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あなたの欠片 23
2014 / 11 / 30 ( Sun )
何故今司がここにいるのか、全く理解できないつくしはポカンと口を開けたまま動かない。
予想通りのつくしの反応に司はクッと笑いを零す。
掴んだネックレスを持ったままつくしの背後に立つと、後ろからすっと手を前に回した。
大きな手が髪を掠めて首元までやってくると、つくしの体がビクッと跳ねる。ようやく我に返って鏡に映る自分に目をやると、今さらながら自分がとんでもない格好をしていることに気付いた。

「あああああのっ!!自分でできますからっ!!大丈夫ですっ!!!!」

慌ててバスローブの前合わせを両手で掴む。

「別にとって食やしねーよ。ま、いい眺めなのは違いねぇけどな」
「くっ・・・?!いい眺めっ・・・・?!」

バスローブを掴んだ手に爪が食い込みそうなほどの力が込められる。
司はそんなつくしにククッと笑いながら大きな手で慣れた手つきで小さな金具を留めていく。あっという間にそれを終えると、つくしの綺麗な髪を持ち上げネックレスをセットして鏡に映るつくしを満足げに見つめた。

「やっぱ似合ってんな」
「あ、あ、あ、あのっ」
「・・・・・くっ、つーかお前、その顔はやべぇだろ。くっははははは!」
「えぇっ?!」
「その情けねえ顔っ・・・!くくっ、捨て犬みてぇな顔してんじゃねぇよ」
「す、すてっ・・・・?!」

真っ赤な顔で今にも泣きそうにおどおどしまくっているつくしがツボに入って仕方がない。

一方でつくしは自分がどんな顔をしているかなんて考える余裕すらない。
バスローブの下は何も身につけていないのだから。
ふとした瞬間に紐が外れてしまったらどうしようとか、もしかして気付いてないだけで既にバスローブ越しに透けて見えているんじゃなかろうかなんてことで頭が爆発しそうだ。
だからそんなことを言われても冷静に自分を見ることなんてできないし、何を口走っているかもわからない。

「い、犬って!道明寺さんが大の苦手な生き物じゃないですかっ!」

恥ずかしさとパニックで気が付けばそんなことを叫んでいた。
つくしからしてみればもう今言ったことすら覚えていない、それくらい無意識に放った言葉だったのだが、その言葉を聞いた司の笑い声がぴたりと止まった。

「お前・・・・今なんつった?」
「・・・・・・えっ?」

びっくりするほど急に態度の変わってしまった司につくしの表情も強ばっていく。
目の前の男がほんの数秒前まで大笑いしていたなんて誰も信じないほどに、その表情は真剣だ。

「あ、あの・・・何か変なこと言いましたか?ごめんなさい、私自分が何言ったかわかってなくて・・・・」
「俺が苦手なのは何だって?」
「え?あ、犬のことですか・・・?」
「なんでそんなこと知ってんだ?」
「えっ・・・・・・だって・・・・」

なんで?そんなこと疑問にも思わなかった。
ただ無意識に浮かんで口にしていただけ。
・・・・・・あれ?でもどうしてそんなことを知ってるんだろう?
元々彼の記憶がなくて・・・・見聞きした範囲でしか彼のことを知らないはずなのに・・・・


「牧野・・・お前、もしかしたら少しずつ記憶が戻ってきてんじゃねぇのか?」
「・・・・・・・え?」

  
記憶が・・・・・?


思いも寄らない言葉につくしは驚き何も口にすることができない。
司もまた驚いた顔でつくしを見ている。

ガタンッ!

驚きのあまり右手を動かした拍子にドレッサーに立てかけておいた松葉杖が音を立てて倒れてしまった。

「あ・・・・」

倒れていく松葉杖を追いかけるようにして手を伸ばしたが、すんでの所でそれは床へと落下していく。動揺していたためつくしは自分の片足が不自由だということをすっかり忘れていた。追いかけることに夢中になるあまり、思いっきり左足を地面についてしまった。

「痛っ・・・・!」
「牧野っ!!」


ドサドサガタンッ!!


痛みに顔を歪めたつくしの体がそのまま前のめりに倒れ込んだ。
更なる痛みを覚悟してギュッと目を閉じたが、それ以上の痛みが来ることはなかった。


「・・・・・お前なぁ、これで何回目だよ」


半ば呆れたような声と共に痛みの代わりに感じたのは懐かしい香り。ふわりと上品なコロンの香りがつくしの鼻腔を撫でた。
一瞬何が起こっているかわからなかったつくしだったが、どうやら自分が俯せになっているということがようやく理解できてくる。だが問題はそこではない。自分が倒れている場所だ。
本来倒れているはずの絨毯ではなく目の前にあるのは高質なスーツ。

つくしを受け止めながら2人揃って倒れ込み、こともあろうにつくしは司の上に乗ってしまっている。弾力があったのは司の胸元に顔を埋めた状態だからだ。重力に逆らうことなく密着した体から互いの鼓動が直に伝わり合う。


今、バスローブ・・・・・・!!!!


つくしは今自分がどんな格好をしているかを思い出して一気に青ざめていく。下手したらあちこちはだけて何かしらが見えてしまっているかもしれない。

「ごっ、ごめんなさい!!すぐに起きますからっ!!」

恥ずかしいやら情けないやら、今にも泣きそうな気持ちで慌てて体を起こそうとするが、つくしの背中に回された手がその動きを封じ込める。ギュッと抱き寄せられて身動き一つとれなくなってしまった。
耳が司の胸元に当たり、そこからドクンドクンという音が速く刻まれているのがわかる。ドキドキしているのは自分だけではないのだと。

「あのっ、道明寺さん?!離してください!はな・・・・・」
「牧野・・・・・」

頭のすぐ上で切なげに呼ばれた名前に胸がギュッと苦しくなる。
あり得なさすぎるこの状態に頭も心臓も爆発寸前だ。

「お願いですから離してください!」
「・・・・牧野、いい加減さんはやめろよ」
「・・・・えっ?」

こんな状況で一体何を言い出したのか。
つくしには司の言わんとすることが全くわからない。
とにもかくにも手を離して欲しい。なんだか太股あたりがスースーする気がするのだ。もしかしたら後ろから見たらとんでもないことになってるんじゃないかと思うと死にたいくらいに恥ずかしい。

「いい加減俺をさんづけで呼ぶのはやめろ」
「はぁっ?!この状況でいきなり何を言ってるんですかっ!」
「いきなりじゃねーよ。俺は最初から言っただろ。さんづけも敬語もいらねぇって」
「だ、だからって今この状況で言わなくても!っていうかお願いですから!手を離してください!」
「離さねぇ」
「えぇっ?!」
「お前がさんづけと敬語をやめない限りは離さねぇ」
「なっ・・・・!」

そう言うのと同時につかさの手にさらに力が込められた。
これ以上ないほど体は密着し、しかもつくしはバスローブ一枚という有様。普通に抱きしめられるだけでもパニック状態になってしまうというのに、比較にならないほどのあり得ない状況に、もはや失神寸前だ。

「道明寺さんっ!ふざけるのはやめてくださいっ!!」
「ふざけてなんかねーよ。俺は大真面目だ」
「こんな状況でそんなこと言うなんてずるいですっ!」
「うるせぇ。ずるくてもなんでもいいんだよ。こうでもしねぇとお前いつまで経っても変わらねぇだろうが。類だって呼び捨てにしてんだ。いい加減俺に対する壁をなくせ」
「そ、そんなこと・・・・!」

ずるいずるいずるい!!
この状況でそんなことを言うなんて!
冷静に物事が判断できないときにそんな要求をしてくるなんて反則もいいところだ。

「俺は別にいいんだぜ。お前がそうしないならそれでも。ずっとこうしてられるしな」

言いながら司の唇が自分の髪の毛にチュッと当てられたような気がする。
しかも背中に回された手がゆっくりと腰の辺りまで移動していく気配を感じる。

「ちょっ、ちょっと?!これ以上は勘弁してください!もう死んじゃいそうですっ」
「じゃあどうする?全てはお前次第だぜ」
「ひっ・・・!」

気のせいなんかじゃない。やっぱり腰の辺りでごそごそと手が動いている。
もうムリ!!これ以上は限界だ・・・・・!!

「わ、わかりましたわかりましたっ!!さんづけやめます!敬語もやめますっ!!!」

ギブアップとばかりにつくしは叫んだ。

「じゃあ今すぐそうしろ」
「えっ?」
「俺にやめろって言えよ」
「えぇっ!!」
「なんだよ、やめるんだろ?だったらできるはずだろ。それとも口だけでできねぇのか?」

うぅう、この人は本気だ。
本気でやめさせるつもりだ。

「わ、わかったから!お願いだから離して、道明寺っ!!」

こうなったらやけくそだとばかりにつくしは大声で叫んだ。

次の瞬間、全身を締め付けていた力が面白いほどに抜けていくのがわかった。
つくしはハッとすると胸に手をついて上半身を引き起こし、案の定際どいところまではだけている胸元と足元のバスローブを必死で押さえ付けた。すぐに立ち上がれないためいまだに司の膝の上に座った状態だが、今はそんなことはもうどうでもいい。

「・・・ふっ、それでこそ牧野つくしだろ」

やがて司もゆっくりと上半身を起こすと、至近距離で満足そうにつくしを覗きこんだ。
これまで真っ青だったつくしの全身が今度は一気に真っ赤に染まり上がっていく。

「ち、近いからっ!もうこれ以上はほんとにムリっ!!」

足元を押さえていた手で司の胸を押しやると、フッと笑った司が突然つくしの両脇に手を入れて抱えたまま立ち上がった。

「きゃあっ?!ちょ、ちょっとっ!!!降ろしてっ!!」
「うるせーな。何もしねぇよ」

ぎゃあぎゃあ騒ぐつくしに構うことなくそのまま移動すると、やがてさっきまでつくしが座っていた椅子にその体をゆっくりと降ろした。

「え?あ・・・・」

自分が置かれた場所に気付くと、さらに司は床に転がっている松葉杖を手に取りさっきと同じようにすぐ近くに立てかけた。それを見た途端騒いでいた自分が自意識過剰過ぎて恥ずかしくなってくる。

「あ、ありがとう・・・」
「別にお礼いわれることはしてねーよ。っつーかお前転びすぎだろ。俺がいるときはいいけど、せっかく治ってきてるんだから気をつけろよ」
「う、うん・・・・」

先程まで密着していた感触がまだ全身に残っている。
それに加えてぶっきらぼうな優しさが恥ずかしくて堪らない。

バスローブの合わせ部分を必死に掴んだまま真っ赤な顔を上げられずにいるつくしに苦笑いすると、司はその頭をポンポンと軽く叩いた。

「そろそろメシだから着替えろよ。今日は早めに上がったから一緒に食えそうだ」
「・・・・え?」

思わぬ一言につくしが顔を上げる。

「なんだよ、何か不満でもあんのか?」
「い、いえ・・・・あっ!ううん・・・」
「じゃあメシが食える格好してこい。まぁ俺的には別にそのまんまでも構わねぇけどな」
「む、むむむむむむムリっ!!」
「くっ、冗談に決まってんだろ。じゃあまた後でな」

司はそう言うと、最後にもう一度つくしの頭を撫でて部屋を出て行った。
一人残された部屋でつくしは呆然とその扉を見つめたまま。


「い、一体何が起こったの・・・・・」


あり得ないことの連続で、その前にした会話の内容など完全に吹き飛んでしまっていた。













一方その頃___




「あっぶねぇー・・・。あのままあいつが何も言わなかったら・・・・・マジでやばかった」

司は部屋を出たはいいものの、そのまま扉に寄りかかるようにして突っ立っていた。
その頬は心なしか赤くなっているような気がする。

バスローブ越しに感じたつくしの体温。
下心はなかったが密着しているうちにあらぬ欲望が顔を出しそうになったのも本音だ。
我ながらよく理性を保ったと思う。

それにしてもつくしのあの顔。
状況に応じて赤くなったり青くなったり、相変わらず忙しい奴だ。
司は思い出してはクックックと笑いが止まらない。


・・・・・だがひとしきり笑うとその顔から一瞬で笑顔が消えた。





「・・・・・あいつの記憶が戻る前になんとかしねぇとな・・・・」




真剣な顔でそう呟くと、ようやく体を離してその場を後にした。











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あなたの欠片 22
2014 / 11 / 29 ( Sat )
「ま、牧野様っ!いけません、そのようなことはっ!」
「大丈夫大丈夫。これもリハビリの一環なんですから」
「しかし、こんなことをさせては司様がお叱りになられますっ!」
「え~?大丈夫ですよ。その時は私がちゃんと話しますから」
「で、でもっ・・・・」

オロオロと狼狽える使用人をよそに当の本人は至極楽しそうに手を動かし続ける。
握られたホースの先から飛び出した水滴が目の前に咲き誇る花々にサラサラと勢いよく降り注がれていくと、太陽の光に反射して時折綺麗な虹が顔を出す。

「だいたい、これくらいのことで叱られるってどういうことなんですか?ただの水やりですよ?」
「そ、それは牧野様は大切なお客様だからです!」
「お客様って・・・・私は居候させてもらってる立場ですよ?できることをお手伝いするのは当然じゃないですか」
「いいえ、牧野様は特別なお方です。司様にとっても、私たちにとっても」

大真面目な顔で断言するその姿につくしは思わず吹きだしてしまう。

「ぶっ、あはは!・・・あ、ごめんなさい。でもただの一般庶民の自分がそんなこと言われるとなんだか恥ずかしくって」
「一般庶民だなんて・・・・」
「だってそうじゃないですか~。あ、違うな。我が家はどっちかと言えば庶民以下かも・・・」
「えっ?」
「だって一時期は四畳半暮らしもしてたんですよ?」
「よ、四畳半・・・・?」
「そうです。あぁ、思い出すとなんだか懐かしいなぁ。でも、メチャクチャ狭いのに何故だかすっごく安心できるんです。だからここでの生活はもう地に足がつかなくって落ち着かないんですよ」
「・・・クスッ、色んな思い出をお持ちなんですね」
「全然自慢話にもならないんですけどね」

使用人もつくしの話を聞きながらクスクス笑いが止まらない。
穏やかな天気に恵まれた午後、つくしはじっとしていることに耐えられなくなり、庭園で花の水やりをしていた使用人の仕事を半ば無理矢理強奪していた。
戸惑う使用人に構うことなく、なんだかんだと自分のペースに持ち込んで今に至る。

つくしがいかに大切な人間であるかは誰もが知るところではあるが、当の本人はその自覚は全くない。だが、記憶があろうとなかろうと、つくしはつくしのまま、何一つ変わってはいないと誰もが実感していた。
こうしてじっとしていられずにあらゆる仕事を手伝ってしまうことも、気が付けば無欲のうちに邸の人間の懐にすっぽり入り込んでしまっていることも。
立場上戸惑いながらも、邸の誰もがこうしてつくしとの時間を過ごすことを楽しみにしているのも事実だった。


「でも嬉しいです。こうしてまた牧野様とご一緒できるようになって。そのネックレスもとてもよくお似合いです」

水やりをする横で使用人が嬉しそうに顔を綻ばせているのを見てつくしのふっと手が止まる。
その視線に気付いた使用人はしまった、と言わんばかりにあたふたし始めた。

「も、申し訳ございません!牧野様がわからないことをベラベラと・・・大変失礼致しました!!」
「いえっ、全然構わないんです!そんな謝らないでください!」

数秒前までの穏やかな空気は何処へやら。ひたすら恐縮してペコペコ頭を下げる女につくしも慌てふためく。

「ほんとに気にしないでください!・・・・・っていうか、もっと聞かせてもらえませんか?」
「・・・・・・え?」

思いも寄らぬ言葉に女性が目を丸くして顔を上げた。

「なんていうか、記憶を取り戻したくてここに来たんです、私。なんとなく懐かしいなとか、知ってるかも・・・っていうぼんやりとした感覚はあるんですけど、はっきりとしたことが思い出せないのがもどかしくて。皆さんもなんだか凄く気を遣ってるのがわかるし・・・。だからそろそろ皆さんの口からも本当のことを聞いてみたいな~って」
「牧野様・・・・」
「あぁっ、そんなにしんみりした顔しないでください!別に悲しくて言ってるわけじゃないんですよ?ただ、今の自分なら記憶にないことを言われてもちゃんと受け止められるかなって自分で思ってるんです」
「・・・・そうですか・・・・」
「・・・・やっぱりダメ、ですかね・・・・?」

まるで学校の先生に叱られている子どものように眉尻を下げて様子を伺うつくしに、真剣な顔をしていた使用人の顔も次第に解れていく。

「・・・・いえ、私でお力になれることがあれば。何でも聞いてください」
「本当ですかっ?!」

目の前に広がる花にも負けないほどの笑顔になったつくしに、とうとう女性は笑い出してしまった。

「はい。喜んで」
「本田さんっ!ありがとうございますっ!!」
「ま、牧野さまっ?!」

嬉しさの余り思わず女性の腕にしがみついたはいいものの、その手にホースを握りしめていたことをすっかり忘れていた。つくしの手から前触れもなく放たれたホースが空中で見事な放物線を描いて2人に降り注ぐ。


バシャバシャバシャ~ッ!!



「きゃあ~~~~~~~っ!!!」




澄み渡る青空に2人の悲鳴が響き渡った。






*****




「本当に申し訳ございませんでしたっ!!!!」

本田と呼ばれた使用人が額が膝につきそうな程体を折ってつくしに頭を下げている。

「や、やめてください本田さんっ!!あれはどう考えても私が悪いんですから!本田さんは何一つ悪くないですから!!」」
「でも、もともと私が牧野様にやらせてしまったばっかりに・・・」
「いえいえそれも違いますって。私が無理矢理強奪したようなものですよね?本田さんは何にもしてません、むしろ被害者ですから!だからお願いです、頭を上げてくださいっ!」

つくしの必死の懇願にようやく本田がゆっくりと顔を上げていく。その目はうっすら潤んでいるようにも見える。

「それよりも本田さんも早くお風呂に入ってきてください。まだ髪の毛とか濡れてるじゃないですか!」
「いいえ、私は牧野様のお世話が終わるまではいいんです」
「でも・・・」
「お願いします。これくらいはさせてください」

ズイッとあまりの迫力で迫られつくしもそれ以上は強く言い返すことができない。

「う・・・わかりました。じゃあ終わったらすぐに行って温まってきてくださいね?」
「はい。お気遣いありがとうございます」

ニコッと笑顔を見せた本田につくしもようやく安堵の息が零れた。

「・・・・あの、自分でできるから何もしなくていいですよ?というかそうさせてください」
「いいえ、お手伝いさせてください」

ああ言えばこう言う。漫才かとつっこみたくなるほど、さっきからつくしと本田の掛け合いは終わらない。


あれから。

2人仲良く水を頭から被ってしまい、つくしは慌ててバスルームへと押し込まれた。拭くだけで大丈夫だと何度も言ったが、寒いこの季節、風邪でもひかせてしまっては司に顔向けできないと、必死でお願いされてしまった。
今のつくしにとって司はどちらかと言えば優しい男としてインプットされているため、これだけ邸の人間が怖がるなんて、一体どれだけ二面性を持っているのだろうかと少々不安を覚えなくもないのだが。
本田自身も濡れたにもかかわらず、軽く拭いただけで後は必死でつくしのお世話に徹している。
今も風呂上がりのつくしの濡れた髪の毛に甲斐甲斐しくドライヤーを当てている。

「・・・なんていうか、こんな生活続けてたら一人暮らしに戻ったときが怖いです。何もできなくなってそうで」

つくしの口からあははと苦笑いが出る。

「・・・ずっとこちらにいらしたらいいんですよ」
「えっ?」
「是非そうされてください。司様も、邸の全ての人間だって同じ気持ちでいますよ」

ドレッサーの鏡越しに目が合うと、本田は優しい顔でニコッと笑った。

自惚れでもなんでもなく、自分は本当にここの人達に大切にされている・・・・

つくしはバスローブの前合わせをギュッと握ると、意を決して聞いてみることにした。

「・・・・あの、聞いてもいいですか?」
「はい、なんでもお聞きください」
「その・・・私と道明寺さんって本当にお付き合いしてたんですか?」
「はい。その通りです」

ドキドキするつくしをよそに、本田は少しの間も空けずにあっさりと事実だと認めた。

「私はよくここに来てたんですか?」
「そうですね。一時期こちらにお住まいだったこともあるんですよ」
「えぇっ?!い、いつですか?」
「牧野様が高校生の時の話です。あの頃はお付き合いしているというわけではなかったようですけど。居候という形でしばらくいらっしゃったんですよ」
「へぇ~・・・・そうなんですか・・・」

まさかの事実に思わず口が開いてしまう。

「司様はあの頃からそれはもう牧野様に夢中でらしたんですよ」
「え」
「牧野様に出会うまでの司様はどこか満たされずいつも荒れておいででした。この邸もいつも重い空気に包まれているような、ずっとそんな毎日だったんです。・・・でも牧野様に出会われてそれが真逆に変わったんです」
「私・・・ですか?」
「はい。牧野様に出会われてからです。司様の本当の笑顔を見るようになったのは。牧野様は司様にとってもこのお邸にとっても、太陽のような方なんです。だからこのままここにいてください」
「本田さん・・・」

本田のあまりの熱弁につくしの胸がギュッと熱くなっていく。
その目があまりにも真剣だったから。
このまま流されてしまいそうになるけれど、もっと自分の目で、耳で色んなことを確かめたい。

「道明寺さんって高校を卒業して渡米してたんですよね?」
「そうです」
「私ってその間もここに来ることはあったんですか?」
「はい、よく来られてましたよ。私達もそうですけど、タマさんが楽しみに待ってましたしね」
「タマさん・・・・・。そう言えば『私は先輩だよ』って言われたんですけど、あれってどういう意味かわかりますか?」

つくしがずっと気になっていたことを聞くと、本田は思い出したようにクスッと肩を揺らして笑った。

「それはですね、牧野様がこちらにお住まいの頃に使用人をされていたからですよ」
「えぇっ?!」

使用人?!
いや、貧乏暇なし。いかにも自分らしいと言えばそれまでだけれど、何をどうすればこのお邸で働くことになるのだろうか。

「牧野様がこちらにいらっしゃった頃、どうしても働かせてくださいと言われたんです。もちろん司様も私達も猛反対しました。でもどーーーーしてもと牧野様がおっしゃられて。それを認めたのがタマさんなんですよ」
「タマさんが?」
「はい。指導係を買って出たのがタマさんだったんです。だから先輩に」
「・・・・なるほど~!そういうことだったんですね」

つくしの中でずっと謎だったことがすーっと消えていく。

「今思えばタマさんは最初から牧野様の本質を見抜いていたんだと思います」
「え?」
「司様が牧野様に好意を寄せていたことはもちろんのこと、いずれお二人がそうなることをわかっていたんだと思います。そうでなければあのような申し出を受けるとは思えませんから。司様との距離を縮めるきっかけを作るために一肌脱いだんじゃないでしょうか」
「・・・・・・そう、なんですか・・・」
「ですからここ1年ほど牧野様がいらっしゃらないのをタマさんもとても寂しく思われていましたよ」
「・・・え?そうなんですか?」
「はい。牧野様も社会人になられて多忙な日々を送られていたんでしょう。こちらに来られなくなったのと時期が重なっておいでですから」
「・・・・・・そうですか・・・・」


・・・・なんだろう。
何故だかはわからないけれどとても引っかかる。
確かに社会人になれば学生の時とは違ってくることも多々あるのだろう。
でもだからといって全く来られなくなるほどなのだろうか?
だって、買い物に行ったり誰かと出かけたりしようと思えばできるわけで。
だったらその時間にここに来ることだってできるはず。
どうして。なんだかモヤモヤして気持ち悪い・・・・・


「さぁ、全部乾きましたよ」
「えっ?あ、ありがとうございます」

どこか落ち着かない胸元をギュッと握りしめた瞬間、ドライヤーの音がカチッと止まった。
人に仕上げてもらった胸上まであるストレートの髪は、まるで美容室でブローしてもらったかのようにサラサラしている。

「じゃあ本田さん、約束通りすぐにお風呂に入って来てくださいね」
「ありがとうございます。でも最後のお仕事を一つだけ」
「え?」
「お付け致しますね」

そう言って笑いながら指差したのはドレッサーの上に置かれた土星。
毎日つけておけと言われてからというもの素直にその言葉に従ってはいるが、お風呂に入るときだけは外している。万が一壊してしまったらと思うだけでゾッとするからだ。

「本当にお綺麗でそして牧野様によくお似合いですよ」
「あ、ありがとうございます・・・」

あまりにもニコニコ言われると恥ずかしくてたまらない。
照れくささのあまり思わず視線を逸らした先で、ふっと鏡に映る人影に気付いた。


・・・・・・・え?!


驚きに目を見開くつくしに気付くとその人物がニッと口角を上げて不敵に笑った。

「嘘っ?!」

ガバッと振り向くとそこにはドアにもたれ掛かるようにして司がこちらを見て立っていた。
一体いつからそこに?!

「ここはもういいぞ。後は俺がやる」
「えっ!!」

司の口から飛び出たとんでもない一言につくしは驚愕する。

「かしこまりました。ではよろしくお願い致します」
「えぇっ??!!」

さらにはすんなりそれを受け入れる本田にひっくり返りそうになる。

「ちょっと、本田さん!待ってくださいよ!」
「うふふ、牧野様のお言葉に甘えてお風呂に入らせていただきますね」

そう言って本田はニッコリ笑うとどこか嬉しそうな足取りでさっさと部屋を後にしてしまった。
さっきまでどれだけ懇願しても聞き入れようとしてくれなかったのに!!
しかも結局最後の仕事だと言ったネックレスだって残されたままではないか!

つくしは口を開けたまま唖然として本田のいなくなった方を見つめている。


だがやがて視界に徐々に大きくなる影に気付いてハッと息を呑んだ。

気づいた時にはすぐ目の前まで来ていたその影は、大きな手を伸ばしてドレッサーの上に置かれたままのネックレスを掴んだ。

「俺がつけてやるよ」
「・・・えっ?!」


普段なら到底帰っていない時間に司がここにいること、
いつの間にあそこに立っていたのかという驚き、
そしてあんな話の流れで急に二人きりにされたこと、
ありとあらゆる状況につくしの心臓が壊れんばかりに暴れ始めていた。












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あなたの欠片 21
2014 / 11 / 28 ( Fri )
テーブルに置かれた得体の知れない一枚の封筒に全員が次の言葉を見つけられずにいる。
初めて見るそれが、普通のものではないと誰もが直感で感じていたから。


「司・・・・これは何なんだ?」


最初に沈黙を破ったのはあきらだった。
まるで不気味なものでも目撃してしまったかのような複雑な顔で司を見据える。
だが司の表情は何も変わらない。
喜怒哀楽、そのいずれでもない、ただの無。

「・・・・牧野が持ってたものだ」
「・・・・は?」
「3日前、仕事終わりにあいつがアパートにいるって聞いて、俺もその足で向かったんだ。そしたらあいつ何か荷物を探してて・・・まぁ家にある物から記憶を探ってたんだろうな」
「・・・・それで?」
「出がけにあいつの鞄からこの封筒が滑り落ちた」

もう一度全員の視線が一点に向けられる。
偶然だと言うにはあまりにも既視感に溢れたそれに。

「・・・・・どういうことなんだ?」
「わからねぇ。ただあいつはこれと一緒にネックレスも封印してたみたいだ」
「封印?」
「多分な。箱に入れた状態で収納の奥から出てきたって言ってたからな」
「・・・まぁ、お前と別れたつもりだったならそうするのも不思議じゃねぇよな」
「・・・・あぁ」


「何が入ってるの」


じっと事の成り行きを黙って聞いていた類が口にする。
それは誰もが抱いていた疑問で。
真っ赤な封筒に書かれた『牧野つくし様』の文字。
そこには住所も差出人の名前もない。
ただ真っ赤な中に宛名がポツンと印字されているだけ。
それだけで見た者に不気味だと思わせるには充分な空気をこれでもかと醸しだしている。


司は無言で封筒を手にすると、中から一枚の紙を取り出してテーブルに置いた。
それを見た全員の顔が驚きに染まる。



「これは・・・・・?!」



そこには一人の男がいた。
誰もがよく知る男。
整った顔立ちに特徴のある髪型。
_____今目の前にいる男がそこにはいる。


だがそれがわかるのは彼らがその男をよく知っているからこそ。
初めてこれを見た者ならばここにいる人物が誰かを判断することは難しいだろう。


何故なら・・・・・・















カツカツカツ、バタンッ!

「お帰りになったばかりだというのにまたお呼びだてして申し訳ありません。急遽副社長の決裁が必要な案件が上がりまして・・・」
「出せ」
「は?」
「すぐに処理する。早く出せ」
「・・・・はい、かしこまりました」

副社長室に入るなり司はデスクへ一直線と向かうと、少々呆気にとられる西田に構うことなく手を差し出した。いつになくピリピリした空気を感じながらも、西田は表情を変えることなく書類を手渡していく。
司はそれを素早く受け取ると、黙々と作業に没頭していった。その姿はまるで何かに取り憑かれているようにすら見えた。


それから数時間、少しも休むことなく継続された業務が終わりを告げた。


「お疲れ様でした。急な予定変更で申し訳ありませんでした」

久しぶりに日があるうちに邸に戻れる手筈になっていたのが、結局いつもと変わらなくなってしまったことにさすがの西田も申し訳なく思っているようだ。だが司は西田のそんな言葉には何の反応も示さず、デスクに肘をつき顎に手を当てた状態でじっと何か考え込んでいる。
どことなく様子がおかしいことに西田の眉間に皺が寄る。

「副社長?どうかされましたか」
「・・・・・西田」
「はい」
「お前・・・・・何を知ってんだ?」
「・・・・・何のお話でしょうか」

座っていた椅子がギシッと音を立てると、司は体の向きを変えて西田を真っ正面から見据えた。

「お前、前に言ったよな?牧野が事故に遭ったことを俺に知らせないのはそうすべきだと思ったからだって」
「・・・・はい」
「ババァの差し金でもねぇんだよな?」
「はい」
「じゃあお前は何を知ってる?お前にそうさせたのは何が原因だ」
「・・・・・突然どうしたんです?一体なぜそのようなことを」
「突然じゃねぇよ。ずっと考えてたことだ。ババァの差し金でもねぇ、今さら俺らの関係をどうこうしようってのも考えにくい。ただ単に会社がピンチってだけでお前がそうするとも思えないしな」
「・・・・・・・・」

表情は全く変わらないが何も答えない西田を見やると、司はポケットから一通の封筒を出してデスクに放り投げた。それに気付いた西田は不思議そうにその物体を見ている。

「これを見てお前何か心当たりあるか?」
「・・・・いえ」

そう答えた西田に嘘をついているような様子は見受けられない。

「お前が俺に黙ってたのは俺たちを守るためじゃねぇのか?」
「・・・・・・」
「あの時俺に知らせてれば全ての計画が駄目になる。そういうことだろ?」
「・・・・・・」

何も答えないのは認めたも同然だ。
司はフーッと息を吐き出すと、椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げた。

「どうやら敵は俺たちが思ってる以上に手を広げてるらしいぞ」
「・・・・どういうことですか?」
「中を見てみろ」

そう言うとクイッと顎で封筒を示す。

「・・・・失礼します」

西田は訝しみながらもデスクまで近付いてくると、そこに置かれた封筒に手を伸ばした。そして静かに中身を取り出していく。やがて一枚の紙を出して中を開いた瞬間、ここにきて初めてその表情に変化が生まれた。

「これは・・・・・」
「俺たちがやろうとしてたことは裏目に出てたらしいな。これは牧野が持ってたものだ」
「・・・・・!」
「相手の狙いが定まらねぇ。会社か、俺か、・・・・・牧野か」
「・・・・・・副社長、」
「とにかく何でもいいから情報を掴め。牧野の周辺のことももう一度洗いざらい調べろ」
「・・・・・かしこまりました。では早速行動に移らせていただきます」

司の一言で全てを理解した西田はそれ以上は何も追及することはなかった。いつものように一礼すると足早に部屋を後にした。


「牧野・・・・・」


愛する者の名前を呟くと、司は手元にある紙をグシャリと握り潰した。














何とも言えない沈黙が部屋中を包み込む。
司以外の全員が今目の前にあるものを見て多少なりとも動揺している。

「あいつがあんなことを言い出したのには理由があったってことだな」

誰一人として口を開かないかわりに吐き捨てるように言ったのは司だ。

「どういうことなんだよ?」

ようやく我に返ったように総二郎が口を開く。

「わかるわけねーだろ。俺も今まで知らなかったんだ。・・・・西田すら気付いてなかった。どうやら相手は用意周到に牧野にだけ近付いてたらしいな」
「おい類、お前何か気付かなかったのか?俺たちの中じゃ一番牧野の変化に敏感だろ?」

あきらが黙り込んだままの類に向き直る。類の表情は固いままだ。

「・・・・・いや。確かに元気がないのはわかってたし、様子がおかしいと思うことはあったけど・・・あくまであの状況下での司を心配してのものだとばかり思ってたからね」
「・・・・お前にすら悟られないようにしてたってわけか・・・・」
「・・・・・」


「司、お前が知ってるのはこれだけなのか?」
「あぁ。これに気付いたこと自体が偶然だったからな。・・・・ただ、どう考えてもこれだけじゃねぇってことは確かだ」
「・・・・・・・誰にもばれないようにしてたってことか」
「・・・・だろうな」
「・・・・・・・・」


再び4人を沈黙が包み込む。とてつもなく重い沈黙が。

あきらがおもむろに紙に手を伸ばすと、それを上に掲げながらボソッと呟いた。

「これ以外にもあるってことは・・・・おそらく牧野は脅されてたんだろうな」
「だから俺たちにすら悟られないようにしてたってことか?」
「・・・・そういうことだろうな」



「絶対に許さねぇ・・・・・・ブッ殺す」



そう口にした司の表情は驚くほど静かだった。
だがその瞳に宿る炎は恐ろしいほど冷たく、鋭い刃となって一枚の紙を貫いていた。

その中に写し出された自分を。








目、首、心臓、腹、


人に致命傷を与えるには充分な場所をズタズタに切り刻まれた己の姿を_______













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あなたの欠片 20
2014 / 11 / 27 ( Thu )
「・・・・えっ!」

ダイニングルームに一歩足を踏み入れた瞬間、つくしは驚きに声を上げ動きをピタリと止めた。

「よう」

いつもはいるはずのない人物、そしてそれは今朝とて例外ではないだろうと思っていた男が目の前にいる。

「えっ、え?!どうして・・・・」
「どうしてって、自分の家にいるのがそんなに不思議なことか?」

ククッと笑いを堪えるように司が肩を揺らしながらつくしを見る。

「そ、それはそうですけど、だって・・・」
「まぁお前がそう思うのも当然だよな。この一週間一度だって顔を合わせてなかったわけだし。まぁ毎日ってわけにはいかねぇけど、これからは多少はこうして顔を合わせる時間ができそうだ」
「そ、そうなんですか?」
「あぁ。嬉しいか?」
「へっ?!」

驚いて前を見ればニヤリとしたり顔でこちらを見ている男が一人。

「か、からかわないでくださいっ!」
「からかってなんかねーよ。俺はお前と一緒にいられて嬉しいぜ」
「うっ・・・・」

その言葉に例外なくつくしの頬が赤くなっていく。司はそんな姿を満足そうに眺める。

前々から思ってはいたけれど、この人は何事もストレート過ぎる!
行動も、言葉も、全てが直球だ。
あまりにも変化がなさ過ぎてどうしていいのかわからない。

「長く突っ立ってるのも疲れるだろ。早く座れよ」
「あ、はい・・・」

そして一見ぶっきらぼうに見えてすごく優しい。
彼が見せるその一つ一つに心を揺さぶられ、そして激しく惹きつけられているということはもう紛れもない事実だ。
つくしが司の目の前の席に腰を下ろすと、何やら向かいで使用人と話を始めた。その姿をぼーっと見ているうちに、話している唇から目が離せなくなる。

あ、あの唇と昨日・・・・・・!
もしあのまま音が鳴らなければ一体どうなってた・・・?

ぎゃ~~~~~~~っ!!!

「・・・・・お前なにやってんだ?」

真っ赤な顔をしながら額をテーブルにゴツゴツぶつけて悶絶するつくしを、いつの間にやら会話を終わらせていた司が物珍しいものでも見るように声を上げて笑う。

あ・・・

その屈託のない笑顔がまたつくしの胸をギューっと締め付ける。

やっぱりこの人に対する感情は他の誰とも違う。
好き・・・なのかな。
私はこの人のことを。

花沢類とだって長い時間一緒にいたけれど、確かにドキドキだってしたけれど、それ以上に彼に対して感じたのは安心感だった。異性としての安心感と言うよりも、まるで自分の一部かのような、そういう空気感に包まれていた。
でもこの人は違う。
彼のすること一つ一つに心が落ち着かなくなって、少しだって冷静でいられない。
花沢類も、西門さんも、美作さんも、誰一人として彼に見劣りのしない美貌の持ち主だし、お金持ちだし、何一つ彼と遜色のない人達だ。

同じ条件なのに彼だけ。
彼にだけこんなに心を揺さぶられる。
それはつまり・・・・

「おい、牧野」
「・・・・・えっ?はっ、はいっ!」

名前を呼ばれて思わず背筋をシャキッと伸ばす。そんなつくしの姿に司がまた吹きだした。

「お前なんなんだよ?ロボットか?くくっ、相変わらずお前はおもしれぇな」
「あ、あははは・・・」

まさかさっきの心の声は漏れてないよね?
苦笑いしながら相手の様子を伺うがどうも大丈夫そうだとホッと胸を撫で下ろす。

「お前、ネックレスはどうした?」
「えっ?」

胸を撫で下ろしていた場所で司の視線が止まっている。その場所に昨日彼につけてもらったネックレスは存在していない。

「あ、あの、お風呂に入るときに外して・・・それで、そのまま・・・。私には高級過ぎて怖くてつけられないっていうか、」
「つけておけよ」
「え?」
「ずっとつけてろよ。これからは毎日」
「・・・・あの」
「あれはお前が身につけてこそ価値があるものなんだよ。使わなければその辺のゴミと変わらなねぇ」
「ご、ごみって・・・」

そんなバカな。
庶民には到底想像もつかないが、きっと目玉が飛び出るほどの値段がするに違いないものだ。
呆れてものも言えないが、目の前の男は至極真面目な顔をしている。

「いいから毎日つけてろ。わかったか?」
「う・・・わかりました・・・」
「よし。じゃあ食おうぜ」

つくしの返事に満足そうに頷くと、すっかり準備が終わっている食事に手をつけ始めた。

「あの!」
「ん?」
「あの、え~と、その・・・・」

もごもごとはっきりしないつくしに司が訝しげに顔をしかめる。

「なんだよ?」
「その、あのネックレスって・・・・」

その後の言葉が続かない。一体何と聞けばいいのだろうか。

「あれはお前のためだけに作ったものだ」
「・・・え?」

言葉に詰まるつくしの代わりに司が言葉を続けていく。

「世界中どこを探しても同じものは存在しない。お前のためだけに存在するネックレスだ。だからお前がつけなければゴミ同然なんだよ」
「・・・・・・・」

それはつまり彼が私のためにくれたものだということを如実に語っていて・・・
しかも珍しいデザインだとは思ったけれどまさか特注品だったなんて。
つくしはあまりにもあっさりと事実を述べる司の潔さに逆に返す言葉を失ってしまう。

「ま、そういうことだからメシ食ったらすぐにつけとけよ」
「・・・・う、ん」
「ほら、いい加減食うぞ。時間なくなっちまう」
「あ、はい」

そうだ、彼はこれから仕事に行く身なのだ。つくしは思い出したように慌てて目の前の料理に手をつけていく。
だが食事中はずっと上の空で、全くと言っていいほど味がわからなかった。









「じゃあ行ってくる」
「はい。頑張ってください」
「・・・・なんかいいな。お前の見送りで仕事に行くって」
「えっ?!」

あれから食事を済ませると、仕事に向かう司の見送りにエントランスまでついてきた。一緒にいたのに見送りをしないというのもなんだか申し訳ない気がして。
いつも見送りをしている使用人は少し離れたところで二人の様子を見守っている。それがつくしにとってはむず痒くて恥ずかしくてたまらない。
それに加えて司のこの言葉。
よく考えたらまるで新婚夫婦のようで恥ずかしい。お願いだからそんなことは言わないで欲しい。

「くっ、顔が赤ぇぞ。・・・じゃあな」
「はい。行ってらっしゃい」

つくしの一言に一瞬だけ動きを止めた司だったが、次の瞬間には心から嬉しそうに破顔した。
ポンとつくしの頭を叩くと、颯爽と身を翻し扉に手をかけた。
・・・・だがそこでピタリと動きを止めてしまう。
そのままゆっくりと振り返ると、不思議そうに首を傾げるつくしをじっと見据えた。

「・・・・牧野、お前・・・・・」
「・・・・・・・?どうかしたんですか・・・・?」

さっきまでとはうって変わり、どこか神妙な面持ちで自分を見つめる司に何故だかつくしの胸がざわざわと落ち着かなくなる。
・・・・・なんとなく、いい話ではないような気がしたから。

「・・・・・いや、なんでもない。じゃあな、あんま無理はすんじゃねぇぞ」
「え?あ・・・はい。じゃあ気をつけて行ってきてください」
「あぁ」

そう言って笑った顔はもう元に戻っていた。軽く手を上げると、司は今度こそ邸を出て行った。

「・・・・・・?何だったんだろう」

何ともひっかかる様子ではあったが、考えたところでそれがなんなのかつくしにわかるはずもない。深く考えるだけ時間の無駄だと判断したつくしは、ひとまず自室に戻ることにした。


ネックレスを取りに。











*****






「いらっしゃいませ。お連れ様は先にお待ちでいらっしゃいます」
「あぁ」

店の責任者の恭しい出迎えを受けると、店内奥にあるVIPルームへと足を進める。やがて扉を開けると2人の男が既にそこで待っていた。

「よぉ。お前が呼び出すなんて珍しいな」
「まぁな」

2人に向かい合う形でソファーに腰を下ろすと、すぐに総二郎が声をかけてきた。

「今かなり忙しいんだろ?俺たちに会ってる時間を作るくらいなら牧野と一緒に過ごす方が貴重なんじゃないのか?」

あきらの疑問はもっともなものだ。実際その通りなのだから。

「あぁ。・・・・お前達にどうしても確認したいことがあってな」
「俺たちに?」
「・・・一体何だよ?」

心当たりの全くない2人は訝しげな顔で司を見る。

「類は?あいつはまだ来ねぇのか?」
「あぁ、類ならさっき・・・・・あ」

カタンという音と共に総二郎の視線を追えば、ちょうど類が室内に入ってくるところだった。

「おう、類。わざわざ悪ぃな」
「いいけど・・・どうしたの?司が呼び出すなんて。忙しいんでしょ?」

入ってくるなり先の2人と全く同じことを口にする。
それほどに今の司が多忙を極めているということは周知の事実だった。

「牧野は元気?」
「あぁ。松葉杖で動き回ってる」
「そう。順調に回復してるんだね、よかった。・・・・で?わざわざ呼び出した目的は何?もしかして牧野と何かあった?」
「いや・・・お前に聞きたいことがあるんだ」
「俺に?」

類が座るのを確認すると、飲み物を注文することなくいきなり話の核心部分へと入っていく。

「牧野は・・・・俺と別れたっつってたんだよな?」

予想外の言葉に3人が一瞬顔を見合わせる。だが類はすぐにその視線を司に戻すと頷いた。

「うん」
「いつからだ?あいつはいつからそんなことを?」
「いつからって・・・司は何か心当たりがあるんじゃないの?」

その言葉に司の眉間に皺が寄る。まるで心外だとでも言わんばかりに。

「俺には全くねぇ。・・・・・そりゃ確かに3年前のことでゴタゴタしたことは認める。あいつを我慢させたことだって。でも俺は一度だって目標を失うことはなかったし、あいつにも信じて待ってるように話したんだ」
「それで納得してたのは司だけだったんじゃないの?」

類の口からサラッと出た一言に司の目が鋭く光る。

「俺を睨まないでよ。あくまで可能性の話をしてるんだろ」
「・・・・・・・・・・」
「なぁ、司。お前、あの一件以来ほとんど牧野と連絡とってなかったんだろ?」

睨み合いを続ける二人を宥めるようにあきらが間に入る。

「・・・・あぁ。でもいきなり音信不通にしたわけじゃない。あいつにもしばらくそうなることは伝えたし、あの時はそうすることが最善策だったって気持ちに今も変わりはねぇ」
「・・・・・合併の話で身ぃ引いたんじゃねぇのか?令嬢との結婚が噂になってただろ」
「真相はともかく、それが会社のためだと思えば牧野ならやりかねないよな」
「・・・・・・・・・」

司の膝の上でつくられた握り拳にギリッと力が込められる。

「・・・・それでいつからなんだ?あいつがそんなことを言い出したのは」
「あ?あぁ・・・・いつだったかな。始まりはわかんねーけど、俺が最初に聞いたのは1年半くらい前だな」
「だな、俺もそのくらいで記憶してる」
「・・・・類、お前は?」
「・・・・・・まぁそんなところかな」

全員の答えが一致したところで、司は何かを考え込むようにして黙り込んでしまった。

「それがなんなんだよ?いつからなんて何か重要なのか?」
「・・・・・・それ以外に何かおかしいところはなかったか?」
「はぁ?」
「様子がおかしいとか、何か悩んでるとか」
「悩んでるって・・・・お前と連絡取れないんだから悩んでたに決まってんだろうが」

何を今さらとばかりに総二郎が呆れたように溜め息をつく。

「そういうことじゃねぇ。・・・俺はあいつがゴシップごときで足元がぐらつうような女だとは思ってねぇんだ。考えても見ろ。うちのババァとやり合うような女だぞ」
「それはまぁ・・・・でも親父さんがいなくなったとなればまた状況は変わるだろ?」

「司は何が言いたいの?」
「・・・・類?」

3人の会話を切るような形で類が静かに口にする。あきらの問いかけにも何も答えようとはせず、ただじっと司を見据えたまま。

「何かあるんでしょ?」
「・・・・・・・・・・」

しばらく向かい合ったまま沈黙が続くと、司はおもむろにスーツの内ポケットからあるものを取り出した。無言でそれをテーブルの上に置くと、3人の視線が疑問符を貼り付けたままその一点に注がれる。

「なんだよ、これ?」
「・・・・お前らこれを見て率直に何だと思う」
「はぁ?意味わかんねぇぞ」
「いいから見て思ったことを言え」

至極真面目にそう答える司に、それぞれが口をつぐんでそれをじっと見つめる。

「何って・・・・・・」
「なんかどっかで見たことがある気がするよな・・・」

しばらく考え込んでいた3人だったが、やがてとあることに思い当たったようにハッと表情を変えた。
司はその様子をじっと見ているだけ。

「あっ・・・!つーかこれって・・・・・」



テーブルに置かれた一通の封筒。
一見なんでもない封筒に見えるが、最大の特徴はその色だった。


燃えるような真っ赤なそれは、明らかに異色を放っている。
だが、ここにいる全員にはあまりにも馴染みのありすぎるものだった。








「まるで赤札みてぇだな・・・・・・」











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あなたの欠片 19
2014 / 11 / 26 ( Wed )
「・・・・・えっ・・?」

ここで聞こえるはずのない声。


嘘・・・どうして?
幻聴・・・・・?


つくしは驚きと混乱のあまり後ろを振り返ることができない。
再びガタンという音が聞こえると、ギシギシという微かな足音と共に自分に近付いてくる気配を感じる。それは徐々に大きくなり、ものの数秒ですぐ後ろまでやって来た。

胸がドクドクと落ち着かない。
意味もわからず震える手でギュウッと胸元の服を掴んだ。


「よう、久しぶりだな」


今度は空耳なんかじゃない。
確かにすぐ後ろから聞こえてきた声につくしはゆっくりと振り返った。

「道明寺さん・・・・」
「元気だったか?・・・って、同じ邸に住んでるのに聞くのも何だけどな」

ははっと苦笑いするように顔を綻ばせると、その瞳はつくしを捉えたまま離れない。

「あの・・・・・どうしてここに・・・?お仕事は・・・・」

昨日も今日も、休み関係なく仕事でいないと聞いていた。

「あぁ、今日は久しぶりに思ったより早く片付いたからな。邸に戻ったらお前がいねぇから斉藤に連絡してみればここに来てるって言うじゃねぇか」
「そうなんですか・・・・」

見るからに高級そうなスーツを身に纏ったその精悍な立ち姿に、ますますつくしの心臓が落ち着かなくなる。もう何度だって見ているのに一体どうしたというのか。いつ会えるのかわからずにいたという緊張感がそうさせるのか、彼を直視することができない。

「おい、どうした?どっか痛いのか?」

俯き加減で視線を合わせようとしないつくしを司は訝しげに見つめる。しゃがみ込んで顔を覗き込むと二人の距離がグッと近付いた。

「い、いえっ、なんでもありません!どこも大丈夫ですから!!」

ち、ち、ち、近い近い近い!!!
今はこの距離は勘弁してっ!!!

思わず仰け反った拍子につくしの手のひらから正方形の小箱が滑り落ちた。

「おい、何か落ちたぞ」

カーペットの上に転がっていったものを視線で追った瞬間、司がハッとした顔をする。
驚いているのか、その表情が意味するところを読み取ることはできないが、とにかく目を見開いて身動き一つとらなくなってしまった。
わけがわからないつくしは箱と司を交互に見つめる。
彼は何か知っているのだろうか・・・?

「あ、あの、道明寺さん・・・・・?」

恐る恐るかけた声に司がハッと我に返ったのがわかった。

「あ、あぁ、悪い。何でもねぇ。・・・・それは?」
「あ、これですか?何か記憶の欠片でも掴めないかと色々探してたんです。収納の奥から見つけて。今から中身を確認しようと思ってたんですけど・・・」
「・・・・・・・そっか。開けてみろよ」
「えっ?」
「中、見てみろよ」

そう言うと司は手を伸ばして転がったままの箱を拾い上げた。そしてつくしの手を取りそれをゆっくり手のひらに載せる。

「あ、あの・・・・?」
「ほら、開けてみろ」

真っ直ぐ射貫くような視線にドキドキが止まらない。
・・・・何故?
何故彼はそんなことを言うのだろうか。

・・・・・もしかして今手にしている物と彼には関係がある?

だって、だって、今自分が握りしめているものはまるで・・・・・


震える手を悟られないように平常心を装いながら、つくしは手のひらに載せた箱をゆっくりと開けていった。

「わ・・・・あ・・・!」

開けた瞬間思わず感嘆の声が漏れる。
きらきら、キラキラ、そこには目映いばかりの輝きを放ったネックレスが存在感を示していたから。

「すご・・・・綺麗・・・・」

それしか言いようがなかった。一体どれだけの宝石がちりばめられているのだろうか。普段目にすることのないそのあまりの豪華さに、目がチカチカしてきそうだ。
それにしてもこの不思議な形は・・・

「土星・・・?」

そっと台座からネックレスを取り出すと、目の前に掲げて色んな方向から観察してみる。
・・・やはりどこからどう見ても土星だ。
土星のネックレス?
とても素敵で綺麗だけれど、何とも珍しい形のネックレスだ。
何故土星なのだろう?そもそもこんなデザインのものが売っているのだろうか?

不思議そうな顔でネックレスを見上げているつくしの様子を、司は何も言わずにじっと見つめている。彼女の変化を少しでも見逃さまいと、一瞬たりとも目を逸らさずに。


「つけてやるよ」
「えっ?」

顔を上げたときには既に司はつくしの背後に回っていて。後ろから伸びてきた手がつくしの手からネックレスを奪う。背中越しに感じる体温に心臓が爆発しそうなほど暴れ回る。つくしの動揺などお構いなし、司は取り上げたネックレスをつくしの首にかけていく。

「あ、あのっ・・・!」
「バカ、振り向いたらできねぇだろ。前見てろ」
「えっ」

クイッと顔を押されると、再び手を動かし始める。

「・・・・・よし。これでいい」
「あ、あの、一体・・・?!」

展開についていけないつくしが振り返ると、司は目を細めてその姿を見つめた。

「やっぱそこが一番いい」
「えっ?」
「お前のそこにあるのが一番似合ってる」
「・・・・・それって」

まるでこのネックレスを知り尽くしているかのようなその言葉。
そもそも自分が持っているにはあり得ないほどの高級品。
そして・・・今自分を見つめるその慈愛に満ちた瞳。

やっぱりこのネックレスは____


ふわっ・・・・


「・・・・・・・・・・・・え?」


気が付いたときにはつくしは温かい何かに包まれていた。
何が起こったのかがすぐにはわからない。
ただ、とても大きくて温かい何かが自分を包み込んでいるということだけはわかる。

「牧野・・・・・」

くぐもった声がすぐ真上から聞こえたと思えば全身を伝っていく。
その時ようやく自分が彼に抱きしめられているのだと気付いた。
つくしの手はダラリと下がったまま、互いの胸と胸が密着し、司の手はしっかりとつくしの背中に回されている。

「あっ、あのっ!」

さっきから面白いくらいに「あの」しか言っていないような気がするが、もうそんなことが考えられるような状況じゃない。突然のこの事態につくしは完全にパニック状態だ。

「牧野、会いたかった・・・」

耳元で囁かれたのと同時に背中に回された手にグッと力が入る。


ドクンッドクンッドクンッドクンッ


何か言わなければと思うのに、
離れなければと思うのに、
その体は指先一つも動いてはくれない。
ただ大きな体に包まれて、そのまま溶けてしまいそうなほど体がふわふわ浮き上がっていく。
こんなにも大きさが違うのに、不思議なほどピッタリと沿う体が、温もりが心地よくてたまらない。






どれくらいの時間が経ったのだろうか。
抵抗一つせず、ただされるがまま身を預けているだけで時間も何もわからない。

「・・・・・くっ、お前の心臓すげぇ」
「・・・・・えっ?」

長い長い時間に思えた沈黙を破ったかと思えば、頭上で笑う声が聞こえる。

「心臓が速すぎてぶっ壊れんじゃねぇのか?」
「なっ?!だって、それは・・・・・・・!」

そんなの当然に決まってる。
男性に、しかも自分を好きだと言っている相手にこんなことをされて平気な人間などいるものか。
それに当事者であるこの男は何故そんなにも余裕があるのか。
自分だけが焦っていてなんだか悔しい!

つくしは睨み付けるようにして司を見上げた。




あ・・・・



見上げて十数センチの距離で互いの呼吸が止まる。ここまで至近距離になるとはどちらにとっても予想外だったのか、見つめ合ったまま微動だにしない。いや、できない。
せめて視線を逸らせばいいのに、それすらもできないでいる。
心臓はますますとんでもないことになっていて、本当に心臓発作を起こしてしまいそうだ。


ドクンドクンドクンドクンドクンッ


心臓だけではなく全身まで震えてきたときだった。

自分を見下ろす男の顔がゆっくりと近付いてくる。
瞳はこちらを捉えたまま少しも逸らされることはない。その瞳がどんどん大きくなっていく。

え、うそ、もしかして・・・・?
嘘でしょう?待って、待って!心の準備が・・・・・!

頭で盛大なパニックを起こしながらも、尚も体は動かない。
やがて目の前の男の瞳がスッと閉じられたのがわかった。

う、うそ?!このまま・・・・・・・?!

どうにもならない状況につくしも覚悟を決めてギュウッと目を閉じた。





ピリリリリリリッ!ピリリリリリッ!





突然静寂を切り裂いた音に二人の体がビクッと跳ね上がる。
その音で我に返ったつくしは司の胸を手で押しのけ慌てて体を離した。
あっという間のその行動に司自身も呆気にとられている。

「あ、あのっ・・・・・!」

おそらく自分は今全身真っ赤になっていることだろう。カーッと燃え上がるように熱くなる頬を抑えながら必死で言葉を紡ごうとするが、もはや自分でも何を言っているのかわからない。

ピリリリリリリッ!

「・・・・チッ、邪魔しやがって・・・・・」

忌々しそうに舌打ちすると、司は胸ポケットから携帯を取り出した。

「はい。・・・・・あぁ。・・・・・・・・わかった」

必要最低限な言葉だけで会話を済ませると、司は目の前の女を見た。
顔を真っ赤にして明らかに戸惑った様子でこちらを見ている。
決して急いでるつもりも焦ってるつもりでもなかった。
だが、キラキラと曇りない眼で自分を見つめるその姿に、気持ちを抑えられなくなってしまった。
はぁ~っと盛大に溜め息をつく。

「あ、あの・・・・・・」
「悪い。焦ってるつもりはなかったんだけどな。お前が可愛いから抑えが効かなくなった」
「か、かわっ・・・?!」
「悪ぃけどまた会社に行かなきゃなんねぇ。このまま邸まで一緒に行ってやりてぇところだけど、今日は無理だな」

仕事と聞いてホッとしたような、とてつもなく寂しいような、何とも複雑な気持ちがつくしを包み込む。

「だ、大丈夫です!斉藤さんもいますし、何も心配しないでください!」
「・・・・・悪い」

そう言ってポンポンと優しく頭を撫でると、ますますつくしの顔が赤くなっていく。
司は一体どこまで赤くなるのかと内心面白くなりながらそれを続けていたが、つくし自身が耐えられなくなったのか、自分から体を離して慌てて荷物をまとめ始めた。

「あの!お仕事なら急がないとダメですよね!すぐに片付けますから!」
「いや、」

司の言葉などまるで耳にも入れず、つくしはバタバタと大慌てで散らかしていた部屋を片付け始めた。後ろから見る姿は耳まで真っ赤だ。
ぶっちゃけ、キスし損ねて少々不満は残るが、つくしが相変わらずこういうことへの免疫が少しもついていないことに内心安堵したし、嬉しかった。
そして必ず取り戻せるとの確信をあらためてもてた。それだけでも今日会った意味がある。

ほんの、本当にほんの一瞬だけ掠めた唇をそっと撫でる。
触れた場所から信じられないほどのパワーが漲ってくるような気がした。

「お待たせしました!じゃあ行きましょう!」

そう言って鞄に何かの箱を突っ込んで立ち上がると、松葉杖をつきながらつくしは器用に玄関へと歩き始めた。最後に会ってから約10日の間に見違えるように動きがスムーズになっていて驚きを隠せない。
それと同時に順調に回復へ向かっているのだとわかり心底ほっとする。
つくしが玄関に辿り着いて靴を履こうと少し前屈みになった拍子に、斜めになった箱の隙間から一通の封筒がハラリと落ちた。

「おい、まき・・・・・・」

名前を呼びかけてハッとする。どことなく既視感のある封筒に違和感を覚えたからだ。

「じゃあ行きましょうか」
「あ?あぁ、そうだな・・・」

幾分落ち着きを取り戻したつくしは笑顔で振り返ると、先に玄関を出た。
司は床に落ちたままになっている封筒をそっと拾い上げる。表と裏を確認すると、既に主のいなくなった玄関へとゆっくり視線を送った。







*****



「あぁ~、もう!なんで動けなかったんだろう!」

ふかふかのベッドの中央で俯せになったままジタバタと手だけを動かして悶絶する。
あれからずっと、キスをしそうになったことが頭から離れない。

「・・・・っていうか・・・・・・」

そっと唇に指を当てる。
ほんの少し、本当に少しだけ、触れた・・・・・?

「あぁ~~~っ!!やだやだやだ!」」

恥ずかしさのあまり頭から布団を被って転がり回る。

結局あれから司は帰ってきていない。余程忙しいのだろう。
顔を合わせずにすんだのは良かったと考えるべきなのか?
だがつくしが帰って来るやいなや、タマはつくしの胸元に輝くネックレスに目ざとく気付き、それからいつになく上機嫌だった。つまりはやっぱりそういうことなのだろうか。


「うぅうう~~、これじゃあ眠れないよっ!」

もう何度目かわからない寝返りをうつと盛大な溜め息をついた。


・・・・・・・・・眠れないなんて誰が?
それから10分かからずして布団の中からスースーと規則正しい寝息が聞こえ始めた。













カタン・・・・


深夜、いつものように暗闇の中を一つの影がゆっくりと動く。
すっかり慣れた動きでその場所に来ると、頭にかかったままの布団をそっと下げた。
そこにはいつもと何も変わらない無邪気な寝顔がある。

司は大きな手でつくしの頬に触れると、いつになく長い時間そこから手を離そうとはしない。


「牧野・・・・・お前に何があった・・・・・?」


小さな声で呟いても目の前の女は気持ちよさそうに微睡むだけ。
そんなつくしの頬を撫でると、ようやく手を離して司は静かに部屋を後にした。




大きなストライドで廊下を進み自室へと向かう。
やがて辿り着いた部屋に入ると、司はスーツの内ポケットからあるものを取り出す。


鋭い視線で睨み付ける先には一通の封筒が握られていた。










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あなたの欠片 18
2014 / 11 / 25 ( Tue )
「つくし~!こっちこっち!」
「あ・・・!」

ガラス張りの吹き抜け下にあるオープンテラスで勢いよく手をふる女性を見つけると、つくしも笑顔で返す。足元を確認しながらゆっくりと前へ進んでいくと、いつの間にやら二人とも立ち上がってつくしを待ち構えていた。

「ごめん、待たせたかな?」
「ぜ~んぜん!それよりも凄いじゃんつくしっ!そんなに動けるようになってたなんて!」

ここまでゆったりとしたスピードながらも、松葉杖を使って自力で歩いてきたつくしに滋は感動の声をあげる。

「あ、うん。でもまだまだダメ。気をつけないと時々転びそうになっちゃうし」
「それでも凄いですよ。あんな大怪我してたんですから。頑張ってるんですね」
「えへへ、そう、かな・・・・?」
「そうですよ」

どんなことでも人に褒められるってやっぱり素直に嬉しいもの。
つくしはニコニコと自分を褒めてくれる二人に照れ笑いが止まらない。

「まぁとりあえず座りましょう。良くなってるとはいえ無理は禁物ですからね」
「そうそう、さ、座ろ座ろ!」
「うん、ありがとう」

桜子が引いてくれた椅子にゆっくりと腰掛けると、つくしは空を見上げた。ガラス張りの吹き抜けからは澄み渡った青空が見え、まん丸とした太陽から燦々と光が降り注いでいる。肌寒い季節だというのに、ここだけは自然の力で信じられない程に暖かい。

「ここ凄く綺麗だね。このまま布団敷いて寝たいくらいだよ」
「あははっ布団って!でも気持ちはわかるなぁ。今は寒いから閉まった状態だけど、気候が良くなればこのガラスも全面オープンになるんだよ」
「へぇ~!気持ちよさそうだね」
「また季節が変わったら来ましょうよ」
「ふふ、そうだね」

まるでもう記憶が戻っているのではないだろうかと錯覚するほど、3人が醸し出す空気は自然だ。

日曜日の今日、滋の誘いで久しぶりに3人で会うこととなった。
最後に会ったのは司の邸で全員が揃ったとき。あれからもう3週間近くが経っていた。
それぞれが頼んだ飲み物が運ばれてくると、待ち構えていたように滋が口を開いた。

「どう?司のところでの生活にはもう慣れた?」
「あ、うん。慣れたとも言えるし慣れないとも言える・・・かな」
「えぇ~?それってどういう意味?」
「なんていうか、あそこに住んでる人達にはすっかり慣れたんだけど、あの暮らしぶりには慣れないっていうか・・・」
「あ~、そういうことか。なるほど、納得」
「いかにも先輩らしいですね」
「そう・・・・かなぁ?」
「そうですよ。全然変わってないです」

ニコッと綺麗な笑顔を見せる桜子につくしも何故だかホッとする。
記憶がなくても自分という人間が変わったわけではないのだと思えるから。

「それで?司とはどうなってるの?夜這いとかされてない?」
「んぐっ、ゲホゲホゴホッ!!」
「ちょっ先輩、大丈夫ですかっ?!」

ストローで吸い込んだレモンティーが思いっきり気管に入り、つくしが盛大にむせ返る。バシバシと桜子に背中を何度も叩かれながら深呼吸を繰り返し、やっとのことで落ち着きを取り戻していく。

「つくし大丈夫?」

ケロッとした顔の滋をつくしは涙の滲んだ目でキッと睨み付けた。

「ちょっと、滋さん!変なこと言わないでくださいよ!」
「あ~、敬語使うのやめてって言ったでしょ?名前も呼・び・す・て!」
「じゃあ滋っ!いきなり変なこと言わないでっ!」

つくしがぷりぷりと怒っているというのに、滋はどこか嬉しそうに顔を綻ばせる。

「あ~、つくしのその感じ懐かしい!やっぱりつくしはそうでなくっちゃね!」
「だからそうじゃなくて!」
「え~?あたし何か変なこと言った?だって男と女が一つ屋根の下にいるっていったらやっぱりそういうこと期待しちゃうでしょ?」
「し・ま・せ・んっ!!」
「そうかなぁ~?」
「それに、花沢類のところにいたときはそんなこと一言だって言わなかったのに!」
「えぇ~?だって類君はそういうタイプじゃないでしょ」

確かにそうかもしれないけどそういう問題なのか?
っていうか、それならば司はそういうタイプだということになるのか・・・?!

「あ、誤解しないでよ。司が誰にでもそういうことするって意味じゃないから」
「え」
「司はつくしのことになると別人になるからさ~。良くも悪くも」


ドキンッ・・・


『お前が好きだ』


はっきりと告げられた言葉がまた蘇ってくる。
司の話が出る度に一人で思い出してはどうしていいやらと悶絶する。
あの告白以来何度同じ事を繰り返しているだろうか。

・・・・・・あれ?
そんなことを聞くってことは当然この二人も自分たちのことは知っているだろうわけで・・・・
・・・・・夜這い?
夜這いって・・・・つまりはそういう関係があったってことなのだろうか?

え、えぇっ、嘘でしょう?!
いやでも、お付き合いが本当なのだとしたらその可能性だってありえるわけで・・・・・
年齢的にも普通ならあって当然と言うべきで・・・

いやいやいやいやいやいや!!!
そんなこと言われても困るっ!何も思い出せないからっ!!!


「・・・先輩?何かあったんですか?顔赤いですよ?」
「えっ?ないないないない!何もないよ?!」
「「・・・・・・・・・・」」

真っ赤な頬に手を充てながら必死で誤魔化そうとするつくしを二人がじーーーと見つめる。
しばらくすると互いに目を合わせて何やら意味もわからず頷き合う。不思議に思って首を傾げたところで再びその瞳がこちらを向いた。

「・・・・・・で、何があったの?」
「・・・・・・で、何があったんですか?」

綺麗に重なった言葉に思わずつくしがたじろぐ。
何故にこうも自分の脳内は読まれやすいのだろうか。
どこかに穴が開いていて中身が漏れ出してるんじゃなかろうかと疑いたくなるほどだ。

何もない!と言いたいところだけど、どうやっても誤魔化しきれる自信がない。
それに・・・この二人には隠す理由がないように思えた。
フーと一息つくと、つくしは言葉を選びながらぽつりぽつりとこれまでのことを話し始めた。






「・・・へぇ~、司とっくに言ってたんだ。まぁいかにも司らしいけど」

優紀が言っていたこととほとんど同じことを滋も口にする。

「先輩は何も思い出せないんですよね?」
「う、ん・・・残念ながら」
「だから司のところに行こうと思ったの?」
「そういうわけじゃない・・・・とは言い切れないかもしれないけど、そうじゃないの。上手く言葉で説明できないんだけど、記憶を取り戻すにはそれが一番だってなんとなく思えたから・・・」
「そっかぁ・・・・・・」

3人の間を何とも言えない沈黙が走る。

「それで?道明寺さんのお邸に行って何か感じたことはあるんですか?」
「う~ん、皆いい人だなぁって。あんなによくしてくれるってことはやっぱりそういうことだったのかなって思えるんだけど、それ以上は何も・・・・」
「司は?つくしが来てからどんな感じなの?」
「それが・・・・まだ一度も会ってなくて」
「「はぁっ?!」」

またしても綺麗にハモった言葉に顔が引き攣る。
見れば信じられないとでもいいたげに二人して目を大きくしている。
まぁそれも当然のことだろう。もう邸を移って一週間も経つのだから。

「会ってないって・・・・・ただの一度も?」
「・・・・・うん。もともとお邸に来て欲しいって言われたときもしばらく会いに来る時間がなくなるからって言われて。だから本当に忙しいみたいで・・・」
「・・・・そっかぁ~。なんか忙しいってのは聞いてたけど、思ってた以上に大変なんだ」

ボソッと滋が呟いた一言が妙に気になる。

「大変って・・・・何かあったの?」
「えっ?!いやいやいや、大きな企業だとね、ほら、やっぱり色々あるわけよ。財閥の宿命っていうか。だからつくしは心配しなくても大丈夫だよ!ねっ?」
「う、うん・・・?」

何だろう。なんだかひっかかる。
そりゃあ一般人の自分にはわからないような苦労がたくさんあるんだろうけども。
・・・・・でもなんだか胸がざわざわするのはどうして?

「会いたいですか?」
「・・・・えっ?」

悶々と考え込んでいたつくしを黙って見ていた桜子がおもむろに口にする。

「道明寺さんに会いたいですか?」
「それは・・・」


正直、最初はどんな顔をして会えばいいんだろうって思ってた。
自分から行くと言っておきながらなんなんだって言われそうだけれど。
・・・でも、ここまで会えないとは思ってもなかったから、今度は会えないことに対する不安が募っているのも事実だった。結局それは彼に会いたいってことなんだろうか・・・・?

「・・・うん。会いたい・・・・・かな」

ぽつりと心のままの言葉が出ていた。
その言葉を聞いた桜子がにっこりと笑う。

「そうですか。じゃあきっとすぐに会えますよ。道明寺さんだって先輩に会いたくて頑張ってるんでしょうし」
「そうそう、つくしは司にとってのにんじんだからね!」
「にんじん?」
「馬はにんじんが大好物でしょ?」
「えぇっ?!」
「ふふっ、わからないならいいんですよ、先輩」
「????」

意味がわからず首を傾げるつくしを二人が意味ありげに笑う。
・・・・まぁよくわからないけどいっか。
きっとこの二人はまだ自由のきかない、そして記憶の戻らない自分を心配してこうやって誘ってくれたに違いないのだ。少しでも気分転換になればという優しさで。
その気持ちが素直に嬉しかったし、そして楽しかった。

つくしはまた一歩、彼女達との距離が縮まったことを実感していた。








「・・・・・・斉藤さん、ちょっとだけ我が儘言わせてもらってもいいですか?」

二人と別れた帰り道、リムジンの窓から外を眺めていたつくしが運転手の斉藤にぽつりと呟いた。

「どうされましたか?牧野様がお願いなんて珍しいですね。できることなら何でもお手伝いさせていただきますよ」

ちょうど信号待ちをしていた斉藤は笑顔でそう答える。

「あの・・・・私の住んでたアパートに行ってもらえませんか?」








*****


カチャッ・・・・・


ゆっくりと扉を開けるとなんだか懐かしい香りがした。

「うわ~、久しぶりだぁ・・・・」

つくしは一歩ずつ中へ入っていくと、四ヶ月ぶりの我が家を見渡した。
記憶は欠けているが、ここに住んでいたことは何故だか覚えていた。とはいえ、いつから住んでるのか、具体的にどんな生活をしていたのかといった細かいことまでは思い出せない。脈絡のない断片的な記憶が残っているだけ。

「っていうか狭っ!」

端から端までほんの十歩ほどで辿り着いてしまうその室内に思わず苦笑いする。
これじゃあ本当に花沢邸や道明寺邸のトイレ並・・・いや、それ以下だ。
今まで狭いと思うことすらなかったのに、さすがにあんなに大きな空間で数ヶ月も生活していれば狭いと感じざるを得ない。

「あ~、でもやっぱりこういうところが落ち着くなぁ」

中へ入ると、つくしはベッドにゆっくりと腰を下ろしてもう一度全体を見渡した。


ずっと気になっていた自分の部屋。
いない間の家賃は全て花沢類が当分先まで払ってくれていたらしい。留守中空き巣が入ったりしないか、時々SPの人が見回りにも来てくれているとか。何から何まで用意周到にしてくれて、本当に頭が上がらない。

欠けた記憶を辿る中でずっと引っかかっていた場所だ。
自分だけの空間。
ここにはいろんなものが詰まっているに違いないから。
だから少しとはいえ動けるようになった今、何かの手がかりを一つでもいいから掴みたい。

「なんだろう、ベタに収納とかから見ればいいのかな」

自分の家なのにまるで他人の家のようにドキドキする。
一体どんなものが出てくるのか。楽しみでもあり怖くもある。
つくしは高鳴る胸を押さえながらクローゼットの扉を開いた。
そこには少量の衣類や雑貨が綺麗に整頓されてあり、ぱらぱらと見ていくがこれといって何か気になるものがある感じは受けない。もっと言ってしまえば、我ながらとても彼氏がいる女性の部屋だとは到底思えない。

「昔からあんまり物欲なかったしなぁ・・・・」

あちらこちらと手探りで見ていくが、やはり何か気になるようなものは見当たらない。
このまま何一つ手がかりは見つからないかと思っていたときだった。

「・・・・・・あれ?なんだろう、これ」

収納ボックスの奥の奥、衣類に押し込まれるような形でひっそりと置かれたノートほどのサイズの箱に気付いた。偶然奥にいってしまったのか、それとも・・・・?
つくしは手を伸ばしてその箱を引っ張り出した。おそらくお菓子などが入っていたのであろう何の変哲もない箱だが、何故だか中身はそうじゃないような気がする。
それは直感だった。

少しずつ速くなっていく鼓動を感じながらゆっくりと箱を開けていく。
すると中には手のひらサイズの正方形の小箱と長方形の封筒がいくつか入っていた。

「・・・・・・・何だろう・・・・?」

見ただけでは何もわからない。
つくしはドキドキしながら微かに震える手で小さな箱を手に取った。ベルベッドでできたその箱はちょうどつくしの手のひらほどのサイズだ。

「なんか、この素材と形ってまるで・・・・・」

その先は敢えて言葉にすることなく箱に手をかけたときだった。




カタン・・・・・





「相変わらず狭ぇな」






扉が開く音と共に久しぶりに聞く声が耳に届いたのは。










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Midnight love xx
2014 / 11 / 24 ( Mon )
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あなたの欠片 17
2014 / 11 / 23 ( Sun )
『もしもし?』
「おう、元気か?」
『元気だよ~。そっちこそ大丈夫?かなり忙しいんでしょ?』
「まぁな。ババァにこれでもかってこき使われてる。この1ヶ月で6カ国を渡らされたぜ」
『うわぁ~、大変だね』
「でもまぁ忙しい方がある意味楽かもな」
『え?』
「忙しくて目が回る生活をしてた方が時間が経つのが早いだろ」
『・・・・そうだね』
「あと1年。3年も耐えてきたんだ。あと1年なんてあっという間に過ぎるさ」
『・・・・・うん』
「それまでキョトキョトせずにちゃんと待ってろよ」
『だーからそんなことしないって!』
「どうだかな。お前は無自覚だからな」
『またそんなこと言って・・・・。そっちこそ金髪の美女達に誘惑されまくってないでしょうね?』
「あ?されまくってんじゃねーのか?」
『はぁっ?』
「でもそんなん俺には関係ねーよ。どのみち視界にすら入ってねぇんだからよ。俺に見えてるのはお前との未来だけだ」
『・・・・・・・・』
「お、感動のあまり言葉も出ねぇか?」
『ち、違うから!よくそんなセリフが恥ずかしげもなく言えるな~と思っただけ!』
「本心なんだから仕方ねーだろ。何が恥ずかしいんだよ」
『・・・・ぷっ、相変わらず俺様』
「お前だって相変わらずだろ。・・・・まぁとにかくあと少しだから。待ってろ」
『・・・・・うん』
「今週は忙しくなりそうだから電話できるかわからねぇけど、また連絡する」
『うん。無理はしないでね。頑張って』
「あぁ。じゃあな」
『うん、またね』





またね。




そう笑って言えることの尊さを、私達はもう充分に知っていたのに。















****





・・・・・なんだかとても懐かしい夢を見た気がする。
私は誰かと楽しそうに笑いあっている。

・・・・・・誰と?
顔を見たいのに逆光のせいでよく見えない。
でもその人も凄く笑っているのだけはわかる。
・・・・・誰・・・・?
その顔を見せて欲しいのに・・・・・・


あなたは誰・・・・・・・・・・・・・?





「・・・・・・・あれ?」

目の前に見えた天井の模様がいつものそれと違う。
・・・・・なんで?
ここは何処?
まさかまた記憶をなくして病院のベッドの上にいたりするんだろうか・・・・?

ぼんやりと霞んだ頭で必死に記憶を辿っていくうちに、はたと、ある事実に思い当たる。

「あっ、ここって・・・・!」

ゆっくりと体を起こして部屋中を見渡してみる。

「・・・やっぱりそうだ。ここは道明寺さんのお邸・・・・」

昨日、この邸の人間が突然迎えに来たかと思えば嵐のように連れ去られたんだった。
花沢邸での涙涙のお別れの後にはここでもまた涙涙の大歓迎式が待っていて・・・・本当に「嵐のようだった」という言葉がふさわしい。あそこまで喜んでくれるなんて一体誰が予想できただろうか。

『二人は付き合っていた』

その事実がよりリアルなものとして突きつけられる。


「それにしてもやっぱり凄いお家だなぁ・・・・・」

状況を理解したところであらためて室内をぐるりを見渡してみる。
前回来たときにも思ったけれど、ここの豪邸っぷりは桁違いに凄い。類の邸もそれはそれは立派なものだけれど、それすら比にならないレベルになってしまうのだからもう何と言っていいのやら。
まるでお城のような造りに、自分が中世ヨーロッパのお姫様になったかのうような錯覚に陥ってしまいそうだ。今寝ている極上の寝心地のベッドだって、つくしがあと5、6人は寝られそうな余裕がある。

「なんでお金持ちって無駄に広いベッドを欲しがるんだろ。普通のサイズで充分なのに」

無駄に広すぎる部屋もベッドも、庶民であるつくしにとっては逆に居心地が悪い。しかも今は体の自由が効かない身。全てが手に届くような狭い部屋の方がありがたいくらいだ。



「失礼します、牧野様。お目覚めでしょうか?」
「えっ?あ、はいっ!」


控えめなノックの後に聞こえてきた声に慌てて返事をすると、しばらくして使用人の女性がニコニコと部屋へ入って来た。

「おはようございます、牧野様。ゆっくりお休みになられましたか?」
「あ、はい。おかげさまでぐっすりと」
「それはよかったです。これから朝食になりますがどちらでとられますか?もしお体が辛いようでしたら部屋にお持ちすることも可能ですが・・・」
「あ、いえいえ。ちゃんと移動します。リハビリにもなりますし」
「そうですか。それでしたらそちらまでご案内致します」
「あ、ありがとうございます」

つくしの言葉に女性はニコリと笑顔を見せた。
類のところでも思っていたが、食事をするのすら移動をしなければならないという感覚に未だに慣れない。これまでせいぜい数歩動けば全てのことができていた狭い空間で生活していた自分にとって、やることなすこと全てがまさに異次元のことばかり。類のところで約一ヶ月お世話になったというのに、やっぱり根っこの部分はどうやったって変わらないのだと痛感すると思わず苦笑いがこぼれた。




「やぁ、つくし。少しは休めたかい?」
「あ。タマさん、おはようございます」

移動したダイニングルームでは既にタマが待ち構えていた。
タマと呼ばれるこの女性。とても小柄な老婆ではあるが、見た目に反してとてつもないパワーが漲っている。昨日も邸に来るなり色々と案内役を買ってくれたが、どうやらこの邸で一番偉い立場のようだということがつくしにもわかってきた。

「さぁ、こっちだよ。お腹がすいてるだろう?好きなだけ食べな」
「ありがとうございます。・・・わぁっ、おいしそう!」

高級ホテルを思わせるような朝食に、つくしの目が一瞬でキラリと輝く。

「いただきます!」

手を合わせて一礼すると、つくしは目の前の料理を一口口に含んだ。

「ん~~~っ、おいしい~~~っ!!」

目尻をこれでもかと下げて舌鼓をうつその姿に、タマも満足そうに笑う。

「あんたみたいにおいしそうに食べてくれる人がいると料理人も報われるってもんだ」

タマの一言が何故だか妙に引っかかる。

「・・・・ここにはそういう人はいないんですか?」
「残念ながらいないねぇ。だからこそあんたが来るとここの人間は喜ぶのさ」
「・・・そのことなんですけど、私ってそんなにここに来てたんですか・・・?」

先輩と言っていた彼女。何をどうすれば先輩になるのか、その意味はまったくわからないが、少なくともそれなりに接点があったということなのだろう。だとするならば私と彼のことについても何か知っているのではないか。

「知りたいかい?」
「えっ?」

聞いたのはつくしの方なのに逆に質問返しをされてドキッとする。
見ればタマがじーーっとこちらを見据えている。その表情からは何を考えているのかは全くわからない。

「こ、ここに来たからには知りたいと思ってます・・・・」
「・・・・・そうかい。じゃあ追々教えてやるさね」
「・・・えっ?!」

お、追々?!おいおい、そりゃあないでしょう!
ってシャレじゃなくて!!

「そう焦りなさんなね。時間はたっぷりあるんだ。焦って多くの情報を詰め込みすぎるよりも、まずはここで生活していく中で自分で色んな事を感じてみるんだよ。私の出番はそれからでも遅くないよ」
「タマさん・・・・」

結局何も教えてはもらえなかったけれど、ニッと笑ったその顔を見るだけで何故だかスーッと肩の力が抜けていくのがわかった。

「・・・・そうですね。タマさんの言う通りかもしれません」
「そうそう、年寄りの言うことは素直に聞いておくもんだよ」
「そういえばこの前会った時に私の先輩だって言ってましたけど、どうして先輩なんですか?」
「そりゃああんたの先輩だったからだよ」
「えぇ?!」

相変わらず全く意味がわからない。
ポカンとした顔で首を傾げるつくしに、タマは豪快に笑い声を上げる。

「あっははは!それもいずれわかるよ。とにかく私はあんたの先輩なんだ。タマさんでも先輩でも好きなように呼びな」
「・・・・はい」

わからないことだらけではあるけれど、この人は絶対に自分の味方に違いないという妙な確信が持てるのが不思議だ。これも心の奥底の記憶がそう思わせているのだろうか。
彼女の言う通り、全てを周囲から聞かされてしまっては、その固定観念に囚われてしまって真実が見抜けなくなってしまうのかもしれない。

「あ、今さらですけど道明寺さんは?」
「坊ちゃんならもう出かけたよ」
「そうなんですか。お忙しいんですね」

この前も一つ屋根の下にいるからといってそう会えるわけではないと言っていた。
近くにいるのになかなか会えないなんて、ある意味ドキドキする。

「そうだねぇ。しばらくは忙しい日が続くかもしれないねぇ。でも俄然やる気になってるだろうよ」
「え?」
「いいや、こっちの話だよ」
「・・・・・・・?」
「ほらほら、あれこれ考えてないで早く食べな。冷めちまうだろ」
「あっ、はい!・・・・・・・・ん~、やっぱりおいしいっ!」

幸せそうに顔を綻ばせるつくしにタマもうんうんと嬉しそうに頷いてみせる。
急展開に内心不安でいっぱいだったが、ここでの生活も案外楽しいものになるのかもしれない。
早くもつくしの気持ちは前向きになりつつあった。




それから数日、結局司と顔をあわせることはなかった。
邸に来てからまだ一度も言葉を交わせていない。どんな顔をして会えば?という気持ちもあったが、主でもある彼に一言くらい挨拶をしておきたいというのも本音だった。
今日こそはと思って早起きをしても、司はそれ以上早くに出かけてしまっている。夜にしても同じこと。
早朝にでかけて深夜に帰って来る。そんな毎日を繰り返していて、一体いつ休んでいるのだろうか。体を壊したりしないのかと心配でもあった。



「今日でもう5日かぁ・・・・同じ家に住んでいてもほんっとに会えないものなんだね」

ゴロンとベッドに横になって見た時計が示しているのは午前0時。

「毎日こんなんじゃいつか倒れちゃうよ・・・・」

今日こそはと思って頑張って起きていたが未だに帰って来る気配はない。
もう少し・・・・と思いつつも徐々に落ちてきた瞼にこれ以上逆らうことはできそうにない。

「いつ会えるのかな・・・・・・」

ポツリと呟いてからそう長くせずして小さな寝息が聞こえてきた。












****




「お帰りなさいませ。今日も遅くまでお疲れ様でした」

深夜にもかかわらずタマは主の帰宅を深々と頭を下げて出迎える。

「あぁ。あいつは?」
「もう寝ましたよ。今日こそは坊ちゃんに会って挨拶がしたいって頑張って起きてたみたいですけどね」
「そうか」
「さすがに心配してましたよ。体を壊さないかって」
「今さらこれくらいのことでどうこうなるわけねーだろ。それよりもあいつこそ元気なのか?」
「元気も元気ですよ。松葉杖での生活にも随分慣れてきたみたいで。足のギプスが外れるのが待ち遠しくてしょうがないみたいですよ」
「・・・・ふっ、いかにもあいつらしいな」

深夜に帰宅して真っ先につくしの様子をタマから報告を受ける。
ここ数日司の日課となっていることだ。


そしてもう一つ。




音を立てないようにそっと扉を開けて中へと入っていく。
最初こそ慣れずに慎重を期していたが、今ではすっかり体が覚えていて進むべき方向へと導いてくれる。そうして辿り着いた場所でいつものようにゆっくりと手を伸ばした。

「ん・・・・・」

うっすらと見えるのは無邪気な顔で眠りに就くつくしの姿。
司はそんなつくしの頭にそっと触れるとその温もりを確かめていく。
たったそれだけのことで一日の疲れが信じられない程に癒されていく。

つくしがここに来て5日。
会えていないと思っているのはつくしだけで、まさかこうして毎日会いに来ているなんてこと夢にも思っていないだろう。そう考えると思わず口角が上がっていく。
離れていた時間を思えばこの忙しさなんて苦にもならない。手を伸ばせば触れられる距離にいる。
たとえつくしの記憶がないのだとしても、司の心に不思議と焦りはなかった。
必ず取り返せるという確固たる自信があるからこそなのか。




「おやすみ」



耳を澄ましてやっと聞こえる程の小さな声でそう囁くと、いつものように静かに部屋を後にした。














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プライスレス
2014 / 11 / 22 ( Sat )
「どこ見てやってんだ!ゼロからもう一度見直せっ!!!」
「は、はいぃっっ!!申し訳ありませんでしたっっっっ!!!」

遥か上空から地上まで届くほどの怒号が響き渡ると、まるで逃げるようにして一人の男が部屋の中から飛び出して行った。日常茶飯事とばかりに全く動じることなくその青い顔をした男と無言ですれ違うと、やがて辿り着いた扉をノックする男が一人。



「失礼します。随分と派手にやられたようで。相当下まで聞こえてたんじゃないですか」

一言声をかければ中にいた男の眼光が鋭く光る。

「誰がだよ。派手にやってくれたのはあいつだろうが。あんな初歩的なミスしやがって・・・。誰のせいで出勤する羽目になったと思ってる」
「まぁそこは否定いたしませんが」
「・・・・・ったく、いつぶりの休みだったと思ってんだ」

眉間に皺を寄せて苦々しく零すと、デスクに山積みになった書類を睨み付けながら手に取る。

「お昼はどうされますか?」
「あ?んなもんいらねーよ。そんな暇があんだったら一秒でも早く終わらせる」
「・・・承知致しました」

軽く一礼すると今来た道を戻っていく。

「西田」
「はい?」
「野口の野郎に言っておけ。あと2時間で片付けられないようならお前はうちにはいらねぇってな」
「・・・クビ宣告ですか?」
「あぁ?それくらいのことをあいつはやらかしてんだよ。今度こそ心を入れ替えられねぇようならどのみち先はねぇだろ。むしろこっちはチャンスをやってんだ。感謝されこそすれ文句言われる筋合いはねぇ」
「・・・・・・・」

黙ってじっと自分を見つめる西田を訝しげに睨む。

「なんだよ」
「・・・・いえ、副社長の仰るとおりです。彼にはそのように伝えておきます。では」

再びペコリと頭を下げると、西田は今度こそ部屋から出て行った。

「・・・・・なかなかですね」

廊下で立ち止まり誰に聞かせるでもなく独りごちた言葉の意味は一体何なのか。
西田はほんの少しだけ口角を上げると、すぐにいつもの顔に戻りエレベーターへと向かった。







大財閥のジュニアとして生まれてきて嬉しかったことなんて一度もない。
使っても使っても有り余る金ならある。
だが金で買えるものなんてたかが知れてる。
本当に欲しいものはどんなに金を積んだところで絶対に手に入れることなどできない。
そんなこと知りもしなかった。


会社の危機?役員としての立場?責任感?
んなこと知ったこっちゃねぇ。
誰が路頭に迷おうとそいつの人生。
自分には露ほどの関係もない。
泥船だろうと最後まで残れなかったそいつが弱いだけ。
いっそのこと全てが壊れてみるのも面白い。
どうせつまらねー人生なんだ。
自分の意思なんて関係ない、まるで機械仕掛けのような道を歩かされて生きる道しるべすらない。
そんな人生にどれだけの価値がある?

つまらねぇ。くだらねぇ。

死ぬまで、いや、死んでもこの空虚は満たされることはない。








「副社長、できましたので確認をよろしくお願い致します・・・・!」


あれから1時間半、再び副社長室に現れた野口は青白い顔をしながらも、どこかやりきった感が漲っている。きっと西田に厳しいながらも心に火がつくような発破をかけられたに違いない。死なない程度に手を加える。いかにもあの男のやりそうなことだ。

渡された書類を一枚、また一枚と確認していくその様を、男は直立不動で固唾を飲んで見守っている。指一本でも触れればパーンと弾けてしまうのではないかと思うほど、体はガチガチだ。
やがてカサッと音を立てて全ての書類がデスクの上に置かれると、男の喉がゴクリと大きな音を響かせた。紡がれるのは一体何か。死の宣告か?それとも・・・・・・・

「・・・・・・・・まぁまぁだな」
「・・・・・えっ?」
「良くはねぇが悪くもねぇ。できんだったら最初からやれって話なんだよ」
「は、はい。仰るとおりです・・・・」

どうやら明るい話ではなさそうだと察知すると、一気に男の背中が萎んでいく。

「・・・・・・無駄にすんなよ」
「え?」
「くだらねぇミスなんかでその能力を棒に振るなっつってんだよ。お前はそこさえ直せばいくらでも上を目指せる奴なんじゃねーのか。家族を路頭に迷わせてもいいのかよ」
「い、いえっ、そんなことは・・・・!」

己の予想とはかけ離れた言葉に野口も困惑気味に答えることしかできない。

「だったらもっと本気になれ。てめぇの力をもっと見せてみやがれってんだ」
「・・・・・・!」

自分を真っ直ぐ見据える男の目から視線が逸らせない。そこには揺るぎない自信が満ち溢れていて。今自分は叱咤激励の言葉をもらったのだとようやく理解すると、野口は足元から震え始めた。

「・・・・・・はいっ!ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!これから心を入れ替えて精進します!!」

震えそうな声を振り払うように大きな声で誓いを立てると勢いよく頭を下げる。目尻がほんのり赤く見えたのは気のせいだろうか。

「データの管理は厳重にやれ。それが終わったら帰っていい」
「は、はいっ。副社長、ありがとうございました!!」

嬉しそうに顔を上げたときには既に相手は窓からの景色を眺めていた。それでも、そこに確かな愛情を感じた。野口はもう一度頭を下げると軽快な足取りで部屋を出て行く。やって来たときとは正反対に、今にも小躍りしそうに去って行く男の後ろ姿を黙って見つめている男がまた一人。


「失礼します。無事に終わったようですね」
「あぁ。お前も相当手助けしたんだろ?」
「いえ、私は何も」
「クッ、どうだかな」
「今にも泣きそうな顔で出ていきましたよ」
「あ?」
「よっぽど嬉しかったようで」
「知らねーよ。俺は何も言ってねぇ」
「・・・・そうですか。後の処理は私がしておきますので副社長はこれでお帰りになってください。それから、明日は一日オフとなっております」

思いも寄らぬ西田の言葉に再び書類を手にしていた司の動きがピタリと止まる。

「・・・・・今なんつった?」
「今日出てきてもらった代わりに明日の分まで仕事をこなしてもらっていました。ですので明日はお休みになられて構いません」
「お前・・・・」

驚きに言葉を失う司を前にしても西田は表情一つ変えることはない。

「何か不都合でも?」
「・・・・・・いや。・・・・くくっ、さすがはアンドロイドだな」
「褒め言葉として有難く頂戴致します」
「・・・じゃあ後は頼んだぞ」
「はい。お疲れ様でした」

雑務を西田に託して部屋を後にしようとした司は、出ていく直前思い出した様に振り向いた。


「サンキュ」


ニッと不敵な笑みを浮かべながら一言だけ告げると、颯爽と部屋から出て行った。
完全に足音が聞こえなくなった頃に西田の口元がほんの少しだけ上がる。

「・・・・あなたの口からそんな言葉が出るなんてね。人生というのはなかなかに面白いものです」

しみじみと噛みしめるように呟いた言葉は誰の耳に届くこともなかった。








他人の人生なんてクソっ食らえ。俺には一切関係ない。
生きるか死ぬか、ただそれだけ。

そんな俺が誰かを激励する?
誰かに感謝される?
あり得なさすぎて笑いが止まらない。


それなのにどうしたというのか。
そんな今の自分が嫌いじゃない。
俺が変わる?それとも周りが変わった?
そんなこと知るか。どっちでもいい。
今、目の前にある現実が全て。








「お帰りなさいませ、司様」
「あぁ。あいつは?」
「若奥様ならさきほどまで・・・・・」

「あーーっ、お帰りっ!!」

エントランスで恭しく主を出迎える使用人の背後から、何とも軽快な声が響き渡る。
見る前に既に笑いそうになるのを堪えて視線を送ると、全ての疲れが吹っ飛んでしまうほどの笑顔を携えた愛する妻の姿を捉えた。行儀もへったくれもない、司の姿を確認するなりバタバタと走り寄ってくるその姿を。

「おかえりっ!思ったより早かったんだね?」
「あぁ。死ぬ気でやらせたからな」
「あははっ、あんたがそれ言うと全然シャレにならないから」
「・・・・なんかお前匂わねぇ?」

目の前までやって来たつくしから微かな匂いを感じる。つくしは自分の服をクンクン嗅ぎながら苦笑いする。

「あー、匂いついちゃってる?ごめんごめん」
「何か作ってたのか?」
「うん、まぁね。司はお昼食べたの?」

今現在午後3時。普通ならとっくに昼食を終えている時間だ。

「いや、何も。そんな暇があったら仕事やった方がましだからな」
「あ~、やっぱり。そうじゃないかと思ったから厨房を借りて軽めの食べ物作ってたんだ。もう少ししたら会社に持っていこうと思ってた」
「そうなのか?」
「うん。じゃあせっかくだから食べてよ。はい、来て来て!」

嬉しそうにそう言うと、つくしは極々自然に司の手を握って目的の場所へと導いていく。普段はこちらから積極的にスキンシップをとれば恥ずかしがってばかりのくせに、こんな時は自分の方から平然と触ってきているのを本人はどれだけわかっているのだろうか。
苦笑いしながら連れて行かれた場所は厨房。色々と試行錯誤したのであろうそこには様々な道具が残されたままだ。

「じゃーん!これ!」
「サンドイッチか?」
「そう。これなら手が汚れなくていいかな~と思って」

ニッコニコで差し出されたトレイには色とりどりの一口サイズのサンドイッチが所狭しと並べられている。卵やハムサンド、アボカドにチキン、ベーコントマト、他にも栄養バランスを考えられたものばかり。しかもどれも一口で簡単に食べられるようになっており、仕事をしながらでも食べやすいようにと考えて作ってくれたに違いない。
つくしがどんな思いでこれを作ってくれたのだろうかと思うだけで口元が緩んで仕方ない。

「サンキュ」
「うんうん。ねぇ、食べてみてよ!どれがいい?」

厨房に立ったままの状態にもかかわらず今ここで食べろと言う。食事のマナーもへったくれもあったもんじゃない。ますます笑いが止まらないが、不思議なことに少しも不愉快じゃない。

「お前のオススメは何なんだよ?」
「あたし?そうだな~、アボカドサンドかな。この前テレビで作ってるの見たらすっごくおいしそうでさ!メモしておいたレシピを参考に作ってみたんだ~」
「へぇ・・・・・じゃあ、ん。」
「・・・・へ?」

突然目の前で口を開けた男につくしは意味がわからなそうにきょとんとする。

「お前のオススメなんだからお前が食わせろ」
「へっ?へぇえええええ??!」

へっ?って・・・・もう少し色気のある言い方はできねーのかよ。
・・・・全く、こいつといると何から何まで飽きない。

「へぇー?じゃねぇよ。早く食わせろ」
「じ、自分で食べられるじゃん!一口でパクッといけるよ!」
「俺は仕事で疲れてもう指一本動かせねぇんだよ」
「そっ、そんなわけないでしょ!」
「あー、疲れた疲れた。こんなに頑張ったっつーのに何かご褒美くらいねぇのかよ」

首を動かしながら大袈裟に疲れたアピールをかます。
そんなの演技だとわかっていてもこいつが放っておけなくなるのは全て計算済み。

「う~・・・。わかった、わかったわよ!あげればいいんでしょ!」
「わかりゃーいい」
「うぬー、なんか腹が立つんだけど・・・・はい、口開けて。あーん」
「あー」

大きく開けた口にちょうどいいサイズのサンドイッチがパクリと呑み込まれる。

「ん・・・・・・美味い」
「ほんとっ?!良かった~!まだまだいっぱいあるから食べてねっ!」

さっきまでの不満顔など何処へやら。美味しいのその一言でぱぁっと笑顔の花が咲く。
きっとその威力がどれだけのものなのかなんて本人は露程も気付いていないのだろう。
自分がどれだけお金にはかえられないだけの価値をもった人間なのかということを。

「あぁ。いっぱい食わせろよ」
「うんうん、いっぱい食べ・・・・・・・え?食わせろ?」

にこにこ顔がピタリと止まったかと思えば眉間に一本の皺が。

「当然だろ?俺は疲れて動けねぇんだから。まぁとりあえず部屋に行ってから、な」

左手にトレイを、右手でつくしの肩をぐいっと引き寄せるとそのまま厨房を出て部屋へと向かう。つくしに抵抗する間を与えない一瞬技だ。

「ちょ、ちょっと!サンドイッチすら食べられないくらい疲れてる人がなんでこんなに力が出るのよ!おかしいでしょっ!」
「うるせーな。それとこれとは別問題なんだよ」
「全っ然意味がわかんないからっ!!」
「わかんなくていいから俺の疲れを癒せ、な?」
「な?じゃなーーーーい!!」

ずるずる、ずるずる、サンドイッチすら掴めないはずの片手がほぼ抱え上げてると言ってもいい状態でつくしを引き連れていく。実際、本当に疲れているはずの足取りはこの上なく軽い。

「メイン食った後はデザート食わせろよ」
「え?デザートなんて作ってないよ?」
「あるだろーが。目の前に」
「へ?」

またしても意味がわからずにアホ面になったところで部屋の扉がバタンと音を立てて閉まった。




「えぇ~~~~~~~~っ!!!!!」






今日もまたつくしの雄叫びが響き渡る。

それはこれまでの道明寺邸では聞くことのなかった音色で。
その音が邸中に明かりを灯していく。






死んでも満たされることはないと思っていた空虚が、小さなサンドイッチ一つでこれ以上ないほどに満たされていく。





手に入れた雑草の価値はプライスレス。









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あなたの欠片 16
2014 / 11 / 21 ( Fri )
コンコン

「・・・・はい」
「あ、あの、私です!ちょっと話があるんだけど・・・・いいかな・・・?」

自信なさげにそう告げるのとガチャッと扉が開くのはほぼ同時だった。

「・・・どうしたの。・・・ま、いいや。とりあえず中入んな」
「あ、うん・・・」

類に導かれるように車いすを押して室内に入ると、入って間もないところでつくしは立ち止まってしまった。類はそんなつくしを少し先で不思議そうに振り返る。

「何?」
「え?あ、あの・・・」

一体何と切り出せばいいのやら。
ここを出ていきます?
いやいやいや、そんな無節操なことは言えない。
道明寺さんのところに行きます?
いやいやいや、それもなんだかあまりにも露骨すぎて・・・・

とはいえどちらも紛れもない事実なのだ。
どう転んだところで伝えたいことは一つしかない。

「司に何か言われた?」
「はい・・・・・・って、えぇっ?!」

驚愕に満ちた顔を上げたつくしに類がプッと吹き出す。

「声」
「声・・・・・?はっ!!!まさか・・・・・?」
「そう。そのまさか。全部聞こえてたよ」
「・・・・・!!!!」

顎が外れそうな程に驚き固まるつくしに類はますます笑いが止まらない。

何ということだろうか。
散々悩んで悩んでぐるぐる考えていたことが全部ダダ漏れだったとは。
悩んだことが全くもって無意味ではないか。
つくしはガックリと項垂れる。

「ごめん、私ったら・・・・」
「別にいいよ。あんたの言う通りどういう言い方をしたところで結論は一つだろ?」

その言葉にハッとするが、類は変わらず笑っていた。

「あ、あの、花沢類・・・・」
「あんたが悩む必要なんてないんだよ。最初からこうなることはわかってたんだし。むしろ司にしては我慢した方なんじゃない?」
「え?」
「だから司があんたを邸に連れて行く事なんて簡単に予想がつくことだったんだよ。俺だけじゃない。他の奴らだってそうでしょ」
「そ、そうなの・・・・・?」
「うん」

な、なんだ・・・・そうだったのか。
類に会えるまでのこの数日間、悶々と悩んでいたのは一体何だったのか。
そう考えた途端つくしの体中からどっと力が抜けていく。

「司ほどの人間が牧野が俺の邸にいるのをいつまでも黙ってるわけがないからね。ギプスが外れる日を聞いて来た時点でこうなるのは想定内だよ」
「そうなんだ・・・・なんだ、私もの凄く考えちゃった」
「まぁあんたがそうなるのも想定済み」
「あはは、そうなのか・・・・なぁんだ・・・」

参ったなとでもいいたげにつくしは苦笑いする。

「迷いは消えた?」
「えっ?」
「司のことだから、前に会った時にも同じこと言ったんじゃないの?」
「えぇっ!」

な、なんでそんなことが・・・・この人は超能力者か何かなのか?

「言ったでしょ。付き合いが長いから大抵のことは予想がつくんだよ。それに、司ほどわかりやすい人間もいないからね。特に牧野、あんたに関することは」
「私?」
「そう」

・・・・・・?よく意味がわからない。
けれどズバリ言い当てるということは本当にそうなのだろう。

「司に押し切られたから行くってわけじゃないんでしょ?」
「う、うん・・・・・」

それは違う・・・・・・はず。
いや、確かに彼の方から言われなければ絶対にあり得ない展開ではあるけれど。
それでも最終的に頷いたのは自分の意思であることに違いない。

「ならいいよ。あんたの思うとおりにやってみなよ。俺はあんたが笑っていられればなんでもいいんだから」
「花沢類・・・・・」

つくしの目頭から鼻筋にかけてギュウッと熱くなる。みるみるうちに涙が溜まり、ひと突きすればボロボロと零れていきそうだ。

「泣くなよ。司に殺されるだろ」
「う、うん・・・・」
「ぷっ、何その顔。ブサイクすぎるでしょ」
「う゛、う゛るさいっ!・・・・・グスッ」

俯いて唇を噛みしめているつくしの頭に手を置くと、類はポンポンとリズムを刻んでいく。

「あんたとの生活、結構楽しかったよ。多分うちの人間も同じなんじゃないかな。もしあんたが来たいと思えばいつでも来ればいいし、戻りたいならそうすればいい」
「・・・・うん・・・」
「だからあんまり深く考えるのはやめて、決めたからには悩まずに行きな」
「・・・・・・うん。・・・・・ほんとに何から何までありがとう、花沢類」

グイッと涙を拭うと、つくしは心からの笑顔で類を見上げた。そんなつくしの顔を見て類もフッと顔を緩めると、ビー玉のような瞳がゆっくりと弧を描いていく。

「だからあんたのありがとうは聞き飽きた」
「・・・・・そうだったね」
「そう」

ふふっとつくしがはにかむ。
たとえ記憶はなくとも、類とはとても大切な絆で繋がっていたに違いない。司とはまた違う確かな何かを心の奥で感じていた。

「・・・・でも司に火をつけたのなら覚悟しておいた方がいいんじゃない?」
「え?」
「・・・いや、こっちの話」

覚悟って言った?
一体彼は何の話をしているのだろうか。
不思議そうに首を傾げるつくしを見てまた類は笑った。



まさかその意味がすぐにわかることになろうとは夢にも思っていなかったが。








****


「・・・・・あぁ、そうか。わかった」

ピッとボタンを押すとそのまま機体をデスクの上に放り投げる。そしてその勢いのまま大きな体をドサリと椅子の背もたれに預けた。

「ようやくか・・・」

フーッと息を吐き出しながら目を閉じて天を仰ぐ。


コンコン


「なんだ」
「失礼します。花沢様が副社長に会いに来られておりますが、お通ししますか?」

西田の口から出た意外な人物の名前に思わず体を起こす。

「類が?」
「はい。次の予定まで時間もあまりございませんし、無理なようでしたらお帰りいただきますが」
「・・・・・いや、いい。通せ」
「かしこまりました」
「・・・・・」


一礼して西田が出て行ってから5分も経たないうちに本人が姿を現した。

「やぁ」
「どうした?お前が会社にまで来るなんて」
「ちょっと近くまで来たからついでにね」

飄々とした様子でそう言うと、類は応接用のソファーに腰を下ろした。

「で?わざわざここまで来るなんて何があった?」

デスクに肘をつきながら本題に切り込んでくる司を見ながら類がクスッと笑う。

「そんなのは司が一番わかってるんじゃないの?」
「・・・・」
「さっき移動中の車で連絡受けたんだ。『牧野様にお迎えが来てそのまま出て行かれてしまいました~』ってね。随分急なんじゃない?使用人達は大騒ぎみたいだよ」
「あいつからちゃんと話は聞いてるだろ?」
「聞いたよ。でもそれは昨日の夜の話。牧野はまさか昨日の今日でこんなことになるなんて夢にも思ってないはずだよ。今頃パニック起こしてるんじゃない?」

驚き慌てふためくつくしを想像してククッと肩を揺らす。

「・・・・あいつに相談したところではっきりした答えなんて出るわけないからな。だったら来ると決断した時点で多少強引にでも連れてこねーと」
「だからってせめて一言伝えてやっといてもいいんじゃない?なんでも別れ際はうちの人間と泣きに泣いて大変だったらしいよ」
「・・・・・」

その様子が手に取るように想像できるだけに司は面白くない。
それだけ花沢家の人間とつくしの関係が深くなっているという何よりの証拠なのだから。道明寺の人間にもあれだけ受け入れられているつくしだ。それは花沢邸であっても同じであるに違いないわけで。類とは何もないとわかっていても、一つ屋根の下にいるという事実だけで、邸の人間との関係が深くなればなるほど、嫉妬の炎は燃え上がる。
だが今の自分にはそんなことを主張する資格などない。そんなことはよくわかっている。
それでも、どうしようとも押さえきれない感情が存在してしまう。

「牧野をどうするつもり?」

しばらく黙り込んでいた司の代わりに口を開いたのは類だった。見ればその顔からは笑顔は消えている。薄茶色の瞳が真っ直ぐに男を射貫く。

「どうって・・・・決まってんだろ。俺の求めるものは今も昔も変わらねぇ」
「・・・・ちゃんと待てよ」
「あ?」
「牧野は充分待ったんだ。・・・・司、今度はお前が待つ番だよ」
「・・・・・・」

「俺は牧野が自分の意思で決めたことならそうするのが一番いいと思ってる。ただし泣かせたり傷つけたりするなら話は別だよ。もしも牧野がお前の邸を出たいと言うようなことがあれば・・・・・」
「させるかよ」

それ以上は言わせないとばかりに今度は司が言葉を繋いだ。そして立ち上がるとすぐ後ろの窓際に立って外を見つめる。高層ビルから見える景色は果てしなく先まで続いて見える。NYにいたときにどれだけ同じように遥か先を眺めたことだろうか。その先にいるただ一人の人物を思い浮かべながら。
眼下に広がるビル群からゆっくり視線を後ろに向けると、先程と変わらず自分を見ている男と視線がぶつかる。

「今さら手放すわけねぇだろ」
「それが牧野を傷つけることになっても?」
「そんなことはしない。させねぇ」
「記憶が戻ったら?牧野はそんなこと望んでないかもしれない」
「そんなことはない。俺はあいつを信じてる」

「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

誰もが振り返るほどの美貌を持つ二人の男の視線が言葉もなく激しくぶつかり合う。
まるでそこには見えない火花が飛び散っているかのようにとてつもない緊張感が走る。
もしこの場に人がいたなら身動き一つ取れず、まともに呼吸さえできずに固まることしかできないだろう。


それは長い時間だったのか、一瞬だったのか、どちらとも思える沈黙が続く。


「・・・・・フッ」


先に視線を外したのは類だった。口元をクスリと緩めると、再び司を見やる。

「じゃあお手並み拝見とさせてもらうよ。・・・・牧野は手強いからね」
「・・・・上等じゃねーか」

司も負けじとニヤリと微笑を浮かべると、先程までのピリピリとした空気が嘘のように緩んでいく。

「じゃあ俺そろそろ行くよ」
「あぁ」

あっさりとそれだけ言うと類は扉へと歩いて行った。

「類」

ドアノブに手をかけたところでかけられた声に顔だけ振り返る。

「・・・・・お前には色々感謝してる」
「・・・・何のこと?」
「わからねぇならいい。ただ言っておきたかっただけだ」
「・・・なんか司が素直だと気持ち悪いね。悪いものでも食べた?」
「・・・・・てめぇ・・・」

「ククッ、じゃあね」

類は悪戯っ子のように肩を揺らすと、今度は止まることなく部屋を出て行った。



「・・・・・・サンキュ」

誰もいない扉に向かって呟いた言葉は静かに部屋に溶けていった。













カチャッ、カタン・・・・・



暗闇の中、月明かりだけを頼りに目的の場所を目指す。
長くせずして柔らかい感触にぶつかると、ゆっくりと視線を上にあげていく。やがて喉から手が出るほど欲して止まない女の姿がぼんやりと見えてきた。ベッドの中央に沈むようにしてスースーと柔らかい寝息を立てている。



「牧野・・・・」

ゆっくりと伸ばした手はほんの少し震えているのだろうか。
起こさないようにそっとその頬に触れるとその手に確かな温もりを感じる。
ずっと、ずっと。
夢にまで見ていたその温もりを。


「必ずお前を取り戻す」


そう呟いた言葉はつくしに対するものなのか、それとも自分へ言い聞かせたものなのか。
離した手のひらからぬくもりが逃げてしまわないようにギュッと固く握りしめると、音を立てないように静かに部屋を後にした。


そんな二人の姿をカーテンの隙間から差し込む月明かりだけが見ていた。










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