王子様の憂鬱 1
2015 / 12 / 28 ( Mon ) 「あ~、今日も王子は爽やか~!」
「あんなにイイ男なのに独身だなんて信じらんない!」 「でもヘタに誰かのものになるよりは独身でいてくれた方がよっぽどマシじゃない? 独身ならたとえ僅かでも可能性は誰にでもあるんだから」 「やだ~、あんたったら夢見すぎ! 相手は大企業の専務よ?」 「バカね、世の中嘘のようなほんとのシンデレラストーリーもあるのよ! 前に言ったでしょ? 道明寺ホールディングスの社長が結婚相手に選んだのは超貧乏人の一般人だったって!」 「・・・そういえばそんな話してたわね」 「何か裏事情でもあるかと思えば結婚して20年以上経った今でも超ラブラブの純愛婚だっていうじゃない!」 「え~、素敵ぃ~っ!!」 「つ・ま・り! あたしたちだってそのシンデレラになる可能性は・・・」 「「「 ゼロじゃない?! 」」」 全員の声が見事にハモると、きゃ~っと黄色い歓声があがった。 「あ~、でも毎日あんな王子様を拝めるだけでも幸せ・・・」 「見た目もよくてステイタスがあるって卑怯よね~。一緒に仕事した人からは優しいって専らの評判だし、非の打ち所がない王子様だわっ!」 「でもさぁ、春から専務の下に新人がついたんでしょ? しかも女っ!」 「そうっ、そうなのよっ! 新卒なのにいきなり専務付秘書ってありえなくない?!」 「ほんとほんと、だって専務には山野さんっていう完全無欠のスーパー秘書がいるのに! 若手を育てるのに第2秘書をつけることもあったけど・・・専務付は男ばっかりだったでしょ? なんで今回だけ女なのよ?!」 「明らかにおかしいわよね・・・あんたその子の顔見たことある?」 「あたしはないけど別の部署の子はチラッと見たって言ってたわ」 「そうなの?! どんな感じだって?」 「それがさ・・・眼鏡はかけてるけどどうも可愛いらしいのよ」 可愛いという聞き捨てならない言葉に女達の目がピクッと光った。 「可愛いって・・・マジ?」 「あたしが見たわけじゃないからわかんないけど、遠目で見た感じはそうらしいのよ」 「やだやだやだーっ!! 王子に女の部下がついたってだけでも嫌なのに、可愛いだなんて絶対に認めないっ! 百歩譲ってもブスかデブ以外はいやっっ!!」 「あんたの気持ちはわかるけどさ、さすがに人事に関してはどうにもできないじゃない」 「・・・今度探しに行ってみる?」 「えっ?」 「その子のこと」 「探すって・・・フロアも全然違うのに会うチャンスなんてないんじゃない?」 「友達の友達が秘書課にいたはずだから、ちょっと探りを入れてもらえないか頼んでみるわ!」 「マジ?」 「マジマジ!!」 「それってちょっと楽しみかもー・・・って、あっ! ちょっと、時間っ!!」 「えっ? ・・・やばっ、急いで戻らなきゃ!」 「あっ? ちょっと待ってよぉっ!!」 慌てて口紅をポーチに押し込むと、バタバタと騒々しい音をたてながら女達は廊下の向こうへと消えていった。 ・・・・・・・・・ガチャッ 声が完全に聞こえなくなってからさらに数十秒後、1つの個室の扉が控えめに開けられた。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 足音をたてないようにそろりそろりと洗面台の前までやって来ると、鏡の中に写る自分を見ながら盛大に溜め息をついた。 「はぁ~・・・10分近くも個室に閉じ込められるなんて・・・さすがに予想外でしょう」 どれだけお腹が大変なことになってると思われることやら。 もう一度溜め息をついたところで時計を見て一気に青ざめた。 「まずい、ほんとに時間がない! 資料を取ってすぐに戻らなきゃ!」 周囲にさっきの女性人がいないことを確認すると、一目散にその場から駆け出した。 *** この会社には王子様がいる。 眉目秀麗、物腰は柔らかいのに頭はキレる。 もっている肩書きは文句なし、おまけに独身。 そんな男を世の女性が放っておくはずもなく。 未だ空白の妻の座にになんとかして自分が!と思う女は後を絶たず、身分違いとわかっていても夢を見る女達も数知れず。 そんな王子様がここにはいる。 「う゛~~・・・お゛もっ・・・!」 ヨロヨロと今にも倒れそうな体を気合と根性でなんとか奮い立たせる。 本当は二度に分けて運ぶつもりが予定外に時間がなくなったせいで一度で運ぶ羽目になってしまった。仕事は時間厳守。ましてや秘書たるもの、上司が円滑に業務を行えるようにするのは当然のこと。 「ノ、ノック・・・」 両手は完全に塞がった状態。ラッキーなことに偶然居合わせた人に扉を開けてもらえながらここまで来たはいいものの、最後にして最大の難関が立ち塞がった。 たった一枚の専務室の扉が重くて遠い。 あいにくもう一人の上司である山野は今日は別件で不在だ。 時間を考えれば自室に戻って荷物を二分している余裕はない。 ・・・ここは最後の力を振り絞るしかなさそうだ。 ふぅっと深呼吸して心を整えると、必殺片手持ちをするべく全身に力を集中させた。 「せーの・・・わわっ?!」 が、右手を動かした次の瞬間、それまで自分に襲いかかっていた重力が一瞬にして消え去った。 踏ん張っていた体はその急な変化についていけず、途端にバランスを失ってしまう。 「わぷっ!」 よろけた体が顔から何かにぶつかると、ふわりと柔らかな香りが体中を包み込んだ。 「なんでこんな重いもの1人で持ってるんだよ」 「えっ・・・?」 頭上から降ってきた声に顔を上げると・・・ 「言っただろ? 1人で頑張りすぎるなって。お前の悪い癖だぞ」 さっきまで自分が両手で必死に持っていたのがまるで嘘のように、片手でいとも簡単に書類を持ち上げているその男性。 「ハルに・・・専務」 「フッ、2人きりのときはいつも通りでいいって言っただろ。 花音」 そう言って木漏れ日のような優しい笑顔を見せたこの人は・・・ 誰もが憧れる王子様であり、 あたしの初恋の人でずっとずっと好きだった人であり、 あたしの上司であり、 ・・・そして、あたしの恋人だ ____
根強いリクエストにお応えしてついにスタートです!30超えて初恋状態のハルと天然小悪魔花音のイチャラブをどうぞお楽しみください(*^^*)そしてつかつくファンの皆様もご安心を。我が家ではレアな中年つかつくがここでも活躍しますのでそちらもあわせて楽しんじゃってくださいねっ! スポンサーサイト
|
王子様の憂鬱 2
2015 / 12 / 29 ( Tue ) 「花音は?」
「彼女なら食堂に行くと仰ってましたが」 「・・・あいつ、また黙って行ったな」 一緒に行ってみたいから行くときには必ず声を掛けろとあれだけ言っていたのに。 毎度毎度うまいこと隙を見つけてはまるで脱兎の如く逃げられる。 「・・・なんだよ」 「いえ? 何も言っておりませんが?」 「お前の目は口よりも正直なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」 明らかに何かを含んだ目で見ているくせに、何でもないなんてのたまうこの男が憎たらしい。 「・・・では僭越ながら一言だけ。決して専務のことを言っているわけではありませんので誤解なきよう。あくまでも一般論としてお聞きいただけたらと。年甲斐もなく独占欲が強いといずれ女性に逃げられるとよく耳にし・・・」 バンッ!!! 「・・・・・・ご自分が言えと仰ったのに、全く困った方ですね」 言葉を遮るように目の前で勢いよく閉まった扉を前に、山野がやれやれと一つ息を零した。 *** 「くっそ、山野の奴、いつまで経っても人で遊びやがって・・・」 幼少期から自分を知り尽くしている山野が相手だとどうにもこうにも分が悪い。 特に花音と恋人関係に変わってからというもの、ことあるごとにからかわれて面白くないったらない。今頃してやったりと書類を見ながら1人ほくそ笑んでいるに違いない。 あぁ、クソッ! 「そもそも花音の奴が俺に一言声さえかけてればこんなことには・・・」 次こそは絶対と言ってたくせに。 最初から逃げる来満々だったのがまた面白くない。 「せ、専務?!」 突然現れた男を前に驚きに固まる社員を前にニッコリ笑う。 彼らが驚くのは当然のことだろう。俺がここへ来るのは初めてなのだから。 最初は数人だったざわつきがたちまち広範囲へと広がっていくのを横目で流しながらすることはただ一つ。目的の人物を見つけ出すことだけだ。 だがそれもほんの一瞬のこと。広い空間でその人物が何処にいるのか、探し出すよりも先に見つけてしまった。まるで自分の体内には専用レーダーが備わってるんじゃないかと思えるほどの早技に、我ながら笑えてきた。 何やら楽しそうに談笑しながら食後のお茶を口にしている女性の後ろから静かに近づいていくと、彼女よりも先に向かいに座る別の社員がこちらに気付いてその顔を驚愕の色に染めた。 まるで金魚のようにパクパクと口を動かしている。 「せ・・・専務・・・!」 「えっ?!」 その言葉に驚いた目的の人物がここにきてようやく俺の顔を見た。 「ハ・・・せ、専務! どうしてこちらへ?!」 「どうして? その理由は君の方がよく知ってると思うけど?」 「 ! 」 ニッコリ笑いながらチクリと痛いところをついてやると、花音の顔がみるみる困惑していく。 それを見ていたら俺の悪戯心にムクムクと火がついた。 「せっかくだから俺もここで何か食べていこうかな」 「きゃーっ、うそっ!」 「え、いや、ちょっと・・・!」 歓喜に湧く女性社員とは対照的に花音はますます焦っている。我ながら意地が悪いなと思いつつ、何度も俺を出し抜こうとする花音を多少なりとも懲らしめてやりたいと思うのも本音なわけで。 「ねぇ牧野さん、どうやって頼むのか教えてよ」 「えっ?! いや、それは、あの、専務・・・!」 「どこに行けばいいの? あっち? ねぇ、一緒についてき・・・」 「す、すみませんでしたっ!!」 ごく自然に肩に手を置いた瞬間、ガッタンと音をたてて花音が立ち上がった。 顔を真っ赤にして、今にも泣きそうな情けない犬のような顔で俺を見上げながら。 ・・・まずい、ミイラ取りがミイラになる。 「大事な資料を準備するのを忘れてましたっ! それを教えるためにわざわざここに来てくださったんですよね? すぐに戻りますから、本当に申し訳ありませんでしたっ!」 「え、いや、」 「すみません、そういうことなので先輩、お先に失礼しますっ!」 「えっ? 牧野さんっ?!」 一緒に食事をしていた同僚の戸惑いを尻目に慌ただしくトレーを持ち上げると、花音はまるでここから逃げるように俺の横をすり抜けて騒がしい食堂から出て行ってしまった。 「あ、あの、専務、よろしかったら私達がやり方をお教えしますけど・・・」 タイミングを待っていたかのようにどこからともなく現れた女性社員の声に振り返る。 見れば自分に自信を持っているのがよくわかるタイプの数名の女子社員がこのチャンスを逃してなるものかとハンターの目をギラギラさせて俺を見上げていた。 同じ仕草でもこうも変わるものなのか・・・ 「ありがとう。でも俺には有能な秘書がついてるから大丈夫だよ。じゃあ失礼するよ」 「えっ・・・?」 営業スマイルを浮かべて唖然とする彼女たちの横をすり抜けると、獲物を捕まえるべく急いでこの場を後にする。出た瞬間、背後から悲鳴のような騒ぎ声が聞こえてきたがそんなことはもちろん完全無視だ。 *** ガンッ!! 「きゃあっ?!」 ほとんど閉まりかかっていた扉の隙間から突如伸びてきた手足に悲鳴が上がった。 「なんで俺を置いていくんだよ、花音」 「えっ・・・せ、専務?!」 開いた扉から現れた俺を目にした花音が驚きに染まる。 役員専用のエレベーターにいるのは彼女1人。俺はすぐに閉ボタンを押すと、ズイッと体を押し込んで花音を壁へと追いやった。逃げ場のない彼女は当然ながら壁と俺に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。 「約束したよな? 社食に行くときは声をかけるって」 「う・・・そ、それは・・・」 「花音は俺と行くのが嫌なの?」 「そ、そんなことないっ!!」 必死に首を振る姿にほんの少しだけほっとしたのは内緒だ。 「じゃあなんで。どう考えても意図的に避けてるだろ」 「そ、れは・・・」 「花音、正直に言って」 決して怒らず柔らかい声でそう言うと、花音は困ったような顔でおずおずとこちらを見上げた。 ・・・あー、やばい。この顔には昔っから弱いんだよな。 「・・・だって、ハルにぃと一緒にいたら大騒ぎになっちゃうから」 「別に構わないだろ?」 「よくないよ! ハルにぃは色んな意味で注目を浴びる人なんだから・・・」 「何ら問題ないだろ? お前は俺の秘書で婚約者だ。いつだって俺たちの関係を公にしたって構わないんだ。うちは社内恋愛だって自由だし、誰に何を言われる覚えもない」 「それはまだダメっ!!」 「どうして?」 大きな黒目を揺らしながら、花音はどこか戸惑いがちに言葉を続けた。 「だって・・・まだ社会人になったばかりだし、あたしみたいな新人が専務の下で働くなんて、やっぱり納得がいかない人だっているだろうから・・・」 「お前が実力でうちに入ったのは俺が一番わかってることだろ」 「そうだけど、でも今は自分のすべきことをちゃんとしたいの。あたしたちの関係を公表することでハルにぃが公私混同したって言われるのだけは嫌だから。まずはきちんと認められるような自分になりたいの」 そう言った顔はさっきとは対照的に強い意思に満ち溢れていた。 おっさんとつくしを足して2で割ったような、そんな真っ直ぐな眼差しで。 「・・・花音、正直に答えてくれよ?」 「・・・? うん」 「うちに入って嫌な目にあったりしてない? 陰口言われたり、嫌がらせされたり」 「 ! ・・・ううん、なんにもないよ」 「本当に? 正直に言えよ? もし後で嘘だってわかったら本気で怒るからな」 「本当に本当。・・・あたしのことが話題になってるのを偶然耳にしたことはあるけど、嫌な目にあったりとかは本当にないの。だから何も心配しないで?」 「・・・・・・」 その真意を探るべく花音の目をじっと見つめる。 一点の曇りもないその瞳は嘘など言っていないことを如実に語っていた。 「・・・わかった。お前の言うことを信じるよ。ただし少しでも何かあればすぐに俺に言うこと」 「わかった。ハルにぃ、心配してくれてありがとう」 「こうでも言っておかないとお前は何でも1人で抱え込むからな。まぁ入社して1ヶ月そこそこで俺たちの関係を公表することに気が引けるってお前の考えも理解できるし、もう少しは様子見にしておく」 「えっ・・・いいの?」 「いいもなにも、お前はそれを望んでるんだろ?」 「う・・・ごめんなさい・・・」 シューンとわかりやすく落ち込む姿にたまらず笑ってしまった。 「ただし近い将来俺たちは結婚する。黙ってられる期間もそう長くはない。それはわかってるな?」 「うん。だからこそそれまでは精一杯頑張りたいの。・・・あっ! もちろんそれからも変わらずに頑張るんだよ? えーと、なんて言えばいいのかな、」 「クスッ、わかってるって。お前の言いたいことは全部わかってる。俺の立場上、お前の存在を公表するしないにかかわらず何かしらやっかみを抱く人間は出てくるかもしれない。俺の知らないところでお前がそんなことに苦しめられることは絶対に許せないんだ。だから絶対に1人で全てを抱え込むな。何かあれば俺に言え。お前のためだけに言ってるんじゃない、そうすることが俺たちのためになるから言ってるんだ」 「あたしたちのため・・・」 「そうだ。これからはどんなことでも2人で乗り越えていく。そうだろ?」 「ハルにぃ・・・」 うるっと瞳を揺らすと、キュッと唇を噛んでゆっくり大きく頷いた。 ・・・あー、もう限界だ。 「・・・? ハルにぃ?」 「少しだけ充電」 「えっ? えっ?! ちょっ・・・ここ会社だよ! 今仕事中だよっ!!」 壁に手を当てたままゆっくりと顔を近づけていく俺の体を花音が必死で押し留める。 が、止まってやる気などさらさらない。 「大丈夫。昼休みが終わるまであと5分あるから」 「でもっ、ここエレベーターの中っ、誰か来たらっ・・・!」 「それも大丈夫。扉が開く時にはいつも通りに戻るから」 「そっ、ハルにぃっ・・・!」 「もう黙って? 花音」 「ハル・・・んっ・・・!」 まだ何か言いたげな唇ごと塞いでしまうと、途端に小刻みに震え始めた体ごと抱きしめた。 こういうことに慣れていない花音は未だにこうする度に震えてしまう。本人は全くの無意識のようだが、それがまた俺の庇護欲を掻き立てていることを本人は気付いているのだろうか。 ・・・なんて、考えるまでもないか。 大事に大事に、何よりも大切にしたい俺のお姫様。 「んぅっ・・・ハァっ・・・!」 ポーーーーーーン 花音の口から艶めかしい吐息が漏れたところで電子音が響く。 扉が開く直前もう一度啄むようにキスを落とすと、次の瞬間俺のスイッチが切り替わった。 今起こったことがまるで嘘のようにクールな仮面を被ると、放心状態で固まる花音に振り向きざまに言った。 「じゃあ牧野さん、また後で」 花音にしか見せない特別な笑顔を見せてエレベーターを後にする。 後ろを振り向かなくとも、背後では彼女がズルズルと真っ赤な顔でへたり込んでいる姿が目に浮かぶ。そのことでまた顔が緩みそうになるのをグッと堪えた。こんな姿を見られたらまた山野にどんな嫌味を言われるかわかったもんじゃない。 「・・・にしてもやばい、かなりの中毒性があるな・・・」 専務と秘書の甘美な秘め事。 まさか自分が職場でこんなことができる人間だったとは。一番驚いているのは他でもないこの俺自身だ。 果たしてこの調子で本当に自分を抑え続けることができるのだろうか? その自信は・・・・・・まるでない。
|
王子様の憂鬱 3
2015 / 12 / 30 ( Wed ) 「おはよう、パパ、ママ」
「・・・おはよう」 「おはよう、花音。今日も早いのね?」 ダイニングテーブルに腰掛けると、手を合わせて綺麗にお辞儀をしてから朝食に手をつけた。 「そんなことないよ。ハルにぃはそれよりももっと早く来てるから」 「あら、そうなの?」 「うん。今日こそはハルにぃより先にと思って気合を入れて行くんだけど・・・いつ行ってももうデスクについて仕事してるの」 「へぇ~、ハルってば頑張ってるんだ」 「うん、すっごくいっぱい頑張ってる。少しでもその負担を減らせたらって思ってるけど・・・まだまだあたしは力不足で。・・・ん、お漬け物おいしい!」 「でしょでしょっ?! あたしの渾身の浅漬けなんだから!」 つくしのガッツポーズに花音がクスッと笑う。 「ママの作る料理って大好き。あたしにももっともっと色んなものを教えて欲しいな。この4年はずっとアメリカだったから、正直向こうでレパートリーが増えてないんだよね」 「・・・それに、近い将来またここからいなくなっちゃうしね?」 「えっ?」 意味深なウインクの意味を理解すると、花音の頬がほんのりと赤みを帯びていく。 「あらあら、我が娘ながら可愛いわね~! ね、司もそう思うでしょ?」 「・・・・・・」 「もうママっ、からかわないでよ!」 女同士独特のやりとりを司は新聞に視線を落としたままで聞き流している。 決して口数は多くないが、余程のことがない限りはこうして必ず朝食を共にとる。これは花音が物心ついた頃から常に行われてきた道明寺家での日常。 その中心には必ず母の存在がある。 「・・・お前、それいつまで続けんだよ」 「えっ?」 「それだよ、その無駄な変装」 珍しく口を開いた司が顎で示したのは花音が身につけている眼鏡。 彼女の視力は両目とも1.5とすこぶる良好だが、社会人になったと同時に何故かこの眼鏡をつけるようになった。当然ダテだが、これをかけて胸上ほどまである綺麗な黒髪を1つに束ねる。 これが今の花音の正装だ。 「これは・・・」 「わざわざ顔を隠すような必要でもあんのか?」 「そ、そういうわけじゃないの! ただ、これは自分への気合注入っていうか・・・」 「そうじゃねーだろ?」 「・・・・・・」 誤魔化しは一切認めない追求に、花音はそれ以上口ごもってしまった。 「まぁまぁ、何だっていいじゃない。それで仕事に悪い影響が出るようなら困るけど、ちゃーんと真面目に頑張ってるんだから。それに、ハルだってそれでいいって言ってくれてるんでしょう?」 つくしの助け船に花音がコクンと頷く。 「じゃあ何の問題もないじゃないの。花音の上司はハルなんだから。あの子が認めてるのならあたし達が口を出すのは無粋ってものでしょ?」 「・・・・・・」 「ということだから花音は気にしなくていいのよ。今のままで頑張りなさい」 「ママ・・・」 この家で・・・いや、この世で司を黙らせることができるただ1人の人物。 その人こそが花音がこの世で一番憧れている女性。 母のように強く美しい女性になりたい。 そうして愛する人に心から愛される女性になりたい。 子どもの頃からずっと抱き続けてきた密かな想いだ。 「ほら、そろそろ時間なんじゃないの?」 「あ、ほんとだ。ご馳走様でした。・・・・じゃあ行ってきます!」 「はーい、気をつけて行ってらっしゃい!」 あれっきり何も言わなくなってしまった父の様子を気にしながらも、花音は荷物を取ると急ぎ足でダイニングを後にした。姿が見えなくなるまで手を振り続けると、やがてつくしがニヤニヤしながら司の隣へと腰を下ろす。 「全く、相変わらず心配性なんだから」 「誰がだよ」 「あんなわざと誤解を与えるような言い方しなくってもいいのに。素直に仕事は楽しいか? 何か嫌な目にあったりしてないか? って聞けばいいでしょ?」 「だから何がだよ」 言えば言うほどぶっすーとふてくされていくその姿に笑いが止まらない。 「んも~、結婚だって認めたくせに、あーい変わらずハル絡みになると素直じゃないんだから」 「お前なぁっ!」 「きゃあっ?! あはははっ! やめてよね、もう!」 グイッと膝の上に体を引き摺られて羽交い締めにされてしまった。 「・・・ったく、年を追う事にますます似てきたな」 「えー、何の話?」 「牧野の姓まで名乗って。おまけにわざわざ目立たないように変装までして、極めつけは電車通勤と来たもんだ。俺に似りゃあそんな遺伝子は引き継いでるわけがねーんだよ」 「あははは! 遺伝子の話までいっちゃう?」 「どう考えたってお前のNBA引き継いでんだろうが」 「NBAってあんたね・・・40代も折り返してそりゃないでしょーよ。あたしゃマイケルジョーダンかっつーの」 「ったく、なんだってわざわざしなくていい苦労をするんだか」 苦虫を噛み潰したような顔で溜め息をつく彼の想いは自分と同じ。 大事な娘に幸せになって欲しい、ただそれだけだ。 つくしはクスッと笑うと、体を反転させてそんな可愛い夫と向き合った。 「だーいじょうぶ! あの子には司の血も半分流れてるんだから。雑草のあたしよりももっともっと逞しい子よ」 「・・・・・・」 「それに、あの子にはハルがついてる。万が一何かあったときにあの子を守るのはもうあたし達じゃない、ハルの役目よ。あたし達にできることはそれを温かく見守ってあげることだけ。そうでしょ?」 「・・・・・・」 「ふふ、司はただ心配してるだけよね。頑張り屋のあの子のことだから何でもかんでも自分1人で抱え込んじゃうんじゃないかって。でも大丈夫。ハルはそんな花音を誰よりも大事に見守ってるわ」 「・・・やけにあいつの肩をもちやがんじゃねーか」 「えっ? あっははは! やだもう、まさかやきもち?! も~、相変わらず司ってば可愛いんだから~!」 「ざけんな!」 「きゃーっははははっ!」 ガシッと顔を掴まれて逃げ場を失い、つくしが身を捩って大笑いする。 こういうときの司は決まって照れ隠ししているのだ。 「でもさ、ほんとはそれだけじゃないんでしょ?」 「・・・なにがだよ」 「花音の心配してるのはもちろんだけど、ほんとはハルのことも気になってるんでしょ? 今のハルがどんな気持ちで花音のことを見守ってるのかを一番理解してあげられるのは司しかいないもんね? 全く、なんだかんだ言ってハルにも優しいんだから~!」 「・・・んの野郎、減らず口はこうしてやるっ」 「えっ?! わーーーーっ、待って待ってっ! メイクが落ちゃっ・・・っ!!」 急な愛情表現もまた照れ隠し。 それを誰よりも知っているつくしは呆れながらも笑ってそれを受け入れると、クルクルの髪に自分の指を絡めてしばし甘い一時に身を預けた。
寝かしつけた後にチビゴンの調子が悪くなりグズった関係で予定より短くなってしまいましたm(__)m ちなみにバナーは昨日と今日とでバカップル対決となっています(笑) それからこのところなかなかコメント返事ができずにごめんなさい>< たーくさんいただいているのですが、現状そこまでの時間が取れずにいます。でもコメントにやる気をもらって更新できています! ドキドキしながら始めたこちらのお話、おかげさまで大好評で本当に嬉しく思ってます(* ´ ▽ ` *)またお返事も近いうちに再開しますので、懲りずにいただけましたら嬉しいです(*^ー^*)皆さんいつも有難うございます! |
王子様の憂鬱 4
2015 / 12 / 31 ( Thu ) 「香田さん、ありがとうございました!」
「とんでもございません。花音お嬢様、どうかお気をつけていってらっしゃいませ」 「は~い、行ってきますっ!」 ニコニコといかにも人の良さそうな笑顔を見せるのは運転手の香田さん。 彼に負けじと大きく手を振ると、あたしは駅の階段を駆け上がっていく。 これがあたしが社会人となってからの日常だ。 電車通勤をしたいと願い出たあたしに、当然のようにパパは大反対した。 わざわざする必要のない苦労をするなと言って。 もちろん反対する理由はそれだけじゃなくて、一番はあたしの身の安全を考えてくれているからこそ。日本ではアメリカにいた頃よりもあたしのことを知っている人は多いから、その分よからぬことを企む人間だって増えるというのがパパの考え。 パパがそう考えるのは当然のことだし、あたしだって自分が普通とは違う家に生まれ育ったという自覚はある。 でもだからこそ、普通と変わらない経験も大事にしたい。 結局少し離れたところからSPさん達に見守ってもらっているという特殊な状態であることは変えられないけど、それでもごくありふれた日常を体験できることはあたしにとっては何よりの宝物。 とても厳しいけれど、気が付けばいつだって自主性を尊重してくれている、それがパパ。 そしてあたしの知らないところでそんなパパを説得してくれているのは他でもないママだってこと、あたしは知ってる。 子どもが言うのもなんだけど、あの2人は本当にあたしの憧れだ。 時々こっちが恥ずかしくなるくらいラブラブ過ぎて目を逸らしちゃいたくなることもあるけど、いつもは物静かなパパがママの前では嘘のように色んな表情を見せる。そしてそんなパパを見てママはもっともっと嬉しそうな顔で笑うのだ。 『 溢れるほどの幸せ 』 2人はいつもそんなオーラで満ち溢れている。 唯一無二。 そんな絶対的な存在に出逢うことができた2人を心から羨ましく思う。 ・・・そしていつか自分に子どもができたら、彼らにも同じように感じてもらえたら幸せだななんて、そんなことまで考えてるって知ったらハルにぃは何て言うだろう? 笑う? 呆れる? ・・・ううん、今の彼ならきっと微笑みながら頷いてくれるに違いない。 「 牧野さんっ! 」 「 きゃっ?! 」 1人夢の世界に浸っていると、突然後ろから肩を叩かれて飛び上がるほどびっくりした。 驚きに目を見開いて振り返ると、声をかけてきた相手もまた驚いている。 「ご、ごめんっ! そんなにびっくりされるとは思わなくて・・・」 「あ、山口さん・・・。ごめんなさい! ちょっとボーッとしてたからびっくりしてしまって。おはようございます」 「おはよう。牧野さんってこの路線だったんだ? 初めて見るよね?」 「あ、はい。その日によって乗る時間が微妙に違うので多分それでじゃないかと・・・」 「あぁ、そういうことか。へー、でもそっか、同じ路線だったのかぁ」 「? はい・・・」 なんだか妙に嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。 彼には以前仕事で書類を届けたことがあり、それ以降会社で顔を合わせた時にはよく声を掛けてくれるようになった。聞くところによると営業部でも出世頭の筆頭だとか。 ただ花音には気になることが1つだけあった。 それは彼が妙に馴れ馴れしいということ。フレンドリーと言えば聞こえはいいが、彼の場合はそれとはまた違う感じがするのだ。先輩後輩というほどの仲でもなければ当然友人でもない。単純に仕事を通じて顔見知りになった、まだその程度の認識しかないはずなのに、ことあるごとにそれ以上の接し方をしてくるのがどうにもこうにも慣れないのだ。 とはいえそれが平常運転という人がいるのも事実なわけで、人によって感じ方は様々。 自分と違うからといってそれを無碍にするのは相手にも失礼というもの。ましてや何かをされたわけでもないのだから尚更のこと。 「はいどうぞ」 「あ・・・ありがとうございます」 最寄り駅に着いた電車から降りやすいように誘導してくれた彼に軽く会釈をして先に降りると、ピタリと横に寄り添うように後についてくる。 (距離が近いような気がするけど・・・考えすぎだよね?) チラッと様子を伺うと、バチッと目があって慌てて前を向いた。 (なんでこっち見てるの?!) 知らず知らず歩幅が大きくなっていくが、相手は大人の男性。必死で歩いてやっと普通の一歩と同じくらいなのだから、それで距離が開いてくれるはずもなく。 (考えすぎるのは相手にも失礼。気にしない気にしない・・・) 近すぎる距離感に違和感を覚えながらも、花音は必死に頭の中を切り替えようと努めた。 早く会社に着いてと願いながら。 「そっかー、牧野さん同じ路線なのかー。全然気付かなかったなぁ」 「そう、みたいですね」 「じゃあ俺も牧野さんと同じ時間に乗ろうかな」 「えっ?!」 まさかの一言に必死で前に出していた足が止まってしまった。 今・・・なんと? 驚愕する花音をよそに山口はますます上機嫌になっているように見える。 「だってさ、そうすれば毎日こうして一緒に通勤できるでしょ」 「一緒にって・・・」 「あれ、俺と一緒に行くの嫌?」 「いえっ、嫌・・・とかそういうことではなくて・・・」 「じゃあいいじゃん。一緒に行こうよ」 「いや、それは、あのっ・・・」 困る。困ります! っていうか嫌ですっ!! ・・・そう言えたらどんなにいいか。 仮にも相手は会社の先輩で自分はペーペーの新人だ。 断ろうにも角が立たないようにするには一体どうすればいいのだろうか。 何事もそつなくこなす上に努力の人である花音だが、こういうことに関してはめっきり免疫がないことが唯一の欠点だった。とかく異性に関して免疫がなさ過ぎるのだ。 「あ、っていうかさ、携帯の番号教えてよ。あとラインもやってる?」 「えぇっ?!」 何でそういうことになるんですか! いくらなんでも話が飛躍しすぎじゃ・・・? ・・・さすがにここまでくればいくら鈍いあたしにだってわかる。 彼が自分に対して少なからず好意を持ってくれているということくらい。 そして今まさにグイグイ押されている状況なのだということも。 こちらの困惑などまるで無視で嬉しそうにスマホを取り出した彼を見ながらここから逃げ出したい衝動に駆られる。 「あ、あの、山口さん、」 「いいよいいよ、遠慮しないで。会社だとなかなか会えないでしょ? こうして偶然会えたのも何かの縁だと思うからさ、これを機に親睦を深めようよ」 「いえっ、そうじゃなくて、私は・・・!」 「 牧野 」 えっ・・・? 2人の会話を切るように背後から聞こえてきた声にドクンと胸がざわつく。 この声は・・・ 「ハ・・・専務っ?!」 「おはよう、牧野」 「お・・・おは、ようございます・・・・・・え?」 花音が激しく困惑するのも無理はない。 入社して1ヶ月以上。未だかつて遥人よりも先に出勤できたためしはない。 こうして出勤途中に顔を合わせたことなど一度だってないというのに、一体何故ここに? 目と鼻の先に会社が見える位置で棒立ちする花音にニコニコと微笑みながら近づいてくる男が1人。まだ朝早いというのに誰もが見惚れるほどの完璧な出で立ちは、まさに王子の名に相応しい。 「せ、専務! おはようございますっ!」 「おはよう。うちの秘書が何か失礼でも?」 「えっ?」 「遠くから見てたら彼女がもの凄く困ってるように見えたからさ」 「そ、そんなことは・・・!」 「そう? 俺には今にも泣きそうなくらい困ってるように見えたけど?」 「・・・っ!」 慌てて花音を見ると、額面通り困惑した顔で目を逸らされてそこで初めて現実を直視する。 浮かれるあまり都合の悪いことは何も見えていなかったらしい。 いや、単に見ようとしていなかっただけなのかもしれないが。 「彼女はとても優秀な秘書だけど・・・万が一にも君に何か失礼をしたのであれば直属の上司である私が代わりに謝らせてもらうよ」 「いっ、いえっ! とんでもありませんっ! 彼女は何もしてなどいませんから!」 「そう? 牧野も大丈夫?」 「は、はい・・・」 「ならよかった。じゃあここからは俺と一緒に行こうか。どうせ行く場所は同じなんだし」 「えっ・・・?」 「さ、行こう」 ぽかんと呆気にとられる花音をよそに、遥人はニコッと微笑んでみせる。 その瞳は 「大丈夫だ」 と言っているように見えた。 ・・・なんて言ったらまた笑われてしまうだろうか。 「あの・・・山口さん、お先に失礼します」 「えっ? あ、あぁ、じゃあね」 目の前に専務が現れるという突然の事態に山口も状況が掴めていないようだった。 どこか呆けている男を一瞥すると、遥人は前を行く花音を守るようにしてピタリと歩幅を合わせて歩き出した。 「そういえば彼氏と行ったフレンチはどうだった?」 「えっ!!!」 「まーまー、照れなくていいから」 「えぇっ?! あのっ・・・! ・・・!」 『 彼氏 』 はっきりと聞こえた言葉にガツンと頭を殴られたような衝撃を受ける。 遠ざかっていく彼女はまるで恋人に微笑むかのように嬉しそうにしているではないか。 さっきまでの夢のような時間はまさに夢と散り、取り残された山口はいつまでもその場から動くことができなかった。
|
王子様の憂鬱 5
2016 / 01 / 02 ( Sat ) 「ハルにぃ、どうしてあんなところに・・・?」
エレベーターの扉が閉まると同時に花音が遥人を見上げた。 「今日はたまたま出社する前に所用があったんだよ。で、遠目からお前らしき後ろ姿が見えたと思ったら男と一緒に歩いてたから」 「あ、あれはっ・・・!」 「わかってるよ。電車で偶然顔を合わせたとかそんなとこだろ?」 「う、うん・・・」 誤解されていないことにほっと胸を撫で下ろした。 ___ のも束の間。 「嫌なときははっきり嫌って言わないとダメだぞ」 「えっ・・・?」 急に低くなった声のトーンにハッと顔を上げる。 さっきまでの表情から一転、遥人の顔は真剣なものへと変わっていた。 というよりも怒っている・・・? 「あんな顔ではっきりしない態度とってたら男は脈ありだと思ってつけ上がるだけだぞ」 「 ! ご、ごめんなさっ・・・」 そんなつもりは全くなかったのに。 けれどあの時の山口の態度を思い出せば言われているとおりなのだろうと思うと、はっきりした態度を取れない自分が情けなくて仕方がない。 結果的にそれで一番大事な人に嫌な思いをさせてしまっては何の意味もない。 「ごめんなさっ・・・!」 ポーーーーーン 情けないやら腹が立つやら、そして遥人が初めて見せる態度にどうしていいかわからず軽くパニックを起こしかけていたところで扉が開いた。すぐにフロアへと降り立った遥人とは対照的に、花音はその場に足が貼り付いたように身動きがとれないでいる。 「・・・ちょっと執務室まで来て」 「えっ・・・?」 それだけ言い残すと遥人は足早にその場から離れて行ってしまった。 ・・・やっぱり怒っている。 どうしよう、どうしようどうしよう、どうしよう・・・! 扉が閉まるまで呆然とその後ろ姿を見送っていた花音も慌ててエレベーターから降りると、こんなに執務室までが遠かっただろうかというほど重い足取りで目的の場所へと向かった。 「し、失礼します・・・」 扉の前で何度も何度も深呼吸をしてようやく執務室へと足を踏み入れた。 次の瞬間、横から伸びてきた手に腕を掴まれると、そのまま花音の体が大きな何かに包まれた。 何かなんて考えるまでもない。そこは世界で一番安心できる場所。 自分が抱きしめられているのだと自覚すると同時に涙が込み上がってくるのを抑えきれない。 どうしていいかわからないくせに、こうしてもらえることがこんなにも嬉しいだなんて。 「ほっ、ほんとにごめんなさっ・・・!」 「悪い。わざと意地悪言った」 「・・・・・・え・・・?」 顔を上げようとしたが、強い力にそれを阻まれて上を向くことができない。 「お前が他の男に言い寄られてるのを目の当たりにしたら・・・無性に腹が立って」 「それは、ごめんなさっ・・・」 「バカ、違うって。お前は何も悪くないんだよ」 「でも、あたしが」 「あの状況でお前が相手を無碍にできないことなんてわかってるから。それに、これは単なる俺の嫉妬だ」 「え・・・?」 嫉妬・・・? 誰が? ・・・誰に? 「信じられないか? まぁ正直自分でもびっくりしてる。未だかつて嫉妬なんてしたことのないこの俺がたったあれしきのことでこんな風になるんだからな」 「・・・うそ・・・」 「嘘ついてどうするんだよ」 「だって、ハルにぃが嫉妬だなんて・・・」 ふっと腕の力が緩んだ拍子に上を見上げると、何ともバツの悪そうな顔で苦笑いしている遥人と目が合った。まるでいたずらが見つかった子どものような、何とも言えない顔で。 ・・・こんな表情、今まで見たことない。 「・・・まいったな。これじゃあおっさんのこと笑えねーよ」 「えっ?」 おっさんって・・・パパのことだよね? 「ガキの頃からおっさんのつくしに対する異常なまでの独占欲を見てきたけど・・・正直俺には理解できねーって腹の中で笑ってたんだよな。つい最近まではずっと」 「ハルにぃ・・・?」 「・・・認めたくないけど、今ならおっさんの気持ちが嫌ってほどわかる」 「・・・・・・」 「誰の目にも触れさせたくないくらい独占したくなる相手が必ず存在するんだってな」 その言葉に花音の目が大きく見開く。 「おっさんはその相手にすぐ気が付いた。それに対して俺はずっと気づけなかった。ただそれだけの違いなんだな」 「ハルにぃ・・・」 「あー、あれだけおっさんのこと笑ってたくせに情けないったらないよな。・・・っておい、何泣いてるんだよ?」 「だ、だって・・・!」 「さっきのことまだ気にしてるのか? 悪かったよ。我ながら大人げなかったって反省してる」 違う、違うよハルにぃ。そんなんじゃない。 あたしは・・・嬉しくて泣いてるんだよ。 だって、自分ばっかりが好きで仕方ないんだって思ってたから・・・ 「あー、頼むから泣かないでくれ。お前に泣かれると昔っから弱いんだよ・・・」 「ごめっ・・・グズッ」 オタオタすればするほど涙は止まらない。 いつもは冷静な 『ハルにぃ』 がらしくない姿を見せてくれればくれるほど、それだけ自分を好きだって言ってくれているようで。嬉しくて涙が止まってくれないのだ。 「花音・・・」 「・・・・・・」 背中に回されていた手が優しく頬に触れる。 自分を見下ろす顔はさっきとは真逆で慈愛に満ち溢れていて。 子どもの頃から大好きだった優しい優しいハルにぃ。 言葉はなくとも自分へ伝えたいことが手に取るように流れ込んできて、徐々に近づいてくるその顔を見ながら花音は静かに目を閉じた。 「・・・・・・」 ふわりと羽のような温もりが唇に触れる。 それと同時に再び背中に力強い腕の感触が戻ってきて、導かれるように花音の手も目の前の大きな背中へと回った。 ずっとずっと見ていることしかできなかった背中に、今こうして触れることができる。 自分は世界一の幸せ者だ。 「・・・・・・」 長いキスを終えると、まるでタイミングを図ったかのように2人同時に目を開けた。 至近距離でぶつかった視線に、途端に我に返って恥ずかしくなる。 「ま・・・また会社でこんなこと・・・!」 「まだ始業時間まで1時間近くもある」 「そ、そういう問題じゃなくてっ」 「仕事には何ら支障を出さないんだから問題ないよ」 「で、でもっ・・・!」 「花音は嫌? 俺とこうしてるの」 「 ____ っ 」 嫌・・・なわけがない。 だって自分から進んで抱きついたのだから。 嫌どころか嬉しいと思ってしまっている自分がいる。 だからこそ怖い。このままどんどんどんどん気持ちに歯止めが効かなくなりそうで。 公私混同しちゃいけないって思うのに、自分はまだまだ新人なのに、見えないところでこんなことしてるなんて ___ 「俺は花音とこうしてられるってだけでどんな疲れも吹っ飛ぶんだけどな」 「・・・え?」 「これでも俺、結構仕事頑張ってると思うんだよね。だからたまにはこういうご褒美がもらえてもバチは当たらないんじゃないかって思ってるんだけど・・・やっぱダメ?」 「・・・・・・」 おねだりのように聞かれて思わずキョトンとする。 「・・・ぷっ! もう、ハルにぃってば・・・」 「ははっ、ほんと、俺のキャラが崩壊してるよな」 「うん・・・でも今のハルにぃの方がもっと好き」 「 _____ 」 抱きしめるだけで顔を真っ赤にするくせに。 ちょっと深いキスをしただけで自分で立っていることすらできなくなるくせに。 時々こっちが言葉を失うくらい大胆なことをサラッと言ってのける。 本人はそんな自覚は露程もなく。 「・・・ったく、お前のそういうところ・・・」 「え?」 「はぁ・・・いや、惚れた弱みってやつだよな、ほんと」 「・・・? ハルにぃ・・・?」 「いや、こっちの話」 「ハルに・・・」 ははっと笑うと、再び端正な顔が近づいてくる。 戸惑いながらもそれを拒むことなどできなくて、花音も静かに目を閉じた ___ 「 専務、ちょっとよろしいですか 」 唇がほんの少し掠った瞬間聞こえてきたノック音に花音が跳びはねて驚く。 その動きはまるでうさぎのようで、1メートルほど後方までひとっ飛びだ。 呆気にとられている遥人と目が合った瞬間、カーーーーッと全身が真っ赤に染まっていった。 「かの・・・」 「し、仕事に戻ります! 失礼いたしましたっ!!」 「あ、おいっ!」 バンッ!! 「おや、おはようございます。お早いですね」 「は・・・はいっ・・・、し、失礼します!」 危うくぶつかりそうになったもう1人の上司、山野にガバッと頭を下げると、花音は真っ赤な顔でその場から走り去ってしまった。まさに逃げるという表現がふさわしい。 「・・・・・・なんだよ」 「いえ、ですから何も言っておりませんが?」 入り口に立ってしれっとそう言ってのけるこの男を今日ほど忌々しく感じたことはない。 この男、絶対にわざとあのタイミングでノックをしたのだ。俺が悔しがるのを面白がって。 どうせ仕事内容もさほど急を要するものではないに決まってる。 「はぁ~~~~っ、ほんっと、お前は 『優秀な』 秘書だよ」 「ありがとうございます。専務からのお褒めの言葉、光栄に存じます」 嫌味たっぷりに言ってやってもこの有様だ。 「それはそうと大変失礼致しました。まさか花音様がこちらにいらっしゃったとは露知らず・・・知っていればギリギリまでこちらに来ることは避けたのですが・・・」 「あー、もういいからさっさと用件を言えっ!!」 「・・・かしこまりました。ではこちらの書類を・・・」 最近つくづく思う。 一番厄介なのは相変わらず俺への対抗意識を持ち続けるおっさんでもなく、 無自覚に男を煽る花音でもなく、 今目の前にいるこの男なんじゃなかろうかと。
|