忘れえぬ人 1
2015 / 07 / 29 ( Wed ) 時々、夢を見る。
その夢の中であたしはバカみたいに大口を開けて笑ってて、 一体何がそんなにおかしいの? ってくらいにとにかく笑ってるんだ。 そしてその夢には決まって誰かがいる。 でもその 「 誰か 」 はわからない。 せいぜいわかるのは、見上げるほどの背の高さで多分男の人なんだろうなってことくらい。 いつだって 「その人」 と笑ってる。 ひたすら笑って、笑って、笑って。 そうしてひとしきり笑い終えると、急に真顔になって 「その人」 が何かを言おうと口を開くのだ。 でも、 「その人」 の口から何かが発せられようとしたその瞬間、 決まって夢は終わりを告げる。 もう何度そんな夢を見続けたのだろうか。 目が覚めてしまえば記憶も薄れて忘れてしまうけれど、 ほら、またこうして同じ夢を見る度に思い出す。 ねぇ、 「 あなた 」 は一体だれ・・・? 一体何を言おうとしているの・・・? ピピピピピピピッ ピピピピピピピッ ピピピッ! 「う゛~~ん・・・」 バシッと張り手をかましてアラームを止めると、尚も諦めきれない体がもぞもぞと布団の中で回転を繰り返す。 「・・・・・・・・・えっ、8時っ?!!!!」 だが棚の上の置き時計をうっすらその視界に捉えると、数瞬前までの微睡みが嘘のように飛び起きた。 「やばいっ、遅刻するっ!!」 転がり落ちるようにベッドから離れると、まるで早送り再生をしているかのような動きで慌ただしく身支度を整えていった。 バンッ!!!! 「おはようございますっ!!!」 扉を壊さんばかりの勢いで入って来た女はぜぇはぁ全身で息をしている。 「おい牧野~、お前この小さい事務所をぶっ壊す気か?」 「し、しゃちょ・・・す、すま・・・せっ・・・ぜぇはぁ」 呆れ顔の社長に必死で謝罪の言葉を並べようとするが、もはや解読不能の暗号状態だ。 「ぶはっ、牧野~お前すげぇ格好してんな」 「えっ・・・?」 「一瞬ヤマンバが入って来たかと思ったぜ」 「やっ・・・? も、大塚っ! ゲホゲホゴホッ!」 「おいおい、まずは落ち着いて呼吸しろって」 バンバンと背中を叩かれながら必死で深呼吸を繰り返す。 「・・・・・・・・・はぁ~、ありがと。もう大丈夫」 「久しぶりにやらかしたんか?」 「うん、今日は本気でやばかった。でも間に合ったあたしってかなり凄くない?」 8時に起きて8時半の就業時間に間に合わせる。 ギリギリ徒歩圏に住んでいるとはいえ、我ながら自分を褒めてやりたい。 「まぁ間に合ったのはすげーかもしんねぇけど・・・お前相変わらず女を捨ててるよな」 「もうっ、さっきからうるさいよっ!」 「ハハッ、だって自分の姿を見てみろよ。多分思ってる以上にすげーぞ」 また大袈裟にからかってと思いつつ事務所内に置かれた鏡に自分を映すと、そこには少しも誇大表現などではないほどひどい有様の女がいた。 ・・・女と言うには躊躇うほどに。 爆破実験でも行ったのかと思えるボサボサの髪に、身につけた服はヨレヨレに乱れまくり。 「な、想像以上だっただろ?」 「・・・もう何も言うでない」 「ぶはっ!」 一気に疲れが出てきたのか、つくしはガックリと項垂れた。 「牧野、少しくらいなら時間やるから身なりを整えてこいよ」 「社長・・・すみません、じゃあお言葉に甘えて少しだけ」 「おう、少しはいい女になって戻って来い」 「そのお約束はできません」 「ハハッ、そこは嘘でもいいからはいって言うとこだろうが」 とても上司と部下だとは思えないくだけた雰囲気の事務所は、つくしが高校卒業後すぐに就職した小さな建築事務所だ。社員はつくしを含めてわずか6人。小さな会社だが、40と比較的まだ若い社長の人望もあってか仕事の依頼は後を絶たない。 高卒はつくしだけだったが、そんな自分ですら確かな戦力として大事にしてくれる会社で働けることに、この上ないやりがいと達成感を日々感じていた。 つくしがここで事務員として働き出してもう3年の月日が流れていた。 *** 「牧野、週末だし今日は久しぶりに行かねぇか?」 クイッとお酌の真似をしてみせるのは同期入社の大塚亮平だ。 高卒のつくしと大卒の大塚には4つの年齢差があるが、先のやりとりからもわかるようにそういった年齢の壁は全く存在しない。 「あ~・・・ぜひ! って言いたいところなんだけどね。 ごめん、今日はムリ」 「えっ・・・? もしかして・・・男か?」 どうしてどいつもこいつも予定がある = 男 の図式にしたがるのか。 つくしはハァッと溜め息をつくとトントンと目の前の書類を束ねて机に置いた。 「残念ながら違います。学生時代の知り合いとね、ちょっと会う予定が入ってて」 「へぇ~、お前が断るなんて珍しいからついに男でもできたかと思ったけど・・・まぁお前に限ってそれはねーか」 「もうっ、だからいちいちうるさいよっ! あんたこそ週末を一緒に過ごす女くらいいないの?!」 「別に俺がその気になれば普通にいるけど?」 「はぁ~・・・見た目がいい男ってなんでこんなんばっかりなの」 「ん? 何か言ったか?」 「・・・何でもない」 身近に存在する似たような男を思い出してげんなりする。 確かにこの男、見た目はそれなりにいい。 きっと本人が言っていることもあながち大袈裟なことでもないのだろう。 が、いかんせんその軽さがつくしには理解できなかった。 友人としてはいい男だと思うが、異性として意識するなんてことはとても考えられない。 「その気になりゃあ遊ぶ女なんていくらでもいるんだけどな。いい加減そういうのはやめて本気になろうかと思って」 「ふ~ん・・・? よくわかんないけど、まぁ頑張って。あ、じゃあ時間来たから今日はもう帰るね」 ガタガタと荷物を集めると社長のもとへと向かって一言二言言葉を交わす。 そうして退社の了承を得たのだろうか、元気よく社員に挨拶をすると意気揚々と事務所を後にした。 「・・・・・・・・・」 呆れたようにその姿を見送っていた大塚の肩にポンと手がのせられる。 振り向けばそこにはこの事務所であと1人しかいない女性、社長の妻であるその人がいた。 その顔がどこか笑いを堪えきれないようにしているのは気のせいなんかではないはずだ。 「大塚君も大変ね」 「・・・あいつの鈍感さはエベレストよりもハードルが高い気がします」 「ふふっ、それが彼女の良さなんじゃないかしら?」 「そうなんですけどね・・・こうも鈍いと時々わざとやってんじゃないかとすら思えますよ」 「クスクス・・・まぁ焦る必要はないんじゃない? じっくり時間をかけて頑張って」 「はぁ・・・」 己の人生において経験したことのない難敵の出現に、大塚はその張本人の消えた扉を恨めしげに見つめながら盛大に溜め息をついた。 *** 「あ~やばい、約束の時間過ぎちゃってる」 流れる人の波に逆らうように目の前に立ちはだかる高層ビルへと急ぐ。 何度ここへ足を運ぼうとも自分の場違いっぷりを感じずにはいられない。 つくしは慣れたように裏口へと回ると、通常特別な人間しか通ることを許されないエレベーターへと急ぐ。 「あっ、ちょうど来てる!」 タイミング良く扉が開いてるのが見えてさらにその足を加速させる。 ドンッ!! 「きゃあっ!!」 ドサッ、バサバサバサッ!! だが基内に体を滑り込ませようとした瞬間、誰もいないと思っていた中から出てきた人物と激しくぶつかった。つくしの体は軽く吹っ飛び、思いっきり尻もちをつくと同時に手にしていた荷物が見事に散乱する。 「いったたたたたた・・・ご、ごめんなさいっ! 大丈夫ですかっ?!」 どうやら正面からぶつかった相手は転んだりしていないようで、ひとまずほっと胸を撫で下ろしながら立っている人物を仰ぎ見た。 「 ____ っ・・・! 」 だがその姿を目にした瞬間、続けようとした謝罪の言葉を思わず呑み込んだ。 目の前に立って自分を見ろしている人物 ___ その男は身も凍り付くほどの冷たい瞳を携えていたから。 はっきりとした目鼻立ちにも関わらず、その瞳は鈍い鉛のような光を放っている。 「あ、あのっ・・・!」 武者震いだろうか。 どこの誰とも知らない相手だというのに、一目見た瞬間から震えが止まらない。 きちんと謝らなければと思うのに、まるで酔っ払いのようにろれつが回らない。 「・・・・・・・・・」 青い顔をして動揺しまくるつくしをしばらくじっと睨み付けると、やがて男は言葉もなくその場から立ち去ってしまった。見るからに長い足が作り出す一歩は大きく、声をかける隙など与えられないほどにあっという間にその姿は見えなくなった。 「・・・・・・こ、怖かったぁ~・・・」 完全に見えなくなると、どっと全身から力が抜けていく。 と同時に変な汗が一気に噴き出してきた。 「怖かったけど、すっごいオーラ・・・」 そう。 震えてしまったのは単純に怖いからというだけではなく、あの言葉にできない圧倒的な存在感がそうさせていたのかもしれない。 「イタタタタ・・・お尻と腰、いったぁ~!」 脱力した途端思い出した様にあちらこちらが痛みを訴え始める。 とはいえいつまでもこんな場所で座り込んでいるわけにもいかない。 まるでお婆さんになったかのようによろよろと体を起こすと、つくしは辺り一帯に散乱した荷物を急いで拾い始めた。 「・・・・・・ん?」 その最中、やたらと光を放つ銀色の小さな物体にふと目が奪われる。 「これって・・・」 ハッとして前を見たが、当然ながらそこにはもう誰もいない。 戸惑いがちに拾い上げると、小さいながらもそれは目映いほどの輝きを伴っていた。 「すごっ・・・ネクタイピンなのにダイヤが埋め込まれてるんだけど・・・」 しかもちょっとやそっとの数ではない。 これ1つで一体いくらするのだろうかというほどびっしりと埋め込まれている。 驚きに言葉を失うと同時にはたと大事なことに気付く。 「これ、一体どうしたらいいの・・・?」 偶然ぶつかった初対面の人間に再び会える確率など、一体どれほど天文学的な数字となることか。 かといってこんな持っているだけで手が震えるような高級なものを持ち続けることなどできない。 「ここにいたってことは・・・聞けば何かわかるのかな・・・」 そう呟くと、つくしはすっかり誰もいなくなった裏口をもう一度じっと見つめた。 特徴的な髪型をした長身の男は、煌々と輝くネクタイピンだけでなく、これまでのつくしの人生で嗅いだことのない甘酸っぱい香りをもその場に残していた。
いよいよ新作始動です! 読みながら 「ん? どういうこと?」 と思った点が多々あるかと思います。その辺りは今後徐々にわかっていきますので、是非色々と想像しながら楽しんでいただけたらと思っています^^ スポンサーサイト
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忘れえぬ人 2
2015 / 07 / 30 ( Thu ) 「どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます・・・」 案内されるまま執務室に入ると、デスクに向かって下げていた頭がふっと上がった。 「やぁ。 遅かったね」 「あ・・・ごめん。ちょっと色々あって・・・」 「別にいいよ。呼び出したのはこっちだからね。 君、もういいよ」 「あ、はい・・・」 ここまで案内してくれた秘書の女性が出しなにちらりとこちらをを振り返る。 その視線は明らかに好意を含んではおらず、つくしはそれに気付かないふりをして誰にも見えないように深く息を吐いた。 「何溜め息ついてるのさ?」 だがそんなことにすら目ざとく気付いてしまうのがこの男。 いつの間に立ち上がっていたのか、ふわりと微笑みながらこちらへ近づいてきた。 「だって・・・明らかに場違いなあたしが特別待遇でこんなところまで通してもらえるなんて・・・あの人達が不満に思うのも当然なんだもん」 「そう? 俺がいいって言ってるんだから何の問題もないでしょ」 「充分あるよ・・・」 いくら友人だとはいえ、こんな役員クラスの執務室に簡単に出入りしていいはずがない。 目の前の男はどうして自分がこんなに憂鬱になっているのか少しもわかってはいない。 「毎度毎度受付と秘書の人達の視線が痛いんだから」 「ははっ、そういう連中の妬みなんて気にする必要ないから」 「はぁ~~っ、あんた達には一生わかってもらえないんだろうね。 花沢類」 思いっきり皮肉を込めて言ってみても、相変わらずどこ吹く風で猫のように笑って見せるだけ。 どこかでこうして愚痴るのを楽しんでるんじゃないかとすら思えてくる。 度々花沢物産へ通うようになってからというもの、つくしの存在を知る一部の女性達から目の敵にされてしまっているのが辛いところだ。 「あれ、そこどうしたの?」 「え?」 「お尻のとこ、汚れてる」 「えっ!!」 まさか知らない間に月のものでも始まってしまっていた?! 慌てて後ろを押さえようと手を伸ばしたが、それよりも先に動いたのは類だった。 こともあろうにパンパンと音をたてて平然とお尻の辺りをはたいている。 「ぎゃあっ!!」 思わず出た声にその動きが止まり不思議そうな顔に変わった。 「・・・どうしたの」 「どっ、どうしたのじゃないよ! お尻! 触らないでよっ!!」 真っ赤になりながらつい今しがたまで動いていた右手を指差す。 「・・・触ってないけど?」 「触ってました!」 「スーツの泥を払っただけだけど」 「だとしてもお尻に当たってたから!」 何をそんなに怒ってるんだとばかりにキョトンとしているが、こっちからしてみればこの上なく恥ずかしいのだから当然の主張だ! 「お尻・・・?」 「ちょっとっ! 今とんでもなく失礼なこと考えてるでしょっ?!」 じーっと己の右手を見つめながら首を傾げる類の心の中など想像するに難くない。 『 どこにお尻の感触があったっけ? 』 うるさいっ、どうせ鶏ガラ女だよっ!! 「ていうかさ、なんでそんなに汚れてるの。来る途中どっかで転んだ?」 「あ・・・いや、実はね」 「・・・? あんた、今日何か香水でもつけてる?」 「え?」 「いや、今少し動いた拍子になんか匂ったから珍しいなと思って」 「ううん、香水なんて何も・・・」 そもそも持ってすらいない。 だが類の言葉にふとあることを思い出す。 「・・・あ。 もしかしたらさっきの人かも」 「さっきの人?」 「うん。あのさ、もしかしてあたしがここに来る前に誰か男の人がここに来たりした?」 「え?」 つくしの口にした言葉にサッと類の表情が変わったのを見逃さなかった。 そのほんの一瞬の変化が意味することは全く検討もつかないが、普段見せないその様子からしてどうやら図星らしいということくらいはつくしにもわかる。 「・・・なんで?」 「あ・・・いや、実は下のエレベーターに乗るときに男の人と思いっきりぶつかっちゃって。このお尻の汚れもその時に尻もちついたせいだと思うんだ」 「・・・そう。 それで?」 「えっ?」 「それで? その後どうしたの?」 「あ、えーと、なんかその男の人がすっごい怖いオーラに包まれてて。ちゃんと謝る前にいなくなっちゃった」 「・・・・・・」 「・・・類?」 話を聞いて急に黙り込んでしまった類に今度はつくしが首を傾ける。 さっきからどこか彼の様子がおかしい気がするのは気のせいだろうか。 「それだけ?」 「え?」 「何か気付いたこととかなかったの?」 「気付いたこと・・・?」 何故そんなことを聞くのだろうか。 全く意味がわからないが、彼はいつになく真剣な顔をしている。 「・・・あ。そういえばこれを拾ったの」 処分に困っていたタイピンをポケットから取り出すと、つくしは類の目の前に差し出した。 「多分あたしがぶつかった時に落ちたんだと思う。追いかけようにももうどこにも姿が見えなかったし・・・かといってこんな高価なものを持ち続けててもあたしが困るっていうか。だからもしあの人が花沢類の知り合いなんだとしたら、これは花沢類が・・・」 「お前が持ってなよ」 「え?」 「それはあんたが預かっておきな」 「・・・・・・え、なんで・・・? だって・・・」 見ず知らずの男性の高級な持ち物など預かって一体どうしろと言うのか。 「牧野が拾ったんだから。最後まで責任もってあんたが管理しな」 「そ、そんな! だってこんな高価な物・・・それに、どこの誰かもわからない上にまた会える保証なんてどこにも・・・」 「会えるよ」 「えっ?」 「必ず会えるよ」 「・・・・・・なんで、そんなこと・・・」 「・・・」 真っ直ぐ射貫くビー玉の瞳にそれ以上言葉が続かない。 今日の彼はいつもとどこか違う。 何故? このタイピンだって知り合いだというのなら渡してくれたっていいのに。 どうしてそんな遠回りなことをさせようとするのか。 ・・・わからない。 いつだってこの男の心の中は読めないけれど、今日は格段に見えない。 「じゃあ早速だけど本題に入っていい?」 「あ、うん・・・」 こちらの戸惑いなどお構いなしに相変わらずこの男はマイペースを崩さない。 だが今日ばかりはつくしも心ここにあらずでちっとも話が頭に入ってこない。 おそらくン十万・・・下手すればさらに桁が上がるかもしれないこんな代物を、特売が大親友の自分なんかが持っているなどできっこない! 類の性格を考えれば無理矢理押しつけたところで絶対に頷いてはくれないだろう。 受付の人に頼んで渡してもらう? ・・・いやいやいや、そこで万が一何かあったら責任取れる? だったら拾得物として交番にでも届ける? ・・・って、持ち主を知ってる人間がここにいるのにそんなバカな話があるかっ! あぁ~~~、もうっ!!! 「あのっ!」 突然大きな声で言葉を遮ったつくしを類が仰ぎ見る。 「・・・何?」 「あのさ、これ、花沢類にお願いしてさっきの人に返してくれるなんてことは・・・」 「ないね」 「・・・だよね」 わかっちゃいたけど一応聞かずにはいられなかったというか。 「じゃあさ、せめてあの人の情報だけでも何かくれない? あたしほんとにこんな高価なものを預かるなんて嫌だからさ。名前とか、勤務先とかでもわかれば届けるから。だからほんの少しでいいから何か教えてほしいの。 お願いっ!!」 「・・・・・・」 人に押しつけることもできなければこんなものを平然と持ち続けることもできない自分にできることは・・・もう拝み倒すしかないっ! 見なくても呆れたようにこっちを見下ろしてる花沢類の姿が容易に目に浮かぶけど・・・ 背に腹はかえられない。 「 道明寺司 」 「 ・・・・・・・・・えっ? 」 力を入れて頭を下げていたせいでよく聞こえなかった。 間抜け面で顔を上げたつくしとは対照的に、どこかいつもよりも真剣な顔でもう一度類がその名を口にした。 「道明寺司。 その持ち主の名前」
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忘れえぬ人 3
2015 / 07 / 31 ( Fri ) 「司様?」
ぼんやりと、何も考えずにただ窓の外に流していた意識が急に現実に引き戻される。 「・・・何だ」 「そちら・・・どうなさいましたか?」 「あ?」 意味不明な問いかけにイラッとしつつも男が指差した先へと視線を移す。 ・・・と、そこには本来あるはずのものがなくなっていた。 「どこかで落とされましたか?」 「・・・記憶にねぇな」 そう口にした後であることを思い出す。 「・・・あの時か?」 「え?」 「・・・いや、なんでもねぇ」 ほんの10分ほど前にある女とぶつかったことを思い出す。 イライラしてろくに顔も見ていないが、随分間抜けなツラでこちらを見上げていた記憶だけが微かに残っている。そう言えば周囲にはあの女の荷物が散乱していたか。 大方あの時の衝撃で落ちてしまったのだろう。 ・・・チッ、イライラする。 「これからどうなされますか? 代替案をお考えならば・・・」 「必要ねぇ。最初の計画通りだ」 「ですが花沢様は・・・」 「関係ねーよ。俺はやると決めたらやる。あいつが首を縦に振らないなら振らせるまでだ」 「・・・・・・かしこまりました」 この男は良きにせよ悪しきにせよ額面通りに事を進めていく。 やると言ったらやる、それもまた同じこと。 一切の説得など無意味だと判断すると、西田は手元の資料へと視線を落とした。 *** 「う~~~~ん・・・」 ゴロンと寝返りを打って伸ばした手の先を見つめる。 結局あれから持ち帰ったもの。それは・・・ 「道明寺司って・・・あの道明寺財閥の道明寺だよね?」 答えてくれる人間がいるわけでもないのに思わず口にしてしまう。 そしてその答えが 「イエス」 だということは状況的に見て疑いようがないわけで。 「道明寺司・・・?」 どこかで聞いたことがあるような名前につくしが考え込む。 道明寺と言えば世界に名だたる大財閥の名前だが、引っかかるのはそれだけではないような・・・ 「・・・あ。」 「何か思い出した?」 「もしかして・・・あの時言ってた人?」 「正解」 ご名答とばかり類が頷いた。 「あの人が、道明寺司・・・」 ずっと前に話に聞いたことはあったが、実物は想像以上にオーラが凄かった。 少しだけ教えてもらっていたことのある人物像が、決して大袈裟なんかじゃなかったということをたったあの一瞬で身をもって知ることになろうとは。 「何も思い出せない?」 「・・・うん。 ごめん・・・」 「はは、なんで謝るのさ。 あんたは何も悪いことなんかしてないだろ?」 「でも・・・」 しょんぼりと落ち込んでしまった頭にポンポンと手がのせられる。 反射的に上げた顔は今にも泣きそうに不安でいっぱいになっていた。 「また落ち込む」 「だって・・・」 「言っただろ? 焦ったって仕方ないって。お前はお前のペースでゆっくり行けばいいって何度話した?」 「・・・うん」 この手の話になると普段の勢いがまるで嘘のように萎れてしまう。 その姿に類は呆れるように笑った。 「必ずその時は来る。今日偶然会ったのだって何かの意味があるかもしれないし、ないかもしれない。それは誰にもわからないことだし、自然の流れに身を任せな」 「・・・うん」 「ということでそのピンは牧野が自分で管理すること」 「・・・うん・・・・・・えっ!!」 ハッとして顔を上げればしてやったり顔で類が笑っている。 ・・・やられたっ! 「はぁ~~、また花沢類のペースにやられちゃったよ・・・」 「人聞きの悪いこと言わないでくれる? 素直に返事したのは牧野自身だろ」 「それはそうだけどさ・・・」 思いっきり嵌められたような気がするのは気のせいなんかじゃないはずだ。 「じゃあ今度こそ本題に入るよ。次の予定だけど・・・」 「はぁ~~~、道明寺ホールディングスかぁ・・・」 結局、そのことについて類と話をしたのはそれっきりだった。 後は本来の目的を果たすべくひたすら打ち合わせに没頭するのみ。 聞いたところで余計焦りが募るだけだとわかっているせいか、彼も必要以上にその話に触れようとはしなかった。 「なんで花沢類から返してくれないんだろ・・・」 焦らなくていいと言いながらも頑としてこのタイピンを受け取ってはくれなかった。 できることなら今すぐにでも返しに行きたいくらいに持っているだけで不安でしょうがない。 彼の正体がわかった今、これを返すためには道明寺ホールディングス本社へ行かなければならないということが確定してしまった。 花沢物産へ行くだけでも憂鬱で仕方がないのに、今度は道明寺ホールディングス?! しかも意味不明なものを持って見知らぬ女が来たともなれば・・・一体受付でどんな顔をされるというのやら。 かといってこんなものを持ち続けるなんて冗談じゃない。 もしなくしてしまったら? もし今この部屋に強盗が押し入ったら? 無限大に広がる 「 もし 」 を考えるだけでもド庶民のつくしにとっては苦痛だ。 「明日・・・って言っても土曜日だからな~。いないかもしれないし、かえって迷惑になったら嫌だし・・・う~ん」 眩しいほどの輝きが恨めしく思えてくる。 質屋に出せば一体何ヶ月分の家賃が払えるのだろうか。 「とにかく行ってみるか。動かないことには進まないわけだし。ダメならダメでまた月曜に出直そう。うん、そうしよう!」 半ば強引に納得させるように自分に言い聞かせると、おもむろにベッドから体を起こして収納棚に手を掛けた。大した物は入っていない収納だが、その中でただ一つだけ、鍵の掛かる小さな金庫が置かれている。 明らかに不釣り合いなその箱を取り出すと、つくしは番号を入力して鍵を解除していく。 カチャッと小さな音をたてて開いた箱の中から更に小さな箱を取り出すと、テーブルの上のタイピンに並べるようにしてそっと置いた。 そしてゆっくりと、ゆっくりと、慎重に慎重を期して箱を開けていく・・・ 「・・・・・・」 いつだってこの箱を開ける瞬間は言葉を失う。 驚き、感動、疑問、恐れ、 ありとあらゆる感情が同時に襲ってきて、何一つ言葉にすることなどできなくなってしまうから。 つくしはその中身を手に取ることはせずに、指の先でそっと撫でていく。 「・・・おーい、あなたはどうしてこんなところにいるの~?」 そう問いかけてみても答えなど返ってくるはずもなく。 少し視線をずらして入ってくるタイピンと交互に見比べると、用途も形も全く違うものなのに、何故だか不思議と共通点があるような気がしてならないのはどうしてなのか。 小さな物体の中に大宇宙が広がっているかのようにキラキラと輝きを放っているだけではなく、何かもっと違う共通項があるような。 「偶然にしたってこんな高価なものを2つも持ってるなんて・・・生きた心地がしないよ」 普通の女なら喜ぶところなのかもしれないが、とてもじゃないがそんな気になどなれない。 見れば見るほど 「何故?」 ばかりが頭を埋め尽くしていく。 「っ・・・! いった・・・」 そしてその後は決まって激しい頭痛に襲われる。 同じような事を繰り返してもう何年経つのか ___ 考えないように、焦らないように、そう言い聞かせていても、ふとしたきっかけでこうして頭の中を占拠しては消えてくれないものがある。 自分には、どうしても取り戻せない抜け落ちた記憶があるのだということを。
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忘れえぬ人 4
2015 / 08 / 01 ( Sat ) 「ふぁ~~・・・」
首が痛くなるほど上を見ながら出たのは何とも情けない声。 この上に住んでいるのはどこぞの仙人あたりだろうか。 あまりの世界の違いに思わずそんなことまで考えてしまう。 「今さらながら怖くなってきた・・・」 できることならこのまま回れ右して帰ってしまいたい。 けれど・・・ 「う゛~~っ、案ずるより産むが易し。まずは行動あるのみっ!!」 ふんぬと両足に力を入れて踏ん張ると、つくしはまるでこれから戦場に赴くかのように気合を入れて一歩を踏み出した。 「あのっ・・・!」 こちらに振り返った綺麗な女性がニコッとこれまた美しい笑顔を見せる。 「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか?」 「はい、あ、あのですね、こちらに道明寺司さんという方がいらっしゃると思うのですが・・・」 「・・・え?」 その名前を聞いた瞬間、これまで花が舞うような笑顔を見せていた受付の表情が一瞬にして変わった。まるで不審者を見るかのようなその顔に、思わず後ずさりしそうになる。 「・・・どういったご用件でしょうか」 「あのっ、決して怪しい者ではありませんから!」 いきなりやって来てこんなことを言う時点でもう200%怪しい。 自分でも思っているのに大企業の受付が警戒しないわけがないわけで。 「あのですねっ、実は昨日その方とちょっとしたハプニングがありまして・・・それで」 緊張のあまり半分パニックを起こしている状態では話せば話すほど逆効果。 せっかくの美貌が台無しな顔でほぼほぼ睨み付けられている。 「申し訳ありませんが副社長にはアポがない限り一切のお取り次ぎはできません」 「ふ、副社長っ?!」 思わず出た大きな声にますます警戒心が強まってしまった。 おまけに他の来客の対応を終えた別の受付嬢まで加勢する始末。 副社長・・・? 名前からして一族の人間なのだろうとは思っていたけれど、この若さにしてもうそんな役職についているだなんて。確か以前聞いた話では類達と同学年だと言っていたはず。 それだけの切れ者だということだろうか・・・? ふと、昨日見た鋭い視線が脳裏に甦る。 「そういうことですのでお引き取り願えますか?」 だがそれも一瞬のことで、冷ややかな声にハッと我に返る。 「いえっ、本当に怪しい者ではなくて・・・。 あのっ、それでしたらこれを副社長にお渡しいただけませんか? これは昨日・・・」 「申し訳ありませんが上から直接指示の出ていないものをお預かりすることはできません」 「えっ・・・? でもこれ、その方の落とし物・・・」 「私共は何も聞いておりませんので。 どうかご理解くださいませ」 「・・・・・・」 呆然と言葉を失うつくしの後ろから現れた別の来客に、今までの渋い顔が嘘のように天女のような優しい顔へと変わる。それを見ていればいくらここで粘ろうともこれ以上は無意味なことは明らかだった。それどころか不審者としてつまみ出されてしまう可能性だって否定出来ない。 「・・・すみません、また出直して来ます・・・」 やっとのことで絞り出した言葉にニコッと作り笑いが返ってくる。 だがその顔には 「二度と来るな」 と書いてあった。 いくら見ず知らずの人間とはいえ、落とし物を届け出ることすら拒絶されてしまうとは。 相手は超がつくほどの一流企業。セキュリティの厳しさは覚悟していたし、もしかしたら・・・ということを想定していなかったわけではなかった。 だが、予想を遥かに上回るシビアな対応に途方に暮れる以外為す術がなく・・・ 何とも言えない脱力感に包まれると、つくしはすごすごと元来た道を戻り始めた。 *** 「おう、こっちだこっち!」 「ひっさしぶりだな~! 結局あれ以来になんのか?」 「さぁな。細けぇことなんか覚えてねーよ」 「・・・なんだよ、来て早々不機嫌モードかよ」 ドカッと尊大な態度でソファーに体を投げた親友に男2人が呆れたように笑う。 4年ぶりに会う親友同士にもかかわらず、少しも感動の再会とならないのがいかにもこの男らしいと言えばそれまでか。 「しばらくは日本にいるんだろ?」 「まぁな。あのクソババァの出した条件は満たしたからな。これ以上口出しはさせねーよ」 「そっか。 ・・・で? どうだったんだよ、NYでの生活は」 「あ? どうだって、何がだよ」 「あれから丸々4年帰国しなかっただろうが。一体どうしてたんだよ。俺らが連絡してもろくに反応もなしで。かと思えば帰国した途端いきなり呼び出しだろ?」 「何か問題あんのかよ」 「いや、まぁねぇけどよ・・・」 「だったらグダグダ言ってんじゃねーぞ」 「・・・・・・」 どうやら今日は虫の居所が悪いらしい。 ・・・いや、この男に於いてはそもそも今日だけなのかすら疑わしい。 最後に会った少し前までの数ヶ月がらしくないほどに変わりすぎていただけであって、元来こういう男だったではないか。 むしろ今目の前にいる男こそ総二郎とあきらがよく知る 「道明寺司」 なのだ。 それはつまり4年前から何も変わっていないことを証明しているわけで ___ 「それよりお前らこいつについて何か知ってるか?」 「え?」 鞄の中から一冊の冊子を取り出すと、テーブルの上へバサッと放り投げた。 何かのパンフレットらしきそれには後ろ姿の女性が載っている。 「これって・・・」 「何か知ってんのか?」 「あ、いや・・・。 たまに街頭の広告で見かけるから。まぁその程度の知識だ」 「何か知ってることがあんじゃねぇのか? 類とはそれなりに会ってんだろ」 「まぁ会ってはいるけどな。だからってお互いの仕事の内容についてまで詳しく話したりはしねーよ」 「・・・・・・」 じっと探るように鋭い眼光で睨み付ける。 目の前の男2人に特段変わった様子は・・・見られない。 「つーかそれがどうしたんだよ?」 「・・・次の仕事で考えてることがあってな」 「え、そうなのか?」 「・・・ふん、まぁいい。何かしらわかったことがあったら教えろよ」 「おぉ。・・・っておい、もう帰んのかよ?!」 おもむろに立ち上がった司に2人同時に声を上げる。 「用は済んだからな」 「おいおいおいおい、お前が呼び出したからわざわざ来たんだろーが。4年ぶりの再会なんだし少しは飲んでいけよ。ここに来て一体何分経ったんだよ?!」 「また今度な」 「あ、おいっ、司っ!」 引き止める親友の言葉にも全く耳を貸さず、一方的に要件を伝えるだけでさっさと男はいなくなってしまった。 その場に残された2人はまるでキツネに抓まれたように呆然としている。 「・・・・・・・・・・・・なんなんだよあいつは・・・」 「まぁある意味では昔と少しも変わっちゃいねーな」 「良くも悪くも・・・な」 「・・・・・・」 何とも言えない沈黙がその場を包み込む。 「それにしてもあいつ、何だってこんなもん・・・」 「偶然か? それとも・・・」 誰もいなくなった扉を見ながらそう口にしたあきらの右手には、テーブルに残されたままの冊子が握られていた。 「・・・・・・ふん、あいつらあれでも誤魔化したつもりか。類の奴、やっぱり口止めしてやがったな」 車窓から流れるネオンを見ながら吐き捨てる。 「・・・面白ぇ。あいつがその気ならこっちだって考えはある。うんざりするほどつまらねぇ毎日の暇つぶしくらいにはなるかもな」 ニヤリと口角を上げて不敵に微笑んだその顔は、まるで獲物を見つけて喉を鳴らす獰猛な肉食獣のようだった。
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忘れえぬ人 5
2015 / 08 / 02 ( Sun ) 「お前、最近昼の度にどこ行ってんだ?」
戻って来るなりバッタリとデスクに突っ伏してしまった女に大塚が呆れ返る。 ここ一週間、昼になると同時に瞬く間に事務所を出て行き、やけにげんなりとした状態で時間ギリギリに戻ってくるの繰り返し。てっきり外に食べにでも出ているのだろうとばかり思っていたが、とても鋭気を養ってきた人間には見えない。 「ん~~、ちょっと野暮用があってさ・・・」 顔を上げる気力もないのか、俯いたまま無気力に答えるだけ。 「・・・・・・ひゃあっ!! なっ・・・何っ?!」 だが次の瞬間、突然頬を襲った凍り付くような感触に思わず立ち上がると、あまりの勢いに椅子がガタンと大きな音をたててひっくり返ってしまった。 「びびった・・・お前なに、すげーパワーが有り余ってんじゃんかよ」 「っていうか何っ?! びっくりしたのはこっちの方なんだけど!」 「ほら、すげー疲れてんだろ?」 「・・・え?」 スッと差し出されたのはつくしの大大大のお気に入りであるイチゴオレ。 このビル内のとある自販機にしか売っていないレアアイテムだ。 「え? これって・・・」 「見た感じ何も食ってねぇんだろ? 時間まであと5分あるから。とりあえずこれだけでも腹ん中入れとけよ」 そう言ってデスクの上に置かれたのは1つのおにぎり。 つくしはそれらと大塚の顔を交互に見ながら言葉を探すが、予想外のことに咄嗟に出てこない。 「あの、大塚・・・」 「いいのか? あと4分になっちまったぞ」 「えっ?! それは困るっ!!」 時計が示すのは1時まであと4分を切ったところ。 つくしは条件反射のように倒れた椅子を起こして座り直すと、余計なことなど全てすっ飛ばして目の前の宝の山にかじり付いた。 「ブハッ、やっぱお前女捨ててんな」 「うるはいっ!」 色気より食い気。結局4分もかからずにペロリと平らげてしまったつくしは、しばらくこのネタで大いにからかわれることとなった。 「大塚、今日はほんとにありがとう」 「あ? あぁ、別に。食いきれずに余ったのをやっただけだし。とどのつまりは残飯処理だ」 「え、でも甘いもの嫌いって言ってたよね?」 「うっ・・・そ、それは、まぁたまたまだ、たまたま!」 いつも軽くてからかってばかりの男だが、基本的に気配りのできる心優しい男だとも思う。 つくしは妙に慌てふためく姿がおかしくてたまらずクスッと笑った。 「・・・なんだよ」 「ううん。嬉しかっただけ。ありがと」 「お、おう・・・」 カァッとらしくもなく赤くなっていく頬を慌てて隠すが、当の本人はそんなことには露ほども気付かず何事もなかったかのように涼しい顔で荷物をまとめ始めた。 「おい牧野」 「うん?」 「今日メシ行かねーか?」 「えっ?」 きょとんと上げた顔がまるで小動物のようで、また緩んでいきそうになる顔を隠すだけでも精一杯だ。 「あ、いや、この前ダメだっただろ? で、すげー評判のいいメシ屋があるってダチから聞いてな。行ってみたいと思ってんだけど、どうせお前も暇だろうから一緒にどうかと思って。なんなら俺がおごってやっても・・・」 「あ~、ごめん。今日もダメなんだ」 「え?」 ほとんど隠せていなかった緩んだ顔がその言葉で一瞬にして消え去る。 「今日はどうしても外せない用があるんだよね。ほんとごめん! あたしも是非行ってみたかったけど・・・ほら、他の人達を誘って行ってみなよ! 行ったらまた感想聞かせて?」 「・・・・・・」 「あ、やばい、もうこんな時間。じゃあお昼はほんとにありがと。また来週!」 屈託のない笑顔を振りまくと、つくしはいつもと同じように1人1人に挨拶をして飛び出して行った。その後ろでがっくりと項垂れる男がいるだなんて夢にも思いもせずに。 「 ・・・・・・・・・あんの無自覚女、タチが悪すぎる・・・ 」 「 ドンマイ、大塚 」 まるで昼のつくしの再現のように突っ伏してしまった大塚の背中を、ポンポンと宥めていく手は後を絶たなかった。 *** 「あっ、いたいた!」 足音に振り向いた男性がニコリと微笑んで手を挙げる。 「ごめんっ、待った?」 「全然。今来たところ」 彼なりの優しさかもしれないと思いつつもほっと胸を撫で下ろしたつくしがあることに気付く。 「よっ、牧野」 「え・・・西門さん?! 美作さんも!」 カウンター席に並んで類に隠れるようにして座っていたのは色男2人組だ。 「え、どうしたの?」 「いや、飲むのに類にも声かけしたらお前と会うって言うじゃねーか。だったら皆で揃って飲むのがいいかと思ってさ」 「あ、そうなんだ・・・」 「なんだよ、類と2人っきりが良かったってか?」 「はぁ? 違うよ!」 「牧野、そこそんなに即答しなくてもいいんじゃない? 俺傷つくんだけど」 間髪入れずに否定されて類が悲しげに顔を伏せる。 「あぁっ、違う違う! そういう意味じゃなくって・・・って、笑ってるじゃん!」 「あ、ばれた?」 「もうっ!」 悪戯っ子の顔で笑うその姿は気まぐれな猫のようだ。 「で、何? あんたが呼び出すなんてよっぽどな用でもあったわけ?」 「あ・・・それなんだけどさ」 ガサガサと鞄の中から取りだしたのはビロードの小箱。 自分ではまず行くことのない宝飾店にわざわざ出向いてまで購入したものだ。 「・・・何?」 「この中に例のタイピンが入ってるの。ほんとに申し訳ないんだけど、花沢類からあの人に返してもらえないかな」 「・・・牧野が責任もてって言ったよね?」 「言った。だから責任持って返しに行った。でも門前払いでどうにもこうにもならないの。この一週間、時間を見つけては毎日足を運んでるんだけど・・・行けば行くほど不審者扱いされちゃって。受け取ってもらえないどころかそのうち警察に通報されるんじゃないかとすら思えるの。だからもう花沢類に頭を下げるしか方法がないの。・・・お願いしますっ!」 「・・・・・・」 今の自分にできる方法は全てやった。 が、どれもこれも見事に玉砕した。 たかだか落とし物を届けるだけの行為が何故こんな結果になってしまうのか。 考えたところでその理由などわかるはずもなく。 困った時の花沢類頼みじゃないが、もうこれ以外に方法は見当たらない。 つくしは全身全霊で頭を下げ続ける。 「これなんだ?」 「あっ!」 横から伸びてきた手がヒョイッと箱を取り上げる。 「なんだこれ、ネクタイピンか? 牧野にしちゃ随分珍しいもん持ってんな。 男・・・なんているわけねーか。どうしたんだよ?」 いるわけねーは余計だ! ・・・まぁ全く間違ってはいないけど。 「つーかこれ相当な高級品だな。類のもんか?」 「いや、司の」 「えっ?」 サラッと返された言葉に総二郎とあきらの動きが止まった。 そしてその意味を理解すると驚いた顔でゆっくりとつくしに視線を移す。 「・・・お前、司に会ったのか?」 「え? あ、うん。 この前花沢物産に行った時にエレベーターのところでぶつかっちゃって。その時に落としちゃったみたいなんだけど・・・あたしこんな高価なものなんて持ってられないから」 「つーかポイントはそこじゃねぇだろ・・・」 「えっ?」 「・・・いや、何でもねぇ」 つくしを見れば昔と状況は何も変わっていないことは明白だった。 それは先日司と会ったときにも再認識したことで、直接顔を合わせた結果をもってしてもそうだということが何とも言えない寂しさを生み出していた。 「この際花沢類じゃなくてもいいや。西門さんと美作さんもその人の親友だって言ってたよね? だったらあたしの代わりにこれを返してくれないかな? 道明寺ホールディングスに行ってもなす術がなくて本気で困ってるの」 「いや、それは・・・」 チラッと困惑したように男同士が視線を合わせる。 やっぱりこの話になるとどうもおかしな空気になる。 一体何故? 「ねぇ、なんでそんなに頑なに受け入れてくれないの? あたしそんなに我が儘なお願いしちゃってるのかなぁ?」 「いや、決してそういうことはねぇと思うぞ」 「だったらお願い! これ返しておいて? きっとその人だって困ってると思うから・・・」 「いや、多分それもねぇぞ・・・って、 あ。」 「えっ?」 何かを見て声を上げたあきらの目線を咄嗟に追う。 「・・・あっ!」 と、無意識でつくしも全く同じ反応をしてしまっていた。 スラリとしたモデルのような体躯、一目見て一級品だとわかる仕立てのいいスーツ、見る者全てを黙らせるような鋭い眼光。 ・・・そして一度見たら忘れようのない特徴的な髪型。 「 道明寺司・・・ 」 思わず口にしていたその名の男がこちらへ向かって歩いてきていたのだから。
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