忘れえぬ人 6
2015 / 08 / 03 ( Mon ) 『 道明寺司 』
つくしが無意識に口にしていた己の名前が聞こえたのか、司の鉛のように鈍い色をした瞳が目の前の女を捉える。だがそれもほんの一瞬のことで、目が合ったかと思った時には既にもう全く違う方向を向いていた。 まるでそこには最初から誰もいないとでも言っているかのように。 「・・・司。 なんでここに?」 しばらく忙しいと言っていたから誰一人として声はかけていないはずなのに、何故ピンポイントでこの場所がわかったのか。 「お前のSPから聞き出したんだよ」 「・・・随分うちのSPは口が軽いんだな」 「ふん、別に隠すような情報でもねぇだろうが」 「まぁね」 クスクスと肩を揺らす男のすぐ隣へと長い足が一気に近づく。 「あの女の情報を教えろよ」 「・・・・・・それはこの前断ったはずだけど?」 「関係ねーな。俺の方こそ言っただろ。何が何でも口を割らせるって」 「割らせるって・・・何、オノでも使って真っ二つにするの?」 「・・・ふざけてんじゃねぇぞ」 飄々と笑って流す姿がいつにも増して司を苛立たせる。 だが胸倉を掴もうと右手に力を入れたその刹那、類の顔からその笑みがスーッと消えた。 「ふざけてなんかないよ。俺は真面目に断ると言ったはずだ」 「何?」 「誤解がないように言っておきたいんだけどさ、俺たちが親友であることに何ら変わりはないよ? でも全てに於いてそれが通用するわけじゃない。殊にビジネスにおいては話が別だ。いくら相手がお前だからって俺は何でもイエスマンになるわけじゃない」 「・・・」 「お前がこの4年をお前なりに過ごしてきたように、俺だってそれなりにやってきたんだ。できないことはできない。それだけだよ」 「・・・」 喜怒哀楽いずれも見えない表情は全身で 「否」 と言っている。 全く抑揚のないその態度が殊更司の神経を逆なですると知ってか知らずか。 ・・・いや、この男がそんなことに気付かないはずがないのだ。 舐め腐った態度を力技でボコボコにしてやろうか。 ・・・だが。 たとえ半殺しにしたところでこの男の意にそぐわないことを認めさせることは不可能だろう。 それもまた己自身が誰よりもわかっていることだった。 司はギリギリと血管が浮き上がるほどに右手を握りしめる。 「・・・・・・お前がその姿勢を崩さねぇつもりなら俺も強攻策に出るぞ」 「何、俺の会社でも潰すつもり?」 「ふん、お前がそうしてくれっつーならいつでもやってやるけどな」 「ははっ、頭下げるのは俺の方なんだ?」 実に楽しそうに肩を揺らす。 「ちなみにどんな伝(つて)を使っても情報は割れないよ」 「・・・何?」 「お前が相手だとそれくらいしなきゃダメだからね。まぁそれでも頑張るってんなら止めはしないけど」 「・・・・・・チッ!」 忌々しい。 おそらくこの男の言っていることははったりではない。 やっぱり死なない程度に数発殴ってやろうか。 「俺が情報を掴んだ時には俺の自由にさせてもらう」 「・・・それはどうかな。でもまぁまずはできたらの話じゃない?」 「できるかじゃねぇ。やるんだよ」 「フッ・・・そう。じゃあ頑張って」 ニコッと見せる笑顔は本音か嫌味か。 きっとどちらでもあってどちらでもない。 鋭く睨み付けたところで寸分たりとも効き目のない男をそれでもしばしの時間睨み付けると、くるりと男達に背を向けた。 「 あ、あのっ! 」 だが同時に響いた女の声に足が止まる。 いつもなら絶対に止まることなどないというのに、何故かそれは無意識になされた。 ゆっくりと振り返ると、1人の女がどこか挙動不審に立っている。 ・・・こいつらの女か? この中の誰かをダシに真の目的の男へなびいてくる女は昔から後を絶たない。 「あのっ、ちょうどよかったです。実は先週花沢物産であなたとぶつかって・・・」 チッ、面倒くせぇ。 司は心の中で舌打ちすると、一切の反応を見せずに再び背を向ける。 「えぇっ?! ちょっ・・・ちょっと、待ってくださいっ!!」 だが次の瞬間、こともあろうに女が腕を掴んで引き止めた。 命知らずのその行為に一気に司の怒りのボルテージがマックスへと到達する。 「・・・手を離せ」 「えっ? ・・・あっ、ごめんなさい! 無意識に・・・ひっ!」 ガンッ!! 長い足が一瞬にしてつくしの真後ろの壁を蹴り上げる。 突然のことにつくしは何が起こったのかわからない。 が、すぐ目の前に見える男のあまりにも冷徹な表情に思わず息を呑んだ。 こ、怖い・・・! カタカタと、体の芯から震えが止まらない。 「てめぇ・・・この俺に無断で触るとは死にてぇのか?」 「・・・っ!」 「おいおい司っ、ちょっと待てよ! こいつはお前のダチだぞ!」 「・・・あ?」 突然間に割って入ったあきらの言葉にますますその顔が険しくなる。 「覚えてねぇか? 昔言っただろ、牧野つくしは俺たちのダチだって」 「・・・」 牧野つくし・・・? 聞いたことも見たこともない女にまたこいつらが適当なこと言ってるのだろうと怒りが湧く。 ・・・だがうっすらと、ぼんやりと、光のような何かが司の脳裏を掠める。 始めこそ本当にぼんやりとしていたが、やがていつだったか、あの世との境目を彷徨った後に妙に自分を苛立たせる女がいたことを思い出す。 「・・・あの時の類の女か?」 「えっ・・・?」 一瞬つくしに向けられた視線はまたしてもすぐに逸らされてしまった。 そのかわりに捉えたのは隣にいた男。 「おい、類。俺はあの時も言ったよな? てめぇの女の始末はてめぇでやれって」 「あ、あのっ、一体何のことですか?! あたしは・・・」 「それともあれか、類1人じゃ飽き足らずこいつらも食ってんのか? どう見てもそんな価値のある女には見えねーけどな。とはいえ女ほど裏表を使い分ける生き物はいねーからな」 ゲスな生物でも見るかのように嘲り笑う。 つくしはそれが自分に対して発せられていることだと気付くのにしばらくの時間を要した。 「なっ・・・? ちょっと! 一体何を言ってるんですか?! 意味わかんないこと言わないでください! あたしはただこの前ぶつかったときにあなたが落としたこのネクタイピンをずっと返そうと思って、それで・・・!」 テーブルの上に置かれていた箱を掴んで目の前へと差し出す。 と、司の視線が確かにそれをその目に捉えた。 ___ だが。 「・・・クッ。 ・・・で?」 「えっ?」 やっとのことで持ち主に返せると安堵したのも束の間、何故か男の表情はさっきよりもずっと冷え切ったものになっているのは気のせいか。 「掴んだ絶好のチャンスをものにしたいってか? いかにもゲスい女の考えそうなことだな」 「なっ・・・!」 「おい司っ、牧野はそういう女じゃねぇっつってんだろ!」 「ふん、こいつらまで丸め込むたぁ人は見かけによらねーな。残念だったな。こいつらを騙すことはできても俺だけはそうはいかねーぞ」 「な、何を言ってるんですか?! ふざけないでください!」 「てめぇこそふざけてんじゃねーぞ」 「・・・っ!」 スーーッと引いていく表情に背筋が凍り付く。 言葉にできない、そこはかとない恐怖がつくしに襲いかかる。 「じゃあ類、そういうことだから覚悟しておけよ」 「・・・」 既につくしを意識から遮断すると、司は類に駄目押しの一言を告げてあっという間にその場から消えた。呆然とするつくしを前に、何故か総二郎とあきらがバツが悪そうな顔で苦笑いしている。 「ったくあいつ・・・マジで変わってねぇんだな」 「まぁ手が出なかっただけでもマシか」 「だな・・・」 「牧野、大丈夫?」 類の手が肩に置かれた瞬間、まるで鞠が跳ねるかのようにつくしの体が揺れた。 「あ・・・」 「大丈夫? 顔色悪いけど」 「・・・・・・」 「あっ?! おいっ、牧野っ!!!」 だが答えるよりも先につくしの体は走り出していた。 男達の言葉など何も入ってこずに、無意識に。 小さな箱を握りしめたまま、ただ前だけを見て全速力で駆け抜ける。 「はぁっはぁっはぁっはぁっ・・・!」 一体どれだけ足が速いというのか。 出て行ってからまだほんの1分にも満たないのに、どこまで走って行ってもその姿が見えない。 息も絶え絶えになりながら、必死に、ひたすら必死に走り続ける。 ___ と、店を出たすぐ先で黒いリムジンに乗り込もうとしている男の姿が見えた。 「待ってくださいっ!!」 張り上げた声に確かに男は一瞬だけこちらを見た。 にもかかわらず何事もなかったかのように車内へと体を滑り込ませていく。 「待って・・・待ってっ!! お願いしますっ!!!」 どうして自分はこんなに必死になっているのか。 こんな目にあうくらいならいっそのこと交番にでも届けた方がよっぽどよかった。 あの3人に無理矢理押しつければよかった。 それなのに、どうしてあたしはこんなに必死なんだろう。 ガツッ!! 「痛っ・・・!」 閉まるまさにその瞬間差し込んだ手が無情にも扉と車体に激しく挟まれる。 腕に走った激痛に思わずつくしの顔が苦痛に歪んだ。 「だっ、大丈夫ですかっ?!」 自動ドアを閉めようとしていた運転手らしき人物が真っ青な顔でつくしの元へと駆けてくる。 「あ・・・大丈夫です・・・ごめんなさい」 「ですが腕が真っ赤に・・・骨は・・・」 「ほんとに大丈夫ですから! ご迷惑をおかけして申し訳ありません!」 戸惑う運転手を前につくしがひたすら頭を下げていると、フッと目の前に影がかかった。 反射的に見上げると、先と何一つ変わらない顔で司が自分を見下ろしている。 だが車から降りてきてくれたのだとわかるとひとまずほっと安堵した。 「あの、本当にごめんなさい! でもどうしてもこれだけはあなたにお返ししたくて・・・。あたし、こんな高価なものをずっと持ってるなんてできないんです。皆にお願いしても断られて、会社の受付の方に渡そうとしてもダメで・・・これ以上どうしていいかわからなくて。でもやっと今日お会いすることができたんです。だからこれはあなたが持ち帰ってくだ・・・」 スーッと伸びてきた綺麗な手がおもむろにつくしの手から小箱を取り上げる。 これでやっと持ち主の元へ返って肩の荷が下りた。 つくしがほぅっと息を吐き出した ____ 次の瞬間。 シュッ! カタンカタンカタン! そこにあったはずのものが綺麗な放物線を描いて反対側の車線へと消えた。 「 ・・・・・・・・・・・・え? 」 今一体何が起こったのか。 全く想定だにしない現状につくしは何一つ反応することができない。 「俺の持ちもんなら俺がどうしようと自由だ」 放心状態のつくしに冷たい声が降り注ぐと、司は再びその体をリムジンの中へと戻した。 運転手の男が心配そうにつくしを何度も振り返るが、主の命令には逆らえないのか、やがて車が音もなく目の前から立ち去っていく。 徐々に小さくなっていく黒塗りの車を、離れた場所に転がる箱とヘッドライトを浴びて時折キラキラと光を放つ小さな輝きを、つくしはいつまでもその場に座り込んだまま呆然と見続けていた。
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忘れえぬ人 7
2015 / 08 / 04 ( Tue ) 「全く、あんたもほんと無茶する」
「・・・ごめん」 グルグル巻きにされた左手を見ながらしょんぼりと項垂れる。 廊下の椅子に腰を下ろしたまますっかり消沈してしまったつくしの頭を、類が優しく何度も何度も撫で続けてくれている。その優しさにグッと込み上げてきそうになるものがあったが、強く目を閉じてつくしは静かにそれに耐えた。 リムジンが完全に視界から消え去ってどれくらいの時間が経ってからだったのだろうか。 よろよろとふらつきながらつくしが目指したのは、無残に投げ捨てられたあの箱の元だった。 パッパーーーー!! 「バカ野郎、死にてぇのかっ!!」 遅い時間とはいえ、都会の街はそう簡単には眠らない。 次から次に流れ来る車の隙をついてやっとのこと辿り着くと、つくしにとってはそれすらも高級であったビロードの小箱は原型を留めないほどに変わり果てていた。 震える手で拾い上げると、それが守り続けていた中身を必死で探す。 「・・・あった!」 1メートルほど先にキラッと光ったのは紛れもなくあのタイピン。 これだけの交通量がありながら、奇跡的に全くの無傷でその輝きを携えていた。 何故だか吸い寄せられるようにそれへと手を伸ばす。 こんな目に遭ってまで、どうして自分は尚も放っておけないのか。 貧乏人ゆえの性か、理由など考えたところでわかるはずがない。考えるよりも先に体が動いてしまうのだから。 「危ないっ!!」 「きゃっ?!」 ドサドサドサッ!! 伸ばした手に確かにその感触を感じた瞬間、突如現れた人影につくしの体は吹き飛ばされていた。その拍子に手から零れ落ちた小箱がすぐ目の前でグシャリと音をたてて完全に潰される。 一瞬切れたと思っていた車の波がいつの間にか絶え間ないほどに連なっていたことに全く気が付かなかった。 「お前、何やってんの! 死にたいのかっ?!」 「え・・・?」 ただ目の前のことに必死で一体何が起こったのか。 呆けた顔で自分を見上げるつくしに、珍しく怒りを滲ませていた類がはぁっと息を吐いた。 「・・・とにかく、ここは危ないから戻るよ」 「花沢類・・・?」 「何、今頃気付いたの? あんた一体どこに旅してたのさ」 「・・・」 未だ現状が掴めていないつくしの肩を引き寄せると、まるで指先から魔法でも使っているかのようにするすると車の間を抜けていく。そこでは総二郎とあきらが心配そうに2人が戻って来るのを待ち構えていた。 「牧野、大丈夫か?! お前、なんだってあんな危険なところに・・・って、それ・・・」 剥き出しになったタイピンを震える手で握りしめている姿で全てを悟る。 昔の司がやりそうなことなど想像するに難くない。 あきらは落ち込むつくしを宥めるようにそこかしこについた泥を黙ってはたいていく。 「痛っ・・・!」 「え?」 だが左手付近を払った瞬間顔を歪めた姿にその手が止まった。 「お前・・・まさか怪我してんのか?!」 上流階級の人間の特権だろうか、遅い時間にも関わらず連れてこられた病院で診察を受けると、幸いにも左腕の骨に異常はなかった。だが医師の診断によれば、ヒビが入る一歩手前だったらしい。既に患部が腫れてひどく鬱血してはいるが、あの状況でそれだけで済んだのはある意味奇跡的だと言った方が正しいのかもしれない。 だがつくしの心は晴れなかった。 何がこんなにもショックなのかはわからないが、目に見えない靄がかかって一向に消えてはくれない。 「花沢類・・・ごめんなさい。 こんな怪我なんてしちゃって・・・」 「なんでお前が謝る? まぁ車道に飛び出したことに関しては怒ってるけど、その怪我は牧野のせいじゃないだろ」 「でも・・・」 「大丈夫だよ。手なんて服装でどうとでもなるんだから。だから落ち込む必要なんてない」 「・・・・・・」 無言でキュッと握りしめたタイピンが類の視界に入る。 「あんたもほんと、お節介って言うかバカっていうか。そんなもん放っておけばいいのに」 「そんなもんって!」 聞き捨てならない台詞にカッと血が上る。 「だってそうだろ? そんなもんのために万が一命を落としたらどうする? あの状況ではその可能性が大いにあったんだ。それでもあんたはそんなもんの方が大事だって言うわけ?」 「それはっ・・・」 あまりの正論に返す言葉も見つからない。 「あんたの性格はよく知ってるつもりだけど。でももっと冷静に状況を判断しろよ。正義感のあまりそれ以上に大事なものを失ったら何の意味もないだろ」 「・・・・・・」 ぐうの音も出ないほど論破され、またしてもがっくりと俯く。 「・・・司はさ」 「・・・え?」 静かに口に出された名前に反射的に顔を上げると、類はどこか遠くを見るように前を向いていた。 「あいつも、お前と同じで迷子になってるんだ」 「・・・どういうこと?」 意味不明な言葉に首を傾げる。 「あんたと同じで失った自分の欠片を探して藻掻いてるってこと」 「・・・え?」 失った自分・・・? それって、つまり・・・ 「あれがあいつの本来の姿かって聞かれたらそうだともそうじゃないとも言えない。ただ、あれが全てじゃないとだけは言える」 「でも、だからって・・・!」 「うん、あんたの言いたいことはわかる。でも司って元来ああいう人間だったんだよ。もっとひどいときもザラにあったけど」 「・・・」 戸惑いを滲ませるつくしの頭をくしゃくしゃっと撫でると、ニコッと王子様然とした笑顔に変わる。 「ずっと前にも言ったと思うけど、司は俺たちの親友であるし、あんたの友人でもある」 「友人・・・」 「そう。たとえ今こういう状況になってたとしても、その事実は不変だよ。だからって無理に昔を思い出そうと焦る必要なんてない。思い出せなくたってあんた達の命にかかわるわけでもない。あんたも司も、お互いの今のありのままを自然に受け入れればいいだけなんじゃない?」 「ありのままを・・・?」 「そう」 「・・・・・・」 ありのままを、受け入れる・・・? どういう意味・・・? 「さ、もう遅いし帰ろう。送ってくよ」 「あ、ありがとう・・・」 *** 「類が言ってたことって、どういうことなんだろう・・・」 類ははっきりと明言したわけじゃないけれど、多分あの人もあたしと同じで何かしらの記憶がないということなんだろう。 自分の記憶の一部が失われてるとわかった時に彼らの口からしきりに出ていた 「司」 という名前。自分の欠けた記憶に 「彼」 が含まれているということを知ったのはその時だった。 でも、だからといってどうすることもできなかった。 実際、 「その人」 はどこにもいなかったのだから。 詳しいことはわからないけれど、その時既に日本にはいないと聞かされたのはそれから少し経ってからのことだった。最初は無くした記憶を取り戻そうと必死になった。でも、身近にない記憶を取り戻すのは難しく、そんな自分を見かねたのか周囲も変にプレッシャーを与えないようにしてくれていたからか、次第に意識することもなくなっていった。 だからこの前偶然ぶつかるまで、正直その存在を忘れてしまっていた。 類や総二郎、あきらに対して感覚の違いを感じることは少なくない。 住む世界の違う彼らと何がきっかけで友人になったのかはよく思い出せない。それでも、その事実は思いの外すんなり受け入れられたし、実際一緒にいて楽しいと思うことが多い。 わからないことが多くて申し訳ないと思う気持ちもあるけれど、今ある友情を大事にしたいと思っていた。 いつか 「その人」 に会える時が来るのなら、その時はその時同じように・・・と。 けれど・・・ 「はぁ~~~~、なんかすっっっっっごい屈折してない? あの人・・・」 冷たいのは雰囲気だけじゃなかった。 むしろ中身は想像以上にもっと酷かったと言った方がいい。 類が言うにはあれより酷いこともザラにあったらしい。 ・・・一体どんなのよ?! 「あんなのとほんとに友達だったの? 信じられない・・・」 まだわずかしか接していないが、きっと自分にとって彼が最も嫌いなタイプの人間だということは直感でわかる。そんな人と何をどうすれば仲良くなんてなれたのだろうか? わからない・・・全くもってわからない。 左腕に巻かれた包帯を見れば見るほどその思いは強くなる。 「正直もう会いたくないなぁ・・・」 ぽつりと出たのは紛れもない本音。 ろくな目にあわない未来しか想像できずにげんなりする。 それなのに・・・ カパッと開いた箱の中に鎮座する2つの輝き。 どうしてあの時あんな危険を冒してまでこのタイピンを取りに行ったのか。 あの人の言う通り、自分の持ち物をどうするかは個人の自由だ。 たとえそれが理不尽な行動なのだとしても、赤の他人が口出しする権利なんてない。 宝石に興味なんて全くない。 こんなものが手元にあったら嬉しいどころか不安でしかない。 しかも自分のものではないものを手元に取り戻して一体どうしようというのか。 あの人に返しに行ったところで受け取ってもらうことは1000%不可能だと証明されたというのに。 じゃあ一体何故? 「はぁ~~~、あたしもバカだなぁ・・・」 自分でも答えのわからない行動に、つくしはその日ほとんど眠ることができなかった。 「牧野様は大丈夫だったでしょうか・・・」 「・・・あ?」 独り言のように小さく呟いた一言ですらこの男は耳ざとく聞きつける。 「あっ、いえっ! ただ、先程の女性の怪我が気になって・・・」 「フン、あの女が勝手に手を入れたのが悪いんだろうが。知るかよ」 「・・・はい」 心配なのはともかく、それにしてはやたらと落ち込んでいるように見えるのは気のせいか。 「・・・お前、もしかしてあの女のこと知ってんのか?」 「えっ?! い、いえ、それはっ・・・」 「・・・・・・」 これ以上聞くまでもない。 使用人ですらあの女の存在を知っているということは、どうやらあいつらが言っていた 「ダチだった」 という言葉はあながち嘘ではないらしい。 だが、あの女は何故かこの自分をイライラさせる。 4年前もそうだったように。 「チッ、余計なことを思い出させやがって・・・」 今の司には、沸々と湧き上がるやり場のない苛立ちの正体などわからなかった。 この時既に2人の運命の歯車が再び動き出していたことなど、気付くはずもなく ___
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忘れえぬ人 8
2015 / 08 / 05 ( Wed ) 「今日はまたあっついな~」
「ほんとですね~。足元からジリジリ焦げそうです」 真上から降り注ぐ太陽にアスファルトから発せられる熱。 おまけに次から次に流れてくる人の波でぐったり酔いそうだ。 目の前の信号よ早く青になれと念を送らずにいられない。 「今日は土曜なのに駆り出して悪かったな」 「とんでもないっす。勉強になって逆にありがたいです」 「あたしもです」 「ハハッ、お前らなかなかいじらしいこと言ってくれるじゃねーか」 社長に言ったのは嘘偽らざる本音。 一番下っ端であるつくしと大塚を引き連れて大事な大事な契約の場へ赴くなど、そんな勇気のある社長はそう多くないだろう。だが立場に関係なくバンバン経験を積ませてくれる、その人柄こそがこの社長の最大の魅力であった。 結果的にそれが順風満帆な仕事の依頼へと繋がっているのかもしれない。 「どうだ、時間があるならこの後昼メシでもご馳走してやるぞ」 「マジっすか! 俺、この前の天丼食いたいッス!」 「おいおい、お前要求がでかすぎだろ。ったく・・・。牧野はどうだ?」 「あ・・・ごめんなさい。この後は用事があって」 「そうか。じゃあまた今度だな」 「はい。せっかくのお誘いなのにすみません」 「お前最近付き合い悪くねーか?」 「ごめん、たまたまタイミングが合わないっていうか・・・」 本当にタイミングが悪いだけなのだからそれを言われてしまってはどうしようもない。 「お、この広告、いつも謎だよな~」 「え?」 社長の視線の先を追うと、交差点の先にある大型ビジョンに1人の女性が映し出されていた。 白いワンピースを風になびかせながら自然のど真ん中で立っている幻想的な映像。 だが、最初から最後まで見えるのは後ろ姿だけ。それでも何故か目を奪われてしまう、独特な雰囲気をもつ広告だ。 「この女の正体って謎だよな~」 「もう何年続いてるんでしたっけ?」 「どうだっけなぁ・・・そういえばお前達がうちに入社したくらいからじゃねーか?」 「もうそんなになるんですかね。広告で同じシリーズがこれだけ長続きするってのも異例ですよね」 「なんかわかんねーけど、神秘的で惹きつけられるもんがあるからだろうなぁ。出演者も何もかも一切情報が明かされてないってのがそれに拍車をかけてるってのもあるだろうし」 「一体誰がやってんだか。女優か、モデルか・・・はたまた意外と一般人だったりして」 男同士の会話を信号を眺めながら右から左に受け流す。 早く変われと更に強く念を送りながら。 「おい牧野、まさかこれお前じゃねーよな?」 「えっ!!!! なっ・・・な、何バカなこと言ってんの?!」 「ははっ、何そんなに焦ってんだよ。誰も本気でそんなこと思っちゃいねーっつーの。大体お前こんなに女らしくねーだろうが。バーーカ」 「なっ・・・うるさいわね! 別にいいでしょっ?! あんたこそいつまでも子どもみたいなことしないでよね!」 叫んだのと同時に信号が青へと変わる。 「あっ、じゃああたしはここで。社長、お疲れ様でした!」 「え? あぁ、じゃあな。お疲れ様!」 「はい! ・・・べーっ!」 隣に立つ大塚に盛大に舌を出すと、つくしはもう一度社長に頭を下げてから足早に横断歩道を駆けていく。あっという間に人混みに消えていったその後ろ姿を、残された男2人が黙って見つめていた。 「・・・お前、今のままじゃ絶対ムリだぞ」 「・・・わかってます。でもあいつ見てるとついつい・・・」 「あいつも相当鈍いからなぁ・・・。ま、俺としちゃお前みたいな色男が思い通りにならずにわちゃわちゃしてるのを見るのは楽しいからいいんだけどな。 さ、うまいもん食いに行くかー」 「・・・・・・」 ポンッと背中を叩いて実に楽しそうに社長が歩き出すと、大塚は再び点滅し始めた信号を見ながら特大の溜め息をついた。 *** ドクンドクンドクンドクン・・・! 「・・・あ~っ、びっくりした、びっくりしたぁ~~~っ!!」 電車に飛び乗った途端一気に心臓が暴れ出し、おまけに変な汗まで出てきた。 大塚の口から飛び出した何気ない一言にまさかこんなに動揺してしまうとは。 「っていうか冗談でもそんなこと言う人なんていなかったんだもん・・・!」 落ち着け、落ち着けつくし。 彼の言葉は自分でも言っていたとおり何の裏もないものなんだから。 いつもの延長でからかっただけ。 ただそれだけのこと。 「深呼吸、深呼吸・・・」 フーハーフーハー酸素を大量に吸い込むと、心を落ち着けるようにひたすら窓の外の景色へと意識を集中させた。 「こんにちは~!」 ヒョコッと顔を出すと、カメラを覗き込んでいた女性が振り返った。 「あ、つくしちゃん。いらっしゃ~い!」 「お疲れ様です。・・・あの、花沢類から聞いてますか?」 「聞いてる聞いてる。左手怪我したんだって?」 「ほんとにすいません。私の不注意でご迷惑おかけしてしまって・・・」 「大丈夫大丈夫。衣装で隠せば何の問題もないから。ちょうど季節も秋冬物だし一石二鳥だよ」 「よかった・・・」 カラッと笑顔で返されて、どうやら必要以上に心配していたのだとひとまずは安堵する。 仕事として引き受けている以上、迷惑をかけるわけにはいかない。 今さらながら本当に無茶をしたもんだと猛省しきりだ。 「じゃあ来て早々で悪いけど、着替えてきてもらっていいかな?」 「あ・・・はい!」 指示通りに急いで更衣室へと移動すると、既に準備されていた衣装を手に取った。 「わ~、今回ちょっと短くない?」 いつもより短いスカートの丈に思わず本音が漏れる。 多くが膝丈あるいはロングだが、たまに太股が見える衣装の時がある。貧相な体だと自覚しているだけに決して太い足ではないと思うが、むしろだからこそ出すのが躊躇われる。 「あ、ほんとだ。袖は長い」 そのかわりと言ってはなんだが、最も気にしていた腕の部分はフワリとしたシフォン素材ですっぽり覆われて全く心配いらなそうだ。これから先の季節を意識しているためだろうか、前回の真っ白から一転、えんじに近い深みのある色で、それだけでもグッと妖艶さが演出されている。 「・・・よしっ!」 着替えの時間がつくしにとってスイッチ切替の瞬間。 自分に気合を入れ直すと、つくしは手早く身につけているものを外し始めた。 「じゃあ今回はそこに敷き詰めてある落ち葉を無造作に拾っていって欲しいの」 「わかりました」 スタジオ内にセットされた落ち葉の中央に立つと、つくしは指示通りに色づいた葉っぱを拾い上げていく。その度にパシャパシャとシャッター音が響き渡る。カメラマンの女性は角度を変えながらひたすらシャッターを切っていくが、決まって後ろから撮っているのが特徴的だった。 「じゃあ今度は手にした落ち葉を上の方から落としてもらっていい? 掬い上げた水が零れ落ちていくような感じで」 「はい」 大きく頷くとまたしてもつくしは言葉通りに従っていく。 ハラハラと赤く色づいた葉っぱが衣装に同化するように落ちていく様はとても幻想的だった。 顔は見えないが、逆に見えないからこそ見る者の想像力を余計に掻き立てていくようで。 そう広くはないスタジオの中にいるのは被写体であるつくしとカメラマンの女性。そして衣装やメイクの手直しをする女性が1人。 何かの撮影にしてはいささか寂しいと言わざるを得ない。 しかも一見すればここにスタジオがあるだなんて誰も気付かないだろう。 外観はどこにでもあるオフィスビル。 その一つに表向きには会議室と謳ったスタジオが存在するのだ。 知る人ぞ知る、トップシークレットのスタジオが。 それは、ある重大な秘密を隠し通すために徹底されていたことだった。 この数年世間を騒がせてきた謎の女性が、牧野つくしであるということを _____
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忘れえぬ人 9
2015 / 08 / 06 ( Thu ) 「じゃあさ、今度うちの会社のモデルになってくんない?」
「・・・・・・・・・は?」 始まりは、そんな間の抜けた会話からだった。 ・・・いや、今思い出してもその反応になって当然だったと思う。 ___ 4年前、あたしは記憶の一部を失った。 ある日病院で目覚めたあたしを心配そうに見守っていたのは家族達、そして友人達。 自分自身覚えていないけれど、乗ったタクシーが事故に遭ったとかであたしまで巻き込まれてしまったらしい。幸い命に別状はなかったものの、強く頭を打ったせいで3日ほど目を覚まさなかったようだった。 そして目を覚ましたあたしからは一部の記憶が欠け落ちていた。 しきりに会話に出てくる 「司」 という名前に首を傾げ続ける様子でそのことが発覚したのだ。 花沢類をはじめ、元来住む世界の違う友人達のことはちゃんと覚えていた。 けれど、同じ 「仲間の一人」 だというその男性のことは何一つ思い出すことができなかった。 少しずつ記憶を辿っていく中で、忘れてしまっているのはその男性のことだけではないということがわかっていった。類達との思い出も、わかるものとわからないものが存在する。 たとえば、彼らと友人関係にあるということはしっかりインプットされていても、何がきっかけで友情が芽生えたのかははっきり思い出せない。いくつもの記憶が点在していても、それを線と線でうまく繋げられないものがある感じだ。 それは、もしかしたらその男性にも関わる記憶なのかもしれない。 けれど、どんなに必死に思いだそうと藻掻いても、この4年決して取り戻せたものはない。 最初は怖くて不安で焦ってばかりだったけれど、それでも時間は流れていく。 戸惑うあたしを立ち止まって待ってはくれないのだ。 『 記憶があってもなくてもあんたがあんたであることに変わりはない 』 ある時類がかけてくれたその言葉が、雁字搦めになっていたあたしの心を救ってくれた。 あたしはあたし。 そう思ったら、強ばってガチガチになっていた体中から面白いくらいに力が抜けていったのだ。 それ以降、無理になくした記憶を辿ることはやめた。 実際、思い出せないからといって日々の生活を送るのに何ら支障はなかった。 それは欠けた記憶である 「その人」 が身近にいなかったからなのかもしれないけれど。 それに現実問題、あたしには悠長にそんなことばかり考えている余裕もなかったのだ。 事故に遭って入院したということは当然ながら入院費用だって発生する。類がお金の心配はいらないと言ってくれたけど、絶対にそんなことはできないと思った。 ・・・とは言っても、情けないことにすぐに手出しできるほどの経済的余裕は我が家にはなく、やむを得ず立て替えてもらうという苦渋の選択をした。 それからはバイトを増やして学校とバイト先の往復の日々。高校卒業後は就職するという選択肢以外端からなく、それと平行して就職活動も必死でやった。 ありがたいことに就職先も決まり、類への借金ももうすぐで完済、一件落着・・・となるはずだったその矢先、とんでもないことが発覚したのだ。 なんと、またしてもパパが借金していたのだと! あれだけ痛い目にあっておきながら喉元過ぎればなんとやら、見極める能力もないくせに甘い話にまんまと手を出して、案の定あっという間に資金調達が暗礁に乗り上げてしまい・・・サラ金に手を出してしまったのだ。 しかも金額が数百万。 あまりの不甲斐なさっぷりにいっそのこと破産宣告して親子の縁を切ってしまおうかとすら瞬間的に思った。 ・・・当然ながら冷静になればそんなことできるはずもなく。 ゴールが見えかけていたのが一瞬にして暗黒の世界へと逆戻り。 バイトを増やして必死に働いたところで返せるお金はたかが知れている。 おまけに4月から社会人ともなれば、思うように時間を作り出すことだって難しくなってしまう。 ・・・最悪、就職を諦めて夜の世界に出るしかないかもしれないと、本気で考え始めていた。 そんな時に類から言われたのがあの一言だった。 『 モデルになってくんない? 』 言われた言葉の意味が何度考えてもわからなかった。 モデルって何? 貧乏人向きの専門誌でもこの世には存在するんだろうか? 「今度俺が担当を任された広告があってさ。色々考えたんだけど、名の知れた芸能人使うより正体不明の素人を使った方が面白いんじゃないかと思って」 「いや、だとしてもあたしがモデルってあり得ないでしょ? そんな・・・」 「大丈夫。顔は絶対出さないようにするから。基本後ろ姿だけ」 「後ろ姿だけ?」 「そう。画面や紙面を飾るのはどこのだれだかわからない女性。作り方によってはもの凄く話題性に富んだものになると思わない?」 「思わない? って、そんなバカな・・・」 いくら顔が出ないからといってスタイルも良くないただの凡人が大企業の広告モデルになるなんて。 いやいやいやいや、絶対あり得ないから! 「これはれっきとした仕事の依頼だから、それに見合った報酬をあんたは得られる」 「えっ?」 「うちとしてはプロを使うよりもずっと安上がりで済むし、あんたは空いた時間で収入を得られる。ウィンウィンで理想的な契約だと思わない?」 「で、でも・・・」 「それとも何? あんたにはすぐに数百万準備できる手段でもあるっていうの?」 「それは・・・」 あるはずがない。 たとえ夜の世界に飛び込んだのだとしても、人生そう甘くないことくらい嫌ってほど経験している。返せなければ利子は膨れ上がっていくばかりだ。 「身バレのことなら心配する必要はないよ。撮影に関わるスタッフはごく限られた者だけにする。男は使わない。場所もわからないように設定する。そしてあんたに関する情報が一切漏れないように、情報管理は徹底すると約束する。 ・・・どう? これでもやっぱりやりたくない?」 「花沢類・・・」 「それでも嫌っていうなら俺はこれ以上無理強いするつもりはないよ。あんたが決めて」 「・・・・・・」 やっぱりあり得ないって思う。 どうやったって無謀な企画だと思わざるを得ない。 でも・・・ 目の前でじっと答えを待つ男を仰ぎ見る。 ビー玉のような瞳で真っ直ぐにあたしを見つめるその姿は、何故だかこの人に信じてついていけば大丈夫と背中を押してくれているように見えた。 「・・・・・・じゃあやってみる」 長い沈黙の後にようやく出した答えに、類は満足そうに頷いた。 「了解。じゃあ詳細はまた追々知らせるから。とにかくあんたは何一つ不安になる必要なんてない。ただそのままの牧野つくしでいればいいだけ」 「そのままの牧野つくし・・・?」 ニコッと笑ったその言葉の意味がその時はよくわからなかった。 ____ あれから4年。 あたしは今でもこの仕事を続けている。 てっきり1回で終わるものだと思っていたこの企画は、予想を覆して世間で大きな反響を生んだ。 大海原の浅瀬で夕日に向かって立ち尽くす女性の後ろ姿は、言葉にできないほど幻想的で美しいとたちまち話題となった。おまけに一度もその女性は振り向かない。見えるのは終始後ろ姿だけ。しかも出演者がどこの誰かは一切わからない。 類の目論見通り、幻想的な映像と情報を公開しないというダブルの戦略は見事的中した。 それ以降、基本的には春夏秋冬、季節の変わり目になると新しい広告をリリースしている。 もう4年目に突入したというのに、新しいものがお披露目されると毎回世間が賑わう。 話題の中心は専ら 「 この女性が一体誰なのか 」 という点だ。 類の言葉通り、情報管理は相当に徹底されているようで、未だかつて情報が漏れたことがなければ、 「もしかして?」 となったことすらない。おそらく、持っている権力をフルに活用しているのだろうと思う。 恐ろしくて詳しいことは聞かぬが仏と触れずにいるが。 だからこそ冗談とはいえ大塚がポロッと口にしたさっきの一言に動揺してしまったのだ。 今思えばもっとノッて 「そう、私よ!」 くらい言った方がよっぽど自然だったと悔やまれる。 ・・・まぁ彼もそんなことを言ったことすらもう覚えていないとは思うけれど。 「・・・ん・・・つくしちゃん!」 「えっ?! わぁっ!!」 突然目の前に現れたドアップに思わず腰が抜けそうになる。 び、びっくりしたっ!! 「大丈夫? さっきから何回も呼んでるんだけど放心状態で一向に反応がないから。どこか具合でも悪い?」 「あっ、違います! 全然大丈夫です。ごめんなさいっ!!」 回想に耽るあまり今撮影中だということを忘れてしまっていた。 ただでさえ迷惑をかけたというのに何たるザマ! 「結構時間も経ったし疲れるよね。ちょうどいい頃合いだし少し休憩しよう!」 「え、でも・・・」 「いいのいいの。あたしたちも一息つかないと。根詰めすぎてもいいものはできないからね。20分くらい休憩にしよう」 「・・・はい、ほんとにすみません。ありがとうございます。じゃあちょっと飲み物買ってきますね」 「了解」 ライトを全身に浴びるせいか喉がカラカラだ。 すぐに自販機に走りたいところだけどそういうわけにもいかない。 まずはこの衣装を脱がなければ。 ここは本来ただのオフィスビル。つまりはここで働いている人間はたくさんいるということ。いつどこで誰に見られているかもわからない。 万が一にも 「あの女性」 と 「牧野つくし」 に接点があるなどと知られてはいけないのだ。 「いちいち着替えるのは面倒だけど・・・衣装がシンプルな点は助かってるかな」 私服に手早く着替えると財布を片手に廊下へと出て行く。 既に5分近くが過ぎている。 また着替える時間を考えれば実質ゆっくりできるのはあと10分程度しかない。 「急がないと・・・今日はつきあたりの自販機に行こうかな」 このフロアには何カ所か自販機があるが、一番奥のそこにはつくしの好みのジュースが置かれているため使用率が断然高かった。 時折オフィスの人間とすれ違いながら足早にその場所を目指す。 ガッ!! 「痛っ・・・!!」 だが、右足が休憩室に入ったところで突然左手を掴まれた。 洋服で隠れて見えないが、そこにはまだ包帯が巻かれたままで怪我は完治していない。 「な・・・何っ?!」 突然のことにわけもわからず振り返ると、そこには思いも寄らぬ人物が立っていた。 「えっ・・・?」 いきなり腕を掴まれたのも意味がわからないが、今目に見える光景はもっと意味がわからない。 「な、なんで・・・」 一体何が起こっているというのか。 半ばパニックになりながら、つくしは瞬きするのも忘れて自分の目の前にいる男を仰ぎ見た。 もう二度と会いたくないと思っていた道明寺司、その男を。
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忘れえぬ人 10
2015 / 08 / 07 ( Fri ) なんで・・・?
なんでこの男がこんなところに? もしかしてあたしいつの間にか道明寺ホールディングスに瞬間移動してた? ・・・って、んなバカな。 なんで? なんで?? もしかして仕事でたまたまここに来ていたのだろうか。 仮にそうだとしても、何故こんな状況になっているのかますますわからない。 一体何なの?! 「・・・なんでてめぇがここにいる」 「・・・・・・は?」 ・・・何言ってんのコイツ。 なんでって・・・それはどう考えてもこっちの台詞でしょ?! なんであんたがここにいるのよ! ・・・って言ってやりたいのに、この圧倒的なオーラで思うように言葉にできない。 しかも自分で人の腕を掴んでおきながら、あたしよりよっぽど驚いて見えるのは気のせい? 意味がわからないんですけど! 「なんでここにいるって聞いてんだよ」 「痛っ・・・!」 ギリッと左手に込められた力で痛みが走る。 「なんでって・・・仕事で来てるだけです!」 「仕事・・・? 一体何の仕事だよ」 「そ、そんなのあなたには一切関係ないと思うんですけど!」 「いいから言えよ」 「痛いっ!」 ギリギリと更に締め付けられる痛みで顔が歪む。 多分この男はあの時の怪我なんて覚えちゃいない。 だとしても、怪我の有無に関係なく何故こんな暴挙に出られなきゃいけないというのか。 あたしが一体何したって言うの? 「言え。 ここで何してた」 「痛っ・・・」 何もしてないじゃないかっ!!! ドカッ!! 「いてっ!!」 思いっきり内弁慶に蹴りを入れてやると、さすがの男の力も緩みを見せた。 その隙に間をすり抜けて休憩室を出て行こうと・・・ ダァンッ!!! 「ひぃっ!!」 ・・・したところで敢え無く作戦失敗に終わる。 顔の両側を両手で挟まれて目の前には男の体が迫ってどこにも逃げ場はない。 今、壁がドン! じゃなくてズガーーン!! ってあり得ない音したんですけど! こんなシチュエーションに憧れてる女は気が狂ってるとしか思えないんですけどっ!! こっちは生命の危機すら感じてるんですけどっっっっ!!!!!! 「てめぇ・・・殺されてぇのか?」 「ひっ・・・!」 眼前に迫る顔は息も止まるほどに凶悪で恐ろしい。 体が竦み上がって足元からガクガクと震えまくっている。 「この俺様に蹴り入れるたぁ、命知らずな女もいるもんだな」 怖い・・・! この男なら、女だろうと容赦なく鉄拳が飛んでくる。 直感だけどそう思った。 なんで? なんで?! なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないの? コイツにここまでされる言われもなければ、事情を説明する義務だってさらさらないっ! 「・・・・・・どきなさいよ」 「・・・あ?」 今まで怯えた子鹿のように震えていたくせに、突如鋭い瞳で睨みつけてきた女に思わず司が言葉を止める。 「あたしがなんでここにいようとそれがあんたに何の関係があるって言うの?!」 「・・・んだと? てめぇ・・・」 「てめぇじゃないわよ! あたしは牧野つくしっていうれっきとした名前があるの! そもそも、どんな理由があってここにいようともあんたに一切関係ないし、それを説明しなきゃいけない理由なんてどこにもないっ!」 まさかこの自分に刃向かってくる女がこの世に存在するとは。 一瞬呆気にとられるが、だがすぐに怒りという名の業火が湧き上がってくる。 「てめぇ・・・誰に向かって口きいてやがる」 「知らないよっ! ・・・あ、名前だけは知ってたわ。道明寺司でしょ? それが何よ、副社長だかなんだか知らないけどね、世の中何でも許されると思ったら大間違いなんだか・・・きゃあっ!!!」 ドガッ!!! 右ストレートがつくしの髪を掠めて壁へと直撃する。 ミシミシと音が聞こえるのは骨の音か、それとも壁が壊れたのか。 どちらにせよあり得ないし信じられない! よもやこんなところで白昼堂々殺されたりしないだろうと思いつつも、あまりにも冷たい眼光に絶対にないとは言えなくなってしまっている自分がいる。 こわい、怖い、怖い・・・! ・・・・・・でも絶対に負けたくないっ! 「どきなさいっつってんでしょっ!!」 渾身の力を振り絞って全体重をぶつけると、虚を突かれたのか男の体が1メートルほど後方に飛ばされた。つくしは今度こそ全速力で駆け出す。 だが1秒も経たないうちに自分を追いかけてくる革靴の音が響き始めた。 その音が耳に入ってきた途端、底知れぬ恐怖が背中から襲いかかってくる。 やだ・・・やだやだやだやだいやだっ!!! 誰か、助けてっ・・・! ガシッ!! だがその願いも虚しく右腕が捕まってしまった。 「いやーーーーーーーっ!!! 離して、離してっ、はなせえええええええええっ!!!」 「牧野っ、俺だよ! 落ち着けっ!!」 「はなせーーーーーっ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 頭の中で繰り返し響いた声にハッと顔を上げる。 と、そこには天の助けとも言える男がいた。 「 花沢類っ!!! 」 「もう大丈夫だよ。安心して。 ・・・おっと」 ふわっといつもの羽のような笑顔を見た瞬間、全身が一気に脱力していく。 というか腰が抜けてしまった。 類の支えなしでは立っていることすらできないだろう。 類はそんなつくしを自分の後ろに回し込むと、目の前でその様子を睨み付けている司と対峙した。 「おい類。なんでてめぇまでここにいる?」 「仕事に決まってるじゃん」 「仕事?」 「そう。牧野の会社がうちの下請けの1つでね。別の担当者もいたんだけど、どうせなら顔見知りの牧野にやってもらったほうが何かと都合がいいってことで俺が頼んだんだ」 「・・・嘘ついてんじゃねーぞ」 その言葉に思わずドキッとする。 だがつくしとは対照的に類は涼しげな態度を崩さない。 「クスッ、なんで嘘って決めつけんのさ。司って俺の仕事の全てを把握してんの? そんなわけないよね。大中小、俺だって色んな仕事やってるんだよ。それに牧野は真面目で働き者だからね。友人だということを差し引いてもビジネスで繋がっていたい相手だってことだよ」 「・・・・・・」 たとえ司を納得させるためだとしても、その言葉はつくしの心を震わせた。 司がそんなつくしの様子を横目で睨み付けていることなど全く気付かずに。 「牧野、さっきお前んところの社長から連絡が来て別の仕事が入ったから戻ってきてほしいってさ」 「えっ?」 「今日は助かったよ。急だったのにありがとう」 「・・・・・・」 「ほら、急いだ方がいいんじゃない? 行きな」 その目は 『 後のことは任せろ 』 と言っている。 無言で背中を押して促されると、つくしはコクンと頷いて導かれるようにそこから離れて行く。 一度だけ後ろを振り返ったが、優しい顔で自分を見ている類のすぐ後ろで、鋭い眼光のままあの男がこちらを睨み付けていた。 その姿にドクンドクンとまたしても鼓動が速くなっていく。 どうして? 何故? 考えれば考えるほどわけがわからないことばかりだが、つくしはそれ以上考えることをやめると、二度と振り返らずにひたすら走ってその視線から逃げていった。
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