明日への一歩 37 完
2015 / 02 / 19 ( Thu ) 「う゛ぇ゛っ、う゛ぐっ・・・」
「ぐずっずびっ、ずずっ・・・」 「しくしくしくしく・・・・・」 「・・・・・・・・・」 目の前で延々と繰り返されていくまるでお通夜のようなやりとりに司が呆れたように溜め息をついた。 「おいつくし、気持ちはわかるがこのままじゃ一生日本に帰れねーぞ」 「う゛っ・・・わか、わがっだ・・・・・・ずびびびびびびびっ!!」 司をもってしても思わずたじろいでしまうほどのその盛大な泣きっぷりに、またしても周りを取り囲むように集まっていた人間が一斉にもらい泣きを始めた。 まるでビデオのリピート機能がぶっ壊れたかのようなその光景に、さすがの司も天を仰ぐ。 「ほらほらあなた達、きちんと笑顔でお見送りしなくてどうするのです? あなた達の仕事は一体なんですか?」 「中野さん・・・は、はぃっ・・・! グスッ」 使用人頭の中野が宥めつつも叱責すると、その場にいた全員が涙を拭い始めた。 そして一様につくしへと笑顔を向ける。 「牧野様、・・・いえ、つくし様。日本でもどうぞお元気で。そしてまたこちらのお邸に来られる日を今から楽しみにお待ちしております」 「うぅっ・・・」 「つくし様の花嫁姿、今から待ち遠しいです。さぞお綺麗なことでしょう」 「うぇっ・・・」 「結婚式の日は私たちもこのお邸で正装して特別な気持ちで過ごさせていただきますから」 「ひくっ・・・」 「「「「「「 どうぞお幸せに 」」」」」」 「えぐえぐえぐっ・・・・・・」 いつまで経ってもむせび泣いてまともに言葉を発することすらできないつくしを見かねた司が後ろからその肩に手を置いた。 「おい、つく・・・おわっ?!」 肩に手が載せられたのと振り向きざまにつくしが突撃してきたのはほぼ同時だった。 まるで昨夜の再現のようにつくしが自分へとしがみついてくる。 昨日と違うのはつくしが笑っていないという点だけだ。 「つか、つか、づがざぁ~~~~~~~っ!!!!」 「・・・づがざって誰だよ」 「さび、さび、さ、さ、ざびじいよ゛ぉ~~~~~~っ!!!」 「わーった、わーった。わかったからいい加減落ち着け。 な?」 「う゛ぅっ、わ、わか、わがっ・・・うぅ゛~~~っ」 しがみついてまだほんの数秒だというのに、既に司の胸元はびっしょりだ。 呆れたように笑いながら何度も何度も根気よく背中をトントンと叩く。 その姿はこういうときのつくしをどう扱えばいいか全て理解しきっているという2人の絆の深さを感じさせて、余計に使用人達の涙を誘った。 「・・・ほら、ちゃんとお前の口から挨拶するんだろ?」 「う、うん・・・」 5分ほどが経過した頃ようやく落ち着いてくると、司はつくしの体をそっと離した。 背中に添えられたままの大きな手に勇気をもらうように、つくしは大きく息を吸いんでから吐き出す息と共にゆっくりと話し始めた。 「皆さんには本当によくしていただいて・・・もう何とお礼を言っていいのか・・・」 そこまで話して再び大きな瞳にみるみる涙が溜まっていく。 だがグッと唇を噛みしめてなんとかそれを堪えると、つくしは言葉を続けた。 「7年前に一瞬だけやって来た私のことを覚えてくださってた方もたくさんいらっしゃって・・・あの時はこんな未来が待ってるだなんて思いもしなかったけど、こうしてまた皆さんのところに戻ってくることができて本当に幸せでした。これからしばらくは日本での生活が中心になりますけど、また必ずこちらでお世話になりますから。どうかその時にまた今いる皆さんとお会いできることを願っています。手紙もたくさん書きます。・・・・・・本当に・・・ありがとっ、ござ・・・ま・・・っ」 最後の最後で我慢の糸が切れてしまうと、それ以上の言葉を紡げなくなってしまった。 司がそんなつくしの体を引き寄せると、まるで待ち構えていたかのように再びしがみついてきた。そのつくしの姿に使用人達は泣きながらも笑っていた。 「つくし様、私たちも本当に幸せな時間をいただきました。日本に帰られるのは寂しいですが、それと同時にこの上なく嬉しく思っています。どうぞ司様といつまでもお幸せに・・・。そしてまたここに来られる日を今から心待ちにしております」 「は・・・はぃ゛っ・・・!」 もう顔を上げることすらできないつくしは司の胸の中でぶんぶんと何度も何度も頷いた。 「司様、NYでの勤務、本当にお疲れ様でした。つくし様とお幸せに」 「あぁ。こっちのことはお前らに任せたぞ」 「えっ? ・・・はい! しかと承りました」 初めてもらう主人からの労いの言葉に、一瞬だけ言葉に詰まった中野が満面の笑みで微笑んだ。 「皆さんっ、本当にありがとう、どうかお元気でっ・・・!!」 遠目に見える使用人達につくしは力の限り手を振り尽くす。 あれから、結局敷地内にある滑走路まで全員が見送りに来た。 司一人なら絶対にあり得ない状況に一体どういうことだと苦笑いしつつも、そうさせてしまうつくしが誇らしくもあった。不細工な泣き顔なんて気にも止めず、ひたすらに使用人達に力の限り手を振る、そんなつくしだからこそ慕われるのだ。 やがてジェットが助走を始めるとみるみる彼らの姿が小さくなっていく。 その姿を少しでも見届けようと窓に貼り付きながら、つくしは最後の力を振り絞って叫んだ。 「ありがとうっ!! また会う日まで・・・っ!」 その言葉と同時に完全に見えなくなると、フワリと体が宙に浮かんだ。 「うっ・・・うっうっ・・・うぅ゛~~~っ・・・・・・」 顔を覆って泣き崩れたつくしの体をすぐに引き寄せると、司は震える体をぎゅうっと抱きしめた。 完全に委ねるように寄りかかってきた体をゆっくりゆっくり摩っていく。 「うぅっ・・・日本に帰るまでの間ずっと泣いちゃうよ・・・」 「おー、気が済むまで泣けよ。どうせブサイクなのは変わらねぇんだから」 「うっ、うるさいよっ・・・!」 「ははっ」 口では怒りながらも、つくしはしがみつく手にさらに力を込めていく。 それを当然のことのように司がサラサラと髪を梳く動作に、安心感でますます涙が止まらなくなった。 ・・・・・・・・・・ 「・・・・・・誰が日本までの間泣きっぱなしだって?」 ふっと目があったSPの一人が一瞬固まった後にハハハと苦笑いする。 他のSPもどこか口元が緩んでいるように見えるのは気のせいだろうか。 「・・・ったく。どこまで行ってもお前はそういう奴だよな」 ピーピー泣いていたのもものの数分、何のコントかと思うほど気持ち良さそうな顔で眠りこける女の姿に、司はクッと喉を鳴らすとあらためて腕の中の存在を抱きしめた。 *** 「あっ! ねぇっ、見えてきたよ! 見えてきたよっ!!」 「わーーってるから、ちったぁ落ち着け!」 ほんの少し前までぶっ通しで寝こけていたくせに、起きて早々やいのやいの興奮冷めやらないつくしに司が呆れかえる。 「だって・・・いよいよ皆に会えるんだよ? タマさんは元気かなっ? 皆はっ?」 「いいからちょっと落ち着けっつの!」 腕を掴んでぐらんぐらんに揺らしまくるつくしにいい加減司もげんなりだ。 そんな様子を見て必死でSP達が笑いを堪えていることにつくしが気付くはずもなく。 そうこうしているうちに滑走路がどんどん大きくなり、やがてジェットがその地へと降り立った。 体が揺れたのは着地の振動のせいか、それとも自分の暴れ回る心臓のせいなのか。 あれだけ騒がしかったというのに、いざ降り立った途端つくしの口数がぴたりとおさまってしまった。 「ほら、お待ちかねだったんだろ。行くぞ」 「う、うん・・・っ」 司に背中を押されるまで動くことすらできず。 ゴクッと大きな音で喉を鳴らすと、震えながら一歩ずつ足を踏み出した。 「あ・・・!」 扉をくぐりタラップに足をかけたとき、つくしの目が大きく見開かれた。 「「「 司様、牧野様、おかえりなさいませ!! 」」」 何故なら、元来邸で待っているはずの人間がほとんど全員と言っていいほどそこに並んで待ち構えていたから。懇意にしてくれていた使用人の本田、運転手の斉藤を筆頭にズラリと。 そして・・・・・・ 「無事に帰ってきたようだね」 カツン・・・ 懐かしく響いた音に続いてササーッと開けた使用人の奥から出てきた人物が一人。 「お帰りなさいませ。 坊ちゃん、つくし」 「・・・・・・・・」 タラップに一歩かけていた足がそのままの状態で固まってしまっている。 後ろから伸びてきた手が背中に触れてようやく我に返ると、つくしはあらためて目の前に立つ人物を正面から見つめた。 「た・・・タマさんっ!!!」 一気に込み上げてくるものに耐えられなくなったつくしは、気が付けば全速力でその場を駆けていた。そしてニコニコと、本当の祖母のように優しい笑顔で待ってくれている人の元へと向かう。 やがてギュウッとその小さな体を抱きしめると、実際どっちが小さいのかわからないほどに顔をうずめてわんわんと声を上げて泣いた。 「タマさん、タマさん、タマさぁ~~~んっ・・・!!!」 「やれやれ、一体どうしたんだい? これじゃまるで赤子じゃないか」 ここまで感情を剥き出しにして泣く姿を見るのはタマも初めてのことだった。 思わずもらい泣きしそうになるが、さすがはそこは年の功。 感情を上手くコントロールして平常心を装うと、子どものように泣き崩れるつくしの体をそっと離した。もともと泣き通しだった顔は既に凄い見た目になっている。 「おやまぁその顔は一体どうしたっていうんだい? どこの誰かわからないじゃないか」 「グズッ・・・牧野つくしです・・・」 「え? ・・・わっはははは! そうかいそうかい、あんたは相変わらず面白い子だねぇ」 「タマさんも相変わらずお元気そうで良かったです」 「当たり前さね。あんたと坊ちゃんの赤子をこの手に抱くまではあたしゃーくだばらないよ」 「へ? ・・・あはっ、なんですか、それ」 タマの一言に流れていた涙が引っ込んでしまうと、つくしは盛大に笑った。 その笑顔を見てタマも嬉しそうにうんうんと大きく頷く。 「つくし、あんたのNYでの頑張りは聞いているよ。よく頑張ったね」 「タマさん・・・」 「坊ちゃんも、お疲れ様でございました」 「あぁ。タマも相変わらずくたばりそうにねーな」 「当然でございますよ。まだまだやることは山ほどありますからね」 「くっ、そうかよ」 つくしの隣に立つと、司は満足そうにフッと笑った。 「タマ、あの件はどうなってる?」 「もちろんいらしゃってますよ。 ・・・どうぞこちらへ」 司の言葉にタマが後ろを振り返って誰かに語りかけた。 少しの時間を置いて使用人達の影から出てきた人物に再びつくしの顔が驚きに染まる。 「え・・・?」 「つくし・・・」 「ぱ、パパ、ママ・・・進・・・?」 突然現れた3人につくしは驚きのあまり言葉もない。 彼らにはNYから何度も手紙を出していたが、今日ここに来るなんて話は聞いていない。 一体どうして?! 「つくし、おかえりなさい。そして道明寺さん、つくしがお世話になりました」 3人が司に向かって深々と頭を下げる。 「え・・・どうしてここに?」 よく状況が掴めないでいるつくしに千恵子が笑いながら言った。 「道明寺さんにぜひ来てくださいとお声をかけてもらったんだよ」 「・・・え?!」 予想外の言葉に司を見上げると、彼は表情一つ変えずに涼しい顔をしている。 「以前から道明寺さんは事あるごとに色々と気にかけてくださってたんだ。つくしがNYに行くのにあわせて東京に戻ってきませんかとも何度も言ってくださっててね」 両親の口から出てくるのは初めて聞く事実ばかり。 「でもすぐに甘えさせてもらっちゃつくしに会わせる顔がないと思ってね。ずっとお断りしてたんだよ。・・・でも今回帰国するにあたってつくしのためにもやっぱりこっちに戻って来てくださいって頭を下げられてねぇ・・・」 「えっ・・・?!」 司が?! パパとママに?! 「そこまでしてくださるのをこれ以上無碍にはできないと思ってね。ありがたくこっちに戻らせてもらうことにしたのよ」 「そ・・・そうなの・・・?」 「・・・なんだよ? 当然のことをしたまでだろ?」 何と言ったらいいのか。 自分の知らない間にそんなことを彼がしていたなんて。 胸が熱くなって何も言葉にすることができない。 「今は進と3人で都内の一軒家に住まわせていただいてるんだよ。お邸にも誘われたんだけどね、さすがにそれは丁重にお断りさせてもらったんだ。・・・つくし、お前は本当に素敵な旦那さんに巡り会えたな」 「パパ・・・」 「姉ちゃん、おめでとう」 「進・・・・・・グズッ・・うっ、うえ~~~~ん!」 一旦引っ込んだ涙が滝のように溢れ出すと、予想通りとばかりに全員が笑い出した。 司はそんなつくしの肩を引き寄せながら、晴男と千恵子にあらためて向き合った。 そのオーラに満ち溢れた眼力に思わず3人の背筋がピッと伸びる。 「お父さん、お母さん、約束通り娘さんをいただきます。よろしいですね?」 「司?!」 いきなり何を言い出すのだろうか。 約束? 一体いつ、何の? 驚くつくしをよそに晴男と千恵子が大きく頷いた。 「もちろんです。色々と至らないところがあるかもしれません。でも世界の誰にも負けない心根の美しさをもつ自慢の娘です。どうぞあなた様のお嫁さんにしてやってください」 「パパ・・・」 「末永くよろしくお願い致します」 そう言うと、あらためて3人が深々と頭を下げた。 「こちらこそこんなに素敵な娘さんに出会わせてもらえたこと、心より感謝します。一生大切にすると誓います」 「司・・・」 「道明寺さん・・・」 つくしの涙腺は崩壊、それ以外の3人も瞳が潤んでいた。 そしてそれを見守っていた周囲の人間達も皆。 あんなに荒れていた日々が嘘のように、誰もが認める一人前になった男がここにいる。 それは全てつくしに出会ったあの日から。 幾多の荒波を乗り越えて辿り着いた場所には笑顔が、涙が溢れていた。 決して平坦な道のりではなかったからこそ、その幸せの尊さに気付くことができるのだ。 「・・・よし。それじゃあお父さん、お母さん、例のものは準備していただけてますか?」 「例のもの・・・?」 「もちろんです。こちらをどうぞ」 またしてもわけのわからないつくしを置いて何やら会話が進んでいく。 千恵子が鞄の中からごそごそと取りだしたものを司に差し出した。 司は受け取った封筒の中身を開いて満足そうに頷いた。 「確かにお預かりしました。ありがとうございます」 「ねぇ、何のこと?」 つくしがクイクイっと袖を引っ張ったのと司がつくしを見たのは同時だった。 「区役所行くぞ」 「・・・えっ?!」 いきなり飛び出したセリフに思わず声が裏返る。 何故今その展開になる?! 「何驚いてんだよ。帰国したらすぐ入籍するぞっつってただろ?」 「い、いや、それはそうだけど・・・まだここ飛行場だよ? まずはお邸に帰って、色々と落ち着いて後日ゆっくりとでも・・・」 「バーーーーーーカ。誰がそんなに待つかよ。お前の気が変わりでもしたら冗談じゃねぇからな」 「なっ! そんなことあるわけないじゃん!!」 「いーーーや。歩く事故発見器のお前はいつどこでどんなトラブルを引き起こすか油断もへったくれもねぇからな。お前を法的にも守るためにも今すぐ入籍する」 「・・・・・・」 そう宣言した司の顔は真剣だ。 対照的につくしはあんぐりと口を開けて驚くばかり。 ・・・って、事故発見器って何なんだ! 失礼にもほどがあるじゃないかっ!! ・・・・・・いや、あながち間違っていないだけに反論できない。 トホホ。 「で、でも、すぐに入籍するって言っても色々手続きがあるでしょ?!」 バサッ 「え・・・?」 尚も言葉を連ねるつくしの目の前に差し出されたもの。 それは・・・ 「う、うそ・・・! 一体いつの間に?!」 「こんなんとっくだっつの。言ったじゃねーか。ババァだってとっくに俺たちを認めてたんだって。アメリカから送ったものにお前の両親のサインをもらって今日持ってきてもらったんだよ」 うそ・・・嘘・・・! これって、これって・・・・・・正真正銘の婚姻届だ。 当事者の欄こそ空白となっているが、証人欄には既に楓と晴男の署名が記されている。 一体いつの間に?! つくしは信じられないような顔でもう一度司を見上げた。 そんなつくしにしたり顔で笑うと、司はつくしの左手を自分の口元まで持ち上げてそっと指輪にキスを落とした。 「俺と結婚しろ。 今すぐ」 真っ直ぐに。 突き抜けるような眩しい視線でつくしを見つめる瞳から視線が逸らせない。 その視線だけで愛してるという言葉が心に突き刺さってくる。 「・・・ぷっ、結婚してください、の間違いでしょ?」 つくしの強気な言葉に思わず司の口元もフッと緩んだ。 「・・・いいよ。あたしがあんたを幸せにしてあげる」 ビシッと指をさして宣言すると、司がニッと不敵に微笑んだ。 「言っとくけど。幸せにしてやるのは俺の方だ」 思ってもいない返しにつくしが目を丸くしたが、すぐにそれは笑いに変わった。 「プッ・・・あはは! ここでも張り合ってどうするのよ」 「あぁ? 愛情ならぜってー負けねぇんだよ」 「そこで勝負する意味がわかんないから」 アハハハとお腹を抱えて笑い転げるつくしの手を握ると、驚いたつくしが司を仰ぎ見た。 「じゃあ行くぞ」 「・・・・・うんっ!」 大きく頷いて見せた笑顔は、その場にいた誰をも幸せに満たしていった。 泣きすぎて瞼は腫れ、鼻も赤く、普通に見れば酷い有様だったはずなのに、その笑顔は薬指に輝く指輪にすら負けないほどキラキラ眩しく輝いて見えた。 その笑顔がうつったように司も心からの笑顔を見せると、つくしの手を引いてゆっくりと歩き始めた。誰が言ったわけでもないのに彼らを祝福するようにそこにいた人間が花道を作っていく。 「行ってらっしゃいませ!」 「おめでとうございます!」 「おめでとうございます!」 「末永くお幸せに!」 次々に降ってくる祝福の言葉は、まるで目に見えない花吹雪のようだった。 *** 「あ~もう、サプライズが多すぎて心臓が止まりそうだよ」 飛行場に準備されていたリムジンに乗り込むと、つくしがはぁ~~っと大きく息を吐いた。 その右手はつかさの手によって指と指を絡ませてしっかりと握られたまま。 「・・・司、ありがとうね」 「なにがだよ」 「両親のこと。あたし、何も知らなくて・・・」 「お前をもらうんだから男として当然のことをしただけだろ? お礼を言われることじゃねーよ」 「ううん、それでも嬉しかった。・・・本当にありがとう」 そう言って微笑むと、司の頬がほんのりと赤く染まった。 「・・・チッ、お前その目やめろ」 「え?」 「ムラムラすんだろ。今はやめろ」 「・・・・・・はぁっ? 何言ってんの? バッカじゃない?!」 こっちは真剣にお礼を言っているというのにこの男は一体何を言い出すのか。 心底呆れかえる。 「うるせぇ。お前にはわかんねぇかもしんねーけどな、その顔は男の下半身に響くんだよ」 「かっ・・・?! っもう、バカッ! 雰囲気ぶち壊しじゃん!」 「うるせー! お前が何と言おうとそうなんだから仕方ねーだろ!」 「バカバカバカバカ! このエロ魔神っ!!」 自由の効く手で司の胸板をポコポコと叩いていると、その手を掴まれてグイッと引き寄せられた。勢い余った体がそのまま司の胸元にぶつかる。 「アタタタ・・・! 鼻っ! 潰れたからっ・・・!」 文句を言いながら顔を上げたらすぐ目の前に司の顔が迫っていた。 この顔は・・・・・・ ヤ バ イ それを見た瞬間つくしの危険レーダーが凄まじい警戒音を轟かせ始める。 「あ、あのっ・・・!」 「いいか。これから入籍して、邸に戻ったら・・・」 戻ったら・・・? その続きを聞くのが恐ろしすぎてゴクッと唾を飲み込んだ。 「ソッコー中にぶち込んでやるからな。 覚悟しておけよ? 」 中・・・? ぶち込む・・・? 何を・・・ 何・・・ ナニ・・・ ナニっ・・・?! 「#$&%!*#っっっっ???!!!!」 囁かれた耳元を押さえてつくしが一瞬にして真っ赤に染まっていく。 司はそんな反応に実に満足そうに笑うと、ペロリと思わせぶりに舌舐めずりをしてつくしに見せつけた。 ・・・あぁ、神様。 私は明日無事に生きていることができるのでしょうか。 どうかあなた様のお慈悲を。 私、牧野つくしは今日、道明寺つくしになります。
「明日への一歩」はこれにて完結となります。毎日たくさんの応援を本当に有難うございました。 2人の婚約発表の日はドッカンドッカン拍手が増えていきましてかなり驚きました(笑)多分うちの作品で一番拍手が多い話になったんじゃないのかな~と。原作好きの皆さんが求めて止まなかった場面ってやっぱりこういうところなんだなぁと実感しました。 さて、NY編も終わりこれからは新婚編へと突入予定です。(って需要ありますかね?(@@;)) その前にまずは単発の番外編をお楽しみいただけたらと思ってます。 最初は最終回でも出てきた牧野家と司の知られざるやりとりを描く予定です。お楽しみに(*^o^*) |
明日への一歩 36
2015 / 02 / 18 ( Wed ) 「こちらのデータを一括していただけますか?」
「はい、わかりました」 西田から渡された書類を脇目も振らずパソコンへと入力していく。 もともとその真面目さはとうに西田の認めるところではあったが、今日はその比ではないほどにつくしの目は真剣そのものだった。 まるで血走っているような、そんな気迫が漲っている。 それもそのはず。 今日のつくしはそれほど気を張っていないとまともに仕事すらできそうになかったのだから。 色んな事があった道明寺ホールディングス本社での時間が、今日ついに終わりを迎える。 そして明日にはアメリカを発つ。 そう考えるだけで、ここ数日つくしの心はずっと落ち着かなかった。 たった半年、されど半年。 その間にあった様々な出来事が走馬燈のように思い出され、ふと思い出すだけで涙が溢れそうになる。だから今日は朝からずっとこれでもかと気を張って生活していた。 ちょっとでも気をぬけばたちまち崩壊していくに違いないから。 絶対に仕事は最後まで責任をもってやり通す。 ここはつくしが何が何でもこだわりたいところだった。 立つ鳥跡を濁さず。 仕事が終わるまでは絶対に私情を持ち込まない。 その思いが今日の並々ならぬ気合の籠もったつくしをつくりあげていた。 「悪かったな」 「え?」 出先から社に戻るリムジンの中で突然の謝罪を受け、書類に落としていた視線を上げる。 「本当なら今日は秘書課の奴らと一緒に過ごしたかったんだろ?」 「あ・・・ふふっ、そんなこと気にしてくれてたの?」 「いや、お前ならきっとそうなんじゃねぇかと思って」 このところ、時間さえあえば秘書課の人間と過ごすことが多かった休憩時間。 それも今日が最後だった。 だが最後になるのはどこも同じ。 昼前からは特に懇意にしてもらった所への挨拶回りで今日のほとんどが終わってしまった。 「ううん、いいの。むしろ一緒にいない方がいい」 「? なんでだよ」 「だって・・・絶対泣いちゃうもん。そしたらその後仕事にならないでしょ? だから今日は外回りの仕事が入っててむしろ助かったくらい」 「・・・」 「ほら、何の秀でた能力もないあたしだけどさ、真面目さだけは胸を張れると自分で思ってるから。だからここでの仕事も最後まできっちりやり遂げたいんだ」 「・・・そっか」 「うん」 力強く頷いたつくしにフッと目を細めると、司はその頭をグイッと自分に引き寄せた。 突然のことに無抵抗の体が倒れ込むようにして司にのしかかる。 「な、なに?! 書類が見れないよっ・・・」 「いいから。どうしても見たいなら膝枕で見ろ」 「膝枕でって・・・そんな行儀の悪い」 「俺がいいっつってんだからいいんだよ。こんなことお前にしかしないんだからありがたく思え」 勝手に人を引っ張り倒しておきながらありがたく思えとはこれいかに?! 「もうっ・・・! じゃあスーツによだれつけちゃお」 「おー、好きなだけやれよ」 「ぷっ! そこは慌てて止めるところでしょ?!」 「別にお前のなら何でも構わねーし」 もう・・・! 本当に、ぶっきらぼうな優しさが身に染みる。 ここで普通に優しくしたら余計切なくなるとわかっているからこそ。 こうしてわざとふざけるように仕向けているのだ。 「・・・・・・ありがと」 「お礼は夜に体で返せ」 「・・・ふふっ、やだよーだ」 むず痒くなるような気恥ずかしさを感じながら司の膝の上に頭を置くと、つくしはその優しさを噛みしめるようにゆっくりと目を閉じた。 *** 「・・・えっ?」 帰社早々、西田に来るように言われて部屋を移動したところでつくしの動きが止まる。 てっきり残された仕事があるのだろうと慌ててやって来た場所には、秘書課の人間が全員並んで立っていた。立場上、誰かしらが欠けていることがほとんどなため全員が揃うことはかなり珍しい。 「あ、あの・・・? きゃっ?!」 パンパンパーーーーンッ!! 現状が理解できずに戸惑いがちに声を発したつくしを突然凄まじい破裂音が襲った。 心臓が飛び出すほど驚いたつくしの顔はこの上なく間抜けだ。 「牧野さん、今日までお疲れ様でした」 「・・・へっ・・・?」 中央に立っていたベティが一歩前に出ると、後ろ手に持っていた花束をつくしに差し出した。 色とりどりの花が所狭しと並べられている特大サイズだ。 「そして副社長とのご婚約、本当におめでとうございます。これは秘書課全員からです」 その言葉と同時に一斉に拍手が沸き起こるが、つくしはすぐに反応することができない。 頭には先程飛んできたクラッカーの紙くずがびろーーんとぶら下がってしまっていて、それはそれは情けない姿になっているに違いない。だというのに、それを取ろうとすら思わない。 ・・・いや、動けない。 「くすっ。 紙くず、凄いことになってるから」 笑いながらベティがパラパラと紙くずを振り落としていく。 つくしがゆっくりとそちらを見ると、視線のぶつかったベティがニコッと笑った。 「あなたと過ごした半年間、本当に楽しかったわ。副社長夫人となるあなたではなく、これは一友人としての気持ちよ」 「ベティさ・・・」 そこまで言いかけたところでつくしの瞳からぼろっと大粒の涙が零れ落ちた。 それはまるでここ数日ずっと張り詰めていた気持ちがぷつりと切れてしまったかのように。 最後までちゃんとするとあれだけ決めていたというのに。 ・・・・・・もう無理だ。 「牧野さん、色々と嫌がらせをしてしまったこと、本当にごめんなさい」 「あの時はどうしてあなたが?!って悔しかったのは事実だけど、実際あなたと過ごしてみてよくわかったわ。何故副社長があなたに惹かれたのかが」 「またいつかこっちに来る日を楽しみに待ってるから」 「落ちた食べ物は3秒以内ならセーフ。また他にも色んなこと教えてちょうだいね」 泣き出したのを合図にしたように、つくしの周りを取り囲むようにして全員が集まってくる。 次々にかけられる言葉は 「副社長夫人」 ではなく 「友人牧野つくし」 へのありのままの言葉だった。そこには遠慮も余計な飾りもない、等身大の言葉。 「うぅ゛~~~~っ・・・ずるいっ! このやり方は卑怯でしょぉ!」 そう言って泣き崩れるつくしにその場にいた全員が笑う。 と同時に涙ぐむ。 「あなたがアウトサイダーとしてここにやって来て強烈な反感を買ったのは事実。でも最後にはそれを全てひっくり返して全員の心を掴んだのも事実。あなたがどこにいても私たちは永遠に友人よ」 「そっ、それも卑怯~~~!!」 「あははっ、そうかしら?」 ベティはぐちゃぐちゃの顔で文句を言うつくしの体をそのままハグした。 「本当に楽しかった・・・ありがとう、つくし」 「うっ・・・・・・うわーーーーーーーーーん! ベティぃいぃ~~~~っ!!」 完全にダムが決壊すると、つくしは目の前の豊満なボディにひしっとしがみついた。 鼻水がつこうがファンデーションがつこうがお構いなし。 自分の数倍はあるであろう谷間に顔を埋めると、子どものようにわんわんと声を上げて泣いた。 「・・・落ち着いた?」 「・・・・・・う゛ん。あ゛りがと」 「・・・ぷっ! 顔ひどい」 ようやく落ち着いてきたつくしの体を離すと、目に入ってきた見るも無惨な顔に堪らずベティが吹き出した。 「・・・いいの。もともと大した顔じゃないから」 「あははっ! 何それ」 つくしはズビッと鼻をすすると、自分を囲むようにして立つ全員を見渡した。 そして大きく深呼吸してからゆっくりと口を開く。 「皆さん、こうして送り出してくれて、本当にありがとうございます。今日は最後まで絶対に泣かないって決めてたんですけど・・・やっぱり無理でした。・・・だって、こんなんで泣くなって方が無理だもん!」 早速恨み節に変わったつくしに全員が吹き出す。 「ここに来て色々あったけど・・・皆さんが私に対して反感を抱いたのは当然のことだと思ってます。でも、最終的にこうして皆さんと同僚として、そして友人としてかけがえのない時間を過ごすことができて本当に楽しかった。私は確かに副社長と結婚します。・・・でも、私が私であることはこれから先何一つ変わらない。だから、一個人として接してくれることが私にとっては何よりも幸せなことなんです。たとえいつか社長夫人になるときが来たとしても・・・ずっと変わらないでいて欲しい。我が儘かもしれないけど、それが私の唯一の願いです。半年間本当にありがとうございました!」 言葉が途切れないように一気に言い切ると、つくしは思い切り頭を下げた。 今度は泣かずに最後まで。 「・・・副社長、彼女のことをどうぞよろしくお願いします」 「えっ?!」 思わぬ言葉にガバッと振り返ると、いつの間に来ていたのだろうか、司が壁にもたれ掛かるようにしてこちらを見ていた。 「なっ・・・?! いつからっ?!」 「いつからって・・・お前がヒーヒー泣き出したときには既にいたけど?」 「ひ、ヒーヒーって・・・」 「違うのか?」 「・・・ち、違わない・・・けどさ」 声の小さくなっていくつくしにクッと笑うと、長い足であっという間につくしのところまでやって来た。 「副社長もNY勤務、お疲れ様でした。またいずれこちらに来ることもあると思いますが、それまでしっかり私たちも精進します」 「・・・あぁ」 頭を下げた一同に司が無駄のない返事をする。そんな司にベティが続けた。 「それから、その時は是非つくしも連れて来てください。秘書という形でも何でも構いません。どんな形でもいいから彼女に会いたいんです」 「ベティさん・・・」 ベティはつくしの方を見るとニコッと笑って頷いた。 そんなやりとりを見てクッと笑うと、司はつくしの頭にポンポンと手を置いた。 「俺がこいつを連れて来ないわけねーだろ? 嫌だっつっても引き摺ってくるぜ」 「え? ・・・ぷっ、あははははは! そうですよね。これは失礼致しました」 「ちょっと! 引き摺ってくるってどういうことよ!」 「あ? じゃあ担いでくるか?」 「そういうことじゃなーーーーい!!!」 「あははは・・・!!」 おそらく秘書課の人間にとって司の素の笑顔を目の当たりにしたのはこれが初めてだろう。 いつだってつくしと一緒にいる時に遠目で見るくらいのものだった。 つくしは最後に彼女達にスペシャルな置き土産を残していった。 もちろん当の本人は何一つ気付いてなどいないが。 *** 「プッ、すげー顔だな」 「うるさいわね」 バスルームから出てきたつくしを見て司が堪らず笑い出した。 結局、あれから邸に帰るリムジンの中でも号泣を続け、なんだかんだ泣き通しだったつくしの顔は酷いことになっていた。職場の別れすらこれなら明日の邸の人間との別れはどうなってしまうんだと司はもう笑うしかない。 「司もお風呂入って来なよ」 「あぁ。泣き疲れたからって先に寝るんじゃねーぞ」 「え?」 「今日はNY最後の夜だからな。たっぷり満喫しねーとなぁ?」 「なっ・・・?! もう、バカッ! いいから早く入って来なよ!」 「ははっ! マジで寝るんじゃねーぞ」 愉快そうに肩を揺らしながら司はバスルームへと消えて行った。 「・・・・・・」 つくしはその姿が見えなくなったのを確認すると、おもむろにベッドから下りて部屋を出て行く。 目指す場所は一つ。 日本の邸よりもさらに広大な巨大迷路のような廊下を歩き続けること5分。 ようやく目的の場所に辿り着いた。 つくしは扉の前で何度も何度も深呼吸をして心を整えると、最後に大きく息を吸い込んで勢いよくドアをノックした。 「はい」 中から聞こえてきた声に一気に心拍数が跳ね上がる。 「あ、あのっ、つくしです! お話があって参りました!」 ほとんど裏返ったような声で必死で言うと、しばらく静寂が続く。 「・・・・・・どうぞ」 ようやく返ってきた返事に既に全身から力が抜けていきそうになるが、なんとか踏ん張るとつくしはドアノブを掴んだ。 「・・・失礼します!」 重厚な扉を開けて見えた広い部屋の奥に見える人物。 それは ____ 「どうなさったのですか?」 「あ・・・あの、明日日本に帰国するのでその前にご挨拶をと思いまして・・・」 「・・・そうですか」 婚約発表の場以来となるその姿は、やはり唯一無二のオーラに包まれていた。 いつものスーツではなくバスローブ姿だというのに、その存在感は全く変わらない。 場合によっては帰国前に会えないかもしれないと言われていたが、今日の午前中にNYに戻って来たと西田から聞いていた。 つくしとしては絶対に直接会って話をしたい、ずっとそう思っていた。 ___ 司抜きで。 「どうしたのです? そちらへどうぞ」 「え? あっ、はい! ありがとうございます」 チラッと示された視線の先にあるソファーに腰掛けると、楓と向かい合う形になった。 「それで? お話とは?」 「あ、はい・・・。きちんと一対一でお礼を言いたかったんです」 「お礼?」 「はい。・・・司さんとの結婚を認めてくださって、本当にありがとうございました」 そう言って頭を下げたつくしに楓が呆れたように息を吐いた。 「何かと思えば今さらそんなことですか? もうその話は済んだはずです」 「わかっています。それでも帰国する前に、入籍する前だからこそちゃんと自分の言葉で伝えたかったんです。司さんがいないところで」 つくしの言葉を楓はただ黙って聞いている。 「おそらく帰国したらすぐに入籍することになると思います。・・・いいですか?」 「・・・駄目と言ったらどうするのです?」 「えっ・・・! それは・・・困ります」 「はぁ・・・それでは何のための質問なのです? 私は無駄なことが一番嫌いです」 やれやれと心底呆れたように溜め息をつく。 「あっ・・・ごめんなさい! ただ、どうしても最後の確認をしておかないと不安で・・・。でもわかりました。ありがたく入籍させていただいます。・・・ってあれ? 何か日本語がおかしいですね?」 自分でも何を言ってるかわからなくなってきたつくしはあははと笑うしかない。 相変わらず楓は呆れ顔だが昔の様な畏怖感はない。 それが嬉しくて思わず笑い続けてしまったが、徐々にその視線が痛くなって慌てて口をつぐんだ。 「・・・っと。すみません。 見ての通りこんな私ですし、道明寺家に入ることに不安が0とは言えません。それでも、結婚したら自分がどう変わっていくのかが今から楽しみなんです。司さんと、どんな家族になっていけるのか。・・・色々と至らないことばかりだと思います。こんな私にこれから色んな事を教えていただけたらと思っています」 「・・・・・・」 そこまで話すとつくしは静かに立ち上がった。 そして黙ったまま視線を上げた楓に向かって深々と頭を下げた。 「これから先、どうぞ末永くよろしくお願いしますっ!」 静かな部屋に威勢のいい声が響き渡る。 顔を上げたつくしの視界に入ってきたのはやはり表情を変えていない楓の姿。 それでもつくしはそれだけでも幸せだった。 こうして面と向かって話ができているというこの事実だけで。 「夜遅くにお時間作っていただいてありがとうございました。私たちはまた日本での生活に戻りますけど・・・また次にお会いできるのを楽しみにしています。話はこれで全てです。それじゃあこれで失礼しますね」 最後にニコッと笑うと、つくしはもう一度軽く会釈をしてから扉へと歩いて行った。 「・・・・・・あなたはあなたです」 「・・・えっ?」 ドアノブに手をかけたときに楓が小さな声で語りかけてきた。 ぱっと振り返ると、座ったままの楓がつくしの方を見ていた。 「あなたが私になることは不可能です。それと同時に私があなたになることもできない。あなたはあなたらしい道明寺夫人になりなさい」 「・・・・・・」 目を丸くして言葉も出ないつくしになおも続ける。 「日本の邸はあなたに一任します」 「・・・えっ?!」 「それは同時に責任を伴うということです。心して臨みなさい」 あの鉄の女が今何と言った・・・? 一任する? 誰に? 何を? 「・・・・・・返事がないということはできないということですか?」 「はっ! い、いえっ、とんでもありません! できます! やります! やらせてくださいっ!!」 「返事は1回で結構です」 「は、はいっ! ・・・・・・ありがとうございますっ!!」 頭が膝につくほどの勢いで頭を下げたつくしの目には涙が浮かんでいた。 もう今日だけでどれだけ泣けば済むのだろうか。 「それじゃあおやすみなさい!」 今日一番の笑顔でそう言うと、つくしは今度こそ部屋を出て行った。 その姿はまるで見えない羽が生えているかのように足取りが軽かった。 「・・・・・・全く、いつまで経っても本当に騒がしいこと」 たとえ楓がそんなことを呟いていたのだとしても、つくしの心は天にも昇るほどだった。 スキップしながら戻っていると、ちょうど廊下をこちらに向かって走ってきている司が見えた。 やがてこちらに気付いた司が目の色を変えて凄まじい勢いで走り出す。 「おまっ! 一体どこ行ってたんだよ! 風呂から上がればお前が忽然と姿を消しててマジで焦ったんだぞっ・・・?!」 ドンッ!! よっぽど焦っていたのだろうか、バスローブを纏った司の髪はストレートのままで、その毛先からはまだポタポタと滴が落ちている。だがそんなことはお構いなしにつくしの体が全力で司へとダイブした。 「・・・つくし・・・?」 いきなりいなくなったかと思えば突然自分に抱きついてくるなんて。 司は全く状況が掴めない。 だが自分の腕の中でつくしが小刻みに震えていることに気付いた。 「お前・・・泣いてんのか? 何があったんだよ?!」 思わずつくしの肩を掴んで顔を覗き込んだが、予想に反してつくしは笑っていた。 「つく・・・」 「大好き!」 「えっ?」 「司のことが大好きだよ。 幸せになろうねっ!!」 泣き笑いでそう言うと、つくしは再び司の体にしがみついた。 「 ? ? ? 」 つくしの突然の告白に、司はそれが現実だと実感できるまでそれからしばらくの時間を要した。 愛する女をその手に抱きしめることも忘れてしまうほどに呆然と。 こうしてNY生活最後の夜が笑顔と涙で更けていった。
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明日への一歩 35
2015 / 02 / 17 ( Tue ) 「びっくりした。どうしたの? 仕事で?」
皆川はてっきりつくしが仕事でここに来たと思い込んでいるらしい。 「あ、違うの。皆川君に話があって・・・」 「僕に?」 完全に予想外だったのか、驚いた顔でつくしを見る。 「あのね、あの・・・」 そこまで言いかけてつくしがパッと横を向く。 と、ササーーーーーっと同じ空間にいた人間が慌てて視線を逸らした。 思いっきり丸見えだが、私は何も見ていませんと言わんばかりの不審な動きで。 「えーと・・・ここでも構わないんだけど、ちょっとあっちでもいいかな?」 「え? あ、うん、僕はどこでも構わないけど」 「じゃ・・・」 廊下に出るように目で合図をすると、部屋から出て行くつくしに皆川も続いた。 やがて姿が見えなくなると2人が出ていった方向に全員の視線が釘付けになる。 「何何?! 皆川君と牧野さんってどういう関係?!」 「わかんない・・・どういうことっ?!」 予想通り、その場はしばし騒然となった。 「僕に用って何だった?」 同じフロアにある小休憩スペースまで移動すると皆川が切り出した。 「あ、うん。これを返そうとずっと思ってて」 「え?」 つくしはポケットに忍ばせておいたものをごそごそと取り出すと、おもむろに皆川に差し出した。 それをみた皆川が目を丸くする。 「ほら、ちゃんと1人で返しにきてって言ってたでしょ? あ、でも元々言われなくてもそうするつもりだったんだけどね。ありがとう。あの時は助かりました」 「え・・・まさかこのために?」 「え? うん、そうだよ?」 大真面目に頷くつくしにしばし呆然とすると、何を思ったか突然皆川が大笑いし始めた。 「プッ・・・あはははははははっ! 牧野、真面目過ぎっ・・・! ははははっ」 「えっ・・・え?! な、何?!」 お腹を抱えて大笑いされる理由がつくしにはさっぱりわからない。 ただ借りたものを返しに来ただけだというのに何故?! 「あははっ、はー・・・。そういう真っ直ぐで天然でこそ牧野だよね」 「えぇっ?!」 呼吸を整えるようにハーッと深呼吸すると、目尻を拭いながら皆川が微笑んだ。 「あんなのわざとだよ」 「わざと・・・?」 何が? やっぱりさっぱりわからない。 眉尻を下げて首を傾けるつくしに再び笑いそうになるのをぐっと堪える。 「そう。あれはわざと副社長にやきもちを妬かせるために言ったんだ」 「えっ・・・?」 司に? そんなこと全く考えもしなかった。 言われてみれば確かにあの時彼は面白くなさそうにしていた。 とはいえ、まぁ彼の場合いつでもあのスタンスは変わらないだろうけれど。 でも何のために? 「だって僕の好きな人を攫っていくんだから。あれくらいの意地悪してもいいでしょ?」 「好きな人・・・?」 誰が・・・誰の? 「プッ、牧野、全然意味わかってないでしょ。好きな人っていうのは牧野のことだよ」 「・・・・・・・・・えっ!!!!」 いきなり何を言い出すのか。 突然飛び出した爆弾発言に思わずつくしの声が裏返る。 その姿にまたしても皆川が吹き出した。 「ちょっ・・・からかわないでよ!」 「からかってなんかないよ。僕が牧野を好きだったのは本当の話だから」 「え・・・?」 笑うのをぴたりと止めて皆川が真顔でつくしを見つめる。 今まで見たどの表情とも違うその顔に思わずつくしの視線が泳ぎ出した。 「僕さ、ずっと牧野のことが好きだったんだよ」 「・・・・・・」 真剣な顔で思いもよらない告白をする皆川につくしは呆然とする。 「あの当時さ、牧野は全然興味もなかったみたいだけど、僕の親父がそれなりのエリートだってのは結構有名だったんだ」 そうなの・・・? 彼の父親は道明寺ホールディングスで重役を務めていたと言っていた。 「で、自分で言うのも何だけど、僕も結構何でもそつなくこなすタイプだったからさ。連中とつるんでバカ騒ぎするような性格でもなかったし、だからそれが気に入らなくて何かと絡まれることも多かったんだよね」 確かに。彼は他の男子とは違っていつも静かに本を読んでいるような男の子だった。 静か動かで言うと確実に前者。ワイワイ騒いでいるところを見た記憶もほとんどない。 だからかはわからないが、何かとからかわれている場面を何度か目にして、それに黙っていられなくなって・・・ 「くだらねーなー。どんだけガキなんだよって心の中で嘲笑いながら流してたんだけどさ。ま、僕も人間だから時にはイラッとすることもやっぱりあって。いい加減はっきりあいつらにも言って聞かせようかどうしようか、なんて思ってたときなんだよね」 「え?」 「牧野の雷が落ちたのは」 「・・・・・・」 「あれはびっくりしたよ。まぁ牧野が逞しいのは知ってたけど、まさかあいつらにも立ち向かっていくなんてさ」 「あ、はは・・・」 皆川が思い出しながらフッと目を細める。 「実はあの時親父の渡米が決まって色々悩んでた時期だったから。だから余計に嬉しかったんだ」 「・・・・・・」 「元々牧野のことが気になってたけど、あの一件が決定打になったって感じかな」 「皆川君・・・」 「でも既に渡米が決まってたし、淡い恋心のままそこで終わってしまった。でもずっと牧野のことは心の中にあったよ。どんな女性になったのかなぁって。いつかまた会えたら嬉しいなって。だからここで再会できたときは運命だと思ったよ」 「皆川君・・・」 一体何と言えばいいのだろうか。 その目は冗談を言っているようには見えないからこそ、返す言葉が見つからない。 そんなつくしにあらためて皆川がニコッと笑って見せた。 「どう? 今ならまだ間に合うよ」 「えっ?」 「婚約は発表したけど、まだ入籍したわけじゃないんだよね?」 「えっ、あ、あの・・・?」 ジリ、ジリ・・・ ニコニコと笑いながら皆川が一歩、また一歩と近付いてくる。 「あ、あのっ! 皆川君っ・・・?!」 ジリ、ジリ・・・ 皆川の動きに合わせてつくしも一歩、また一歩と後退していく。 やがてドンッと自動販売機にぶち当たるとそのまま皆川の右手がつくしの顔の横に置かれた。 こ、これは・・・壁ドンならぬ自動販売機ドン・・・?! 略して自ドン?! なんだかそのまま真っ逆さまに落ちていきそうな。 もはや完全にパニック状態のつくしは頭の中で延々そんなことを繰り返す。 下手したらこのままキスされてしまうんじゃないかと思うほどの予想外の展開に、驚きのあまり抵抗することすら忘れてしまっている。 「ねぇ、まき・・・・・・わっ?!」 ガタッ、ドサッ!! と、目の前にいたはずの皆川が突如視界から消えた。 「・・・え・・・?」 「てめぇ・・・調子乗ってんじゃねぇぞ」 その代わり現れたのは見るからに高級な仕立てのスーツと大きな背中。 ・・・とクルクル頭。 転がった皆川とつくしの間に立ちはがかるようにして背中を見せている男。 見るからに怒っているのがわかる。 「お前・・・つくしに、しかもオフィスで堂々とこんなことしてただで済むと思ってんのか?」 「ま、待って、司! 落ち着いてっ!」 「うるせぇっ! お前こそ何考えてんだ? のこのこ2人っきりになるなんて」 振り向きざまに凄まじい怒りのオーラが降りかかってくる。 「のこのこって・・・あたしはただちゃんとハンカチを返さなきゃって。あまりにも人目が凄かったからとりあえずここに移動しただけで別に2人きりになろうと思ってたわけじゃない!」 「それがのこのこだっつってんだよ! 事実こいつに迫られてたじゃねーか!」 「そ、それはっ・・・」 そこを言われては返す言葉もない。 つくしもまさか皆川があんな行動に出るなんて夢にも思っていなかったのだから。 「お前のそういう隙が男をつけ上がらせてんだよ。いい加減自覚しろ!」 「なっ・・・そ、そこまで言わなくてもいいじゃない!」 「うるせぇ、お前は言わなきゃわかんねーだろが、このバカ!」 「ばっ・・・?! バカって言うな、このクルクル男!!」 「くっ・・・?! てめぇ・・・ざけんなよ!」 「きゃーーーーっ?! バカバカバカっ! 離しなさいよぉっ!!」 「うるせぇっ! ちったぁ人の言うことを聞きやがれっ!!」 「やっ・・?! やだやだやだ! ちょっとぉっ、どこ触ってんのよぉっ?!」 いつまでたっても反抗的な態度を崩さないつくしを羽交い締めにしたはいいものの、そんなことで大人しくなるような女であるはずもなく。 どこの小学生かと見紛うほどの騒ぎっぷりで暴れ回る。 「・・・ぷっ、あはははははははははっ!!」 「・・・へ?」 「あ゛?!」 だがそんな2人の動きが突如その場に響き渡った笑い声でピタリと止まる。 まるで合わせ鏡のように同じ動きでその主を辿ると、いつの間に立ち上がっていたのか、皆川が2人を見ながらお腹を抱えて大笑いしていた。 つくしはポカンと、司はピキッと対照的な顔になっている。 「おい、てめぇ・・・」 「あーー、面白い。ほんとに聞いたとおりなんですね」 「聞いたとおり・・・?」 「はい。先日西田さんと仕事でご一緒した際に少しだけお2人のことを話したんです。副社長が牧野にべた惚れなのはよくわかってましたけど、西田さんが副社長にはレーダーがついてるって言うから」 「レ、レーダー?!」 ますますつくしの顔が疑問符で埋め尽くされていく。 「うん。西田さんが言ってたんだ。副社長には牧野専用のレーダーが備わっていて、牧野に不穏な足音が近付くと必ずそれが作動するんだって。その時は笑って聞いてたけど、さっき牧野が僕に会いに来るなんて予想外のことがあったから。だからつい」 「・・・まさかお前、それで・・・?」 ぷるぷると拳を震わせる司に怯むことなく皆川が笑って頷いた。 「はい。それが本当なのか試してみました。すみません」 「て・・・・・・てめぇっ、ざけんなよっ!!」 「まっ、待って! 司っ、暴力はだめっ!!」 「あぁ?! 止めんじゃねぇよ! ふざけてんのはコイツだろうが!」 今にも一発鉄拳を喰らわせそうな司の体に後ろから必死でしがみつく。 「でも牧野のことが好きだと言ったのはふざけてませんよ」 サラッと続けられた言葉にジタバタしていた2人の動きが再び止まった。 「お前・・・」 「牧野のことを忘れていなかったのは本当です。そして好きだなとあらためて思ったことも。あわよくば・・・なんて気持ちがあったのも事実です。・・・でも、お2人には絶対に入り込む隙がないって嫌ってほど知ってましたから」 「・・・・・・」 「だから牧野が律儀に会いに来てくれたのが嬉しくて、最後にちょっとだけ悪あがきしてみました」 「・・・」 「皆川君・・・」 何と言っていいのかわからずにいるつくしにフワリと微笑む。 それはつくしのよく知るあの笑顔だ。 「再会できて本当に良かったよ。牧野との再会のおかげで色んな事が僕の中で吹っ切れたんだ。大袈裟かもしれないけど、またここから新しい人生が始まっていくような、そんな爽快感があるんだ。・・・牧野、ありがとう」 そう言って差し出された手に、つくしは思わず司の顔を仰ぎ見る。 なんとも面白くなさそうな顔をしていたが、どうやら止める気はないらしい。 それを確認するとつくしはおずおずと自分の右手を差し出してそっと皆川の手に重ねた。 すぐにギュッと握る力が込められる。 「元気で。そしてお幸せに。・・・いつかまた会えることを信じて」 「皆川君・・・・・・ありがとう。私も会えて嬉しかった。皆川君の活躍を遠くから楽しみにしてるから」 「うん、ありがとう」 そう言ってもう一度強く握ると、皆川はそっとその手を離した。 そしてすぐ隣にいる司へと向き直る。 「上司に対して失礼があったことはすみません。ですが、一人の男として向き合いたい、そう思いました。ですから後悔はしていません」 「お前・・・」 「副社長にも本当に感謝しています。そして以前言ってもらったように、これからは自分らしく、時に貪欲に。少しでもあなたに近づけるように頑張ります」 そのすっきりとした笑顔に、一言文句を言ってやろうと思っていた言葉がスーーっと引いていく。 司は軽く舌打ちをするとはーーっと溜め息をついた。 「・・・まぁいい。こいつが色々とお前に助けてもらったことは事実だしな。今回はそのことに免じて許してやる。・・・ただし、今後こいつにちょっかい出すようなことがあれば容赦しねぇからな」 「わかってます。そんなことがないために今日はっきり区切りをつけました」 「・・・ふん、相変わらず気に食わねぇ奴だぜ」 どうやら司は皆川がどうにも扱いづらいらしい。 何とも苦々しい顔で言葉を濁す司を見てたまらずつくしが笑ってしまった。 すぐにジロッと鋭い視線が突き刺さる。 「・・・なんだよ。元はと言えばお前がこいつに会いに来るからだろうが」 「だって借りたものはきちんと返す。これは人として当然のことでしょ? 帰国目前なんだし、今日を逃したらもう無理だって思ったんだもん」 「・・・チッ」 あの道明寺司が、つくしを前にすると信じられないほど一筋縄では事が進まない。 事ある事にそれを目撃してきた皆川はフッと心の底から笑った。 「じゃあお2人とも、帰国してもお元気で。またこちらに来るときには成長した自分を見せられるように頑張ります」 「当然だろ」 「皆川君、本当にありがとう」 「うん。・・・でも本当に面白いものを見せてもらえて楽しかったよ」 「え?」 「副社長のこんな姿なんて見ることもなければ想像すらできないことだっただからね」 「・・・・・・?」 笑いながら首を捻るつくしに皆川がチラッと視線を横にやった。 それを追うようにつくしもその視線を辿っていく・・・・・・と。 「!!!!!!!」 休憩室のガラス張りの窓に貼り付いた人、人、人の影。 食い入るように中の様子を伺っていたが、振り向いたつくしと司と目が合った瞬間、顔色を変えてザザーーーーーーーッと蜘蛛の子を散らしたように消えて行った。 それはまさに一瞬の出来事。 「な、な、なっ・・・?!」 一体いつから?! っていうか見られていた?! 「クスッ、副社長のレアな姿を見て今頃みんな大騒ぎしてるんじゃないですかね。そのうち号外が出るかもしれませんよ?」 「てめぇ・・・・・・、はぁ~~~~っ」 ニッコリ笑う男に司は今日何度目かわからない溜め息をついた。 やっぱりこの男はどこか気に入らねぇっ!!! 皆川の言っていた通り、号外・・・ならぬ、司とつくしがわちゃわちゃとじゃれ合う画像付きのスクープメールが社内を飛び交ったのは、2人が帰国する前日のことだった。
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Sweet x Bitter x Sweet 後編
2015 / 02 / 16 ( Mon ) いない、いない・・・・・・いない!
引き止める声を無視して会場の外に飛び出した。 ババァの耳に入るのも時間の問題だろうがそんなことは知ったこっちゃねぇ。 もう充分役目は果たしたはずだ。これ以上強制させられる言われはねぇ。 「クソッ、どこ行った?!」 手当たり次第走り回るがそれらしき姿が見当たらない。 もしかしたらもう外に出てしまったのかもしれない。 階段を駆け下りてロビーまでの道のりを走っていると、遥か遠くに黒髪の女が見えた。 「・・・っ牧野っ!!」 声を張り上げるがあいつは気付かない。 そうこうしているうちに後ろから得体の知れない男があいつの腕を掴んだのが見えた。 その瞬間、全身が燃え上がるようにカッと熱くなる。 「・・んの野郎、ブッ殺すっっっ!!!!」 階段を駆け下りるのすらもどかしい。 残り3分の1ほどをひとっ飛びに下りてきた俺に驚いてすっ転びそうになってる奴がいるが、そんなことに構ってる暇はねぇ。 今はとにかく一歩でも、一秒でも早くあいつの元へ。 何やら揉める様子が見えていたが、やがて牧野が男を振り切り全速力で走り出した。 諦めの悪いヤローがそれでも牧野を追いかけようとする。 「ざけんじゃねぇぞっ・・・!」 叫びながら牧野を追いかけようとしている男の首根っこを最大限手を伸ばして掴む。 「なっ・・・?!」 「テメェ・・・俺の女に手ぇ出してみろ。ブッ殺すぞ!!!」 「ひっ・・・?!」 俺のことを知っているのだろうか、驚愕と恐怖に満ち溢れた男は睨み一つでその場で硬直したまま動けなくなる。本当ならここで一発ぶん殴ってやりたいところだが今はそんな時間はない。 そのまま掴んでいた手を思いっきり振り払うと、男はいとも簡単に吹っ飛ばされて転がった。 「牧野、・・・牧野っ!!」 すぐにあいつを追いかけながら叫ぶが全く立ち止まる気配はない。 凄まじい速さでエントランスへと向かっていく。 「くそっ、聞こえねーのか?!」 それとも聞こえている上で逃げてんのか・・・? チラリと脳裏を掠めたその可能性を即座に振り払う。 「ぜってぇに逃がさねぇぞ・・・!」 もう声を出す余裕もないほどのスピードで走った。 走って、走って、走って・・・・・・ 少しずつ大きくなっていくあいつへと手を伸ばす。 エントランスからその体が一歩はみ出たとき、ようやくこの手に触れた。 「ひっ!!」 肩を掴んだ瞬間あいつの体が大きく跳びはねた。 何か言葉をと思うが、さすがの俺も息が上がってすぐには喋れない。 なんとか呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸い込んだところで感じた気配に思わず体を仰け反らせた。 「はなせぇっ!! はなせぇーーーーーーーーっっっっ!! このヘンタイっ!!!!!」 「うぉわっ!!!」 まさに間一髪。 我ながら勘の鋭さに感心するほど。 だが目の前の女は狂ったように手を振り回して暴れ回る。 もう何も見えちゃいないし耳に入っちゃいねぇ。半錯乱状態だ。 「ちょ・・落ち着けっ! 牧野っっっ!!!」 「うるさいっ! なんであたしの名前を知ってんのよ! なんでっ・・・・・・・・・え?」 ようやく我に返った牧野が今度は一転、呆けた顔で固まってしまう。 ぽろっと目ん玉が零れ落ちてくんじゃないかってほどの間抜け面で。 いつもならそれがおかしくて笑ってしまうに違いねぇのに、何故だか今は胸が締め付けられるように痛くなった。 ___ だから言葉よりも先に体が動いていた。 「牧野、悪かった」 「・・・・・・・・・え・・・?」 「不安にさせて悪かった」 戸惑うあいつをこの腕に閉じ込めて離さない。 ダラリと完全に力の抜けた女はただなされるがまま。 それが苦しくて切ない。 「・・・ふっ、・・うぅっ・・・・・・うぅ゛~~~~っ・・・」 と、突然堰を切ったように牧野が泣き出した。 ズキズキと、小刻みな震えが心に突き刺さる。 「ど・・・みょうじ・・・。 道明寺っ、どうみょうじぃ~~~っ・・・!」 痛ぇ・・・ こいつがこんなに感情的に泣くなんて普通じゃない。 どれだけ精神的に追い詰められていたのかが痛いほど突き刺さってくる。 フ・・・と背中に控えめな感触を感じたのを合図に、俺はこいつが潰されてしまうことも忘れて力の限りきつく抱きしめた。 ・・・ ・・・・・ ・・・・・・ 「・・・グズッ・・・」 どのくらいの時間そうしていたのかはわからない。 けれど、こいつの気が済むまでひたすら泣かせた。 溜まってたもんを全て吐き出して、それからゆっくり話をすればいい。 ようやく落ち着きを取り戻してきた牧野の髪をそっと撫でていく。 「・・・ま・・・、・・・司様・・・!」 と、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。 チッ、ここで邪魔されてたまるかってんだ。冗談じゃねぇ。 グイッ!! だがそんな俺の思いとは裏腹に突然体を突き放される。 驚いて見下ろせばあいつが引き攣った笑いで俺をゆっくりと見上げた。 その顔は尋常じゃないくらい涙でぐちゃぐちゃだ。 「おい、まき・・・」 「ご、ごめんっ! 仕事の邪魔しちゃったよね。忙しそうだし黙って帰ろうと思ったんだけど。途中道に迷っちゃって泣きそうになっちゃってたよ、あはははは」 「まき・・・」 「ほんとにごめんね?! ほんとはこっちに来る予定なんてなかったんだけど、なんでだかこんなことになってて・・・。でもあんたの元気そうな顔が見られたし良かったよ。ほら、忙しいんでしょ? あたしは大丈夫だから戻って?」 「おい・・・」 「さてと! 遅くなると危ないしそろそろ行くね。忙しいだろうけどあまり無理しちゃダメだからね? じゃ・・・」 「おいっ! 待てって!!」 人の言うことなんかにゃ耳も貸さずに一人でペラペラと喋り続ける、しかも勝手に終わらせようとする意地っ張りな口を体ごと塞ぎ込む。 「は、離っ・・・」 「俺に会いに来てくれたお前を黙って帰すわけねぇだろっ!」 「べ、別にあんたに会いに来たわけじゃないよっ。る、類が、類が半ば強制的に連れてきて、それでどうしようもなくて・・・」 「黙ってろっっ!!!」 俺の張り上げた声に牧野の体がビクッと動く。 そんなあいつの背中をゆっくりと撫でながら頭に顔を埋めた。 「いいからもう、黙ってろ・・・」 「・・・・・・」 ギュウッと強く抱きしめると、牧野はそのまま黙り込んでしまった。 さっきとは違って俺の背中に手を回そうとはしない。 「・・・・・・・・・牧野」 「・・・え・・?」 戸惑いがちな顔を上げたあいつの手を掴むと、予想通り驚いた顔を見せる。 「・・・・・・走れっ!」 「・・・えっ? えっ?!」 わけもわからずにいる牧野の手を引いて思いっきり駆け出す。 「ま、待っ・・・! は、離してっ! はなっ・・・!」 「バカッ! 誰が離すかよ! いいから走れっ!!!!」 「ひ、ひぇえぇっ??!! 待って、まっ、ま゛~~~~~っ???!!!!」 もうほとんど悲鳴をあげているあいつの手をきつく掴んだまま、俺はそのまま全速力でその場から逃げ出した。後ろから焦った声が俺を呼び止めていたが、そんなのは知ったこっちゃない。 今俺がすべきことはただ一つ。 掴んだこの手を絶対に離さねぇ。 ギャーギャー喚いているあいつを引き連れて走っている俺は、まるで体中に羽が生えたんじゃねぇかと思うほど体も心も軽かった。 息が苦しくて堪らないってのに、何故だか笑いが止まらなかった。 *** 「あ? 知らねーよ。それくらいのことはお前らでなんとかしろ。じゃあな」 ブツッと強引に会話を終了させるとそのままポイッと携帯を放り投げた。 暖炉の前のソファーになんとも情けない顔で座っている牧野の前まで戻ると、ハッとしてあいつが俺を見上げた。 ・・・くそっ、そんなに可愛い顔すんじゃねぇよ。 「ほら、熱いから気をつけろ」 「あ、ありがとう・・・」 俺が差し出したホットココアを戸惑いがちに受け取る。 「・・・ねぇ、やっぱり戻った方が・・・」 「いいんだよ。これくらいのことで立ち行かなくなるようじゃどのみち道明寺なんて崩壊した方がいいんだよ」 「なっ・・・あんた、それ本気で・・・?!」 「あぁ。ある意味本気だぜ?」 俺の放った言葉にこれ以上ないくらいの驚愕の顔を見せる。 「・・・フッ。んな心配すんなって。大丈夫だよ。俺の居場所は知れてんだ。本当に困ってんなら今すぐ連れ戻しにくるはずだろ? それをしねぇってことはつまりはそういうことなんだよ」 「・・・・・・」 「な?」 「・・・・・・うん・・・」 「それよりも見ろよ、これ。 似合うだろ?」 「え?」 尚もどこか不安げなあいつに、俺は自分の首元をどうだと言わんばかりに突きだした。 「・・・ぶっ・・・! 何威張ってんのよ! それ、あたしがあげたマフラーじゃん」 一瞬キョトンと呆けた顔を見せると、牧野は腹を抱えて笑い出した。 あぁ、やっとお前の笑顔が見られた。 ずっとずっと見たかったお前の本当の笑顔を。 「ありがとう、牧野」 「えっ・・・?」 「すげぇあったかい」 ピタッと笑うのをやめると、驚いた後にあいつは少しずつ表情を変えていき、最後は涙目になって笑った。 その笑顔に吸い寄せられるように顔を近づけると、やがて牧野も静かに目を閉じた。 ふわりと触れたところから一気に全身に熱を帯びていく。 心が震えるとはこういうことなのだろうか。 その想いの全てを込めてあいつを抱きしめる。 控えめに回された手の温もりを感じると、俺たちの間には少しの隙間もなくなった。 「今日はほんとに忙しい中ありがとう。・・・そろそろ戻らないとだよね?」 長い抱擁を終えると、笑いながらもどこか寂しげにあいつが呟いた。 ・・・ったく、最後の最後まで素直じゃねぇ。 「今日は戻らねぇ」 「えっ?」 「早朝には戻らなくちゃなんねーけど、今夜はここに泊まる」 「泊まるって・・・」 「ここはうちの臨時用の別邸だ。仕事で必要な時なんかに使ってんだ。心配すんな、誰も来ねぇよ」 「いや、そういうことじゃなくて・・・」 明らかに動揺を見せる牧野の目がキョロキョロと忙しなく動き回る。 そんな牧野の頬に手を添えるとぴくっと戸惑った眼差しを見せる。 「俺はお前と一緒にいたい。 ・・・・・・嫌か?」 なんて、たとえ嫌だと言おうと離さねぇけどな。 「・・・・・・嫌じゃない。 あたしも・・・あたしもあんたと一緒にいたい」 震える声であいつが上目遣いで俺を見つめる。 やっと本音を覗かせたその姿にズキュンと心臓が撃ち抜かれた。 ばかやろう、早々に火をつけんじゃねぇっつの。 このまますぐに押し倒しちまいたいところだけど、まずはその前に。 もっとゆっくりお前の話を聞かせろよ。 どんなことでも構わねぇ。 日常のこと、俺にぶちまけたい不満、愛の言葉、なんでも。 そうして、今お前がここにいるってことをもっと俺に実感させろ。 夜はまだ始まったばかりなんだから ____ *** ガチャッ 「おはよう」 「お、おはよ。・・・あの、ごめんね? 昨日は途中でいなくなった上に迎えにまで来てもらって・・・」 開口一番、謝罪の言葉を繰り返す。 いくら類に連れてこられたとはいえ、昨日の自分がやったことは最低だ。 「別にいいよ。はじめから司に会わせるために来たんだし。牧野が気にするようなことは何もない」 「類・・・」 ニコッと笑った綺麗な顔から白い吐息が零れた。 「いろいろ悪かったな」 「・・・司」 後ろから顔を出した男は既に高級なスーツをビシッと着こなしている。 「こいつが限界だと思って連れてきたんだろ? 感謝してる」 「・・・司がお礼を言うなんて激レア。帰りのジェット落ちないかな」 「おい」 「ククッ、嘘だよ。・・・で? ちゃんとゆっくり話せたの?」 「あぁ。ゆっくり・・・な?」 そう言ってガシッと肩を抱かれて、途端に全身がカーーーッと熱くなっていく。 や、やばい、このままじゃ類に変に思われちゃう。 鎮まれ心臓! 引っ込め真っ赤っか!! 「・・・・・・そう。色んな意味で語り合いができたみたいだね」 必死の願いも虚しく、類の意味深なツッコミにますます茹で蛸になっていく。 そんなあたしを見て類が肩を揺らして笑い出した。 「くっははは、あんたってほんとにわかりすいね。よかったよ、うまくいったなら」 「う、うん・・・・・・あ、あの! ほんとに色々ありがとう。何てお礼を言ったらいいか・・・」 「あんたのお礼は聞き飽きたって言っただろ?」 「う、うん・・・」 「類。お前にはほんとに感謝してる。でもあと1年だけはこいつのことを頼む」 「・・・了解。でも少しでも期限を過ぎるような時は俺がもらうからね?」 「誰がだよ。ぬかせ」 「くくっ、くっくっく・・・」 そう言って笑い合うと、何やらアイコンタクトをとって2人は頷き合った。 一体どんな会話が繰り広げられたのか、女のあたしにはさっぱりわからない。 「・・・じゃあ牧野。俺は行くから」 ドキッ・・・ その言葉にハッと顔を上げる。 見れば道明寺の顔はスッキリと、昨日見たものなんか比べものにならないほどの自信とオーラに満ち溢れていた。 スッと伸びてきた手があたしの頭を優しく撫でていく。 「必ず1年後にお前を迎えに行く。不安な時はいつだってぶつけてくれて構わない。むしろそうしろ。俺は全てを受け止めるから」 「・・・・・・うん」 ・・・泣かない。 絶対に。 「だからあと1年だけ待っててくれ。そうすれば俺たちはずっと一緒にいられる」 「・・・うん」 絶対に泣いてなるものか。 バイバイは笑顔でするって決めてたんだから。 しっかりしろ! つくし。 ちゃんと笑うんだ。 「・・・待ってる。3年待ったんだもん。1年なんてあっという間だよ!」 そう言ってニッコリ笑った顔は、ちょっとだけ目が潤んでいたかもしれない。 それでも、道明寺は気付かないふりをしてくれる。 それがわかっているから。 ほら、ニッといつもの不敵な笑顔を見せてくれる。 「よし。じゃあ俺行くな。会いに来てくれて嬉しかった。・・・またな」 「うん。また、ね!」 笑顔で手を振ったあいつの首元には、高級なスーツには明らかに不釣り合いな下手くそなマフラーが巻き付いていた。 とても嬉しそうに、幸せそうな顔で身につけていたマフラーが。 ・・・ほんとにバカなんだから。 でも、そんなあんたが大好きだよ。 「もう大丈夫?」 あいつを見送るあたしの後ろから声がする。 あたしは振り向くことなく明るく言った。 「大丈夫!・・・類、本当にありがとう」 「・・・そう。それならよかった」 本当にありがとう。 ちゃんと後で面と向かってお礼を言うから。 ・・・だから、今はもう少しだけ気付かないふりをしてね。 もうほとんど見えないところまで行ってしまったあいつへもう一度手を振ると、その動きに合わせるようにポタリと一粒の滴が地面へと吸い込まれていった。 どんどん霞んで見えなくなっていくあいつを笑顔で見送る。 「行ってらっしゃい! ・・・・・・またねっ・・・!」 また・・・次に会えるときには、 きっと心からの笑顔で。 その日を信じて、また新たな一日が始まる。
このお話は大好きなとある原案をモチーフに、自分なりにアレンジ、肉付けをして仕上げた作品になります。今回執筆するにあたり快諾してくださったM様、本当に有難うございました。謹んで献上致しますm(__)m また、話の流れ的に2人が夜をどう過ごしたのかを敢えて詳しく描写しなかったんですが・・・気になりますかね?そのうち番外編を書こうかどうしようかな~。最初は書く気満々だったんですが、敢えて描かない方が美しいかなと思って本編には入れませんでした。
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Sweet x Bitter x Sweet 中編
2015 / 02 / 15 ( Sun ) かったりぃ。
接待、ビジネス、接待、ビジネス、パーティ、ビジネス、パーティ。 無限ループのような目が回るほど忙しい日々の繰り返し。 少し前の俺だったらとっくに爆発して暴れてるに違いねぇ。 だが今の俺には明白な目標がある。 だからどんなにクソつまんねぇことだろうと、ただひたすらそのゴールを目指して突き進むだけ。 そのゴールに辿り着くために必要なことなら、どんなことでも乗り越える確固たる自信がある。 胡散くせぇゴマすりオヤジ共も、化け物みたいなケバい女共も、俺にとっては人形と同じ。 誰を見ても同じ人形にしか見えない。 何も感じない。 今ここにいるのがあいつだったらどれだけいいだろうといつも考える。 あいつがそこにいるだけで、このモノクロの世界が一瞬で色鮮やかな世界へと変わるのに。 いるはずなどないとわかっているのに、つい見渡してあいつがどこかにいるんじゃないか・・・なんて探してしまう自分が女々しくて情けない。 「・・・クッ」 思わず自嘲めいた笑いが零れる。 「どうかされましたか?」 「・・・いえ、何でもありません」 我ながらビジネス用の愛想笑いも随分身についたもんだと感心する。 中には本当に信頼の置けるビジネスパートナーもいるが、大抵は人形だ。 上辺だけに擦り寄ってくる奴には俺も上辺だけの対応で返す。 こんなことですら反吐が出そうなほど嫌で仕方なかったが、あいつを一日でも早く迎えに行くためには己の立場を理解するしかない。 次の事業で手を組む企業の令嬢だかなんだか知らねぇが、パーティが始まって最初のうちだけでいいからエスコートをしろとババァに厳命された。 冗談じゃねぇ。 俺がエスコートするのはこの世にただ一人。 あいつだけ。 俺がエスコートするようなことは絶対にしない。 指先一本触れることもない。 どんなに譲歩しても隣に立つだけ。これ以上はあり得ない。 だが中には調子に乗って俺に触ってくる女もいる。 静かにその手を振りほどいても、何事もなかったかのように再び触れてくる。 俺の目が全く笑っていないことになど気付かない勘違い女は、まるで俺が自分のものにでもなったかのような尊大な振る舞いを見せる。 今日の女がいい例だ。 必死で何かを喋っているが何一つ頭に入ってなどこない。 自分の立場を何一つ考えなくていいのならば、一発ぶん殴ってやるところだ。 強制労働の時間がいつ終わるのか、ひたすらそのカウントダウンを頭の中で繰り返すだけ。 ・・・・・・そしてあいつのことを考える。 今頃あいつは何をしているだろうか。 日本は夜中だから、きっとグースカ大口開けて寝ているに違いない。 そんなことを考えながらこのクソつまらない時間をひたすらやり過ごす。 そうしているとどうだ、不思議なほど心が凪いでいく。 もしかしたらそれが顔に出ているかもしれないと思うほど、あいつのことを考えるだけで余計なことが己の中から排除されていく。 会いたい・・・ 何百万回と心の中で繰り返す言葉。 最後に会ってから1年。 あいつに会えないのもそろそろ限界になりそうだった。 毎夜夢に出てくるあいつはいつも花のような笑顔を見せて・・・そして泣いている。 我慢させている。 寂しい思いをさせている。 そんな事は俺が一番わかっている。 そしてあいつはそんなことを一言だって口にしない。 思っていたって、それを言葉にしてぶつけるような女じゃない。 自分のことになるとひたすら我慢して、いつだって相手のことばかり考える奴だ。 それが痛いほどわかるからこそ、俺がなんだかんだと愚痴をこぼすわけにはいかない。 納得がいかない仕事だろうと、ババァとのビジネスをしっかりこなす。 そして一日でも早く何一つ口出しできねぇような一人前の男になってみせる。 それが今の俺にできる唯一にして最大のあいつへの誠意だ。 「司」 どこか聞き覚えのある声がしたような気がして振り返る。 ゴチャゴチャとした人混みが見えるだけでただの気のせいかと思った時、頭一つ分背の高い男の姿が視界に入ってきた。 「・・・・・・類?」 まさか。 何故ここに? ・・・あぁ、俺の知らない間に花沢物産にも招待状を出していたのか。 そんなことを考えている間にどうやら本物らしい男が目の前までやって来た。 「久しぶりだね」 「あぁ。お前も来てたなんて知らなかったぜ。うちから連絡がいったのか?」 「まぁね。今度の事業は間接的にうちも関わってるから」 「あぁ、それでか。元気だったか?」 「俺はね。 元気だよ」 ピクッ。 何気ない一言だが何故か妙に引っかかる。暗に何かを含んでいるような。 こいつがこういう言い方をする理由は大抵一つしかない。 ・・・あいつが絡んでいる時だ。 あいつに何かがあったのだろうか。 「牧野来てるよ」 「・・・・・・・・・」 ・・・・・・・・・・・・今なんつった? 空耳か? 「牧野、ここに来てるよ」 「・・・・・・・・・は? お前、何言って・・・」 一瞬ふざけてんのかと思ったが・・・・・・違う。 こいつの目を見ればそれが真実か否かなんてすぐにわかる。 あいつが・・・・・・ここに? 「でもここにはいない」 バッと顔を上げて会場中を見回す俺に類がわけのわからないことを言う。 やっぱりふざけてんのか? 「あ? お前さっきから何言ってんだ。ふざけてんのか?」 「正確にはここにいた。でもいなくなった」 いなくなった?! 「おい、一体どういうことだよ?!」 「さっきまで俺といたのは本当。でも牧野走っていなくなったんだ。・・・お前を見て」 「俺を・・・?」 一体どういうことだ?! 経緯はどうあれあいつがここに来るなんて俺に会うために決まってる。 それなのにいなくなるなんて、一体・・・・・・ 「お前を見て今にも泣きそうな顔で出てったよ、あいつ」 「俺を・・・?」 「道明寺さん、どうなさったんですか?」 わけがわからない俺に聞こえてきた声にハッとする。 そして自分の隣に陣取って立つ女の存在に今初めて気付く。 ない存在としてずっと思考から、視界から消えていたその女に。 牧野は俺を見て泣きそうになったと言っていた。 俺を・・・・・・ 「クソッ!!」 「あっ?! 道明寺さんっ!!」 必死で手を離すまいと近付いて来た女を思いっきり振り払うと、俺は呼び止める声など耳にも入れずにその場を駆けだした。 *** 「・・・っ、グズッ・・・・・・・・もう帰らなきゃ・・」 一体どれくらいの時間泣き続けていたのか。 目はヒリヒリ。鼻はズルズル。きっとメイクも酷い有様だ。 「類のこと置いてきちゃった・・・どうしよう」 思わず飛び出してしまったけれど、だからといって今さら戻る勇気なんてない。 ・・・・・・こんな情けない姿を見せられるわけがない。 「ちゃんと連絡入れればいっか。・・・よし、帰ろう」 ズビッと最後にもう一度鼻を啜ると、エントランスへ向かって歩き始める。 ・・・あいつ、元気そうで良かった。 少しだけ、痩せたかな? 相変わらず自信に満ち溢れて、そして決して楽しそうではなかったけど。 ・・・それでももう立派な社会人だった。 やりたくない仕事でも、本音を隠して順応できる、そういう男になってた。 そのうち類と会ってあたしがここにいたことを聞かされるに違いない。 ここまで来ておきながら帰ったって知ったら、きっと怒るんだろうな。 「・・・・・・ごめんね、道明寺」 いくじなしで本当にごめん。 ガシッ!! その時、突然左手を掴まれてハッとする。 ・・・・・・まさか。 いや、違う。 あいつがここに、こんなに早くここに来るはずが・・・・・・ ドクンドクンと緊張と期待の入り交じった状態で恐る恐る振り返っていく・・・・・・ 「ずっと泣いてたみたいだけど大丈夫? さっきから気になってたんだ」 「あ・・・」 目の前には全く見覚えのない男。お酒が入っているのか、頬が少し赤くて顔が緩んでいる。 「すみません、何でもありません」 「そんなこと言わないで。ゆっくり話聞いてあげるよ? ね?」 「ちょっ・・・離してくださいっ!!」 引こうとした手を強引に掴まれて離れない。 「君日本人でしょ? 大丈夫だよ、僕もそうだから。だから安心して?」 「ふざけないでっ! 離してください!」 何が大丈夫なんだ?! ふざけるなっ!! そうは思いつつも悲しいかな、男の力には到底勝つことなどできず。 「じゃあゆっくりできるところに行こうか」 「ちょっ・・・!!」 ズルズルとそのまま引き摺られていきそうになる。 冗談じゃない。 何が悲しくてこんなところまで来てこんなろくでもない男にこんな目に遭わなきゃならないんだ。 「・・・っ離せって言ってんでしょうがっ!!!」 「ぶっ!!」 右手で持っていた紙袋を思いっきり男の顔面にヒットさせると、呻き声と共に掴まれた手が離れた。その一瞬の隙に全速力で逃げ出す。 「あ、おいっ! 待ちやがれっコラァ!!」 待てと言われて待つバカがどこにいる。 あぁもう。 ヒールなんかで走るもんじゃないってついさっき言ったばかりじゃないか! 全くどうしてこんな目に遭わなきゃなんないっての?! はぁはぁはぁはぁ あと少し・・・あと少しで表に出られる。そうすれば車を拾って・・・ ガシッ!!! 「ひっ!!」 エントランスの自動ドアが開いた瞬間、後ろから肩を掴まれて思わず悲鳴があがる。 「おい・・・」 「はなせぇっ!! はなせぇーーーーーーーーっっっっ!! このヘンタイっ!!!!!」 「うぉわっ!!!」 腹が立つやら悲しいやら悔しいやら。 もうわけがわかんなくなって振り向きざまに袋をブンブンと思いっきり振り回す。 この際どこでもいいからヒットしてぶっ倒れやがれ!! 「ちょっ、やめろっ!!」 「ふざけんなっ!! 触るな! 近付くな! このヘンタイっ!!!!」 「ちょ・・落ち着けっ! 牧野っっっ!!!」 「うるさいっ! なんであたしの名前を知ってんのよ! なんでっ・・・・・・・・・え?」 ブンブン力の限り振り回していた手がピタリと止まる。 今、牧野って言った・・・? っていうか、あの声は・・・・・・ 「俺だ。だから落ち着け」 「・・・・・・・・・・・・」 うそ・・・。 どうして? どうしてこの男がここに? だって・・・・・・ ボフッ そんなことを呆然と考えていたら、いつの間にか自分の体が大きな何かに包まれていた。 全く力の入っていないあたしを、それはこれでもかとギュウギュウに締め付けていく。 これは・・・なに・・・? 「牧野、悪かった」 「・・・・・・・・・え・・・?」 「不安にさせて悪かった」 何言って・・・ 何も謝る必要なんか・・・ 勝手に来て、勝手に不安になって、勝手に帰ろうとしたあたしに謝る必要なんてどこにも・・・ 「・・・ふっ、・・うぅっ・・・・・・うぅ゛~~~~っ・・・」 ぷつりと糸が切れたように、気が付けばボロボロと涙がこぼれていた。 それはもう自分の意思なんか関係なく、次から次と止まることを知らない。 「ごめん・・・。 牧野・・・会いたかった」 「うっ、うぇっ、うぅ゛~~~っ・・・・・・」 まるであたしの泣き声を、不安をかき消すように、背中に回された手に力が籠もる。 これ以上力を入れたら潰されて死んじゃうんじゃないかってほどに強く。 でも、その痛みすら心地よくて。 あったかくて。 「ど・・・みょうじ・・・。 道明寺っ、どうみょうじぃ~~~っ・・・!」 頭で考えるよりも先に、自分が求めているものは何なのか、この手が、心が知っていた。 震える手をゆっくりと大きな背中へと回して触れると、さらに自分を引き寄せるように道明寺の手に力が込められた。 それに導かれるように力の限りしがみつくと、あいつの胸に顔を埋めて他の事なんて何一つ考えられないくらいに、ただひたすら声をあげて泣いた。
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Over the Rainbow
2015 / 02 / 14 ( Sat ) 今日はバレンタインですね♪
SSではそれにちなんだ話を書きながらなんですが、書き手本人はもうそんなこたぁどうでもよくなってます・・・(´д`)枯れてます・・・ ということで、皆様にささやかなる贈り物です。 少しでもお楽しみいただけたら嬉しいです(*^o^*) ![]()
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Sweet x Bitter x Sweet 前編
2015 / 02 / 14 ( Sat ) 「そんなに緊張しなくて大丈夫だって」
「でも、だって・・・!」 気を抜いていると思わず右手と右足が同時に出そうになるほどガチガチのあたしに類が肩を揺らして笑っている。 「あんた、ほんとに面白い」 「ちょっと、笑わないでよ。こっちは真剣なの! こんな場所、不釣り合いなんだから・・・」 あ、やばい。言っててなんだか泣きそう。 なんだってこんなことくらいで。意味不明にもほどがある。 それもこれもこのあり得ない状況がそうさせてるんだ。 この状況が・・・・・・ 「バレンタインどうするの?」 「え~? 彼の別荘に行ってゆっくり過ごすつもり」 「やだ~いいなぁ。あたしなんて都内のホテルよぉ」 「でもいいところのホテルなんでしょ? 充分じゃな~い!」 「きゃははは・・・」 後ろのテーブルから聞こえてくる黄色い声に思わずはぁ・・・と溜め息が出る。 ふっと目をやった窓の外には昨日の雨が嘘のような澄み渡った空が広がっていた。 ところどころ光に反射して直視できないほどに眩しい。 「はぁ~~~・・・」 今日何度目かの溜め息をつくと、そのまま頭をテーブルにゴンとつけた。 一体どうしてこんなに気持ちが沈んでいるというのか。 ・・・そんなのわかってる。 わかってるくせに、自分で気付かないふりをしているだけ。 「まーきの」 「・・・え?」 自分の名前を呼ぶ声と共に響いた黄色い歓声に、つけたばかりの頭を上げる。 「・・・・・・類」 「やっと見つけた」 「え?」 ニッコリ笑うと類は目の前の椅子を引いて腰掛けた。 周囲にいた女性陣がさらに色めきだつ。そして視線が痛い。 普段ならまずいるはずのない男が現れたことに、学食が異様な雰囲気になっている。 それにしても見つけたって・・・・・・あたしを探してたってこと? 「どうしたの?」 「ん? まぁ牧野に話があってさ」 「話?」 うんと頷かれてもまったく見当がつかない。 「牧野、もう全部の試験終わったんでしょ?」 「え? あぁ、うん。昨日で全部終わった」 「じゃあさ、俺の仕事の手伝いしてくれない?」 「手伝い? あたしが?」 「そう」 いつも突拍子もないことを言い出す男だが、相変わらず今日も意味がわからない。 一体あたしが彼の仕事の何を手伝えるというのか。 胡散臭そうな顔をしているあたしを見て、類がビー玉を細めて笑う。 「パーティでパートナーになって欲しいんだ」 「パートナー?」 「うん。ほら、他の女は色々と面倒くさいからさ。牧野にお願いしたくて」 「でも、あたし・・・」 「大丈夫。ただ横にいてくれるだけでいいんだ。何も面倒なこともない。お礼も弾むよ」 「いや、お礼とかは全然いいんだけどさ、」 「じゃあ決まり。急で悪いんだけど明日から数日大学休んでもらっていい?」 「・・・はぁっ?!」 一体どこまで意味不明なことを言い出せば気が済むのか。 「試験は終わったんでしょ? じゃあ数日くらいなら大丈夫でしょ」 「いや、意味わかんないから! なんで休まなきゃいけないわけ?! バイトだってあるし・・・」 「バイト先にはもう話をつけてあるよ」 思いもしない言葉に思わず二度見してしまった。 ・・・何だって?! 「試験で大変そうだったからさ、バイト先には俺の方から言っといたから」 いやいやいや、言っといたからじゃないよ! ニコニコととんでもないことを言い出す男に思わず目の前がクラリとする。 「ちょっと待って。あのさ、まぁこの際パーティに同伴する件は置いといて。それと大学とバイトを休むことがどう関係するわけ?全くもって意味がわからないんだけど」 「だって日本じゃないから」 「・・・・・・・・・へ?」 「パーティの会場が日本じゃないんだもん。休まないと無理だろ?」 「に、日本じゃないって・・・・・・・・・まさか」 あたしの言葉を聞く前にニッコリと笑うと、おもむろに類が立ち上がった。 「じゃあそういうことだから。出発は明後日の午前中。パーティで着るドレスはこっちでも準備しておくけど、牧野は例のあれがいいんじゃない? じゃあまた迎えに行くから」 「ちょ、ちょっとっ?!」 じゃあ、じゃないよっ!! 一方的に言い募って背中を向けた類を必死で呼び止める。 が、その前に何かを思い出したように類が振り返った。 「そうそう、仮に牧野が準備してなくても連れて行くから。身一つでも全然問題ないからね。要するにこれは決定事項ってことだよ。・・・じゃ、またね」 全く反論させる隙を与えずにそう言うと、王子様然とした笑顔を見せて今度こそ本当にいなくなってしまった。 あたしはその場に呆然と立ち尽くしているだけ。 嵐を巻き起こして何事もなかったようにいなくなった男をただ見送るだけだった。 あれから3日後。 一体どうしてこんなことになっているというのか。 しっかり立たなきゃと思うのに、その心に反して足はカタカタ震えて止まらない。 「そんなに緊張しないで」 「するに決まってるじゃん! なんだってこんなとこに・・・仕事って言ってたじゃない!」 「仕事だよ? そしてパートナーが必要だったのも本当。だから牧野に頼んだ。嘘はついてない」 「でも、だからって・・・」 今にも泣きそうになるあたしの頭にふわっと温かい感触が載せられる。 「会いたくない?」 「それは・・・」 「怖い?」 その言葉にドキッとする。 怖い・・・ 今の自分の気持ちを最も表現しているのはその言葉なのかもしれない。 今日、ここにいるであろう男に会ってしまうのが。 「だって、あたしが来てること言ってないんでしょ?」 「うん。驚かせようと思って。その方が喜ぶでしょ」 「でも怒ったら・・・」 「あはっ、なんで怒るのさ。喜ぶことはあっても怒るなんてあり得ないでしょ。もっと自分に自信を持ちなよ」 「・・・・・・」 黙り込んで俯いてしまったあたしにフッと呆れたように笑うと、ポンポンと頭を叩いた。 自信・・・・・・ そう。今のあたしは自信を失ってるのかもしれない。 道明寺との遠距離が始まって3年。 長かったような、あっという間だったような。 相変わらず大学とバイトの往復の繰り返しのあたしに、日々世界を飛び回る道明寺。 その生活はすれ違いの連続だった。 それでも忙しい中時間を作ってはあいつは連絡をくれる。 たとえそれが夜中だろうと早朝だろうと、繋がってるんだってことが嬉しかった。 最後に会ったのはイタリアでのほんの短い逢瀬。 その時も類の計らいだった。 一度は断ってしまった婚約指輪をもらって、短いけれど幸せな時間を過ごした。 あれから1年、あたし達は一度も会えてはいない。 最初から覚悟はしていたことだし、気が付けば残すところあと1年。 待つ時間より残された時間の方が少なくなっていたことに、あたしはどこかホッとしていた。 「牧野?」 ボーッと考え込んでいたあたしの顔を類が覗き込んでいる。 「あっ、ごめん。ボーッとしちゃってた」 慌てて顔をあげてハハッと笑う。 そんなあたしを類はただ黙って見つめている。まるで全てを見透かしたような瞳で。 ・・・やめて。 心の奥を曝かないで。 「あ。司」 「・・・えっ?」 その声に思わず類の視線を追った。 ・・・あ。 いた。 人波の中に頭一つ抜けた特徴的な髪の男。 どんなに人が溢れていたって、唯一無二の絶対的なオーラを放つその男。 道明寺司がすぐ目の前にいる。 「どうしたの牧野。早く会いに行こう」 「う、うん・・・」 金縛りにあったようにその場に足が貼り付いて動けないでいるあたしの背中をそっと押すと、類は誘導するように一歩一歩と足を進めていく。彼がいなければあたしは一歩だってその場から動くことなどできないに違いない。 類がずっとあたしを気にかけてくれていることはわかってた。 素直じゃないあたしをいつだって助けてくれた。 今日こうやって強引な形でここに連れてきたのも・・・全てはあたしのため。 素直に会いたいと言えずにいる弱虫なあたしのため。 「・・・・・・あ」 遠目に見えた光景にそれまで動いていた足がピタリと止まる。 またしても接着剤でくっつけたようにその場に貼り付いてしまった。 「牧野? どうしたのさ」 「・・・・・・」 そんなあたしを一瞥した後、類が視線を前に送った。 そこにはあたしの知らない道明寺がいた。 自信に満ち溢れたオーラは変わらない。 次から次にやってくる人の波に笑顔で対応している。 そんな大人な道明寺がどこか遠い人に思えた。 ・・・そして。 気付いてしまった。 道明寺の左手に添えられた華奢な白い手の存在に。 道明寺が手を添えているわけではない。 それでも、ずっと添えられたその手が振り払われることはない。 そんな中で道明寺は笑っている。 ズキン・・・ 胸がつんと痛くなってなんだかうまく呼吸ができない。 「牧野、行くよ」 立ち止まったままのあたしの背中を押しながら強い口調で類が言った。 足は動かないけれど、それ以上の力で押されて半ば無理矢理足が前に一歩出る。 ドクンドクン・・・ 少しずつ、確実に大きくなるその姿に、心臓が壊れそうなほど暴れ回る。 あたしに気付いたらあいつはどうするだろう。 怒る? ・・・・・・そんなことあり得ない。 それは類の言う通りだろう。 きっと目が落ちるんじゃないかってくらいに驚いて、そして・・・・・・ 想像してクスッと笑いかけたところで目を見開いたのはあたしだった。 ドクンドクンドクンドクン・・・ 「・・・・・・ごめん、類」 「え?」 「あたし・・・・・・やっぱり先に戻ってる」 「え? あ、牧野っ!!!」 驚く類が引き止めるのを振り払うと、あたしは全速力でその場から駆けだした。 後ろからあたしを呼ぶ声が聞こえたけれど、脇目も振らずにただひたすらに。 走って、走って、走って、走って・・・・・・ 「きゃっ?!」 ドサドサッ! バサッ!! 「いったぁ~~~・・・」 慣れないヒールで全力疾走なんてするもんじゃない。 思いっきり派手に転んで恥ずかしいったらありゃしない。 ・・・とはいえ廊下にはほとんど人がいなかったのが救いだけれど。 「・・・・・・あ~あ」 立ち上がってパンパンとワンピースについた汚れを叩き落とす。 このドレスを着るのは2回目。 初めて身につけたのは静さんの結婚式だった。 ・・・と、すぐ目の前に転ったままの袋が目に入ってきた。 ・・・・・・会いたかった。 ずっとずっと、会いたかった。 でもそれと同じくらい会うのが怖かった。 その相反する気持ちが自分の中でぐちゃぐちゃだったけど、今日はっきりと気付いてしまった。 ____ 自分の知らないあいつに会うのが怖かったんだって。 偶然見かけた経済誌で見たあいつはまるでどこか知らない人のようだった。 傲慢で、俺様で、世界は自分を中心に回っていると思っていたようなそんな男が、一体どこの紳士なのかと思うほど、大人の顔をして写っていた。 その中には隣に女性を引き連れた写真もあった。 そっと腕に手をかけられていたけれどあいつは笑っていた。 ____ さっきと同じように。 何もないなんてわかってる。 手をかけられていても、あいつが手をかけている写真なんて一つもない。 それも仕事の一つなんだってこともわかってる。 やりたくてやってるんじゃないってことも。 そんなことはわかってる。 わかってるわかってるわかってる!!! 「・・・・・・あ~あ」 転んだ拍子に飛んだ袋を手に掴むと、くしゃくしゃになった場所を綺麗に手で整えていく。 破れかぶれのその状態がまるで・・・・・・ 「ふふっ、まるであたしみたい」 ずっと気付かないように蓋をしてた。 自分の中にあるこの正体が一体何かってことを。 あたしは・・・・・・怖かったのだ。 ずっとずっと自分よりも大人になってしまったあいつに会うことが。 自分が頑張るその何百倍もの速度であいつは大人になってしまう。 ・・・・・・まるで自分だけ置いてけぼりにされてしまったような。 そんな言葉にできない寂しさをずっと感じていたのだということを。 会いたい。 その一言がどうしても言えなかった。 言ったら、あいつの足を引っ張ってしまうような気がして。 ・・・そして、そうしてしまったら自分の気持ちに歯止めが効かなくなるんじゃないかって。 そんな弱気なあたしが、どんどん輝いていくあいつにどんな顔して会えばいいのか。 会いたくて、会いたくて、会いたくて、 ・・・・・・怖くて。 「ふっ・・・うぅっ・・・」 そんな自分が情けなくて恥ずかしくて。 「うぅ゛~~~~っ・・・」 ポツンと廊下に佇んだまま、気が付けば声を出して泣いている自分がいた。
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明日への一歩 34
2015 / 02 / 13 ( Fri ) 「あいつは?」
ノックもなしに入った室内で目的の人物を探す。 「彼女なら今現在昼休憩に行かれてますよ」 「またあいつらとか?!」 「確認したわけではありませんがおそらくそうかと」 予想通りの展開に司がチッと舌打ちする。 「ここ最近一体なんだってんだ? 今まで誰かとつるむようなことなんてなかったってのに」 「さぁ・・・。ただ正式に婚約者と発表されてから明らかに変わりましたね」 「普通は逆なんじゃねーのか?」 そう。 普通ならば副社長、ひいてはいずれ社長夫人になるであろう人物とは恐れ多くてそうそう馴れ馴れしくなどできないはず。 それだというのに何故だかつくしの場合はその真逆だった。 素性のわからない謎の秘書だった頃の方がよっぽど孤立していた。 それが今はどうだ。 発表してからというもの、日に日に秘書課の人間との交流が増えている。 課を牛耳っていたケイトリンがいなくなったことも影響があるのかもしれないが、それを差し引いてもこのところの変化は目に余るものがある。 仕事以外ではすっかり自分との時間が減ってしまい、司としてはすこぶる面白くない。 「あいつらつくしの立場につけ込んで近付いてるってことはねぇのか?」 「心の内まで探ることは不可能ですが、少なくとも私が見ている限りではそんな印象はありませんでしたね。むしろ純粋に牧野様に興味を抱いているといいますか」 「・・・チッ、あの人ホイホイが」 「人ホイホイ・・・ですか?」 司の口から出た意外な言葉に西田が思わず顔を上げる。 「そうだろ? あいつはいいものも悪いものもすぐに呼び寄せるからな。ったく厄介な女だぜ」 「まさか副社長の口からホイホイなんて言葉が出るとは思いもよりませんでしたね」 「昔あいつの家で見たことがあるんだよ。虫をおびき寄せるあれをな。この世にあんなもんが存在するなんて知りもしなかったけどな」 「人ホイホイ・・・」 独り言のようにその言葉を繰り返す西田の姿に司の眉根が寄る。 「・・・なんだよ?」 「・・・いえ、人ホイホイ・・・」 「だから何なんだっつってんだよっ!!」 無表情ながらもどこか感慨深げに延々と繰り返す西田に司がイラッと声を張り上げる。 だがそんなことには慣れっこの西田は無反応だ。 「・・・いえ、牧野様との歴史を感じた、ただそれだけで他意はございません」 「・・・チッ。ったくどいつもこいつも。とにかくあいつが戻って来たら俺の所に来るように言っとけよ」 面白くなさそうにそれだけ言い残すと、司は自室へと戻って行ってしまった。 「人ホイホイ・・・」 司がいなくなっても尚、いたく気に入った様子で西田はその言葉を呟いていた。 *** 「ねぇねぇ、ずっと気になってたことなんだけどさ」 「・・・何ですか?」 「蹴られて惚れたってどういうこと?」 「えっ!!」 思いもよらぬ質問につくしの箸から唐揚げがぽろっと転げ落ちた。 「あぁっ! フーフー、よし、セーフ! ・・・って、あ。」 貧乏丸出しのその一連の行動に、その場にいた全員の視線が集中する。 「あ、あの・・・えーと、これはですね、」 「ぷっ、あははっ! あなたってほんっと面白い子ね」 「は、ははは・・・狙ってやってるんじゃないんですけどね」 「とてもじゃないけど副社長夫人になる人だとは思えないわね」 「あ・・・はは」 そこは否定できないだけに何も言い返せない。 三つ子の魂百まで。幼少期から培ったこの庶民体質を変えることなどできるはずもなく。 つくしは今さら取り繕ったところで仕方がないと、拾った唐揚げをパクッと口に放り込んだ。 「それで? 蹴りから始まったってのはなんだったの?」 「あ~・・・それはですね・・・」 チラッと視線を上げると、自分を取り囲むようにキラキラと興味津々な瞳が突き刺さる。 あぁ、一体全体何がどうして。 いつの間にこんなに状況が変わったというのか。 つくしは目の前で笑う女性陣を見ながらアハハと笑うしかなかった。 婚約が全世界に大々的に発表されたパーティだが、今質問を投げかけてきたベティを筆頭に、秘書課の面々は立場上ほとんどが参加していた。だがあの日以降、何故だかこれまで疎遠だったその面々がやたらと接点を持つようになってきた。 はじめは自分を通して司に近付きたいという下心かと警戒もしたのだが、接しているうちにどうもそういうわけでもなさそうだということに気付く。 なんというか・・・簡単に言えば 「興味本位」 その一言に尽きる。 しかも決して悪意のある興味本位ではなさそうなのだ。 もともと、彼女達にとって司は憧れの人であると同時に、どこか非現実的な雲の上の人という認識があったらしい。ケイトリンだけは現実の夢として強い想いがあったようだが、その彼女なき今、意中のアイドルを射止めたシンデレラガールとはどんな女性なのか?! まさにそこに興味津々といった感じなのだ。 ベティがつくしと以前から親しくしていることを知っていた面々は、彼女を通してことあるごとにつくしとの接触を図り、今では時間さえあえばこうしてランチタイムを共にすることが日課になっていた。 あまりの変わりっぷりにつくしもどうしたものかと思いつつ、なんだかんだで彼女達と過ごす時間は楽しく、戸惑いつつも嬉しいと感じているのも事実だった。 実際、蓋を開けてみれば本当に悪意のある人間などいなかった。 それだけケイトリンの存在が大きかったのだと、つくしは拍子抜けしていた。 「副社長をあなたが蹴ったってこと?」 「う・・・えーと・・・・・・はい」 つくしが頷くときゃあっと女性陣が色めきだつ。 日々色んな話題に混じって必ず2人の関係についての質問が飛び出す。 きっと本音では聞きたいことだらけなのだろうが、さすがに気を使っているのか、日々少しずつ聞き出してくる、そんな状態だ。 そして今日は一番説明するのが厄介な出会い編らしい。 「あの副社長を蹴る人間がいるなんて凄いわね」 「あはは、私も蹴りたくて蹴ったんじゃないですけどね。でもそれ以外あの時は選択肢がなかったっていうか・・・」 「自分で腐った根性を叩き直されたって言ってたけど、そんなに酷かったの?」 「はい。そんなに酷かったんです」 「えぇっ?! そうなの?」 即答したつくしに女性陣が意外そうな声をあげる。 信じられないのも仕方がないことなのかもしれない。 彼女達が知る司はあくまでも副社長としての道明寺司。 女性を含めた人を寄せ付けない孤高のライオンとして有名ではあるが、仕事に関しては真面目。 言わばエリートとしての姿しか見ていないのだから。 「昔はほんとに酷かったんです。この世に自分の思い通りにならないことはないってやりたい放題で。ほら、相手が道明寺財閥の御曹司だから、大人ですら逆らえなかったんですよね」 「・・・それで?」 「それで・・・友達がターゲットになって虐められてるのに私がキレちゃって。元々場違いなところにいた私からすればあいつの何がそんなに凄いのかなんてよくわからなかったし、だから頭で考えるよりも先に手が・・・足が動いてたって感じですかね」 「あいつ・・・」 「何が凄いって、副社長をあいつって言える牧野さんが凄いわ・・・」 「え? あー、はは」 意識したことすらなかったが、確かに自分が第三者だったら同じように驚くに違いない。 「要するに先に好きになったのは副社長ってこと?」 「あー・・・自分で言うのもなんですけど、そういうことだと思います」 「へぇ~~っ! なんだかロマンチック! 庶民が王子様に憧れることはあってもその逆なんてそうある話じゃないでしょう?」 「お、王子様・・・・?!」 「世間的に見れば副社長みたいな人は王子様でしょう!」 秘書の一人がアイドルを思い浮かべるようにキラキラと目を輝かせている。 王子様・・・? 司が・・・? どちらかと言えば王様の間違いじゃないだろうか。しかも暴君。 「新聞で見たけど、社長が相当な妨害したんですって?」 「あー・・・はい。そんなこともありましたね・・・」 もうどこまでも情報が筒抜けで笑うしかない。 あの日以降、連日新聞や週刊誌で2人の馴れそめや歩みなどが特集されている。 一体誰に聞いたのかと言いたくなるほど、その内容は具体的だ。 「幾多の障害を乗り越えて結ばれる・・・まさに現代のシンデレラストーリーだわ・・・!」 一人の女性が声をあげるとそれに同調するように他の面々もうんうんと頷く。 その目はまるで少女漫画並にキラキラしていてつくしは引き笑い状態だ。 「でも前から言ってたけど、副社長が唯一惹かれたのがあなただってのがよくわかるわ」 「ベティさん?」 「物怖じしないところもそうだけど、あなたって人を惹きつける不思議な魅力があるんだもの」 「・・・?」 つくしには言われている意味がいまいちよくわからない。 「荒れていた副社長や絶対に許さないスタンスだった社長を変えたことは言わずもがな、西田さんだってそう。それに見てみなさいよ。ここにいるこの子達だって、中にはあなたに嫌がらせしていたはずの人間だっているでしょ?」 その言葉に数名が非常にバツが悪そうな顔で俯く。 「それなのに今はどうなの? すっかりあなたに夢中じゃない。きっかけは副社長かもしれない。でも私も含めて、皆が興味があるのはいつの間にかあなたになってるのよ」 「私・・・?」 「そう。牧野つくし、あなたそのものに」 つくしは実感もなくただポカーンと口を開けたまま。 ベティはそんなつくしにクスッと笑った。 「だって、世界に婚約者だって発信したのに次の仕事で開口一番あなた言ったじゃない。 『ここでは一切合切特別扱いをしないでください。敬語になったり、今までと接し方を変えたりするようなことは絶対にしないでください。お願いしますっ!!』 って」 「あ・・・」 言った。 確かに言った。 あくまでも今の自分は第二秘書。そして一番の下っ端だ。 公私混同だけは絶対にしたくなかった。 だから週明け最初の顔合わせで頭を下げてお願いしたという経緯がある。 「もうびっくりよ。そんな人なんてそうそういないわよ。もうあの時にはこの子達のハートはあなたに持って行かれてたんだわ」 「はぁ・・・」 全くそんなつもりはなかったがそう受け止められていたとは。 「でも残念だわ。せっかくこうして牧野さんと親しくなれたと思ったらもうお別れだなんて」 「あ・・・」 「今週いっぱいで帰国するんでしょう?」 「・・・はい」 今日は水曜日。 つまりは残された時間はあと3日しかない。 「そう・・・寂しくなるわね・・・」 「あ、あの! きっと副社長のことですからまたこっちに来ることもあると思うんです。その時は私もついてきますから! だからまた会えますよ! ねっ?」 なんだかお通夜のように静まりかえってしまった空気を変えようとつくしが必死で言葉を探していく。 「いつか私も日本に行ってみたいわ」 「えっ?」 「日本に行けばあなたに会えるんでしょう? ボスの出張でもいいし、個人的にでもいい。いつかあなたのいる日本に行ってみたいわ」 「ベティさん・・・。はい、是非来てください! 来日されたときには邸に泊まっていってください」 「え、お邸って・・・副社長の?」 「はい。無駄に部屋があるのでいくらでもどうぞ」 ニコッと笑って頷いたつくしに飛びついたのはベティではなかった。 「行きたいっ!! 行ってみたいっ!!」 「私もっ、行ってみたいっ!!」 「私もよっ!」 ガシッとつくしの手を掴むと一様に目を輝かせて食い付いてきた。 雲の上の人と諦めてはいても、やはり憧れは相当なようだ。 「ちょっとあなたたち、牧野さんが困ってるでしょ。副社長への下心がほんの一ミリでもある者はダメよ。牧野さんがいいって言ったところで副社長に追い出されるのがオチよ」 「あ・・・確かに・・・」 司の女性への対応を嫌と言うほど熟知している面々は途端にトーンダウンしていく。 つくしはその姿に堪らず笑った。 ピリリリリリリリッ! 「あ、いけない。もうこんな時間。そろそろ戻らなきゃ怒られちゃうわよ」 「わぁっ、大変!」 ベティの携帯が憩いの時間終了を知らせたアラーム音に全員が慌てて片付けを始める。 これまで騒がしかったのが嘘のように、その後誰もいなくなった中庭は静寂に包まれていた。 *** 「西田さん、副社長は何時頃戻ってくる予定ですか?」 最後の書類をファイルにとじると、それをパタンと閉じながらつくしが顔を上げた。 時計を見れば就業時間を30分過ぎたところだ。 急遽入った会議で司はまだ戻って来ていない。 「そうですね。おそらくあと1時間ほどではないかと。何かありましたか?」 「あ、いえ。・・・あの、何か他にもする仕事はありますか?」 「いえ、今日は先程お渡ししたもので終わりです。いつ上がっていただいても構いませんよ」 「そうですか。・・・・・・あの、ちょっと席を外してもいいですか? すぐに戻りますので」 「構いませんよ。社長ももう少しかかるでしょうからゆっくりで大丈夫ですよ」 「ありがとうございます。じゃあちょっとだけ・・・失礼します」 ホッとしたように笑って立ち上がると、つくしはいそいそと部屋から出て行った。 「・・・・・・・・・実にわかりやすいお方ですね」 自分に向かって西田がそんなことを呟いていたなんてこと、つくしが気付くはずもない。 ガタン・・・ エレベーターが目的のフロアで止まるとつくしは先を急ぐ。 途中、まだ残っている社員がつくしに気付く度に頭を下げていく。 あれ以降すっかり目上の人扱いされるようになってしまい、どうにもこうにもやりづらい。 つくしの方こそ頭を下げて回りたい気分だ。 「あの、ちょっと呼び出していただきたい人がいるんですが・・・」 「え? ・・・あっ!」 入ってすぐのところにいた社員がつくしの顔を見て驚きに目を見開いて立ち上がった。 ・・・・・・そんな、幽霊を見たわけでもあるまいに。 「あ、あのどなたをお探しでしょうか・・・?」 明らかに自分より年上だとわかるその女性がオタオタしながらつくしに尋ねるその姿に、思わず溜め息が出そうになるが何とかそれを呑み込む。 「あのですね、み・・・・・」 「牧野?」 「えっ?」 後ろから名前を呼ばれてハッと振り返る。 今この会社で自分を呼び捨てにする人間などまずいない。 いるとすればそれは司と・・・ 「皆川君」
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星降る夜に奇跡をひとつ 4 完 by うさぎ
2015 / 02 / 13 ( Fri ) 抱きかかえられたまま店を出る。
店の前にハザードランプを点滅させてリムジンが横付けされていた。 あたしを抱きかかえたままリムジンに乗る。 扉を閉める運転手に邸向うように指示を出す。 それ以降、無言だった道明寺が大きなため息を吐いた。 「はぁ~~~」 ため息を吐きたいのはあたしの方だ。 みんなになんて言ったらいいのだろう。 って言うか、膝の上に乗ったままなんですけど。 「なぁ、牧野。」 さっきまでの俺様な態度の奴からは考えられない弱弱しい声が聞こえた。 「・・・なに?」 「今日何の日か知ってっか?」 「・・・あたしの誕生日」 「好きな女の誕生日を祝いたいと思う俺は変か?」 「・・・・変じゃないです・・・。さっきまで自分の誕生日だってことを忘れてた。」 「・・・・だと思った。」 「・・・・ごめん。」 また無言になった道明寺。 怒っているんだろうけど、あたしを抱きしめる腕はとても優しかった。 程なくして邸に着いた。 使用人、執事がお出迎えをしてくれるこの邸。 いつもは道明寺の後ろを、ペコペコと頭を下げて通り過ぎるが今日は違う。 「ちょっと、歩ける。降ろして。」 「うるせー、黙ってろ。」 お姫様抱っこをされてリムジンを出た。 さっきまでの俺様に戻ってしまった。 うげぇー 恥ずかしすぎる。 「顔見られたくなかったら、寝たふりして俺の方向いておけ。」 頭の上から聞こえるのは小声の優しい声だった。 「・・・うん。」 目を閉じ道明寺の胸板に顔をうずめる。 道明寺のコロンの匂いに、ずっと恋しかった温もりに涙が出そうになった。 「「「「「お帰りなさいませ。」」」」」 一斉に聞こえる声、今日はごめんなさい。 「タマ、準備してたか?」 「えぇ、仰せの通りに。寝ているのですか?」 「あぁ。今日はもう下がれ。部屋にも来なくていい。」 「畏まりました。つくしにたんじ」 「タマ、俺より先に言うな。」 「失礼しました。」 タマさんごめんなさい。気持ちはちゃんと受け取りました。 長い廊下を、あたしを抱きかかえて歩く道明寺。 「もう、目開けてもいいぞ。」 その声で瞼を開けると、土星を見た部屋の前だった。 あたしを抱きかかえたまま扉を開ける道明寺。 おろしてくれてもいいのに。 ゆっくりとベッドにおろされた。 顔が近い距離。 目が合うと、綺麗な顔の道明寺の顔が近づいてきた。 そっと触れる唇。 さっきの濃厚なキスではないが、道明寺はキスが上手い。 一度知ったら抜け出せない。あたしを乙女へと変貌させる。 瞼を開けると整った顔の道明寺が微笑んだ。 「牧野、誕生日おめでと。」 「・・・ありがと。」 何だか照れくさい。 「ちょっと、待ってろな。」 ? 天体望遠鏡を覗き込む道明寺。 前は1時間以上かかったのに、そんなに時間はかからず見つけたようだ。 「牧野、こっちに来い」 差し出された手で起き上がり、天体望遠鏡を覗き込む。 「きれー。あっ流れ星。」 願い事言いそびれちゃった。 「天気が良くて良かったぜ。俺が天気を気にするなんて青天の屁こきだな。」 ・・・・これと温厚な性格ならば、完璧な男なのだが・・・。 でも、これでこそあたしが好きな道明寺だ。 「土星見せてくれてありがとう。」 「おう。」 あたしを抱きしめる道明寺。 あの時のあたしは道明寺が好きなのかわからなかった。 でも、今は違う。 大好き・・・いや、愛してる。 包まれていた腕を離され、見つめ合う。 そこには決意を固めた時の道明寺の顔があった。 その顔は渡米を決意したあの時の道明寺の顔とダブった。 「牧野、結婚して。」 聞こえた声が、またあの時とダブる。 「えっ結婚って・・・社会人として最低でも2年働いていいって。」 自分も社会に出て働いてみたいと我儘をいい、2年だけ結婚を待ってもらっていた。 「あの時はそうだった。・・・・またNYに行くことになった。」 「えっ」 「デカい事業で俺が担当する。3年は確実にNYだ。」 「3年?」 「あぁ、俺はお前ともう離れたくねぇ。お前はどうなんだ?」 あたしの肩を掴む道明寺の手に力がはいる。 「・・・あたしは・・・・」 約束通り4年で帰って来た道明寺。 帰って来て日本で仕事をする道明寺は長期の出張で海外に行くことは何度もあったけど、日本に赴任しているから帰って来ることが当たり前だった。 大学にバイトのあたしと分単位で構成されたスケジュールの道明寺。 すれ違いの生活だったけど、それでも時差を気にしない電話と頑張れば会える距離。 4年の遠距離の時より恋人らしいあたしたちの関係だった。 あたしが大学を卒業してお互い社会人になった今でも、忙しい中時間を作って会えることがうれしい。 それがまた離れ離れだなんて・・・ 「牧野、お前はあの時俺の10分の1しか好きじゃないって言ったよな? 今はどうなんだ。」 「・・・今は・・・・。」 あの時よりもっともっと道明寺が好き。大好き。 あたしはどうしたらいいんだろう。 道明寺と対等になりたくて今まで頑張って来た。 もう離れるなんて嫌だ。 魔女は?ラオウは?認めてもらえた? 頭の中でグルグルと考える。 道明寺と連絡取れなかったこの数日。 聞きたかった声。 包まれたかった腕。 触れたかった唇。 あたしは・・・・・ 涙が溢れていた。 「・・・泣かせるようなこと聞いたか?」 横に首を振る。 道明寺が優しく流れた涙を拭いてくれた。 「・・・・好きだよ。あの時より・・・大好き。」 「じゃあ、俺についてこい。お前の心配してることはなんもねぇよ。あの時守れなかったけど、今は守ってやれる。」 「・・・・守ってもらうのはイヤッ。」 「ったく、相変わらず可愛くねぇな。」 道明寺はポケットから小さな箱を取り出した。 「俺を幸せにしてくれ。」 差し出された指輪、初めてもらったのは病院の中庭だった。 あれから数年。 あの時のバカでかいダイヤではなく、私のことを考えて選んだ小さなダイヤモンドの指輪。 道明寺、相手のことを考えられるまでいい男になったんだね。 「・・・いいよ。あたしがあんたを幸せにしてあげる。だからあたしも幸せにして。」 ニヤリと笑う道明寺。 「任せとけ。」 そっと指輪を左薬指にはめてくれた。 はめた指輪を撫でる道明寺があたしの手を強引に引っ張った。 「キャッ」 包み込まれる男らしい腕。 私は土星の球体だろうか。 この温かい腕は土星包み込むリング。 守られるだけじゃいやだけど、この人になら守ってもらってもいいかな。 月に照らされた道明寺。 あの時、触られただけで逃げた。 でも今は触られたいと思っている。 甘く優しいキスから深くなるキス。 あたしは道明寺を愛してる。 道明寺の背中に腕を回す。 離れた唇は、お互いの唾液で濡れていた。 唇を月明かりが照らし輝く。 窓から月と星があたしたちを照らしていた。 「プレゼントは忙しくて買えてねぇから、今年のプレゼントは俺な。受け取れ。」 プレゼントは俺って。 あんたそれ女の子が言うセリフだよ。 見た目はすっごくかっこいいのに、日本語が弱い。 短気で、嫉妬深くて、女々しくて、ロマンチスト。 そんな道明寺があたしは大好き。 「いいよ。プレゼントなら包装とらないとね。」 そっと、道明寺のワイシャツのボタンに手を伸ばした。 「あぁ。」 抱き合いお互いの体温を感じ、愛を確かめ合う。 カーテンの隙間から流れ星がまた見えた。 あたしの願いは・・・・ 道明寺とずっと一緒に居られますように・・・・ 数年前、土星のネックレスをもらったこの部屋で、プロポーズの言葉と指輪。そして道明寺をもらった。 「牧野、愛してる。」 耳元で囁く甘く低い声。 「・・・あたしも。愛してる。司。」 あたしの言葉に、目を見開いたあと少年のような顔で笑った道明寺がいた。 その笑顔が、あたしが一番欲しかったプレゼントだ。 FIN HAPPY BIRTHDAY TSUKUSHI
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星降る夜に奇跡をひとつ 3 by みやとも
2015 / 02 / 13 ( Fri ) 青天の霹靂。
鳩が豆鉄砲を食ったよう。 今の自分を表現するならまさにこの言葉が相応しい。 でもそれは決してあたしだけじゃなくて。 この場にいた全員がポカンと口を開けて突如現れた男に目を奪われていた。 最初に我に返ったのは相葉さんだ。 「あ、あの、どちら様ですか・・・?」 目の前で仁王立ちする大男にびびっているのだろうか、かなり弱腰だ。 「あぁ?てめぇこそ誰だ。人の女にちょっかい出すなんざ、それ相応の覚悟はできてんだろうな」 「えっ?!女・・・・・?」 人を殺しかねない鋭い睨みに縮み上がりながらも相葉さんは耳に入った言葉を繰り返す。 やがて室内がザワザワと騒がしくなり始めた。 「ね、ねぇ牧野さん、女ってまさか、この男性って牧野さんの・・・?」 「えっ?あ、あははははは」 すぐ隣に座っていた二宮さんが道明寺とあたしを交互に見ながら耳打ちしてきたが、この場にいる全員の視線が突き刺さり、もう笑うしかない。 「あれ誰・・・・?」 「めちゃくちゃカッコイイ~!」 「っていうかどっかでみたことないか?」 「誰だっけ・・・・?」 会場のあちらこちらからそんな声が聞こえてくる。 あぁ、これまで彼氏がいるか疑問にすら思われたことのないあたしが。 別に隠してたわけでもないけど、内心平穏に過ごしたかったのも本音で。 それでもいつかはこういう日が来るだろうとは覚悟はしていたのだけれど。 よりにもよってこん な形でばれることになろうとは。 「なぁ、牧「おい、牧野」 オロオロしながら声をかけてきた相葉さんに被せるようにして響いた重低音。 ビクッとお尻が浮いたような錯覚を覚える。 頭上から痛~~~い視線をビリビリと感じながらゆっくりと顔を上げていく。 ・・・・うっ!! そんなに怖い顔で睨まないでよ! 「ひ、久しぶり」 へらっと。どうしていいかわからずにとりあえず笑ってみる。 ピキッ! 瞬間、あいつの顔に青筋が一本立ったような気がした。ヒ、ヒィっ!! 「久しぶりじゃねーよ。さっきのは何なんだよ。今日は仕事なんじゃなかったのか?」 「し、仕事だよ!ここにいるのは全員職場の人なんだから!」 「じゃあ何で告白なんかされてんだよ。 おかしいだろうが!」 「そっ、それは・・・!」 あたしに言われても困る!・・・・と言いたいけれど怖くて言えない。 どうせお前に隙があるからだとか言われるに決まってる。 あたしが望んで告白されたんじゃないのに! っていうか相葉さんは何かの罰ゲームでもさせられてたんじゃないの?! 「しかも何なんだよその格好は・・・」 「へ?」 格好って・・・色気もクソもないただのリクルートスーツですけど? 「うなじがチラッと見えるような髪型に妙に色気づいた化粧してんじゃねぇか」 「あっ、これは・・・!」 そうだった。さっきレストルームで二宮さんにやってもらったんだった。 自分じゃ見えないからすっかり忘れていた。 「人が必死こいて来てみりゃあ お前は相変わらずフラフラしやがって・・・!」 「ちょっ、ちょっと!人聞き悪いこと言わないでくれる?!」 「事実だろうが!」 「あのねぇっ!」 突然目の前で始まった言い争いにその場にいる全員が固唾を呑んで見つめている。 「あ、あのっ!!」 その時、震える声で二宮さんが手を上げてあたしたちの間に入ってきた。 「わ、私です・・・・」 「あぁ?」 道明寺の切り返しに二宮さんが一回り小さく縮んだような気がする。それでも彼女は諦めない。 「私なんです!牧野さんのメイクとヘアアレンジさせてもらったのは。さっきお手洗いで話したのが楽しくて、それにちょっと落ち込んでたみたいだから元気づけようと思って、それで・・・・ごめんなさい!だから牧 野さんは何も悪くないんですっ!!」 そう言うと二宮さんはガバッと頭を下げた。 「ちょっと二宮さん!そんなことしないで!」 「いいの、私の余計なお世話が喧嘩の原因になってるのは事実なんだから」 頭を上げるように肩に手を置いても二宮さんは引かない。 あたしは道明寺をキッと睨んだ。 「ちょっと道明寺!あたしの友達になんてこと言わせるのよ?!彼女は何も悪くないんだから!」 さすがにこうも堂々と謝られてはこれ以上何も言えないのか、道明寺もバツが悪そうな顔をしている。 「・・・わかったよ。悪かったな」 「・・・・!いえ、こちらこそすみませんでした」 二宮さんがホッとしたように笑って目を潤ませている。 「おい、今道明寺って 言ったか・・・?」 「道明寺って、あの?!」 「っていうか俺、経済誌で見たことあるぞ」 「えっ、じゃあ牧野さんの彼氏って道明寺財閥の・・・・?!」 一難去ってまた一難。 今度はあたしの口から飛び出した道明寺という言葉に室内が異様などよめきに包まれていく。 相葉さんが驚愕の顔で私を見ている。 「お、おい牧野、本当なのか?」 「えっ、えーと、は・・・」 「おい、そこのお前」 「は、はいっ!!」 ドスのきいた声にご指名を受けた相葉さんがビクッと跳ねた。 次の瞬間、あたしの体が大きな手にグイッと引き寄せられ、気が付いたときにはあいつの胸の中にすっぽりと収められていた。 「ちょっ、ちょっと?!」 「いいか、耳をかっぽじってよーーーー ーく聞いとけよ。こいつは俺のもんだ。指一本髪の毛一本も触れることは許さねぇ。万が一の時は・・・・・・それ相応の覚悟をしておけよ。・・・わかったか?」 「は、はいィっ!!!!」 相葉さんは直立不動で壊れたロボットのようにただ首を縦に振り続ける。 これじゃあ完全な脅しじゃないか! 「ちょっと道明寺!すごまないでっていつもんっ・・・・・・・!!!!!!」 口から出かけた文句がすっぽりと呑み込まれる。あいつの中に。 何を思ったか、あいつはそのままあたしに覆い被さると皆が見ている前で濃厚なキスをしてきた。 「ん~、ん~~~~っ!!!!」 ジタバタ体を動かして抵抗してもうんともすんとも言わない。 あいつが少しでも本気を出せばあたしの 力なんてありんこ以下なわけで。 為す術もなく全員の視線を浴びながらされるがまま翻弄され続けた。 「はぁっはぁっはぁっ・・・・・」 「おっと」 ようやく解放された時には足元からガクッと崩れ落ちて。 あいつはそれを予想していたかのようにいとも簡単に抱きとめた。 「こいつの荷物は?」 「えっ?あ、あぁっ、こちらです!!」 たまたまあたしの近くに座っていた同僚が献上物を捧げるように道明寺にあたしの荷物を差し出している。 「じゃあこいつはもらってくから」 そう言うと、片手でヒョイッとあたしの体を持ち上げてその身を翻した。 だが一歩進んだところでピタリと止まる。 「あ、そういえばここの会計は全部済ませてっから。じゃな」 最後の捨て台詞を残して道明寺は颯爽とその場を去って行った。 まるでハリケーンでも過ぎ去ったかのように、 その場に残された誰もがしばし動くことができなかった______ なんてことを聞かされたのはもう少し先の話。
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