幸せの果実 12
2015 / 03 / 31 ( Tue ) 「あの・・・それっていつも手作りされてるんですか?」
「えっ?」 「あっ・・・ごめんなさい! プライベートなことまでペラペラ聞いてしまって・・・申し訳ありません!」 うずらの卵を口に入れた状態で止まって顔を上げたつくしに、余計なことを詮索してしまったと我に返った目の前の女が過剰なほどにぺこぺこと頭を下げ続ける。 「あぁあぁ、佐藤さん、謝る必要なんてないですから。いい加減止まってください!」 「は、はいっ・・・すみません・・・」 顔を上げてくれたはいいものの、尚も申し訳なさそうにしている姿につくしの方こそ恐縮しきりだ。 「ほんと、変に意識しないでくださいね?私は皆さんと対等な立場で仕事したいと思ってますから」 「は、はい・・・」 『私はここに社会人として仕事に来ています。社長の妻であるということは仕事においては忘れていただけたらと思っています。私も仕事中は私情を持ち込まず、夫ではなく上司として接するつもりです。それから、この職場において一番の未熟者は私です。ですから遠慮なく厳しくご指導いただけたら嬉しいです。 皆さんにとっては正直やりづらい環境だとは思いますが、どうかよろしくお願い致します」 つくしが初日の挨拶で話した言葉だ。 司の社長就任に加えその奥様となる人物の登場に、例に漏れず秘書課の面々も緊張した面持ちでその時を迎えたのだが・・・ いざ蓋を開けてみれば拍子抜けするほど低姿勢な女がやって来たではないか。 社長夫人として扱えどころか新人扱いして欲しいなどと、よもや最初の挨拶でそんな言葉が飛んでくるだなんて予想した人間がどこにいるというのか。 「で、さっきの質問ですけど、仰るとおり私が作ってます!! ・・・って言いたいところなんですけどね、さすがに現状そこまでする余裕がないので、お邸の人に作っていただいてるんです。時間に余裕があるときは自分でするんですけどね」 「へぇ~! お邸で働いてる人ですか。さすがは社長のお宅ですね」 「あはは、本当に。人様に作ってもらうなんて申し訳なさ過ぎて足を向けて眠れませんよ」 「えっ? あははは!」 つくしの口から飛び出した冗談にようやく緊張が解れたように笑った。 「・・・でも、意外と庶民的なお弁当なんですね?」 あらためてつくしの手元のお弁当を意外そうに見ている。 「え? あ~、これはですね。そうしてくださいってお願いしてるんです」 「えっ?」 「だってそうでも言っておかないととんでもない中身になっちゃうんですもん。フォアグラとか鴨のローストとか、どう考えてもお弁当とは言わないでしょ?! みたいな」 「す、凄いですね・・・」 「本当にね~、びっくりですよね。確かにおいしいんですよ? でもそういうのってたまーに食べるからおいしいしそのありがたみもわかるんだと思いません? それに、私は庶民ですから。幼い頃から築いてきた味覚なんて、結婚したからって変えることはできません。やっぱりこういう普通の味が一番落ち着くんです」 そう言って手元の卵焼きをパクッと食べて唸りながら心底美味しそうに笑った。 「・・・素敵ですね」 「え?」 「なんだか、あれだけ女性にもてるのに全く興味も示さなかった社長がどうしてつくしさんを好きになったのか、よくわかる気がします」 「えぇ~っ?!」 「ふふ、本当ですよ」 首を傾げるつくしを見てどこか楽しそうに笑っている。 そういえばアメリカにいた頃も同じようなシチュエーションで似たようなことを言われた気がする。 そんなにわかりやすい何かが自分からは出ているのだろうか? 考えてみても自分ではやはり全くわかりそうにない。 つくしが秘書として働き始めて早くも一週間以上が過ぎていた。 最初こそ社長夫人という肩書きに緊張の面持ちだったが、つくしが謙遜でも何でもなく本当に肩肘張らずに向き合える人間なのだということが浸透するまでにはそう時間はかからなかった。 それはこうしてお昼の時間を共に過ごすのが日課になりつつあることからもわかる。 誰と決まっているわけではないが、ランチタイムは秘書課の人間とできるだけ同じ時間を過ごすようにしたいとつくしが願っていた。これはアメリカにいたときと同じで、自分が一社会人だと自覚するためでもあり、何よりも一対一の対等な人間関係を築きたかった。それに尽きる。 最初こそ誰もが恐縮気味だったが、今では日々いろんな相手がつくしとのランチタイムを楽しみにしているようだった。 司は自分と一緒なのは不服なのかなんてことを言っていたが、それも口ばかりで、なんだかんだつくしのやりたいようにやらせてくれている。その気持ちが嬉しくて仕事へのやる気も増していく。 そのプラスの相乗効果は目に見えてわかるほどだった。 「社長ってあんなに笑う人だったんですね」 「え?」 「あっ、いえ・・・その、副社長としていらっしゃったときは笑うところなんて見たことがなかったので・・・」 「あぁ、どうせこーーーーーんな顔してたんでしょう?」 「えっ?」 そう言って目をつりあげて極悪人面するつくしに一瞬呆けた後、佐藤はプッと吹き出した。 「あはは、凄い顔!」 「でも似てると思いません?」 「・・・はい、思います」 思わず出た佐藤の本音に2人顔を見合わせて大笑いした。 「・・・あ。もう時間ですね。そろそろ行かなきゃ」 「本当だ! 私今日はこの後商談についていかないとなんです。急いで歯磨きしなきゃ」 「新事業のやつですよね?」 「そうみたいです。まだまだ勉強不足なので必死です」 「ふふっ、頑張ってくださいね」 「ありがとうございます! じゃあまた。今日は楽しかったです」 パタパタ手元を片付けると、つくしは佐藤に笑顔で別れを告げて急いで休憩室を後にした。 *** 「今から会う社長って30歳なんだ・・・。若いんだね」 移動中のリムジンの中で資料を見ながらつくしが呟く。 「それを言ったら俺は26だけどな」 「え? あ、そっか。あははは、あらためて考えるとほんと凄いよねぇ~。しかもあの道明寺財閥なわけだし。なんか司って、年齢を超越した特殊生物って感じがする」 「なんだそりゃ」 「あははは。でもほんとに凄いよ。その若さで財閥のトップに立つなんて。素直に尊敬する」 あまりにすんなり出てきた褒め言葉に思わず司も目を丸くする。 にこにこ笑うつくしの肩をグイッと引き寄せると、顔がくっつくほどの距離でつくしを覗き込んだ。 今度はつくしが目を丸くする番だ。 「なっ、何?!」 「やけに素直じゃねーか。その気にさせてぇのか?」 「は、はぁっ?! もう、相変わらずバカみたいなこと言わないでよ!」 「バカで結構。つーかお前がスイッチ入れたんだからな」 「えっ? ちょ・・・待って待って待って!今仕事中だってば!!」 今にも触れそうなほどに近付いて来た唇を必死で押し返すがビクともしない。 「今は移動中だ。誰にも見えねぇんだから気にすんな」 「気にするよっ! 口紅だってさっき塗り直したばっかりなんだから! また落ちちゃ・・・んっ!」 突っ張っていた両手がいとも簡単に捉えられると、あっという間に唇が重なった。 しばらくはそれでも抵抗しようとしていたが、やがて面白いように全身から力が抜けていく。 そうなったらもう司の狙い通りだ。 ふにゃふにゃと骨抜きにされていく女を時間の許す限りこれでもかと堪能していった。 「・・・もう、バカバカバカっ! 今から大事な商談があるっていうのに・・・信じらんない!」 結局あれから到着する直前まで散々いいように転がされてしまった。 とはいえキスとせいぜい首筋への愛撫程度なのだが、それでもつくしにとっては一大事だ。 何故なら・・・ 「なんだよ、濡れたのか?」 「な゛っ・・・?!」 耳元で囁かれた信じられない言葉に耳を押さえながら一瞬で真っ赤に染まる。 周りに人がいるというのに何てとんでもないことを言うのか。 キッと睨み付けてはみたものの、説得力がない。 何故なら・・・・・・図星だったから。 この男のキスはそれだけで凄まじい破壊力をもっているのだ。 本当はお腹の奥がキュンキュン疼きまくってたなんてこと・・・言えるはずがない! 「そ、そんなわけないじゃない! もう、ほんとにバカじゃないの?!」 「へぇ~~~? じゃあ商談が終わったら直に確認してやるよ」 「へっ・・・?」 再び耳元で舐めるように囁くと、司はニヤリと妖艶な笑みを浮かべて颯爽と前を歩いて行く。 しばし呆然と立ち尽くしたままだったが、ようやくその意味を理解すると、ボンッ!と音をたてて茹でダコになった。見れば明らかに司の背中が揺れて笑っている。 全くこの男はっ!!!! 「ほら、早く行くぞ、秘書さん」 「・・・もうっ! 待ってくださいよ、社長!」 離れたところで振り返って笑う我が夫であり上司である男。 その笑顔に膨れていた頬が自然と緩んでいくと、つくしは笑って走り出した。 *** 「本日はわざわざお越しいただきましてありがとうございました」 商談は予定通り2時間ほどで終わった。 近く建設予定の商業ビルのデザインを手がけるのが今回訪れたデザイン事務所だ。 決して大きくはないが、このところその手腕を買われ、業界内でもぐんぐん頭角を現してきていると専らの評判の事務所だった。 だが決してその人気にあやかって取引先を決めたわけではない。 今ほど有名になる前から司自身がここがいいと見抜いていたところが結果的にここだったというだけの話。つくしはこうしてことあるごとに彼の鋭いビジネスセンスを感じていた。 目の前にいる男、遠野康介がこの事務所の社長兼設計士なのだが、一見モデルかと思うほどのルックスをしている。おそらく普通の女性であればしばらくは見とれてしまうのではないかと思うほど。 だがつくしにとっては既に過ぎるほどの免疫がついている。 顔を合わせてから今まで、一度もその姿を意識するような素振りはない。 それもそのはず、F4に囲まれ、中でもリーダー格の道明寺司を夫としているのだから、おそらくどんな人間を見ようともその見た目やステイタスで心を揺さぶられることなど考えられない。 まぁそれ以前につくしの場合は性格からしてそうではあるだろうが。 康介はそんなつくしの態度を面白そうに観察しているが、当の本人はそんなことにすら気付いていない。 「いえ、こちらこそ今度とも期待していますので」 「ありがとうございます。道明寺さんにそう言っていただけるのはこの上なく光栄なことです」 エレベーターの前まで見送りに来た遠野に差し出された手に司が軽く手を重ねる。 握手を終えると、今度はつくしの方に体を向けてニコッと笑った。 「つくしさんもこれからよろしくお願いします」 「あ・・・はい。こちらこそよろしくお願いします!」 大事なビジネスパートナーだと、つくしは何の迷いもなく手を差し出した。 一瞬だけ司が面白くなさそうな顔になるが、あくまでこれはビジネス。 握手程度でいちいち憤慨していては仕事にならない。 だがつくしの手が重なった次の瞬間、遠野の口から思いも寄らない一言が飛び出した。 「ずっとあなたとお会いできるのを待ってたんです」 「・・・え?」 意味がわからない顔をするつくしに遠野がにこーっと更なる笑顔を見せる。 その顔は笑っているような・・・笑っていないような。 「たとえ既婚者だろうと関係ありません。私は全力であなたを奪いにいきますから」 「「 ・・・・・・ 」」 2人して言われた言葉の意味が一瞬理解できずに黙り込んでしまう。 先に我に返ったのは当然ともいうべきか司だった。 「てめぇ、何ふざけたこと言ってやがる?」 掴まれたままのつくしの手をすぐさま離そうとしたが、思いの外強い力で握られていて簡単には外れない。司は思わず舌打ちしながら男の手を思いっきり掴むと、力任せにつくしの手から引き剥がした。 そしてすぐにつくしを自分の背後へと隠す。 男は気にした素振りもなくニコニコとその様子を見ている。 「ふざけてなんかいませんよ。私は至って正気です。ずっと彼女のことを想ってたんです。結婚しようが関係ない。人の妻になったのならば奪えばいいだけのこと。遠慮はしませんよ」 司の後ろからつくしが信じられない面持ちでその会話を聞いていた。 それもそのはず。 この道明寺司を前に、かつてこんなことをした人間がいただろうか。 しかも既婚者を前にして堂々と略奪宣言をするなどと、一体誰が予想できるというのか。 そしてそれは司にとっても同じこと。 さっきまでと何ら変わらない笑顔を見せながらも信じられないようなことを平然と言ってのける目の前の男に、一瞬だけ言葉を失う。 突然の急展開に、さっきまでの穏やかなビジネスモードが鳴りを潜め、今にも一触即発しそうな張り詰めた空気が辺り一面に広がっていた。
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幸せの果実 11
2015 / 03 / 30 ( Mon ) 「ん・・・」
もぞっと体を動かすと、絡みついていた腕がぎゅっと力を増してそれを阻む。 あったかい・・・ 背中から全身に伝わっていく温もりに微睡みながら、つくしは再び眠りの世界に落ちていきそうになる意識をゆっくりと浮上させていく。寝ぼけ眼でぼんやりとした世界しか見えないが、その明るさからもう夜が明けていることがわかる。 結婚してから3ヶ月。 毎朝起きる度に何故こんなに世界が輝いて見えるのだろうと思う。 何気ないことが2人でいればこんなにも幸せに変わるだなんて。 「・・・・・・・・・ん?」 夢心地の幸福感に満たされていたつくしの視線がふと、とある一点で止まる。 ぼんやりしていた視界が徐々に正常に戻っていくと、一瞬にしてその顔が真っ青に変わった。 「・・・っ!!! ちょっ・・・起きてっ! 司っ起きてっ!! って言うか離して~~っ!!!」 「・・・・・・んだよ、うるせーよ」 後ろから巻き付いた腕を外そうともがくが、むしろその力が増していく。 「時間っ! 寝坊してるからっ!! 仕事遅れちゃうってば!!! 起きてっ!!!」 「・・・俺はゆっくりで構わねーんだよ」 「あんたがよくてもあたしはそういうわけにはいかないの! 今日は大事な初日なんだからっ!! ねぇっ、お願いだから起きてっ! それか寝ててもいいからこの手だけ離してっ!」 「・・・・・・」 「司っ!!!」 訴えも虚しく、司はまだ半分以上夢の世界に足を突っ込んだままで反応がない。 かくなる上はみぞおちに肘打ちを一発お見舞いするしかないと構えたときだった。 ブァサーーーーーーーーッ!!! 「きゃあっ?!」 「っ?!」 2人に掛かっていたシーツが突如宙を舞った。 と同時に全身がひんやりとした空気に触れる。 「頼まれてた時間になっても起きてらっしゃらないのでお約束通り参りましたよ。いい加減起きてくださいませ」 「タ、タマさん・・・」 呆気にとられる2人の視線の先には仁王立ちしたタマ・・・と数人の使用人が。 だがタマ以外の全員が何故だか赤面して視線が泳いでいる。 「早く起きてその格好を何とかなさってくださいな。食事も準備できてますからすぐに来てくださいね」 「・・・へ?」 それだけ言い残すとタマは使用人を引き連れて出て行ってしまった。 ぽかんと口を開けたままのつくしの背後でゴソッと司が体を起こしたのがわかった。 「やっと起きてくれる気になっ・・・・・・・・・??????!!!!!!」 「・・・? なんだよ」 「い・・・いやああああああああああっ!!!!」 振り向きざまにフリーズした後、つくしの絶叫が邸中にこだました。 「ったく。お前はいちいち大袈裟なんだよ」 「大袈裟なんかじゃないでしょ?! だって・・・だって!! あんな、あ、あ、あんな・・・」 「たかだか裸を見られたくれーでどうってことねぇじゃねーか。男に見られたわけでもあるまいし」 「そういう問題じゃないよっ! っていうか、あんたいつの間に脱がせてたのよ!」 振り向いたつくしが目にしたのは、惚れ惚れするほど完璧な夫の裸体だった。 いや、そんなことに浸っている場合ではない。 当然ながらそれは自分も同じで、裸のまま絡み合う姿を思いっきり見られてしまったのだ。 不幸中の幸いか、抱っこちゃんのようにつくしに密着状態だったため禁域を見られることはなかったようだが、それでも人様にあんな姿を見られるなんて死にそうなほどに恥ずかしい。 それだというのにこの男は何故にこんなに平然としていられるのか! 「お前がパジャマなんて邪魔なもんつけっからだろうが」 「だって今日から仕事じゃん! 万が一風邪でもひいたら困るでしょ?!」 「だからくっついて寝りゃあ何の問題もねぇじゃねーか」 「そういう問題じゃなくて・・・!」 「ほらほらあんた達、いつまでそんなことやってるんだい。そろそろ出なきゃほんとに遅刻しちまうよ。坊ちゃんも今日から社長になるんだろう? 遅刻なんかしちゃあ社員に示しがつかないよ」 「あっ、やばっ・・・! タマさんありがとうございます。じゃあいってきますっ!」 「あっおいっ、待てよっ! ・・待てっつってんだろうが!」 大慌てでエントランスへと走り出したつくしを慌てて追いかける。 急ぎながらもずらりと並んだ使用人にぺこぺこ頭を下げていくつくしに、全く目もくれない司。 それは変わらないこの道明寺邸の今の日常だった。 「・・・やれやれ。あれで今日から社長夫婦だって? 全くどうなることやら」 嵐のように去って行った主を見送りながらタマが呆れたように放つと、その場にいた使用人がクスクス笑いながら温かい眼差しを送っていた。 *** その日、道明寺ホールディングズ東京支社は朝から騒然としていた。 「ねぇ、いよいよでしょ?」 「うん、いよいよね」 「あ~っ、今日こそ一目でいいからお目にかかってみたい~!」 「って言うかさ、奥様も一緒にいらっしゃるんでしょ?」 「あ、あのつくし様とか言われる女性でしょ? なんでも西田さんの下に就いて社長の第2秘書になるらしいわよ!」 「えぇ~っ! じゃあ夫婦が社長と秘書の関係になっちゃうってこと?! やだ~、なんか響きがヤバイっ~!」 「いや、あんたのその顔の方がやばいから」 「ちょっとおっ?! どういう意味よっ!」 受付の女性陣が井戸端会議に花を咲かせていたその時、突然エントランスが異様なざわつきに変わった。それに気付いた彼女達がその騒ぎを視線で辿ると、噂をすれば影、今話していた当事者が2人並んでエントランスに入って来たところだった。 「来たみたいよっ!!」 まだ就業前ということもあり、自分たちの立場も忘れて慌てて持ち場を離れると、少しでもその姿を目に焼き付けようと近づいていく。既にエントランスには無数の人集りができていて、なかなか思うように近づけない。 だが誰が言ったでもなく、彼らから数メートル離れたラインより先に進もうとする者は1人もおらず、まるで見えない線が引かれているかのように見事なボーダーラインが出来上がっていた。 それはレッドカーペットのように。 「・・・・・・!」 ようやく2人の姿を捉えることに成功すると、誰もが息を呑んで言葉を失った。 目の前にいるのは慣れ親しんだ副社長・・・もとい今日から社長となる男、そして噂の結婚相手、道明寺つくしだ。 入籍から3ヶ月、披露宴から既に1ヶ月、つくしはほとんど社員の前に姿を現すことはなかった。 来たことがないわけではない。だが、大抵役員専用通路から出入りしてしまうため、社員が直接お目にかかれる機会はほぼなかった。そうさせていたのは司の指示だったのだが、つくしも社員に余計な混乱を与えて業務に差し障りがでることを避けたかったため素直にそれに従っていた。 新聞やテレビでしか見たことのなかった女性がそこにいる。 シンデレラガールとして世界中を沸かせたその女性が。 数々の媒体を通して見ていたその人は全てにおいて 「普通」 という印象だった。 決して悪い意味ではないが、良くもとにかく 「普通」 なのだ。 だからこそ余計にシンデレラなどと騒がれたのだろうが。 だがそれが誤った認識であったことをその場にいた誰もが感じていた。 今、社長たる男の半歩後ろからついて歩いている女性は綺麗だった。 ただただ、綺麗だった。 何がとか何処がなんてそんな陳腐な言葉では語れない。 彼女自身が醸し出すオーラがとにかく綺麗なのだ。 時折何か話しかけられて微笑む姿は、見る者を自然と笑顔にしてしまう。 それは当然すぐ隣を歩いている男も例外ではなく。 ___ 彼は笑っていた。 それはそれは本当に優しい顔で。 彼の笑う顔を見た者など、恐らく片手で余るほどしかいないに違いない。 いや、いない可能性だってあり得る。 それほどに、彼らの知る道明寺司という男は寸分の隙もない男だった。 それなのに今目の前にいる彼はどうだというのだ。 時折隣を歩く女性と目を合わせては実に楽しそうに笑っているではないか。 本当に同一人物なのだろうかと聞きたくなるほどに、まるで別人の男がいる。 ・・・それは社長としての道明寺司ではなく、ただ一人の男としての道明寺司の姿だった。 その内から溢れ出す輝きに、誰もが何一つ口にできずにただただ見とれていた。 彼らがどれだけ深い絆で繋がっているのか、どれだけ幸せなのか、ただその姿を見ているだけで全てが伝わった。 それは、普段なら正面エントランスを決して利用しない司が、わざわざ注目されるのをわかった上で通っていることからもわかる。 彼は見せたいのだ。 自分の愛する女性がどれだけ素晴らしい人間であるのかということを。 そしてどれだけ自分がその女性を愛しているのかということを。 やがて重役専用のエレベーター前まで辿り着くと、待ち構えていた西田と合流する。 つくしはまずはじめに西田に会釈をすると、くるっと体を反転させてずっと一部始終を見守っていた社員達に向かってペコッと頭を下げた。 何度も、何度も。 そして司から声を掛けられると、最後にもう一度深々と頭を下げてエレベーターの中へと消えて行った。 「み、見た・・・?」 「み、見たわ・・・」 「・・・・・・笑ってたね・・・」 「・・・えぇ、あの社長が・・・笑ってた・・・」 「「「「「 素敵ぃ~~~~~っ!!!!! 」」」」」 社長夫妻の消えたエントランスはしばしの沈黙の後、割れんばかりの歓声とどよめきで一瞬にして凄まじい熱気に包まれた。初めて見る社長の素顔に、初めて目の当たりにした噂のシンデレラの何とも表現しがたいオーラに、その日は就業時間を過ぎても多くの社員がどこかフワフワと足が地に着かない一日を過ごすこととなった。 「はぁ~~~~っ、緊張し過ぎで朝食べたものが全部出るかと思った・・・やばかったぁ~・・・」 「くっくくく、それが社長秘書になる女が言うことかよ」 その一方で、エレベーターの中では緊張のあまり今さらながら人の字を書いて大量に飲み込んでいる女がいたなどと・・・そしてそれを腹を抱えて笑い飛ばす男がいたなどと・・・ 想像できた人間がいるはずもない。 また新しい一日が始まる。
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幸せの果実 10
2015 / 03 / 29 ( Sun ) |
愛が聞こえる 20
2015 / 03 / 29 ( Sun ) 「様子がおかしいって・・・具体的にどんな風に?」
透明感のある目はまるで心の奥まで見透かされているような錯覚を覚える。 進は吸い込まれそうになる自分を奮い立たせると、思い出すように言葉を選んで話し始めた。 「・・・何て言うか、心ここに非ずって感じで。 あの一件以降、姉ちゃんは発作を起こすとき以外はいつだって気丈に振る舞ってたんです。僕に余計な心配をかけないために。それが自分には逆に痛々しくて・・・。でも自分にはどうすることもできない。ただそれを見守り続けることしか・・・」 「・・・」 「この2年はほとんどそんな感じだったのに、この前会った時は違ったんです。 何だかずっと一人の世界に入り込んで物思いに耽ってるというか。時々我に返ったように何でもない素振りをしてはまたぼーっと考え込む。それの繰り返しでした」 「・・・・・・そう」 類の発した言葉はたったそれだけ。 だが拍子抜けした進が更に言葉を続けようとしたところで再び口を開いた。 「・・・それで? 君はどう思うの?」 「え?」 「牧野の様子を見て、君はどう思ったわけ? 今日俺を呼んだのにも理由があるんでしょ?」 やっぱりいつまで経ってもこの人は心が読めない。 それなのにこちらの心は面白いほどに筒抜けだ。 進は参りましたとばかりに正直に答えた。 「・・・・・・・・・もしかして道明寺さんと何かあったんじゃないかって」 「・・・・・・」 「・・・やっぱり、そうなんですか?」 進には確信に近い予感があった。 昔からつくしの様子がおかしいときは決まってあることを考えていたのだから。 あの悲劇から2年、それでも気丈であり続けようと頑張ってきた姉がおかしくなるのなら、その原因もまた一つしかないに決まっている。 進は目の前で表情一つ変えずに自分を見ている男の言葉をじっと待ち続けた。 「・・・おそらくそうだろうね」 「え?」 「俺もはっきりとは知らないんだ。司が帰国してすぐに会いに来てからは連絡取ってないからね。 まぁ、とは言っても俺も数日前にパリから戻って来たばかりなんだけどさ」 そう言ってクスッと笑う。 「・・・類さんのところに来たってことは、その・・・」 「うん。 記憶が戻ったって」 「・・・・・・!」 言葉に詰まる進の代わりにいともあっさりと類が認めた。 「記憶が・・・・・・」 その上で姉に接触を図るということは、つまり・・・ 「牧野を取り戻すんだって凄い形相だったよ」 「・・・・・・その、道明寺さんには」 「何も言ってないよ。俺は協力できないともはっきり伝えてる。だからそれっきり司からの連絡もない。あいつは自力で牧野を探し出したんだろうね」 「自力で・・・」 「それが容易なことでないのはよくわかってるからね。最終的にどうやって見つけたのかは知らないけど、それだけ本気ってことだろうね。・・・ククッ、あいつもようやく人間らしさが戻って来たってところかな」 そう言って笑う類はどこか楽しげだ。 だがその笑顔を見れば見るほど、逆に進の中に罪悪感が芽生えていく。 「・・・・・・本当にすみません。色々とご迷惑をかけて・・・」 「・・・何のこと?」 頭を下げて項垂れる進を気に留めることもなく類は飄々と返す。 「僕たちの・・・僕のわがままで無理を言ってしまって・・・。 もしそれで類さん達の友情に亀裂が」 「勘違いしないでくれる?」 「・・・え?」 言葉を切られたことに顔を上げて見れば、相変わらず目の前の男は飄々としたまま。 「俺は別にあんたのために何かをしてやってるなんて思ってないよ」 「・・・」 「俺は人に言われたからって自分が嫌だと思えば絶対に動かないしやらない。自分で言うのもなんだけど、他人の事なんてぶっちゃけどうでもいいと思ってるからね。だから今回のことだって君がどうこうじゃない。俺が自分の意思で決めてやってるだけのことだ。 だからそうやってうじうじ悩まれても正直迷惑なんだよね」 「・・・・・・類さん・・・」 一見突き放すだけの冷たい言葉のようだがそうじゃない。 彼はわざとこうすることで自分がこれ以上悩まなくて言いようにと考えてくれているのだ。 一見わかりにくいその優しさが心に染みる。 進はキュッと唇を結ぶとあらためて類を見た。 その表情からは真意を読み取ることはできない。 ・・・それでも。 「・・・そうですね。類さんの仰るとおりです。一人で勝手に余計なことを考えてしまってました。・・・今はとにかく自分にできることを、・・・すべきことを精一杯頑張りたいと思います」 「仕事は? 順調?」 「順調・・・かは正直何とも。毎日ついていくだけでも必死ですから。でもだからこそ充実してます」 そう言って見せた笑顔は心からのものだった。 類はそんな進を見てフッと目を細める。 「そう。ならよかった。牧野にとってはそれが何よりも嬉しいことだからね。でもだからといってあんたがそれを気負う必要なんて全くない。余計なことは考えず、自分らしくいればそれが一番だよ」 「・・・・・・はい。 ありがとうございます」 「クスッ、だから俺は何もしてないって」 「・・・あ、そうでした」 あははっと笑いながら頭をぽりぽり掻いたところでテーブルの上に置かれた類のスマホがブルブルと震え始めた。すぐにそれを止めると類がはぁ~っと深く息を吐き出す。 「・・・残念。タイムリミットみたいだ」 「え?」 「呼び出しがかかった。今から会社に行かないと」 「あっ・・・すみません! お忙しいのにお呼びだてしてしまって・・・」 そこまで言いかけた進の前にスッと手が出された。 簡単に言えば 「待て」 の状態で。 「あ、あの・・・?」 「言ったでしょ? 俺は自分がやりたくないと思うことには動かないって。だから今日だって自分の意思で来ることを決めたんだ。つまりはいちいちあんたが気にする必要もなければましてや謝る必要なんかない」 「・・・・・・! ・・・はい、すみま・・・ありがとうございます」 「・・・フッ、お礼を言われる覚えもないけど、まぁそれくらいは受け取っておく」 「えっ? ・・・ふ、あははっ」 楽しそうに笑う進を一瞥すると、類は静かに席を立った。そのついでに伝票まで手にしようとするのを進が慌てて引き止める。 「あのっ! 今日は僕に出させてください! 僕が呼んだんですし」 「いいよ。面倒くさい」 「で、でもっ・・・」 「じゃあこうしよう。君の願いが叶ったらまた牧野の庶民食をご馳走して」 「えっ・・・?」 「あ、これだと牧野にも了承してもらわないと駄目なのか。・・・ま、いっか。じゃあそういうことで。何かあったらいつでも連絡して」 「えっ、あっ、類さんっ?!」 ぽかーんとしているうちにあっという間にその場から立ち去っていく。もちろん伝票を持ったまま。 「・・・・・・本当に、何から何までありがとうございます・・・」 本人はとっくに店を出て見ているはずもないが、それでも進は類の立ち去った方へ深々とお辞儀をした。それは思わず周りにいた人間が見てしまうほど、長い時間続けられた。 「今はただ、俺にできることを精一杯・・・」 噛みしめるようにそう呟くと、またゆっくりとした足取りで進もその場から立ち去った。
今日は「幸せの果実」もダブル更新していますので見落としがありませんようご注意を! |
幸せの果実 9
2015 / 03 / 28 ( Sat ) 『よーし、じゃあこっからがメインディッシュってことで。おい、ご両人、こっちに上がって来いよ!』
「へっ?」 すったもんだの一悶着もほとぼりが冷め、締めのデザートを頬張っていたところで壇上からお祭りコンビがマイク越しに2人を呼ぶ。 「・・・何だろ?」 「さぁな。あいつらのことだからくだらねーことでもやるつもりだろ」 「あはは、確かに。パーティはこれからみたいなこと言ってたもんね」 『いいから早く来いって!』 「わーったよ! ちっとは待てっつの!」 面倒くさそうに返事をすると、司は当たり前のようにつくしの腰に手を回してエスコートする。 つくしも特段恥ずかしがった様子もなく、ごくごく自然体なその姿をその場にいた人間が微笑ましく見ていたなんてことは、本人達は全く気付いてはいない。 『おー、やっと来たか』 「うるせーな。一体なんなんだよ」 『おいおい、せっかくお祝いをしてやろうってのにその言い方はねーだろ?』 「お前らのことだ。 祝福という名の嫌がらせに決まってんだよ」 司の返しに場内がドッと笑いに包まれる。 『まーまー。 それはやってからのお楽しみって事で。 な?』 過ぎるほどの笑顔のあきらと総二郎が余計に怪しさ全開だ。 胡散臭そうに警戒しつつも渋々了承せざるを得ない。 『えー、じゃあこれから名実ともに結婚おめでとうってことで、題して・・・「2人の愛は本物なのか?!皆で証人になろう!!」 ゲーーーーーームっ!!! 』 ノリノリの総二郎に会場も大いに盛り上がりを見せる。 「・・・・・・チッ、名前からして既に嫌な予感しかしねーぜ」 「・・・怖すぎるんだけど」 『ルールは至って簡単。2人にはこれからお互いのことをどれだけ理解できているかってのをゲームを通して見せてもらおうぜって、ただそれだけだ』 「んなもん必要ねーっつの」 『まぁまぁ堅いことは言わずに。軽ーい気持ちで楽しもうぜ、な? それともなんだ? もしかして自信がねぇのかぁ?』 「・・・誰がだよ。んなわけねーだろが!」 『だよなぁ~? っつーことで頑張れよ?』 まんまと罠にはまってしまった司がチッと舌打ちすると、あきらがしたり顔になった。 『じゃあ牧野、お前が最初はこっちに来いよ。司は総二郎のところに行け』 「ったく、一体なんなんだよ・・・」 苦虫を噛み潰したようにブツブツ言いながらも総二郎のところへと移動していく。 『まずは司、お前への問題だ。今から数人の女がお前の後ろからそっとハグをする。お前は当然目隠しした状態でな。ノーヒントで牧野を探す。ただそれだけだ』 「おい、ちょっと待て! ハグって何だよ?! ハグって!」 『なんだぁ? アメリカにいたくせにハグの意味も知らねーのかよ』 総二郎のジョークにプッとそこかしこから吹き出す声が聞こえてくる。 「ざけんなっ! 俺はあいつ以外に触れるとか冗談じゃねーってんだよ!」 『まぁまぁ、ほんの1、2秒のことだから我慢しろって。それともなんだ? なんだかんだ言いながらもやっぱり自信がねぇんだろ?』 「だからんなわけねーっつってんだろが!」 『はい、じゃあ決まり~。お前はしばらくアイマスクとヘッドホンつけてろよ』 「あ、おいっ・・・!」 今日の主役だというのにそのぞんざいな扱いに、笑ってはいけないと思いつつ邸の面々もいつもとは違う主の姿に笑いを堪えきれない。 『よし、じゃあ牧野、お前もこっち来いよ。 えーーーっと、じゃあ牧野以外は誰にすっかな・・・。・・・よし、優紀ちゃん! まずは君ね』 「えっ、私ですかっ?!」 まさかの指名に、優紀が持っていたグラスをひっくり返しそうになっている。 『えーと次は・・・』 それから総二郎の独断で決められたつくしを含む総勢6人によるハグ大作戦が行われることになった。 「つくし・・・ごめんね? なんかこんなことになっちゃって・・・」 ゲームで後ろからほんの一瞬とはいえ人の旦那にハグをするなどと、申し訳ない以外の何物でもない。しかも相手はあの道明寺司だ。 壇上に上がってきてからの優紀は何も悪くないというのに平謝りしっぱなしだ。 「いいよいいよ。ゲームなんだし単純に楽しも? ねっ?」 「うん・・・そうだね」 互いに顔を合わせてニコッと笑うと、それぞれ順番に並んでいく。 指名を受けた全員が並び終わると、司のヘッドホンが外された。 『おい司、今から牧野を含めた6人が後ろからハグするからな』 「6人?! 多すぎだろっ!!」 『お前を迷わせるには最低でもそれくらいはいないとダメだろうが。文句言うな。じゃあ早速始めるぞ。6人全員が終わるまでは一切口を開かない、動かない。これ守れよ』 「チッ・・・!』 目隠しされた状態で忌々しげに毒を吐くが全く取り合ってはもらえない。 『じゃあ1人目、どうぞ~』 あきらがそう言うと、足音をたてずに司の背後からとある人間がそっと抱きついた。 時間にして2、3秒程度だろうか。それからゆっくり離れると再び音をたてずにその場を離れて行く。 始まった途端、あれだけ賑やかだった会場内が恐ろしいほどに静まりかえって見守っている。 『じゃあ2人目どうぞ~』 先程と同じ手順で出てきた人間がそっと司に抱きつく。 こうして3人目、4人目と進んでいき、あっという間に最後の人物となった。 『じゃあ6人目。これで最後だからな』 6人目も同じように軽くハグを済ませると、元来た道を戻ろうと後ろを向いた。 ___ その時。 ガバッ!!! 「きゃあああっ?!!」 アイマスクをつけたままの司が何を思ったか、突然振り向きざまにその女を捕まえたかと思えばギューーっと力の限り抱きしめた。 「ちょっ・・・苦しいっ! ぐるじいってば~~~~っ!!」 「うるせぇ。消毒させろ」 「ぐええぇええっ!」 ルールを完全に無視したその行動にしばしその場にいた全員が呆気にとられる。 『お、おいっ司! 全員が終わるまでは動くなっつっただろ!』 「うるせぇ! だから最後まで我慢しただろうが! これ以上は文句言わせねぇぞ!」 そう言うとアイマスクをバシッと床に叩きつけて再び腕の中の女をきつく抱きしめた。 その相手がだれであるかはもはや言うまでもない。 当てただけではなくその行動に静まりかえっていた場内が割れんばかりに歓喜の渦に包まれた。 「よ、よくわかったね・・・?」 「ったりめーだろ! どれだけの人間連れて来ようと無意味だっての。俺がお前をわからねぇはずがねーんだからよ」 「へ、へへ・・・」 司の自信は口だけではないことが証明されてつくしも心なしか嬉しそうだ。 あきらと総二郎も顔を見合わせてやれやれと笑うしかない。 「・・・つーかおい、総二郎! お前、中に男を紛れ込ませてんじゃねぇよ!」 『あ・・・やべ。ばれた?』 「ばれたじゃねぇよこのバカ! 女に触られんのもゴメンだがヤローはもっとゴメンだ!」 『悪ぃ悪ぃ。ま、それも醍醐味の一つってことで許せ』 「ざけんなっ!」 怒り狂う視線の片隅でブルブルと運転手の斎藤と和也が震えていた。 やりたくないことをやらされた挙げ句こんな言われようでは最大の被害者は彼らに決まりだ。 『でもまぁさすがは野獣・司って感じだったな。やっぱお前に牧野をわからなくするってのは無理な話なんだよな』 「だから最初からそうだっつってんだろが」 『でも逆はわかんねーぞ?』 「・・・あ?」 『牧野がお前だとわかる保証はねぇぞ?』 「・・・んだと? んなわけねーだろが!」 『まぁそれはこれから証明してもらおうぜ。 な、牧野?』 「えっ!! あたしも?!」 『当たり前だろ? じゃあ今度は牧野がこっちこいよ』 「えっ? えっ?!」 問答無用で司からつくしを引き剥がすと、今度はつくしにアイマスクが手渡される。 「おいっ総二郎! つくしにヤローがハグするとかぜってぇに許さねぇぞっ!!」 『うるせーな。耳元で叫ぶんじゃねぇよ。んなこたわーってるって。牧野の場合は握手だ、握手』 「へっ?」 予想外のお題に2人同時にほっと胸を撫で下ろす。 だがそれも次の一言で一瞬にして吹っ飛ばされた。 『その代わり牧野が外した場合、その間違えた相手とキスしてもらうからな』 「はっ?!」 「・・・・・・・・・・・・・っざけんなぁあああああっ!!!!」 司が暴れ出すのを予想していたかの如くあきらが後ろから羽交い締めにしてその動きを封じ込める。 『おいっ、司っ落ち着けっ!』 「こんなふざけたルール落ち着いてられっか!」 『待てって!』 ついさっきまで和気藹々としていた場内が一気に張り詰めた空気へと変わっていく。 総二郎はやれやれと息を吐くと自分の横にいるつくしを見た。 『おい牧野。お前はどうなんだよ?』 「えっ・・・?」 『自信があんのか、ないのか。お前がどうしてもできないっつーんなら無理強いはしないぞ』 「つくしっ、こんなふざけたゲームなんざする必要はねぇぞっ!!」 「・・・・・・・・・」 尚も暴れ回る我が夫と総二郎の顔を交互に何度も何度も見やる。 やがて何かを決意したのか、一人で静かに頷くとつくしが口を開いた。 「 やる 」 その言葉に総二郎がヒューッと口笛を吹いて頷いた。 『よし、さすがは牧野。決まりだな』 「なっ・・・?! おいつくし、ふざけんな! 万が一外れたらどうなるかわかってんのか!」 「わかってるよ。外さなきゃいいだけでしょ?」 「それでもそんなふざけたルール、こいつらなら何か企んでるに決まってんだろ!」 一人だけ納得のいかない司につくしは呆れたように言い切った。 「司は信じてないの?」 「・・・あ?」 「あたしが司を見つけ出すって信じてないの? それとも自信がないの?」 「何言って・・・んなわけねーだろが!」 「じゃあ黙って信じててよ。絶対見つけてみせるから」 「・・・・・・つくし・・・」 あれだけ暴れ回っていた司の体から面白いほどに力が抜けていく。 押さえ付けるのも限界だったあきらが安堵したようにほーーっと息を吐き出した。 『さすがは道明寺に嫁ぐだけの女だな。その男気に天晴れだ。 よし、じゃあやるぞ! 牧野はアイマスクとヘッドホンつけてろよ』 「うん」 つくしと外部が完全にシャットアウトされると、総二郎が先程と同じくダミーを選び始めた。 『えーーーっと、じゃあまずはこいつは外せないだろ。おい、類、こっち来いよ』 「何っ?!」 「・・・俺?」 これまでステージの脇であくまで傍観者として面白そうに一連のやり取りを見ていた類がきょとんとする。それと対照的なのが司だ。 「なんで俺なの」 『牧野っつったらお前は外せねぇだろ。いいから早く来いよ』 「・・・なんか面倒くさそう。司がガチャガチャ言いそうだし」 「そうだぞ類っ! お前は参加すんなっ!!」 『司うるせーぞ! おい、類、万が一の時は牧野とのキス権が与えられんだぞ』 「・・・・・・・・・・・・じゃあやろうかな」 「おいっ、てめぇらふざけんなっ! やっぱそれが狙いなんだろうが!」 類の思わぬ切り返しに司が憤慨するが、それ以外の全員が笑いを堪えているなんて気づきもしない。 『よし、じゃあ次は・・・国沢と吉松! お前らも来い』 次に呼ばれたのは亜門と吉松だ。 亜門に至ってはついさっきの一件もあり、司はぷるぷる爆発寸前だ。 だがその苛立ちを知ってか知らずか、呼ばれた本人達はさも楽しそうにやって来る。 『あとは・・・西田さん! 協力をお願いします!』 「はぁっ?!」 まさかのご指名に驚いたのは司だけではない。 会場内にいた全員が、そして完全に壁の花よろしくその気配を消していた本人もさすがに驚いている。 「・・・いえ、申し訳ありませんが私は・・・」 『そんな堅いこと言わずに。上司夫婦の愛が本物かを試すチャンスなんですよ? 2人の絆を深めるお手伝いをしたいと思いませんか?』 アンドロイドと言われるほどの仕事人間。 上司のためと言われれば一肌脱がない理由など存在するはずがなく。 「・・・かしこまりました。ご協力させていただきます」 斜め45度でお辞儀をすると控えめに壇上へとやって来た。 「おい西田っ、万が一の時は覚悟してやがれっ!!」 悪態をつく上司にも心乱されないのはさすがだ。 万が一の場合、夫以外の男とキスをするという展開になることもドキドキだが、場合によっては西田とのキスシーンがあるかもしれないなんて・・・この場にいた司以外の全員が思うことはただ一つ。 見たくないけど見てみたい!! その可能性を思うと会場のボルテージは異様なほどに最高潮になっていった。 そんなことなど何も知らないつくしはフンフンと音楽を聴きながら小躍りしている。 と、その音楽が突然フッと消えた。 『牧野、いいか? 今からお前には5人の男と握手してもらう。全員と握手した後にどれが司だったか答えてもらうぞ。・・・万が一外した場合は・・・その相手とキスしてもらうからな?』 視界が真っ暗な状態で聞こえてくる声につくしはゴクッと喉を鳴らすとゆっくり頷いた。 『よし、じゃあ順番に握手していくぞ。まずは1人目』 総二郎のさっきの呼びかけとは違うランダム順に1人の男がつくしの前にやって来る。導かれるようにつくしが差し出された手に自分の手を重ねると、ふわりと柔らかい感触がつくしを包み込んだ。 そうして繰り返されること5回。 全員との握手を済ませると、つくしはゆっくりとアイマスクを外された。 目の前には司、類、亜門、吉松、西田が並んでいて、一部の思いも寄らぬメンバーに思わず目を丸くして二度見三度見してしまう。 『いいか、牧野。答えるチャンスは1回だけ。それで外れたら罰ゲームだぞ』 「・・・わかった」 『よし、じゃあ何番が司だったか答えてくれ』 もう一度目の前の5人を見渡す。 全員の視線がつくし1人に注がれている。 中でも司からの視線はもう他と比べる次元にないほどに激しく突き刺さる。 その想いが・・・熱い。 会場内も物音一つなくシーーーーーンと静まりかえってつくしの答えを固唾を呑んで待っている。 つくしは目を閉じて最後にもう一度心を落ち着けると、ゆっくりと目を開けるのと同時にはっきりと答えた。 「 司の手は・・・・・・ 」
いつもご訪問くださっている皆様に感謝の気持ちを込めて、明日は「幸せの果実」「愛が聞こえる」どちらも更新する予定です。時間差焦らしプレイはせずに(笑)いずれも0時過ぎに更新予定ですので、見落としがありませんよう(o^^o) |
幸せの果実 8
2015 / 03 / 27 ( Fri ) 「ん~~っ、おいしいっ!!!」
もしかしたら今日の中で一番の笑顔じゃなかろうかという至福の顔を見せるつくしを、総二郎が心底呆れたように見ている。 「お前・・・一体それで何貫目なんだよ?」 「え? ・・・さぁ? 全然数えてない」 「10皿目だぞ?! 10皿っ!! 花嫁が食う量じゃねぇだろっ!!」 そういう総二郎の前にはわずか3皿置かれているだけ。 つくしは必死につっこむ総二郎を見ながらもしかして食べ過ぎなんだろうか?・・・なーんて考えることは微塵もなく、手元のお寿司をパクッと一口で頬張った。 「う~~ん、おいひぃ~~~っ!」 「・・・・・・この体のどこにそんなに入んだよ・・・」 「え~? だーって、今日は朝からほとんど口にしてないんだもん。まーだまだ食べちゃうよ~?」 「・・・好きにしてくれ」 「好きにしまーーす」 この女の食欲が底なしなのは知っていたが、よもやこんな時まで変わらずとは。 だがその気持ち良すぎる食いっぷりにはもう笑うしかない。 「つくしはほんと変わってねぇんだなぁ」 「・・・そうかな?」 咀嚼していた口の中のものをゴクンと飲み込むと、つくしは会場内に作られた特設カウンター越しに懐かしい顔を見た。 「あぁ。ちーーーーっとも変わってねぇな。でもお前ならきっとそうだと思ってたけどな」 「えー? そういう金さんだって変わってないじゃん!」 「バカ言うない! 格段に腕が上がっただろうよ!」 「えっ? あはははは、ごめんごめん、それは仰るとおりでございます。大変おいしゅうございます~!」 そう言ってまた一貫口に放り込んだ。 そんなつくしを清之介は実に満足そうに見ている。 「ほんと気持ちいい食べっぷりだなぁ。うまいもんはそうやって食べるのが一番。こちとら作りがいがあるってもんよ」 「独立したのか?」 つくしの隣で地味に食べ続けていた司が思い出したように聞くと、清之介は待ってましたとばかりにニカッと笑った。 「おうよ! 3ヶ月前にやっとな」 「へぇ、凄いじゃねーか」 「へへっ、当ったり前田のクラッカーよ!」 「金さん、こってこての江戸前も全然変わってないんだね」 「ガッハハハ! 俺からこれを抜いたら何が残るんだよ。お前達が結婚するときには腕を振るうって密かに決めてたんだけどな。ギリギリ間に合って良かったぜ。どうぜなら一人前になった姿を見せたかったしな」 「凄いね。金さんおめでとう!!」 「へへっ、ありがとよ。そういうお前達も色々大変だったみたいだな。まぁお前達なら何があっても大丈夫だとは思ってたけどな」 「えへへ、ありがと」 特設カウンターにはいつものメンバーに加えて数年振りの再会となる懐かしい友人の姿もある。それぞれ最後に会ってから7年前後の時間が経っており、皆がもうどこからどう見ても立派な大人だ。 「そういえば4月から社長に就任されると聞きました。おめでとうございます」 中でも一際上品な空気を漂わせているのがあや乃だ。初対面の人間でもお嬢様育ちだとわかるほどの雰囲気と所作の美しさは更に磨きがかかっていた。 「サンキュー・・・って言っていいのか微妙だけどな。俺もついさっき知ったし」 「ふふふ、楓社長らしくていいじゃないですか。牧野さ・・・じゃなくてつくしさんも社長夫人ですね」 「えっ? やだー、あや乃さんったら! あたしはそんな肩書きは関係ないんだって!」 「そういうお前らはどうなってんだよ? 確か清之介に惚れてたんだよな?」 「えっ・・・?」 司の思わぬ問いかけにあや乃の顔が一瞬で真っ赤に染まる。 「あーー! もしかしてっ?! ・・・・・・あっ、それ!」 その時、目ざといつくしがあや乃の薬指にキラリと光るものに気が付いた。 あや乃と清之介が照れくさそうに顔を見合わせた後、コホンと咳払いをして姿勢を正す。 「えーー、なんだ、この度、俺たちの結婚が決まりました」 「「「 えーーーーーー!!!! そうなのっ?! おめでとうっ!!!! 」」」 一気に沸き上がる面々に2人とも大照れに照れっぱなしだ。 「そっかぁ、やっぱりそうなんだ! よかったね、あや乃さん!」 「つくしさん・・・ふふ、本当にありがとう」 あや乃は本当に幸せそうに目尻を拭っている。 「あや乃には俺みたいな先がはっきり見えない自営業なんかじゃなくて、もっと地に足がついた奴の方がいいんじゃねぇかって何度も言ったんだけどな」 「何言ってるの、金さん! 条件で相手を選ぶの? そんな結婚したって幸せになれないよ。誰だって進んで苦労したいわけがない。それでも、愛する人となら一緒に苦労することになったって苦にならないんだよ! ね、あや乃さん?」 「はい。その通りです」 「ははっ、お前達全く同じこと言うんだな。あや乃にも同じことを言われて説教されたぜ。・・・ったく、強い女には勝てねーよ」 「まー、失敬な!」 「・・・へぇ、愛する者との苦労なら買ってでもしたいってか。なかなかな愛の告白だな」 「へ?」 ふと隣を見れば司がニヤニヤ口元を思いっきり緩ませてこちらを見ているではないか。 そこでハッとする。 今自分は何て言った・・・? 「牧野にしては結構な愛の告白だったな」 「だな」 「いいなーいいなー、ラブラブって感じで羨ましい~!」 「い、いやっ、そういうつもりじゃなくて、その、あたしはただっ・・・!」 「わーったわーった。お前が俺にとことん惚れてるってことはよく伝わった。照れる必要はねぇぞ」 あたふた慌てふためくつくしの肩をグイッと引き寄せると、司は周りの目などお構いなしに目の前の額にチュッと唇を落とした。 「なっ、なななな、何すんのっ!!」 「あ? たかだかこのくれーでいちいち慌ててんじゃねぇよ。そもそもお前がその気にさせっからだろ。むしろ口にするところを我慢してやってんだ。感謝しろ」 「なななっ、その気になんかさせてないでしょっ?!」 「いや~牧野、あんなこと言われたら男ならたまらないぜ~?」 「いやっだから、あれはあや乃さん達に・・・!」 「わーったわーった。そういうことにしといてやるからもう黙ってろ、な?」 そう言うと問答無用で再び唇が落とされる。しかも何度も。 その度にジタバタもがくがつくしの体が解放されることはなく、もがけばもがくほど司の思うツボになっていくその姿に、その場は湧きに沸いた。 「つくしちゃん」 すっかり満たされたお腹をさすっていると、今日再会したメンバーで最も親交が深い相手がやってきた。 「和也君! 帰国してたんだね!」 「うん。留学してそのまま向こうで働いてたんだけどね。去年帰国したんだ」 「そっかー。また会いたいって思ってたから嬉しいなぁ!」 「へへっ、僕もつくしちゃんのことは風の噂で聞いてたから、こうしてお祝いに駆けつけることができてほんとに嬉しいな」 「・・・なんか、和也君すっかり大人の男性って感じだね?」 「えっ?」 マジマジと和也の顔を覗き込みながらつくしが真剣に言う。 「だってさ、私の知ってる和也君ってどこか頼りなさげなところがあって・・・って感じだったけど、今じゃすっかり落ち着いた大人の男性って感じなんだもん」 「あはは、それって褒められてるのかな? でもつくしちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな」 「あーでもそうやって笑った顔は全然変わってないね。なんかほっとするなぁ」 「僕もつくしちゃんが全然変わってなくて嬉しかった。やっぱりつくしちゃんはありのままが一番輝いてるからね」 「えっ? やだーー! 和也君ってばなんか女ったらしになってる?!」 「てっ!」 笑いながらバシッと和也の背中を一発叩くと、照れくさそうに笑いながらも和也は懐かしそうにつくしをじっと見つめた。その姿があまりにも真剣で、つくしの笑いも思わず止まってしまう。 「・・・何?」 「いや、本当に幸せそうだなって」 「えっ?」 「遠くの空からいつも思ってたんだ。つくしちゃんはどうしてるかな、幸せにしてるかなって。実際こうして再会したつくしちゃんは僕の想像以上に幸せそうで、綺麗になってて本当に驚いた。本当に嬉しいんだ。つくしちゃんは僕にとって一生特別な存在だからね」 「和也君・・・」 「へへ、なんか照れくさいね」 ポリポリと鼻を掻きながら照れくさそうにする和也につくしも本当に嬉しそうにはにかんだ。 と、その体が突然引き寄せられたかと思えば分厚い胸板に顔から激突して止まった。 「ぶっ・・・!」 「愛の告白なら受けつけねーぞ?」 「ちょっ・・・司っ、いきなり何すんのよ?! 顔が潰れたじゃない!」 「あ? 全然変わってねーから心配すんな」 「ちょっと! それはそれでどういう意味よっ!!」 突然間に入ってきたかと思えばすぐに夫婦漫才を繰り広げる2人に和也がお腹を抱えて笑い出した。 「あははっ! 本当に、気持ちいいくらい2人とも変わってないんだなぁ」 「あぁ。お前の入る隙なんか1ミクロンもねーからな。諦めろ」 「ちょっと?! 何言ってんのよ!」 「あはは、さすがに人妻に邪な気持ちはもてないよ。僕のつくしちゃんに対する気持ちはもうそういうのを超えた特別なものだから」 「和也君・・・」 「ふん、どうだかな」 「くっ、相変わらずつくしのことになると余裕ねーんだな」 「あ?」 すぐ後ろから聞こえてきた声に振り向けば、司と瓜二つの男がそこにいた。 「亜門・・・」 「よぉ。久しぶりだな。あれから7年か? 時間が経つのははえーよな」 「・・・なんでお前までいんだよ」 「なんでって・・・呼ばれたからだろ?」 「チッ、あいつら余計なことしやがって・・・」 相変わらず自分には敵意剥き出しの司を亜門が愉快そうに笑う。 「亜門って今何やってるの?」 「俺か? バーテン。昔もバイトしてただろ。あのまま店を任されるようになったんだ」 「へぇ~、そうなんだ。なんか亜門らしいね」 「バーテンなんかで食ってけんのかよ」 予想通りの反応だったのか、亜門がクッと肩を揺らして笑った。 「お前なら絶対そう言うと思ったよ。おかげさまでこれでも繁盛してんだぜ。まぁそれ以外にもデイトレードとかやってんだけどな。結構そっちも順調で収入に困ったことはねぇよ」 「へぇ~・・・あたしにはできない世界だわぁ」 「はは、かもな。 それよりもどうだ? 渡った橋の向こうには目的のもんはあったか?」 「え?」 その言葉にハッとする。 どこか懐かしさを感じるそのフレーズに、つくしの中に昔の記憶が一瞬にして蘇っていく。 やがて不敵な笑みを浮かべる亜門を正面から見据えると、つくしは笑って大きく頷いた。 「うん、あったよ。ずっと心の底から欲しいと思ってたものが手に入った」 「・・・そっか。ならよかったな」 「うん。ありがとう。あの時亜門がいたから今の自分がいると思ってる」 「フッ、大袈裟だろ」 「大袈裟なんかじゃないよ。だってあの時あたしは橋を渡るつもりはなかったんだから」 「おい、お前ら一体何の話をしてんだよ!」 向かい合ったままわけのわからない会話を繰り広げる2人の間に立ちはだかるようにして司が割り込んだ。 「俺とつくしだけの大事な会話してんだから邪魔すんじゃねーよ」 「あぁ? んだとっ?!」 「ちょっ、司待って! いちいち亜門の挑発に乗らないでよ。亜門も面白がらないで!」 つくしが慌てて司の体に手を回すと、面白いくらいにその動きが静かになっていく。 その猛獣使いっぷりが実に見事で亜門がくはっと喉を鳴らした。 「・・・まぁつくしとはキスした仲だからな。俺が気にくわなくても仕方ねぇかもしれねーけど」 「・・・んだと?」 まさかの衝撃発言に司のこめかみがピクッと動いた。 つくしはつくしで目ん玉がぼろっと零れ落ちそうなほどに目を見開いている。 「ちょっ、なななななななななななななななななな何言ってんのよっ???!!!」 「だって事実だろ?」 「そういう問題じゃなくて、なんでわざわざ昔のことをほじくり返すのかって言ってんのっ!!」 「・・・・・・っつーことはガチってことか?」 ゆらり、ユラリ。 背後から凄まじい負のオーラを感じる。 とてもじゃないが振り向けない。 「いやっ、あれは・・・そう、事故! 事故だったっていうか。はははは。完全な不可抗りょ・・・」 「っざけんなあああああ!!」 「きゃーーーーーーーーっ!!!」 逃げ腰のつくしを後ろから羽交い締めにすると、何の前触れもなくバクッと耳朶を口に含んだ。 「ちょおっ?! バカバカバカ! 何すんのよぉっ?!」 「うるせぇ、バカはお前だ! どうせお前が無防備だったんだろ! 簡単に想像がつくってんだよ! そんなお前にはおしおきだっ!」 「いやーーーーっ、やめてぇ~~っ! ひっ、ひひヒヒっ・・・くっ、くすぐったいからぁっ!」 あまりのくすぐったさに悲しいかな、嫌を通り越して笑えてきた。 司はそんなつくしにさらなる制裁をと、内に含んだ耳朶をベロッと舌でなぞった。 「ひィっ!!! やっやめてぇ~~!! もう時効でしょおっ?!」 「うるせぇ! 俺の法律に時効は存在しねぇんだよっ」 「意味わかんないからっ! ちょっと、亜門っ! あんたわざとでしょ?! ふざけんな、このバカぁっ!!!」 恨めしげに叫んでみても怒りの矛先は既に姿が見えない。 「あいつらほんっと変わってねーんだな。あれで大財閥の社長夫婦とか信じらんねぇぜ」 これまた特設のバーカウンターでカクテルを作りながら亜門が呆れ顔でつくし達を見ている。 「でもそれがつくしちゃんらしくていいんだよ。ずっと変わらないで欲しいな」 「まぁなぁ。前代未聞の社長夫婦ってのもあいつららくしていいもんな」 「今からあんなんでこの後どうなることやら・・・」 そう言ってアルコールをくいっと飲み込むと、類はやれやれと離れた場所で未だにじゃれあっている親友夫婦を見守った。
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愛が聞こえる 19
2015 / 03 / 26 ( Thu ) その日の商談はいつにも増して上の空だった。
何を見ても、何を聞いても自分の中に留まることなくスルリと抜け出ていってしまう。 相変わらずニコニコ笑いながらのらりくらりとこちらの言い分をかわす目の前の男がさらにその苛立ちに拍車をかけていた。 結局、この日も収穫は得られなかった。 ____ ビジネスに関しては。 今の司にとって、ビジネス以上に重要なものが何なのか、言うまでもない。 これまでどう足掻いても直接の接点を持つことができなかったつくしとああいう形で再会するとは。 それは司にとっても予想外のことだった。 だからこそ。 この偶然を偶然で終わらせてはいけない。 あれは必然だったのだ。 何の手がかりもない状態でつくしを見つけたのも、こうして思いも寄らぬ再会をしたのも、全ては運命なのだと。 「・・・彼女は・・・牧野はよくここへ?」 「え? あぁ、そうですねぇ、おそらく彼女は決まった日があるというわけでもなかったと思いますよ。都合がついたときに来てくれているといった具合でしょうか」 話題が逸らされてほっとしたように見える男の口調は軽い。 「・・・そうですか」 ・・・ということは似たようなタイミングを狙って来たからといって必ずしもいる保証はないということか。 そもそも今回会ってしまったことで二度と来なくなるという可能性は? ・・・いや、彼女ならばそれはないだろう。 自分のことより人のこと。そんな性格のつくしがいくら司に会いたくないとはいえ、自分を心待ちにしている子ども達がいるのを見放すことなどできないに決まっている。 それはあの少年を見れば明らかだ。 あのクソ生意気なガキですら、つくしを守ろうと必死になっていた。 「道明寺さんは彼女とはどういう?」 「・・・・・・学生時代の知り合いでして」 しばらくの沈黙の後に返ってきた答えに男がなるほどと笑う。 「あぁ、そうでしたか。いやぁ、彼女は職員からも評判が良くてですね。うちも大助かりしてるんです。子ども達からも人気があるんですよ。彼女は学生の頃からあんな感じだったんですか?」 「・・・えぇ。 変わっていません」 そう。 自分のいないところではつくしは何一つ変わってなどいなかった。 それはこの2ヶ月、一定の距離を保ちながらつくしを見てきて感じていたことだった。 彼女が心に深い傷を負っていることは疑いようのない事実だが、それでも、日常の中ではそれを出すことは決してない。たとえ彼女の日常のほんの一部しか見ていないのだとしても、つくしならばきっとそうするのだろうということは容易に想像がつく。 そんな性格だからこそ発作という形でストレスが出てきてしまうのだろう。 心の内を素直に出せないからこそ、体が代わりとなって悲鳴をあげるのだ。 「先程の少年は・・・?」 「え? ・・・あぁ、あの子ですか。・・・すみません、入所者の個人情報はお教えできない規定になっていましてね。申し訳ない」 つくしのことは饒舌に話していたというのに、あのガキの話に及んだ途端急に口ごもりだした。 主張自体はもっともなことだが、その様子は明らかにおかしい。 ・・・・・・あのガキに何かあるのだろうか? 「・・・では日をあらためてまた伺わせていただきます」 「いや、何度もお越しくださっていて心苦しいんですが、こちらとしてはそちらの意向に添えないですから、どうかこれ以上の労力は・・・」 「私は諦めませんよ」 「えっ?」 「元は交渉が成立していたわけです。ただそれが契約という正式な形で交わされる前だったというだけで。何故急に方針が変わったのか、こちらとしても納得がいくまではとことん交渉を続けたいと思っていますので」 「いや、ですが理由は・・・」 「あれは真の理由ではないですよね?」 「・・・えっ?」 司の発言が全くの想定外だったのだろうか。 男は驚きに染まっている。 「上辺だけの理由を並べられたところでこちらとしても納得がいきません。ですからこれからも我が社の姿勢は変わりませんよ。必ずこのプロジェクトを成功に導いてみせます」 「い、いや・・・」 明らかに動揺を見せる男を尻目に、司はスクッと立ち上がって頭を下げた。 「では本日はありがとうございました。またお伺いさせていただきます」 「あ・・・道明寺さんっ?!」 引き止めたところで相手の言いたいことはわかっている。 だがこちらとしても一歩も引く気はない。 司はニコッと軽く営業スマイルを見せると、まだ何かを言いたそうにしている男をその場に残して応接室を出た。 いつもならば迷うことなく玄関へと向かう。 だが今日は違う。 どうしても行かなければならない場所がある。 西田はそんな司の心の内がはっきりと読めているのだろうか。それ以上はついてこようとはせず、軽く会釈だけして先に玄関の方へと向かっていった。 カツン・・・ 全ての室内を見て回ったが、つくしの姿を捉えることはできなかった。 それはあの時追いかけなかった時点でわかりきっていたことだ。 ・・・それでも、発作が起きなかったという僅かな希望に懸けたかった。 もしかしたら、迷いながらもここにいるのではないかと。 だが現実は甘くはない。 これからどうすべきか・・・ 「 おい 」 聞き覚えのある声とフレーズに振り返る。 と、あの少年が仁王立ちするように司を睨み付けていた。 「・・・・・・」 「おっさんつくしの何なんだよ!」 無言のままただ自分を見ているだけの司に苛立ったように少年が叫ぶ。 つくしを追いかけなかった時点で、何故だかこうなるような予感がしていた。 「・・・あいつは? 帰ったのか?」 「そんなんお前に関係ないだろっ!」 「あいつはどうしたのかって聞いてんだよ」 抑揚のない声がかえって恐怖心を与えたのだろうか、一瞬だけ顔色が変わった。 だがすぐに自分を取り戻すと再び司を睨み上げる。 「お前のせいだ! お前のせいでつくしは・・・」 その言葉に司の瞼がピクリと動く。 「あいつが何だよ? 何があった? まさか・・・」 膝をついてガシッと少年の肩を掴むと、思わぬ行動にその体が揺れた。 「なっ、何すんだよ! 離せよっ!」 「うるせえ! いいからあいつに何があったのか教えろっ!!」 ジタバタもがくものの、以前と同じでその力の差は歴然。 ピクリともしない。 ハルは悔しそうに唇を噛むと、せめて気持ちだけは負けてなるものかと目の前の男に怯むことなく睨み続けた。 「・・・お前のせいでつくしが苦しそうだったんだよっ!」 「苦しいって・・・発作か? 発作が起こったのか?!」 「発作・・・? そんなんわかんねぇよ! ただ、お前のことを聞いたら突然苦しそうにし始めて、それで俺、どうしたらいいのかわからなくて・・・」 あの後発作が・・・? ということはやはり発作と自分は直結しているということなのか。 「それで?! それでどうした!」 肩を掴んだ手に力がこもる。痛みで思わず顔が歪むが、目の前の男のあまりの必死な形相に、ハルも反論することを忘れてしまっていた。 「助けを呼ぼうと思って・・・でもつくしがそれはやめてくれって頼むから、だから俺・・・」 「そのままだったのか? あいつは何かしたか?!」 「何かって・・・ただつくしの息が落ち着くのをひたすら待った。それだけだよ」 「・・・・・・」 掴まれていた手からフッと力が抜けていく。 そのまま何かを考え込むように黙ってしまった司にハッと我に返ると、ハルは自分の体に触れたままの手を全力で振り払った。 「離せよっ! お前のせいだからな! お前のせいでつくしはっ・・・!」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 てっきり何か言い返されるとばかり思っていたのに、予想に反して目の前の男は何も言っては来ない。むしろどこかひどく傷ついたような、悲しげな顔に見えて、思いも寄らない反応にハルもそれ以上の言葉が出なくなってしまった。 あれだけ言いたいことがあったというのに。 こいつのせいでつくしが苦しんだというのに。 しばし互いに視線を逸らしたまま気まずい時間が続く。 「・・・・・・お前がずっとあいつについててやったのか?」 「・・・え?」 視線を戻せばいつの間にか男の顔は元に戻っていた。 それでも、その目があまりにも真剣だったから、ハルはどうしてだか逆らうことができなかった。 こんな男に与える情報なんて一つだってないと心では思っているのに。 「・・・・・・」 無言を肯定を捉えた司は、発作が起きたことは問題だとはいえ、さほど重い症状でなかったことにひとまずは胸を撫で下ろす。 「悪かったな」 そう言ってポンと頭に手を乗せると、これまで大人しくしていたハルが現実に引き戻されたかのように慌ててその手を振り払った。 「んだよっ、触んじゃねぇよ!」 「お前には言いたいこともあるがあいつのことに関しては感謝してる」 「なっ・・・?! お前にそんなこと言われる筋合いはねぇよ! そもそも誰のせいでつくしがあんな目にあったと思ってんだよ! お前のせいだろっ?!」 ハルの放った言葉に司の顔が一瞬で曇った。 またしてもそれを目の当たりにしたハルの言葉がそこで止まってしまう。 なんなんだよ・・・ 全部こいつが悪いのに。 どう考えてもこいつのせいでつくしがあんな目にあったっていうのに。 なんで自分が傷ついたみたいな顔すんだよ! ふざけんな!! 心の中ではそう思っているのに、どうしてだか言葉にして出すことができない。 ハルは自分でもわからないその行動に、自分自身に何が起こっているのか全くわからずにいた。 ぶすくれた顔でただ視線を逸らすことしかできないだなんて。 司はそんなハルをしばらく見ていたが、やがて胸ポケットから名刺を取り出して差し出した。 突然目の前に現れたものにハルが驚いて顔を上げる。 「俺の連絡先だ。会社でも俺の携帯でもいい。何かあったら連絡してくれ」 「・・・はぁ? お前何言ってんだ?! するわけねぇだろっ!!」 あまりにもふざけた言い分にハルの頭にカァッと血がのぼる。 だが司はハルの手を掴むと半ば無理矢理それを握らせた。 「・・・にすんだよ、ふざけんなっ! 誰がお前なんかに・・・!」 「あいつを頼む」 「・・・・・は?」 「今の俺にはあいつを守ってやることができない。認めたくはないがそれは紛れもない事実だ」 「何言って・・・」 このおっさん頭がおかしいのか? と思ったがその顔は真剣だ。 「あいつがお前に心を開いているのなら、お前があいつを守ってやれ。それがあいつの救いになる」 「だから一体何言ってんだよ! 離せよっ!!」 掴まれた手をぶんぶん振り回すが、司は決して離そうとはしない。 イラッときたハルは以前と同じように蹴りを入れてやろうと足を後ろに引いた。 「俺があいつを取り戻すまでは、だけどな」 だが急に強気になった語調に思わずその動きが止まった。 見ればどこか弱気に見えた顔はすっかり消え去っている。 強い視線と自信に満ち溢れたオーラに、蹴り上げるはずだった足が動かない。 そんなハルにふっと目を細めると、司はもう一度頭をポンと叩いて立ち上がった。 「じゃあな。また来るから」 そう言い残すと、ハルの答えも聞かずに歩き出した。 コツンコツンと響く音にハッとしてようやくハルが我に返る。 「ふっ、ふざけんなっ! 誰がてめぇなんかに連絡するかよ! おい、聞いてんのかっ! ぜってぇにしねぇからなっ!!!」 どんなに大声で叫ぼうとも司の足は止まらない。振り向かない。 「二度と来んじゃねーーーぞっ!!!」 小さくなっていく背中にそう叫ぶと、最後に司の右手が軽く上がった。 そして通路の向こうへと消えて行った。 「なんなんだよ・・・ふざけんなっ! こんなものっ・・・!!」 手の中の小さな紙切れをパシッと床に叩きつけた。 そのままグチャグチャに踏みつぶしてしまおうと足を上げたところで、ふと動きが止まった。 その視線が名刺に注がれたまま止まっている。 しばらく止まったまま何かを考えると、やがてゆっくりとその足を降ろして再び小さな紙切れを拾い上げた。 「道明寺司・・・・・・?」 名刺に書かれた名前を口に出すと、ハルは男が立ち去った方をもう一度見た。 その方向には微かな香りだけが残されていた。 *** 「いらっしゃいませ。お一人ですか?」 「・・・いえ、先に人が待ってますので」 その言葉に店員はニコッと笑うと、カウンターへと戻っていった。 どこかぎこちなさの残る足取りで男は一歩、また一歩とゆっくりと歩みを進めていく。 やがて店の奥でボーッと外を見ていた男がこちらに気付いた。 「やぁ、こっちだよ」 「すみません、わざわざ時間を作っていただいて」 時間をかけて辿り着くと、ぺこりと一礼してから向かいの席に座った。 「いいよ。俺もそろそろ連絡しようと思ってたから。・・・それで? 何かあった?」 「いえ、僕自身は何も。 ・・・ただ、この前会った時に姉ちゃんの様子がちょっとおかしかったから気になって。 もしかして何かご存知なんじゃないかと思って。 何か知ってますか? ・・・類さん」 そう言うと、進は目の前にいる美しい男を真っ直ぐに見据えた。
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愛が聞こえる 18
2015 / 03 / 25 ( Wed ) まるでそこだけ時間が止まったかのようだった。
互いに見つめ合ったまま指先一本、髪の毛一本動かない。 それでも、体が、本能が、無条件で目の前の女を引き寄せて抱きしめろと訴える。 だが、ピクリと動きかかった右手が辛うじて残っていた理性でその場に踏みとどまった。 「牧野・・・・・・」 やっとのことで絞り出した名前につくしの肩が揺れた。 その顔はいまだ驚きに染まったまま。 一歩足を踏み出して手を伸ばせばこの手に掴むことができる距離にいる。 だが今はこれ以上近づくことができない。 つくしは今発作を起こしてはいない。 それでも、驚愕に満ちた顔からはみるみる赤みが引いていっている。 このまま目の前にいていいのだろうかと迷いが生じる。 発作が起きるのは時間の問題なのかもしれない。 どうする? どうすればいい・・・? 「つくし? どうしたんだよ?」 その時、これまでの様子を不思議そうに見ていたハルと呼ばれた少年がつくしの腕をくいっと引っ張った。それと同時につくし自身もハッと我に返る。 「あ・・・」 「なんだよ、こいつと知り合いなのか?」 明らかに様子がおかしいつくしと目の前の男を怪しい者でも見るように睨み付ける。 戸惑いがちに動いたつくしの視線が司のそれとぶつかったと思ったが、それはすぐに逸らされた。 「おいつくし、お前なんか変だぞ? こいつは誰なんだよ?」 「あ・・・なんでもない。 何でもないの。 ハル、行くよっ!」 「え? あ、おいっ!」 そう言うとハルの手を掴んでその場から立ち去ろうとする。 「 牧野っ!! 」 それは無意識だった。 もうどうすればいいとかどうすべきとかは関係ない。 頭で考えて起こした行動ではない。 気が付けば、己の手が細い腕を掴んでいた。 掴んだ瞬間、浮いたんじゃないかと思える程につくしの体が跳ね上がった。 7年ぶりに触れたその場所が一瞬にして熱を帯びる。 あまりの熱さに燃えて溶け落ちてしまうのではないかと言うほどに、熱い。 このまま引き寄せて、思い切り抱きしめられたらどんなにいいか ____ だが、つくしの背中が徐々に大きく揺れ始めているのがわかって我に返る。 落ち着け。 落ち着くんだ。 偶然のようなこの必然を無駄にしてなるものか。 「牧野、もうわかってると思うが・・・記憶が戻ったんだ」 その言葉に掴んでいる腕がビクッと動く。 「お前にとって今さらなのはわかってる。それでも俺は・・・」 「道明寺さん! すみません、お待たせ致しました」 後ろから掛かった声につくしがハッとすると、瞬間的に司の手を振り払ってその場から駆けだした。 「牧野っ! 待ってくれ! まきっ・・・!」 すぐに追いかけようとした司の足が止まる。 ・・・いや、止められたと言った方が正解だ。 目の前を少年が立ちはだかるようにして通路を塞いだのだから。 「どけよ」 「お前つくしの何なんだよ!」 「てめぇには関係ねぇだろ」 「うるせぇよ! つくしが怖がってただろうが!」 「おまえには関係ねぇっつってんだろ!」 思わず声を荒げると小さな身体が竦み上がった。 それを見た瞬間失っていた冷静さを取り戻す。 口では生意気なことを言っても所詮はガキだ。 こんなガキを相手に一体何をやっているというのか。 情けないにもほどがある。 「あいつに大事な話があんだよ」 「つくしはそんな顔してなかっただろ」 「ちっ・・・・・・いいからそこをどけ」 「どかねぇよ!」 まるで姫を守る騎士の如く、両手を最大限に広げて目の前に立ちはだかる。 その気になればいくらだってそこを突破することはできるというのに、何故だかその姿が自分の足を動かせなくしていた。 「道明寺さん、どうされましたか? ・・・おや? 君は・・・」 遠くから聞こえていた声がすぐ背後まで迫ると、目の前の少年がバッとつくしを追いかけるようにその場から走り去ってしまった。 司も咄嗟に追いかけようとしたが、辛うじて残っていた理性の欠片がそれを押しとどめる。 そうこうしているうちに中年の男が司の隣にやって来た。 「もしかして彼とお知り合いですか?」 「・・・いえ。 ・・・・・・彼女は、 ・・・牧野は・・・」 「あぁ、彼女のお知り合いでしたか。彼女はたまにボランティアでここに来てもらっているんですよ。子ども達に読み聞かせをしたり外で遊んだり、お世話になってるんです」 「・・・・・・・・・そうですか」 「道明寺さんは? 彼女とはどちらで?」 「・・・・・・」 つくしのいなくなった方を見ながらそれっきり黙り込んでしまった司を、理事長の男が不思議そうに見ている。 司は考えあぐねていた。 このまま全てを放り投げて追いかけるべきか、理性を優先すべきか。 そんなの考えるまでもない。 すぐに追いかけてこの手に捕まえて、そして・・・・・・ 「・・・道明寺さん? 大丈夫ですか・・・?」 「・・・・・・すみません、少し考え事をしていました。 ・・・ではお願いします」 「え、えぇ。それではこちらへどうぞ」 何だか意味がわからなそうにしているがすぐに切り替えたのか、理事長は笑って司達を応接室へと導いた。彼について行きながら、司は一度だけ後ろを振り返る。 だが既に廊下には誰もいない。 まるで先程の出来事が幻だったかのように。 己の右手を見つめる。 ・・・幻なんかじゃない。 確かに、この手にあのぬくもりを掴んだ。 夢なんかではない。 はっきりと、この手に彼女の生身の肉体を感じた。 ・・・そして、彼女は発作を起こさなかった。 ・・・・・・焦るな。 今焦ってはいけない。 今感情に流されて思いのままに動いては、全てが振り出しに、・・・いや、それよりも事態は悪化するかもしれない。何のために今まで我慢してきたというのだ。 それを一瞬で無駄にするな。 ____ こうして自分たちは必ず巡り会う運命にあるのだ。 司は自分に言い聞かせるように拳を握りしめると、一度閉じた目をゆっくり開いて真っ直ぐに歩き出した。 *** バタバタバタバタ・・・バタンッ!! 「つくしっ!!」 はぁはぁと息を切らしながら駆け込むと、物置の隅に膝を抱えた状態でつくしが小さくなって座り込んでいた。ハルは初めて見たつくしのそんな姿に戸惑いを隠せない。 「つくし・・・?」 完全に一人の世界に入り込んでしまっていたつくしが、フッと自分にかかった影に驚いてガバッと顔を上げた。いきなり動いたことにハルもビクつく。 「あ・・・・・・ハル・・・」 ほっとしたようなどこか寂しがっているような、何とも言えないような表情でほぅっと息を吐いた。 「・・・なんだよ、俺じゃ何か不満なのかよ」 「え? ・・・クスッ、そんなわけないでしょ」 「じゃあなんでそんな顔してんだよ!」 「えっ・・・?」 「そんな泣きそうな、悲しそうな顔で! なんでこんな部屋のこんな場所にうずくまってんだよ!」 「ハル・・・」 つくしは驚いていた。 これまで他人に興味を示すこともなかったハルが、こんなにも誰かのことで必死になって声を荒るなんて。 それと同時に嬉しくもあった。 彼との心の距離が確実に近づいているのだと感じることができて。 「・・・ありがと。心配してくれて。でもほんとに何でもないんだよ?」 「あいつか?」 「え?」 「さっきのおっさんが関係してるんだろ?」 ドクンッ・・・ 「な、何を・・・」 「だってそうだろ! つくしがあんな顔するなんて」 「あんなって・・・」 つくしが宥めようとうするが、ハルは顔を真っ赤にして声を荒げ続ける。 「あんなおかしいつくしなんて初めてだろ! いつだってヘラヘラ笑ってるくせに、あいつを見てからおかしくなったじゃないか! あいつはつくしの何なんだよっ?!」 「何って・・・」 ドクン、ドクンッ・・・! 「・・・ハッ・・・」 「・・・つくし?」 突然胸を押さえて俯いてしまったつくしを訝しげに覗き込む。 「ハッハッ・・・ハァッハァッ・・・!」 と、どんどん苦しげに顔を歪めながら呼吸が荒くなっていく。 ハルは突然のことに何がおこっているのかわからず、自分まで真っ青になって右往左往するしかない。 「おいっ、つくしっ! どうしたんだよ?! 苦しいのか? どっか痛いのか?」 「ハッハッハッ・・・」 「つくしっ!!」 肩を揺らしても尚も苦しそうに息が上がっていくつくしを前に恐怖心が沸き上がってくる。 悪態をつこうとも心も体も子どもなのだ。 「だ、誰か・・・・・・人を呼んでくる!」 それでも何とかしなければというのは子どもでもわかる。 ハルは震える心と体を振り払うと、医務室にでも助けを求めようと立ち上がった。 ドタッ!! だが走ろうとした体が前のめりに倒れてしまった。 「なっ・・・?!」 わけがわからず振り向けば、うずくまったままのつくしの手が自分のズボンの裾を掴んでいた。 「つくし? なにを・・・」 「だいじょぶ・・・・・・はっ・・・だいじょうぶだから・・・っ」 「なっ、何言ってんだよ?! そんなに苦しそうにしてて大丈夫なわけないだろっ!!」 掴んでいる手を振り払おうとするが、思いの外強く握られていて簡単には離れない。 尚更戸惑いを隠せないハルにゆっくりと顔を上げると、苦痛に顔を歪めながらもつくしは笑った。 「ありがとう・・・でも、ほんとうにっ、だいじょぶ・・・だから・・・おねがい、このままで・・・」 「でもっ・・・!」 「ハル・・・おねがい・・・っ」 掴んだ裾をギュッと握りしめると、まるで拝むようにしてつくしがハルの足元に顔を埋めた。 こんなに苦しんでいるのにこのまま放置することなどできないという思いと、あのつくしがここまで言っているのだから言う通りにしてやるべきだという思い、2つの相反する感情に葛藤する。 だが、子ども心ながらに今は本人の望むとおりにしてやるべきなのだと結論づけると、ズボンを掴んだままのつくしの手にそっと自分の手を重ねた。 瞬間、驚いたつくしが顔を上げる。 「・・・俺がここにいてやるから。とにかく落ち着くまでじっとしてろ」 驚きに目を丸くすると、尚も苦しげながらもフッとつくしは微笑んだ。 心の底から嬉しそうに。 「・・・・・・ハル、ありがとう・・・」 そう言って笑うと、再びうずくまり何度も何度も深呼吸を繰り返していく。 ハルはそんな様子を見ていたら、自分でもわからないうちにつくしの背中を摩っている自分に気が付いた。 一体いつの間に? と思ったところでわかるはずもない。 とにかく今の自分にできることはこれしかないと、そう思えたのだ。 物置の片隅でうずくまる女。その女を守るようにじっと傍から離れない少年。 狭くて薄暗い室内には、つくしの荒い呼吸だけがただ響き渡っていた。
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愛が聞こえる 17
2015 / 03 / 24 ( Tue ) 「・・・なんだよつくし、また来たのかよ?」
こっちに気付いた途端口元がほころんだかと思えば、慌てて真一文字に結んで憎まれ口を叩く姿に思わず吹き出してしまう。 「なっ、なんだよっ?!」 「なんでもなーい。相変わらずあんた可愛くないわね」 「う、うるせぇよっ! 可愛くないのはつくしの方だろ?!」 「何~? 大人に向かってなんて口きいてるのよ?! 生意気なこと言うのはこの口かっ?」 両頬をつまんでびよーーんと引っ張ると、途端に顔が赤くなっていく。 「いっ・・・いでででで! やめろよっ!」 「ごめんなさいは?」 「くっ・・・離せよ、このバカッ!!」 「わっ?!」 ドンッ、 ドサドサバサッ!! 思いっきり目の前の女を突き飛ばすと、思いの外いとも簡単にその体は吹き飛んだ。 勢い余って尻もちをつくと、手にしていた荷物が辺り一面に音を立てて飛び散った。 「・・・ったぁ~・・・」 両手が塞がっていたせいで思いっきりお尻と腰を強打して思わず痛みで顔が歪む。 「あ・・・」 だが突き飛ばした当の本人の方がみるみる真っ青になっていく。 手を突き出したままの格好で固まったまま。 つくしはそんな姿に気付くとふぅっと呆れたように一呼吸ついてやれやれと笑った。 「・・・全く。そんなに気にするくらいなら最初から素直になってればいいだけでしょ?」 「う・・・うるせぇよっ!」 ゆっくりと立ち上がってパンパンとズボンをはらうと、そこかしこに散らばった本を拾い上げていく。 「ほら、何してんの。悪いと思ってるなら一緒に手伝ってよ」 「わ、悪いだなんて思ってねぇよ!」 「わかったわかった。じゃあ普通に手伝ってよ。ほら、そっちに落ちてるでしょ」 つくしが指差した先にも数冊の本が飛んでいた。 「・・・ちっ、しょうがねーな。手伝ってやりゃあいいんだろっ!」 不服そうに口を尖らせながらもどこかほっとしているのは明らかで、言葉とは裏腹に素直に体が動いている。つくしはそんな姿にふっと目を細めると、再び自分の手も動かし始めた。 「お前仕事はいいのかよ?」 「ちょっと、お前って言うのやめなさいって言ったでしょ」 「別にいいだろ? 減るもんでもあるまいし」 「・・・ったく、ほんっと口が悪いんだから。今日は仕事はお休みなの」 「へぇ~、クビになったんじゃないのか」 「なるわけないでしょ! 失礼な」 廊下を並んで歩きながら出てくるのはどっちが年上かわからないような生意気な発言ばかり。 思わず張り倒してやろうかと思わなくもないけれど、これでも出会った頃よりも遥かに丸くなったと思えば可愛く思えてくるから不思議だ。 「・・・学校は? 行ってないの?」 その一言に動いていた足がピタッと止まる。 だが数秒考えた後、何事もなかったようにまた歩き始めた。 「・・・・・・ハル?」 「その呼び方やめろってんだろ」 「でも皆そう呼んでるじゃん」 「・・・・・・」 無言でスタスタと前を歩いて行く後ろ姿がなんだかとても小さく見える。 いや、実際に小さいのだが。 「ハーール」 もう一度名前を呼ぶと、再びゆっくりとその歩みが止まった。 「・・・・・・・・・・・・・・・俺の居場所なんてどこにもないんだよ」 前を向いたままぼそっと呟くと、つくしを残したまま足早にその場から立ち去ってしまった。 「ハル・・・」 まるでその後ろ姿は泣いているように見えて、つくしはしばらく立ち尽くしたまま見つめていた。 *** その日司はイライラしていた。 大方の予想通り、牧野進の身辺調査は暗礁に乗り上げていた。 富山に引っ越した後、現地の高校、そして大学に進学したらしいというところまではなんとか辿り着いたが、それ以降の情報がパタリと途切れている。 情報が操作されていることは明らかで、それなりの権力がなければまず考えられない。 自分とつくしを接触させないためにここまでやっているというのか。 その可能性を考えると何とも言葉にできないような激情が自分を包み込む。 苛立ちとも悲しみとも言えない、いや、全ての感情が襲いかかってくる。 一言で言えばショックだった。 いかなる理由があろうとも、これだけ手を尽くしても見つけ出せないという事実に。 あれだけ忌み嫌っていた財閥の力を利用しても目的が果たせないという屈辱に。 己の無力さをあらためて突きつけられたも同然なのだから。 そしてイライラの原因はそれだけではなかった。 例のプロジェクトが以前膠着状態を保っていることもその一つだった。 例の施設が依然として立ち退きを渋っており、法的強制力をもっているわけもないのだから当然打つ手がなく、この1ヶ月の間に幾度となく足を運んではその場で足踏みをするだけで帰る、そんな状態が続いていた。 当然つくしからの連絡も一度だってない。 日曜になれば自ら現地へ赴いてその姿を捉えることこそできているが、直接の接触は未だない。 あの日・・・つくしが発作を起こしたあの一度きりだった。 施設を訪れた際につくしの元に足を運んだことがないわけじゃない。 だが行ったとしても遠くから見ているだけ。 あまりにも自分らしくない行動にもう笑えてくるほどだった。 それに、仕事として行っている以上思うような時間があるわけでもない。 常に時間に追われている中で、しかも楓とビジネスを交わしている以上、仕事を放り出すことはできない。そうすればいくらつくしを取り戻したところで振り出しに戻ってしまう。 提示された期限は半年以上1年未満。 現状を鑑みるに、決して時間的猶予があるとは言えないのが実際のところだった。 司にしては相当耐えている状況ではあったが、ここにきていい加減それにも限界を感じていた。 もういっそのこと思いきった行動に出てしまおうかという思いが日に日に増している。 僅かな理性がなんとかそれを抑え込んでは今に至る。 まさにギリギリの綱渡り状態だ。 「何だってあれだけ立ち退きに抵抗するんだ? あの場所でなければって要因があるようでもねぇし、あそこからほど近い場所に新しい土地も施設も今より遥かにいい条件で準備するってんのに・・・」 そう。 何度交渉しようともそれらしい理由をつけてのらりくらりとかわされてしまうが、それが理由だとは到底思えないのだ。もっと違うところに何か理由がある。 司の中で確信にも似た思いがあった。 「あの施設自体できてまだ数年のようですし、特段地元に根付いているというわけでもないようです。何かしらの事情があるのは間違いなさそうですが・・・」 「・・・・・・」 その 『 何か 』 がわからない。 わからない以上、根本的な打開策が見つからない。 この上ない好条件で譲歩しているというのに何が不満だというのか。 公私ともに何もかもが思い通りに事が運ばない。 司は苛立ちを抑えるように爪をギリッと噛んで窓の外を見た。 もうこの道のりを何度往復したことだろうか。 目を閉じていても次に体がどう進んでいくかがわかるほどだ。 いつだって考えるのは一人の女のことだけ。 アメリカより遥かに物理的距離が縮まったというのに、届きそうで届かない。 心の距離は決して離れてなどいないと確信しているのは傲慢な考えなのだろうか。 そこまで考えると司は弱気な考えを自分の中から追い出した。 今さら弱気になってどうする。 もともと結ばれることが奇跡のような2人だったのだ。 一度でもこの手に掴むことができたのならば、何度離れようともまた掴めばいいだけのこと。 昔あいつに言ったではないか。 地獄の果てまででも追いかけると。 たとえ勝手だと言われようと、これが道明寺司という男だったではないか。 「ぜってぇに逃がさねぇからな」 「・・・え? 何か言われましたか?」 書類に目を落としていた西田がはたと顔を上げたが、司は何の反応も示さず遠くを見ている。それだけでどんなことを呟いたのかがわかったような気がして、西田は再び視線を手元に落とした。 *** 「ようこそいらっしゃいました。理事長はただいま電話中ですので先に応接室にてお待ちください」 「ありがとうございます」 東京から約3時間かけて辿り着いたのは民間が経営するフリースクールだ。 基本的に小学生から高校生まで、何らかの理由で不登校がちな子ども達を集めて支援を行っている。中には身体的、知能的にサポートを必要とする子ども達の受け入れも行っており、今現在20名ほどが在籍しているようだ。 まだ数年前にできたばかりで、田舎にしては設備も整っている方だろう。 だが子どもを通わせるには少々交通の便が悪い。最寄りの公共交通機関を使うにもそれなりの時間を要する。プロジェクトがこの場所になったのも広大な土地が手付かずの状態だったからだ。 計画が予定通りに運べば、この辺りにもバスなどの新たな交通網が拡張されることが決まっていた。代替地として提案している場所はここよりも条件が整っている上に、増設されるバス停からもほど近い。現在地と代替地は徒歩圏内の近い距離なのだから、子ども達にとって大きな環境の変化にはならないはずだ。 建物も現状維持かそれ以上のものを提供すると打診しているにもかかわらず、それでも渋る理由がわからない。 しかも当初は問題なく受け入れる予定でいたのに、だ。 最大の問題はそこだった。 何故急転直下で考えを変えたのか。 答えが見つからないまま結局ここで振り出しに戻ってしまう。 応接室を目指しながら館内を見渡す。 広場のような場所で体を動かす子ども、個室で黙々と一人の世界に入る子ども。 その様相は実に様々だ。 「誰にもやらねーーよーーだ!」 ガタンッ、バタバタ・・・ドンッ!! 「ぶっ!」 「てっ!」 と、とある部屋から突然飛びだしてきた少年がちょうどそこを通りかかっていた司の腹部に思いっきり直撃した。ぶつかった反動で子どもの体はそのまま後ろに吹っ飛ばされてしまった。 「ってぇーーーーー! おいおっさん、何すんだよっ!!」 「・・・んだと?」 自分から突っ込んできたというのにあまりにも生意気な言い草にすぐさま司が反応する。 「副社長、相手は子どもです。それに仕事であることをお忘れなく」 普通なら迷うことなく一発鉄槌を下してやるところだが、背後霊のような西田の囁きに出かかっていた右手が咄嗟に止まった。 視線の先ではそのクソガキが尚も不服そうに体を起こしていた。 だが司の視線がそこで止まる。 「お前・・・?」 「あ?」 ぶすくされた顔で面倒くさそうに上を見た少年も司を見てハッと表情を変えた。 瞬間的に互いの動きが止まる。 「お・・・お前っ、なんでこんなところにっ?!」 「てめぇこそなんでいるんだよ」 「おっさんには関係ねーだろ! つーかお前ストーカーかよ!」 「・・・んだとぉ? てめぇ調子に乗んのも大概にしと・・・」 「ちょっとっ、ハルっ!! それはあの子達が使ってるものなんだから返しなさいっ!!」 バタバタと奥から息を切らして走ってきた女が目の前の少年を捉えようと手を伸ばした。 「ハ・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・牧野・・・・・・?」 「・・・えっ・・・?」 名前を呼ばれた女が条件反射でこちらを向いた。 目が合った瞬間、互いの呼吸が止まるのがわかった。 「ど・・・みょうじ・・・?」 驚きに目を見開いた女は、聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で、だが確かに自分の名前をその口で紡いだ。
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幸せの果実 7
2015 / 03 / 23 ( Mon ) パンッ! パパパパーーーーーーーーンッ!!
「ひゃあっ?!」 扉を開けたと同時に凄まじい破裂音が響いて思わず身を竦める。 咄嗟に司の手がつくしの体を包み込むと、ヒューッとあちらこちらから口笛が聞こえてきた。 「よおっ! 社長夫婦、相変わらずお熱いねぇ~」 「いよっ、社長夫人っ!!」 「西門さん、美作さ・・・・・・もうっ! 心臓が止まるかと思ったじゃないっ!!」 「ははは、ないない。踏まれても死なないお前ならそれはナイ」 「ちょっ、ちょっとっ?! どういう意味よっ!」 「どういう意味もこういう意味も・・・まんまだよなぁ?」 「だな」 「~~~~~っ、もうっ!!!」 「はははっ!」 入って早々繰り広げられる漫才に、その場からドッと笑いが沸き起こった。 挙式と披露宴を無事に終え、ほっとした2人が向かったのは同じメープルホテルにあるとある会場だった。そこには総勢100名ほどの人間が主役の登場を今か今かと待ちわびていた。 そうして現れた2人をまずはクラッカーで一斉にお出迎えしたというわけだ。 「つくし~~っ!! ウエディングドレスすっごく綺麗だったよ!」 「うんうん、つくしの色白な肌にピッタリだった」 「皆・・・えへへ、ありがと」 「あ、先輩照れてます?」 「そりゃ照れるよ。褒められることに慣れてないんだもん」 「あはは、なんですかそれ。このドレスもよくお似合いですよ」 「そ、そうかな・・・?」 そう言って自分のドレスをあらためて見てみる。 淡いブルーのイブニングドレスは、これまた色白のつくしの肌に同化して淡雪を思わせる。 ベアトップのデコルテ周辺には当然の如くあのネックレスがキラリと光り、腰から足元までストンとしたシルエットながらもフワリと緩く広がるスカートは、まんまウエディングドレスを彷彿とさせる。 「さっきのウエディングドレスも綺麗だったけど、これはこれですごくつくしに似合ってる」 「え、えへへ・・・」 妙に照れくさそうにしているつくしを見て滋がピンときた。 「あーーーっ、もしかして司が選んだんじゃない? そうでしょ!」 「えっ、う、うん・・・」 「やっぱりぃ~~! 司ぁ、センスあるじゃんっ!」 「ったりめーだろ。こいつのことならこいつ自身よりも俺の方がよくわかってんだよ」 さも当然とばかりにフンッと鼻を鳴らす。 「うへーーー、熱い熱いっ。近くにいたら溶け死んじゃうよ~! 皆~避難してっ!!」 滋の逃げるジェスチャーに再び場内がどっと沸いた。 「司、牧野、ほんとにおめでとう。それから社長就任も」 「あ・・・」 類の言葉に2人顔を見合わせる。 時間に追われてそのことを話す暇すらなかったが、そう言えばついさっき予想外の爆弾発言が飛び出したのだった。いや、いつかはその日が来るのはわかっていたが、まさかこんなに早く、しかもああいう形で世間に知れ渡ることになろうとは全くの想定外だった。 「ババァの奴、やってくれやがったな」 「本人に一言も言わずにいきなりあの場で言うんだもんな~」 「さすがは司の母ちゃんってところだな」 「ったく、相変わらず自分を中心に世界を回すババァだぜ」 「「「「「「 ・・・・・・・・・・・・ 」」」」」」 「なっ・・・なんだよ?!」 ケッと悪態をついた司に全員の視線がじーーーっと突き刺さる。 「・・・それを司が言うの?」 「は?」 類の言葉にすっとんきょうな声が出る。 「自分中心に世界を回してるのはどう考えても司でしょ」 「・・・んだとぉ?!」 「異議なし」 「異議なし」 「異議なし」 「異議なし」 「右に同じく」 ピキッと反応する司をよそに、今度は全員の右手が言葉と共に順番に挙がっていく。 司はその光景を呆然と見つめると、やがてプルプルと震え始めた。 「て・・・てめぇらあぁああああっ!!!!」 「うわっ、久々にキレたぞ!」 「ばかっ、回し蹴りすんなっ! 痛ぇっ!!」 「ぎゃっははははは・・・!!!」 挙式を済ませ、披露宴を済ませ、そして近い将来社長となる男のありのままの姿。 それはまるで少年と変わらずに見えた。 等身大の道明寺司。 その場が笑いの渦に包まれながらも、彼の見せるその姿に、誰もがじんわりと心が温かくなるのを感じていた。 「司様、つくし様、本当におめでとうございますっ!」 「斉藤さんっ、本田さん、皆さんっ!!」 控えめに近付いて来た集団につくしの歓喜の声があがる。ニコニコと、中には涙を浮かべながら微笑む面々に、つくしは堪らず駆けていった。中でも最も親しい本田がつくしの体をひしっと受け止めた。 「お2人のこんなに素敵なお姿を拝見できて、本当に私たちは幸せです・・・」 「本当なら披露宴にも出てもらえたらよかったのに・・・ごめんなさい」 「とんでもございません!! このような場に呼んでいただけただけでも、私たちにとっては身に余る光栄です。つくし様、お心遣いに心から感謝致します。本当にありがとうございます」 本田が頭を下げたのに続いてその場にいた全員が一斉に続いていく。 「そっ、そんな、私は当然のことをしたまでです! だから顔を上げてくださいっ! それに、お礼を言わなくちゃならないのは私の方です。こうして皆さんに足を運んでもらえるなんて・・・私は本当に幸せ者です」 「つくし様・・・」 つくしが必死に本田の肩を揺らして顔を上げるように懇願すると、やがてゆっくりと顔を上げていく。全員の瞳が潤んで見えるのは気のせいだろうか。 無事にやるべき事を終えた2人がやってきたのはいわゆる2次会の会場だった。 その場を取り仕切るのは当然の如くいつものメンバー。 披露宴がビジネスライクだったのに対して、こちらは気心の知れたメンツによる言わばお祭り騒ぎだ。堅いことは抜きにして、とにかく楽しむ。それが醍醐味だ。 そして邸で働く人間にも是非とも参加してもらいたいとお願いしたのがつくしだった。 当然の如くそんなことはできないとすぐにノーを突きつけられたが、つくしは引かなかった。 自分の意見をゴリ押しするなんてことはまずないつくしだが、この時ばかりは違った。まるで司の強引さを彷彿とさせる勢いで 「イエス」 を言わせたのだ。 それほどにつくしにとっては譲れないことだった。 自分たちがこれだけ幸せを実感できるようになったのは、彼らの協力なしではあり得ないこと。 それなのに、いつだって彼らは日陰に徹するばかり。 立場の違いなんて関係ない。ただ一対一の人間として、共に喜びを分かち合いたかった。 ____ 大切な人達と共に。 つくしのそんな熱意が伝わり、こうしてこの日を迎えることができた。 いつもは制服姿の面々も、この日ばかりは正装していて中には一瞬誰だかわからない者までいる。いつもとは違うその装いに、互いに照れくさいやら嬉しいやら、とにかく笑顔が絶えなかった。 「司様、つくし様、これを・・・」 「え?」 控えめに差し出されたのは40センチ四方ほどのそれなりに大きな箱だ。 「私たちからお2人への心ばかりのプレゼントです」 「え・・・」 予想外のことにつくしは思わず司を仰ぎ見た。 「開けてみろよ」 「え・・・でも」 「よろしかったら是非開けてみてください」 「は、はい・・・」 突然のことに戸惑いながらもそれを受け取ると、司に支えてもらいながらゆっくりと箱を開けていく。 「ぅ、わぁっ・・・!」 開けた瞬間、つくしの口から思わず大きな声が漏れた。 そしてゆらゆらと瞳を揺らしながらもう一度正面にいる全員を見た。 「こ、これって・・・」 「その花は一つ一つ使用人全員で手作りしたものです。テディベアはタマさんと、私を含めた数名で作りました。大したものではありませんが、込めた想いだけは、この世のどんなプレゼントにも負けませ・・・っ?!」 まだ説明途中だった本田の言葉が遮られた。 突然しがみついてきたつくしに、驚きの余り反応すらできないでいる。 「つ、つくし様・・・」 「ありがとうございますっ! 嬉しい・・・うれしいです~~~~っ・・・!」 そう言うとつくしは本田の胸の中でオーイオイと泣き崩れてしまった。 つくしのそんな姿にどうしたものかとおろおろしていた本田だったが、やがてふわっと表情が綻ぶと、心から嬉しそうに笑いながらつくしの背中に手を回した。 「私たちも嬉しいです。こんなに喜んでいただけて・・・」 「うわ~~ん・・・皆さんのことがだいすぎでずぅ~~~」 母親にしがみつく子どものように無邪気に泣き崩れるその姿にもらい泣きする者もいたが、そこにいた誰もが本当に幸せそうに笑っていた。 箱の中に入っていたもの。 それは、2体のテディベアを取り囲むように敷き詰められたバラの花。色とりどりのバラは花紙で一つ一つ手作りされ、中央に鎮座するテディベアもまた手作りだ。それが司とつくしを表しているのだということは誰の目にも明らかで、幸せそうに口づけを交わすその姿は見ているだけでも幸せな気持ちにしてくれる。 花はプロ級に上手なものからちょっぴりいびつな形まで、まさに十人十色で本当に使用人全員が作ってくれたのだということがよくわかる。 嬉しかった。 本当に嬉しかった。 どんな高価なプレゼントよりも、その想いがプライスレスだった。 自分はこんなに幸せ者でいいんだろうかと思ったら、もう涙を止めることなどできなかった。 「おい、本田の服が濡れて汚れるだろ」 「いえいえ、私はそんな構いませんから」 「おっ?!」 いつまでも号泣し続けるつくしの肩にそっと手を置いた瞬間、司の胸にドスッとタックルが入った。すぐに細い手が背中に回ると、大きな体にしがみつくようにギューーーーーッと力が込められていく。 「づがさの服ならよごれでもい゛い゛よね・・・」 「オイ」 涙も鼻水も擦りつけるように顔を埋めて泣くつくしになんだかんだ言いつつも、司の手は迷うことなくつくしの背中に回されていく。その顔はどう見ても嬉しそうで、ポンポンと背中を優しく撫でながらつくしが落ち着くまでずっと抱きしめ続けた。 きっと、彼はそう声をかければつくしがこうするとわかっていての行動だったに違いない。 「ったく、お前はガキか」 そんな自然体な2人に笑いつつも、邸の誰もが幸せな気持ちでそれを見守っていた。 「あぁ、やばい、既にお化粧が・・・」 ようやく落ち着いて顔をあげたつくしが開口一番自分の頬をなぞる。披露宴の後せっかくメイク直しをしてもらったというのに、早速の大号泣ですっかり落ちてしまったに違いない。 「心配すんな。大差ねぇから」 「ちょっとっ! どういう意味よっ?!」 バシッと胸元を叩けば司が不敵に笑って見せる。 「決まってんだろ。化粧してようがそうじゃなかろうがお前の魅力はそこじゃねぇってことだよ。ま、してる姿にゾクッとそそられることがあるのも事実だけどな」 「なっ・・・?!」 相変わらずこの男はっ! いつまで経ってもすぐに真っ赤に反応してしまう自分がまた恨めしい! 「も、もうっ! 皆が見てる前で恥ずかしいこと言わないでよ!」 「あぁ? 何も変なことなんて言ってねぇだろうが。恥ずかしいっつーのはな、もっとこう・・・」 「ぎゃーーーっ、やめてっ!! それ以上余計なことは言わないでっ!!」 「むぐぐっ・・・!」 とんでもないことを口走りそうな男の口を背伸びしながら必死で塞ぎ込んだ。 結局こうして一悶着を繰り広げることの方がよっぽどのろけているのだという事実につくしが気付くはずもなく。 グゥ~~~~~~~~~~~~っ と、その時騒がしい中でもはっきりと聞き取れるほどの音が鳴り響いた。 その音で2人の動きがピタッと止まる。 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 全員の視線が一点に集中する。 特に目の前にいる男の視線は突き刺さるようで逃げ場がない。 「あ・・・あたしじゃな・・・」 「お前だろ」 「う゛っ・・・!」 ズバッと言い切られて反論の余地もない。 「だっ、だって! 朝から全然食べる暇なんてなかったんだもん! 司はまだいいよ。少しくらいなら口に入れる余裕があったんでしょ?」 「ぶっ・・・はははははははっ!」 「・・・・・・へ?」 真っ赤な顔で必死に言い繕うつくしを笑いとばす声が聞こえたのは正面からではない。 使用人の人垣の向こうからだ。 何事かと振り返ると、そこには一瞬誰だかわからない人物がいた。 「・・・・・・えっ・・・」 だがすぐにハッとする。 「よう、つくし。相変わらずいつも腹すかせてんだな」 「・・・・・・」 「いつまで経ってもお前達のいちゃつきが終わらないから自分から来たぞ」 「・・・・・・」 ドレスを身に纏いアホ口を開けたままの姿はなんとも間抜けだ。 「プッ、その顔はなんだよ? ほんと相変わらずだなぁ」 「・・・・・・も、も、も、も・・・」 「もも?」 驚きの余りろれつが回らないつくしの代わりに司が答える。 「お前・・・もしかして天草か?」 記憶を辿るように司がそう言うと、目の前の男がニッコリ笑って頷いた。 「おうよ。お前達の祝いに来たぜ!」 「き・・・金さんっ?!」 「ははっ、その名前ひっさびさに聞いたなぁ。おうよ、俺が金さんよ!」 「嘘・・・どうして?」 「天草だけじゃねーぞ」 「えっ?」 驚きの余り言葉も出ないつくしの前に総二郎がやって来ると、あっちだとジェスチャーで示す。 わけもわからずに示されるままに視線を送ると・・・ 「えっ?!」 そこにはもう何年も会っていなかった懐かしい面々が。 和也にあや乃、亜門に吉松までいる。 「う・・・嘘でしょ?」 さすがの司も予想外だったのか、呆然とする2人の後ろからあきらがガシッと肩を組んできた。 「さぁお二人さん、パーティはまだまだこれからだぜ?」 そう言って妖艶にウインクしてみせると、作戦成功とばかりに満足そうに笑った。 そう。 本当のお祭りはまだ始まったばかり ______
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