねーならまたそこから始めていけばいいだけだろ」 「始める・・・?」 「あぁ。魂が求めるものが一つしかないなら、記憶があるかないかなんて関係ねぇんだよ」 「・・・・・・」 その自信は一体どこからやって来るというのか。 少しだって躊躇うことなく言い切る司に進も必死で言葉を探す。 「・・・・・・婚約者がいるって噂は・・・」 「婚約者?」 ぽつりと呟いた言葉に司の眉尻がピクッと上がった。 「し、週刊誌で見たんです。婚約者だって女性を・・・」 「弟」 「は、はいっ!!」 鉄槌が下されると思った進の体が飛び上がった。 「お前は週刊誌の戯れ言と俺の言葉とどっちを信じるんだよ?」 「・・・え・・・?」 恐る恐る視線を上げていくと、予想に反して司の表情は怒っていなかった。 ・・・むしろ笑っている。 自信に満ち溢れたオーラを全身から出しながら。 その姿を見ていたら、それ以上余計な言葉など必要ないと思えてくるから不思議だ。 「・・・・・・道明寺さんです」 それは無意識に出た言葉だった。 何も考えずに口を突いて出ていた。 その言葉に司がニッと口角を上げると、そのまま視線を両親へと移した。 目が合った瞬間、2人が思わず姿勢を正す。 「お父さん、お母さん。今話したとおり私の気持ちはあの時と何一つ変わっていません。どうかつくしさんを私に任せていただけないでしょうか」 「道明寺さん・・・」 「全力で彼女を守ることを誓います」 「・・・・・・」 「・・・・・・パパ・・・」 しばし沈黙が続き千恵子が晴男をチラリと見る。 「・・・・・・道明寺さん」 「はい」 「・・・何とぞ、娘をよろしくお願いします」 たったそれだけを口にすると、晴男は司に向かって深々と頭を下げた。 それを見た千恵子と進も慌てて後に続く。 「・・・ありがとうございます。必ず彼女が心から笑えるようにするとお約束します」 「・・・はい。どうか、どうかお願いします・・・!」 「パパ・・・!」 最後は震えて声にならない晴男の背中に千恵子が手を回した。 司はそんな2人を見届けると再び視線を進に戻す。目が合った瞬間進が明らかにドキッとしたのがわかった。 「・・・弟。 ・・・いや、お前の名前は確か進だったか?」 「はい、そうです」 「じゃあ進」 「・・・! はい」 「いいか、覚えておけ。お前の姉貴を幸せにできるのはこの俺しかいねぇし、この俺を幸せにできるのもお前の姉貴しかいねぇ」 「・・・・・・!」 「どんなことがあってもその真実は揺るがねぇんだよ。だから余計な雑音に惑わされんじゃねぇ。 ・・・わかったか?」 「・・・・・・っ、は、はいっ!」 「・・・よし」 進の返事に満足そうに頷くと、司は静かに立ち上がった。 それを見た3人も慌てて立ち上がる。 「お帰りになられるんですか?」 「はい。今日はこんな遅くに失礼しました。日中はなかなか時間が取れないのでこんな時間になってしまい申し訳なく思ってます」 「いえっ! 本当にお気になさらないでください。道明寺さんがお忙しいのはつくしからもよく聞いておりますから」 どんなことでもつくしの口から自分の話がされていたと聞かされ司の口元が自然と緩む。 だがそれもほんの一瞬のことで、晴男達がそれに気付く前にはもういつもの精悍な顔つきに戻っていた。 「ではつくしさんは近いうちにうちの邸に移ってもらうように手配します」 「よろしくお願いします。皆さんにはお世話になりっぱなしで本当に申し訳ない・・・」 「いえ、当然のことをするまでです。それこそ一切気になさらないでください。むしろ私としてはお礼を言いたいくらいです」 「お礼・・・ですか?」 予想外の言葉に晴男がポカンと首を傾げる。 「どんな理由であれ彼女と同じ空間で過ごせることは私にとってはこれ以上ない幸せですから」 「あ・・・あははは、そうですか。いやはや参りました」 娘の父親を前にしても堂々と言ってのける司の潔さに晴男も笑うしかない。 元々何一つ敵うところなどないのはわかっていたが、まさに天晴れな男だ。 「つくしさんの近況についてはうちの人間が逐一ご報告にあがります。それから私の個人的な連絡先はこちらになります」 「え・・・」 胸ポケットから出された名刺を受け取った晴男の手が震えている。 道明寺ホールディングス副社長の名刺を自分がもらうことがあろうとは。しかもそこには手書きでプライベートな連絡先も書かれている。こんなことが現実に起こっていいのだろうか。 「下に書いてあるのは私の秘書西田の連絡先になります。私が無理でも彼なら連絡がつくはずですから、状況によってはそちらへどうぞ。それから社の方にも皆さんからの連絡は繋ぐように伝えておきますから。遠慮される必要はありません」 「は、はぁ・・・」 一体どんなVIPになったというのだろうか。 司からの言葉が夢かうつつかわからなくなってきた。 一通り説明を終えると、司はあらためて3人を一瞥した後に一礼した。 「私の我が儘に快く理解くださったことに心から感謝します。彼女のことはどうかご心配なさらずに。うちで手厚くお世話させていただきますから」 「い、いえっ、お礼を言うのはこちらの方ですからっ・・・!」 頭を下げた司に3人ともどうしていいかわからずにあわあわするしかない。 とはいえ頭を下げてもなお司の方が視線が上にあるのが悲しいところなのだが。 「では今日はこれで失礼させていただきます。夜分遅くに失礼しました」 「はっ、いえ、こちらこそ何のお構いもできずに申し訳ありませんでした!」 「いえ、完全にこちらの都合で動いたことです。一切お気になされませんように」 「は、はい・・・」 最後までどこか心あらずな3人にフッと微笑むと、司は玄関へと移動した。 司の長い足ではものの数歩で辿り着いてしまうほど狭い空間。 くたびれた靴の中にピカピカと黒光りした明らかに場違いな革靴が威風堂々と並んでいる。 颯爽とその靴を履くと、司はドアを開けた。 「・・・あ」 「え?」 だが体半分がドアから出たところで何かを思い出したように振り返った。 「言い忘れてましたが、つくしさんの怪我が完治し次第プロポーズするつもりでいます。彼女の記憶の有無は関係ありません」 「・・・えっ?」 「彼女がそれを受け入れてくれた暁にはあらためてご挨拶に伺いますので。取り急ぎ今日はご報告まで。・・・では失礼致します」 突然の言葉に呆然とする3人にフッと表情を緩めると、最後に軽く頭を下げて今度こそ司は外に出て行ってしまった。コツンコツンと階段を下りていく革靴の音が少しずつ小さくなっていく。 やがて扉が閉まる音が響くと、音だけでも高級だとわかるエンジン音が徐々に遠ざかっていった。 「・・・・・・・・・今、誰が来てたんだっけ・・・?」 「・・・・・・・・道明寺、司さん・・・・・・」 「・・・・・のソックリさんじゃなくて・・・?」 「・・・・・・・・・いや、多分、本物・・・・・・」 「・・・・・・・・その道明寺様はさっき何ておっしゃってた・・・?」 「・・・・・・・・・・ねーちゃんに・・・プロポーズするって・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「「「 プッ、プロポーーーーズっっっっっっっ????!!! 」」」 綺麗な音色でハモった絶叫は、夜のおんぼろアパートにこれでもかと響き渡った。
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牧野家の人々 後編
2015 / 02 / 22 ( Sun ) 「どうぞこちらへ」
「は、はぁ・・・」 人というのは心の底から驚くとまともに言葉が出なくなるらしい。 50年近く生きてきて、そんなことに今さらながら気が付くなんて。 晴男と千恵子は目の前の光景に、ただただ口を開けたまま気の抜けたような返事をするので精一杯だった。 「こちらがお部屋になります」 「は、はい」 「すぐにお茶をお持ち致しますのでごゆっくりどうぞ」 「は、はぁ・・・」 さっきからびっくりするほど同じ事しか言っていない。 開かれた扉からはすぐには室内が見えない。 言われるがまま中へと足を踏み入れていくと、部屋の奥にようやく目的の人物を見つけた。 「つくしっ!」 「え・・・? ・・・・・・パパ、ママっ?!」 本に落としていた視線を上げるとたちまちその目が大きく見開かれていく。 「あぁっ、無理しないの! 私たちがそっちに行くから座ってなさい!」 「あ・・・うん」 自由が効かないことも忘れて立ち上がろうとしたつくしを慌てて制すると、晴男と千恵子はつくしの座るソファーへと足早に近付いていった。 1ヶ月ぶりに見る娘の顔色はすこぶる良さそうで、宣言通りここで手厚いお世話を受けていることは一目瞭然だった。 「どうしたの? いきなりだからびっくりしたよ」 「あ、いや、ちょっと進のところに行ったものだから。つくしにも会いたくなってね」 「そうなんだ。進は元気にしてる?」 「あぁ。大学も頑張ってるみたいだよ」 「そっかー。あたしも最近会ってないからなぁ」 うーんと伸びをするつくしを見ながら、実は司から是非娘さんに会いに来てやってくださいと言われたから来たなんて言えなかった。というか、そもそもそれ以前に司にそれを言う必要はないと釘を刺されていた。 「それにしても・・・凄いお邸ねぇ・・・」 「あー・・・はは、ほんとだよねぇ・・・」 あまりにも凄すぎて逆に静かな驚きでしか表現ができない。 あれだけ玉の輿を夢見てきた2人だというのに、いざそれを現実のものとして目の当たりにするとびっくりするほど萎縮してしまっていた。 「凄すぎて言葉が出ないでしょ?」 「「 うん・・・ 」」 びびりまくる両親につくしも苦笑いするしかない。 「このお邸で一番狭い部屋にしてくださいってお願いしたんだけどね、一番小さくても30畳ぐらいあるんだもん。参っちゃうよ」 「ほぁ~~~・・・」 ぽかーんと口を開けて部屋中を見渡す姿はまるで少し前の自分を見ているようだ。 「それはそうと怪我の具合はどうなの? 車いすは外れたって言ってたけど・・・」 「あぁ、うん。順調だよ。リハビリの先生もお墨付きをくれてるし。このまま行けばあと1ヶ月くらいでギプスも外れるかもしれないって」 「そうなのか? 良かったなぁ」 「うん。まぁ外れても筋力がおちてるからしばらくはリハビリは続けなきゃだろうけど」 「それでもあれだけの大怪我だったんだもの。大きな後遺症が残りそうになくて良かったわよ」 「うん、ほんとにね。花沢類や道明寺が良くしてくれたおかげだよ」 彼らが手を差し伸べてくれていなければ、貧乏を絵に描いたような牧野家では充分な治療もリハビリも受けられていないに違いない。それはつまり何しら事故の後遺症が残る可能性を秘めているわけで。 至れり尽くせりの看護にはただただ感謝の意しかない。 「 ”道明寺” って・・・。あんた、道明寺さんのことを思い出したの?」 「えっ? あぁ、違う違う! あの人が呼び捨てにしろってどうしても譲らなくて。そんなことできませんって言ってたんだけど、何が何でもタメで話せってうるさいから」 「そうなのか・・・」 「・・・なんで? 何か気になることでもあるの?」 「えっ?! い、いやっ? 何にもあるわけがないだろう?! ねぇ、ママっ?」 「えっ、あ、あぁうん、そうよ! 何もあるわけがないじゃないの! ねぇパパ?」 「「 あはははははは 」」 「・・・・・・・・??」 見るからに何かおかしいが、もともとこの2人はおかしいところだらけだったためつくしもそれ以上は深く考えることをしなかった。 「パパとママも元気なの?」 「もちろん。見ての通りピンピンよ」 「良かった。・・・ごめんね? 休職してるせいで仕送りもできなくて」 「何言ってるの、そんなことは気にしなくていいの!」 「・・・大怪我したお前にそんな心配までさせてしまって・・・本当に申し訳ない・・・」 「あぁっ、パパ! そんなつもりで言ったんじゃないから落ち込まないで! ねっ?」 自分の甲斐性のなさに晴男がどんよりと肩を落とす。 「・・・でもそろそろ真面目に考えなきゃ」 「・・・何をだい?」 「ん? ほら、ギプスも松葉杖も外れたらもうここでお世話になる必要もないでしょ? そうなる前にちゃんと色々考えておかないと。仕事にだって復帰しなきゃならないんだし」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・何? なんか変なこと言った?」 無言のまま自分をじーーっと見つめる2人につくしが首を傾げる。 「えっ? い、いやっ、何でも?! そうだね、考えないとだね、ねぇパパっ?」 「えっ? あ、あぁ、そうだね、ママっ?」 「・・・・・・・・・」 やっぱりどこかおかしい。 とはいえ初めてやってきた大豪邸にちょっとテンションがおかしくなっているのかもしれない。 結局、終始どこか心非ずで落ち着かないまま2人は帰って行った。 「・・・・・・パパ」 「なんだい? ママ」 「道明寺様はつくしの怪我が治り次第プロポーズするって言ってたわよね・・・?」 「・・・あぁ、言ってたな」 「・・・・・・結婚するってことは、つまりはあのお邸に嫁ぐことになるのよね・・・?」 「・・・そうだね・・・」 「「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」」 夢にまでみた玉の輿。 ・・・のはずなのに、夢で見た以上に凄かった現実に、2人は帰りのリムジンの中でもいつまでも心非ずのまま呆然とし続けていた。 *** 「もしもし?」 『・・・ママ?』 「あら、つくしなの? 元気?」 『うん、元気だよ。おかげさまで無事完治しました』 あれからさらに1ヶ月半ほどが過ぎた頃、つくしから牧野家に一本の電話が入った。 『あと・・・記憶も戻ったんだ』 「えっ! 本当に?!」 『うん。色々と心配かけてごめんね?』 「そんなことはいいのよ。むしろいつも心配かけてるのは私たちの方なんだから。そうか、よかったよかった」 『うん。 ・・・あの、さ。ちょっと話したいことがあるんだけど・・・』 「話したいこと?」 『うん。 あの・・・』 妙に口ごもる娘に千恵子がハッとする。 怪我が治り記憶も戻ったこのタイミングであらためて話したいことなど一つしかないのではないか。 『その・・・道明寺にさ、プロポーズ・・・されたんだ』 やっぱり!!!!!!!!! 思わず受話器を放り投げて踊り出したくなる気持ちを抑えて何とか平常心を装う。 隣で何事かとこちらを見ている晴男にコクコクと頷くと、瞬時に何のことかを察知したのか、途端にぱぁっと笑顔に変わった。 「そ・・・そうなの?!」 初耳ですと言わんばかりに大袈裟に驚いてみせる。 大根に失礼なくらいの大根芝居だが鈍感な娘は気付く気配もない。 『う、うん・・・』 「それで? どうするの?!」 そう。気になるのはそこだ。 こうなるシナリオはわかっていたが、娘がそれにどう答えるかまでは台本には書かれていない。 ゴクリと次の言葉を待つ。 『・・・・・・お受けしました』 「え?」 『・・・だから、プロポーズ、・・・お受けしました』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 『・・・・・・・ちょっとママ? もしもし? 聞いてるっ? もしも・・・』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・や」 『え?』 「 ぃやったあああああああああああああああああああ!!! 」 『ちょっ・・・もしもし?! ママ? ママっ?! もしもしっ?!!!』 つくしが必死で話しかけるのもどこ吹く風。 完全に有頂天になってしまった2人はそんなことも忘れてひたすら狂喜乱舞し続けた。 ___ そんな2人がようやく落ち着きを取り戻した頃にそれは起こった。 「牧野さんっ! お宅の前に凄い車と凄い人が来てるんだけどっ?!」 「・・・え?」 激安セールの戦利品を片手に帰ってきた千恵子に気付いた隣人が慌てた様子で飛んできた。 言われたとおりに視線を送ると、ドラマの世界でしかお目にかかれないようなピッカピカの黒塗りのリムジンがボロアパートの前に停まっているではないか。 そのあまりの異質さにご近所さんが野次馬を作っている。 「・・・・・・! 道明寺様だっ・・・!」 「え? あっ、牧野さんっ?!」 あんなものに乗れる人間なんて限られている。 そしてこんなボロアパートにわざわざ足を運ぶ人間など一人しかいない。 千恵子は早川の声を振り切って全速力でアパートへと走った。 「はぁはぁはぁっ・・・道明寺様・・・!」 学生以来の全速力で部屋に戻ると、案の定見るからに場違いな男が既に室内にいた。 向かい合うようにして座る夫が一回りも二回りも縮こまって座り込んでいる。 千恵子の姿を見て安心したのか今にも泣きそうだ。 「ご無沙汰しています。またしても突然の訪問で申し訳ありません」 「いっ、いえいえ! お忙しいのは重々承知しておりますから。どうかお気にならさずに」 「ありがとうございます」 「あっ、今すぐにお茶を入れますから」 「いえ、結構ですからこちらへ来ていただけませんか」 「え、でも・・・」 「お願いします」 一度ならず二度までも。 凄い客人にお茶すら出さないなんて恐れ多すぎると恐縮したが、司の顔があまりにも真剣だったので千恵子はその言葉に従って晴男の隣に腰を下ろした。 またしても6畳一間の極小空間に異質な空気が流れる。 だが今回は2人とも司が言わんとする言葉は予測がついていた。 何故ならそれを予告していたのは他ならぬ彼自身なのだから。 「つくしさんにプロポーズをしました」 やはり。 これはどう考えてもよくテレビで見る 「娘さんをください」 コースに違いない。 晴男はその瞬間が来るのをゴクッと息を呑んで待った。 「彼女もそれを受けてくれました。お約束したとおり彼女を一生守ります。幸せにします。・・・ですから、娘さんはいただきます」 「・・・・・・へ?」 今なんと・・・? 娘さんをください・・・? ・・・・・・じゃないじゃないかっ!! 予想外の言葉に呆気にとられる2人にフッと笑うと、司は綺麗な所作で頭を下げた。 「嘘です。 娘さんを私にください 」 「・・・・・・・・・・・・」 嘘・・・? ということはあれは彼なりのジョーク・・・? ・・・って、彼が言うと冗談にならないじゃないかっ!! 司のペースに惑わされ晴男はプチパニック状態だ。 「お父さん、お母さん、一生彼女を大切にすると誓います。ですから娘さんを私にください」 だが続けられた司の真剣な言葉に晴男も急に現実に引き戻された。 目の前で深々と頭を下げているのは誰なのだろうか。 本来であれば交わるはずのない雲の上の人物がこんな貧乏人に頭を下げている。 そんなあり得ないことが今・・・・・・現実に起こっているのだ。 言葉を出せないでいる背中に千恵子の手が置かれたのを感じると、晴男は正面を見た。 「・・・道明寺さん、どうか顔を上げてください」 晴男の言葉にゆっくりと司の顔が上がる。その目は真剣だ。 「・・・娘が好きな人と一緒になれるのならば、親としてはこれ以上幸せなことはありません。・・・どうか、娘をよろしくお願いします」 「お願いします」 深々と頭を下げた晴男に続いて千恵子も下げる。 気配で司がもう一度頭を下げたのがわかった。 「ありがとうございます。必ず幸せにするとお約束します」 見上げてみると、これまで見たことのないような顔で司が微笑んでいた。 ほんの少しだけ、彼の素顔が垣間見えた気がする。 きっと、娘は自分たちが知らない彼の素顔をたくさん知っているのだろう。 普段見ている姿はあくまでも仮の姿であって、娘にしか見せない素の表情というものがきっとあるに違いない。身分の違いなど何一つ関係なく。 そう思うと娘がとても誇らしく思え、玉の輿かどうかなんて、すっかり頭からは消え去っていた。 「実はもう一つご相談があるんです」 「相談・・・ですか?」 「はい」 予想外の言葉に2人は顔を見合わせる。 「・・・数ヶ月したら私は一度NYに戻らなくてはならないと思います。おそらくですが期間は半年ほどになるのではないかと」 「NY・・・ですか。大変でしょうが道明寺さんですからね。そういうことも多々あるのでしょう。つくしもその間に花嫁修業に励むことと思います」 「いえ、彼女も連れて行くつもりです」 「えっ!!」 あははと笑っていた晴男がピタリと止まった。 「私はもう一秒でも彼女と離れたくはありません。本当なら今すぐにでも入籍したいくらいですが・・・そこは彼女の意思を尊重したいと思っています。ですがこれ以上離れて暮らすつもりはないです。もう二度とあんなことを繰り返さないためにも。そして何よりも私が彼女と一緒にいたいんです」 「・・・・・・」 「ですから彼女を連れて行くことをお許しください」 「・・・・・・・・・・・・もしもダメだと言ったら・・・?」 「その時は許可が出るまでここで説得し続けます。帰りません」 「えっ? ・・・・・・ぷっ、あはははは! 道明寺さんはなかなか面白いですね~!」 どんな反応をするか見てみたくて言ってみたのに、してやられたのは自分の方だった。 さすがは企業のトップに立つ男。 完敗だ。 「ははは。もちろん冗談ですよ。色々慣れない環境であの子も大変だとは思いますが道明寺さんと一緒ならどこでも大丈夫でしょう。娘をお願いします」 「わかりました。ありがとうございます」 「あの・・・道明寺さん」 満足そうに微笑む司におずおずと千恵子が初めて口を挟んだ。 「どうしても聞いておきたいことがあるんですけど・・・」 「何でしょうか」 「その、お母様はこのことは・・・その・・・」 それ以上はもごもごと言葉が続かない。 その言いづらそうな様子が彼女の言いたいことを如実に表している。 「大丈夫です」 「・・・え?」 パッと顔を上げた千恵子に司が力強く頷いて見せた。 「うちの母親のことでしたら問題ありません。とっくに彼女のことは認めています」 「・・・・・・」 「ご存知の通り認めないとなればどんな手でも使う人間です。つくしさんがうちの邸で平穏に過ごせていたのはつまりはそういうことです。どうかご心配なさらずに」 「・・・・・・そう、ですか。・・・良かった」 ほぅっと息を吐きながら安堵したように笑った。それは親としての偽らざる本音だろう。 「それで一つご提案があるんですが」 「・・・?」 「いずれ私とつくしさんはNYへ行きます。期間限定とはいえしばらく日本には帰って来れませんし、できればお2人には東京に来てもらえないかと思いまして。住まいはこちらで準備させていただきますから」 「えっ!!」 「今はまだ彼女の名前を明かしてはいませんが、それも時間の問題です。そうなればどうやってもマスコミが押しかけてくることになるでしょうし、是非そうしてもらえないでしょうか」 「・・・・・・」 思いも寄らぬ提案に戸惑いを隠せないが、司が言っていることも事実そうなのだろう。 相手は普通の家柄ではない。 マスコミの注目を浴びるのはどうやっても避けられない運命だ。 「・・・ありがとうございます」 「それじゃあ」 「ですがお気持ちだけで充分です」 「え?」 「気持ちは大変ありがたく嬉しいですけど、最初から頼りっきりでは娘にあわせる顔がありませんから。娘も色々頑張ってるんです。私たちも人に頼ってばかりじゃなくて少しは自分たちの力で頑張らないと。ねっ、ママ?」 「・・・えぇ、そうですね」 「ですが・・・」 司としてはマスコミの厭らしさをこれでもかと知り尽くしているだけに放っておけない。 しかも自分と結婚することで与えてしまう苦労だ。 「大丈夫です。我が家は雑草一家ですから。ただ、どうしても困った時だけはお願いするかもしれません」 だが司が言葉を続ける前にはっきりと晴男に言われてしまった。 「・・・・・・わかりました。ではこの件は保留と言うことで。必要があればその時は上京していただきますから。そこだけはどうかご理解ください」 「・・・はい。わかりました」 立場上司が心配するのももっともなこと。 晴男はそこは素直に頷いた。 結局、それから約7ヶ月後、司が杞憂していたことが現実となった。 あの世間を賑わせた婚約報道以降、オンボロアパート周辺には連日マスコミが押しかけた。 中にはマナーの悪い連中もいて、近隣住人とトラブルになることも少なくなかった。 困り果てたときに救いの手を差し伸べたのはやはり司だった。 彼は最初からそうなることを予測していたのだろう。 だが、晴男達の考えも尊重すべきだと敢えて身を引いた。 と同時に晴男達に身をもって自覚させるつもりだったのではないか。 自分と身内になるということがどういうことなのかを。またそれを実際に肌で感じないことには納得ができないだろうからと。 全てが司の計算した通りになっていることに、もはや天晴れと拍手をしたい気分だった。 道明寺家の使いの者に連れてこられたのは都内の立派な一軒家。 晴男達が恐縮しないようにと彼としては相当小さい家を準備したようだが、それでも一般人よりは遥かに立派な家だった。セキュリティも完璧だ。 憧れ続けた玉の輿生活だというのに、どこかフワフワと足が地に着かなかった。 「全額は無理かもしれないけどさ、俺がちゃんと道明寺さんにお金返していくから」 恐縮しきりの両親に向かってそう言ったのは進だった。 それなりの大企業に内定を決めていた息子もいつの間にそんなに立派になっていたのか。 親が不甲斐ないと子がしっかり者になるというのは牧野家には当てはまりすぎるほど当たっていた。 晴男はそんな子ども達の成長にホロリと泣いた。 進に大笑いされたのは言うまでもないが。 *** 「ほらっ、パパ! あの飛行機じゃない?!」 「う、うん。いよいよなんだな・・・」 「いよいよなのね・・・」 見上げた空に浮かんだ機体が少しずつ大きくなるのを見ながら、千恵子は手に持っていた鞄をギュッと握りしめた。中には1ヶ月ほど前に司から送られてきた婚姻届が入っている。 既に楓の記名がなされたそれを見たとき、震えて思わず破りそうになったほどだ。 いざ晴男が書き込むときも何度も危うく失敗するところだった。 「あっ、着陸したわよっ!」 「う、うん・・・!」 ゴーッと音を響かせて地上に降り立った機体に負けじと心臓の音がうるさく暴れ回っている。 「それじゃあ牧野様、参りましょう」 「は、はいっ・・・!」 邸の人間に促されるようにして前を見ると、最後の 「牧野つくし」 をしっかり胸に焼き付けるために2人は力強く一歩を踏み出した。
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