時を超えて 4 完 by みやとも
2015 / 01 / 31 ( Sat ) 「うわぁ、おいしそうっ! お腹空いたぁ~!」
目の前に並べられたご馳走の数々につくしが感嘆の声を上げる。 その目にはハートマークが浮かんでいる。 「たっぷり運動したから腹も減るよなぁ?」 「・・・っ、もう! やめてよね!」 ニヤニヤとからかう俺にぶうっと頬を膨らませて怒りを露わにする。 お前はガキかよ。 とてもじゃねぇけど来年40になる女だとは思えねぇな。 ・・・そう。 目の前にいる女は何も変わらない。 出会った頃と何一つ。 見た目も、中身も。 ・・・いや、やっぱり変わった。 俺に愛されて、家族に愛されて、磨けば光る原石は美しい宝石へと変貌した。 だがそれは見た目云々の話ではない。 つくし自身が放つオーラがそうさせている。 笑顔と、慈愛と、自信に満ち溢れたつくしの姿は、会う人会う人の心を瞬時に鷲づかみにしてしまう。俺がそのことでどれだけ気を揉んできたかなんてこと、この女は微塵も気付いてはいないのだろう。 だがそれでいい。 それでこそ俺の愛した女だ。 魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした世界で生きていかなければならない俺にとって、ずっと変わらずにいてくれる人間が傍にいることがどれだけ価値のあることなのか。 こいつに出会っていなければそれに気付くこともなかっただろう。 _____ 全てはつくしに出会えたから。 「ねぇ、食べないの? せっかくの料理が冷めちゃうよ?」 「あ? あぁ・・・食うよ」 「早く食べないとあたしがもらっちゃうからね」 「クッ・・・じゃあ食った分だけまた運動しねぇとなぁ?」 「なっ・・・もう! なんですぐにそっちの方に話を持っていくのよ!」 何を今さら真っ赤になってんだか。 ついさっきまであんなに乱れてたくせに。なんだかんだ言いながらお前も乗り気だったじゃねぇか。 ・・・って、いつまでたってもからかうことをやめられない俺も大概ガキだな。 「失礼致します。 お子様からお預かりしたものをお持ち致しました」 「えっ・・・?」 スーッと開いた襖から女将がお盆にケーキを乗せて入って来た。 「こちらはお子様達からのプレゼントです」 「わぁっ・・・! 凄いね、司!」 「あいつら・・・」 ホールケーキの上部には40thの文字と太いろうそくが4本。 そしてど真ん中に鎮座するのは誰が見ても俺とつくしだとわかる顔が2つ。 満面の笑みを浮かべるつくしに、特徴的な髪型で不敵な笑みを浮かべる俺。 ・・・あいつら、よく特徴を掴んでやがるじゃねぇか。 「本当に素敵なお子様達ですね。こちらのケーキともう一つ。実はカメラをお預かりしてるんです」 「カメラ・・・ですか?」 「はい。こちらです」 そう言うと女将は胸元に忍ばせていたデジタルカメラを取り出した。 あれは確か・・・いつかの誕生日に長男に買ってやったもののはずだ。 もっと新しいものが出ているからそっちに変えてやろうかと何度か言ったが、これがいいんだと言ってずっと大切に使い続けている。 「今日の良き日を記念に撮ってあげてくださいだそうです。残念ながら自分はその場にいられないから、こちらにお二人の姿を写真に収めて欲しいとのお願いがありました」 「そうだったんですか・・・」 感慨深そうに呟いたつくしの瞳は潤んでいた。 「では撮らせていただいてもよろしいですか?」 「もちろんです。司、撮ってもらおう?」 「・・・・・・あぁ」 2人でテーブルの中央に移動すると、全体が映るようにつくしがケーキを斜めに持ってニコッと笑った。そんなつくしを見ていたら自然と俺まで笑顔になる。 カシャッ そのほんの一瞬を女将は逃さなかった。 おそらく一番のシャッターチャンスだったに違いない。 「素敵なお写真が撮れましたよ。お子様もお喜びになると思います。ではケーキはどうなさいますか?今食べられますか?」 「あ・・・じゃあ主人のだけはほんの少しにしてもらっていいですか? 甘いものは苦手で」 「あら、そうなんですね。くすくす、でも少し食べられるんですね。優しいお父様で」 「だって。良かったね、司」 「うるせー」 苦虫を噛み潰したような俺を見てつくしと女将が顔を見合わせてくすくす肩を揺らす。 仕方ねぇだろうが。昔っから甘いもんは苦手なんだよ。 かと言って子どもの気持ちを踏みにじるほどの冷酷な人間ではとっくになくなっていた。 目の前に一口サイズにカットされたケーキが置かれる。 つくしの前のものは特大だ。 デカすぎだろ! まだそんなに食えんのかよ。 「それでは残りはケースに入れてお帰りの時にお渡し致しますね」 「ありがとうございます。そうしていただけると嬉しいです。帰ったら子ども達にも見せて一緒に食べたいと思います」 「かしこまりました。ではごゆっくりどうぞ」 つくしの言葉に嬉しそうに頷くと、女将は再びケーキを持って部屋を出て行った。 「おいしいね。 幸せだね」 目の前のケーキをパクパクと口にしながらつくしは涙を流している。 「・・・甘ぇ」 「とかなんとか言っちゃって。ほんとは嬉しいくせに」 一口口にして顔をしかめる俺につくしが泣き笑いする。 喜んでるのはお前の方だろが。 ・・・・・・なんて、俺もまんざらじゃない。 そんなことは口にしなくともこいつにはお見通しなんだろう。 愛する妻に愛する子ども達。 ・・・俺には一生無縁だと思っていた愛の形がここにある。 はっきりと言える。 俺は幸せ者だと。 *** 「あっという間に夜も終わっちゃうね」 食事も終わり、後は寝るだけの状態で2人窓際の椅子に腰掛けながら外の景色を眺める。 「俺たちの夜はまだまだこれからが本番だけどな」 「もうっ! またそういうことばっかり・・・」 「お前だって期待してるくせに。40代になろうと俺は現役バリバリだから心配すんな」 「心配なんかしてませんっ! むしろ少し衰えたって構わないから!」 「ははっ」 「・・・司、これ」 「ん? ・・・なんだよ?」 差し出されたのはアルバムのような冊子。 ・・・というかアルバムだ。 「あたしからの誕生日プレゼント。40歳っていう節目の誕生日だし、何にしようかずーーーっと考えてた。 考えて、考えて、考えて・・・結局これになっちゃった」 「なんでアルバムなんだ?」 パラパラと捲っていくと中は空っぽだ。 「これまで色んなプレゼントあげてきたでしょう? それに、司って意外と物欲ないから。だから何をあげたらいいんだろうってずっと前から考えてたんだ」 「・・・で?」 「それで、これからの未来を贈りたいなって思って」 「未来?」 「そう」 首を傾げる俺につくしは笑って頷く。 「今そこにはまだ何も入ってないでしょう? そこにあたしたちの未来を一つずつ入れていくの。最初の一枚はもう決まりね。さっき撮ってもらったから。そうして節目節目にあたしたちの家族像をそこに綴っていって、シワシワのお爺ちゃんお婆ちゃんになった時に一緒にみようよ」 「・・・・・・」 「これまで撮ってきた思い出ももちろん同じだよ? あたしからのプレゼントは、ずーーっと変わらない司との未来」 「つくし・・・」 「って、へへ、なんかあらためて言うと恥ずかしいね?」 ポリポリと赤くなった頬を掻きながらつくしが照れ笑いを浮かべる。 そんなつくしの腕を引いて自分の中に閉じ込めると、驚いたつくしの顎を引いて上を向かせた。 「お前はいつまでたってもすげぇ女だな」 「え・・・? 何が・・・?」 「わからねぇならいい。俺だけがわかってりゃいいんだから」 「? ? ? 」 顔中に?マークを貼り付けた顔に笑うと、尚も不思議そうにしているつくしの唇を塞いだ。 何の抵抗もなくすぐに自分の首に回された細い手に俺たちのこれまでの歴史を感じる。 恥ずかしがり屋のこいつがこうやって素直な自分を見せるようになって、 写真が大嫌いだった俺が素直に撮られることを許すようになって、 ・・・そうして、今この瞬間も新たな思い出が作られているのだろう。 それはこれからも変わることなく、永遠に_______ 旅を終えた俺たちを邸では子ども達が首を長くして待っていた。 つくしが持ち帰ったケーキをおいしいおいしいと、口の周りに大量のクリームをつけて食べながらあいつらは嬉しそうに笑っていた。 カメラが返ってきた長男は、中に収められた写真を見て幸せそうに微笑んでいた。 現像された写真をつくしの宣言通りあのアルバムの最初のページに飾った。 ・・・・・・・・・・そして。 そこから少し進んだページに、新たな小さな家族と共に写された思い出が刻まれるのは・・・ もう少しだけ未来の話だ。
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時を超えて 3 by うさぎ
2015 / 01 / 31 ( Sat ) 「露天風呂入ろうぜ。」
「いいねぇ。景色も一望できる部屋だし、夕食前に入りたいかも~♡」 部屋から外の露天風呂を見渡すつくし。 ウキウキ気分のつくしに俺まで嬉しくなる。 部屋に温泉付きってプランを選んだ子供たちを褒めてやりたい。 俺の事わかってんじゃねぇか。 帰ったら、お礼にアイツらのお願いなんでも聞いてやるか。 思わず口角が上がっちまう。 「わぁ~ご飯はこの景色見て食べれるんだね。」 部屋とは別に食事処の座敷が準備されていた。 座りながらでも一望できる、熱海の景気。 グレードアップしなくても十分楽しめる。 「その前に、温泉って言ったら卓球でしょ?」 イキイキとした表情で振り向き俺を見る。 「夕飯前に体動かしてお腹空かせないと。」 にっこり笑うつくしの眩しい笑顔。 出たっ。 俺の高ぶる気持ちを一瞬で脱力に変える技。 自分で聞いたくせに、つくしの中では決定事項。 すげぇー嬉しそうな顔に俺もダメだとは言えなくなるこの笑顔。 この顔の魔力はすげぇ厄介。 「決まりっ勝負ねっ。行こうっ。居ない間に布団も引いてもらおうかな?」 返事もしてねぇのに靴を履きはじめる。 後ろ姿で浮かれているのが分かっちまう。 何歳になっても変わらないつくしの魅力の一つ。 もう39歳だっつーのに、家族旅行は子供たちよりはしゃぐ。 ふつうは親をウザがる年頃の高校生になった息子たちもつくしの姿に、自然と笑い旅行を楽しむ。 いつだって家族の中心はつくし。 「記念記念」と言い、自らカメラをもち写真を撮る。 変な銅像の前で何枚も撮る姿。 嬉しそうな顔を見るたび、またどこかに家族で旅行に行きたいと俺に思わせてくれる。 「・・・・わかったよ。負けた奴は旅行中、絶対服従な。」 ニヤリと笑う俺。 「なっなんでそうなるのよ。もうっ。じゃあ、あんたはスリッパで戦ってよ。まともにやったらあたしが負けるんだからっ」 急に焦り始める。 「はいはい、ハンデならいくらでも。なんなら、5対0からスタートすっか?」 「もうっバカにしてっ」 口をとがらせて怒るつくしに笑う俺。 頬を膨らませてそっぽ向くつくしに何歳だよっ。と突っ込みたくなる俺。 ホント見てて飽きないコイツの表情。 こいつと出会って満たされた感情の一つ一つが俺の人生を色鮮やかな物へと変え、幸せだと感じさせる。 「行くぞっ」 手を繋ぎ、卓球台に向かう俺たち。 「スリッパなら、回転はかけられないわよね。うん。勝てる勝てる。」 独り言を言うつくし、その自信はどこから来るのか。 簡単に俺から勝てるわけねぇだろ。 俺たちが熱海に来るのはこれで3回目。 1回目は、高校生の時。 2回目は、新婚旅行。 本当はつくしが行きたかったハワイの予定だったけど、俺たちは籍だけ先に入れた。 結婚式は6月のジューンブライド。 入籍と式の数か月の間に、長男を妊娠したつくし。 大事をとってハワイ旅行は出産して落ち着いてからってことで延期した。 つわりは軽い方だった。 温泉の独特の匂いを気にはしていたが折角の休みだからと言って熱海に旅行に来た俺たち。 ハネムーンって雰囲気でもなかったが、つくしとゆっくりと過ごすが出来た数日間。 ここなんかとは比べ物にならないくらいの高級旅館。 最上級のおもてなしだった。 つくしの頭には温泉=卓球 高級旅館にもなぜか卓球台はあった。 妊婦のくせに卓球をやりたいと言ったつくし。 気が気じゃない俺。 あの時はジャンケンでサーブ権が俺からだった。 だから回転のかかったサーブでつくしには1点も取らせず勝敗を決めた。 それ以来、卓球はやらなかったが、子供たちが大きくなり邸に卓球台を置いた。 子供たちと特訓するつくし。つくしが子供たちに勝つのは2割くらい。 そして俺たちが戦うのは久しぶり。 「司はスリッパね。」 この宿にもある卓球専用のスリッパ。 これを考えた奴はつくしみたいに貧乏だったのだろうか。 そんなことを考えながらスリッパを握る。 俺にこんな事をさせる奴は世界でたった一人。 それが心地いいと思う俺。 サーブ権は今回も俺から。 ジャンケンが弱いつくし。 だけど真剣な表情でいつも挑んでくる。 すげぇ負けず嫌いはあの時から変わらない。 回転が出来ない代わりに、高いバウンドでサーブする。 意地悪、卑怯者そんな言葉は聞こえない。 ハンデは宣言通り5対0でスタート。 もちろんつくしが5。 サーブ権が俺のまま、結局俺が勝っちまう。 ニヤつく俺と怒ってるつくし。 ったく、相変わらず勝気な奴。 何度勝負しても俺の勝ち。 「絶対服従だよな?」 呼吸を整えるつくしの手を握りニヤリと笑い、文句を言いそうな口を塞ぎ抱きかかえ部屋を目指す。 部屋に戻る最中、他の客とすれ違う。 恥ずかしそうに俺の腕の中にいるつくし。 「一緒に部屋の露天風呂入ろうぜ、奥さん。」 耳元でわざと唇が触れるか触れないかの距離で囁く。 観念したつくしは俺にしがみつき真っ赤な顔を隠していた。 *** 露天風呂にゆっくりとつかる。 包み込むように後ろから抱き、俺の腕の中にすっぽり納まるつくし。 幸せな時間が流れる。 子供たちから貰った最高のプレゼント。 「動いたら、お腹空いたね。」 「俺は全然動いてねぇ。」 「それはあんたが卑怯だから。」 「卑怯は人聞き悪いぜ。作戦勝ちだ。」 「毎回余裕なのがムカつく。」 「俺に勝とうなんて100万年早いぜ。」 「いつか、勝ってやるんだから。」 色気もない他愛もない会話が心地いい。 景色が一望できる露天風呂。 海に沈む夕日が見える。 「綺麗な夕焼けだね。」 夕日に染まるつくしの顔が何だか妙に色っぽい。 「一緒に夕日を見るのは久しぶりだな。」 「そうだね。考えてみたら司と日の出見たことはないかも。」 「毎年、初日の出見ようって言っていつまでもグーグー寝てんのお前だろっ」 「なっそれは毎年あんたが遅くまで寝かせてくれないからでしょっ」 振り向いて真っ赤になって文句を言うつくし。 のぼせてんじゃなくて、思いだして真っ赤な顔をしている。 何回俺たちは抱き合ってんだよ。 子供も4人も居るつーの。 「今日も寝かせるつもりねぇけど。」 耳元で囁けばもっと真っ赤になる。 「もうっじゃあ、プレゼントあげないんだからねっ」 「お前とこうやって二人っきりで過ごせた時点でプレゼントはもうもらってんだよ。 それに絶対服従だろ?何にすっかなぁ。」 「何にって変な事じゃないでしょうね?」 ニヤリと笑い 「ナニはナニだろ?夫婦なんだから変じゃねぇし。」 「なっ」 文句を言う口を塞ぐ。 唇を離すと潤んだ瞳で見上げるつくしの顔。 風呂で赤くなっただけじゃねぇよな。 「夕飯前に体動かしてお腹空かせないと。だろ?」 夕日が完全に沈むころ、俺たちは既に準備された布団に温泉より熱いキスを繰り返して沈む。 もちろん、つくしが楽しみにしていた夕食は1時間遅れさせた。 うさぎ様の応援は下記をクリックしてくださいませ^^ ![]() ![]() にほんブログ村
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時を超えて 2 by みやとも
2015 / 01 / 31 ( Sat ) 「熱海かぁ・・・懐かしいなぁ」
車窓から流れる景色を眺めながら、つくしが感慨深そうに呟いた。 「あいつらもなかなか渋いところを選択してきたな」 「あはは、確かにね。・・・でも、我が子ながらいい子に育ったよねぇ・・・」 「・・・そうだな」 俺の帰国から2年後、あのプロポーズから間もなく結婚した俺たちは4人の子宝に恵まれた。 3男1女、上は高校生から下は小学生まで。 つくしの言う通り、我が子ながら真っ直ぐに子どもらしく育っている。 でもそれは間違いなくつくしの影響が大きいわけで。 この女はそんなことには相変わらずちっとも自覚がありゃしねーが、負けず嫌いながらも人思いの素直な性格に育ってくれていて、おそらく世間から見れば理想の家族像なんじゃないかと思う。 「家族像か・・・」 「え? 何? 何か言った?」 「・・・いや、何でもない」 クッと喉を鳴らした俺につくしが不思議そうに視線を送る。 家族・・・ 俺の人生において最もかけ離れた言葉。 女と付き合うことすら反吐が出そうなほどだった俺にとって、結婚はおろか、子どもができるなんて地球がひっくり返っても考えられないことだった。 俺のような無意味なジュニアはこの世に必要ない。 ただ道具としてしか生きる価値のない子どもに何の意味がある。 ずっとそう思って生きてきた。 _______ つくしに出会うまでは。 何をやっても満たされない俺に、 人としての感情、愛情、・・・そして家族を、 全てを与えてくれたのがつくしだ。 親に愛されなかった人間が親になったらどうなるんだなんて不安は、こいつが全て吹っ飛ばしてくれた。 「・・・あ。着いたみたいだよ」 「あぁ」 リムジンが辿り着いた先は決して高級旅館ではない。 一般的な和風旅館に横付けされたリムジンは明らかに異色を放っていることだろう。 案の定、リムジンを降りた途端、旅館の支配人が大慌てで飛び出してきた。 「ようこそおいでくださいました! まさかあの道明寺様だとは夢にも思わず・・・! あの、よろしければ当旅館で一番いいお部屋へと変更させていただきたいのですが・・・?」 世界に名だたる道明寺財閥の社長ともあろう男が、まさか自分の旅館に、しかも普通の部屋に泊まりに来るなどゆめゆめ思わなかったのだろう。 それもそのはず、俺だって思いもしてなかったのだから。 「・・・・・・いや、結構だ」 「え、ですが・・・」 断られた支配人が困惑気味に俺たちの顔色を伺っている。 「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です。実は今日は主人の誕生日なんです。そのために子ども達がお金を貯めてプレゼントしてくれたのがこちらなんですよ。ですからそのままで充分なんです。 いえ、そのままがいいんです」 「まぁ・・・! なんて素敵なお子さんなんでしょう・・・」 つくしの言葉に支配人は感動のあまり口に手をあてて言葉に詰まる。 「はい。自分で言うのもなんですが、とってもいい子達に育ってくれてるんです」 「えぇえぇ、本当にその通りですね。そんな素敵な話があるとは知らずに大変失礼なことを申し上げてしまいました」 「あぁっ! 頭を上げてください! 謝る必要なんてないんですよ。そちらのお気遣いもとても嬉しかったですから。一番いいお部屋にはまた今度、家族全員で遊びに来させてくださいね」 「は・・・はいっ、是非っ!!」 頭を下げていた支配人の顔が上がったかと思うと、みるみる幸せそうな笑顔に変わっていく。 そんな支配人に、つくしも嬉しそうに頷く。 何年経ってもこの女はすげーと思う。 本人にそんなつもりはなくても、気付かないうちに色んな人間を虜にしていく。 そんな不思議な魅力を持つのがつくしだ。 この支配人だって、たった数分で心の全てをつくしに持って行かれてしまった。 普通に考えれば、大金持ちの嫁なんて傲慢でケバくてろくでもない連中が多いと思うのが世間の目ってもんだろう。 それなのにこいつときたらどうだ。 結婚して15年以上が経つというのに、昔と何一つ変わらない。 いつでもおごらず、謙虚に、でもいざというときはその芯をしっかりと見せつける。 そうやってこの俺を、道明寺財閥を、そして家族を守り続けている。 そんなこいつを見せつけられる度に俺はこいつに惚れ直すのだ。 「ではお部屋へご案内しますからこちらへどうぞ」 「あ、はい。ありがとうございます。じゃあ司、行こう」 「あぁ」 そう言ってつくしの手を握って歩き始めると、支配人が微笑ましそうに目を細めた。 「仲がよろしいのですね。お子さんが素敵に育つのもよくわかります」 「あはは、ありがとうございます。私は恥ずかしいんですけどね・・・」 「いいえ、素敵ですよ」 いい歳して恥ずかしいなんてつくしは言うが、そんなことは知ったこっちゃない。 世間の目なんて関係ない。 これが俺たちなのだから。 *** 「ではご夕食はこちらのお部屋になりますので。それまでごゆっくりお過ごしくださいませ」 「はい。ありがとうございます」 いつの間にやら増えていた女将と共に頭を下げると、支配人共々部屋から出て行った。 2人きりになった部屋をあらためて見渡す。 とは言っても見渡すほどもない小さな部屋だ。せいぜいあっても12畳ほどだろうか。 つくしは嬉しそうに窓からの景色を夢中で見ている。 「狭ぇな」 そう口にした俺に呆れたような顔でつくしが振り返った。 「まーたそんなこと言って。2人で泊まるのにこれだけの広さがあるなんて贅沢なんだよ? それにほら! この部屋には露天風呂までついてるじゃん! 普通の部屋よりだいぶ高いんだから」 「そんなもんなのか?」 「そうなの! あの子達、一生懸命お金貯めたんだと思うよ?」 まぁ俺にはよくわかんねーけど。 でもまぁあいつらがこつこつ金を貯めたってのはそうなんだろう。 金に関してはかなりシビアなのがつくしだ。 贅沢をさせるところとそうじゃないところの線引きがはっきりしている。 放っておけば何でも買い与えてしまう俺を抑制するように、毎月の小遣いだけは一般人と変わらないレベルに合わせて徹底しているのだ。 おそらく長男ですらせいぜい1万がいいところじゃないだろうか。 大財閥の子どもの小遣いが月1万? あり得ねぇ。 それでも、子ども達はグレることもなく真っ直ぐに育っている。 それはすなわちつくしの子育ては間違っていないという何よりの証拠で。 人の心が育つのは、人が幸せを実感するのは金の力じゃないということ。 それを子ども達が俺に教えてくれている。 「ねぇ、夕食までもう少し時間があるでしょ? この後どうする?」
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時を超えて 1 by うさぎ
2015 / 01 / 31 ( Sat ) ![]() こちらは前回のコラボ作品 <星降る夜に奇跡をひとつ> のその後のお話になります。 単体でも問題ありませんが、未読の方はそちらも是非ご覧くださいませ。 0時を過ぎ、自室で仕事をしているとノックの音が聞こえる。 「入れ。」 静かに開く扉。 コーヒーを片手に持った長男の姿がそこにはあった。 「父さん、今大丈夫?」 パソコンを閉じて部屋に入って来る息子に顔を向ける。 「あぁ、なんか話でもあんのか?」 「うん。ちょっとね。コーヒーここに置くね。」 「サンキュ」 立ち上がり、ソファに座る息子と向き合って座る。 もうコーヒーをブラックで飲めるようになった息子は高校生。 俺より10センチ低い身長は、まだまだ伸びる時期。 いつか追い越される日が来るのかもしれない。 「来週の父さんの誕生日は休み?」 パパからお父さんに呼び名が変わり、今では父さん。 そろそろ親父って呼ばれるのだろうか。 顔は高校時代の俺瓜二つだが、荒れ狂った俺の高校時代とは正反対の息子。 それもつくしのお蔭だろう。 真っ直ぐに育ってくれている。 そして、中学の時から経済学の勉強もしている。 誰が言ったわけでもない。 自分で学びたいと言い出し、学校が休みの日に一緒に会社に行くこともあった。 夏休みにはNYに行き、親父とお袋に同行して世界を飛び回った。 生き急ぐことはないのに、自分の宿命を受け入れ背伸びせずに、素直に吸収している。 俺もこんな風に成長していたら、もっと違った人生だったのだろうか? いや、だとしたらつくしとは巡り合えていないだろう。 来週で40歳になる俺。 ビジネスの道具でしかなかった誕生日。 つくしと出会って誕生日が来るのが嬉しくてしかたねぇ。 「あぁ、翌日にパーティーの予定だ。」 「じゃあさ、これ俺たちからの父さんへの誕生日プレゼント。」 差し出されたのは旅館のパンフレット。 熱海温泉の文字 「お前たちから?」 「そうだよ。俺たちのお小遣い、それと使用人と執事の人のカンパもちょっとある。」 「・・・そうか。」 「来月末にはNYでしょ?俺たちは行かないから二人だけで行ってきて。」 来月に家族で渡米することが決まった。 日本で迎える誕生日はしばらくないだろう。 「なんで熱海なんだ?」 「総二郎さんとかに父さんと母さんの日本での思い出の場所聞いたら「熱海じゃねぇか?」って言ってたから。」 「・・・そうか。」 あいつら他に余計な事言ってねぇだろうな。 「駄目だった?」 俺が不機嫌な顔に見えたのだろう。 覗き込むように俺を見る。 俺と瓜二つなのに、こんな時はつくしのように感じる。 「いや、サンキュ。つくしに聞いてみる。」 「母さんは喜ぶと思うよ。」 笑う息子。 「だろうな。」 俺まで笑った。 親孝行の息子。 親思いなのはつくし譲りだろう。 熱海か・・・ 高校三年の夏を思いだす。 あれから22年か。 俺の人生の半分以上、つくしが俺の中に存在する。 俺の人生を変えてくれた大事な女。 二人っきりの旅行なんて何年振りだろう。 うさぎ様の応援は下記をクリックしてくださいませ^^ ![]() ![]() にほんブログ村
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明日への一歩 22
2015 / 01 / 30 ( Fri ) 「失礼します」
窓の外はすっかり黒の世界へと様変わりしているが、眼下に広がる世界は宝石をちりばめたように無数の光の海が広がっている。 突然の来訪者に手元に落としていた視線を少し上げる。 「何かありましたか」 「いえ。先程のお話の続きをと思いまして」 「続き?」 「はい。私自身の処分をお願いしたいと思います」 「・・・それはどういう意味ですか?」 会話をしながらもなお動き続けていた手がピタリと止まる。 「部下の不手際は上司である私自身の不手際です。部下だけに責任を負わせるわけにはいきません。私にもそれ相応の処分をお願いします」 「・・・・・・」 固い決意を伴ったその言葉にかけていた眼鏡を外してデスクに置くと、今度は完全に顔を上げて正面に立つ男の顔を見据えた。 そこには長年腹心としてこの会社を支えて来た男、西田がいる。 「・・・・・・司が次の創立記念パーティで婚約を発表するつもりだとか」 「・・・そうですか。それはおめでたいですね」 それは西田の本音だった。 その昔、司とつくしの前に立ちはだかった最大の壁の一つが自分でもあったが、それはあくまでも上司への忠義によるものに他ならない。 社長である楓の秘書をしていた西田にとって、行動の理由は全て彼女だった。 確かに冷酷非道な一面を持ち合わせている女だが、それは全て会社のためには必要なこと。 いくら鉄の女、極悪非道と言われようとも、楓には揺るぎない一本の信念があった。 西田はそれをわかっているからこそ、常に彼女の部下として忠誠を誓ってきたのだ。 西田自身、決して司に対する個人的感情があったわけでもない。 手がつけられない横柄な育ち方をしたことによる将来の道明寺財閥への憂いはあれど、司を忌み嫌うようなことも一切なかった。 当時の司からすれば自分は完全に恨むべき悪役に違いなかっただろうが、西田にとってそんなことはどうでも良かった。 大切なことは己の与えられた役割を全うすることだけ。 だがやがて忠誠を誓う相手が変わる。 それは自らが幾度となく自由意思を封じ込めてきた男だった。 傍若無人な男の下に就くことに一抹の不安がなかったといえば嘘になる。 しかし男はいつの間にか変わっていた。 短期間で人はこんなにも変われるのだろうかというほどに。 誰も手などつけられないはずの男が、まるで別人になっていた。 感情の起伏がほとんどない西田にとっても、それは想像以上の驚きであった。 あの司を変えてしまったもの、それは一つしかない。 そしてあの男を変えるだけの力を持つのならば、己を、引いては楓をも変えてしまうかもしれない可能性など想像するに難くなかった。 ___ たった一人の少女が全てを変えたのだ。 それは、過去に類を見ないほど窮地に立たされた会社を立ち直らせてしまうほどに。 もはや身分の違い故などと、それらしい大義名分でその絆を断つことは何の意味もなくなってしまっていることは明白だった。 いや、むしろそうすることこそ愚かだと言えた。 司の安定は財閥の安定をもたらす。 そしてそれを支えているのは牧野つくしの存在だということは疑いようがない。 立場故に何のトラブルもなく全てが順風満帆ということは難しいだろう。 だが、彼らならもう大丈夫だという確信が持てた。 ____ たとえ自分がいなくとも。 「今の副社長なら何も心配はいらないと思います。ですから私にも厳正なる処分をお願いします」 怯むことなく真っ直ぐに楓を射貫くその瞳は至極真剣だ。 彼の中ではもうどんな処分を受けるのか覚悟ができているかのように。 「・・・・・・」 楓は無言で立ち上がると、背後にある一面ガラス張りの窓から眼下に広がる景色に視線を移した。どこか自分が別世界にいるような錯覚を覚えてしまうほど、下界はキラキラと輝いている。 「あの子達は未熟です」 「・・・は」 視線を外に向けたまま楓は言葉を続けていく。 「心配ない? そんなことなど誰にもわかりません。いつどこでどんな落とし穴が待っているかなど誰にもわからない。常に一寸先は闇。それほど甘い世界ではない」 「・・・・・・」 「あの子達は未熟です。だからこそそれをしっかり支えられるだけの存在が必要なのです」 ゆっくりと振り向くと、発する言葉に迷いがあるような西田を真っ直ぐに見据えた。 「あなたが支えなさい」 思わぬ言葉にさすがの西田も多少の動揺を見せる。 「ですが私は・・・」 「責任を取るというのならば、最後まであなたがこの道明寺財閥の片腕として働きなさい。責任の取り方は一つではありません」 「しかし・・・」 「これは社長命令です」 ピシャリと。 西田の反論をそのたった一言でシャットアウトした。 これ以上の議論は許さないと言わんばかりに。 西田はしばらく黙り込むと、やがて何かを決意したようにグッとその手に力を込めた。 「・・・かしこまりました。この身が滅びるまで、粉骨砕身、この道明寺財閥にお仕えさせていただきます」 「滅びてもらっては困ります」 表情を変えずにそう言うと、楓は再びデスクに戻り先程までやっていた仕事に取りかかる。 「・・・はい。かしこまりました」 「話はそれだけですか?」 「はい」 「では今日はもう結構です。私はもう少しだけ残りますから。あなたは先にお帰りなさい」 「・・・はい。ではお先に失礼致します」 既にこちらを見てなどいない楓に一礼すると、西田は踵を返してドアの方へと歩いて行く。 やがてドアノブに手を触れようとしたところでもう一度振り返った。 そこには手元の資料を真剣に見つめているこの会社のトップの姿がある。 西田は体の向きを変えて姿勢を正すと、もう一度深々と楓に向かって頭を下げた。 彼女が顔をあげることはなかったが、きっと気付いているに違いない。 長いお辞儀を終えて顔を上げた西田からは一切の迷いは消えていた。 部屋を出てカツカツと響く足音は、まるで未来へと真っ直ぐに伸びているようだった。 *** ガタンッ、バタバタバタバタ・・・・! 「タマ様! タマ様っ!!」 だだっ広い廊下を忙しなく走り回る音が響き渡る。 早く、早くと急く心を止めることなどできやしない。 たとえこの先 _____ 「コラッ!! 使用人たる者が廊下を走るとは何事だいっ!!」 雷が落ちることがわかっていようとも。 「はぁはぁはぁ、申し訳ありません。ですが一秒でも早くタマ様にご報告したくて・・・!」 「報告?」 「はい。さきほどお手紙が届いたんです」 「手紙? ・・・まさか」 ぜぇはぁとみっともない姿で肩を揺らしながらも、使用人の顔は心の底から嬉しそうだ。 満面の笑みで頷くと、エプロンのポケットから一通の封筒を差し出した。 「そうです。アメリカの牧野様からお手紙が届いておりました」 「つくしが・・・そうかい。どれ、見せてごらん」 タマは出された手紙を受け取ると、ガサガサと中を開いて手紙を取り出していく。 目の前の使用人はそこを離れようとしない。 それどころか今か今かとタマの口から出される言葉を待ち構えている。 「えーと、なになに・・・」 『 タマ先輩、お邸の皆さん、お元気ですか? 早いもので私がこちらにきて4ヶ月以上が経ちました。自分でもびっくりです。 慣れないことばかりなのは相変わらずですが、そこは雑草らしく逞しく過ごしています。 前の手紙でも書きましたが、こちらのお邸の皆さんも本当によくしてくださり、 自分は本当に幸せ者だなぁと実感する毎日です。 司の秘書としての生活もそれなりに色々とありましたが、ダメなりに精一杯頑張っています。 毎日が勉強勉強で、大変ながらも充実して楽しくて仕方がありません。 やっぱり私はじっとしていられない性分なんだなと思い知りました(笑) ふとしたときにいつも皆さんのことを思い出します。 どうしているかな、元気かな、 私たちがいないからきっと驚くくらい邸の中が静かなんだろうな、なんて思ったり。』 「ふふ、牧野さまったら」 使用人が思わずクスッと笑う。 「実はご報告があります。・・・・・・」 「・・・・・・タマ様?」 そこまで読んで言葉の止まったタマに使用人が首を傾げる。 「『・・・実は、この度正式に婚約を発表することが決まりました。月末の創立記念パーティでお披露目をするそうです』」 「まぁっ! 遂に・・・!」 「『今でも信じられないし、実はその場でドッキリでしたなんて大どんでん返しがあるんじゃないかと未だに心配ではありますが、決まったからには腹を括って挑みたいと思います』 ・・・って、フッ、戦じゃないんだから。全くこの子は相変わらずだねぇ」 「ふふふ、そうですね」 「『緊張もするし怖くもありますが、雑草っ子世に憚る! と言われるくらいに自分らしくいられたらと思っています。そしてそれが終われば長くせずして帰国となります。皆さんに会える日を楽しみに、こちらでの残された時間を大切に過ごしたいと思います。どうぞお体御自愛ください。それではまた。 つくし』」 最後まで読み上げると、タマがふぅ~と一息ついた。 その時。 「タマ様っ!! ついに、ついになんですねっ!!」 「あぁっ、嬉しくてどうにかなってしまいそうです!」 「正式に発表されるということは奥様にも正式に認めていただいたということですよね? あぁ、さすがは牧野様! 私もう感動して涙が・・・」 「あらいやだ、泣くのはまだ早いわよ!」 「ちょっと、そういうあなただって泣いてるじゃない!」 「あ、あら? おかしいわね・・・グズッ・・」 ガタガタガタッ! と音がしたかと思えば柱の陰から使用人の山が飛び出してきたではないか。 そして間髪入れずに各々の思いの丈をこれでもかと語っていく。 「牧野様、どんなドレスをお召しになるのかしら」 「そうねぇ、司様のことだから盛大にされそうよね」 「でも牧野様は素材がいいから実はそんなに派手にしなくても充分素敵な方なのよね」 「そうそう。肌が白くていらっしゃるからどんな色でもお似合いなのよねぇ」 「司様が誇らしげに鼻を伸ばしている姿が想像できるわね」 「でもそれと同時に他の男性の視線にヤキモキされそう」 「あぁ、それは言えてるわ! もう牧野様にゾッコンだものね~」 「うふふ・・・!」 「あはは・・・!」 カツン・・・ 廊下に響いた乾いた音に井戸端会議に花を咲かせていた使用人達がハッと我に返る。 現実に引き戻されたように一気に冷静になっていくと、恐る恐るその音の主を辿った。 「あんたたち・・・・・・」 「・・・ひっ! た、タマ様・・・、あの、これはですね・・・!」 「喋ってる暇があるならさっさと仕事せんかいっ!!!!」 「はっ、はいぃいいいぃいいぃ~! 申し訳ありませんでしたぁ~~~~っ!!!!!」 邸中に轟いた雷に使用人達が蜘蛛の子を散らしたように去って行く。 最初に手紙を持ってきた者も含めて、あっという間にその場にはタマだけになってしまった。 「・・・やれやれ、全く困ったもんだね」 方々に散っていった部下を見ながらタマが呆れたように溜め息を吐く。 そして己の手に握られた手紙をあらためて見つめた。 「・・・そうかい。とうとうその日が来るのかい。・・・つくし、あんたはよく頑張ったよ。長い時間本当によく頑張った。あんただからこそ奥様もお認めになったんだよ。お披露目の時は堂々と胸を張ってその姿を世界中の人間に見せておやり」 まるで誰かに語りかけるようにそう独りごちると、タマは窓の外のどこまでも続いている青空を見上げながら、その先にいる我が子のように愛すべき存在を思った。
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お知らせ
2015 / 01 / 29 ( Thu ) いつもご訪問くださっている皆様、有難うございます。
あ、このパターンは嫌な予感・・・ そう思われた方、ご名答でございます。 すみません、今日の更新はスキップとなります。 ちょっと色々ありまして、筆が全く進みませんでした。 ここ2話が結構ボリュームがあったのでその反動なのか、ちょっと一休みしたく。 楽しみにお待ちいただいていた方には申し訳ないですm(__)m 明日の更新を目指してはいますが、絶対とのお約束は現時点ではできません。 (プライベートもこのところ忙しくてですね) もしかしたら深夜まで更新を待ち続ける方もいらっしゃるかと思いまして、何とかこのお知らせだけは書いておかないと・・・と慌てて時間を工面しております。 そしてお知らせついでにと言ってはなんですが。 先日とある方のコメントで気付いたんですが、カウンターが近々10万台に突入しそうです。 わぁ~、一体いつの間にこんなに?! とびっくりです( ゚Д゚) 誰にも知らせることなくひっそりと立ち上げた当サイト。 最初の数日はそれこそ一桁とか、せいぜい数十人程度の訪問者様。 でもその少しの訪問者様が私にとってはまるで神様のような存在でした。 だって誰にも知らせていない辺鄙なサイトを見つけて来られるんですよ?! もうアンビリバボーとしか言い様がありません。 その後、知り合いの方の勧めもありランキングに登録してみたところ日に日に増えていき・・・ サイト開設から3ヶ月、有難いことに今では私にとっては信じられないほどたくさんの方にお越しいただいてます。ありがたや~、ありがたや~m(__)m でですね、お前は一体何が言いたいんだって話なんですが、これまでなーーんにも意識もしてなかったカウンター。せっかく教えていただいたということもあり、10万ヒットのキリ番を踏まれた方のリクエストを受けたらどうかな~、なんて思ってます。 自己申告制となりますので、万が一申告者が重複した場合などは却下させていただく場合もあります。また、内容によってはリクエストにお応えしきれないこともあるかもしれませんので、どうぞそこはご了承ください。 とはいえ基本的にはご希望に添えるようにしたいと思っています^^ 最近の訪問者数からいくとおそらく日曜か月曜あたりに大台に入るのではないかと。 ということで、記念すべき100000人目の来場者となられる未来のあなた様。 もしご希望であらば是非ご一報くださいませ。 あなた様のリクエストにお応えしたお話をプレゼントさせていただきます(*´∀`*) なんだかんだ長くなってしまいました。 この間に続き書けや! というツッコミはどうか飲み込んでいただいて・・・(=_=) 自分に無理がないペースでこれからもやっていきたいと思っています。 ではまた (。・_・)ノ
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明日への一歩 21
2015 / 01 / 28 ( Wed ) 「・・・・・・いいのかな・・・?」
「あ?」 気の抜けた人形のようにただ引っ張られているだけのつくしが放心状態で呟く。 足を止めて司が振り返ると、発した声に負けず劣らずなんとも間抜けな顔で固まっている。 「バーカ。いいに決まってんだろ。その耳で聞いただろうが」 「う・・・ん」 「それとも何だ? 駄目な方がよかったのか?」 「や、やだっ!!!」 ガバッと顔を上げて今度は壊れた機械の様に被りを振りまくる。 「ふはっ! お前は一体何なんだよ。ほんっとわけわかんねー奴だな」 「だ、だって・・・なんかあまりにもあっさりと認められたから、なんていうか・・・」 「いいじゃねーか。ババァみたいなタイプは懐に入れることを決めたらあとは潔いもんなんだよ」 「え?」 「実際俺がそうだっただろ? 気に入らなければ徹底的に潰す。そんな人間が一度認めた相手は一生もんだ。お前がそれを証明してるじゃねぇか」 「あたし・・・?」 司の言葉につくしはポカンとする。 そんな姿に司は苦笑いだ。 「ほんと、お前はすげー女だよ。一体どれだけの偏屈人間を変えるパワーがあんだ?」 「・・・へっ?」 偏屈人間・・・? 「ぷっ、あははははは! 偏屈人間って。自分で認めちゃった。あはははっ!」 「お前に散々罵られたからな。人間のクズだとかなんだとか」 「あははっ、だって事実なんだもん」 「・・・チッ」 目尻の涙を拭いながらつくしが大笑いする。どうやら緊張の糸がようやく解れたようだ。 司はなおも笑い続けるつくしの頭をそっと撫でると、つくしの大きな瞳が自分を捉える。 「お前はそのままでいろよ」 「・・・え?」 「ババァが言ったことを難しく考えようとすんな。これだけの強者揃いを変えてきたお前でいることにこそ意味があんだ。俺と結婚したからって何かを変えようとか、染まろうとか考える必要なんてねぇ。お前はそのままのお前らしくいろよ」 「司・・・」 ぎゅうっと。 胸が苦しい。 ・・・・・・人は嬉しすぎても、幸せすぎても苦しくなるんだ。 体中から言葉にできない想いが溢れ出して、つくしは思わず司に体に身を寄せてしがみついた。 仮にも会社でこんなことをするなんてそのレアっぷりに驚いたが、それもほんの一瞬だけの話。 司は次の瞬間にはその細くて未知数のパワーを秘めた体を自分の中に閉じ込めていた。 しばし言葉もなくその温もりをただ感じ合う。 ___ もう2人を隔てるものは本当にないのだと。 「・・・・・・すっげーレアでこのまま仮眠室に直行してぇところだけど」 「・・・・・・え? ハッ!!」 うっとり恍惚とした顔を上げたつくしがやがて己のしでかしたことに我に返る。 慌てて体を剥がそうと動くが予測済みの司がそれを許さない。 「お前のその顔は反則だな。仕事を放棄したくなるぜ」 「な、ななっ・・・・!!」 「・・・と言いてぇところだけどな。もう一つやることがある」 「えっ?」 「行くぞ」 「えっ? えっ??」 司はわけのわからずにいるつくしの額にチュッと唇を落とすと、手を引いてその場を後にした。 つくしはキスをされたことに反応する暇すらなくそのまま再び引き摺られていった。 *** 「ねぇ、やらなきゃいけないことって?」 「行けばわかる」 そう言った司は副社長室のドアをガチャッと開けた。 その瞬間すぐに立ち上がる人影が見えた。主不在の部屋に一体誰が? ___ と、その人物を見てつくしは目を見開いた。 「え・・・? どうして・・・?」 「俺が呼んだ」 「えっ?」 驚くつくしの手を引いたまま、司はその人物の向かいまで移動すると腰を下ろした。 相手も司に頭を下げるとゆっくりとその体をソファーに戻していく。 「あの・・・お話とは何でしょうか?」 言葉からは戸惑いが滲んでいる。 当然だろう。 何故彼が呼び出される必要があるのか? 「ほんとだよ! どうして皆川君がここに?!」 目の前にいるのは他でもない皆川だ。 確かに彼には助けられて感謝している。 だが個別に呼び出して話をする必要性がどこにあるのかがわからない。 状況がわからない2人をよそに、司は真っ直ぐ皆川を射貫いたまま。 「あの、副社長・・・?」 「まずはあらためて礼を言っておく」 「えっ?」 「昨日こいつを助けてもらったことに感謝する」 「え・・・あの・・・」 副社長ともある人間から感謝の意を伝えられ、皆川は喜ぶというより困惑している。 「こいつは俺の婚約者だ」 「えっ!!」 いきなりの直球に皆川は驚きを隠せないでいる。それも当然だろう。 「あ・・・そうなんですか。驚きましたけど、なんとなくそんな気はしてました」 はははっと笑って司とつくしを交互に見る。 「どうしてあんな行動に出た?」 「えっ?・・・あ、いえ、廊下で牧野の後ろ姿をたまたま見かけたんです。それで一言くらい声をかけようかなと思って近付いたら・・・一瞬にして姿が消えてて。最初は深く考えなかったんですけど、その・・・ここだけの話、女子社員の間で牧野が色々言われているのを何度か聞いたことがあって」 あることないこと好き放題言っていたに違いない。 秘書課だけにとどまらずそんなところにまで波及していたとは。 本当に女は面倒くさい。 「それでなんとなく胸騒ぎがして、念のため探すことにしたんです」 「どうしてあの場所だとわかった?」 「え? あぁ、それは香水ですよ」 「香水?」 「はい。あの女の動いた通り道にきつい香水の香りが残ってましたから。牧野が香水をつけないのは過去のやりとりでわかってましたし、面白いくらいすぐに場所は特定できました」 「そうだったんだ・・・」 初めて知る事実につくしは驚く。 「それに、使ってないはずの会議室から物音がしたのでピンと来たんです。何か良くないことがおこってるんじゃないかって。最初は警備員を呼んで鍵を開けてもらおうかとも思ったんですけど、そんな時間の猶予はない気がしたのでカマをかけました」 「カマ?」 「そう。あの時言っただろ? 警備員さんこっちですって」 「あ・・・!」 そうだ。 確かにそんなことを言っていた。 ということはあれも咄嗟の機転だったということだろうか? 結果的にその機転がなければケイトリンがあれから何をしたか考えるだけでもゾッとする。 「あ・・・ありがとう皆川君。助けてもらったのにちゃんとお礼もしないであたしったら・・・。本当にありがとう!」 つくしはそう言って立ち上がると深々と頭を下げた。 「あぁっ、やめてよ! 別に俺が勝手にしたことなんだし、とにかく大事に至らなくて良かったよ」 「皆川君・・・」 「顔少し赤くなってるね。傷も・・・大丈夫?」 「あ、うん。全然平気。こういうことには慣れてるし」 「え?」 「あっ、いやいや、こっちの話。あははは」 笑って誤魔化しながらつくしは腰を下ろす。 「・・・そっか。やっぱり副社長と牧野ってそういうことだったんだ」 「え?」 「さすがに気付くでしょ。2人でいる時の空気感が全然違ってたし」 「そう・・・かな?」 自覚なしのつくしにはいまいちピンと来ない。 「妙に屈強な人が牧野の周辺をガードするようにいつもついてるし、普通じゃないなってわかるよ。半年だけ入社ってのも珍しいなって思ってたし」 「あはは、そう・・・だよねぇ」 やっぱり誰がどう考えても不自然な人事なのだ。 「でも一番の決定打は副社長だよ」 「・・・え?」 「副社長が牧野といる時の顔が・・・まるで別人のようだったから。僕たち社員が知る副社長はいつだって何人も寄せ付けない絶対的なオーラに包まれてた。何度か見かけたことはあったけど、笑った顔なんて見たこともないし。経済誌なんかに載ってる写真だってそうだろう?」 確かに・・・ 離ればなれで司の頑張りを見守っていた頃、雑誌で見かける彼はいつも無表情だった。 「だけど牧野といる時は全然違う。僕が言うのもなんだけど、心が解放されてるような、そんな感じなんだ。あぁ、副社長の本来の姿ってこういう人なんだって初めて知ったよ」 「皆川君・・・」 ニコッと皆川が微笑む。その笑顔は中学生の頃の面影で溢れていた。 見た目は変わったけれど、滲み出る内面は何一つ変わっていないことを教えてくれている。 「・・・それで? 今日僕をここに呼んだ本当の目的は何なのでしょうか?」 皆川が視線を横にずらすと、これまで黙ってつくしとの会話を聞いていた司に尋ねた。 思わぬ言葉につくしが隣の司を見る。 「え? お礼を言うためじゃないの?」 「違いますよね? 確かにお礼もあったと思います。でもそれだけだったら僕を呼んでいない。違いますか?」 「・・・・・・」 真剣な顔で怯むことなく聞いてくる皆川を、司もまたじっと見たまま何も言わない。 「司・・・?」 「・・・お前、どうしてうちに入った?」 「え?」 「皆川という名前を聞いてピンと来たんだ。 『あの』 皆川だってな。何故あの時期にわざわざうちに入社することを選んだ? お前の狙いはなんだ」 「え、司・・・何言ってるの?」 さっぱり意味がわからないつくしは両者を交互に見やるが、どちらも驚くほど真剣な顔をしていて、ふざけた話なんかじゃないということがひしひしと伝わってくる。 「・・・やっぱり気付かれてましたか」 「いや、正確には気付いていなかった。こいつとお前の接点があったことで結果的に知ることとなった」 「そうなんですか・・・」 皆川が笑っているような、溜め息をついているような、何とも言えない表情を見せる。 「正直に言え。お前の目的は何だ? 俺を潰すことか?」 「えっ?! ちょっと、司っ、一体何を言い出すのよ?! 皆川君に失礼じゃない!!」 つくしが慌てて司の腕を掴んで咎めるが、当の本人は鋭く皆川を射貫いたまま。 「・・・・・・そうだって言ったらどうしますか?」 「えっ!!」 今度は皆川から飛び出した爆弾発言につくしはギョッとする。 相変わらずどちらも真剣な顔で睨み合っている。 一体何がどうしてこんな展開になってしまったのか。 つくしはさっきまでの平穏が嘘のように胸がバクバクし始めていた。 「潰される前にお前を潰す」 司がはっきりと宣戦布告を叩きつけた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フッ、あははははははは!」 「?!」 睨み合っていたかと思えば今度は笑い出した。 つくしは彼がどこか壊れてしまったのではないかと心配になる。 だがそれも束の間、すぐにいつものふわりとした笑顔の皆川に戻っていた。 「なんてね。そんなわけないじゃないですか。僕は僕です。父は関係ありません」 「・・・・・・・・・」 「え・・・一体どういうことなの?」 既にハテナマークを貼り付ける場所がないくらい謎だらけになっているつくしに笑うと、皆川は事の経緯を話し始めた。 「僕の父はね、ここで働いていたんだ」 「えっ?! 皆川君のお父さんが?」 「そう。こっちに引っ越したのも本社に異動になったから。・・・つまり、それなりのポストにいたんだ」 「そう・・・だったんだ。全然知らなかった・・・」 「知らなくて当然だよ。言ってないんだからね」 そう言ってあははっと笑う。 「え、でもそれと皆川君の入社に何か問題があるの?」 「・・・・・・」 「つくし、3年前・・・いや、もうすぐ4年だな。あの時にうちの会社で起こったことを覚えてるか?」 「え? あ、うん・・・もちろん」 忘れるはずがない。 あの時の一件で2人の運命が大きく動き出したと言っても過言ではないのだから。 「あの時の首謀者の一人がこいつの親父だった」 「えっ・・・」 「・・・・・・」 予想だにしていなかった一言につくしが言葉を失う。 皆川も目線を下げたまま何も言わない。 「まぁ俺に対する反発が根強いのは知ってたからな。そういう連中が出てくるのも時間の問題だと思ってたし、それを迎えうつ心構えもあった。だがあの時は最悪のタイミングだった。俺としたことが完全に足下を掬われた形になったわけだ」 「・・・・・・」 「まぁ決して簡単ではない状況だったが俺だって無駄に時間を過ごしてきたわけじゃねぇ。そのまま潰れるようならそれまでの器ってことだ。だが俺はそうはさせなかった」 つくしの中にあの苦しい時間が蘇ってくる。 きっと司は血を吐くような努力をしたのだということも。 「俺は地力で這い上がった。当然連中には処分を下した。そいつの親父も例外じゃねぇ」 「え・・・それじゃあ・・・」 つくしがハッとして皆川を見る。目が合うと、彼が小さく微笑んだ。 「親父は下請けの会社に異動になったよ」 「それって・・・」 つまりは左遷ということ? 「普通なら確実にクビになってるはずなんだ。でも副社長はそうはしなかった」 「そうだ。俺は敢えて不安因子を己の懐に残すことにした。自分への戒めの意味も込めてな。あいつらがまた何かを企てるならやればいい。だが俺は常にそれ以上のことをやる。それだけのことだ」 「司・・・」 初めて聞かされる事実につくしは何も言うことができない。 ___ 胸がいっぱいで。 彼が人知れずどれだけ苦しんで、悩んで、そして努力してきたというのか。 「わざわざ敵の本陣に乗り込んだ理由は何だ?」 「・・・・・・敵・・・ですか」 「少なくともお前にとっては恨むべき相手なんじゃねぇのか、俺は」 「・・・確かにそうですね。・・・でも何なんでしょう。不思議とそうは思えなかったんですよね」 「何?」 思わぬ言葉に司も驚いている。 「ずっと親父のことは尊敬してました。渡米するって聞かされたときは正直戸惑ったけど、同時に誇らしかった。・・・でも、こっちに来てから親父は少しずつ変わっていった」 「変わった・・・?」 つくしの問いかけにどこか寂しげに皆川が頷く。 「うん。なんていうか・・・野心だらけになってしまったというか。・・・昔は仕事に誇りをもってやってたのに、いつの間にか人を蹴落として這い上がることだけに躍起になってた。僕の目から見てもわかるくらい」 「・・・・・・」 「だからあの時ここでクーデターが起きたって知って、すぐに親父も関わってるって思った。そしてそれは当たってた。・・・ショックだったよ」 「皆川君・・・」 「いつの間にか胸を張って自慢できるような親父じゃなくなってた。・・・だから、目論見が外れてざまぁみろって思ったくらいだよ」 そう言ってハハッと乾いた笑いをこぼす。 「じゃあお前がわざわざここを選んだ理由はなんだ」 「・・・・・・そうですね・・・。この目で確かめたかったのかもしれません」 「確かめる?」 「はい。親父があれだけ野心を燃やして引きずり下ろそうとしていた相手がどんな男なのかをこの目で。自分の目で見て、自分で判断したかったんです」 「判断って、何のこと・・・?」 「親父が言ってたようにジュニアという肩書きがなければ何もできないような無能な男なのかどうか。あれだけ躍起になってたことは本当に意味があったのかってことを」 「・・・・・・で? 少しは見つかったのか」 「はい。・・・びっくりするくらいできる男だったってことがわかりました」 言いながら皆川は苦笑いした。 「もうほんと、びっくりするくらい・・・。親父達は一体何をしてたんだって思いましたよ。目の前のことに囚われるあまり本質的なことが何も見えてなかったんだって、この僕ですらわかりました。最初から勝算のない闘いだったのだということも」 「皆川君・・・」 そこまで言うと皆川は再び視線を司へと戻した。 「副社長が僕に対して色々と疑念を持たれるのは当然だと思います。ただ僕は純粋に興味があったんです。良くも悪くも親父を変えたこの会社に。・・・そしてあなたに。ここで自分にできることは何なのか知りたかった。ただそれだけです」 「・・・・・・」 シーーンと室内が静まりかえる。 互いを真っ直ぐに射貫いたまま、そしてそんな2人をつくしが見つめながら、誰一人として言葉を発する者はいなかった。 「這い上がって来いよ」 「・・・えっ?」 「這い上がるっつー言い方はお前には違うのかもしれねぇけど。ここまで来てみせろよ。お前ならそれができるだろ?」 そう。 実際、皆川はかなり優秀な人材だった。 その背景にどんなことがあったかなんて関係ない。 力のある者はいくらでも階段を駆け上がってくればいいのだ。 「副社長・・・・・・はい! いつか必ずあなたを追い越して見せます」 「それはムリだな。諦めろ」 「あはは、やっぱりですか」 間髪入れずに一刀両断されて皆川が吹き出す。 「お前はお前だ。親父の過去は関係ねぇ。・・・それに、どうあれお前の親父も優秀な社員の一人であったことに違いはねぇ。そのことを忘れんな」 「副社長・・・」 真っ直ぐ放たれた言葉が皆川の心を突き抜けていく。 これまで、誰にも言えずにいた葛藤が全て吹き飛ばされていくような。 大財閥のジュニアとして歩んできた男の言葉は重く、そして痛いほどに響く。 皆川は咄嗟に俯いてグッと手を握りしめた。 それはまるで溢れ出しそうな涙を堪えているようにも見えて。 「・・・ありがとうございます。あなたに少しでも近づけるように頑張ります」 「死ぬ気でやらねぇととてもじゃねぇが近づけねぇぞ。俺だってダテにこれまでの時間を過ごしてるわけじゃねぇからな」 「わかってます。そんなあなたの背中を見てまた努力します」 「・・・クッ、一体どこの青春映画だよ。気色わりぃ」 「ははっ、ほんとですね」 ケッと一蹴されても皆川は心底嬉しそうに笑った。 「・・・って、お前何泣いてんだよ! ったく・・・」 「だ、だってぇ・・・グズッ・・・」 いつの間にやら大号泣していたつくしの目からは滝のような涙が溢れている。 司は呆れかえったように笑いながらも、ごそごそとハンカチを探す。 「はい、牧野。どうぞ」 「あ゛、ありがどうっ・・・!」 だがさっと先に手を差し出したのは皆川だった。 間違いなく司が出そうとしていたのを知っていたはずなのに。 そしてつくしも何の迷いもなくあっさりそれを受け取る。 「牧野、そのハンカチは必ず返してね。僕に直接会って」 「うん、必ず返しに行くよ・・・グズッ」 何にも気付かないつくしは真面目にうんうんと頷きながら涙を拭う。 ピキッと司のこめかみに青筋が一本。 「おい、てめぇ・・・」 「副社長の上手(うわて)に行けるように色々と頑張りますから」 そう言って悪戯っぽく笑うと、皆川は吹っ切れたような顔で立ち上がった。 「今日は時間を作ってくださってありがとうございました。おかげで色々とすっきりしました。なんだかんだ割り切ったつもりでいましたけど、まだ心にわだかまりがあったんだって今日まで気付いてませんでした。またこれから新しい気持ちで頑張ります」 そう言うと深々と頭を下げた。 「じゃあ牧野、またね。お大事に」 「うん、皆川君、ほんとに色々ありがとうっ・・・!」 昔と何一つ変わらない笑顔で手を振ると、皆川はやがて部屋からいなくなった。 「・・・チッ、あの野郎、やっぱりどこか気にいらねぇぜ」 「皆川君はいい人だよ、昔から・・・ずびっ・・・」 そう言いながらつくしが皆川から借りたハンカチを大切そうに顔にあてていく。 ピキピキッ!! 「おいっ! 他のヤローのもんを使うんじゃねぇっ!!」 「あっ?!」 司は横からハンカチを鷲掴みすると、そのまま向こうにポイッと放り投げた。 途端につくしがカンカンに怒り出す。しかも泣きながら。 「あぁっ! もうバカッ!! せっかく貸してくれたのにっ、信じらんないっ!!」 「うるせぇ! 誰だろうと他のヤローのもんを使うんじゃねぇ!」 「バカバカバカ! ガキっ!! ただ涙を拭いてただけじゃない!」 「うるせー! 涙ならここで拭きやがれ!」 「ぶっ・・・?!」 次の瞬間、つくしの顔が広い胸板に押し当てられていた。 しばらくして自分が抱きしめられているのだと気付く。 「ちょっと! スーツが汚れちゃう・・・!」 「いいんだよ。替えならいくらでもある。お前があのハンカチを使うよりもよっぽどマシだ」 さっきまであんなに格好良かったのが嘘のように。 今度はこんなにくだらないことを真剣に言うのだから。 ・・・全く、この男の魅力は底知れない。 怒っていたつくしの体から面白いように力が抜けていく。 「ほんとにいいの? 涙も、鼻水も、ファンデーションだってついちゃうよ?」 「別に構わねーよ」 「・・・ほんとにあんたって・・・・・・バカ」 「あぁ?! てめぇ何言ってやがる」 「クスクス・・・」 つくしは笑いながらもまた涙が止まらなくなっていた。 数十万もする高級スーツがありとあらゆる液体で台無しだ。 それでもこの男は気にもしない。それどころかハンカチを使うことの方が気に入らないと言う。 ・・・あぁ、こんなバカでガキで強引で、・・・そして大人なこの男が大好きだ。 つくしは大きな背中に手を回すと、幸せを噛みしめるように負けじとギュッと抱きしめた。
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明日への一歩 20
2015 / 01 / 27 ( Tue ) ガチャッ
開いたドアの向こうから現れた人物に、その場にいた司以外の背筋がシュッと伸びた。 その場にいるだけで一瞬にしてピンと張り詰めた空気に変えてしまう。 ____ それが道明寺楓だ。 コツコツとヒールの音を響かせてモデル然とした歩き方で自席につくと、同じ空間にいる人間の顔を感情の読み取れない顔で一瞥していく。 その中に明らかに真っ青な顔で視線すら上げることができずにいる女が一人。 その向かいに座るように司とつくしが隣に並んで座っている。 「____ それで? このような席が設けられた理由は何でしょう」 抑揚のない言葉で司へと視線を動かす。 「実は昨日社員による不祥事が発生しました」 「不祥事・・・?」 「はい。ここにいるケイトリン・アンダーソンが牧野に対する傷害事件を起こしました」 「傷害事件・・・」 明らかに声のトーンが低くなったことにケイトリンの体がビクッと動く。 その視線はおぼつかず、顔からは生気が失われている。 一方で向かいに座っているつくしも決して顔色がいいとは言えない。 両頬は赤みをおびてうっすら腫れており、切り傷のような跡も見える。 濃い色のストッキングに隠れてわかりづらいが、足首付近だけ不自然に盛り上がっている。その下に何が隠されているのかは想像するに難くない。 「以前から彼女に対する嫌がらせは続いていたようです。当然彼女はそのことを口にすることは一切ありませんでした。彼女なりの考えがあってのことと思います。私もこれまではそれを黙認してきました。ですが傷害事件、しかも勤務時間中の犯行ともなれば私としてもこれ以上放置しておくことはできません」 「・・・まずは事実確認が先です。副社長が言っていることは本当なのですか?」 鋭い視線がケイトリンへと突き刺さる。 ハッと顔を上げたはいいものの、口をパクパクさせるだけで何も答えることができない。 重役秘書ですらそうそうお目にかかることのできない相手を前に、完全に萎縮してしまっている。 その手は膝の上で小刻みに震えているように見える。 「あ、あ・・・」 「では牧野さん、あなたに聞きます。事実ですか?」 「えっ?! あ、あの・・・・・・」 被害者であるはずのつくしも何故だか浮かない顔で返答に詰まる。 「おい、ここにきて嘘は言うなよ。本来であればとっくに警察沙汰になってる案件なんだからな」 「う・・・は、はい・・・事実、です・・・」 今にも消え入りそうな声で俯きがちに頷いた。 加害者よりも被害者の方が恐縮しているとは一体どういうことなのか。 「つきましてはこの女の処分をお願いします。私としてはクビにして警察に届け出るのが一番かと」 司のその言葉にケイトリンが愕然とした顔を上げる。 「そんなっ・・・!」 「何だ? 何か不満があるとでも?」 だが司はそんなケイトリンを睨み一つで一蹴する。 途端に女が竦み上がった。 「くだらねぇガキみたいな嫌がらせまでならまだともかく、てめぇのやったことは傷害事件だ。このまま会社に居座ることができるとでも思ってんのか?」 「それはっ・・・。で、でも・・・」 「あん? でも何だっつーんだよ」 ケイトリンの憧れ続けた副社長然とした司はそこにはいない。 明らかな負のオーラに満ち溢れた敵意がひしひしと自分に向けられているのがわかる。 何故・・・? どうしてこの女ばかりがこんなに特別扱いを受けるというのか。 ケイトリンは膝の上でギリッと手を握りしめると、半ば自棄になってつくしを睨み付けた。 「納得がいきません!」 「・・・あ?」 「どうしてですか? 何故この女だけがこんなにも特別扱いを受けるんですか?! 私だってこの会社に入ってこれまで必死で働いてきました。いつかは副社長の下にお仕えできるような人間になりたいと・・・それだけを信じて努力してきたというのに! それなのに、ある日突然こんな何もできないような小娘が・・・・・・納得できるわけがありません!!」 いつの間にか立ち上がっていたケイトリンは感情のまま叫び続ける。はぁはぁと息を切らしながら目の前で戸惑いを見せるつくしを侮蔑の目で睨み付ける。 どうせクビになるのならいっそのこと思いの丈を全部ぶちまけてやればいい。 もはや捨て身の行動だった。 「・・・・・・勘違いすんなよ?」 「えっ・・・?」 気が付いたときには立ち上がった司が目の前にいた。 その瞳は凍り付くように冷たく自分を見下ろしている。 そのあまりの迫力に既にケイトリンの足下が小刻みに震えていた。 「てめぇは何のために入社したんだ? 俺が目的か? 言っとくけどな、俺はそういう欲にまみれた女には反吐が出るんだよ。百歩譲って夢見るのは許しても、お前の勝手な願望に何故こいつが巻き込まれなきゃならない? てめぇに一体なんの権利があるってんだ、あ?」 「で・・・でも、あの女の採用に納得していないのは私だけではありませんっ!」 ガクガクと震えながらもケイトリンは必死で訴える。 「それがどうした? 働く人間を決めるのは上の仕事だ。てめぇら全員の許可がないと決められないってのか?」 「そ、それは・・・。でも、でもっ! どうしてこの女だけ特別なんですか?! 今までこんなに特別な扱いを受けた社員なんていないじゃないですか! 社長は納得されてるんですかっ?!」 この期に及んでも尚引き下がろうとしない往生際の悪さに、司は忌々しげに舌打ちする。 相手が男ならとっくにぶん殴っているに違いない。 拳の代わりにとどめの一撃を刺そうと口を開いたときだった。 「彼女の採用を決めたのはこの私です」 「えっ・・・?」 これまで終始黙っていた楓がここに来て初めて口を挟んだ。 驚いたケイトリンに視線を移すと、それだけでケイトリンがゴクッと喉を鳴らした。 「彼女の採用を決めたのは他でもないこの私です」 「そ、それはどうして・・・」 社長の裁量に一社員が口出しすることなど言語道断。 だがもはや今のケイトリンにはそんな冷静な思考など残されてはいなかった。 「どうして? それをあなたに話す必要性はどこに?」 「そ、それはっ・・・」 地の底から凍え上がってくるような冷たい視線に体中が震えてくるのがわかる。 ・・・・・・怖い・・・! 「仮に私が決めた理由があなたの納得のいかないものだったとして、それが傷害事件を引き起こす大義名分になるとでも?」 「それは・・・」 何一つ言い返せる要素が見つからない。 「何はともあれ論より証拠。西田、証拠は残っているのですか?」 「はい。防犯カメラに会議室に連れ込まれるところが映っています。それから落ちていたナイフからケイトリンの指紋と牧野様の血液が採取されました」 「・・・・・・!」 その言葉にケイトリンの顔からサーーーーッと血の気が引いていく。 「ということのようですがまだ申し開きがおありで?」 「・・・・・・っ」 アメリカはただでさえ訴訟大国だ。 小さなトラブルですら訴訟沙汰になりやすいというのに、今回は立派な刑事事件になる案件。 その上証拠まで揃っているとなれば、これから待ち受ける展開は誰の目にも明らかだ。 嫉妬と欲に駆り立てられるあまりそんなことすら頭に入っていなかったなどなんとお粗末なことか。 今さらながら現実が見えてきてケイトリンはワナワナと震え始める。 「ご自身のなされたことを棚上げでこの私にまで意見を通そうとするなどと、随分甘く見られたものですね」 楓は視線を合わせることすらせずに冷たく言い放つ。 ___そう。 鉄の女の本当の恐ろしさを知る者ならば、明らかに自分に非がある中で噛みつくことなど論外中の論外だとよくわかることだろう。命知らずもいいところだ。 「傷害沙汰を起こしたことも当然問題ですが、あなたの場合はそれ以前のようですね。ビジネスにおいて貪欲な人間は嫌いではありませんが、利己的な考えで犯罪を犯しても構わないと平然と主張するような人間は我が道明寺ホールディングスには必要ありません」 「えっ・・・?!」 目を見開いて顔を上げたケイトリンにちらりと視線を送る。 「明日以降は来る必要はありません」 「そんなっ! 待ってくださいっ!!」 絶望的な言葉に思わず叫んでいた。 「勘違いなさらないことね。あなたはいつ捕まってもおかしくない立場だということを」 「・・・っ!」 何故このようなことになってしまったのか。 憧れの人の元で働きたくて必死で努力を重ねてきたというのに。 思い通りに事が運ばないどころかこのままクビだなんて。 これまで願って叶わないことなど何一つなかった人生だったというのに。 一体どうして・・・ ワナワナと震える視線を上げていくと戸惑った表情のつくしと目が合った。 「あんたが・・・」 「え・・・?」 「あんたのせいでこんなことにっ・・・!!」 「きゃっ?!」 ガタガタンッ!! 完全に正気を失ってしまったケイトリンがつくしに掴みかかる。 驚いたつくしは全く避ける暇などなかった。 「痛っ・・・!!」 掴んだ腕がギリギリと締め上げられ、あまりの痛みに顔が激しく歪む。 「てめぇ・・・調子に乗るのも大概にしろよ」 「イッ・・・!」 だが先に手を掴んだのは司だった。 ケイトリンの腕を掴むとそのまま上に捻りあげて身動きがとれないようにする。 「どうして・・・っ!」 「あ゛ぁ?! この際だから言っておくけどなぁ、こいつは俺の婚約者だ。手を出すからにはそれ相応の覚悟をしておけよ? こいつに危害を加える奴は女だろうと容赦しねぇぞ」 「えっ・・・?!」 「勘違いすんじゃねーぞ。こいつがここで働いてることはこいつが言い出したことでもなんでもねぇ。社長が判断したことだ。必要な資格も全て有してる。実際、仕事に私情を挟むようなてめぇらよりもよっぽど真面目に働いてるしな」 信じられないような顔で司とつくしの顔を交互に見ると、最後に楓の方へ視線を動かした。 相変わらず感情のない顔でこちらを見てすらいない。 「牧野さんはどうするおつもり?」 「えっ?」 これまでただ黙って事の成り行きを見守っていたつくしが慌てて口を開いた。 「会社としての対応は先の通りです。あなたがどうおっしゃろうと変えることはありません。ただしそれ以外に関してはあなたが決めなさい。被害者はあなたなのですから」 「私が・・・」 まさか自分に委ねられるとは思いもしなかったつくしは戸惑いを隠せない。 でも遅かれ早かれちゃんとしなければいけないことなのは事実だ。 「私は・・・・・・・・・被害届は出すつもりはありません」 「なっ・・・? お前何言ってんだ?! 日本でもあんな目にあっておきながら何を甘いこと言ってやがる!」 またしても穏便に済まそうとするつくしに司が怒りの声を上げる。 「わかってるよ! だからこそクビになることに関しては異議を唱えるつもりはない。絶対にやってはいけないことだったとあたしも思うから。でも、もうそれだけで充分なの」 「ふざけんな! そんな怪我までさせられておきながら・・・」 「いいのっ! 被害者はあたしなんだからあたしが決める!!」 はっきりと司に噛みついていくつくしにケイトリンが目を丸くする。 「必要以上に争うことで余計な体力を使いたくない。それに、刑事事件にすれば会社にだって影響がゼロじゃない。自分に隙があったのも原因の一つだし、彼女を含めて待遇が納得いかないって人の気持ちもよくわかる。あたしは今の自分に、これからの自分に必要なことを学ぶためにここに来たの。会社のためにならないようなことに時間も体力も使うつもりは少しだってない!」 「つくし・・・・・・」 はっきりと言い切ったつくしの瞳は強い意志で漲っている。 司は何かを言い返そうとしたが、そうしたところで絶対につくしが譲ることはないだろうこの後の展開が容易に想像ができて、はーーーーっと盛大に溜め息をついた。 「・・・道明寺財閥の後継者ともあろう人間が女性一人に言いくるめられるとは。まだまだ修行が足らないようですね」 「うるせーよ」 楓の皮肉に司が心底面白くなさそうに舌打ちする。 だがつくしにとってはそれは意外な光景だった。 確かに嫌味を込めて言ったのかもしれない。 それでもこれまでにはあまり表に出そうとしなかった愛情が見え隠れしているような気がする。 そんなことを言ったらまた鼻で笑われてしまうだろうか。 ・・・いや、自分の感性に素直に従おう。 昔とは何かが確実に変わっているのだと。 「ふふっ」 「・・・なに笑ってんだよ」 「あ、ごめん。なんか嬉しくて」 「はぁ? 今の流れで何をどうすればそうなるんだよ」 「いいの、あたしがわかってればいいことだから」 「・・・相変わらずお前はわけがわかんねー女だな」 「褒めてくれてありがと」 突拍子もないつくしの言葉に、司はわけがわからなさすぎて逆に笑えてきた。 そんな司の姿を見ながら、ケイトリンはこれまで憧れてきた道明寺司という男が仮の姿であったのだと初めて気付かされた。 少なくとも、ここで働く人間の中で彼の笑顔に出逢える者などいない。 ましてやその相手が女であれば尚更のこと。 そしてそんな男にこんな軽口をきける人間などいるはずもない。 側近中の側近である西田ですら言語道断の暴挙だと言えるのだから。 そんなあり得ない光景が今、当たり前の日常の様に目の前で繰り広げられているのだ。 そこに自分の知らない2人の歴史をまざまざと見せつけられた気がして、ケイトリンの体からへなへなと力が抜けていった。 ____ 最初から入り込む隙間など1ミリたりともなかったのだと。 「西田、こいつを連れて行け」 「かしこまりました」 いい加減諦めがついたのを察知すると、司は脱力したケイトリンを西田に引き渡した。 完全に戦意喪失したケイトリンはズルズルと引き摺られていく。 つくしは自分が被害者だとはいえやはりこういう姿を見るのは辛かった。 だが司の言ったとおり、彼と結婚する以上温情だけではやっていけない世界もあるのだということも学ばなければならない。そのためにも、やったことに対する最低限度の処罰はあって然るべきなのだ。 そう自分に言い聞かせながら、部屋から出て行ったケイトリンを見送るとグッと目を閉じた。 「俺はもうこれ以上隠すつもりはねぇから。こいつの存在を公にさせてもらう」 「えっ、司っ?!」 室内が3人だけになった途端間髪入れずに司が楓に宣言した。 「お前が驚いてどうすんだよ。言っただろ。もう茶番は終わりだって」 「でも、まだ約束の期間が・・・」 「そんなの関係ねぇよ。お前の立場を公にしたって仕事はできるだろ? むしろ自分の立ち位置を明確にした上で頑張ってみろよ」 「え・・・?」 「言っただろ? 俺と生涯を共にする以上大なり小なりああいう連中は出てくるんだ。お前が婚約者だとわかることで何だかんだ言ってくる奴もいるだろう。でもお前なら自らの力でそれを黙らせることができるんじゃねーのか? 雑草魂を見せつけてやれよ」 「司・・・」 見せつける・・・? 雑草魂のあたしを? 「なんだよ。自信がねぇのか?」 「なっ・・・違う! できるに決まってるじゃない! やってやるわよ!」 司の挑発にカチンときたつくしは思わずそう叫んでいた。 それを聞いた司の顔がニヤリとしたり顔に変わる。 「言ったな。お前はそれでこそだろ」 「・・・あ」 ・・・やられた。 してやられたと唇を噛むつくしにフッと笑うと、司は楓を見た。 「つーことだから。今さら反対なんかさせねぇぞ」 「・・・・・・」 楓は何も言わない。 つくしの懸念はそこだった。 元々NYにやってきたのだって、きちんと楓に認めてもらうことが目的だったのだから。 彼女が 「否」 と主張する中で強引に事を進めるようなことだけはしたくない。 「・・・・・・本当にいいのですか?」 「えっ?」 見れば真剣な顔で楓が自分を真っ直ぐに見ているではないか。 その顔からは相変わらず表情が読めないが、少なくとも過去に感じたような冷たさは全くない。 「今回のことだってよくよくわかったでしょう。この道明寺財閥に入るということがどういうことなのかを。これからあなたの立場が公のものとなれば、ますますその身が危険に晒されることだってあるかもしれない。あなたはその茨の道に耐える覚悟がおありで?」 「お義母様・・・?」 「いつもこうして守ってもらえる立場にはいられないのです。時にはあなたが先頭に立つことだって求められる。甘っちょろい覚悟でやっていけるほど簡単な世界じゃありません。それでも覚悟はあるのですか?」 楓の言葉一つ一つが心に突き刺さる。 それはきっと、彼女自身が痛いほどに身をもって経験したことに違いないから。 彼女は最初から鉄の女だったのではない。 荒波に呑まれるうちにそうならざるを得なかったのだ。 本当に自分にそれだけの覚悟があるのか? 「・・・はい。あります。司さんを支え、時に支えられ、そうして共に歩いていく覚悟があります」 つくしは軽く息を吸い込むと、吐き出しながらはっきりと楓の目を見て言い切った。 「力不足は承知しています。それでも誰にも負けない根性だけはあると胸を張って言えます。叩かれたらその都度立ち上がればいい。私なりにこの道明寺財閥の一員として力になりたいと思っています」 楓は視線を逸らそうとはせずに黙って聞いている。 互いの視線がぶつかったまましばし沈黙が続いた。 「・・・・・・そうですか。わかりました。ではお好きなようにしなさい」 「・・・えっ?!」 素っ頓狂な声を出したつくしをジロリと睨む。 「なんですか? また言わなければわかりませんか?」 「いっ、いえ! ちゃんと聞こえました。・・・あの、本当にいいんですか? 約束の期間が・・・」 「わかったと言ったのですからそれが全てです」 「あ、はい・・・」 ピシャッと言葉を遮られてそれ以上何も言えなくなってしまう。 「・・・もともとあなたの覚悟が本物であるのかを自分で確認させることが目的でした」 「え?」 「あなたの覚悟が決まったのであればあとはお好きになさい。ビジネスは成立です」 「・・・・・・」 「もうよろしいかしら? 余計なことに時間を取られてこの後が詰まっているのですけど」 「あ、はい・・・」 あまりにもあっさりと。 ・・・・・・本当に? 本当にいいの? 最後の最後にやっぱりドッキリでしたーーー!! ・・・なんてことにはならないの? 「じゃあ今度の創立記念パーティで発表するからな」 「・・・聞こえませんでしたか? 後はお好きにと言ったはずです」 既に手元の資料に目を移している楓はもうこちらを見ることもない。 「・・・クッ、じゃあそうさせてもらう。つくし、行くぞ」 「えっ?」 そう言うと司はつくしの手を取り歩き出した。 ボーッとしていたつくしは半分引き摺られるように連れて行かれる。何度も何度も振り返るが、やはり楓は手元に視線を落としたまま見向きもしない。 「あっ、あのっ! ありがとうございました! これからもよろしくお願いしますっ・・・!」 止まることなく足を進める司に引かれながら、つくしは声の限り楓に叫んだ。 結局、最後の最後までこちらを見ることはなかったが、それでもつくしの心の中は今まで感じたこともないような温かさで満たされていた。
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私をスキーに連れてって 後編
2015 / 01 / 26 ( Mon ) 「あ~、生き返る~! やっぱ日本人はお風呂だよねぇ」
「ぷっ、先輩、それじゃオヤジですよ」 「え~? でも皆だってそう思うでしょ?」 「まぁそれは否定しませんね」 「ほら~! あ~極楽極楽~♪」 夕食までの空いた時間、女3人でお風呂へとやって来た。 ペンションには源泉掛け流しの天然温泉があり、入った瞬間たちまち肌がつるつるになるほどの最高の泉質だ。 フーッと息を吐きながら一日の疲れを癒やすつくしの目の前を大きな桃が横切っていく。 「・・・ちょっと、滋っ! お尻出てるからっ!」 ・・・いや、桃ではなく尻だ。 だだっ広い露天風呂を滋がスイスイと手をつきながら泳ぎ回っている。 右に左に動く度にキュッと引き締まったなんとも可愛らしい小尻がつくしの目の前を通過していく。 「え~? 女同士なんだから別にいいじゃん」 「いいって・・・女同士でも目の前にお尻が浮いてたら気になるでしょ!」 「そうかな~? だってこんなに広いんだもん。普通、泳ぎたくなるでしょ~」 「まぁ、そこは否定しないけどさ・・・」 「いや先輩、そこは否定しましょうよ」 素早い桜子のツッコミに思わず笑う。 いや、見ている人がいなければついつい泳ぎたい衝動に駆られるのはきっと皆同じはずだ。 「でもさぁ、ほんとにお金持ちってすごいんだねぇ」 「え? 何が?」 「だってさ、いつ来るかもわかんないのにこのペンションとスキー場まで作るなんてさ。もったいないったらありゃしないよ」 「まぁ、道明寺さんの場合またランクがさらに上がるから一概には言えないですけどね」 「でも皆だって別荘とかはあるわけでしょ?」 「それはまぁそうですね」 「ほら~、やっぱり凄いよ。っていうか一生慣れない世界だわ・・・」 うーんと背伸びをしながらつくしが呆れたように息を吐き出す。 「でもさー、司と結婚したらこれが当たり前になるんだよ?」 「えっ?!」 「えって。だってそうでしょ?」 ようやく尻泳ぎを終えた滋がつくしの隣までやって来る。 「でもまだ結婚なんて・・・」 「えーっ? しないのっ?!」 「いや、そうじゃなくって。まだそこまでは早いって言うか・・・」 「でも道明寺さんはいつでもその気なんじゃないですか?」 「う・・・それは・・・」 否定できない。 何故なら帰国して真っ先に 「結婚するぞ」 と言われていたから。 当然学生の身分であるつくしが了承できるはずもなかったが、司としては卒業したらすぐにでもそうする気満々のようだ。 「したくないの?」 「いや、そういうことでもなくて、何て言うか・・・その・・・」 「怖じ気づいちゃったんですか? 身分の違いに」 「うっ・・・!」 図星をつかれて言葉に詰まる。 「まぁ気持ちとしてはわからなくないですけどね。私たちからみても道明寺さんは雲の上の人ですから」 「・・・だよねぇ」 「でもそんなの今さらじゃないの?」 「そうなんだけど・・・」 「けど何ですか?」 今さらなんだと言わんばかりに2人の鋭い視線がつくしにビシビシと突き刺さる。 「何て言うか・・・さ、あいつ、変わったよね?」 「は?」 「なんか、大人になったって言うか・・・」 「はぁ~? そんなん4年も経ってるんだから当然でしょ。10代と20代じゃ違うよ」 「うん、そうなんだけどそうじゃなくて・・・」 「内面のことを言ってるんですか?」 しどろもどろ上手く言葉にできないつくしの代わりに桜子が代弁する。 「・・・そう。なんて言うかさ、さっきみたいにすっごいくだらないことやったり、すぐ嫉妬したりするところは変わってないのに、ふとした瞬間突然あいつがもの凄く大人びて見えるときがあるんだよね。なんか、あたしの知ってる道明寺じゃないっていうか・・・」 「う~ん? いまいちよくわかんないなぁ」 「・・・私はなんとなくわかる気がします」 「えっ?」 首を傾げる滋の横で桜子が妙に納得したように頷いた。 「道明寺さんって昔から大人と子どもが混在しているような方でしたよね。赤札なんて貼ってた頃はまさに悪ガキがそのまま成長したような感じでしたし・・・。でも、一方で凄く引いた目を持ってるっていうか、実は誰よりも物事をクールに捉えてた人でもあって。まぁある意味では不思議なアンバランスさのある男性ですよね」 「そう! まさに桜子の言う通りなの!」 つくしはあまりにも的を射た指摘に思わず桜子の手をガシッと掴む。 「それで? 帰国したら大人の部分が一気に成長してたってことですか?」 「・・・・・・多分。なんか、一緒にいてほんとにあいつなの? って思うくらい大人びて見えることがあってさ」 「だって4年間もアメリカで頑張ったんだよ? 成長して当然じゃん」 「うん。そうなんだよね。そうなんだけど・・・なんか、一方で自分は全然成長できてないような気がして・・・何て言うか、さ」 「はぁ~・・・、またそうやって一人でグルグル考えちゃってるというわけですね」 「う・・・」 まるで説教をされているようで思わず小さくなってしまう。 「道明寺さんが大人になったのは先輩がいたからじゃないんですか?」 「えっ?」 「先輩を迎えに行くだけに相応しい人間になろうと努力した結果が今なんでしょう? 厳しい世界で相当頑張られたんだと思いますよ。それも全ては先輩、あなたと一緒にいるためじゃないですか」 「あたしと・・・」 「そうですよ。あの道明寺さんにそこまでさせられる女なんてどこを探したっていないんですから、もっと自分に自信を持ってくださいよ」 「そうだよーつくしぃっ! この美しくてナイスバディのあたしたちですら司はなびかなかったんだから!」 そう言うと滋が立ち上がってスタイルのいいボディをポージングしながら見せつける。 「ちょっ・・・滋っ! だから堂々と見せないでって言ってるでしょ?!」 「え~、別に減るものじゃないしいいじゃーーん!」 「まぁ先輩が堂々とできない気持ちはわかりますけどね」 桜子がお湯の中のつくしの体をじーーっと見ながらチクリと呟く。 「ちょっと、桜子っ!! 否定はできないけど言わなくていいでしょ!!」 「つくしって確かに出るとこはあんまり出てないしくびれもいまいちだけどさ」 「おいっ!」 「でも色は綺麗だよね~」 「・・・・・・はぁっ?!」 意味がわからずに変な声を出すつくしに滋がにニヒヒと笑って指で胸を突っついた。 「ほら、ピンクで綺麗」 「ぴっ・・・・・・!」 「あと小さいけど形はいいよね。肌も白くて綺麗だし」 「ぎゃあっ!! な、な、な、何言ってんのっ?!」 「えー? そこって結構重要なポイントなんだよ? 男からしたらピンク色って堪らないんだって」 「知らないよっそんなこと!」 「そうですよ、先輩。顔はいじって変えられても肌質は変えられないんですから。そこは先輩が大いに自信を持っていいところですよ」 「そうだよつくしぃ~! 司だって絶対喜んでるって。なんかさ、きもーち少しだけ胸も大きくなってない?」 「言われてみればそんな気もしますね」 「ぎゃーーーっ!! 触るなバカッ! 変態っ!!」 ツンツン指先でつっついてくる2人につくしは逃げ回る。 「あーーーっ、そういうこと言っちゃうんだ? そんな悪い子にはおしおきだよ!」 「えっ? ・・・ってぎゃああああああ!!!」 逃げ惑うつくしの後ろから滋がむんずと胸を鷲掴みにする。 「何すんのっ、アホかっ! 変態ぃっ!!!」 「うんうん、小ぶりだけど手触りはいいよ。司も満足してるって」 「知らないからっ!! っていうか離せぇえええええっ!!!!」 「ぎゃっ!!」 ドガッと思いっきり突き飛ばすと、滋の体が見事にお湯の中にダイブした。 今度は尻ではなく足先だけが出ていてまるでシンクロ状態だ。 「この変態共がっ!! あたしはもう上がるからねっ!!」 はぁはぁ息を切らしながらそう吐き捨てると、つくしは全身を真っ赤にして逃げ出した。 あっという間につくしがその場から消えたのと同時に滋が湯船から顔を出す。 「ぷはーーーーっ!! 死ぬかと思ったわ」 「滋さん、ちょっとやり過ぎですよ。先輩はその辺りの免疫が少ないんですからね」 やれやれと呆れ顔で桜子が溜め息をついても当の本人はケロッとしている。 「えー? 司に散々触られてるのに今さらでしょー。っていうかすんごく気持ち良かったぁ。なんか、男の人の気持ちがよくわかったかも・・・」 滋がほくほくしながら手をわしゃわしゃ動かす。 「はぁーーーっ・・・。先輩といい滋さんといい、完全にオヤジですね」 「なにっ?! 桜子っ! 聞き捨てならんっ!!」 「えっ? やだちょっと! やめてくださいよ!」 「やめんっ! その豊満な乳を揉ませやがれぃっ!!」 「いやですっ、やめてくださいっ!!!」 バシャバシャと逃げ惑う桜子を完全に変態化した滋が追い回す。 しばし騒がしい悲鳴が外に響き渡っていたが、やがてその声も自然と小さくなっていった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・なんつーかさ。時として女の方がすげぇって思うよな」 「・・・だな」 すぐ隣で事の一部始終を聞かれていたなんて事、女3人はゆめゆめ思いもしていないに違いない。 *** 「何やってんだ?」 「あ・・・道明寺。いや、綺麗だなーって。雪景色に見とれてた」 すっかりのぼせてしまったつくしは、ロビーのソファーに腰掛けながら窓の外に見えるライトアップされたゲレンデに見入っていた。そんなつくしに気付いた司が隣に腰を下ろす。 そのまま2人してぼんやりと外を眺める。 「こうした時間も貴重だね」 「俺としては2人っきりが良かったけどな」 「もー、またその話? たまにはいいじゃん! 友情だって大事にしなきゃだよ?」 「俺にとって一番大事なのはお前なんだから仕方ねーだろ」 「また・・・そういうことをサラッと言う・・・」 どうしてこの男は平然とそういう殺し文句を言えるのか。 パッと顔を逸らしたつくしを司が面白そうに覗き込んだ。 「お。なんだ、お前もしかして照れてんのか?」 「て、照れてないからっ!!」 「いや、顔が赤ぇ。なんだよ、可愛いとこあんじゃねーか」 司が急にニヤニヤと上から目線でつくしを見下ろす。 「だから違うってばっ! もう、ほんとにどいつもこいつもっ!!」 ポッカンポッカン胸を叩いても司の機嫌は良くなるばかり。 「今夜は俺の部屋に来いよ」 「えっ・・・? だ、駄目だよ! 今日は女部屋だって言ったでしょ」 「チッ・・・!」 「ちょっとそこっ! 舌打ちしない!」 「なんでお前と旅行に来てんのに部屋が別々なんだよ・・・」 司が心底面白くなさそうにブツブツ零す。 そう。 今夜の部屋割りは男と女で分けられていた。 とはいえ男4人が相部屋になりたがるわけもなく、彼らに関しては全員個室なわけだが、つくしら女性陣は一部屋で学生気分を満喫する気満々なのだ。 「こんな機会めったにないんだからさ。あたしこういう旅行もしてみたかったんだ。だから最終的に許してくれた道明寺に感謝してるよ。ありがとうね。それから、2人ではまた別に行こう?」 「牧野・・・」 キラキラと輝く目で見上げられて思わず司の頬が赤く染まる。 「お前・・・ほんっと卑怯な女だな」 「え?」 「ほんと手に負えねぇ女だよ。お前は・・・」 「え? 何が? え?!」 全く意味がわからないつくしのまわりにハテナが飛び回る。 司はそんなつくしの顎を掴むと、静かに自分の顔を近づけていった。 「え? ちょっ・・・道明寺?!」 「うるせー、黙ってキスさせろ」 「だ、だってここ、ロビーだからっ!」 「関係ねぇ。つーか俺たち以外誰もいねー」 「ま、まっ・・・!」 反対の手がつくしの後頭部に回されると、あっという間に凄い力で引き寄せられた。 もはや抵抗する術がない。 唇の先にほんの少し温もりがかすめた・・・・・・その瞬間。 「つくしーーーーっ! ご飯できたってーーー!!」 「ハッ?! はいいいいいっ!!!!!」 ドスッ!! 「どわっ?!」 滋の声にビクッと飛び上がった反動で思いっきり司の胸元を突き飛ばした。 と、大男が見事にソファーの向こうに転がっていった。 「あっ・・・ごめんっ!!」 「いってーな! 何すんだよ!」 「だって! 元はといえばこんなところでキスしようとする司が悪いんでしょ?!」 「あぁ? 意味わかんねー! 好きな女とどこでキスしようと自由だろうが」 「だめだめっ! あたしはあんたとは違うの! 誰かが見てるかもしれない場所なんてムリっ!」 「チッ、ほんと面倒くせぇ奴だな」 「ムッ! ほら、もういいからご飯行こ。お腹空いちゃった」 「色気より食い気かよ」 「そうそう。ほら行った行った!」 「バカ、押すんじゃねー」 口では文句言いつつも抵抗しない司の背中をグイグイ押しやると、つくしは楽しそうにその場を離れて行った。 *** 「あー、お腹いっぱい! あとはデザートだけだね」 「・・・お前ら見た目細いくせしてどこにそんだけ入るんだよ」 男でもお腹が破れそうなほどのフルコースをぺろりと平らげ、さらには目を輝かせてデザートを待つ女衆に総二郎がげんなりしながら言う。 「えー? デザートは別腹でしょ」 「いや、どう考えても同じ腹に入っていくだろ・・・」 「もう、いちいち細かいこと気にしないの! 食べられるものはありがたくいただく。それだけ。って、わぁ~、おいしそうっ!」 そうこうしているうちに目の前に出されたデザートにつくしの目がきらっと光る。 「杏仁豆腐か~。さっぱりしていいね! ・・・う~ん、おいしいっ!!」 「ほんとだ。甘すぎず後味さっぱりだね」 「これなら低カロリーでいいかもしれませんね」 カロリーを気にするなら食べなきゃいいんじゃないのか?というツッコミは呑み込んで。 デザートまでは食指が動かない男性陣は凄い勢いで口に運んでいく女達の勇ましさをただ呆気にとられて見ていた。 「白・・・ピンク・・・」 「ん? どうした? 類」 目の前に置かれた杏仁豆腐を見つめながらぽつりと類が呟く。 全員が意味がわからずそちらに注目すると、ふっと顔を上げた類の視線がつくしとぶつかった。 「・・・・・・え、何?」 類の言わんとすることがわからずにつくしも首を捻る。 「・・・白くてピンクって言ってた」 「えっ?」 「さっき、牧野のことを」 「あたしが? 白くてピンク・・・・・・?」 ますます意味がわからず類の手元に置かれた杏仁豆腐に視線を送る。 そこには真っ白な杏仁豆腐にぷりぷりのサクランボが載せられていた。 白くて・・・・・・・ピンク・・・・・・? 「・・・・・・あっ! もしかしてっ?!」 ガタガタガターーーーンッ!!! 滋が声を上げたのとつくしが立ち上がったのはほぼ同時だった。 「なっ、な、な、ななななななななななななっ・・・・・・?!?!!」 もはや意味不明な言葉だけを発するつくしの顔がみるみる真っ赤に染まっていった・・・かと思えば次の瞬間にはたちまち真っ青に変わっていく。 「あ、今度は赤から青になってる。面白いね」 そんなつくしを見て類はサラッと言った。 「えっ、何? もしかしてあの時類君達いたの?!」 「うん、いた」 「ちょっと! 女の子の話を盗み聞きするなんてひどいじゃない!」 「おいおい、お前らがデカイ声で騒いでたんだろうが。不可抗力だっての」 「え、ってことは花沢さんだけじゃなかったってことですか?」 「・・・まーな。司以外はいたな」 その言葉に滋と桜子があちゃーと頭を抱える。 「おい、何だよ? 何が白くてピンクなんだ?」 「いや、それはだな・・・」 全くわけがわからない司だけが置いてけぼりをくらっている。 そんな司に何ともバツが悪そうにあきらも総二郎も目を泳がせる。 「司ならよく知ってるんじゃないの? 牧野が白くてピンクなのか」 「あぁ?! だからさっきから何言って・・・・・・」 そこまで言いかけて司がハッとする。 見れば何とも気まずそうな4人に硬直したまま固まっているつくし。 「ま、まさかてめぇら・・・・・・」 ゴゴゴゴゴゴゴと地の底から湧き上がるような地響きが轟き始める。 「いやっ、司、誤解すんな! 俺たちは完全に不可抗力だ! 勝手に聞こえてきただけだっ!」 「違うよっ! あたし達だってまさか聞かれてるとは思いもしないんだもん! 聞こえてて黙ってる方がサイテーだよ!」 男対女でどっちが悪いの水掛け論が始まる。 「うるせぇっ!! てめぇら同罪だぁああああっ!!!!」 ガチャーーーーーンッ!!! 「うわあっ、バカ、司っ、やめろっ!!」 「きゃあーーーーーっ!!!」 怒りに震える司が力の限り立ち上がると、その勢いでテーブルの上に置かれたグラスが派手に倒れて割れた。司の怒りはなおもおさまらず今にもぶん殴りそうな勢いだ。 命が惜しい面々は必至で逃げ回る。 「落ち着け司っ!!」 「これが落ち着いてられっか! ざけんなよ! 類、てめぇもブッ殺すっ!!!」 あきらが必死で背後から止めにかかるが一人ではとても抑えられそうにない。 「くっ・・・! 今はとにかく牧野だろっ!!」 苦肉の策でつくしの名を呼ぶと、ハッと我に返ったように司がつくしを見た。 視線の先にはまるで石化したように硬直したままのつくしが呆然と立ち尽くしている。 どうやら信じがたい現実に、完全に魂が離脱してしまったようだ。 「おい牧野っ、行くぞっ!!!」 司はつくしの手を掴むとグイグイと引っ張っていくが、なおもつくしは石像のように動かない。 「・・・チッ!」 舌打ちすると司はつくしの体をまるで米俵のように担ぎ上げた。 「おい、司っ!」 「うるせーー! てめぇら邪魔したらぶっ殺す!!」 「うっ・・・!」 一撃必殺の睨みにそれ以上誰も何も言えなくなる。 司はドスドスと鬼のような足音を響かせると、完全に人形化してしまったつくしを担いだまま皆の前から姿を消した。 嵐が去った後のようにその場に取り残された全員が脱力する。 部屋のあちこちに落ちたグラスが散らばっている。 「やっべーな、司の奴マジギレしてたな」 「っていうか西門さん達も趣味が悪いですよ。聞こえてるなら早く言ってくれればいいのに」 「おいおいそれは筋違いだろう? 俺たちだってまさかあんな話になるなんて思いもしなかったんだから」 「つーか類! お前があんなこと言い出すからだろ? ・・・って、類?」 多少の罪悪感を感じているメンツを尻目に類は顔色変えずにただ一人椅子に座ったまま。 やがて手元の杏仁豆腐をひとすくいすると、パクッとそれを口に運んだ。 「・・・・・・うん、甘くておいしいね」 呆気にとられる仲間を気にもせず、一人ニコッと微笑んだ。 「いいやぁああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!!!」 つくしの断末魔の叫びが轟き渡ったのは、それからしばらくしてのこと。
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私をスキーに連れてって 前編
2015 / 01 / 25 ( Sun ) 「わぁっ?!」
ドザザザッ!! 「・・・・・・・・・もぉおおお~~~っ!!!」 つくしは雄叫びをあげるとその身をボフッと後ろに倒した。 勢いよく倒れていったが、柔らかくて冷たい感触がふわりとその身を受け止めてくれる。 「・・・・・・はぁ~、綺麗だなぁ・・・」 大の字に寝転がりながら上を見上げると、雲一つない真っ青な空が自分を見下ろしていた。 白と青のコントラストに思わず感嘆の息が零れると、吐き出した息もまた真っ白にとけていく。 ・・・・・・・シャーーーーーーーー・・・・ 「・・・ん?」 どこからともなく聞こえてくる音に首だけ起こして辺りを伺う。 ・・・・・・と。 シャーーーーーーーーーーッ ズザザザッ!!!! 「きゃあああああああっ?!!!!」 凄まじい音と共に襲いかかってきた真っ白な壁に、つくしの体が再び真っ逆さまに倒れ込んだ。 「・・・ははっ!」 「~~~~~~~~~っ! ちょおっとぉっ!!!!」 真っ白な中に怒り狂った真っ赤な頬が浮かび上がる。 「わりぃわりぃ。ほら、手ぇ出せ」 ヌッと差し出された大きい手を苦々しい顔で掴むと、あっという間にその体が引き起こされる。 「もうっ! 全然悪いと思ってないでしょっ?!」 「はははっ、思ってるって」 目の前の男は実に楽しそうにつくしの体に貼り付いた雪をはたき落としていく。 「絶対思ってないから! 何なのよその笑顔はっ!」 「お前もたいがいしつけーな。そうカリカリすんなよ」 「あんたが子どもみたいなことするからでしょっ?!」 「はははっ!」 「全く・・・!」 ぷりぷり怒りが収まらないつくしを宥めているのかはたまたからかっているのか、司は雪を落としながら頭をポンポンと撫でる。その顔は相変わらずニコニコ上機嫌だ。 「つくしぃ~~っ!」 「えっ? わぁっ!!!」 ズザザザザザーーーーっ!!! 声のする方へ振り向きざまに再び白い壁がつくしを襲う。 司が体を掴んでいたから倒れこそしなかったが、真っ正面からもろに喰らった格好だ。 「あちゃ~、ごめぇ~ん! えへへっ」 俯いたままぷるぷると小刻みに震えるつくしに滋がてへっと舌を出す。 「・・・・・・・・・・・・ちょおっとぉ!!!! あんた達はなんで皆そうなのよっ!!!」 「きゃーーーーっ!!」 「うおわっ!」 ガバッと顔を上げるとつくしはその辺にある雪をむんずと掴み、手当たり次第に投げ始めた。至近距離にいた滋と司の顔面に直撃してもなおつくしの怒りはおさまらない。 「バカお前、やめろっ!」 「うるさーいっ! 元はといえばあんた達がやったんでしょぉっ! しかも雪の量が比較にならないっての!」 「きゃーきゃー!!」 まるで小学生のように雪を投げ合いながらギャーギャー騒ぎ回る。 「おまえらなーーにやってんだ? ブッ!!」 「あっ! 美作さんごめんっ! でも今それどころじゃないから!」 騒ぎを聞きつけて近付いて来たあきらの顔面に雪玉がクリーンヒットする。 「あいつら何やってんだ?」 「・・・さぁな。とりあえず俺もお見舞いの一発をもらったわ」 「ははっ。つーか司がこんなことするなんて信じらんねぇな」 「ほんとですよねぇ。道明寺様が雪合戦とか・・・かなりレアな光景ですね」 三つ巴の激しいバトルを繰り広げる姿を物珍しいものでも見るように総二郎達が見ていたのを当の本人は知る由もない。 司が帰国して8ヶ月余り。 つくしの大学が休みに入ったこともあり、突然滋が旅行に行こうと言い出した。 最初は女だけの旅になる予定だったが、それに異議を唱えたのは司だった。 帰国したとはいえ、立場的に多忙を極める日々。さらにはつくしも大学最後の年ということもあり、2人が想像していたほどの甘い日々は送れていないのが現実だった。 だからこそ司としては何としてもこの冬につくしとの時間を作るつもりでいた。 そこにきて突然女共で旅行に行くなどとほざきだしたではないか。 人の苦労など知らずに嬉しそうに話すつくしに司は断固反対した。 が、つくしがはいそうですかと素直に聞き入れるはずもなく。 それからというもの 「行く」「行くな」 の押し問答は延々と繰り返された。 そこに折衷案を出したのが滋だ。だったら皆で行ったらどうかと。 当然の如く司は論外だとバッサリ切ったが、それとは対照的につくしは乗り気だった。 あのメンツで旅行ができるなんてそうそうないというのもあるが、つくしにとって純粋に大人数でどこかに出かけるということに憧れがあった。 中学まではともかく、高校・大学と英徳で過ごしているつくしは、実は修学旅行に行っていない。 修学旅行ですら数百万の費用がかかるからだ。もはや学生の旅行レベルではなく、牧野家にそんなお金があるはずもなかった。 ・・・まぁそれ以前にあの欲と虚栄心の塊の集団とどこかにでかけたいとも思わなかったのだが。 そういうこともあり、仲間内で行く旅が楽しみでしょうがなかった。 結局最後まで譲らなかったつくしに折れる形で司も参加することを渋々了承したというわけだ。 提案したのは滋だったが、最終的には道明寺家の所有するスキー場へとやって来た。当然ながらゲレンデも宿も完全貸し切りだ。 美男美女は何をやっても様になるらしく、一人転がりまくるつくしを尻目に、皆スイスイと真っ白なゲレンデを駆け下りていく。もしこれが一般客も混じったゲレンデだったら、認めたくはないがその場にいる誰もが釘付けになるに違いないほどカッコイイ。 天は二物を与えるとはなんて憎らしい! 最初はつくしにマンツーマンで滑りを教えていた司だったが、いつまでも自分につきっきりになってもらうことが気の毒で仕方がないつくしが半ば無理矢理司を上級者コースに追いやった。 そして超初心者コースでのんびりしていたところで・・・・・・今に至る。 「っていうか何で皆そんなに上手いのよ!」 雪合戦で疲れ切ったつくしが肩で息をしながら真っさらな雪の上に座り込んだ。 「なんでって・・・小さい頃からやってたから?」 「そうですね。うちも冬になると別荘に行ってよく滑ってましたからね」 「まぁ俺らも似たようなもんだな」 「つーか俺の場合基本的に最初から何でもできるからな」 お家自慢から能力自慢まで、途切れることのない答えに思わず溜め息が出る。 「はぁ~~、生粋のお金持ちなのね・・・っていうか金持ちでスポーツもできるって卑怯でしょ!」 「いや先輩、その理屈意味がわかりません」 「天は二物を与えないんじゃなかったの?!・・・あ、でも道明寺の場合性格に難ありなのか」 サラッと人格否定をされて司のこめかみがピクッと動く。 「んだと? てめぇ・・・喧嘩売ってやがんのか?」 「えー? でも事実でしょ? 極悪非道を生き字引でやってるような人間だったじゃない」 ピクピクッ 「我ながら何でこんな男と付き合うことになったんだろうって今さらながら不思議だわ~あははは」 ビキビキビキっ!! 「おい牧野、正面見ろ」 「え? ・・・ひっ!」 総二郎の言葉にフッと顔を上げて見ると、般若の様な顔で司が自分を見下ろしていた。 顔中に怒りマークを貼り付けて。 「てめぇ・・・」 「あ、あははは。 ちょっとバカ正直に言いすぎちゃった・・・?」 「・・・全然フォローになってねぇだろうがぁ!!」 「きゃーーーーーーーーーーっ?!!! バカバカバカ、離せぇっ!!!」 笑って誤魔化そうとするつくしに司がヒグマの如くぐわっと飛びかかる。 座った状態のつくしは抵抗する暇もなくそのまま雪の上に押し倒されてしまった。 ジッタンバッタン暴れても司はぴくりともしないどころか、かえって新雪の中に体が埋もれていく。 「ぎゃ~~! 埋もれるっ・・・助けてぇ~!」 「助けて欲しけりゃ訂正しろ。俺の人間性は素晴らしいと」 「む、ムリっ! あたしは嘘がつけない性格なのっ!」 「・・・・・・・・・・・・」 「あーーーーーっ、やめてぇっ! そこに乗られたらもう身動き取れないからっ。し、死ぬぅっ!」 「じゃあ言え。私の恋人は世界一格好良くて素晴らしい男性だと」 「・・・・・・嘘はつけな・・・ぎゃーーーーっ!!!」 「よし、じゃあその口を塞いでやる」 「アホかーーーっ! ひぇぇえええっ、ムリ、ムリぃっ! 桜子、滋っ、助けてぇ~~~っ!!」 上に乗ったまま迫ってくる顔につくしが必至でSOSを出すが、ウンともスンとも自分を助けに来てくれる気配はない。 「誰か・・・ぎゃーーーーーーっんむっ・・・・!!」 「・・・あー、あほらし。バカップルは放っておいて先に戻ってよっか」 「そうですね」 「夕食前に温泉でも入ったらどうだ?」 「あ~、それいいねっ! 楽しみ~♪」 悲鳴が沈黙に変わったのを背中で聞きながら、他のメンツは薄情にもさっさとその場を切り上げていった。 *** 「あ゛~、散々な目にあったわ・・・あいつら後で覚えてなさい!」 ようやくペンションへと戻って来られたつくしはヨロヨロと覚束ない足取りでウエアーを脱いでいく。 ・・・と、だだっ広いロビーに置かれたソファーから足だけが顔を出しているのが見えた。 「あれ? ・・・お~い、類? まだ寝てるの?」 「ん・・・?」 つくしが近付いて覗き込むと、顔に本をのせたまま腕組みした状態で類が惰眠を貪っていた。 つくしの声が聞こえると目をしぱしぱさせながらうっすらと目を開いていく。 「あれ・・・もう終わったの?」 「うん。っていうか何で類は滑らないの?」 「うーーーん・・・眠いから?」 ふああと欠伸をしながら気怠そうに答える。 「眠いからって・・・わざわざ何しにここまで来たのよ」 「うーーん・・・牧野と一緒にいたかったから?」 「えっ!!!」 思わぬ言葉につくしの心臓がドキッと跳ねる。 「・・・なんて言ったらどうする?」 まるでつくしの心を見透かしたように類がいたずらっぽく笑った。 「・・・・・・もうっ! ほんっとあんた達って性格に難ありだわっ!」 「あははは、 『達』 ってなに」 「そのまんまの意味だよ! ほんっと一癖も二癖もあるんだから」 「はははっ・・・・・・あ。」 「え?」 笑い転げていた類の視線がつくしの後方に向いたまま止まった。 つられるようにつくしも振り返って見ると、再び般若面した男がこちらへと向かってきていた。 「てめぇら、何いちゃついてやがる」 「ひっ・・・! 何言ってんの?! いちゃついてなんかないから!」 「うるせぇ。顔が近すぎんだよ」 確かに覗き込んだこともあり顔はかなり至近距離ではあった。 というかどれだけ目ざといんだ! 「別にいいじゃん。俺と牧野の時間を邪魔しないでよ」 「んだとぉ~?」 「ちょ、ちょっと類っ! なんでそういう言い方すんのよ!」 「何が? だってそうでしょ? 2人で楽しく話してたんじゃん」 「そ、それはそうだけど・・・って、ひぃっ!」 いつの間にか真横には氷点下の睨みをきかせた男が。 「お前・・・いい加減類って呼ぶのはやめろっつってんだろ」 「え? だってこれはもういつの間にか変わってたっていうか・・・」 「だったら早く俺のことも名前で呼びやがれ。どう考えてもおかしいだろうが。類が呼び捨てで俺が名字のままとか」 「う~・・・だって、そんなに簡単には変えられないもん。道明寺は道明寺だし」 ピクピクッ 「そうだよ。俺と牧野の絆なんだからいちいちヤキモチやくなよ」 「だから類っ! そうやって面白がらないで!」 「だって楽しいんだもん」 ピクピクピクッ! 類のからかいにトドメはつくしの呼び捨て。 墓穴を掘っていることなど気付かずにつくしは司の地雷をこれでもかと踏みまくる。 「・・・・・・てめぇら・・・」 「えっ? ひえぇっ・・・!!」 おどろおどろしい空気を纏った司につくしの危険センサーが激しく反応する。 このままではさっきの二の舞になりかねない。 類の目の前で押し倒してこれでもかと見せつけるような行為に及ぶ。 この男ならやる。 絶対にやる! 「あっ、あたしお風呂に入ってくるから! あんた達も入ったら? じゃあねっ!!!!」 「あっ、てめぇ待ちやがれっ!!!」 捨て台詞を残すとつくしは脱兎の如くその場から逃げ出した。 まだウエアーを身につけたままの司がいつものスピードが出せずにもたつく間にあっという間に視界から消えていく。 「くっそー、あの女。後で覚えてやがれ!」 頭をガシガシと掻きながら苦虫を噛み潰したようにそう吐き捨てると、面白くなさそうに司も引き上げていった。 「・・・どうしてわざわざ来たのかって? こうやって面白いもんが見られるからに決まってるじゃん」 類は再びその体をソファーに横たえると、堪えきれないように肩を揺らして笑い転げた。
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