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愛が聞こえる 44
2015 / 05 / 19 ( Tue )
「遥人坊ちゃま!!」

街の中心部から少し外れた静かな場所に長谷川家の別邸があった。
家の前で心配して待っていたのだろうか、60代ほどの女性が車から降りてきた遥人に気付くとすぐさま駆けよって来た。

「あぁ、無事で何よりです。今日は何も仰らずにお出掛けになりましたから・・・まさか何かあったのではないかと心配で心配で」
「別にガキじゃねぇんだし、これくらいのことでそんなに心配するなよ」
「クッ、どう考えたってガキだろうが」
「んだとっ?!」

窓から顔を出してバカにしたように笑っている司に遥人が食ってかかる。
と、司に気付いた女性は目の前まで移動すると深々と頭を下げた。

「今日は遥人坊ちゃまが大変お世話になりました。ありがとうございます」

司は特段何か答えるでもなく静かにその動作を見ているだけ。
やがて綺麗な所作でゆっくり顔を上げた女性が何か違和感に気付いた。

「・・・! あの、もし間違っていたら大変申し訳ありません。ですがもしかしてあなたは道明寺財閥の・・・?」

その言葉に司はイエスともノーとも答えずにただフッと目を細める。

「じゃあな、クソガキ。ちゃんと風呂入って寝ろよ」
「んだとっ?! うるせぇぞおっさん!!」
「ははっ、じゃあな」

愉快そうに笑いながらハンドルを握ったところでつくしが慌てて窓から顔を出した。

「ハルっ・・・またね!」
「・・・ちゃんと考えろよ」
「 ! 」
「じゃあな」

それだけ言い残すと、遥人は車が動き出す前に門の中へと入って行ってしまった。
残された使用人らしき女性だけが申し訳なさそうにつくし達に頭を下げ続けている。
つくしもそれに合わせて会釈をしたところで音もなく車が動き出した。

あっという間に邸が見えなくなると、静かな車内には2人だけの空間ができる。
さっきまでは遥人がいた分そこまで気にならなかったが、2人きりになった途端、たちまち心臓が落ち着かなくなってどうしていいのかわからない。

「・・・・・・」
「助手席に来るか?」
「えっ?」

驚いて顔を上げれば、バックミラー越しに司と目が合った。

「お前さえよければだけど。俺は隣に座って欲しいと思ってるけどな」

真っ直ぐなその視線と言葉にドクンッと一際大きく心臓が音をたてる。
なんとか必死で平常心を保つと、つくしはゆっくりと首を横に振った。
おそらく最初からそれを想定済みで聞いたのだろう。司は表情一つ変えず、むしろどこか笑っていて余裕すら見える。つくしは慌てて視線を逸らすと、そのまま後部座席に身を預けて静かに目を閉じた。

モーター音すらほとんど聞こえない車内には静寂が広がる。
きっとこの男は寝たふりをしていることなんかとっくに気付いているに違いない。
それでも何も言わない。 何も聞かない。
結局、一言だって泣いていたことに触れることはなかった。


何故・・・あんなにも怖くて堪らなかった車にこれだけの時間乗っていられるのだろう。
何故・・・あれだけ苦しめられ続けた発作が起こらないのだろう。
何故・・・この男はこんなにも・・・

何故・・・


自問自答を繰り返していくうちに、やがてつくしの意識は少しずつ薄れていった。










***




「・・・・・・・・・の、・・・・・・きの、・・・・牧野!」
「・・・・・・はっ!!」

急に頭の中に響いた声にハッと顔を上げる。
___ と、唇まであと少しという至近距離に端正な顔が迫っていた。

「ひっ・・・ひゃああああっ?!」
「牧野っ!」


ゴンッ!!!


「い゛っ!! ったぁ~~~~~~っ!!」

思いっきり立ち上がったかと思えば今度は後頭部を押さえて座り込んでしまった。
いくら高級素材でできた内装だとはいえ、全力で激突すれば目の前に星が飛ぶのは当然で。

「おいっ、大丈夫かっ?!」
「うぅっ・・・」

恥ずかしい・・・
恥ずかしすぎる。
どうしてこの男と会うとこんなにもみっともないところばかり見せてしまうのだろうか。
しかもどうやら自分はまたしても寝てしまっていたらしい。
おそらく呼んでも起きなかった自分を起こすために隣に来て声を掛けていたのだろう。
我ながらもう何もかもが信じられない展開だ。


「おい牧野、マジで大丈夫か?」

つくしが顔を真っ赤にして悶絶している間にも司は至極真剣に心配している。
蹲っていたのを口実にスーハー数回深呼吸を繰り返すと、つくしは冷静を装いながらゆっくり顔を上げた。

「・・・大丈夫。 ごめん、びっくりしただけだから」
「すっげぇ音したけど」
「もう大丈夫だから。・・・それよりありがとう、うちに着いたんだよね」
「あ? あぁ。お前、あの短時間で爆睡してるからさすがに驚いたぜ」
「・・・・・・」

もうそこには突っ込まないでほしい。
心の声がもろに顔に出ていたのか、司が我慢できずに笑い出した。

「ふはっ! ・・・でも安心したぜ」
「・・・え?」
「やっとお前らしさが出てきたな」
「・・・っ!」

ドクンッ・・・!

目の前にあるその顔は言葉にできないほど優しくて、嬉しそうで。
・・・まるで言葉の代わりに想いが全て溢れ出しているかのようで。
その眼差しを数秒ですら直視できず、つくしは鞄を手に取ると慌ててドアノブに手を掛けた。

「あのっ、今日は色々とほんとにありがとう! っそれじゃあ・・・あ、あれ・・・?」

ガチャガチャとノブを引っ張るがドアは一向に開いてはくれない。
焦れば焦るほど頭の中はパニックになるばかりだ。

「バカ、ロック掛かったままだっつの」
「 ! 」

その時、後ろからスッと手が伸びてきたかと思えば、つくしの手に重なるようにしてカチッとロックを解除した。すぐ真横には司の体がほぼ密着している状態であり、何もしなくてもフワリと甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。
ドクンドクンと暴れ牛のように激しく脈打つ鼓動が今にも聞こえてしまうんじゃないかと、つくしはギュッと目を閉じると一気にドアを開けて外に出た。

太陽が顔を出して長くせずして家を出たというのに、いつの間にか空にはまん丸の月が浮かんでいた。その光の引力に吸い込まれそうな錯覚を覚えて思わず足が止まる。


「 牧野 」


声と共に背後から聞こえてきた足音にハッと我に返る。
つくしは視線を合わさないようにどこか焦点をずらしながら顔だけ振り返った。

「あ、あの、今日はほんとにありがっ・・・?!」

『 とう 』 の言葉は発することができなかった。

振り向き様に手首を掴まれたと思った時には目の前が真っ暗になっていた。
一体何がと考えようとした瞬間、さっき鼻をくすぐった香りが全身を包み込んでいる事に気付く。


___ 自分は今この男の腕の中にいるのだと。


ドクンドクンと聞こえているのは自分の心臓の音か、それとも・・・

「あ、あのっ・・・!」
「牧野、好きだ」
「・・・っ!」

背中に回された手にグッと力が入る。それはもう苦しいほどに。


「 好きだ・・・ 」


そのたった一言が、信じられないほどに心に染みこんでいく。
迷うことなく突き飛ばせばいいのに、金縛りにあったように体は動かない。
まるで自分のためにつくられたんじゃないかと思えるほどピタリと寄り添うこの場所が、震える体ごと全ての思考を、動きを封じ込めてしまう。

無になっていく・・・





「・・・・・・・フッ、すげぇ心臓の音だな」

もうどれくらいそうしていたのかわからないほど固まっていた体の拘束がふっと解けると、笑いながら司が顔を覗き込んできた。つくしは未だ呆然と力が入らないでいる。

「・・・このままキスしてぇところだけど」
「___ っ?!」

だが次の一言にようやく正気に戻ると、グイッと力の限り目の前の体を突き放した。
それも全て想定済みなのか、司はますます楽しそうに声を上げる。

「バーカ、しねぇよ。 ・・・今はな」
「 ?! 」

驚いて顔を上げたつくしと目が合うと、司は自信に満ち溢れた顔で不敵に微笑んだ。

「お前の気持ちがちゃんと俺に向くまでは待ってやる。ただしその時が来たら少しだって遠慮はしねぇから覚悟しておけよ」
「なっ・・・?!」
「お前の体は正直なんだよ。今日一日過ごして確信した。お前の気持ちも俺と同じだって。あとはお前がそれを自覚するだけだ」
「何を言って・・・」
「あのガキは気に入らねぇが与えてくれた時間は決して無駄じゃなかった」
「 ! 」
「お前もあのガキの気持ちを無駄にすんなよ」
「・・・・・・」

その一言はとてもとても重く心にズシリとのし掛かる。

「・・・ほら、部屋に入るまで見てるから行けよ」

動けないでいるつくしの背中を司の大きな手が後押しする。
それに逆らわずに一歩、もう一歩と足が前へと動いていく。

やがて階段の下まで来たところでつくしの足が止まった。

「どうした?」
「・・・」

少し離れたところから不思議そうに声を掛ける司をゆっくり振り返ると、つくしは何度も何かを話しかけてはやめるを繰り返しながら、最後に勇気を振り絞るように口を開いた。

「・・・・・・どうか気をつけて帰ってね」

その一言に司の目が大きく見開かれた。
だがそれも一瞬のことで、すぐにいつもの自信に満ち溢れた顔に戻る。

「心配すんな。ぜってぇに何も起きない。約束する」
「・・・・・・今日はほんとにありがとう。 ・・・それじゃあ」

直視できない司から逃げるように頭を下げると、つくしはそのまま視線を合わせないようにして一気に階段を駆け上がった。部屋に入るまで痛いほどの視線を背中に感じていたが、それに気付かないフリを続けて。

ガチャガチャ、バタンッ!!

震える手で必死に鍵を開けると、一目散に部屋の中へと飛び込んだ。
入った途端、全身から力が抜けたようにズルズルと地面に座り込んでしまう。

ドクンドクンドクンドクン・・・・・・!

熱い・・・
全身が燃えるように熱い。

きっと・・・あの男はまだあそこでこの部屋を見ているに違いない。
そう考えるだけで心臓が壊れてしまいそうなほどに暴れ回る。
自分は一体どうしてしまったというのか。
また新しい種類の発作でも起きてしまったのかと思えるほどに、胸が苦しい。



『 あれ調べたの俺じゃねーから 』
『 ・・・ちゃんと考えろよ 』
『 お前もあのガキの気持ちを無駄にすんなよ 』


蹲っていた脳裏に魔法のように言葉が蘇ってくる。

「 ・・・・・・・・・ 」

その言葉に導かれるように顔を上げると、つくしは重い腰を上げてゆっくりと立ち上がる。そして数歩歩けばすぐに端まで辿り着いてしまう狭い室内を進むと、棚の一番下の引き出しから小さな箱を取り出した。



『 お前にそんなことする人間なんて1人しかいねぇだろ 』



捨てようと思えばいつだって捨てられたはずのその箱。
見る勇気もないくせに、かといって捨てる勇気すらなかった。
・・・いや、捨てられなかった。


「・・・・・・」


静かに目を閉じて何度も深呼吸を繰り返す。
そうして長い時間をかけて自分の心を落ち着けると、つくしはゆっくりと箱の蓋を持ち上げた。
その瞬間中からカサッと一枚の封筒が滑り落ちる。

いつの間にか、小さな箱には入りきらないほどの封筒がそこには存在していたのだということに、つくしはこの時初めて気が付いたのだった。




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愛が聞こえる 43
2015 / 05 / 18 ( Mon )
眩しかった。

光を全身に浴びながら等身大の笑顔を見せるその姿が・・・
直視できないほどに眩しい。

遥人は呆気にとられ何とも気の抜けた顔で自分を見つめているつくしに堪らず吹き出した。

「ぷはっ! ほらな、そういうところもそっくりだよ」
「え・・・?」

ひとしきり笑うと、はぁ~っと一息吐き出しあらためてつくしを見る。

「・・・うちの母さんもつくしみたいにいつも自然体でいる人だった。楽しいときは大口開けて笑って、時々子どもの俺ですら呆れるくらいにボケをかまして、・・・・・・そして優しかった」
「・・・・・・」
「親父は母さんのそういうところに惹かれたんだって言ってた。自分にないものを全て持ってる人だって。母さんと一緒にいると自分が自分らしくいられるって。 母さんは母さんで笑いながら言ってたよ。あの人には自分がいなきゃ駄目だから結婚してあげたんだ! ってね」
「・・・」
「なんでも根性を叩き直してやったらしいぜ」
「えっ?!」

目を丸くしたつくしに遥人がニッと不敵に笑って見せる。

「親父は自分が御曹司だってことを盾にアプローチしたらしい」
「・・・!」
「でも母さんからすればそんなことはどうでも良かったから、ただの不審者で迷惑行為以外の何ものでもなかったって言ってたな。自分にそんな態度をとった女なんて生まれて初めてだったから、もう親父はそっから母さんを振り向かせるのに必死だったらしい」
「・・・」

なんというか・・・
どこかで聞いたことがあるような話な気がしてならないのは気のせいだろうか。
・・・いや、きっと気のせいだ。 そういうことにしておこう。

「・・・・・・よっぽどお母さんのことが好きだったんだね」
「・・・」

それまで笑っていた顔がその言葉で何とも複雑そうなものへと変わっていく。
きっと、 「だったら何故」 というやり場のない想いをを消すことが出来ないのだろう。
大人ですら抱くであろう感情を、子どもに上手く消化しろ言っても無理な話だ。

「・・・動物園が最後に来た場所なの?」
「え? ・・・あぁ。母さんが亡くなる2ヶ月前くらいかな。無性にキリンが見たくなって、駄目元で言ったらすげー張り切って連れて行ってくれたんだ」
「そうなんだ・・・」

思い出しながら幸せそうに笑うその姿につくしの顔も思わず綻ぶ。

「・・・その時 『 お父さんが落ち着いたら今度は3人で来ようね 』 っつってた」

だがその笑顔も次の言葉で一瞬で引っ込んでしまった。


「ハル・・・・・・どうしてなの?」
「え?」
「どうして・・・こんなに大事な話をあたしにしたの? どうして今日・・・」

あたし達をここに連れて来たの?

その言葉までは言えずに呑み込むと、ハルはふっと何かを考えるように空を見上げた。

「・・・・・・お前ら見てるとイライラすんだよ」
「えっ?!」

やがてじっと自分を真剣な顔で見つめたままのつくしへと視線を戻す。
その顔はつくしに負けず劣らず真剣そのものだ。

「お前さ、・・・・・・もし俺やあいつが明日死んでも後悔しないか?」
「・・・えっ・・・」

胸を突き刺すような言葉に息をすることも忘れてしまう。
それほどに、少年の口から出た言葉は重くて衝撃的なものだった。

「・・・・・・」

言葉も出ずにただ呆然とすることしかできないつくしに構わず遥人は言葉を続けていく。

「お前がさ、それでも後悔しないって自信があるなら今のまま俺とも距離を取っていけばいいんじゃねぇの? でもその万が一が起きたときに 『 どうしてあの時 』 って後悔するようならやめとけよ」
「・・・ハル・・・?」

ドクンドクンドクンドクン・・・

急激に鼓動が速まっていく。
少年の言葉が、グサリグサリと心に突き刺さって、痛い。
無意識に胸を右手で押さえていたことにつくしは自分で気付いていない。


「 死んだらもう何もできねぇんだぞ 」


核心を突く言葉に時間すら止まる。

「つくしはさ、自分さえいなければ人を傷つけずにすむとか思ってるのかもしんねぇけど、それってほんとにそうなのかよ?」
「・・・」
「お前といない間に万が一何かあったら? 可能性はどこにだって転がってるし、そもそもそんなことは誰にもわかんねぇことだろ。そうやって周りの人間を突き放してその結果不幸が起こっても、お前に後悔する権利なんかねぇんだからな」
「ハル・・・」

鋭い視線から逃れたいのに逃げられない。
まるで金縛りにあったように、身動き一つ、瞬き一つできない。
それほどに、少年の眼差しは真っ直ぐで濁り一つなかった。

「・・・・・・なんて、俺も同じ事考えたんだけどな」
「・・・え・・・?」

フッと笑ったかと思えば、遥人はおもむろに立ち上がって再び柵の方へと歩いて行く。

「・・・最近のつくし見てたらさ、今の俺を母さんはどういう気持ちで見てるんだろうって」
「・・・!」
「今の俺を見て笑ってくれてんのかなって」
「・・・・・・」

ズキンズキンズキンズキン・・・

思わず上がってしまいそうな呼吸を必死で落ち着かせる。
そうしなければ、いつどこで発作が起きてしまうかわからないほどに動揺していた。

「あのおっさん、全てにおいてムカつくし気に入らねぇけど、・・・・・・ぜってぇに諦めるつもりはねぇんだなってのだけはわかるからさ」
「・・・え?」
「・・・仕事も、つくしのことも」

仕事・・・?
何故彼の口からそんな話がでるのだろうか。
あの男から何か聞いている? ・・・でもそんな話をするとは到底思えない。
じゃあ何故・・・?

「俺の親父もあのおっさんくらいの図太さがあったらまた違ったのかな・・・」
「ハル・・・」
「ま、そんなこと今更何の意味もねぇんだけどな」

そう言って柵に寄り掛かりながらハハッと笑う。
気が付けばつくしはいつの間にか立ち上がっていた。

「・・・・・・つくしの発作のことだけどさ」
「・・・うん?」

突拍子もない話の切り替えにつくしの頭中に疑問符が浮かび上がる。

「対処法とか色々調べたっつっただろ?」
「あ・・・うん。ほんとにありがとね。あれ以来あたしも少しずつ自分に向き合うことができるようになって。ハルにはほんとに感謝して・・・」
「俺じゃねーから」
「え?」
「あれ調べたの俺じゃねーから」
「・・・え・・・?」

予想通りポカンと口を開けて戸惑いを見せるその反応が面白いのか、遥人は声を上げて実に愉快そうに笑った。つくしは間抜け面でただそれを呆然と見ているだけ。

「・・・じゃあ、一体誰・・・」
「そんなん1人しかいねぇだろ」
「えっ・・・」

急に真顔に戻ると、遥人は数メートル離れたつくしを正面から見据えた。

「お前にそんなことする人間なんて1人しかいねぇだろ」

ドクンッ・・・!

まさか・・・まさか・・・

思い返してみれば、発作を起こしたときに冷静にその場を落ち着かせてくれたのはハルだけではなかった。それまではむしろ発作の原因となっていた男、あの男もまた、まるで魔法使いのように自分を苦しみの中から救い出してくれた。
その男は・・・

信じられない顔で自分を見返しているつくしに遥人が呆れたように笑う。

「お前ってほんと鈍いのな。・・・まぁだからこそ俺にあの手紙を託したんだろうな」
「手紙・・・?」
「そ、これ」

そう言ってガサガサと鞄の中から何かを探すと、遥人はくしゃくしゃになった一枚の紙を取り出した。そこには端から端までびっしりと事細かに何かが書かれているのがわかる。

「つくしの症状と万が一発作が起きたときの正しい対処法が書かれてんだ」
「・・・!」
「最初は何なんだこいつと思って破り捨てようとしたんだけどな。実際つくしの発作を目の前で見てたし、帰ってネットで調べてみたら実際その通りのことが書かれてるじゃねーか。つーかそれ以上のことまでか。・・・あいつ、多分医者にでも会って色々聞いたんじゃねーのか?」
「・・・・・・」
「母さんが体が弱くて苦しんでる姿をずっと見てきたからな。・・・そしたらなんか、捨てられなかった」
「・・・・・・」

バサバサと再び手紙を鞄に戻すと、遥人はつくしがいる場所へと近づいていく。
そうして目の前までやってくると、つくしの背中をバシッと一発、思いっきり叩いた。

「泣くんじゃねーよ」
「・・・痛い・・・」
「何が痛いんだよ」
「背中が痛い・・・・・・うぅっ・・・!」
「叩かれたくらいで大人がそんな泣くわけねーだろ。だったらなんで泣いてんのかちゃんと逃げずに考えろよ」
「うぅっ・・・ハル・・・ハル~・・・!」

そう言って本格的に泣き出すと、つくしは膝を突いて遥人にひしっとしがみついた。

「うおわっ?! バカっやめろよ恥ずかしい!」
「い゛やだっ・・・ハル~~~~!!」
「・・・マジかよ・・・なんだんだよ、ったく・・・」

小さな少年に抱きついて号泣する大人の女。
何とも不思議な光景に近くの通行人がちらちらと視線を送っている。
もがこうともちっとも離れようとしないつくしに呆れたように溜め息をつくと、遥人はやれやれと抵抗することをやめてそのままつくしを受け入れ続けた。









***




「おい、てめぇら何やってる」

あれからどれくらいの時間が経ったのか。
つくしの涙がようやく落ち着いてきた頃、空から地を這うような声が降ってきた。

「・・・なんだよおっさん、遅ぇぞ」
「うるせぇ。すげぇ混んでたんだよ。つーかお前何やってんだ。さっさと牧野から離れろ」
「見てわかんねぇのかよ。離れずに困ってんのは俺の方だろうが」
「・・・チッ」

まさに遥人の言う通りだけに司もそれ以上は何も言えない。
どう見ても必死に抱きついているのはつくしだ。
司は手にしていたトレーを近くのテーブルに置くと、尚も遥人にしがみついたままのつくしの肩に手を置いてそっと引き離した。

「おい牧野、もういい加減離れろ」
「・・・・・・やだ」

号泣してしまって今更どんな顔を見せればいいというのか。
恥ずかしすぎて顔を上げることすらできない。

「んだとぉ?! ・・・じゃあメシいらねぇんだな。お前にはやらねーぞ」
「っ、やだっ!!」

その言葉に思わず条件反射でガバッと顔を上げてしまった。
・・・と、目の前にはしたり顔の男が。

「あ・・・」
「ま、人間の本質なんてそう簡単に変わらねーよな。・・・つーかひっでぇ顔だな」
「う、うるさいっ・・・!」

真っ赤になりながら顔を覆って見せても時既に遅し。

「いーから。とにかくメシ食うぞ。この俺様がわざわざ買ってきてやったんだからな。ありがたく食え」
「道明寺・・・」

笑ってつくしの頭をポンポンと叩くと司は椅子に腰掛けた。それに続いて遥人も目の前に座る。

「つーかなんなんだよこの組み合わせ。センスなさ過ぎだろ」
「んだと?! じゃあてめぇは食うな」
「知るかよ。食いてぇもんだけ勝手に食うからおっさんは黙ってろ」
「・・・の野郎・・・」

ピキピキと音がしそうな程に司の顔が引き攣っている。
そのうちトレーが宙を舞うんじゃないかと思える程のその空気に、つくしも慌てて立ち上がった。

「あ、あたしも食べるっ!!」
「んだよつくし、そんな詰めて座んじゃねーよ」
「いいじゃんいいじゃん、あたしとハルの仲でしょ?」
「はぁ?! キモイこと言ってんじゃねーよ」
「あはは、気にしない気にしない。じゃあいただきまーす! ・・・ん~、おいしいっ!!」

目の前のポテトをパクッと口に放り込むと、たちまちつくしの顔が綻んでいく。

「クッ、お前はほんと何でもうまそうに食うよな」
「うまそうなんじゃなくてほんとにおいしいの!」
「フッ、そうかよ」
「そうだよ」






それはそれは不思議な時間だった。

もう関わることをやめようと思っていた2人と動物園で一緒にご飯を食べる。
こんな未来が待っているだなんて一体誰が考えただろうか。

自分が泣いていたことなど確実に気付いているだろうに、目の前の男は何一つ聞こうとはしない。 何一つ。



『 お前にそんなことする人間なんて1人しかいねぇだろ 』



笑って食事をしながら、つくしの心の中にその言葉がいつまでも響き続けていた。





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10 : 00 : 08 | 愛が聞こえる(完) | コメント(21) | page top
愛が聞こえる 42
2015 / 05 / 17 ( Sun )
さわさわと、少し肌寒くなってきた秋風が2人の間を吹き抜けていく。
顔をくすぐった髪の毛を払って前を見ると、遥人は再び目の前の動物たちに視線を戻していた。


何を・・・
何と声を掛ければいいのかわからない。
思いも寄らぬ一言に、十以上も離れた大人だというのに、
こんなときに咄嗟の一言すら思い浮かばない。


「・・・2年前に俺の母親死んだんだ」
「・・・!」

2年前という言葉に思わずつくしも自分の胸を押さえる。

「俺のフルネーム知ってる?」
「え・・・長谷川遥人、・・・でしょう?」
「正解。 じゃあ長谷川コーポレーションは?」
「え?」

長谷川コーポレーション
その名は誰もが一度は聞いたことがあるほどの大手企業だ。
道明寺ホールディングスや他のF4と同列とまでは言わないかもしれないが、それでも充分に一流企業の中の1つであることに違いない。

遥人が・・・ハルがその長谷川の息子だった・・・?

「予想外だった?」

いつの間にか遥人がこちらを見ていた。

「え? ・・・うん、予想外っていうか・・・どっちかと言えばそうなんじゃないかと思ってた」
「えっ?」
「あ、長谷川コーポレーションだとかそういうことは全然考えてなかったよ。でも、一緒にいる中できっとハルはそういうところの子なんじゃないかって・・・なんとなく思ってはいた」

何かしら事情のある子だということはあの施設にいる時点で予想はついていた。
そして、乱暴な言葉遣いの中でもどこか隠しきれていない育ちの良さのようなものはずっと感じていたことだった。
思えばあの男もそうだった。
どんな横暴な振る舞いをしようとも、佇まいやふとした仕草に気品があった。

「・・・・・・そっか。 つくしはあのおっさんと知り合いなんだもんな。なんとなくそういうことに気付くのも当然なのかもしれねぇな」
「いや・・・道明寺は関係ないよ」

つくしがそう言って否定してみても遥人は軽く笑ってみせるだけ。
まるで心の内を全て見透かしたように。
だがすぐにその笑顔が引っ込むと、柵に寄り掛かりながら今度はふぅっと息を吐き出した。

「・・・・・・俺の母親ってさ、もともと体が弱かったらしいんだ」
「え・・・?」
「親父は生まれた時点で会社を継ぐことは決まってたらしい。逆にうちの母親はとっくに両親もいなかったし、花屋で働いて細々と暮らしてたみたいで」
「・・・」
「で、ある日たまたま親父が花屋に行ったのがきっかけで知り合ったって。それで、親父が一目惚れしたんだと」
「・・・なんか素敵だね」

思わず出た本音に遥人がククッと肩を揺らす。

「女って身分違いの恋が好きだよな」
「そ、そういうつもりじゃなくて!」
「いいよ別に。母さんを選んだことに関しては親父も見る目はあったと思ってるし」
「ハル・・・?」

どこか遠くを見つめるようなその姿が儚げで・・・切ない。

「まぁ金持ちの御曹司と片や身寄りのない女。しかも体も弱いときたもんだ。いくら本人達が想い合ってたところで周りはそう簡単には認めない。それでも本人達の強い意思が勝って最終的には結婚したわけ。・・・でも母さんへの風当たりは冷たかった」
「・・・・・・」
「親父の妻の座を狙ってた奴は掃いて捨てるほどいたらしいからな。爺さん婆さんだってそれなりの家柄の人間と結婚させる気満々だったらしいし。それが蓋を開けてみればどこの誰ともわからない女がその相手に選ばれたわけだから、面白くない連中は五万といたんだろ。邸でもどこでも見るからに冷遇されてたよ」
「そんな・・・」

つくしの拳に無意識に力が入る。
どうしてこういう世界の人間は決まってそうなのだろうか。
人の価値など、お金やステイタスで計れるものではないということが何故わからないのか。

「親父は必死に母さんを守ってたけどね。冷遇されてる中でも母さんの味方になる人間だっていたし。・・・でも、一時期会社が傾きそうなくらい危なかったことがあるんだ。その辺りから全てがおかしくなっていった」

言われて見れば・・・何年ほど前だろうか、確かにその会社が経営危機に陥っているというニュースを見たような気がする。結局それから数年後にはまた業績が回復したらしいが・・・

「親父は会社を何とかするために家を留守にする時間が増えていった。1ヶ月くらい帰って来ないこともあったし、たまに帰ってきても夜中に帰ってきてまた朝早くにいなくなるとかそんな感じで」
「・・・」

そこに関しては家を継ぐ者の宿命とも言えるだろう。
決して華やかな世界だけでは一流企業を作り上げることなどできないのだから。

「親父が不在となれば母さんを良く思わない人間にとっては好都合なわけさ。ここぞとばかりに母さんに冷たく当たってたよ。親父の子どもである俺に対してはそんなことは全くなかったけど、あいつら、母さんだけに陰湿な嫌がらせを繰り返してたんだ」
「そんな・・・!」
「俺にはばれてないと思ってんだからめでたい奴らだよな」

そう言って愉快そうに笑った目は少しも笑っていない。

「それでも母さんは親父を必死で支えてたからさ。遊んでるわけじゃないってわかってたし、そんな中でも文句一つ言わずにいつも笑ってたよ。自分には俺がいるからそれだけでも充分幸せなんだって」
「・・・・・・」
「でも段々母さんの体調が悪い時が増えていって・・・時には入院することもあった。俺はそんな母さんが見てられなくて。だから親父が帰ってきたときに言ったんだ。少しでいいから時間を作ってやってくれって。口に出さないだけで体も心も疲れ切ってるって」
「ハル・・・」

まだまだ小さな少年がどんな想いでそんなことを頼んだというのだろう。
つくしは締め付けられる胸をギュッとさらに強く押さえ付ける。

「親父は言ったよ。・・・あと半年。あと半年何とか踏ん張れば光が見えてくるって。それまでは苦しい想いをさせてしまうけどどうか耐えて欲しいって。その山さえ乗り越えれば明るい未来が待ってるからって」
「・・・・・・・・・」

そこまで話すと、遥人は静かに目を閉じた。
と、止んでいた風が再びひゅうっと吹き抜けて少年の髪がさらさらとなびいていく。


2人の間を静寂が包み込む。
聞こえているのは耳を撫でる風の音だけ。


やがてゆっくりと目を開けると、遥人は空を見上げながら静かに口を開いた。


「・・・でも母さんはその半年の間にいなくなったよ」
「・・・!」

覚悟していた言葉に息が詰まりそうになる。

「それまでも入退院を繰り返してたから、きっとその時も時間と共に回復して家に帰って来られるだろうって信じてた。・・・でも・・・容態が急変して・・・最後は海外にいた親父も間に合わなかった」
「・・・・・・」
「母さんは最後まで親父を悪く言ったりしなかった。自分に散々嫌がらせをしてた奴らのことだって、ただの一度も。あの人は不器用だけど真っ直ぐな人だから、どうかわかってやって欲しいって。親父の支えになってやって欲しいって」
「・・・ハル・・・」

「でも子どもの俺にはそんなことわかんねーよ。今を乗り越えれば明るい未来が見える? そんなこと言って、この世からいなくなっちまったら何の意味もねぇじゃねーかよ! いくら会社が持ち直したからって、その時母さんがいないんじゃ何の意味もねぇだろっ!!」
「ハルっ!!!」


初めてだった。

遥人がこれほどに感情を剥き出しにして何かを訴えたのは。
真の心の叫びが心にグサグサ突き刺さって、つくしは堪らず駆け出して遥人の体を抱きしめていた。抵抗しないその体は微かに震えているような気がして、どこにも行かないようにと、つくしは力の限り強く強く抱きしめ続けた。

「ハル・・・ハルっ・・・!」











***




「・・・・・・なんでつくしが泣いてんだよ」
「・・・泣いてない」
「ふはっ! なんで絶対にばれる嘘つくんだよ」
「・・・・・・へへっ」

バカじゃねーのと言いながら笑う顔はもういつもの顔に戻っていて、つくしも自然と笑顔が零れた。


長い長い時間だった。
実際はそんなに長い時間じゃなかったのかもしれない。
それでも、2人の間を流れる時間は永遠のようにさえ思えるほど、静かにゆったりと流れていた。

遥人はグスグスと鼻と目を擦っているつくしに呆れた顔をしながら体を離すと、そのままさっきのベンチへと移動して腰を下ろした。後ろ手に手をついて再び空を見上げた顔は、子どもにも大人にも見える。

・・・きっと彼は母親を守りたくて必死だったのだ。
薄汚い大人の世界で彼女を守るには、嫌でも大人びていくしかなかった。
だからこそ、こんなにも実年齢よりも落ち着いていて、しっかりしていて、
・・・そして驚くほどに子どもっぽい。

アンバランスな長谷川遥人という少年はそうしてつくり上げられてきたのだろう。


「母さんが死んだってのにさ、悲しむどころか喜んでる連中までいるんだぜ。大人に対して不信感を持つなって方が無理だろ。爺さん婆さんに至ってはまだ若いんだからいくらでも再婚できるとか言いやがって」
「そんな・・・!」

ひどい・・・
あまりにも酷すぎる。

「親父は怒り狂ってたけどさ、それでも親父だって母さんに寂しい想いをさせた張本人なんだ。死に目にすら会えないなんて・・・あんまりだろ。いくら仕事のためって言われようと俺には理解できねぇ世界だよ」
「ハル・・・」
「・・・そうしたらなんか全てが無意味に思えてきて。母さんの頑張りはなんだったんだよって。親父まで憎たらしくなってさ。 ・・・だから家を出ることにしたんだ」
「・・・それでここに?」
「そ。こっちにも家があったから。俺たちに良くしてくれてた使用人が一緒にこっちに来てんだ」
「そういうことだったんだ・・・」

いくら大人びているとはいえ、中身は子どもなのだ。
彼に大人の世界を理解しろと言うのが土台無理な話で、ましてや上流階級の特殊な世界など、尚のことわかるはずもない。

「親父は母さんの死に目に立ち会えなかった負い目があるから。だから俺には逆らえねぇでやんの。俺がどんな無理難題言おうと文句一つ言わずに従うんだぜ。それがたとえ仕事に穴を開けるようなことだとしても。・・・母さんをずっと1人にするくらい必死で仕事してたくせに、だぜ? もう笑えるだろ」
「ハル・・・」

そう言って笑った顔はどこか投げやりで、そして酷く悲しげだった。


「・・・・・・だからこそ、じゃないの?」
「え?」

つくしは歩いて移動すると、遥人の隣に腰掛けて正面から向き合った。

「お父さんにとってはハルが全てなんじゃないの? ・・・後悔してないわけがない。逆境を乗り越えてでも一緒になりたかった人なんでしょう? それだけ愛してた人が最後にそんなことになって・・・責任を感じてないわけないじゃない。でも守らなければいけないのは家族だけじゃない。お父さんはそういう立場の人なんだよ。その上でハルの言うことに従ってるってことは・・・お父さんにとって一番大切なのはハル、君ってことじゃないの?! 全てを無駄にしてでも守らなきゃいけないって・・・そう思ったからじゃないの?!」
「つくし・・・・・・」

一気に吐き出した言葉と共に何故か涙が溢れていた。
どうして自分は泣いているのだろう。
ハルのため? 自分のため?
そんなことすらわからない。
ただ、溢れ出す感情を抑えることなどできなかった。

しばらく言葉に詰まっていた遥人だったが、やがてフッと表情を緩めた。

「・・・お前ってほんと似てるんだよな」
「・・・え?」

ズズッと鼻を啜りながら顔を上げると、遥人は笑っていた。



「事ある事に思ってたよ。お前のそういうところが死んだ母さんにそっくりだって」



そう言って見せた顔は年相応の子どもらしい笑顔だった。





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00 : 00 : 51 | 愛が聞こえる(完) | コメント(12) | page top
愛が聞こえる 41
2015 / 05 / 15 ( Fri )
「つくし、着いたぞ」
「・・・・・・・・・えっ?!」

ユサユサと肩を揺らされてガバッと頭を起こすと、いつの間にか車は止まっていた。
一体どれほどの時間が経ってどこに来たのかもわからない。

・・・まさか、寝ていた?!
あれ以来、よほどの必要に迫られない限り車に乗ること自体避けていたというのに、よもや車中で寝るなんて。確かにこのところ色々考えるあまり睡眠不足が続いていた。
だがそれでも。 寝るなんてことは努々(ゆめゆめ)考えられないことだった。

恐怖や不安、余計なことを考えないためにじっと目を閉じて無の状態でいた。
ただ、何も見えなくても、揺れがとても優しく、まるで自分を包み込んでくれているような心地いい錯覚を起こしたのはなんとなく覚えている。
運転していたのは他でもないあの男・・・

「・・・つくし? どうしたんだよ」
「あ・・・」

いつまで経っても反応のないつくしの遥人が眉を潜める。

ガチャッ

と、ちょうどその時つくし側のドアが開けられた。

「大丈夫か? 寝てたみてぇだけど、顔色は・・・問題ねぇみたいだな。 ほら、降りるぞ」
「え? あ、あのっ・・・!」

自分をポカンと見上げるつくしに構わず、司は手を伸ばしてシートベルトを外していく。

「お前はそっちから出ろよ、クソガキ」
「んだとっ?!」

フンッと大人げなく鼻で笑って見せると、そのままつくしの手を取って車から降ろした。
狐に抓まれたような状態のつくしはもう何が何だか全くわかっていない。
一体自分がどこにいるのか。
そしてそもそも何がどうなってこの状況になっているのかも。


「・・・・・・え・・・?」

だが目の前に見えた光景に思わず口を開けたまま固まってしまう。
ここは・・・・・・

「どうしてもこいつがここに行けっつったんだよ」
「え・・・?」

きっとこの上なく間抜け面をして見上げているだろう自分に頷くと、司はそのまま握りしめた手を引いて歩き出した。
___ が、くんっと反対の手が後ろに引っ張られて歩みを止められた。

「 ?! 」

見れば反対の手を遥人が引っ張っている。

「誰がお前に連れて行けっつったんだよ」
「あぁ? お前に言われる覚えはねぇんだよ」
「ここに連れてこいっつったのは俺だろ」
「ここに連れて来たのは俺だろうが」
「・・・・・・」

両手を引っ張られた形のつくしはあんぐりと呆れかえって右に左に視線を泳がせる。
さっきからこの2人は一体何がしたいのか。
一見言い合いをしているように見えてなんだかんだじゃれ合っているようにしか見えないのは色眼鏡で見過ぎだろうか。
司、遥人、どちらの性格もそれなりに知っているつくしからしてみれば、絶対に反発し合うであろう2人がこうして一緒にいること自体が既に驚きなのだ。同族嫌悪という言葉があるように、似すぎているからこそ合わないこともあるというか。
・・・でもこの2人は表面上は反発し合っているように見えて、その深層心理ではわかり合えているような、そんな気がしてならない。

「いいからとにかく行くぞ、つくしっ!」
「えっ?! あっ、ハルっ?!」

つくしがぼんやり考えている間も延々レベルの低い言い合いをしていたが、いい加減埒があかないと思ったのか遥人がさっきと同じように司の手を引き剥がすと、そのままつくしをスタスタと入り口へと引っ張っていく。
戸惑いながらつくしが後ろを何度も振り返ると、司は怒っているというよりもむしろ呆れている。
しかも心なしかどこか楽しそうにみえるのは気のせいだろうか。

あの男の力をもってすれば、たかだか10歳の少年の力で腕を引き剥がされるはずがない。
つまりは意図的にそうしてあげているということ。

この2人の関係は一体・・・?


そんな事はお構いなしに遥人はつくしを引っ張ってズンズンと足を進め続けた。





***





「すげー、首、長っ」
「・・・・・・」
「・・・なんだよ」

面白そうに笑っている遥人の横顔をじっと見つめているとその視線に気付いたのか、一瞬で笑顔が引っ込んでいつもの仏頂面に戻ってしまった。
彼の笑顔なんてめったに拝めないというのに。

「なんで笑うのやめちゃうの」
「お前がじろじろ見てるからだろ」
「じゃあ見るのやめるから笑ってよ」
「はぁ?! 言われて笑う奴なんているかよ」
「いるよ。ほら」

そう言ってニカッと笑って見せると、遥人が思いっきり呆れ顔になった。

「バカじゃねーの?」
「バカじゃないよ。ハルの笑顔とっても素敵だったよ」
「はぁ?! お前何言ってんだよ?」
「あ。 もしかして照れてる?」
「はぁっ??! マジでバカも大概にしろよっ!!」
「あははははっ!」

憎たれ口を叩きながらもその頬は確かにほんのり赤い。
つくしはそれが嬉しくて声の限り笑った。
・・・・・・そう言えばこんなに笑うのも久しぶりな気がする。

「・・・笑った方がいいのはお前だろ」
「え? 何か言った?」
「・・・何でもねぇよ。 次行くぞ」
「えっ? あっ、待ってよ!」


完全に遥人のペースに巻き込まれている。
それは自分だけではなく司も同じだと言うことはその顔を見ていればわかる。
少年は一体何を考えてこんなことをしているのか。

そして何故この場所を選んだのか・・・

遥人を挟んで立っている司を横目でチラッと見る。

「 !! 」

と、視線が思いっきりぶつかった。
予想外のことに慌てて視線を逸らしたが、司は変わらずこちらをじっと見ている。

見なくても・・・わかる。
じっと、燃えるような目でこちらを見ているのが。

気付かなかっただけで、もしかしたら彼はずっと見ていたのかもしれない。
そう考えただけでカァッと顔が熱くなってくる。
つくしはその熱を振り払うように首を振ると、目の前に見える光景に意識を集中させた。
目の前に見えるもの、それは・・・フラミンゴの群れだ。


・・・そう。 ここは動物園。
目が覚めた自分がいたのは何故か動物園だった。
遥人が何故自分たちを呼び出したのかもわからなければ、何故こんな場所へ連れて来たのかもわからない。

動物園・・・

この男と子どもを連れてこの場所にいるなんて、一体何の因果だというのか。
記憶が戻ったのならば、きっとこの男だって覚えているに違いない。
遥人は何故この場所に自分たちを連れて来たのだろうか。
まさか司に昔の話を聞いたことがある?
・・・いや、あの男がわざわざそんな話をするはずがないし、遥人も聞き出すはずがない。

つまりは全てが偶然の産物だということ。

偶然がこの状況をつくりだすのは一体どれだけの確率なのだろう。



・・・・・・見ている。
横から強い視線を感じる。
ずっと、・・・ずっとあの男がこちらを見ている。

まるでこの状況が全て運命だと言わんばかりに。





「 ぐ、ぐううううううううぅうううううううう~~~~~~~っ!!!! 」





鋭い視線に耐えきれず思わずギュッと目を閉じた瞬間、その場に何とも気合の入った音が響き渡った。

「・・・・・・すげぇな」

自分に突き刺さる視線が1つ増えてしまった。
下から見上げるその視線が痛い。

「・・・あたしじゃないよ?」
「お前しかいねぇだろ」
「うっ・・・!」

カアーーーッとあっという間に顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。

「ぶっ・・・はははははは! お前って奴は・・・くっはははは!」
「わっ、笑わないで!」
「いや、だってよ、くくっ・・・だめだ、ははははっ!」

もう耐えられないとばかりに一部始終を見ていた大男はお腹を抱えて笑い転げだした。
まさに抱腹絶倒だ。

あぁもう! どうして自分はいつもこうなのか。
この状況下で特大の腹時計が鳴るだなんて信じられない!
もう全身が茹で蛸のように燃え上がって溶けてしまいそうなくらいに恥ずかしい。
・・・いや、いっそのこと溶けて消えてしまいたい。

「くくくっ・・・! いいな、それでこそ、だ」
「えっ・・・?」
「それでこそ牧野つくし、だろ」
「 ・・・! 」

尚も笑いながらも、その目は真剣だ。
その眼差しに見つめられて、息が止まってしまいそうなほどに目が離せない。

「・・・・・・っ」
「おい、おっさん。つくしが腹減ってんだから何か買ってこいよ」
「・・・あぁ?」

笑っていた顔が一瞬で鬼の形相に変わる。

「入り口近くに売店あっただろ。あそこで色々食いもん買って来いよ」
「・・・てめぇ誰に向かって口きいてんだよ?」
「だからおっさんだっつってんだろ。ボケてんのか?」
「・・・の野郎・・・」

ピキッと青筋が額に1本。
普通ならこの時点で既に拳が飛んでいても何ら不思議ではない。

「いいから! とにかく買ってこいっつってんだよ。つくしが腹減ってんだからお前が行けよ」
「・・・・・・」

そう言って司の背中をグイッと押すと、何かを考えるようにこちらを見ていた司がやがてふぅっと息を吐いた。

「・・・仕方ねぇな。牧野、何か買ってくるからここで待ってろよ」
「えっ・・・? いや、あたし自分で買いに行くからいいよ!」
「つくしはここにいろよ」

動こうとした腕が遥人によって掴まれる。
司はそんな様子にクッと喉を鳴らすと、呆れた顔でつくしを見た。

「・・・だとよ。すぐ戻ってくっから。お前らはそこのベンチに座って待ってろ」

そう言ってすぐ近くのベンチを指差すと、司はその場を後にした。

「・・・・・・」

どんどん小さくなっていく姿をつくしは呆然と見送る。
何故司は遥人の暴走を黙って聞いてやっているのか。
似たところがあるとはいえ、あの司がここまでのことをされて怒らないということが信じられない。

一体何故・・・?


「つくしも座ろうぜ」

声に弾かれたように振り返れば、司の示したベンチに遥人が既に腰掛けていた。


一体、一体何故・・・?


「・・・ハル、教えて。 どうして今日あたしたちを呼び出したの? ・・・どうしてこの場所に連れて来たの?」
「・・・・・・」

つくしの問いかけに遥人はただ黙っている。
つくしもじっと立ったまま遥人の答えを待っている。

その状態でどれくらいの時間が経ったのか。


根比べのように互いに沈黙を守り続けていると、やがて遥人がおもむろに立ち上がった。そして目の前の柵へと近づいていくと、どこか遠くを見るようにフラミンゴの群れに視線を馳せている。
その横顔はどこか哀愁が漂っている気がして。

「ハル・・・?」

「最後に行ったのが動物園だったんだ」
「・・・え?」

スローモーションのように振り返ってつくしを見ると、遥人はぽつりぽつりと呟いた。




「 俺の死んだ母親と最後に行った場所 」






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09 : 24 : 01 | 愛が聞こえる(完) | コメント(17) | page top
愛が聞こえる 40
2015 / 05 / 14 ( Thu )
『 おいジジイ 』
「 ・・・・・・・・・ 」

無言の威圧で振り返ってみても、目の前の少年は何処吹く風。

『 今度の日曜、10時にそこの公園の大通り口まで来いよ。車で 』
「 ・・・・・・あ? てめぇ何言ってんだ? 」
『 来ねぇと後悔すんからな 』
「 はぁ?! あ、おいっ、待てよっ!! 」

それだけ言い残すと、少年は一目散にその場から駆け出してしまった。
仕事終わりに突然声を掛けられたかと思えば、言われた言葉は全くの意味不明。


公園通り? 日曜?

全くもって意味がわからない。
ただでさえ多忙を極める毎日。
休みなどほぼないに等しく、ほんの少しでも作れた自分の時間はつくしに会うために全て費やしてきた。たまたま時間のできた次の日曜も迷うことなくつくしの元へ足を運ぶつもりでいたのだが・・・

「 なんなんだ? あのガキ・・・ 」

普通の人間ならば聞く耳すら持たない。
・・・だが、あのチビが言うと何故だか無視できないのはどうしてなのか。


『 来ないと後悔する 』


少年のいなくなった方を見ながら、いつまでもその言葉だけが耳に残り続けた。





そうして迎えた今日、迷いながらも結局あのガキの言ったとおりに行動している自分がいた。
クソ生意気なガキだが、あの男は時として自分とつくしにとってとてつもなく大きなキーマンとなることがある。
今回も何が目的かは全く検討もつかないが、おそらく何かしらの形でつくしに関わることなのだろうと己の第六感がそう言った。


____ だが。


「 牧野・・・? 」
「 道明寺・・・? 」


ほぼ同時に名前を言ったきり、互いに見つめ合ったまま驚きでそれ以上の言葉も出ない。
こんな展開を迎えることなど想定もしていなかっただろうことはつくしの顔を見れば一目瞭然で。
きっと合わせ鏡のように自分も同じ顔をしているに違いない。
つくしに関する何かだとは思っていたが、まさか本人と鉢合わせさせるとは。

このガキ、一体何を考えてる・・・?


「おっさん、ちゃんと車で来たのかよ」
「あ・・・?」
「足はあんのかって聞いてんだよ」

黙って互いの様子を見ていたガキがようやく口を開いたかと思えば足はあるかだと?
この俺に向かってこんな口をきく奴は普通ならとっくにぶっ飛ばされてるところだ。
しかも俺はもともとガキが大っ嫌いだ。

それだというのに・・・

「そこに車が停まってんだろ。お前の目は節穴か」

質問に答えてしまってる自分がつくづく理解できない。
このガキといると何故だかペースを乱される。

視線で示された先を確認すると、遥人は後ろを振り返った。
そこには尚、驚きと戸惑いで硬直したままのつくしが立っている。

「つくし、行くぞ」
「・・・・・・え・・・?」

遥人の声にようやく意識が戻ってきたように情けない声が出た。

「いいから、行くぞっ!!」
「えっ? あっ、ちょっ・・・?!」
「おいっ、お前何してんだよ!」

気の抜けた人形のように反応の鈍いつくしの手を掴むと、遥人はグイグイと強引に引っ張っていく。何がしたいのか全く見えてこない司も思わず呼び止めるが、それも完全無視。
無言のままつくしを引き摺っていくと、やがて司が乗ってきたと言う車の前までやって来た。
黒いボディの見るからに高級車だとわかるそれを気に留めることもなく、遥人は後ろを振り返る。

「早く、開けろよ」
「えっ・・・? ハル、何言ってるの?」
「お前・・・何考えてんだ?」
「いいから、開けろっつってんだろ」
「ハルっ!」
「・・・・・・」

必死で遥人の手を振り払おうとするが、子ども相手のはずがその手は全く外れない。
一体こんな力がどこに隠されていたというのか。
司は自分を鋭く睨んでいる遥人とじっと視線を交わしあうと、そのまま黙って車のキーを解除した。
まさか素直に従うとは思ってもみなかったつくしは動揺を隠せない。
一体今何が起こっているというのか。

「え・・・道明寺・・・?」
「ほらつくし、後ろに乗るぞ」
「えっ、えっ?! ま、待って! お願いだからちょっと待ってっ!!」

さも当然とばかりに車のドアを開けて乗り込もうとした遥人の手を必死で引っ張って踏ん張る。
これまでで最もつくしが拒絶反応を示したと言えるほどに。
遥人がどれだけ引っ張ろうともつくしの足は地面に貼り付いたかのように動かない。

「・・・つくし?」
「・・・・・・・・・待って・・・ほんとに、・・・待って・・・」

どんどん小さくなっていく声と共に顔色も悪くなっていく。
掴んだ手は小刻みに震えているだろうか。
そこでハッと思い出す。
以前自分が車に轢かれそうになったときにつくしが発作を起こしたことを。

「つく・・・」

声をかけようとしたつくしの背後から大きな手が伸びてきたかと思えば、そのまま震える肩をグイッと引き寄せた。驚きでビクッと跳ね上がった体ごと、大きな体の中へと引き寄せられていく。
それが司の腕の中であると認識した途端、つくしはますます混乱したようにもがきだした。

「・・・っ! 待っ・・・離してっ・・・!」
「大丈夫だ。 何も起こらないし起こさせない」
「 ! 」

言われた言葉に抵抗することも忘れて目の前の男を仰ぎ見る。

・・・・・・何故。
何故この男はこんなにも手に取るようにこちらの心の内を見透かしてしまうのか。


あの事故から2年。
あの時を思い起こさせるものに幾度となく発作を起こしてきた。
車はその最たるもので、色や形が似ているだけでも駄目。
全く違ったとしても、車というだけで胸が苦しくなってしまう。
少しずつ、本当に少しずつ自分をコントロールできるようになってきたとはいえ、それでもやはり体が竦み上がってしまうのだ。
ましてやそれがこの男の所有物ともなれば尚更のこと。

万が一、
『 万が一 』 が起こってしまったら・・・


グッ


そこまで考えたつくしの体が強い力で再び引き寄せられる。
まるでつくしの不安な思考を掻き消すかのように。

「おい遥人。お前、それ相応の目的をもって俺たちを呼び出したんだよな?」
「えっ? あ、・・・・・・あぁ、まぁな」

呆然と2人の様子を見ていた遥人が弾かれたように顔を上げる。
司はフンと鼻を鳴らすと、自分の腕の中で未だ顔色悪く戸惑いを見せるつくしを覗き込んだ。

「牧野。このガキはこのガキなりに何か考えがあって俺たちを呼び出したんだろ。お前が現状に思うところが何かしらあるんならこいつの話を聞いてやれよ」
「・・・」
「絶対に事故は起きない」
「・・・!」

目を丸くして自分を見上げたつくしに大きく頷いて微笑むと、司はつくしの背中をゆっくりと押して助手席のドアを開けて座るように誘導していく。

「おい、つくしは俺の隣に座んだよ!」
「・・・あ?」

見ればすこぶる不満そうに仁王立ちしている少年・・・もとい男が。

「いいから! ほらっつくし、後ろに座るぞ!」
「えっ・・・あっ、待っ・・・!」

尚も戸惑うつくしの体を司から剥ぎ取ると、遥人は問答無用でつくしの体を後部座席に押し込んだ。司に反撃させないように手を伸ばしてさっさとシートベルトをさせると、それに続いて自分もその隣に陣取った。

「・・・・・・クッ、てめぇは一体何なんだよ、クソガキ」
「うるせぇぞおっさん。さっさと乗れよ」
「つーかてめぇは誰に向かって口聞いてんだ? 命知らずも大概にしとけよ」
「誰っておっさん以外に誰がいんだよ。そんなこともわかんねぇのか?」
「・・・・・・」

バチバチと火花を散らして睨み合うと、司はやがてククッと肩を揺らして笑い出した。


「牧野、ゆっくり行くから心配すんじゃねーぞ」

現状に全くついていけていないつくしにそう声を掛けると、そのまま運転席へと乗り込んだ。




一体何がどうなっているのか、考えたところで何一つわからない。
それ以前にそんなことを考える余裕すらない。

ドクンドクンドクン・・・・・・

胸打つ鼓動が早いのは何に対してのものなのか。
行き先を巡って何やら男同士で言い合いをしているような気がするけれど、もはやそんなことは頭の中には入ってこない。



行き着く先は何処なのか。

私たちは・・・・・・何処へ向かおうとしているのか。



つくしはまとまらない思考を振り払うように静かに目を閉じた。





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08 : 24 : 07 | 愛が聞こえる(完) | コメント(12) | page top
愛が聞こえる 39
2015 / 05 / 13 ( Wed )
「先日、東京本社で例の会議が行われたようです」

秘書の言葉に動かしていた手が止まる。

「・・・そうですか。ということはあの男と司が接触したということですね」
「そういうことになるかと思われます。会議後に個別に話をしていたとの報告が入っていますから、おそらく詳しく話をしたのではないかと」
「・・・・・・」

かけていた眼鏡をデスクに置いて静かに立ち上がると、背後に広がるマンハッタンの夜景へと視線を移す。

「そう・・・とうとう会ったのですか。 プロジェクトの進行は?」
「はい、それがまだ難航しているようです」


「・・・・・・全てを知ってあなたはどう出るのか。ここから先が本当のお手並み拝見ということね」


眠らない街を見下ろしながら、楓は誰に話しかけるでもなくそう独りごちた。









***




「はぁ~~~~っ・・・なんでこうなるのかな・・・」

見上げた真っ青な空とは対照的につくしの顔は浮かない。


アパートでの一件から早くも一ヶ月が過ぎていたが、もう二度と会わないと決別宣言をしたはずの男は・・・何故かあれ以降、ことあるごとにつくしの前に姿を現すようになってしまった。
おまけに今度は自分が 「遠慮はしない」 宣言をされてしまう始末。
一体全体何が彼にそこまで火をつけてしまったというのか。

おそらく何かしらの仕事のついでなのだろうが、突如職場に現れてはたわいもない話を一方的にしていく。かと思えば休日にアパートの前で待ち伏せされていたこともある。
ストーカー被害にあってます! と言えば認めてもらえるのではないかとすら思える。


それなのに・・・一番わからないのは自分自身だ。

あの男を目の前にしても発作が起きないのは何故なのか。

正確に言えば起きないわけではない。
不意打ちに呼吸がヒュッと上がって胸が苦しくなるのだ。
それでも、まるでそれを予想していたかのようにあの男が絶妙なタイミングで声をかける。
するとどうだろう、まるでそれが呪文のように素直に従っている自分がいる。そして気が付けば本格的な発作になる前には呼吸が落ち着いているのだ。
これまでなら、多くの場合その声かけにすらまともに反応できなかったというのに。

「ハルに声を掛けられたときも不思議とそうだったな・・・」

子どもなりに自分を心配して色々と調べたと言っていた。
道明寺も同じようにしてくれたということだろうか。

あの2人の言葉だけは苦しい中でも不思議と耳に届くのは何か意味があるのだろうか。
あれだけ自分を苦しめ続けていた発作が何故・・・

「・・・ダメダメ。考えたところでどうにかなる問題じゃないんだから」


そう。
今考えるべきはあの男にどうすればわかってもらえるのかということだ。
自分の気持ちはもう伝えた。 ・・・つもりだ。
それなのに、疎遠になるどころかむしろあの男は本領発揮と言わんばかりに押してくる。

・・・いや、あの男なら拒絶したところでそれに聞く耳を持つことなどきっとないだろうが。
やるといったら徹底的にやる。 まさに文言通り地獄の果てまででも。
自分の知る道明寺司とはそういう男だった。

何処へ逃げてもあの男は必ず自分を見つけ出す。
こちらがイエスと受け入れるまで追いかけられたところで、自分にその気がないのだからどうすることもできない。
本当に一体どうすればいいというのか。

それなのに・・・
困っているくせに発作は起こらない。
そんな矛盾ばかりの自分に自分で嫌気がさしてくる。

「はぁ・・・一体どうすりゃいいのよ・・・」


思わずはぁっと手で顔を覆って項垂れた。


「 つくし 」


だが聞こえてきた声にすぐに顔をあげる。

「・・・ハル」

目の前には今日ここに自分を呼び出した張本人が立っていた。

事の始まりは数日前に遡る。
司との一件があって以降、この少年にもこれ以上深入りすべきではないと、適度な距離を保つようにしてきた。きっと彼からすれば意味がわからないだろうし、そうすることで傷つけているかもしれないということは重々わかっている。
実際、不満が露骨に顔に出ているのだから。

・・・それでも、深入りしすぎた先の悲劇に比べれば、すこし離れた場所から元気な姿を見ているだけの方がよっぽどいい。
たとえそれで恨まれようとも、彼がずっと元気でいてくれるのならそれで。


それなのに、最後に会った別れ際に突然言われたのだ。

『 日曜10時に最寄りの公園入り口で待ってろ 』 と。

意味がわからず何事かと聞き返そうとすればそのままさっさと帰ってしまった。
まさに鳩が豆鉄砲を食ったようにその場に取り残されて。

遥人とは施設以外で会ったことはなく、ましてや休日に個別にということも一度もなかった。
そんなこと、彼自身が一番嫌がりそうなことだというのに、一体何故呼び出されたというのか。
それだけここ最近の自分の行動に対して不満が渦巻いてるということなのだろうか。

・・・おそらくその可能性が大なのだろう。

本当ならば来ないという選択肢を選びたかったのが本音だが、自分の急な態度の変化が原因だということには痛いほど自覚があったため、さすがにそれすらも無視するだけの勇気はなかった。
結局、こうして中途半端な態度が一番彼を傷つけているのだろうと考えては落ち込むばかり。

この日まで色んな事が頭の中を駆け巡りながら、重い腰を上げて指定された場所までやってきたというわけなのだが・・・


「おはよう。 どうしたの? こんなところに突然呼び出して」
「・・・・・・」

Tシャツに半ズボンといういつも以上に軽装の遥人は、ブスッと明らかにふて腐れた顔で無言のままつくしの座るベンチに腰掛けた。

「・・・ハル?」
「お前、最近どういうつもりだよ」
「えっ?」

その言葉と同時にギロッと鋭い視線がこちらを向く。

「えっ、じゃねーよ! 急に態度を変えやがって。気付かねぇバカなんていねぇだろ!」
「・・・・・・ごめん」

何をあっさり謝ってしまっているのか。
これじゃあ 「はいそうです」 と認めているも同然じゃないか。
でもこの少年には何故だかそうさせられてしまう不思議な力があるのだ。

「・・・やめんのかよ」
「えっ?」
「ボランティア」
「・・・え?」

やめる・・・? ボランティアを?
・・・あの場所へ行くことを・・・やめる?

「・・・・・・」

中途半端な態度を取るだけでも一杯一杯で、そんなことを考えたことすらなかった。
行くことをやめるということは彼との関係もそれで終わりにすると言うこと。

顔を上げればじっとこちらの答えを真剣な眼差しで待っている。

やめるの・・・?
こんな彼を残したまま・・・?

どう答えていいかわからずに咄嗟に下を向いた。

「・・・お前って残酷だよな」
「・・・・・・」
「中途半端な情けをかけられるほど俺は落ちぶれてねぇっつんだよ。土足で人の心に入って来たかと思えば自分の都合で勝手に出ていくってか?」
「・・・・・・ハル・・・」

・・・痛い。
何一つ間違っていないその言葉がグサリと突き刺さる。

彼を・・・傷つけている。

このままでいいの? 自分勝手に少年の心を傷つけて許されるの?
・・・でも、これ以上自分と深く関わりを持つことでもし・・・もしも何かあったら・・・・・・

そこまで考えてブルッと体が震えた。


「・・・・・・・・・行くぞ」

「・・・えっ?」

俯いたまま体を震わせているつくしを黙って見ていた遥人がおもむろに立ち上がった。
スタスタと、どこかへ向かって歩いて行く。

「え? 行くってどこへ? ハルっ?!」

話があったからここへ呼び出したんじゃないのか?
一体どこへ?!

わけもわからず自分を置いてさっさとどこかへ向かう少年を必死で追いかける。

「ちょっ・・・足っ、速いよっ・・・!」

10歳ってこんなに足が速いの?!
あれよあれよという間に差が広がっていくのに遅れないだけでも必死だ。


後ろ姿を追いかけているうちに、どうやら反対側の入り口に向かっていることに気付く。
この大きな公園には主に2つの出入り口がある。
施設側にほど近い小さな入り口と、大通りに面した大きな入り口。
今日の待ち合わせは施設側だったのだが・・・何故移動する必要があるのか。

やがて先に入り口に辿り着いた遥人がそこを出たところで立ち止まった。


「ねぇっ、ほんとどこに行くの?! 意味がわからないんだけどっ・・・!」

「おいクソガキ、わざわざこの俺を呼び出した目的は何だよ」


と、ほぼ同時に男女の声が遥人へとかけられた。


「「 ・・・・・・・えっ? 」」


少年を挟んで数メートルの間隔で向かい合う男と女。
その顔は互いに驚きに染まり身動き一つとれなくなってしまった。
間に立つ少年はただ黙ってその様子を見ているだけ。



「・・・・・・牧野?」
「・・・・・・道明寺?」






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幸せの果実 24
2015 / 05 / 11 ( Mon )
「おっ、下ろしてったら! 自分で歩けるってばっ!」
「うるせーよ。心配かけて悪かったと思ってんならじっとしてろ」
「う゛っ・・・!」

黄門様の印籠のような痛~い一言に、つくしはそれっきりだんまり動きを止める。
フンと満足そうに口角を上げると、司はつくしを抱き上げたままエントランスをくぐった。

病院のベッドからリムジンまで、リムジンからここまで、まるでドアツードアの如くただの一度たりともつくしが自分の足で地面を踏めてはいない。病院を出るときも、大勢の人間に見送られながらひたすらお姫様抱っこをされていた自分が恥ずかしいったらありゃしない。
とはいえ心配をかけたのは紛れもない事実なのだから、それを言われてしまえばもうぐうの音も出ないわけで・・・

・・・でもこの先に待つ展開を考えるとやっぱり頭が痛い。



「お帰りなさいませっ!!」
「司様っ、つくし様っ!!」
「つくし様っ、お帰りなさいませっ!! ご無事で何よりです・・・!」

室内に足を踏み入れた途端、使用人という使用人がわらわらと凄い勢いでつくし達を取り囲んでいく。もうこのパターンは何度目になるのだろうか。そろそろ片手では足りなくなってきたような・・・
しかも誰一人としてお姫様抱っこを気に留める者すらいない。
さもそれが当たり前かのように、太陽は東から昇って西に沈むかの如く自然なこととして受け入れられているのもどうなのか。
とはいえ一人一人が目を潤ませながらよかったよかったと安堵している姿を見ていたら・・・そんな小さな事は次第にどうでもよくなってくる。

「心配をかけてしまって本当にごめんなさい。ご覧の通り私はどこもなんともありませんから」

抱きかかえられた状態で言うセリフなのかというツッコミはこの際封印してしまおう。

「一報を聞いたときは心臓が止まるかと思いました」
「万が一つくし様とお腹のお子様に何かあったら・・・」

そこまで言いかけて使用人の一人がわっと泣き出してしまった。

「な、泣かないでください。大丈夫ですから。ねっ?」
「は、はい゛っ・・・ほんとによがっだですっ・・・」

顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくるその姿に、周囲にいた使用人までもらい泣きしている。
あらためて今回のことでどれだけ心配をかけてしまったのか、本当に紙一重のところで自分が助かったのだと実感する。

「ほらほら、あんた達が泣いたらつくしが心配するだろうが。余計な心労を与えるんじゃないよ」
「タマさん・・・」

いつものように満を持しての登場にザザッと道が開けた。

「今回はとんだとばっちりだったね。つくしとお腹の子に何もなくて本当に良かったよ。後のことは坊ちゃんに任せてゆっくりと休むんだよ」
「そうですよ! あんな酷い人には司様がしっかりお仕置きをしてくださいますから!」
「・・・・・・」
「こらっ! そんなことはあんた達が口を出すことじゃないだろう!」
「あっ・・・これは大変申し訳ありませんでした・・・!」

無事だったことに喜ぶ余りつい口が過ぎた使用人をすかさずタマが厳しく正す。

「つくし、あんたが色々心を痛めることはないんだ。今はとにかくゆっくり心と体を休ませることに専念しな」
「タマさん・・・。 ・・・はい!」
「タマ、あったかい紅茶でも持って来てやってくれ」
「かしこまりました。つくし、余計なことは考えずに休むんだよ」
「はい」

言うが早いか、司はそのままつくしを連れて部屋へと戻っていく。
その姿を誰もが胸を撫で下ろしながら見守り続けていた。





***



「また余計なこと考えてんのか?」
「・・・えっ?」

ぼんやりしているうちにいつの間にかすぐ隣に司が座っていたらしい。
しかも気付かない間に膝掛けまでかけてくれていたなんて。

「あ・・・ありがとう」
「戻って来てからずっと考え事してんだろ」
「そんなことは・・・」
「ねぇとは言わせねぇぞ」
「・・・・・・」

黙り込んでしまったつくしに司がはぁっと息を吐いた。

「あの女のことか?」
「・・・・・・」


つくしの脳裏に数時間前の出来事が思い出されていく。





「道明寺様っ?! つくし様・・・! 痛っ・・・!」

突然現れた2人を目の前に小林が慌てて体を起こそうとしたが、肋骨を骨折しているため顔が苦痛に歪む。頭から足先まであらゆる場所に包帯が巻かれ、その姿は何とも痛々しい。

「あぁっ、ごめんなさい! 起きなくていいですから! どうかそのまま寝ていてください!」
「ですが・・・」
「いいから。そのまま横になってろ」
「・・・! はい・・・ありがとうございます・・・」

司直々にそう言われ、さすがの小林もそれ以上は無理をせずに静かにベッドに体を預けた。

退院する直前、つくしがどうしても小林に謝罪とお礼を言いたいと司に懇願した。
はじめは難色を示していた司だったが、実際彼女のおかげで助かった面もあるのは否めない。
しかも大怪我までしているともなればつくしが気に病まないのは無理な話で、会わせずにいつまでも引き摺られるよりは一度ちゃんと話をさせた方が得策だと判断し、会うことを許可された。
ただし司も一緒だという条件付きではあったが。

「今回は私のためにこんな怪我をさせてしまって・・・ごめんなさい!」
「そっ、そんな! 謝らなければならないのはこちらの方です! あれだけご迷惑はおかけしないと誓ったのに、結局こんなことになってしまって・・・本当に申し訳ありませんでした!」

まるで合わせ鏡のように互いに頭を下げ合う。

「あの・・・お子様を妊娠されていると伺いました。お子様は本当に・・・」
「大丈夫です。元気にしてくれていて何の問題もありません」

つくしの即答に心の底からほおっと息を吐き出すと、小林の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

「良かった・・・! 本当に良かったです・・・!」
「小林さん・・・」

本音を言うと、ほんの少し、ほんの少しだけ彼女を心の底から信じていいのか迷った時があった。あの社長を慕っているのならば、どこかで自分たちにとって敵となることもあり得るかもしれないのではないかと。
でもそんなことを僅かでも考えてしまった自分が恥ずかしい。
彼女の言葉や涙には何一つ裏がない。
それはこの涙が全て教えてくれている。余計な言葉などいらないほどに。

「道明寺様、この度は私たちが取り返しのつかないことをしてしまい、本当に申し訳ございませんでした。どんなお叱りでも受けるつもりでいます」

グイッと涙を拭うと、小林は痛みを堪えながら必死で首だけ動かして頭を下げようとする。

「・・・・・・思うところは色々あるがお前に対しては感謝してる」
「・・・えっ?」
「こいつからお前のことは聞いてたからな。実際あの時お前が間に入らなければ最悪の事態もあり得たかもしれねぇ。だからその点に関しては素直に礼を言う」
「そ、そんな! とんでもありませんっ・・・!」

恐れ多いとばかりに首を振って否定する。
だが司の放った次の言葉に一瞬にして顔色が変わった。

「お前もとんだとばっちりだったな。あんな上司についたばっかりに」
「・・・・・・」
「司っ!!」
「なんだよ、事実を言ってるだけだろうが」
「だからって今言わなくても・・・!」
「・・・いいんです、つくし様。道明寺様の仰るとおりなんですから」
「・・・小林さん?」

つくしを見ると、小林はフッと寂しげに笑った。

「・・・さすがに今回のことで私も考えました。今まで自分がしてきたことがただの自己満足に過ぎなかったのだと。昔の様な社長に戻って欲しいと今まで突っ走って来ましたが・・・結局、それが社長の足を引っ張っていたんじゃないかって」
「何を言ってるんですか? そんなわけ・・・!」
「いいえ、きっとそうなんです。いつも私が社長のフォローに回ってしまうことで、結局あの方は自分の過ちに気が付かず同じ事を繰り返してしまった。良かれと思ってしていたことが、結果的にこんな大変なことまで引き起こしてしまいました・・・」
「そんな・・・小林さんは何も悪くありません!」

笑いながら小林は首を横に振る。その笑顔は今にも消えそうなほど儚げで。

「だから私も決めました」
「何を・・・ですか?」
「・・・・・・退職しようと思います」
「えっ・・・?!」

まさかの答えにつくしは言葉を失う。
あれだけあの男を支えたいと言っていた彼女が、会社をやめる?!

「今回のことでさすがの社長も随分反省なさってるようですし、こんな時だからこそ私がいなくなることが大事だと思いました。ですから、近いうちに社長には辞意を伝えたいと思います」
「そんな・・・だって・・・!」

何かを言いかけたつくしの肩を司が掴むと、静かに首を振って制止した。
その目は 「お前の問題じゃない」 と言っている。

「ご迷惑しかおかけしなかった立場の私がこんなことを言うのも恐縮ですが、つくし様と色々お話しできたことは私にとって本当に楽しい時間でした。このような素敵な方とご結婚された道明寺様と、そして道明寺ホールディングスの今後のますますのご活躍を僭越ながら遠くから祈らせてください。・・・本当に色々と申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました」

一気に最後まで言うと、小林は動かずに下げられない頭の代わりに静かに目を閉じた。

「小林さん・・・」

言いたいことは山のようにあった。
でも何と言えばいいのか。
司の言う通り、情に任せて無責任なことを言うことなどできない。
自分の知らない彼女達の歴史があって、その積み重ねの上で今があって。
その上で彼女が出した決断にあれこれ言うことなど・・・・・・とてもできやしなかった。






「お前が悩むことなんてあの女は望んじゃいねーぞ」
「・・・わかってるよ、そんなことは・・・」

全て司の言う通り。彼女はつくしが自分の事で心を痛めてるなんて知ったら悲しむだけだ。
だが、それでも・・・

黙り込んでしまったつくしに溜め息をつくと、司はつくしの体を自分に引き寄せた。

「ったく、お前はほんと人が良すぎだからな」
「そんなつもりは全然ないよ。・・・ただ、小林さんが本当にいい人だったから・・・」

そう。彼女がほんの少しでも悪人の要素を持ってくれていたらどれだけよかったことか。
根っからのいい人で、あんな大怪我までして、自分の無力さを嘆いて好きな人の前から去っていく・・・
他人事だとしても胸が苦しい。

「・・・司」
「ん?」
「あの人って・・・」

そこまで言いかけてつくしは言葉を切った。

・・・駄目だ。 これ以上は聞かない方がいい。
聞いたところで自分ではどうすることもできないのだから。
皆の言う通り、今自分が考えるべきことは自分の体とこのお腹の子のこと。
それを忘れてはいけない。

「何だよ?」
「ううん、やっぱり何でもない」
「・・・・・・」

顔を上げてヘラッと笑って見せたつくしを司がじっと見つめている。
やがてチュッと音をたてて軽く唇が重なった。

「・・・へへっ」

濃厚なキスで酔うのもいいけれど、こういう軽めのキスの方が本当は好きだったりする。
つくしは照れくささを隠すようにぎゅうっと司の体にしがみついた。
当然のように司がその体を受け入れると、つくしの頭に顎を乗せて髪を撫でていく。

・・・自分は本当に幸せ者だ。


「・・・・・・・・・あの男なら社会的制裁を与える」
「 ! 」

突然の言葉に顔を上げようとするが司の顎に抑えつけられていてそれを許されない。

「うちとの取引中止は当然として、ありとあらゆる方面であの男の会社とは関わりを持たないように手を伸ばす」
「・・・・・・」
「まぁ会社が潰れるのは当然だがあいつ個人としても再起は不能だろうな。もう二度とこの世界では生きていけねぇだろ。あれだけの忠告を無視した結果がこれなんだからな。当然の報いだ」
「・・・・・・」

シーーーーーンと室内が静まりかえる。
つくしは何も言わない。 だが腕の中の体が硬直しているのがわかる。

そんなことしないで! ・・・とは言えない。
もちろん言いたいけれど、今の司を止めることは不可能だとわかっているから。
結果的に自分も子どもも無事だっただけであって、状況的には自分が小林の立場になっていてもおかしくはなかったのだ。その原因を作ったのは他でもない遠野自身であるし、それ相応の報いを受けなければならないということも理解しなければならない。

だから自分が何かを意見することなんてできない・・・


・・・でも、でも・・・・・・!


つくしはやり場のない思いを呑み込んでギュッと司の胸に顔をうずめた。




「・・・・・・・・・と言いてぇところだけどな」
「・・・・・・え・・・?」

明らかに声のトーンの変わった司を仰ぎ見る。
見ればその顔は怒っているというより・・・どこか呆れて見える。
つくしと目が合うと、ハァッと特大の溜め息をこれ見よがしについてみせた。

「うちとの取引停止だけに留めてやる」

その一言につくしの目が大きく見開かれる。

「・・・・・・司・・・?」
「いいか。これはあの野郎のためでもなければあの女のためでもねぇ。全てはお前と腹の子のためだ」
「え・・・?」
「本音で言えば徹底的にあの男を潰してやらなきゃ気が済まねぇ。けどな、そうすればあの女が悲しむんだろ。そして誰よりもお前が苦しむに決まってる。俺はお前に余計なことでストレスを感じて欲しくねぇんだよ」
「司・・・」

これは夢だろうか?
まさかあの司が、自分からこんなことを言うだなんて。

「そんなんでお前と腹の子に何かあってみろ。俺は後悔してもしきれねぇっつんだよ」
「つかっ・・・」

言いかけた言葉は最後まで言いきることはできなかった。
次から次に溢れる涙が話すことすらままならなくしていたから。
司はそんなつくしの顔を両手で挟み込むと、至近距離でつくしを正面から見据えた。

「いいか。それでも自分のやったことの責任は取らせる。それが俺の最大限の譲歩だ。わかったな」
「・・・んっ、うんっ・・・!」

何度も何度も頷く度に大粒の涙が司の指を伝って零れ落ちていく。

「お前泣きすぎだろって」
「だっで、だっでぇ・・・!」
「あーもう、わかったわかった。とりあえず好きなだけ泣いて落ち着け。わかったか?」
「う、う゛んっ・・・えぐっ・・・」
「ったく、ガキができてからのお前こそガキみてぇだぞ」
「うぐっ・・・うう゛っ・・・うわあ~~~んっ!!」

再び胸にしがみついて号泣し始めたつくしの頭上でやれやれと呆れた溜め息が聞こえる。
それでも、髪を撫でてくれる手は、背中に回された手は、とてつもなく優しさで溢れていることを知っているから。



「づがざっ・・・ありがどうっ・・・あぢがどお~~~~~~っ!!!」
「何言ってっかわかんねーよ。 日本語話せ」
「づがさにだけはいわれだぐない~~~っ」
「ぶはっ、そこはツッコミ返せんのかよ」


そう言ってケラケラ笑うから。
余計に涙は止まらなくて。
昨日に続いて今日も司の洋服を涙と鼻水でべちょべちょにしてしまったけど。



あたしは一生この男を幸せにするんだとあらためて心に強く誓ったんだ。





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幸せの果実 23
2015 / 05 / 10 ( Sun )
ガタガタンッ ダダダダダダダダダダダダダッ!!


シーーンと静まりかえった広い廊下に遠くから凄まじい音が響いてくる。
時間と共にその音が近づいてくると、ガタンッ! という音をたてて廊下の角から1人の男が姿を現した。


「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ・・・!」

視界にその男の姿を捉えた途端、長椅子に座っていた男が慌てて立ち上がる。

「あ、あのっ・・・」


ガツッ! ガタガタガターーーーーーーンッ!!


控えめに口を開きかけたところでその体が後ろに吹き飛ばされた。
壁に激しく体を強打した後、ズルズルと廊下に倒れ込む。
だが間髪入れずにその体に馬乗りになると、再び拳が横たわる男の顔面へと落とされた。

ガツッ! バキッ!

1発、2発・・・、次々と鈍い殴打音が廊下に響き渡る。
一方的に殴られているというのに、何故か男は抵抗しない。
まるで甘んじて受け入れているかのように、ただ横たわったまま殴られ続けるだけ。


「司様っ! 落ち着かれてくださいっ!!」

廊下でその様子を見ていたSPがさすがに見るに見かねたのか、慌てて止めに掛かる。

「うるせぇっ! ぶっ殺してやる!!」
「お気持ちはよくわかりますがどうかそれくらいになさってください! ここは病院です!」
「んなん関係あるかっ!」

ガツッ!!

再び拳が入ったところでSPが数人がかりでやっとのことその体を男から引き剥がす。
男はぐったりとしたまま動かないが、その目だけは目の前の男をしっかりと捉えていた。

「司様、制裁を与えたいお気持ちはわかりますが今は何よりもつくし様の元へ」

ようやく追いついた西田が努めて冷静に語りかけると、気持ちを落ち着かせるように司がようやく大きく息を吐き出した。

「・・・これがてめぇが望んだ結果か?」
「・・・・・・申し訳ありませんでした・・・」

視線だけでも人が殺せるんじゃないだろうかというほどの眼光で睨み付けられると、血の滲んだ男の口から謝罪の言葉が漏れた。

「地獄に落ちるのを覚悟しておけよ」
「・・・・・・」

まるで萎れた草花のように項垂れた男を残して、司は目の前の部屋の中へと入っていった。

廊下には再び静寂が訪れる。
元々一般人が立ち寄れるフロアではないため、残されたのは倒れたままの男とSP、そして西田だけ。

「・・・さすがにやり過ぎましたね」

コツンと音をたてて西田が男の横へ立つと、すっかり生気を失った男、遠野が西田を見上げた。

「・・・まさか妊娠していただなんて・・・」

その言葉を呟くと再び項垂れてしまった。
顔は殴られたせいで血だらけだが、それ以外に手や足にも既に包帯が巻かれている。
だが、だからといって同情の余地などない。

「ご結婚なさってるんです。いつでもその可能性があることは考えるまでもありませんでした。それに、そんなことは結果論に過ぎません。あなたがしようとしていた結果がこれなのですから」
「・・・・・・」
「あなたは司様のことを何一つわかってはいない。あなたの愚行をもってしても司様があれだけ穏便に事を済ませていたのは全てつくし様の存在があってこそ。今の人間らしい司様をつくりあげているのはつくし様なのです。万が一あのお方に何かあれば・・・あなたをこの世から抹殺することなどいとも簡単なこと。元来司様はそういうお方でした」
「・・・・・・」
「お二方が幾度に渡ってあなたにチャンスを与えたというのに、あなた自身がこうして無駄にした。その結果の責任は避けられないことをお忘れなく。・・・そして金輪際あなたがお二人に会えることはありません」
「・・・・・・」

そう言い残すと、西田は表情を変えないまま男を残してその場から立ち去った。


薄暗い廊下にただ一人、SPだけが目を光らせる中、遠野はいつまでも項垂れ続けていた。









***




「つくしっ!!!」


バタバタバタバタッ!!

突然室内に響いた騒々しい音にベッドに横たわっていた女がふっと顔を上げた。
駆けよって来た人物を見てたちまちその顔が驚きに染まる。

「・・・・・・司?! どうしてここっ・・・!」

その言葉は最後まで言うことは叶わない。
伸びてきた大きな手がつくしの体を捉えると、まるで閉じ込めるような強い力でぎゅうっと抱きしめられた。Yシャツ越しにでもわかるほどに体は汗びっしょりで、滅多に息の上がることのない司が肩で息をしている。どれだけ全力で走ってここまで来たかがわかって、それだけで胸が締め付けられる。

「つか・・・」
「っざけんなよ・・・!」

ほんの少しだけ距離ができて見えた顔は当然の如く次から次に汗が流れ、トレードマークであるくるくるパーマが半分以上ストレートになっているほどだった。
司はつくしの両頬に手を添えると、言葉で表現するのが難しい表情でつくしの肩に顔を埋めた。

「報告を聞いて俺がどれだけ心配したと・・・・・・生きた心地がしなかったんだぞっ!!」
「・・・司・・・」

ポタポタと服の上に汗が落ちてくる。
それがまるで司の涙のように思えて、つくしの目がぎゅっと熱くなっていく。

「ごめん・・・・・・ごめんね・・・ごめんねっ・・・!」

小刻みに震える背中に両手を回すと、つくしは力の限りその大きな体にしがみついた。
そんなつくしの体を労るように司の両手がつくしを包み込むと、しばし言葉もなく2人はただ抱きしめ合った。








「・・・・・・司、仕事は・・・?」

体を伝って聞こえていた司の心音が落ち着いた頃、つくしが心配そうに顔を上げる。

「仕事なんかしてられっか」
「え・・・それじゃあもしかして・・・」

自分のせいで仕事を途中放棄させてしまったのだろうか。
そんな思いが顔にもろに出ていたのだろう。司はつくしの髪の毛をくしゃっと掴む。

「バカ。仕事はちゃんと終わらせたっつの。元々ちょうど終わったところで連絡が入ったんだよ」
「・・・え?」

驚くつくしに司ははぁっと息を吐いた。

「お前のことが気になって気になって。機内でも向こうに着いてからも寝る間も惜しんで仕事したんだよ。だから1日予定が早まったんだ。今思えば虫の知らせだったんだろうな」
「・・・・・・」
「連絡受けてマジで世界が暗転したんだぞ」
「・・・・・・ごめんなさい」

それ以外に返す言葉など見つからない。
今にも泣きそうに俯いてしまったつくしの顎を掴んで上を向かせると、司はその顔をじっと見つめる。

「ほんとに大丈夫なのか?」
「・・・うん。足を踏み外したときにほんの少しだけ足を捻挫しただけ。あとは本当にどこもなんともないの。司が来るまでの間に色々検査もしてもらったけど・・・本当に大丈夫だから」
「子どもは・・・」

お腹に視線を移した司の手を掴むと、つくしは自分の下腹部へと導いた。
大きな手が乗せられた途端たちまちそこに確かな温もりが伝わる。

「エコーで見せてもらったけどとっても元気だった。だから大丈夫。心配しないで?」
「・・・・・・」

その言葉にようやく安心できたのか、はぁっと大きく息を吐き出すと、司はまるで子どもが甘えるようにつくしの胸に顔をうずめた。いつもの彼らしくないその行動に、つくしはキュッと唇と噛むと力の限り手を伸ばしてその大きな体を包み込んだ。

「・・・ほんとにごめんなさい。そしてありがとう・・・司」






あの時 ______



「きゃあああああああああああっ!!」

衝撃音と悲鳴と共に数人の人間が階段から転がり落ちていった。

だが落下を覚悟してお腹を守りながらぎゅっと目を閉じたつくしにそれ以上の衝撃が走ることはなかった。ゆっくりと目を開けて見えたのは、自分を包み込むように必死で体を守っているSPの姿。
つくしの希望でほんの少し離れたところから見守っていた彼らがつくしを間一髪のところで守ったのだ。

だがつくしを守ろうとしたのは彼らだけではなかった。
ハッとして階段の下に目をやれば、そこには3人の人間が倒れていた。
つくしを引っ張った女と遠野、そして小林の3人。

「っ、遠野さんっ?! 小林さんっ?!」

つくしの声にやがて女と遠野が目を開けて体を起こしたが、一番下になって落ちた形の小林だけは最後まで目を開けることはなかった。


「小林さんっっっっ!!!」




それからすぐに救急車がやって来てつくしを含めた全員が系列の病院へと搬送された。
妊娠中ということもありつくしの検査は細部にわたって慎重に慎重を期して行われたが、幸い階段を踏み外した際の軽い捻挫だけで済んだ。
全ては身を挺して守ってくれたSPのおかげだ。

・・・そして何よりも小林のおかげだった。

つくしの体が宙に浮いた瞬間、遠野の手がつくしを掴んだのと同時に小林の体がつくしを庇うようにして割り込んで来たのをうっすらと覚えている。その後すぐにつくしの体はSPによって守られたのだが、勢いがついてしまった小林の体はそのまま落下していった。
そんな小林と女を守るために遠野の体も階段に叩きつけられていったのだが・・・結果的に小林が一番下になる形で落下してしまった。
結局一番軽傷だったのは原因となった女で、擦り傷程度で済んだ。だがすぐに駆けつけた警察によって事情を聞くために任意同行を求められた。
遠野は左手首のひびと全身打撲があったものの、意識もはっきりしているしそれ以上の問題はなかった。

一番重傷だったのが小林だ。
つくしを守るために身を挺し、さらには女と遠野が乗り上げる形で落下してしまった彼女は、手や肋骨など数カ所を骨折していた。しかも一番の問題は頭も打ったことで、今後もしばらくは入院して経過観察が必要とのことだった。
幸い意識は戻って会話なども問題なくできるようだが、つくしも念には念をということで1日は大事を取って入院するはめになったため本人と会えてはいない。

聞けば遠野が小林の怪我に加えてつくしが妊娠していたことをSPから聞かされ、かなりのショックを受けていたらしい。結果的に無事だったとはいえ、下手すればお腹の子共々最悪の事態を招いていたかもしれないのだ。いくらあの男とはいえショックを受けるのも当然だろう。

___ おそらくもう彼と会えることはない。

つくしは眼下の司を見つめながら、あの男が司の逆鱗に触れてしまったことは疑いようのない事実だろうことを思い、人知れず溜め息をついた。






***



「・・・え、泊まるの?」

すっかり日も暮れた頃、バサバサと目の前で軽装に着替える司を見ながらつくしが目を丸くする。
確かにここは病院とはいえ、ほとんどホテルのスイートルームのようなものだが・・・

「ったりめーだろ。邸に帰る理由なんかどこにもねーだろが」
「・・・でもあたしは大丈夫なんだよ? 明日にはすぐ帰れるし・・・わっ!」

着替えを終えた司が問答無用でバサッと布団を捲ってベッドの中に侵入してきた。
すぐにつくしの肩を引き寄せると、今にもキスしそうな程の距離まで迫る。

「なんだよ。お前は俺に傍にいて欲しくねぇのかよ?」
「そんなわけ・・・んっ!」

ふわりと唇に柔らかい感触が重なると、すぐに熱い塊がつくしの中を侵食していく。その極上の感触に、優しく髪を撫でる手の柔らかさに、頬に添えられた手の温もりに、注ぎ込まれる全ての愛情につくしが脱力していくと、司は離れていた時間を埋めるかのように長い長い時間をかけてつくしの存在を確かめていった。



「あったかい・・・」
「ほら見ろ。俺がいて嬉しいんじゃねぇか」
「ふふっ・・・」

酸欠になるほどの長いキスを終えると、司はつくしの体を包み込んだままベッドに横たわった。
背中に手を回してぴったり体を寄せ、絶対に離れてなるものかという強い意志を感じる。
安心感と温かさにすぐに瞼が落ちそうになるが、これだけはちゃんと伝えなければ。

「司・・・ほんとにごめんね・・・?」
「・・・なにがだよ」
「いっぱいいっぱい心配かけて・・・ほんとにごめんなさい」
「・・・・・・」

つくしに非はない。
だが結果的に騒動に巻き込まれてしまったことは事実なわけで、運が悪ければ最悪の事態もあり得たのだ。今更ながらその紙一重の差にゾッとする。
・・・そして自責の念に駆られる。

そんなつくしの小さな震えが伝わったのか、司は回していた手でゆっくり背中を撫でながら反対の手でポンポンと頭を優しく叩いた。

「・・・もういい」
「でもっ・・・!」

ガバッと顔を上げたつくしが見たのはこの上なく優しい顔で自分を見つめている司の姿。

「斎藤やSPから事の成り行きはちゃんと聞いてる。お前が責任を感じることじゃない」
「でもっ・・・」
「お前が・・・お前と腹の子が無事ならそれでいい」
「司・・・」

その言葉にみるみるつくしの瞳が潤んでいく。
司はつくしの顔に手で触れると、今にも零れ落ちそうな目元をそっと指で拭った。

「怖かっただろ?」

ぼろぼろと、堰を切ったように涙が溢れ出していく。

「・・・ごめんな、俺が傍にいて守ってやれなくて」

その言葉にぶんぶんと首を横に振ると、つくしは司にしがみついた。

「つかっ・・・つかさぁ~~~っ!!」

予想していたかのようにその体を受け止めると、司はまるで子どもをあやすようにつくしを優しく撫でていく。さっきとは完全に立場が逆になった形だ。
自分がいない間にこんな目にあって、平気な素振りを見せていても不安だったに違いないのだ。

「今は余計なことは考えずにゆっくり休め。俺はどこにも行かねぇから」
「うぅっ・・・つかさっ、つかさぁっ・・・!」
「・・・フッ。お前はガキか」
「うわあああぁあああんっ」

緊張の糸がほどけたように泣きじゃくるつくしを、司は何も言わずに抱きしめ続ける。
身重でなければ一発殴られてもおかしくないほど怒られると思っていたのに、その予想とは真逆に優しすぎる司の気持ちが、心に、体中に染みこんで、つくしの涙腺は完全に崩壊してしまった。




それから声の限り泣き続けたつくしは、不安も何もかも、余計な感情は全て忘れて、ただ大きくて優しい温もりに包まれながら、久しぶりに幸せな眠りの世界へと落ちていった。
そしてそんなつくしを司は一晩中見守り続けた。





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幸せの果実 22
2015 / 05 / 09 ( Sat )
ピシッと決まっているスーツ姿からおそらく仕事だろうとは思っていたが、いつ会っても腰の低い生真面目な女性だとつくづく思う。
あの社長には勿体なさすぎだと。

「いえいえとんでもありません! つくし様こそ今日はどうされたんですか? まさかこんなところでお会いするなんて驚きました」
「あ、ちょっと出掛けた帰りに美味しいものでも買っていこうかと思って」

そう言って目線ですぐ後ろの店を指すと、あぁと納得したように小林が笑った。

「そこのお店おいしいって評判ですよね」
「前に一度たまたま食べたことがあって。今日は無性に食べたくなったんです」
「ふふっ、そうなんですか。 ・・・失礼ですが少しお痩せになりましたか?」
「えっ?!」

まさかの鋭いツッコミにドキッとする。

「あっ、私ったらまたすみません!」
「あっいえいえ、それは別にいいんですよ。気にしないでください。全然変わってないんですけどね、痩せたように見えるならラッキーです」
「え? ふふっ」

小林の言うことは間違ってはいなかった。
最近の食欲の減退によって妊娠前より痩せているのが実際のところだった。
正直に話してもよかったのだが、まだ世間には妊娠を公表していない。
道明寺財閥の後継者が生まれるかもしれないとなればマスコミをはじめ周囲が黙ってはいない。つくしが安定期に落ち着くまでは静かな環境におきたいという司を筆頭にした周囲の配慮により、公表はお預けしている状態だった。
知っているのは秘書課の面々と一部の上層部のみ。
全員がボディガードのようにつくしの体調を気に掛けてくれ、申し訳ないと思う一方でそんな恵まれた環境で仕事ができることに心から感謝していた。

「あの・・・先日は本当に失礼致しました。社長のことはもちろんですが、個人的にも余計なことを話してしまったとあれから反省したんです」
「そんな、小林さんが謝ることなんて何一つないですよ!」

小林はつくしの言葉にぶんぶんと首を横に振る。

「いいえ、つくし様にとっては社長の過去など一切関係のないこと。ご迷惑をおかけしているこちらに全ての責任があるというのに、まるで情に訴えるようなことをしてしまって猛省しました。本当に申し訳なく思っています」
「いえっ、だから謝ったりしないでください! 頭も上げてくださいっ!」
「・・・・・・」

つくしの言葉でやっとのこと顔を上げた小林はなおも神妙な面持ちだ。

「・・・本当に社長さんが大切なんですね」
「えっ?」
「あ、いえ、その・・・いくら上司だとはいえなかなかそこまで周囲に配慮することってできないと思うんです。ですから小林さんにとって遠野社長は本当に大切な方なんだなって」
「いえ、そんなことはっ・・・」

バツが悪そうに目を泳がせるとそのまま黙り込んでしまった。

「・・・・・・やっぱりおかしいですよね・・・」
「え?」
「一秘書の分際で社長を何とかして救いたいだなんて・・・」

ぽつりと呟いた小林は今にも泣きそうに見える。
今つくしの目に映るのは、秘書ではなくただ一人の女性。
やっぱり確信する。
この女性はあの社長のことを人として、そして男性として好きなのだと。

「そんな・・・! そんなことないです。あの人はあなたがいることが当たり前になっているから気付いてないだけです。自分が本当は恵まれているんだってことに。近くにいすぎてそのことが見えなくなってしまってるんですよ」
「そんなことは・・・」
「離れて初めて・・・失わないと気付かないことってあるんですよ。不器用な人間には」
「つくし様・・・?」

まるで過去を振り返るように意味深に口にしたつくしを小林が真剣に見つめている。


「あれっ、つくしさん?」


と、その時後ろから聞こえた軽快な声に振り返れば、できることなら会いたくない人物が立っていた。 ・・・まぁ小林がここにいる時点でその可能性は大いにあり得たのだが、それでも彼女ともう一度話がしてみたかったというのがつくしの本音だった。
あれよあれよという間に無駄に足の長い男はつくしと小林の間にやって来る。

「まさかこんなところで会えるなんて! もしかして僕に会いに来てくれたんですか?」

ニコニコと笑いながらさも嬉しそうに笑う男、遠野康介とは対照的につくしの顔は引き攣っている。

「・・・こんにちは。1000%偶然ですから誤解されないでください」
「あっははは! 相変わらずその裏表のなさが素敵ですねぇ」
「社長っ! もうつくし様に失礼なことはなさらないでください!」

つくしの前に立ち塞がるように小林がズイッとその体を前に出す。

「えぇ? ただ挨拶してるだけでしょ?」
「無駄に近づかないでくださいっ! そして挨拶が済んだなら先に車にお戻りください!」
「そんな、ちょっと話するくらいいいでしょ?」
「ダ・メ・で・すっ! ご迷惑をおかけするのがわかっていて見過ごすことはできません!」
「えぇ~っ、理彩ちゃんのいけずぅ~」
「だからその呼び方はやめてくださいって言ってるじゃないですか!」

目の前で繰り広げられるなんとも子どものようなやりとりを目を右に左に動かしながら見守る。
なんというか、この2人って・・・


「小林様、小林様~!」


「理彩ちゃん呼ばれてるよ?」
「えっ? あ、商品ができたみたいですね・・・」

注文していた商品が仕上がったのだろうか、店の中から店員が呼んでいる。
店と遠野を交互に見ながら小林がどうしたものかと戸惑っているのがよくわかる。

「ほら、早く行かないと他のお客さんに迷惑がかかるんじゃない?」
「うぅっ・・・! すぐに戻って来ますから! 絶対に何もされないでくださいよ! つくし様、どうぞ社長のことは気にならさずにお店に行かれてくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」

つくしに頭を下げると、何度も何度も振り返り目を光らせながら渋々店の中へと戻っていく。
店の前とはいえ2人になるのは得策ではないと判断すると、つくしも軽く会釈をして目的の店に行くことにした。


「そろそろ僕のところに来たくなりませんか?」


だが背中を向けたところで投げられた言葉に思わず足が止まる。

「・・・・・・」

ゆっくりと振り返ってジロリと睨み付ければ、いつものあの顔で笑っている。

「・・・何がしたいんですか」
「え? 最初からはっきり言ってますよね? あなたが好きだって」
「嘘つき」

即座に帰ってきた一言に一瞬だけ目を丸くすると、アハハッと肩を揺らして笑い始めた。

「嘘って・・・ひどいなー。あなたが好きなのは本当ですよ。これに嘘は一切ありません」
「あなたの好きはただの憧れでしょう?」
「・・・どういうことです?」
「小林さんから聞いたんです。あなたの過去を」

全く予想だにしないことだったのか、いつだって崩すことがなかった飄々とした笑顔がサッと消えた。だが自分でそれに気付いたのか、何事もなかったかのようにいつもの表情へと即座に戻す。

「・・・一体何を仰ってるんです?」

笑って見せている顔はちっとも笑えてなんかいない。
動揺しまくりのくせに、それで誤魔化したつもりなのか。

「はっきり言ってあなたの過去なんて私には一切関係ありませんし興味もありません。でもそのことで関係のない私たちまで巻き込まれるのはまっぴらごめんです」
「巻き込むだなんて、僕はただあなたのことが」
「あなたはただ試したいだけでしょう? 自分を納得させるために」
「えっ?」
「本音では別れて欲しくないと思ってるくせに。その気もないのに手を出して、結局自分になびいてくる女性に失望してる」
「何を言って・・・」
「そうやって、世の中の女性が皆裏切る生き物なんだって、自分を納得させたいだけでしょう?!」

ぎこちないながらも笑い続けていた顔が完全に真顔になった。
この男のそんな顔を見るのはこれが初めてのことだ。

「・・・小林が何を言ったか知りませんけど、何か誤解されてますよ」
「絶対にあり得ないですけど、仮に私があなたのところにいったとしてそれで満足ですか? ただ失望するだけですよね?」
「そんなこと・・・」
「あなたが今のようになった理由がちゃんとあるのだとしても、だからといって人を不幸にしていい権利なんてどこにもない! 結局、誰一人幸せになんてなれてないじゃない。いい加減そういう不毛なことはやめたらどうですか」
「・・・・・・」

言葉に詰まるその姿からは明らかにいつもの余裕が消えている。

「あなたが私を好きだと言っているのは私たちの絆が羨ましいから。自分もそうなりたいと思ってるから」
「そんなことはありません」
「じゃあどうして奪い取った女性と長続きしないんですか? 本気で好きだから奪ったんじゃないんですか?」
「それは・・・」
「いい加減現実逃避するのはやめた方がいいですよ」
「現実逃避・・・?」

その言葉にピクッと眉尻が上がる。

「目の前にある幸せから目を逸らし続けていたらいつか本当にその幸せが逃げていきますよ」
「・・・・・・一体何のことを言っているのか。意味がわかりませんね」
「わからないふりをしているだけのくせに」

そう言ってつくしが見つめた先には店員と笑顔で話している小林の姿がある。

「当たり前にある幸せに気付かないふりをしていたらいつかその幸せすら失ってしまう。その時後悔したってもう遅いんですからね」
「だから何の話なのかさっぱりですよ。僕が好きなのはあなただって言ってるじゃないですか」

少しの沈黙の後にへらっといつもの顔で笑った男につくしは溜め息をついた。

「・・・まぁいいです。あなたが後悔しようとどうしようと私には関係のないことですから。ただ悪いことは言いません。私たちにちょっかいを出すのはやめた方がいいですよ」
「どうしてです? 私はあなたが結婚してたって別に関係な・・・」
「司を本気で怒らせたらあなたの未来はないですよ」
「 ! 」
「別に脅しで言ってるわけじゃありません。あなたは彼の本当の怖さをわかってなんかいない。どう足掻いたって私があなたに振り向くなんて事は未来永劫ない。私には司だけですから。みすみすご自身が積み上げてきた努力を無駄にするようなことはやめた方がいいですよ。これは純粋にあなたのために言っていることです」
「・・・・・・」

再び黙ってしまった遠野にふぅっと息をつくと、つくしはあらためて会釈した。

「じゃあほんとにこれで失礼します。小林さんによろしくお伝え下さい」
「え? あっ、ちょっと待って下さい!」


「康介っ!」


今度こそつくしが背を向けたその時、階段の下から凄い勢いで駆けてくる女性の姿が目に入った。その声の大きさに遠野だけではなくつくしまで動きが止まって思わず見てしまうほど。

「・・・・・・美穂?」
「はぁはぁはぁ・・・やっと会えた」
「・・・・・・」

その言葉に遠野は何とも面倒くさそうな顔で溜め息をついた。
どうやらその様子からして彼女は彼の 「知り合い」 らしい。

「一方的に連絡を遮断するなんてひどいんじゃない?」
「そう? ちゃんと話はしただろう? もうあれ以上話し合う事なんてないでしょう」
「そんなの勝手だわ! 私は全てを捨ててあなたを選んだって言うのにあなたって男は・・・!」
「おいおい、勘違いするなよ。君が取った行動は全て自分の意思で決めたことじゃないのか? それを責任転嫁するようなことは勘弁して欲しいね」
「なんですって?!」

目の前で繰り広げられる言い争いにつくしは心底呆れかえる。
自分にはどうやったって理解することのできない世界で、聞いているだけでもお腹の子に悪影響を与えそうだ。

だが早々に立ち去ろうとしたつくしの視線がその女とぶつかった。
視線がつくしの左手の薬指に光るものへと移ると、何故かどこか納得したように女が笑った。

「・・・へぇ。次のお相手はもう決まってるってわけ」
「・・・は?」

全くの初対面だというのに、その目は敵意に満ち溢れている。
どうやら全く見当違いの誤解をされているようだ。
おそらく以前略奪に成功した女性のようだが、状況から察するにその後あっけなく捨てられてしまった、そんなところだろう。

「あなたも物好きね。どうせすぐにこの男に捨てられるわよ」
「・・・・・・」
「おい! この人は仕事先の女性だ。勝手に話をつくるなよ」
「あなたの言い分なんて信じられないわ!」

全く理不尽なとんだとばっちりだが、この女性の言うことは間違ってはいない。
真意はともかく、この男が自分にちょっかいを出しているのは紛れもない事実なのだから。
とはいえこれ以上くだらない揉め事に巻き込まれるのはまっぴらゴメンだ。

「・・・私には一切関係のない話ですので。 本当に失礼します」
「ちょっと! 待ちなさいよっ!」

表情一つ変えずに流されたことが気に入らないのか、女は逆上してその場を離れかけたつくしの左腕をいきなり掴んだ。まさかそんな事をされるとは夢にも思っていなかったつくしが驚いて振り返る。

「離してください!」
「あんたのその態度が気に入らないのよ!」
「はぁっ?! 意味がわかりませんから! 私には一切関係のないことです!」
「誰が信じるものですか! どいつもこいつも人をバカにしてっ・・・!」
「おいっ、やめろっ!!」
「うるさいっ!!」

すぐさま掴んだ手を離そうと間に入った遠野の体を振り払おうと女が手にしていた鞄を振り回すと、腕を掴まれたままのつくしの体までその反動で引っ張られてしまった。



「きゃっ?!」


____ と次の瞬間、勢い余ったつくしの片足がガクッと階段から滑り落ちた。

すぐに体を起こそうとしたが、腕を掴んでいた女の重みでそのまま後ろに体が引っ張られていく。



_____ このままでは危ないっ!!



咄嗟に右手でお腹を守るように包み込む。



「つくしさんっ!!」
「つくし様っ!!」



傾いていく視界が最後に捉えたのは、顔面を真っ青にしながら走って手を伸ばす小林の姿。




「きゃあああああああああっ!!!」




ズダダダダダダンッ!!!


その直後、凄まじい音と共に一帯に悲痛な叫び声が響き渡った。





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04 : 50 : 07 | 幸せの果実(完) | コメント(41) | page top
幸せの果実 21
2015 / 05 / 08 ( Fri )
「 もしもし、司? 」
『 あぁ。 どうだ、どこもおかしいところはねぇか? 』
「 あははっ、昨日の今日でそんなに変わったりしないよ。相変わらず眠気があってちょっと食欲がないくらい。全然大丈夫だよ 」
『 お前が食欲がないだなんて尋常じゃねぇだろ 』
「 あはは! それは確かにそうかも。でも大丈夫だよ。いつもに比べればってことだから。まだまだあたしのつわりは軽い方なんだから心配しないで。 ね? 」
『 ・・・あぁ。 悪かったな。こんなときに出張なんか入って 』
「 ぜーんぜん! 司は社長なんだから。いちいちそんなこと気にしちゃだめだよ。あたしには心強い人がたくさんついてるんだから何の問題もなし! 」
『 ・・・それはそれで気に食わねぇな 』
「 えっ? あははっ、ヤキモチ焼かないでよね~! もうほんとに 」
『 フッ・・・あ、そろそろ行かねぇと。じゃあくれぐれも無理はするんじゃねぇぞ? 』
「 大丈夫! また検診が終わったらメール入れておくから。司も体に気をつけて頑張ってね 」
『 あぁ。仕事が終わったらすぐ帰るから、待ってろよ 』
「 うん、待ってる。 じゃあまたね! 」





通話を終了させるとふぅーっと息をついて背もたれに寄り掛かった。

「司様ですか?」
「あ、そうです」
「相変わらず仲が宜しいですね」
「いえいえ、そんな」

タハハと照れ笑いするつくしにバックミラー越しに斎藤が目を細める。

「2泊3日とはいえ司様はお寂しいことでしょうね」
「え? あははは・・・それは、否定できないかもしれません」

ニコニコ笑顔の斎藤につくしは苦笑いだ。

司は昨日からシンガポールへと飛んでいる。
社長ともある人間だ。ある日突然海外に飛ばなければならないなんてことはザラにある。
だが今回ほど行くのを渋ったことはなかっただろう。秘書とはいえ身重のつくしを連れて行くなど論外、となれば自ずと離ればなれにならなければならない。
最後の最後まで行かずに済む方法はないかと根回ししていたが、結局その願いは叶わず、つくしの説得と半ば西田に引き摺られる形で昨夜発ったのだった。

「・・・ふふっ」
「どうされましたか?」
「あ、いえ。なんでもありません」

思い出し笑いの止まらないつくしに不思議そうにしながらも、つられるようにして斎藤も笑っている。妊娠が判明してからというもの、こうして笑顔に溢れた生活を送れていることは本当に幸せだと実感する。
多少体調が悪くたって、食欲がなくたって平気。
この体の中で懸命に成長している命があると思えば、どんなことでも愛おしい。

「お子さんの成長が楽しみですね」
「ほんとですね。夕べはドキドキして眠れませんでした」
「えぇえぇ、そうでしょう。きっと司様もそうだったと思いますよ」
「あはは、一緒に行けたら良かったんですけどね。それはまた今度ってことで」

土曜日の今日は2週間ぶりの検診だ。
それもあって司は最後まで日本を離れるのを渋っていたのだが・・・まだまだ先は長い。
検診の度に社長が仕事を休んでいては部下に示しがつかないよとつくしに諭され、渋々重い腰をあげて今に至る。
まさかあの司がここまで積極的に関わろうとしてくれるとは、正直ちょっと予想外でもあった。

とはいえ照れくささが残りつつも、やっぱり嬉しいのが本音なのだけれど。








「うん、順調に大きくなってますね」
「本当ですか?!」
「えぇ。 ほら、見えますか? ここが頭と手と足ですよ」
「えっ? ・・・・・・あぁっ、本当だっ!!」

モニターをよーく見てみると、確かに言われたとおりの形が見えてくる。
と、見た瞬間ぴょこぴょこと手足が動いた。
まるで 「おかあさーん!」 と手を振っているかのように。

「あっ、動いてる!」
「元気がいいですね」
「すごい・・・たった2週間でこんなに違うものなんですか?」
「そうですよ。これから見る度に赤ちゃんは大きくなっていきますよ。だって考えてみて下さい。豆粒より小さかったものが生まれるときにはこんなに大きくなってるんですから」

女医のジェスチャーにあらためて体の神秘を思う。

「すごい・・・すごいですね。本当に・・・」

感動のあまり言葉すら出てこない。
司を説得して仕事に送り出しておきながら、やっぱりこの場に彼がいてくれたらどんなにいいだろう・・・なんて、ついつい勝手な想いが巡ってきてしまうほどに。

「つわりはどうですか?」
「あ・・・はい。最近ちょっと辛いなぁと思うこともあります。気分が悪かったり、眠れなかったり」
「食欲はありますか?」
「・・・正直あまり。人生で初めてです。食欲がない生活を送るだなんて」
「えっ? あははは! つくしさんは面白い方ですね」
「いえ、それくらい私にとっては一大事なんです。私は断然! 花より団子派ですから」
「ふふふ、あの司さんの奥様と聞いて一体どんな方かと思ってましたけど・・・とってもチャーミングな方でなんだか嬉しいです。まだ司さんが幼い頃に何度かお見かけしたことがありましたけど・・・この前お会いしたときに随分雰囲気が変わられていて驚いたんですよ。 あなたを見ているとその理由がよくわかります」
「えっ? いえいえ、そんな・・・」

照れくさそうにはにかむつくしに女医もニコニコ笑っている。

「きついときには無理して食べる必要はありませんよ。多少食べられなくても大丈夫。赤ちゃんは思ってる以上に逞しいんです。ちゃんと大きく成長していってくれますよ。つわりが落ち着くまでは食べられる物を中心にゆっくり栄養をとっていけばそれで大丈夫ですから」
「そうなんですか?」
「そうですよ。食べられないことよりも、母体にストレスがかかる方が悪影響ですからね。あまり構えすぎずにリラックスして過ごすのが一番ですよ」
「・・・はい」

女医の言葉につくしの体からすぅっと力が抜けていく。

本音を言えば、このところ不安になることも少なくなかった。
日に日に食欲がなくなっていき、それどころか見るだけでも気分が悪くなることもあった。
とはいえお腹の子のことを考えれば栄養はしっかり取らなければと、半ば無理をして食べている部分も多かった。その後人知れず戻して落ち込む・・・なんてこともあったりしたのだが、心配をかけたくなくて誰にも言えずにいた。
司に話した方がいいだろうと思いつつ、過剰に心配されるのが怖くて言えなかった。
毎日忙しい中でも体調を気にかけてくれて、たくさんの愛情を注いでくれて。
それだけでも充分安心と幸せをもらっていたから。

「妊娠中はちょっとしたことで不安になりますよね。でもそれは誰もが通る道ですよ。ちっとも弱くなんかないんです。何の不安もない妊娠性活を送る人なんてまずいないですから。赤ちゃんのこと、自分の体のこと、誰もが何かしら悩みや不安を抱えながらやがて出産を迎えるんです。もしご主人に言いづらいと思うことがあれば、私たち医師がちゃんと受け止めますから。不安なことは一緒に考えて解消していきましょうね、お母さん」
「先生・・・」

まるでつくしの心の中を覗き込んだのだろうかと思える程の的確なアドバイスに、つくしの胸がグッと締め付けられる。

誰もが通る道。
不安になるのは弱いからじゃない。
その言葉がストンと落ちてきて、心がふわっと軽くなったような気がした。

「・・・はい! ありがとうございます」

ほんの少し目を潤ませながら力強く頷いたつくしに、女医も微笑んで頷き返した。


・・・なんだか早く司に会いたい。
早く会って、いっぱい話を聞いて欲しい。
そしていっぱい抱きしめて欲しい。


そんな想いが溢れそうになったつくしはお腹にそっと手を当てると、ほんの少しだけふっくらしたのを感じられる自分の体がますます愛おしく思えた。







***




「あ、お帰りなさいませ!」
「お待たせしました」

病院のエントランスではいつものように斎藤がつくしの帰りを待っていた。
結果を聞きたい素振りを決して表には出さず、ごく自然体で接してくれることがどれだけ有難いことか。彼を筆頭に、お邸の人達は皆気遣いの人ばかりだ。

「じゃーん! 順調に大きくなってくれてました」

鞄の中からつくしが出した写真に、これまで普通にしていた斎藤が釘付けになる。

「えっ、どれですか? ・・・わぁっ、本当ですね!」
「ちなみにここが頭でこっちが手足らしいですよ」
「えぇっ?! ・・・あぁっ、本当だ! 凄いですねぇ~~!!」

さっきまでの冷静さは何処へやら。
普段なら絶対に見られないほど興奮した様子で写真を見ているその姿につくしも思わず笑ってしまう。

「・・・あっ! どうしましょう・・・」
「? どうしたんですか?」

だが突然何かを思い出したように斎藤の顔色がみるみる悪くなっていく。

「私、司様より先にお子様の写真を見てしまいました・・・なんという失礼なことを。司様になんとお詫びすればいいのか・・・嬉しさの余りつい・・・大変申し訳ありません!」
「え、えぇっ?! 斎藤さんっ、そんなことで頭を下げないで下さいっ!」
「いいえ、お父上となられる司様を差し置いてこんな大失態を・・・何とお詫びすればよいのか・・・」
「いやいやだから謝る必要なんてないですからっ! 頭をあげてくださーーーいっ!!」

腰より低く頭を下げ続ける斎藤の服を引っ張って必死で顔を上げさせようと奮闘する。
どうやら斎藤は本気で申し訳ないと思っているようだ。

「私にとって斎藤さんは第二のお父さんみたいなものですからっ! つまりはこの子にとってはおじいちゃんみたいなものなんです! だからそんなこと気にせずに一緒に成長を見守ってやってくださいっ! ・・・わっ?!」

突然ガバッと顔を上げた斎藤に心臓が跳ね上がる。

「ほ、本当ですか・・・?」
「えっ?」
「私がおじいちゃんのような存在だとは・・・」
「あ、あはは、すみません、お爺ちゃんだなんて失礼ですよね」
「いいえっ!! いいえ!! 嬉しいです。とっても・・・嬉しいです・・・」
「えっ・・・えぇっ?!」

何を思ったか、今度は目を擦りながら泣き出してしまったではないか。
妊娠中の自分よりも感情豊かな気がするのは気のせいか?

「ありがとうございます、つくし様。この斎藤、これからも精一杯お仕えさせていただきます!」
「あはは、ありがとうございます。もう、斎藤さん~、最近涙もろすぎですよ?」
「お恥ずかしい限りです・・・今からこんな調子でお子様がお生まれになったらどうなってしまうことやら・・・」
「あはは、でもそれは斎藤さんに限った話じゃないかもしれないですね」
「・・・確かに。邸中がとんでもないことになりそうですね」
「ハイ、今から怖いです」

そう言うと2人で顔を見合わせて笑いあった。




リムジンに乗るとすぐに司への報告メールを打つ。
見えにくいかもしれないけれど、エコー写真も添付して。

「・・・まさかこれのせいで帰国するなんて言い出さないよね?」

大いにあり得そうで一瞬送信するか迷うが、やっぱり報告したい。
手綱は西田がしっかり握ってくれていると信じてつくしは笑いながら送信ボタンを押した。


「つくし様、このままお邸へ戻ってもよろしいですか? どこか寄りたいところがあればお連れ致しますが」
「あ、それなんですけど、ちょっとお店に寄ってもらっていいですか?」
「どちらの?」
「名前が思い出せないんですけど、前に一度プリンを買ったところ覚えてませんか?」
「・・・あぁ! 銀座にあるあのお店ですね。かしこまりました」
「ありがとうございます。なんだか今日は少し食べられそうな気がするんです。だからお邸の皆さんにも持って帰って一緒に食べようと思って」
「そうですかそうですか。皆泣いて喜びますよ」
「あはは、多分そうなるでしょうねぇ」
「ふふふ」


食べられそうだと思った時に食べたい物を食べる。
医師に言われた言葉がつくしの心を軽くしていた。
なんだか今はお邸の人達とおしゃべりしながら美味しいものを食べたい。
今ならきっとタマさんだって大目に見てくれるはず。

つくしの心はまるで童心に返ったかのようにワクワクドキドキしていた。







***



「わぁ~、結構混んでますねぇ」

車を停めた先に見えるお店には並んでいる人もちらほら見える。

「私が買って参りますから。つくし様は中でお待ち下さい」
「あっ、いえ! 私が自分で買いたいんです! それに、少し気分転換もしたくて」
「ですが・・・」
「大丈夫ですよ。あの人数だと待ってもせいぜい10分くらいでしょうから。心配しないで下さい」
「そう・・・ですか? では私はこちらで車を見ていますから。何かありましたらすぐにご連絡下さい」
「わかりました。辛くなりそうなときにはすぐに連絡します」
「えぇ。是非ともそうなさってくださいね」
「じゃあ買ってきますね!」
「お気をつけて」

リムジンを路肩に停めているため斎藤は車から離れることができない。
目と鼻の先にある洋菓子店は商業施設の一角にあり、売り場は2階、そして飲食スペースが1階にカフェとして展開されている人気店だ。以前何かの帰りにたまたま立ち寄ったところ、あまりのおいしさにいつかまた来たいと思っていた。
つくしは転ばないように、人にぶつからないように細心の注意を払いながらお店の階段をゆっくりと上っていった。


「・・・あれ? あの人って・・・」

階段を上りきったところでふと、渡り廊下を挟んだ隣の店舗内に見えた見覚えのある顔に立ち止まる。そのまましばらく見ていたところ、やがてその人物もつくしの視線に気付いてこちらを向いた。
途端に驚いた顔に変わり、店員に一言二言声を掛けて慌てて店の外へと出てきた。

「こっ、こんにちは!」
「こんにちは。今日はプライベートですか?」
「いえっ、見ての通り仕事です。これからお得意先の社長のお宅にお伺いすることになっていて、その手土産を買いに来たんです」
「そうなんですか~。土曜日もご苦労様です」

ペコッと頭を下げたつくしに恐縮しきりのその相手、小林理彩に会うのは妊娠に気付いたあのパーティ以来のことだった。





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