愛が聞こえる 52
2015 / 05 / 29 ( Fri ) 夢を見た。
何故かはわからないけれど、ただひたすらに笑い転げている自分の夢を。 おかしくておかしくて、楽しくて嬉しくて。 心の底から幸せそうに笑っている自分の夢。 そこに両親の姿はなかった。 この2年の間、一度たりとも夢に出てこなかった日はない。 そんな2人の姿がどこにも見当たらなかった。 ・・・だというのに、ちっとも寂しくなんてなかった。 毎日会えたとしても、いつだって2人は悲しそうに笑ってた。 それでもいいから、せめて夢の中だけでも会いたいと願ってた。 ・・・でも、そうじゃなかった。 たとえ会えなくたって、どこかで本当の笑顔で幸せでいてくれるのならば。 それが何よりも大切なことなんだって、ようやく気付くことが出来た。 目には見えなくたって、いつも必ず自分達を見守ってくれている。 自信を持ってそうだと言えるから。 ・・・だから 「 また会える日まで 」 しばらくの間、バイバイだよ。 パパ、ママ・・・ 「ん・・・」 フッと視界が光を取り戻す。 とても寝覚めのいい朝だった。 笑っていたのは夢だったのか、それとも現実だったのか。 ・・・きっとどちらもそうだったに違いない。 「よぉ」 「・・・え?」 近くから聞こえてきた声に慌てて顔だけ振り返る。 そこには枕のすぐ横に肩肘をついて至近距離で自分を見つめている男がいた。 「俺が誰だかわかるか?」 「えっ?」 「昨日のことは覚えてるか?」 「え?」 開口一番何を言い出すかと思ったら。 つくしは呆気にとられてすぐに反応することもできない。 「・・・まぁ、万が一にもお前が覚えてねぇっつったところでなかったことにはなんねーけどな」 「・・・え?」 ますますポカンとするつくしにニッと不敵な笑みを浮かべると、司は体を起こして両手でつくしの顔を挟み込んだ。自分の顔などすっぽりと包み込んでしまうほどの大きな手で。 「俺はお前を一生離さねぇからな。 覚悟しろよ」 「・・・・・・」 人に話す隙など与えずに次から次にこの男は何を言い出すのか。 まだ最初の質問にすら答えていないというのに。 開けていた口が徐々に形を変えていくと、やがて耐え切れずにプッと吹き出した。 「あははっ! あんたってヤツは本当に・・・。 はぁ~・・・」 つくしが笑ったのなんて何処吹く風。目の前の男は相変わらずドヤ顔で自分を見つめている。 ふうっと一度大きく息を吐き出すと、つくしも負けじと司を見つめ返した。 「・・・誰が離れるなんて言ったのよ。今度は記憶喪失になっても離れてなんてやらないんだから。それどころかコテンパンに根性叩き直してやるんだから!・・・だからそっちこそ覚悟しなさいよね」 つくしの答えに一瞬だけ目を丸くすると、司はすぐに破顔した。 「くっ・・・ははは! 上等じゃねーか。受けて立ってやるよ」 少年のような笑顔につくしの顔も自然と解れていく。 7年もの時間は一体なんだったのか。 あれだけ長く苦しんだのが嘘のように笑っている。 互いに嘘も偽りもないありのままの姿で。 不意に目が合うと、まるで引き寄せられるようにして司の顔が迫ってくる。 つくしはそれに抵抗することなく静かに目を閉じると、すぐに唇に重なった温もりを受け止めた。 *** 「類っ!」 バタバタと廊下の奥から走ってくる騒々しい音に、手元に落としていた視線を上げる。 「・・・うるさいな。 ここは病院だろ」 「はぁはぁ・・・わかってるけど・・・つーかお前何してんだよ?」 「・・・見てわからない? 本読んでるんだけど」 「いや、んなこたぁわかってる。 そうじゃなくて・・・」 よっぽど全速力で走ってきたのか、さすがのあきらも涼しい顔がキープできずに肩を揺らしながら顔を歪めている。 「牧野なら今医者の診察を受けてるよ」 「え?」 「俺が来た時にちょうど医者が入ってったから。しばらくは色々診察して、問題なさそうだったら俺たちも面会していいって」 「あ・・・そうなのか? 俺はもうてっきり・・・」 あきらが拍子抜けするのも当然だ。 つくしが意識を取り戻したのは昨夜のことだと聞いていた。 今現在昼前、とっくに面会ができるとばかり思っていたのに。 「昨日の夜から今まで何してたんだ・・・?」 「さぁね。司は牧野がすぐに寝たからそのままにしておいたんだなんて言ってたけど」 「・・・・・・」 言っている類も話半分程度しか信じてなさげな様子だ。 病人相手によもや襲いかかったなんてことはないだろうが・・・まぁ7年ぶりに本当の意味で気持ちが繋がったとなれば、2人だけの世界に浸っていたいのも仕方のない話だろう。 「まぁ何でもいいわ。牧野が無事だったのならそれで」 はぁ~っと心の底から安堵したようにあきらが背伸びする。 と、ふとあることを思い出す。 「・・・あ。 念のため聞いておくけど・・・牧野は司のことを覚えてるんだよな?」 「・・・・・・」 「・・・おい、類?」 何も言い返さない類の様子にあきらがまさかと真顔に戻る。 だがそれに反比例するように類が突然吹き出した。 「ぷぷっ・・・!」 「? おい、類・・・?」 「いや・・・だってさ、あいつ、あんな目にあって2日も意識がなかったくせに、起きて早々司に言ったらしいよ。 『 誰? 』 って」 「は?」 「当然司は半分パニック状態だろ。でも自分も同じ事をやらかしてるだけに取り乱すわけにもいかないって必死だったって・・・くくくっ」 それ以上は我慢できないと、類は全身を震わせて笑い出した。 「はぁ~っ、さすがは牧野。ただでは転ばない女だな」 「一瞬だけとはいえ多分司の心臓止まったんじゃない? くっ・・・はははっ」 完全にツボに入ってしまった類はもうこちらのことなど眼中なしに大笑いし始めた。 やれやれと溜め息をつくと、やがてつられるようにあきらも微笑んだ。 バタバタバタバタ・・・・・・!! と、廊下の奥から凄まじい音が聞こえてきた。 「ん? なんだ? 総二郎でも来たのか?」 *** 「・・・うん、傷口が炎症を起こしたり化膿したりというのは今のところ見られませんね。とはいえまだ油断はできませんからね。ゆっくり時間をかけて治していきましょう。 点滴に鎮痛剤が入ってますから痛みを感じることはほとんどないでしょうけど、激しく動いたりなんかは厳禁ですよ。気付かないうちに傷が開いてしまいますから」 「・・・はい、ありがとうございます」 「出血こそ多かったですけど、傷の深さが致命傷にならなかったのが不幸中の幸いでしたね」 「・・・」 医者の言葉につくしの脳裏にあの出来事が蘇る。 あの時、どこか既視感のある男の手にナイフが握られていたのを見た瞬間、頭で考えるよりも先につくしの体は動いていた。 とにかく司を守りたい、ただその一心だけだった。 腰の辺りに痛みが走ったのは覚えているが、それから先の記憶はほとんどない。 目が覚めてから今まで、司があの事件について触れたことはなかった。 余計な不安を与えないようにするためなのだろうか。 きっと警察も来て大変だったに違いないのに、ただの一言だって何も言わない。 「ほら、風邪ひくからいい加減ボタン閉めるぞ」 「えっ・・・? きゃあっ?! ちょっ・・・やだっ! まだこっち見ないでって言ったでしょ!!」 医師の処置を終えた状態でぼんやりと考え事をしていたつくしの目の前に、いつの間にか司が座っていた。その手は開いたままのパジャマのボタンにかかっている。 処置中は部屋の奥に行って絶対に見ないでと釘を刺しておいたのに! 「うるせぇよ。お前がぼーっとして動かねぇからだろ」 「まっ、待って待って待って待って!!! ほんとにムリっ・・・!」 上半身だけとは言え、今の自分は思いっきり下着姿を晒している。 自慢じゃないが男性経験がこの歳で一度だってないのだ。 いくら怪我しているとはいえ、さらには好きな相手だとはいえ・・・いや、むしろ好きな相手だからこそこんな姿を見られて平気でいられるはずがない。 全身真っ赤になりながら必死に両手でクロスして胸元を覆い隠す。 「バカ言ってんじゃねーよ。んな下心なんて全くねぇっつの。今は怪我を治すことだけに専念しろ。お前は点滴だってやってるんだし自由に動けねぇんだ。大人しくしてろよ」 だが必死の抵抗も虚しくあっという間にその手が引き剥がされると、つくしが硬直している間にあれよあれよという間にボタンが元に戻されていく。 つくしの体を思いっきり目の当たりにしているはずなのに、顔色一つ変えずに。 そりゃあ確かに鶏ガラみたいな体だけども。 むしろ鶏ガラにすら失礼な貧相な体なのはわかってるけども。 怪我人なんだからそんなことを考えるなと言う意見がごもっともですけども。 ・・・それでも、仮にも好きな女の下着姿を見て顔色一つ変えないなんて、男性にとっては普通のことなのだろうか? ・・・それとも、そんなことにはすっかり慣れてしまったのだろうか。 ズキン・・・ 自分で考えて自分で凹むなんてバカだ。 「おい牧野。何を考えてっか知らねーけど、一人で勝手に暴走すんじゃねーぞ」 「・・・え?」 見ればすこぶる不満そうな顔で司がこちらを睨み付けている。 ・・・一体何故。 恥ずかしい思いをしたのはこっちだと言うのに。 「まぁお前の考えそうなことなんてだいたい想像つくけどな」 「なっ・・・?!」 失敬な! と言いかけた顔ごと両手で挟み撃ちされてそれ以上何も言えなくなる。 思いっきり振り払いたいところだが、まだ体に全く力が入らない。 仮に入ったところで傷口が開いてしまうのが怖くてどっちにしても動けないのだろうけど。 きっと今の自分はタコよりもタコらしい顔になっていることだろう。 さっきから一体なんの罰ゲームだと言うのか。 ふざけてるのかと思いきや、目の前の男の顔は真剣そのものだ。 まだ室内には医者も看護師もいるというのに、そんなに真剣な顔で、今にもキスしそうな距離で一体何をしようというのか。 心臓が破れそうなほどにドキドキして落ち着かない。 「いいか、よく聞けよ。お前の想像してることだけどな、俺は・・・」 ドタドタドタドタ・・・! 「おいっ、ちょっと待てって!!」 「こらっ、まだだっつってんだろ!!」 「うるせぇっ、離せよクソ親父っ!!」 「く、クソおやっ・・・?!」 「あっ、おいっ!!」 ガラガラッバーーーーーーーーーンッ!!! 司の言葉に被せるように外が騒がしくなったかと思った時には部屋のドアがけたたましい音と共に開けられていた。 突然のことにつくしや医者は言わずもがな、司までもが驚きに固まっている。 全員の視線が集中するその先にいたのは・・・ 「・・・・・・・・・ハル?!」 はぁはぁと肩で息をしながらベッドのリクライニングに体を預けたつくしの姿に気が付くと、遥人は総二郎達が止めるのも無視してズカズカと中へと入ってきた。 そうして呆気にとられたままのつくしの前までやって来ると、今にも爆発しそうなほど怒りを含んだ顔でつくしを睨み付けた。
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愛が聞こえる 51
2015 / 05 / 28 ( Thu ) 「司様、少しお休みになられた方がよろしいのでは?」
「・・・・・・」 「・・・それではこちらに資料を置いておきますので」 背中を向けたまま黙々と手を動かし続ける上司に一言そう言い残すと、西田は頭を下げて静かに部屋を後にした。廊下に出たと同時に無意識に溜め息が零れる。 「司の奴は変わらずですか?」 「美作様・・・。 はい、あそこを動く気配はなさそうです」 「ったく・・・牧野のことになると相変わらずだな」 やれやれとあきらが呆れたように笑う。 あの日から2日、結局つくしはまだ目を覚ましていない。 思った以上に出血があったため体力が奪われているのか、当初の予想以上に回復が遅れていた。医者から心配はいらないと言われたとはいえ、やはり意識が戻らないことには安心することはできない。 それに、たとえ意識が戻ったとしても決して油断はできない。自分自身が身をもってそれを証明した過去があるだけに、司は片時もつくしから離れようとはしなかった。 自分のために仕事に穴を開けたと知ればつくしは喜ばないと、西田に仕事を回すように命じてつくしの眠る横で黙々と仕事をこなす。疲れたらそのままベッドに突っ伏して仮眠を取り、再び目覚めればつくしの経過観察と仕事に没頭する。 西田を始め、仲間の誰かしらが入れ替わり立ち替わり声をかけてはいるが、それにもほとんど反応することはなく、もう丸2日その状態が続いていた。 司はただひたすらに、つくしの目覚めを待っていた。 「・・・おい牧野。もういい加減目を覚ましやがれ。これ以上待たせるなんて、7年もお前を忘れてた俺に対する嫌がらせか?」 そっと頬を手でなぞる。手のひらを伝ってくる温もりが、つくしが間違いなくここに生きているということを教えてくれている。 一見気持ちよさそうに寝ているだけに見えるその寝顔だが、一秒でも早く目を開けて欲しい。 「どんな憎たれ口叩いても構わねぇから・・・早く起きてくれ」 まるで子どもがすがるような弱々しい声が、広い室内に静かに溶けていった。 *** ・・・・・・どこ・・・? ここは・・・・・・どこ・・・? ・・・・・・・・・・・・もしかして・・・あたし死んじゃったの・・・? つくしは1人、入り口も出口も見えない真っ白な世界で呆然と立ち尽くしていた。 襲ってくるのは孤独感と底知れぬ恐怖感。 この世にたった1人取り残されてしまったのではないかと思えるほどの。 ・・・し・・・ くし・・・ ・・・・・・・・・つくしっ・・・ と、どこからともなく微かに聞こえてくる自分を呼ぶ声にハッと辺りを見渡す。 『 パパ・・・? パパっ、ママっ?! どこにいるの? パパっ!! 』 右も左も、上も下もわからない空間を必死で走り回る。 何も見えなくて、孤独と恐怖に押し潰されそうな心を必死に奮い立たせながら。 もうどれくらいの時間走ったのかもわからない。 時間の概念すらない場所で、ただひたすらに走り続けた。 微かに聞こえてくる声だけを頼りに。 『 パパッ、ママっ!! きゃっ?! 』 息も絶え絶えになって来た頃、突然体ごと吹き飛ばされそうな風が吹き荒れた。 思わず体を抱え込んでその風が通り過ぎるのを待つと、顔を上げたつくしの前にさっきまではなかった色とりどりの花畑が広がっていた。 何が起こったのか全くわからず呆気にとられていたが、ふと視界の端に人がいることに気付く。 その人物の顔を見てみるみるその目が見開かれていった。 『 パパっ! ママっ! 』 花畑の中央に立つ人物、それはこの2年つくしが会いたくて会いたくて、心の底から恋い焦がれて止まなかった両親、その人達だった。 『 つくし・・・ 』 ふわりと花びらが舞うように2人が優しく微笑む。 『 パパ・・・ママ・・・っ! 』 嬉しさのあまり、引き寄せられるようにつくしの足が前に一歩進む。 だがその瞬間、笑っていた両親が真剣な表情に戻って首を大きく横に振った。 『 駄目だよ 』 『 え・・・? 』 『 つくしはまだこっちに来てはいけないよ。 まだ今はその時じゃないんだから 』 『 パパ・・・? 』 よく見てみれば、自分の立っている場所と両親のいる場所を隔てるように澄み渡った小川が流れていた。こんな川など越えて今すぐ両親の元へと飛び込みたいのに。 どうして・・・? 納得いかない顔で自分を見上げたつくしに晴男は再び微笑む。 『 つくし、パパやママとこうして会える時はいつか必ずやって来る。でもそれは今じゃない 』 『 今じゃない・・・? 』 『 そうだ。それはもっともっとずっと未来の話なんだ 』 『 未来・・・ 』 言葉を繰り返すつくしに大きく頷いて見せる。 『 つくしにはまだまだやらなきゃいけないことがあるだろう? 』 『 やらなきゃいけないこと・・・? 』 『 そうよ。自分が今どうしたいのか、やっと気付いたんじゃないの? 』 『 どうしたいのか・・・ 』 千恵子の言葉につくしの頭の中が徐々に鮮明に覚醒していく。 ・・・そうだ。 自分が何をしようとして、そして何が起こったのか。 『 あたし・・・もしかして死んじゃったの・・・? 』 今にも泣きそうな顔でそう口にしたつくしに千恵子が笑って首を振った。 『 何を言ってるの、生きてるわよ。 だからこそつくしはこっちに来ちゃダメなのよ 』 『 ママ・・・ 』 『 つくし、パパとママはいつだってつくしの幸せを願っているよ 』 『 パパ・・・ 』 今にも溢れ出しそうな涙を唇を噛んで呑み込むと、つくしは意を決したように両親を見つめた。 『 パパ、ママ・・・あたし、自分の気持ちに正直に生きてもいいかな・・・? パパとママを・・・進をあんな目に遭わせたあたしがこんなことを言うのは間違ってるのかもしれない。・・・それでも、あたしはあたしらしく、自分の気持ちに正直に生きていきたいの。・・・お願いしますっ!! 』 ガバッと頭を下げたつくしの体は震えていた。 何に対して震えているのはわからないけれど、それでも震えは止まらない。 握りしめた両手もカタカタと小刻みに揺れている。 『 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・クスッ 』 『 ・・・・・・え? 』 間を置いて聞こえてきたのは笑い声だったような。気のせいだろうかとつくしが顔を上げた。 『 ふふっ・・・あははははは! 』 『 ふっ・・・あはははははは! 』 『 パ、パパ・・・? ママ・・・? 』 壊れた機械の様に大笑いが止まらない両親に、つくしはどう反応していいのかわからない。 『 やったわ、パパっ、ついに夢の玉の輿よっ!! 』 『 そうだね、ママ! でかしたぞっ、つくしっ!! 』 『 ちょっ・・・ちょっと?! あたしは真面目にっ・・・! 』 ひしっと抱き合って喜びを噛みしめ合う両親に意識が遠のきそうになる。 だが次の瞬間、笑っていたのが嘘のように両親の顔が真剣なものへと変わった。 『 ・・・つくし、パパとママも真剣だよ。いつだってつくしには幸せでいて欲しいと思ってるんだ。つくしがパパ達のことを悔いて生きていることが本当に悲しかった。・・・娘にそんな思いをさせてしまった自分たちのことを悔いていたのはパパ達の方なんだよ 』 『 そんなっ・・・! パパ達は何も・・・! 』 そこまで言いかけたつくしの言葉を千恵子が大きく頷いて遮った。 『 そうよ。どちらが悪いなんてことはないのよ。全ては結果論に過ぎないだけ。つくしがママ達のせいじゃないと思っているように、ママ達だってつくしのせいだなんてこれっぽっちも思ってなんかいない。・・・お互いが同じことで苦しんでるだなんて・・・なんだかバカバカしいでしょう? 』 『 ママ・・・ 』 『 つくし、つくしの人生はつくしだけのものだ。自分の生きたいように好きに生きなさい。精一杯、与えられた人生を無駄なく、つくしらしくね。パパとママがつくしに望むのはそれだけだよ 』 『 パパ・・・ 』 ぽろっとつくしの瞳から涙が一粒零れ落ちた。 その直後、さわさわと風が吹き始めて色鮮やかな花びらが宙を舞っていく。 真っ白なキャンバスに色を塗っているような美しさに思わずつくしも見入ってしまう。 『 つくし・・・そろそろ時間だよ 』 だが次の瞬間聞こえた言葉にハッと視線を戻すと、いつの間にか2人の姿がさっきよりも遠くにあった。 『 ま、待って! やっと会えたのに! まだ行かないで!! 』 必死で訴えても2人は笑って首を振っている。 『 だって・・・! パパ、ママっ・・・! 』 手を伸ばせば伸ばすほど、その距離はどんどん離れて行くばかり。 『 つくし、また必ず会える日が来るから。その日まではしばらくの間サヨナラだよ 』 『 つくし、必ず幸せになるのよ。 いつも笑顔でつくしらしく、ね 』 『 パパっ、ママっ、待っ・・・きゃあっ!! 』 満面の笑みでそう言うと、再びさっきと同じ突風がつくしを包み込んだ。 一瞬にして視界が真っ白に染まっていく。 凄まじい風に吹き飛ばされたはずなのに、何故かそこは温かくて心地いい。 母親のお腹の中にいる時はこんな感じなのかと思えるほどに、安心できた。 『 つくし、あなたをずっと待っている人がいるでしょう・・・? 』 遠のいていく意識の中で優しく語りかける声が聞こえる。 その言葉を最後に、つくしの世界は再び真っ白に染まった。 *** 「 パパ、ママ・・・ 」 ピクリと指先が動いた拍子に司がガバッと頭を起こした。 「ハッ! ・・・・・・・・・あぁ、寝ちまってたのか」 いつの間にか外はすっかり日も暮れている。 どうやら書類に目を通しながらそのまま眠ってしまっていたらしい。床には手から抜け落ちた書類があちらこちらに散乱している。 司ははぁっと大きく息を吐くと、すぐ横で眠るつくしの顔を覗き込んだ。 その顔は最後に見たときと変わらず静かに眠っているように見える。 「お前の声が聞こえた気がしたけど・・・気のせいだったのか・・・?」 確かにあれはつくしの声に違いなかったが、単に夢が聞かせた幻聴だったのだろうか。 司は落胆したように息をつくと、布団の上に置かれたままのつくしの左手を握りしめた。 「・・・・・・?」 だがその手を掴んだ瞬間、何か違和感を感じる。 説明するのは難しいが、どこかいつもとは違うような・・・ 司は直ぐさまつくしの顔をもう一度覗き込んだ。 「牧野・・・?」 「・・・・・・・・・・・・」 じっと見つめていると、やがてつくしの長い睫がほんの微かに揺れた。 司はガバッと立ち上がると、掴んでいた手を両手で強く握りしめて必死で名前を叫んだ。 「牧野っ! おいっ、牧野っっ!!」 声の限り何度も、何度も、何度も。 「牧野っ! 目を開けろ! 牧野っっっ!!!」 「・・・・・・・・・・・・」 「牧野っ! まきっ・・・!」 言いかけて司がハッとして握りしめていた手を凝視する。 そこには己の手に包まれた白くて細い手がある。 その手が今・・・自分の手を握り返したような感触を確かに感じた。 たまらず司がグッと力を入れると、しばらくの間を置いてキュッと微かに握り返されたのがはっきりわかった。驚きに目を見開くと、司は再び必死に名前を叫ぶ。 「牧野っ、牧野っ! 俺だ、起きろっ! 早く起きて憎まれ口の一つでも叩いてみやがれ! どんな言葉でもいい、頼む・・・お前の声を聞かせてくれよ・・・っ、牧野っっ!!」 「・・・・・・・・・」 心からの叫びの後、室内を静寂が包み込む。 その場が無になったかのような錯覚を覚えた時、つくしの瞼がピクッと動いた。 一瞬たりとも目を離さずにその様子を見守っていると、やがてゆっくりとその目が開いていく。 「牧野っ!!」 堪らずに名前を呼ぶと、まだ完全に開ききっていない虚ろな瞳が司を捉えた。 「牧野! 俺だ、わかるか?!」 「・・・・・・・・・」 瞳だけではなく今度は顔ごとゆっくりと司の方へと動く。 力はなくとも、その瞳は確かに自分を見ている。 司はつくしを包む手にこれまでで一番の力を入れた。 全ての想いを込めて。 「まき・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だれ?」 つくしの口からようやく発せられた言葉に全ての時間が止まった。 その瞳は変わらず自分を見ている。 じっと、真っ直ぐに。 その上で彼女は何と言った? ・・・・・・・・・だれ? そう言ったのか・・・? その言葉の意味は・・・? また俺たちは繰り返すのか? あの長く苦しかった時間を、また・・・? そこまで考えて司は全ての思考を振り払った。 ・・・・いいや、もう二度と繰り返してなるものか。 もしも彼女が自分を忘れたというのならば、またそこから始めればいい。 何度だって。 俺にはお前しかいないように、お前にも俺しかいないはずなのだから。 ____ だから何度だってお前を手に入れてみせる。 絶対に。 司はそう心に誓うと、もう一度自分を見つめているつくしを見た。 「まき・・・」 「嘘だよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 意味がわからずに思わず素っ頓狂な声が出てしまう。 それがおかしかったのか、つくしの表情がふっと緩んだ。 「・・・・・・嘘だよ。 ・・・道明寺」 口を開けたまましばらく言葉も出てこない。 さぞかし自分らしくない間抜けな顔をしていることだろう。 だがそんなことすらどうでもいいと思えるほどに、頭の中が真っ白だった。 「・・・・・・牧野・・・?」 やっとのことで出てきたのは信じられないほどに弱々しい声。 「なぁに? 道明寺・・・」 今度はすぐに自分を呼ぶ声が返ってきた。 その顔は・・・・・・微笑んでいる。 「まきっ・・・牧野っ! 牧野っっ!! 牧野っっっっっ!!!! 」 あんなに言いたいことがあったのに。 目が覚めたら絶対に伝えたいと思っていたことが山のようにあったのに。 いざその時がきたらどうだというのだ。 情けないほどに何一つ言葉が出てこないなんて。 ただただ、自分の名前を呼んで微笑みかけてくれただけで、ただそれだけで。 もう胸がいっぱいで言葉なんて出てきやしない。 ・・・何もいらない。 お前のその笑顔だけで、何も ____ 「牧野っ・・・牧野っ・・・!」 握りしめた手に縋り付くように顔を埋める司の姿をつくしは静かに見つめている。 その瞳にうっすらと光るものを携えながら。 「・・・・・・・・・道明寺」 まだまだ力の入らない細い声でつくしが司の名前を呼んだ。 司は気を抜けば涙が出てしまうのではないかと思えるほど弱々しい自分を必死に隠すと、何でもない素振りでつくしを見つめた。 「・・・どうした?」 「好き」 「・・・え?」 ・・・今何と言った? あまりにも一瞬のこと過ぎて何が起こったのかがわからない。 「好き」 そんな困惑が伝わったのか、つくしは同じ言葉を繰り返す。 「・・・・・・牧野?」 「もう二度と後悔なんてしたくないから・・・だから言える時に伝えるって決めたの。 ・・・道明寺、あたしはあんたのことが好き。・・・大好き」 そこまで言うと、つくしの涙からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。 まるで7年分の想いが溢れ出したように、とめどなく。 両手で顔を覆って泣き崩れる体は震えていた。 「牧野・・・」 司の体も震えていた。 嬉しさからか、喜びからかはわからない。 ただ、そんな単純な言葉では表すことができない想いがそうさせているのだけはわかった。 それほどに、長い長い道のりだった。 司は既に涙でじっとりと濡れたつくしの両手を掴んで顔から離すと、その代わりに自分の顔を近づけて尚も泣き崩れるつくしの唇に自分の唇を重ねた。 ふわりと触れた場所から全身に電気が走っていく。 「・・・・・・・・・」 見れば泣いていたはずのつくしの涙も驚きで止まっていた。 司は至近距離で微笑むと、信じられない顔で自分を見つめているつくしに再びキスを落とした。 何度も、何度も、何度も。 やがて止まっていたつくしの涙が再び流れ出す。 それは複雑な感情などではない。 ただただ、喜びの、幸せの涙だった。 好きな人に好きだと言える幸せ 好きな人と触れ合える幸せ それは決して当たり前のことなどではない。 7年もの時間があったからこそ、2人して本当に大切なことに気付くことができたのだ。 静かな室内に聞こえるのはつくしの啜り泣く音だけ。 だが今の2人に言葉など必要なかった。 見つめ合って、微笑み合って、唇を重ねて。 やがて安心して再びつくしが眠りに落ちるまで、 そうして2人は互いの存在をいつまでも確かめ合った ____
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皆さん有難うございます
2015 / 05 / 27 ( Wed ) たくさんの励ましのコメント、本当に有難うございます。
驚くほどの数に、元気玉がこれでもかと私の元に届きました。 体調はまだまだ本調子とは言えませんが、皆さんの気持ちが嬉しくて、それに後押しされる形で明日の定時(0時)更新を目指すことにしました。 多分大丈夫だと思います。 つくづく更新ストップしたのが一話前じゃなくてよかったと思ってます。 あそこでお預けになったら恐ろしいことになってたかも・・・(^_^;) 尚、昨日いただいた励ましのコメント、一人一人にお返事をしたいところなのですがかなりの量になってしまいますので、この記事をもってお返事とさせていただくことをお許しください。初めましての方もいらっしゃったのに申し訳ないです。 その分お話を書くことでお返しさせていただけたらと思っています。 明日定時に会えるようにまだまだ元気玉をお待ちしております(*´∀`*) ↓ も ありがとうと申しております。
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ダウンしました
2015 / 05 / 26 ( Tue ) いつもご訪問くださっている皆様、有難うございます。
現在皆さんの盛り上がりも最高潮で続きが気になるところだと思うのですが・・・ ごめんなさい。体調不良によりダウンしてしまいました。 先週ずっと我が家のチビゴンが風邪で寝込んでまして、長引いた風邪が週明けようやく落ち着いたかと思った矢先・・・今度は自分がダウンです。情けない。 うつらないように細心の注意を払ってはいたのですが・・・ とは言え、やることは山のようにあるのでずっとダウンしているわけにもいかず。 空いた時間を執筆に充てる余裕は皆無でした。 今両鼻が完全に塞がってしまっていてそれもかなりしんどいです。 せめて熱だけ、鼻だけ、喉だけ、とかならいいんですけどね、全部って・・・勘弁して欲しいです。 なるべく早く復帰できるように薬を飲んで大人しく寝ます。 また皆さんの元気玉を送ってやってください。 ↓ も ごめんなさいと申しております。
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愛が聞こえる 50
2015 / 05 / 25 ( Mon ) 「うおっ! びびった・・・。なんでんなとこにいんだよ」
突然の楓の訪問の後、一息ついて執務室に戻ってドアを開けたところで西田と至近距離で鉢合わせた。いるとは思ってもない上に鉄仮面ともなれば、さすがの司も驚きを隠せない。 だがその鉄仮面もどこか様子がおかしいことに気付く。 どこか焦っているような。 「・・・どうした?」 「今受付から連絡がありまして・・・牧野様がお見えになったと」 「・・・は?」 言われた言葉の意味が一瞬わからない。 「ですから受付に牧野様が・・・あっ!!」 だがもう次の瞬間には司の体は風のように西田の前を横切っていた。 「司様っ! もしかしたら社長も下にいらっしゃる可能性が・・・!」 瞬く間に遠ざかっていく声が何とかそれだけを伝える。 司は背中でそれを聞きながら全速力で駆け抜ける。 「どけっ!!!」 「えっ・・・? ふくしゃちょっ・・・きゃあっ?!」 視線の先にちょうどやって来たエレベーターに乗り込もうとしている社員の姿が見えた。 凄まじい声でそれを静止すると、その女が驚き固まっている前を駆け抜けて基内へと滑り込んだ。 直ぐさまボタンを連打するが何度押そうともスピードが変わるわけじゃない。 超高速の直通だというのに、今はそれですら遅く感じてどうしようもない。 早く、早く、早く・・・!! ここが高層ビルであることをこんなに恨んだことは初めてだ。 牧野がここに来た・・・? あの牧野がこの東京の地へと自らやって来たのか・・・? あれだけの心の傷を抱えていた女がここに来るということは、それだけでもどれほどの勇気と覚悟が必要なことであるかなんて、もはや考えるまでもない。 目の前で幾度となく苦しむ姿を見てきたからこそ、その重みが痛いほどにわかる。 それでもあいつがここに来た。 自らの意思で。 その意味がわからないほどバカじゃない。 「牧野・・・!」 かつてこんなに長く感じた数十秒があっただろうか。 ポーンとやっとのことで聞こえてきた電子音と同時に開いた僅かな隙間から体を押し出した。 「んだこれは・・・?!」 だが目の前の光景を見て一瞬足が止まる。 というか止められたと言った方が正しい。 何故かロビーには黒山の人集りができていた。前へ進むこともままならないほどに。 一体何事かと思ったところで西田の言葉が頭をよぎる。 『 もしかしたら社長もいらっしゃる可能性が・・・ 』 そう考えればこの有様も納得がいく。 もしかしてじゃない。 確実にここに牧野とババァがいる。 日本にいることはおろか、滅多に社員の前に姿を現さないババァがどこの誰ともわからない女と対峙しているともなれば、人が人を呼んだって何ら不思議なことではない。 「くそっ・・・どけっ、どけぇっ!!」 「何すんだよ! ・・・えっ、副社長っ?!」 自分を押しのけた相手がまさかの副社長だと言うことに今度はその辺りにいた社員がざわつき始める。だが司はそんなことなど眼中にはない。 ここまで来てババァに邪魔などさせてなるものか! やっと、やっとあいつが自らの意思で一歩を踏み出したというのに。 その想いを踏みにじるようなことは絶対に許さねぇ!! 「くっそ、てめぇらどけっ!!」 ただ事じゃない司の様子に、それに気付いた人間は慌てて道を空けていく。 そうこうしているうちに人集りの向こう側にやけに不自然な空間が見えた。 そこにいたのは予想通りつくしと楓だ。 何を話しているかはわからないが、向かい合った状態で何か言い合っているのだけはわかる。 突然の来日におかしいとは思っていたが、まさか最初からこのつもりだったのか? ・・・いや、牧野がここに来ることなんて本人以外に知り得たはずがない。 じゃあ全ては偶然ということか。 だとしたら一体どれだけの確率で遭遇するというのか、おそらく天文学的な数字が出てくるに違いない。 「冗談じゃねぇぞっ・・・! いいからどきやがれぇっ!!」 押しのけても押しのけても前を塞ぐ人の山にブチ切れそうになりながら、司は必死でつくしの元へと急ぐ。だが次の瞬間、楓が向きを変えてエントランスの方へ歩きだした。 つくしはその場に立ち尽くしたままで一言二言声を上げている。 「あのババァ、一体何を言いやがった・・・?!」 とっ捕まえて一発ぶん殴ってやりたいところだが、今は何よりもつくしが第一だ。 どんなことを言ったのだとしても、もう自分たちを止めることができる者などいないのだから。 「 牧野っっっ!!! 」 ようやくその顔がはっきり見える距離まで近づくと、声の限り名前を叫んだ。 その声に弾かれるようにつくしの体が跳ねる。 そしてスローモーションのようにその顔がこちらを向いた。 「 牧野っ!!! 」 放心状態の目にはうっすら涙が滲んでいるように見える。 やっぱりあの女に何かを言われたのだろうか? くそっ! あともう少し早く来てさえいれば・・・! だが、その口元が 「 道明寺 」 と確かに動くと、つくしはゆっくりと微笑んだ。 見間違いじゃない。 ___ 笑っている。 つくしが笑っている。 「ど・・・みょじ・・・・・・道明寺っ!!!」 「牧野っ!!」 手を伸ばして互いを求め合う。 100メートル、50メートル・・・、 この距離がもどかしくて仕方がない。 だがそれでも。 ようやく俺たちは辿り着ける。 還るべき場所に、やっと、・・・やっと。 もう二度と間違ったりしない。 お前の手を掴んで二度と離さないと何度だって誓うから。 ___ だから、迷わず俺の胸へ飛び込んで来い。 「 道明寺っっっっ!!!! 」 次の瞬間、両手を広げた俺の体へと牧野が思いきりダイブしてきた。 やっと・・・やっとここへお前が来てくれた。 この時を俺は7年も待っていたんだ。 もう絶対に、絶対に離しはしない!! 「牧野っ・・・!」 「きゃあああああああああああっ!!!!!」 腕の中の小さな身体を力の限り抱きしめた瞬間、その場に悲鳴が上がった。 ・・・何だ? 「牧野・・・?」 支えていた体がズルリと落ちていく。 咄嗟にそれを受け止めると、自分の手に何か生温かい感触が走った。 「おいっ、救急車を呼べっ!!」 「きゃああああっ!!」 「この男だっ、逃がすなっ!!」 周囲が悲鳴と怒号で騒然としている中、司は何が起こったのかわからずに下を見た。 するとそこにはポタポタと紅い滴が絶えずフロアに落ち続けている。 「牧野・・・? おいっ! 牧野っ!!」 嘘だろう・・・? 頼む・・・誰か嘘だと言ってくれ。 「ど・・・みょじ・・・」 「牧野っ! しっかりしろっ、牧野っっ!!」 全く力の入っていない体を必死で支える。 「どみょ・・・だいじょ・・・だから・・・・・・しんぱいしな・・・で・・・」 「牧野・・・?」 震えながら伸ばして来た手をギュッと掴むと、つくしはふわっと力なく笑ってやがて目を閉じた。 と同時に全身から完全に力が抜け落ちていく。 「牧野・・・? おいっ、牧野っ!! 牧野おおおおおおぉおおおおおおおっっ!!!」 騒然としたホールに、司の悲痛な絶叫がこだました。 *** ガラガラガラガラガラガラ・・・バタンッ!! 「ここから先はお入りいただくことはできませんっ!!」 「うるせぇっ! 離せっ離せぇえええええっ!!」 必死で押し留めるスタッフに慌ててSP達が加わる。 「司様っ! お気持ちはわかりますが落ち着いてくださいっ!」 「うるせえっ! 落ち着いてられる奴がどこにいるっ!! どけっ、どけえっっ!!」 「ぐっ・・・! ここから先は私たち素人が入ることはできません! どうか、どうかご理解くださいっ!!」 「そんなん知るかっ! 離せっ! 離しやがれっっ!!!」 たった一人の男を屈強な男が数人がかりでやっとのこと押さえ付けると、ホッとしたスタッフがストレッチャーを押してそのまま手術室の中へと消えて行った。ほどなくして手術中のランプが点灯する。 万が一のことを考えて扉の前を数人のSPが塞ぐと、司を押さえ付けていた男達がようやく手を離した。 「くっそおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」 大声を張り上げると、司は自由になった体で周囲にあった椅子やゴミ箱などを手当たり次第に蹴り飛ばした。病院でこんな行動に出るなど言語道断だが、財閥の運営する場所なだけに司に口出しできる人間などいるはずもない。 それに司が発狂したくなるのも当然で、気持ち的には誰もが同じだった。 その場にいた誰もが沈痛な面持ちで、暴れ狂う司をただ見ていることしかできなかった。 バタバタバタバタ・・・! 「司っ!!」 どれくらいの時間が経過したのか。 廊下の向こうからけたたましい足音と共に自分を呼ぶ声がする。 だがその音にすら司は全く反応を示さない。 手術室横の壁にもたれ掛かって項垂れたまま、微動だにしない。 「司・・・・・・」 高級なスーツは見るも無惨なほどよれよれになり、腰から下には生々しい血の跡がそこかしこに残されている。献血をしたのだろうか、袖の捲られた左手にはテープが貼り付けられていた。 一報を聞きつけて急いでやって来た仲間の誰もが、その状態を直視することが出来ず、それぞれ言葉を失って俯いてしまった。滋や桜子、優紀などの女達は抱き合って泣いている。 「・・・・・・・・・・・・んでだよ・・・」 「・・・司?」 俯いたままの司がボソボソと何かを呟き始める。 「・・・・・・んで・・・なんで俺たちはいつもこうなんだ・・・。やっと・・・やっとあいつと向き合えるって・・・。 いつだって掴んだと思った瞬間、互いの手がすり抜けていくんだ・・・」 「・・・・・・」 「今回のことだって、俺がもっと徹底してれば・・・!」 ギリギリと握りしめた手には血管が真っ赤に浮かび上がっている。 あの後すぐに取り押さえられたのは、以前つくしに付きまとっていた野口だ。 高級なスーツを身につけ、髪型や風貌も一見あの男だとは全くわからない状態だった。 あれから道明寺の力により社会的制裁を徹底的に受けたが、つくしの実害がなかったこと、そしてつくし本人が訴えたわけではないことから、あの男に法的な制裁を与えることはできなかった。 再起不能になり地元の富山に帰ったところまでは確認をしていたのだが・・・ 虎視眈々と復讐の機会を伺っていたのだろう。 それがあのタイミングだったのだ。 普段なら不審者にはすぐに気付くが、あの時は楓とつくしの対峙でフロアが騒然としていた。どこの誰ともわからない人間が入って来たとしても・・・即座に気付くことができなかったのだろう。 何故・・・何故全てがあのタイミングに重なってしまったのか。 いくら悔やんだところで起きたことはどうすることもできない。 「・・・・・・やっぱり俺なのか・・・?」 「・・・司・・・?」 顔を上げた司の表情はさっきまでとは一転して虚ろだ。 「俺があいつを苦しめてんのか・・・?」 「何言って・・・」 「あいつは・・・牧野は全ての悲劇は俺と共にあると思って身を引いたんだ。そんなあいつがっ・・・やっと・・・やっとのことで前を向き始めたってのに・・・!」 「司・・・」 沈痛な面持ちに総二郎とあきらもそれ以上の言葉が出てこない。 今はどんな慰めだって逆効果だ。 「結局今回だってこんなことになって・・・! 俺はなんのために・・・一体何のために記憶を取り戻したんだっ?! あいつを苦しめるためにわざわざ戻って来たって言うのかっ?!」 ガツッ! ガツッ!! 振り上げた拳を思い切り床に叩きつけると、みるみる手には血が滲んでいく。それどころか献血をした後のテープまでが真っ赤に染まっていく。 「おいっ、やめろっ!!」 「司っ、落ち着けよっ!!」 「うるせえっ!! 俺は一体何のためにっ・・・何のためにっ!!!」 2人掛かりで止めようとするが、それでも司の動きを完全に封じ込めることはできない。 カツカツカツカツ・・・・・・ やがて足音が近づいてくると、尚も暴れ続ける司の前にしゃがみ込んでフッと影を作った。 ____ 次の瞬間、 パンッ!!! その場に大きな破裂音が響き渡った。 「 ・・・・・・・・・ 」 一瞬にしてその場が静寂に包まれる。 その場にいた誰もが、そして司までもが驚いた顔で目の前を見上げるほどの。 「お前がそんなんでどうするんだよ」 「・・・・・・類」 静かな怒りを携えてそこにいたのは類だった。 「お前がそんなんでどうするんだよっ! 牧野を守るって決めたんじゃないのか? もう絶対にその手を離さないって決めたんじゃないのか?! だったら今更後悔なんてするな! 何があっても全部受け止めて、お前がそれを乗り越えなくてどうするんだよっ! お前の覚悟はその程度のもんなのかっ?!」 ガツンと殴られたような衝撃が走った。 実際には最初の平手打ち一発だけだというのに、何十発も殴られたかのような。 「お前の気持ちはわかる。だけど冷静になれよ。牧野はどんな想いを抱えてお前と一緒になることを決めたんだ? あいつが目覚めたときに今のお前を見てどう思う?」 「・・・・・・」 「それに・・・7年前にあいつだって同じ思いをしてるんだ」 その言葉に司がハッと顔を上げる。 「お前が7年前同じ状況になったとき、あいつは逃げずにちゃんと向き合った。だったらお前もぐだぐだ言ってないであいつと向き合えよ。それができないんだったらお前に牧野は渡さないからな」 「類・・・」 決して感情的ではない静かな言葉の一つ一つがグサリと突き刺さる。 普段多くを語らない男の、誰よりもつくしを理解している男の言葉はそれほどに重い。 「あいつがお前といる未来を選んだんだ。お前が信じてやらなくてどうする」 「・・・・・・」 再びその場が静まりかえると、冷静さを取り戻した司も俯いて黙り込んでしまった。 バタンッ! ガラガラガラガラ・・・ ちょうどその時、赤いランプが消えたのと同時に手術室の扉が開いた。 「 !! 」 ストレッチャーの上につくしが横たわっているのが見えて弾かれたように司が立ち上がった。 他の面々も急いで集まってくる。 「牧野っ! おいっ、牧野っ!!!」 青白い顔で眠ったままのつくしに必死に声を掛けるが反応はない。 「大丈夫ですよ。手術は無事に成功しました」 「・・・!」 医師の言葉に一同がほっと胸を撫で下ろす。 「出血が多かったので一時危なかったですが、傷自体はさほど深いものではありませんでした。命に関わったり後遺症が残るようなものではないでしょう。時間が経てば意識も戻りますよ」 「・・・・・・」 「よかった・・・よかったよぉっ、つくしぃっ・・・!」 滋がその場にしゃがみ込んで泣き出すと、それぞれが安堵の息を吐き出した。 「道明寺さん、目が覚めるまで彼女の傍についていてあげてください」 「・・・え・・・?」 「昏睡状態の中であなたの名前を何度も呼ばれていましたよ。目が覚めたときにあなたにいてもらえたらきっと喜ぶでしょうから」 「・・・・・・」 呆然とつくしへと視線を移す司の背中を総二郎が一発叩く。 「おい司っ、しっかりしろよ! お前以外に誰がいんだよ」 「そうだぞ。そんな腑抜けた顔してたらまた振られちまうぞ」 「・・・るせぇ。誰が振られるだと?」 予想外に鋭い睨みに思わず総二郎とあきらが身を引く。 「おぉっと、いきなりいつものファイトモードに戻んなよ」 「・・・」 「っていうかちゃんと着替えろよ。そんな格好で病室なんか入れないからな」 類の指摘はもっともだ。 今頃気付いたが、我ながら酷い有様だ。 「ほら、早く行ってやれよ」 「・・・あぁ」 友人の言葉に後押しされるように、司は力強くその場を歩き出す。 ___ さっきまでの弱気が嘘のように、その後ろ姿はいつもの道明寺司そのものに戻っていた。 *** 広い室内には静寂が響き渡っている。 「おい、早く目を覚ましやがれ。・・・お前には山のように言いたいことがあるんだよ。・・・牧野・・・ 」 眠るつくしの細い手を両手でしっかり握りしめると、司はその手を自分にたぐり寄せて祈るように静かに目を閉じた。
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愛が聞こえる 49
2015 / 05 / 24 ( Sun ) どうして忘れていられたのだろう。
あの男との未来を考えるのならば、絶対に避けては通れない壁があったということを。 そしてその壁はこの世に存在するあらゆる障害物の中で最も越えることが困難な、高い高い・・・際限の見えない壁だったということを。 「・・・・・・」 数秒前までつくしの中を埋め尽くしていた興奮が嘘のように消え去っていた。 ___ 足が竦む。 気をしっかりもっていなければすぐさまその場にへたり込んでしまいそうなほど、圧倒的な存在感が目の前に鎮座している。7年前と少しも変わらない、いや、むしろあの時以上にその絶対的なオーラを携えた女性が。 ざわざわと、周囲が異様な空気に包まれる。 どこの馬の骨ともわからない女と大財閥を治める女。 繋がるはずのない点と点がこうして繋がって、今向き合っている。 ここにいたって何の不思議もない人物だというのに、何故今、このタイミングなのか。 偶然なのか必然なのか。 もはやそんなことはどちらだって関係ない。 いまここで対峙しているのは揺らぎようのない現実なのだから。 「あ・・・」 何か言わなければと思うのに、想定外のことに言葉すら出てこない。 ただ目の前までやって来て足が止まったということは、自分に何かしらの目的があって近付いて来たことは疑いようがない。 『 害虫駆除をしなさい 』 そんな空耳が聞こえてきそうな気さえする。 最後に会ったのはいつだっただろう。 ・・・あぁ、そうだ。 あの男が刺されて、病院で一発殴りつけて、・・・そして飛行場へと追いかけた。 あの時、この人なりの母親としての愛情を確かに感じることができたから。 そして・・・ 「部外者がこちらへ何のご用かしら」 その言葉に弾かれたように現実へと引き戻される。 『 部外者 』 確かに今の自分はその言葉通りの人間だ。 でも・・・いつかは向き合わなければならない。 あの男と・・・道明寺との未来を描いていきたいのならば。 気付かないうちに武者震いしていた自分自身を鼓舞すると、つくしは大きく息を吸って吐き出す勢いのままゆっくり頭を下げた。 「ご無沙汰しています。突然の訪問をお許しください」 「・・・こちらに何のご用で? ここはあなたの来る場所ではないのではなくて?」 抑揚のない淡々とした口調が逆に底知れぬ恐怖心を煽る。 ・・・だとしても、ここで怯んでいては前には進めない。 「・・・いいえ、とても大切な用があってここに来ました」 「・・・どういうことかしら」 ゆっくりと顔を上げると、つくしは逃げずに真っ正面から楓を見た。 「司さんとの未来を掴むために来ました」 「・・・」 「ここに辿り着くまで本当に長かった。だけどやっと大事なことに気付いたんです。命あるうちは精一杯前に進まなきゃって。・・・そして私の描く未来には司さんの存在は欠かせないということにも。だから・・・だから、今日は自分の足でここに来ました」 「・・・・・・」 つくしの言葉に楓は何も言わなければ顔色一つ変えない。 気を緩めれば逃げ出したくなってしまう心を奮い立たせてつくしは必死で踏ん張る。 絶対に・・・絶対に負けたくない! 「あなたはこの道明寺財閥には必要のない人間です」 「・・・っ」 刃のような言葉が心臓を突き刺す。 ・・・これくらいで怖じ気づいてどうする。 「確かにそうかもしれません。・・・でも、司さんは私を必要としています」 「・・・フッ、随分と自信がおありなのね」 嫌味をたっぷり含んだ冷笑なんて気にしない。 「そうです。彼の絶対に揺らがない気持ちが私をここに連れて来てくれたんです。彼の強い気持ちがなければ・・・弱虫の私は一生ここに来る事なんてなかった。・・・覚悟を決めたんです。だからどんなことを言われたとしても、私はもう逃げません」 「・・・」 バチバチと、見えない静かな火花が飛び交う。 遠巻きに見ている人間も息を呑んでその一部始終を見守っている。 「・・・・・・ご両親の犠牲の上の幸せだとしても?」 「______ っ!!」 思いも寄らない切り返しに息が止まる。 何故、何故そのことを・・・? いや、問題はそこではない。この人なら全てを知っていたって何ら不思議ではないのだから。 ドクンドクンドクンドクン・・・! 急激に苦しくなっていく胸を咄嗟に押さえ付けて必死で深呼吸を繰り返す。 絶対に、絶対にここで発作など起こしてなるものか! ここで起こせば認めてしまうも同然じゃないか。 「どうなされたのかしら。随分顔色が悪いようですけど」 「・・・っはぁっ・・・、・・・確かにあなたの言う通り、家族に不幸があったことは事実です。・・・でも、両親は誰よりも私の幸せを願ってくれていました。だから自分たちが犠牲になっただなんて思っていない!」 「それはあなたの都合のいい解釈なのではなくて?」 「・・・っ、違う!」 つくしの叫び声がエントランスに響き渡ってシーーンと静まりかえる。 「・・・何度も何度も考えました。自分は幸せになっちゃいけない。このまま生きていていいのだろうかって。・・・でもそんな自分をこの世に繋いでくれたのもまた家族の存在でした。情けない私に生きろ、ちゃんと前を見ろって気付かせてくれた・・・。家族だけじゃない、大切な仲間が・・・そして司さんが、皆が私の目を覚ましてくれたんです」 「・・・」 「だから・・・だから私は全てを背負った上でもう逃げないと決めたんですっ!」 震える・・・ 唇が、手が、全身が小刻みに震えて止まらない。 何故震えているのか。 恐怖? ・・・そうじゃない。 自分にはまだこんなにも力があったんだということに感動してるんだ。 ____ 生きている。 自分がここに生きているという確かな実感に心が震えているのだ。 言葉と共に溢れ出しそうになる涙を、唇を噛みしめて必死に堪える。 さっき泣かないと誓ったばかりではないか。 だから泣いてなるものか。 今はまだ絶対に。 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 互いに見つめ合ったまま長い沈黙が続く。 まるで根比べのように。 でもここで先に目を逸らしては逃げるも同然。 つくしは圧倒的なオーラを前にしても絶対に怯むことはしなかった。 「・・・・・・愚かなこと」 「・・・えっ?」 先に視線を逸らしたのは楓の方だった。 やれやれと頭を抱えて溜め息をつきながら首を横に振っている。 「家族揃って本当に愚かだこと」 「なっ・・・?!」 その一言にカッとしたところで、楓が後ろにつけていた秘書から何かを受け取ってそれをつくしに差し出した。突然のことにつくしは棒立ち状態だ。 「え・・・?」 目の前に出されたのは数通の封筒。エアメールだろうか、宛名は英語になっている。 全く身に覚えのないもので、視線は封筒と楓の顔を行ったり来たりを繰り返す。 これは一体・・・? 「身の程知らずが送ってきたものです」 「え・・・? それはどういう・・・?」 「見ればわかるでしょう」 「・・・・・・」 一体何を言っているのか。 つくしはポカンと口を開けたまま目の前のそれを受け取るとゆっくりと裏返していく。 次の瞬間、その目がこれ以上ないほど大きく見開かれた。 そしてすぐに目の前にいる楓を仰ぎ見る。 「こ、これは・・・?!」 「身の程知らずのどなたかが私に寄越したものです」 「そんな・・・そんなバカなことが・・・」 「本当にバカバカしい。ただの一般人がこの私に手紙を送ってくるなどと・・・正常な思考回路の持ち主のすることではありません」 「・・・・・・」 震えるつくしの手に握られているもの。 それは楓充ての手紙だ。 差出人の名前は・・・牧野晴男と牧野千恵子。 紛れもないつくしの両親、その人達だ。 一体いつの間にこんなことを・・・ 「本来こんなものが私の手元に届くことなどあり得ない。不審物として即刻処分されて終わり。・・・そのはずなのに、愚かなのはうちの社員も同じだったようで」 「・・・え?」 思わずつくしが顔を上げると、楓は相変わらず不機嫌そうに再度溜め息をついた。 「そこにいる秘書が独断でその手紙を保管していたようです」 「・・・!」 視線の先にはうっすらと見覚えのある顔がある。 つくしと目が合って頭を下げた男性は・・・確か昔、西田と共に楓についていた秘書だったか。 「 『 娘と司さんがいつか自分たちの意思で再び互いを求め合い、そして巡り会うことができれば、その時はどうか娘達の幸せを願わせてください 』 」 「・・・え?」 「バカの一つ覚えみたいにどの手紙にも同じ事が書かれていました」 「・・・・・・」 カタカタとますます手が震える。 ・・・違う、全身が震えているのだ。 自分の知らないところで、まさか両親がこんなことをしていただなんて。 ____ その想いに、震えが止まらない。 「身の程知らずは留まることを知らずに手紙だけでは飽き足らずNYまで来ようとした。その結果命を落とすとは・・・本当に愚かだこと」 「愚かだっていいんですっ!」 楓の言葉を遮るようにつくしが声を上げた。 「愚かだっていい・・・それが私の家族なんです。・・・牧野家の愛の形なんですっ! こんなに自分を大事に・・・愛情いっぱい育ててくれた両親を・・・私は心の底から尊敬しています。だからこそ・・・だからこそ絶対にもう諦めたりしない。これだけの想いを決して無駄になんかしないって決めたんですっ・・・!」 つくしの魂の叫びと共にぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。 それは本人も気付いてないほど自然に溢れ出た涙だった。 自分の頬を伝っていく温かい感触に気付くと、つくしはグイッとその涙を拭った。 「・・・・・・・・・1年」 「・・・え?」 長い沈黙の後、楓が一言そう口にする。 「あの時私はあなたに1年の猶予を与えたはずです」 「・・・」 確かにそうだった。 あの時、1年という期間限定ではあったが、司との未来への手応えを確かに掴んだのだ。 だが司はその直後・・・ 結局、あの1年はあってないような猶予だった。 「与えた1年はとうの昔に過ぎています」 「・・・」 つまりは私たちを認めることはできない、そう言いたいのだろう。 次の言葉を覚悟して手紙を握った手に力がこもる。 「後はあなた達が決めることです」 やっぱり・・・ この人は未来永劫自分たちを認めるつもりなど・・・・・・ ・・・・・・・・・ 「・・・・・・え?」 鳩が豆鉄砲を食ったような顔を上げると、楓は相変わらず表情一つ変えてはいない。 だが・・・どこかいつもと違うような気がするのは・・・ 「約束の1年は過ぎた。あの子も私の与えたノルマをクリアしている。その上でどうするかは私の関与することではありません」 「そ・・・れは、どういう・・・」 呆気にとられるつくしにはぁっとこれ見よがしに大きく溜め息をついてみせる。 「親子揃って本当に物わかりが悪いこと。額面通りの意味です。わからないというのなら後はご自分でお考えなさい」 「・・・・・・」 「ただし一つだけ条件があります。今あの子が取り組んでいるプロジェクト、それが成功するか否か、私たちはビジネスの契約をしています。その契約が不履行となった場合、あの子の自由はない。それだけは言っておきます。 話は以上です」 それだけ言い残すと、カツンとヒールの音をたててその身を翻した。 秘書の男性がつくしに会釈をすると、急いでその後を追っていく。 「まっ、待ってくださいっ!」 ハッと我に返ったつくしが慌てて呼び止めるが、その足が止まることはない。 「あ・・・ありがとうございますっ・・・! 決してこのチャンスを無駄にはしません! ありがとうございますっ・・・!」 声の限り叫ぶが、結局一度も楓が振り返ることはなかった。 いつの間にか凄まじい人集りができていたらしく、楓が通る道が自然と開けていく。 やがてエントランスを出ると、前につけていたリムジンに直ぐさま乗り込み颯爽とビルを後にした。 つくしを含めたその場にいた誰もが、ただ呆然とそれを見送る。 まるで今の出来事が夢であったかのように、その場が言葉にできない静寂に包まれる。 だが、あの男とはまた違う高貴な香りが、決して夢なんかではないことを教えてくれていた。 「 牧野っ!!! 」 人垣の向こうから聞こえてきた声にビクッと体が跳ねる。 見れば頭一つ分背の高い男がこちらへ全力で走っている姿が見えた。 今度はその男を避けるように人の波が開けていく。 「ど・・・みょじ・・・」 「牧野っ!!!」 100メートル、50メートル・・・ 徐々にその距離が縮まっていく。 「ど・・・みょじ・・・・・・道明寺っ!!!」 どんどん大きくなる男の姿を見ていたら、もう溢れる想いを止めることはできなかった。 全社員が見ていようと関係ない。 もう今の自分たちを遮るものなど何一つない。 もう、止まれない ____ 「牧野っ!!」 ___ 笑っている。 大好きな人が、笑って手を伸ばしている。 今度こそその手を掴んで、もう二度と離さないと誓うから。 だから ____ つくしも笑って手を伸ばそうとしたその瞬間、スーツの集団の中にフッとどこか見覚えのある顔が横切った。すぐには誰かわからないが、確実にどこかで見たことのある顔が。 誰・・・? そうこうしているうちにも司は目の前まで迫ってきている。 今はそんな余計なことは忘れて真っ直ぐにこの男に飛び込んでいきたい。 迷うことなくただ真っ直ぐに。 だが次の瞬間、つくしの顔から笑顔が一瞬で消えた。 人に紛れてどこか見覚えのある男が胸元に手を忍ばせると、そこからキラリと銀色に光る物体が姿を現したのがはっきり見えた。 「 道明寺っっっっ!!!! 」 ドンッ!!!! 手を広げてつくしを受け止めた司に予想に反した振動が伝わる。 つくしは今確かに自分の腕の中にいる。 やっと、やっと自らの意思で戻って来てくれた。 ____ だが。 「 きゃあああああああああああっ!!!!! 」 突如その場に悲鳴が轟くと共に、腕の中のつくしがずるりと項垂れていく。 咄嗟にその体を受け止めると、己の手にヌルリと生温かい感触が走った。 「牧野・・・?」 一体何が起こったというのか。 わけがわからず司が下を向くと、そこにはじわじわと真っ赤な水溜まりが広がっていく。 「牧野・・・? おいっ、牧野っ!! 牧野おおおおおおぉおおおおおおおっっ!!!」 だからお願い もう嵐を起こさないで
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愛が聞こえる 48
2015 / 05 / 23 ( Sat ) 「・・・嘘でしょ?」
無意味だとわかっていても言わずにはいられない。 「ははっ、そのIDが嘘だったら俺、偽証罪に問われちゃうね」 「・・・・・・」 呆然と手元のIDカードへと視線を落とす。 さすがは大企業と言われるにはふさわしいだけの精巧な造りだ。 これを個人が作れるとは思えない。 ・・・というかそもそもそんなことをするわけがない。 だがそんな馬鹿げたことを考えたくなってしまうくらい、寝耳に水の事実だった。 「・・・・・・・・・どうして・・・? どうして・・・」 完全放心状態のつくしにさすがの進も苦笑いするしかない。 「俺さ、もともとあの会社に入りたいって密かな夢があったんだ」 「・・・え?」 「もちろん誰にも言ってない。まぁ密かな夢って自分で言ってるくらいだからね。姉ちゃんとのことは抜きにしても俺、道明寺さんに憧れてたんだ」 「・・・・・・」 確かに、まるで舎弟のように尻尾を振っていた姿が脳裏に蘇る。 ・・・でも、 だとしても。 「最初はそういう純粋な憧れからいつかはって思ってた。でもまぁ超難関だから誰にも言ったりはしなかったけどね」 「・・・」 「・・・で、富山に行ってからその憧れが明確な目標に変わったんだ」 「・・・?! どういうことなの・・・?」 つくしが混乱するのも無理はない。 確かに職業選択の自由は進の持つ権利であるし、それに自分が口を出す立場にはないこともわかっている。だがあの事故以降、つくしにとって司を連想させるあらゆるものが禁句と言っていいほど、誰もが神経質になっていたのをよく覚えている。 何がきっかけで発作を起こしてしまうのか、つくし本人も含めて皆が手探りで模索していく中で辿り着いた答えが 「司を思い起こさせるものは全てダメ 」 だったというのに。 つくし以上に気を遣っていたのは他でもない進自身だ。 「ははっ、姉ちゃんがそういう反応になるのは当然だよな。だから言っただろ? 当時は事情があって嘘ついてたんだって。いつか話しても大丈夫だと思える日が来たらちゃんと言うつもりだった」 「・・・」 「この前電話したときにこっちに来て欲しいって言ったのは賭けだったんだ」 「賭け・・・?」 つくしの問いに進が大きく頷く。 「そう。姉ちゃんの心が2年前のまま止まってるんなら絶対拒絶されるってわかってたし、もしかしたら最悪電話中に発作が起こることだって覚悟してた。でも実際は起きないどころか来るって答えが返ってきたわけだ」 「・・・」 「その時に確信したんだ。 あぁ、話すタイミングは今だなって」 「・・・」 つくしの手に握られたIDカードを見つめながら想いを馳せるように言葉を選んでいく。 「姉ちゃんが後悔の念で押し潰されそうになってるのを見て・・・俺も正直辛かった」 「・・・!」 今だからこそわかるその言葉の意味が重く心に突き刺さる。 「・・・あ、違う違う。勘違いすんなよ? 姉ちゃんを責めてるんじゃないから。そうさせてしまってる自分の不甲斐なさに苦しんだって意味だからな」 「・・・・・・」 「道明寺さんが記憶喪失になって渡米した時点で俺の未来設計は決まったんだ」 「・・・どういう・・・?」 戸惑いを隠せないつくしに進ははっきりと言った。 「俺が道明寺の優秀な社員になって、ぜってぇいつか姉ちゃんと道明寺さんを引き合わせてみせるって」 「・・・!」 「記憶が戻んねぇならまた一から始めりゃいいじゃん。あれだけ色んなことを乗り越えて一緒になろうとしてた2人なら、どんな形でもまた恋に落ちるに違いねーだろってさ。そう簡単に会える相手じゃないんだったら俺がそうなる状況をつくってやればいいんだって」 「何を言ってるの・・・?」 「あ、すっげーバカなこと言ってると思ってんだろ。でも俺は真剣。 本気と書いてマジってくらい、真剣そのものだぜ?」 「・・・・・・」 進があの当時そんなことを考えていただなんて・・・ 何一つ、気づきもしなければ考えたことすらなかった。 「そんな中であの事故があって・・・俺も姉ちゃんもああいうことになって。普通ならあの時点でその目標を断念する奴の方が圧倒的に多いのかもしれないよな。でも俺はその逆だった。だったら尚更頑張ってやろうじゃねぇかって。だって、姉ちゃんを本当の意味で救えるのってあの人しかいないだろ?」 「・・・・・・」 「だから俺は賭けに出たんだ」 「賭け・・・?」 「あぁ。類さんに頼んで俺たちの身辺調査ができないように徹底ガードを張ってくれって」 「?!」 「いつかあの人が記憶を取り戻したとき、真っ先に探し出すのはぜってぇ姉貴に決まってる。だからすんなり俺たちに会えないようにしてもらったんだ」 「どういうことなの・・・?」 つくしには全てが初耳だった。 確かにあの事故以降、過去を封印するつもりでいた。 だが自分の知らないところでそんなことがあったなんて・・・ 「道明寺さんが本当の本気だったら何も情報がなくたって俺たちを見つけ出してみせる。それくらいの覚悟がなけりゃ今の姉ちゃんと向き合うことなんて無理だろ?」 「 ! 」 「だから俺は賭けた。あの人が俺たちを見つけ出してくれるのを。それと同時に俺も早くあの人に辿り着けるようにって、ひたすら前だけ見て生きてきた」 「進・・・」 なんて・・・なんて強いのだろう。 あんな壮絶な経験をしていながら、腐るどころかこんなにも強くいられるなんて。 辛い現実から目を逸らすことに必死だった自分がいかにちっぽけな人間であるかを思い知らされる。 「・・・あの人は俺の予想通り俺たちを見つけ出してくれた。・・・そして姉貴も俺が全てを打ち明ける前に自分の意思で殻を抜け出してみせた」 「進・・・」 「つまり賭けは俺の一人勝ちってわけ」 そう言って得意気に笑う顔がみるみる歪んでいく。 ちゃんと見なければと思うのに、そう思えば思うほどに見えなくなってしまう。 「・・・だから泣くなって。やっと泣き止んだばっかりだろ?」 「わかっ・・・けど・・・だってっ・・・!」 「ったく・・・。 一つだけ言っておくけど、姉ちゃんのために俺の人生を棒に振ったなんて勘違いすんなよ? 俺は最初からこの目標をもってたし、実現させたのは姉ちゃんのためだけじゃない。自分のためにこうすることが一番いいと判断してやったことなんだ。だから俺に感謝する必要もなければ悪いと思う必要だってない。俺が俺のためにやったんだから」 「・・・っうぅっ・・・!」 もう我慢などできない。 涙腺は完全に崩壊してしまった。 つくしは両手で顔を覆うと、必死で声を押し殺しながらも肩を震わせて泣き崩れた。 「だーかーらー、泣くなって言ってるだろ~?」 呆れたように笑っている進の目尻にも光るものがあったことなど、つくしが気付くはずもなかった。 「今度こそ落ち着いたかよ?」 「・・・・・・うん・・・」 10分ほどだろうか、泣き尽くした顔は贔屓目で見ても酷い有様だ。 「つーかすっげぇブサイクになってんだけど」 「・・・うるさいよ。元が悪いんだから黙ってて」 「ぶはっ! なんでそこでそんなに自虐的になるんだよ」 ククッと肩を揺らしながら進がツボに入る。 「・・・・・・進」 「ん?」 ヒーヒー笑いながら目尻を拭う弟を真っ直ぐに見ながら、つくしは一言一言ゆっくり言葉を紡いだ。 「・・・進の言う通り、ごめんなさいともありがとうとも言わない。・・・でもこれだけは言わせて」 「・・・何」 「あんた、めちゃくちゃいい男だよ」 「・・・!」 予想外の言葉だったのだろう。進の目が大きく見開かれる。 しばしそのまま固まっていたが、やがて我に返ると照れくさそうに笑った。 「姉ちゃんにそんなこと言われるのも何とも微妙だけど・・・まぁ褒め言葉として有難くいただいておきます」 そう言って軽く頭を下げると、互いに顔を見合わせてプッと吹き出した。 心から笑い合う姿を見たのは・・・最後に家族4人で過ごした日以来のことだった。 「・・・・・・あの人にも会いに来たんだろ?」 「えっ?」 「俺に会うためだけにわざわざここには来ないだろ?」 「・・・」 図星だった。 全ては進次第ではあったが、彼が許してくれるのならば、今度はあの男に自分から会いに行く覚悟を決めた上でこの地にやって来た。 「・・・・・・会いに行けよ」 「えっ?」 思わぬ言葉に顔を上げる。 「目と鼻の先にいるだろ。会いに行けよ」 「な、何を言って・・・まだ仕事中だし、またちゃんと日をあらためて・・・」 「いつだって待ってるよ」 「えっ・・・?」 「あの人ならいつだって、どんなときだって姉ちゃんが来るのを待ってるんじゃないの?」 「・・・・・・」 膝に載せた手に無意識に力が入る。 「ここに来た時点で覚悟は決めたんだろ? だったら今更躊躇なんてすんなよ。・・・行けよ」 「進・・・」 真っ直ぐな眼差しにまたしても涙が込み上げてくる。 それをグッと呑み込むと、つくしは静かに目を閉じた。 『 自分が自分らしくあるために 』 その言葉を胸にゆっくり目を開くと、つくしはもう一度進を見た。 その顔は優しく微笑んでいる。 「・・・仕事は・・・?」 「俺ならこれから外回り。つーことで姉ちゃん達が濃厚なラブシーンを繰り広げようとも残念ながら目撃することはできねぇんだわ」 「なっ、何を言って・・・!」 「そう? あの人ならやりそうじゃない?」 「・・・・・・」 悲しいかな否定できないところが怖い。 でも・・・ 「会いたいんだろ?」 「・・・・・・うん」 自分でもびっくりするくらいすんなり肯定の言葉が出ていた。 「だったら行けよ。 あの人絶対待ってるから」 「・・・うん」 溢れ出しそうな想いをキュッと口を真一文字にして引き締めると、つくしはゆっくりと立ち上がった。名残惜しそうにもう一度自分を見るつくしに進が苦笑いしている。 「俺たちにはたくさん時間があるだろ? 話ならまた今度ゆっくり日を改めてすればいいって。今は自分の気持ちに正直に行けよ。そうしたいと思った時にやらずに後悔すんな」 「進・・・」 「健闘を祈る。 ・・・なんてな」 ・・・泣かない。 今はもう。 全ては行動してから。 どんな結果になろうとも、泣くなら全てを受け止めた上で泣きたい。 「じゃあ・・・行ってきます」 「あぁ。 頑張れよ」 「うん」 つくしは大きく頷くと、意を決したように歩き出した。 「・・・・・・」 だが数歩離れたところで立ち止まると再び進を振り返る。 「・・・ごめん、やっぱりこれだけは言わせて。 ・・・進、ありがとう!」 「・・・!」 決め台詞のようにそう言い残すと、つくしは照れくささを誤魔化すように走ってその場を後にした。唖然とその後ろ姿を見送りながら、進は我慢できずに笑い出した。 「あーーー、やっと・・・やっと姉貴が帰ってきたんだな・・・」 さっき自分が渡ってきた横断歩道を逆行して走っていく生き生きした姉の姿を、進は万感の思いでいつまでも見送っていた。 *** 「はぁっはぁっはぁっはぁっ・・・!」 目の前に息を切らしながら突如現れた女に、受付の女があからさまに不審な顔に染まる。 「あ、あのっ・・・! ふ、副社長を・・・」 「・・・は?」 「ど、道明寺副社長にお話がっ・・・」 後ろ向きな生活は自分の思っていた以上に体まで駄目にしてしまっていたらしい。 自分でも信じられないほどに息が上がって話すこともままならない。 それでも想いだけは前に、前に。 「あの・・・失礼ですがアポなしでは副社長にお通しすることはできません」 わけのわからない女が現れたかと思えばいきなり副社長に会いたいなどと、受付の女が眉を潜めるのも当然のことだろう。 彼女達にとっても会いたくても会えない、雲の上の存在なのだから尚更風当たりは冷たい。 「いえっ、牧野つくしが来たとお伝え願えませんか? そうすれば必ず・・・」 「お客様、失礼ですがあなた様のような女性が副社長に・・・」 「待って!」 「え?」 「すみません、今お名前何とおっしゃられましたか?」 不機嫌マックスに一刀両断しようとした女を静止して隣に座っていた別の女性がつくしを見上げた。 「あ・・・牧野つくしです・・・」 「牧野様・・・」 繰り返すようにその名を呟くと、女性はハッとしたように手元の資料を確認し始めた。 やがてその顔が驚きに染まると、無礼を詫びるように深々と頭を下げた。 「牧野つくし様ですね。大変失礼致しました。あなたのお話は伺っております。今上にお繋ぎしますから少々お待ちください」 「えっ、先輩?! どういうことですか?!」 「しっ! いいから!」 つくしを追い払おうとしていた女はわけもわからずに顔をしかめるばかり。 急いで上に連絡を取り始めた女性を見ながらつくしはほっと胸を撫で下ろした。 やはり・・・彼は自分のことを伝えてくれていた。 普通に考えればアポなしであの男に会うことなど不可能な話だ。 SPに速攻で捕まって警察に連れて行かれるのがオチだろう。 ・・・だが。 彼ならきっとそうしているに違いないと思った。 自分を待ってくれているのなら、必ず。 ・・・・・・会いたい。 一秒でも早くあいつに会いたい。 こんな気持ちになる日が再びやって来るなんて・・・思いもしなかった。 つくしははやる気持ちを落ち着かせるように広いロビーをぐるっと一望した。 ____ と、その視線がとある一点で止まる。 視界に入ってきたその人物に、全ての時間が止まる。 つくしが気付いたのと同時にその場に居合わせた社員がざわざわと騒ぎ始めた。 だがつくしにはその物音一つ入ってはこない。 まさか・・・ 何故・・・ さっきまでの興奮が嘘のように硬直して体が動かない。 そんなつくしの前にゆっくりと近づいてくる人影がある。 スローモーションのように大きくなっていった人物がやがてコツンとヒールの音と共に目の前で止まった。 「・・・・・・・」 圧倒的な存在感に言葉も出ない。 つくしは7年ぶりに見る道明寺楓を前に、棒のように立ち尽くしたまま息をすることも忘れていた。
約半日ほど前に47話も更新していますので、見落としのある方はご注意を! |
愛が聞こえる 47
2015 / 05 / 22 ( Fri ) もうすっかり地方での暮らしに慣れていたつもりだったが、18年暮らした都会への感覚は消えてはいなかったらしい。すれ違う人の波を無意識に避けながら、つくしはぼんやりとそんなことを考える。
「・・・あ。あそこにあった店が変わってる」 7年もの年月が過ぎれば何も変わらないなんてことはあり得ないわけで、それは街も人も同じ事が言えるのだろう。 7年前この地を去ったとき、もうここには戻って来ないつもりだった。 そしてそれは2年前のあの悲劇で揺るがないものとなり、よもや今自分がここにいる未来など予想だにしなかった。 「後悔のない人生を・・・」 つくしは鞄に忍ばせたお守りをキュッと握りしめると、青になったと同時に一気に流れていく人の波に逆らわずに足を進めた。 *** 「・・・っていうかなんでよりにもよってここなのよ・・・」 大通りに面したガラス張りの店内から意識せずとも見えてしまう景色にどうにも落ち着かない。 いつか自らの足でとは思っていたが、今はまだそのタイミングではないから。 まだ今は。 「早く来ないかな・・・・・・って、あ。」 横断歩道の向こうからゆっくりとこちらへ向かってくる人影に気付いて思わず立ち上がる。 一歩ずつ、着実に足を進めるその人物もやがてこちらに気が付いた。 咄嗟に手を振ると向こうも笑って手を振り返す。 そうして少しずつ互いの姿が大きくなっていくと、やがて鈴の音と共に目的の人物が目の前へと姿を現した。 「遅れてごめん」 「全然! あたしもついさっき来たばっかりだから」 「そっか。 ・・・あ、コーヒーお願いします」 水を持って来たウエイトレスにそう言うと、椅子を引いてつくしの目の前に腰を下ろした。 「・・・何?」 やたらじっと自分を凝視するつくしに思わず不審そうに眉を潜める。 「あ・・・いや、なんかあんたまたガタイがよくなってない?」 「あぁ、まぁ鍛えてるからね」 「・・・」 そう言って自慢気に力こぶを作って見せる男をつくしは無言で見ている。 「・・・なんだよ。まーーた変な方に変換してんじゃないだろうな? あのことが原因で鍛えてるんじゃないかとか」 「ちっ、違うよ! ただほんとに思った以上に逞しくなってたからびっくりして・・・」 慌てて否定するつくしに痛い視線が突き刺さる。 「社会人になってかなり鍛えられてるからね。体力がないとついて行けそうにない世界だから。それで体力作りも兼ねて鍛えてんだ。だから変な方に捉えんなよ」 「うん、ごめん・・・」 初々しかったスーツ姿も今では見違えるように様になっている。 まるで我が子の成長を見守る母親の気分だ。 「IT企業に勤めてるんだっけ? えーと、名前はなんだったっけ・・・」 「あ~・・・、まぁそれは後でいいとしてさ、何だよ話したい事って?」 「えっ?」 「この前俺が電話したとき言ってただろ。俺に話したいことがあるって」 「あ・・・うん。 ・・・先にそっちが話さない?」 「ダメ。先にそっちがしろよ、姉ちゃん」 少しの迷いも一刀両断した男、それは約10ヶ月ぶりに会う弟、進だ。 あの日___ 司からの手紙と携帯の封印を解いたあの絶妙なタイミングで掛かってきた電話。 それは数ヶ月ぶりに連絡をしてきた進からのものだった。 あの事故以来、進からの連絡は何を差し置いてでも真っ先に受けるようにしていた。 残されたたった一人の肉親。 彼なくしては今のつくしはいなかったと言っても過言ではないほど、つくしの心と肉体を繋ぎ止めてきたかけがえのない存在だ。 事故で重傷を負ったにも関わらず、いつだって自分よりもつくしのことを気に掛けていた。 つくしはつくしでそんな進への自責の念でいつも押し潰されそうだった。 人の気持ちに敏感すぎる姉弟だからこそ、心配するのは相手のことばかり。 今思えば、相手を思いやっているつもりが逆に大きな負担となっていたことを痛感する。 事故によるブランクはあったが、たまたま大学の長期休暇と重なったというラッキーもあり、進は留年することもなく予定通り4年で卒業することができた。つくしと同じで普段から真面目な性格が功を奏したと言ってもいいだろう。 聞いたことのないIT関連企業に就職が決まったという話は聞いていたが、場所が東京ということもあり、つくしも必要以上のことは聞こうとはしなかったし、進もまた特別話そうとはしなかった。 事故以降つくしが酷く自分を責めているのを誰よりも近くで見ていただけに、進は決して姉の心の重荷になるようなことは言わなかったししなかった。 足にハンデが残ってしまったが、就職に伴う準備も絶対につくしに手伝わせようとはしなかった。 そうして春から離ればなれの生活が始まり・・・ 新入社員として多忙を極めるあまりか、進からの連絡も日を追うごとに減っていった。 先日の電話も実に1ヶ月ぶりに掛かってきたものだった。 掛かってきたとしても軽い近況報告程度ばかりだったのだが・・・ 『 話したいことがあるからこっちに出てきてくれないかな 』 前回の電話で言われたのは耳を疑いたくなるような一言だった。 こっちというのは紛れもなく東京のことなわけで、発作が多発するようになってからというもの、つくしの前ではタブー化していたと言ってもいいくらい触れることがなくなっていた。 それを突然言われたかと思えばこともあろうに来て欲しいなどとは。 まさかの展開に驚きは隠せなかったが、つくしはそのタイミングにすら運命的なものを感じた。 自分の心の壁を乗り越えて前に進むには、進と向き合うことは絶対に避けては通れない。 そしてつくしが長いトンネルを抜けて新たな一歩を踏み出そうとしたあの瞬間、東京に来て欲しいとの連絡が来た。 これを運命だと言わずになんと言えばいいのだろうか。 「姉ちゃん? どうしたんだよ、ぼーっとして。疲れてんのか?」 「あ・・・ごめん、全然大丈夫」 「そ? じゃあ何だよ、俺に話したい事って」 「・・・・・・」 ・・・躊躇っている場合じゃない。 何のためにこの地へ赴いたのか。 その意味を忘れるな。 つくしは膝の上に載せた手をグッと力強く握りしめると、目の前の進を真っ直ぐ見た。 「・・・・・・進、あたし・・・前に進んでもいいかな?」 「え?」 「自分勝手なのはわかってる。・・・でもようやく気付いたの。過去ばかりを見て生きてるあたしをパパとママは望んでなんかいないって。せっかく助かった命を後ろ向きに生きても・・・何の意味もないって」 「・・・・・・」 「だから、だから・・・全てを背負った上で、自分の気持ちに正直に生きたいの」 「・・・・・・」 互いに見つめ合ったまま長い長い沈黙が続く。 ハンデを負わせてしまった進からすればなんておめでたい奴だと思うかもしれない。 ___ それでも。 たとえそう言われたとしても、どうせ後悔するなら精一杯生きて後悔したい。 何かに怯えて逃げ暮らすような自分は牧野つくしなんかじゃないと大切な人が気付かせてくれたから。 「・・・・・・・・・・・・・ぷっ」 だが更に長い沈黙にさすがのつくしの決心もぐらつきそうになったその時、 「あっははははは!」 「・・・え? えっ?!」 もう我慢できないとばかりに進がお腹を抱えて笑い出した。 突然のことにつくしは目を丸くして驚くしかできない。 一体何が起こっているのか。 「ははははっ・・・はーーーーーっ、こんなに笑ったの久しぶりかも」 「・・・」 目尻に滲んだ涙をグイッと拭うと、進は呼吸を落ち着けてあらためてつくしと向き合う。 「・・・遅すぎだろ」 「えっ?」 「そんな当たり前のことに気付くのにどんだけ時間かかってんだよ」 「・・・!」 思いも寄らない切り返しに言葉も出ない。 「俺は事故に遭った直後からずっと言ってただろ? あの事故は結果論であって姉ちゃんが責任を感じる必要なんかないって。・・・でもまぁ俺が逆の立場だったら何も気にせずに生きていられるかって言ったらやっぱり自信はないんだけどな」 そう言ってははっと苦笑いする。 「それでもやっぱり俺は言うよ。姉ちゃんが何かを背負う必要なんか少しだってない。俺だけじゃない。親父とおふくろだって、姉ちゃんには笑って生きていて欲しいって願ってるに決まってるって」 「・・・」 「自由になれよ」 その言葉にハッとする。 進の顔は、とてもとても真剣で・・・真っ直ぐだった。 「自分の幸せを考えて生きていけよ。せっかく助かった命を無駄に生きんな」 「・・・進・・・」 「・・・泣くなよ」 「ごめっ・・・」 パタッパタッと数滴手のひらに落ちた滴はたちまち形を変えていく。 もう拭っても何の意味も持たないほどに、次から次に溢れて止まらない。 進は感情のままに涙を流す姉の姿を、言葉とは裏腹に優しい眼差しで見守っている。 「泣いてめそめそする姉ちゃんなんてらしくねぇぞ」 「・・・ん、うんっ・・・!」 「ははっ、全然止まんねぇじゃん」 必死で止めようとすればするほどぼろぼろと溢れて止まらない。 きっとどこかのネジが一本外れてしまったに違いない。 まるでコントのように泣き崩れるつくしの姿を見ながら、進は再びお腹を抱えて笑い転げた。 「・・・はぁ~~~・・・ずびびっ」 「ふはっ、きたねーな。 ようやく落ち着いたかよ?」 「う゛ん・・・ごべんね・・・」 「ってか全然喋れてねーから。 いやぁ~、面白いもん見せてもらったわ」 「・・・・・・」 弟の前でこんなに泣いたのなんてあの悲劇の時くらいだった。 それもあの時だけで、あれ以降泣くことすら封印していた。 それがまさか前向きな涙を流す日が来るなんて・・・考えもしなかった。 とてもとても勇気のいる行動だったけれど、目の前で心の底から嬉しそうに笑っている進の姿を見ていたら・・・自分の行動は間違っていなかったのだと確信する。 『 今の自分を見て笑ってくれてんのかなって 』 きっと・・・きっと同じように笑ってくれてるよね? パパ、ママ・・・ 「・・・そういえば進の話したい事って何だったの?」 「え? あー・・・そういえばそうだったな」 すっかり忘れていたのか進が思い出したように頷く。 「よっぽど大事な話なんでしょう? わざわざこっちに出てきて欲しいって言うくらいなんだから」 「まぁ大事っつーかなんつーか・・・でもこのタイミングで姉ちゃんが前に進み出したってのもなんかすげぇなって思うわ」 「? どういうこと?」 どこか感動したように言葉を噛みしめる進につくしは首を傾げる。 「・・・俺さ、半年アメリカに行くことになったんだ」 「・・・・・・え?」 出てきた言葉はあまりにも予想だにしなかったものでつくしの時間が止まる。 アメリカに・・・? 誰が・・・? 呆然と放心状態になってしまったつくしを進は手を振って現実に引き戻そうと笑っている。 「おーーーーーい、聞こえてっかぁ?」 「・・・え・・・どういう、こと・・・?」 「仕事の研修でさ、アメリカの本社に行けるチャンスをもらえたんだ」 「仕事で・・・?」 つくしが納得できないのも当然だろう。 進が就職したのはIT関連企業だと言っていた。 確かにグローバルに展開する職種だと言えるが、新入社員がいきなり海外研修というのがつくしにはいまいちピンと来ない。 泣き顔から一転、難しい顔でぐるぐる考え込んでいるつくしの忙しさに吹き出すと、進はコホンと咳払いして姿勢を正した。 「・・・実はさ、俺が就職した会社、嘘ついてたんだ」 「・・・は?」 つくしの眉間に皺が寄るのも仕方がない話だ。 嘘だった・・・? 一体どういうことだというのか?! 「そんな怖い顔すんなよ」 「だって・・・!」 「あの時は言えない理由があったんだよ」 「言えない理由・・・?」 もう何がなんだか全く意味がわからない。 この男は一体何を言っているのか? 「あっち、見てよ」 「え?」 「あっち」 そう言って進が指差した方向。 そこにはガラス張りの店内からはっきりと見えるビルがそびえ立っている。 忘れもしない大きなビルが。 「・・・・・・え?」 指差した先と進の顔を何度も何度も行ったり来たりする。 まさか・・・ まさか・・・・・・?! つくしの心の中が読めたのか、進は大きく頷くとスーツのポケットからあるものを取り出した。 それは彼の写真が載ったIDカードだ。 つくしは差し出されたそれを恐る恐る受け取ると、ゆっくりと視線を下ろす。 そしてそこに記載された内容を見て目を見開く。 まさか、そんなことが・・・ 「 俺さ、道明寺ホールディングスの社員なんだ 」 震える手でIDカードを握りしめるつくしに進がはっきりと告げた。
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愛が聞こえる 46
2015 / 05 / 21 ( Thu ) 「財布よし、携帯よし、戸締まりよし・・・」
鞄の中と部屋の中の最終チェックを入念に行う。 全ての確認を終えると、棚の前に正座をして座り込んだ。 毎朝欠かさずにやっている日課だが、今日はいつもと同じであって同じでない。 つくしは正面を見据えると、両手を合わせて静かに目を閉じた。 「・・・パパ、ママ。 今から私が私らしくあるために、一世一代の勇気を出してきます。・・・どうか最後まで見守っててください」 そう語りかけて長い時間祈りを捧げると、意を決したように目を開いた。 その瞳は今までのどこかおどおどとしていたものとは明らかに違っている。 「・・・よし。 じゃあ行ってきます!」 グッと握り拳をつくって自分に気合を入れると、つくしは荷物を手にして勢いよく立ち上がった。 *** 「・・・・・・つくし?!」 いきなり玄関まで行って欲しいと言われ、何事かとぶすくれながら歩いていた遥人の目に思いも寄らぬ人物が映る。驚いて駆け寄ると、目の前の女は満面の笑みで出迎えた。 「お前・・・どうしたんだよ。今日はボランティアの日じゃ・・・」 「ハル、この前はありがとう」 「え? ・・・あぁ、別に俺は何も・・・」 「あたしちゃんと考えたよ」 「え?」 「ハルに言われたこと、ちゃんと考えた」 「・・・・・・」 ・・・なんだろう。 いつものつくしと同じでどこか違う。 感じずにはいられないこの違和感の正体は・・・ 「・・・後悔したくないから、自分らしく行動してくるよ」 「えっ?」 「もし万が一明日自分が死んだとしても、自分の人生に悔いはなかったって胸を張って言えるように」 突然のことに呆気にとられる遥人につくしはニコッと微笑みかける。 「お前・・・」 今目の前で見せている笑顔は、これまでのどの笑顔とも違う。 まるでこれがつくしの真の笑顔だと言われているような気がして。 「どういう結果になるかは自分でもわからない。でも必ずハルに一番に報告に来るから。・・・だから待っててくれないかな」 「・・・・・・」 何も言わない遥人の答えをただじっと待ちつづける。 その目にもう迷いはなかった。 「・・・・・・はぁ。・・・仕方ねぇな。 お前がどうしてもっつーから聞いてやるよ」 時間を掛けて出てきた憎まれ口には愛がたっぷり感じられた。 プイッとそっぽを向いてしまうその仕草すら堪らなく愛おしい。 どうしてこんなに素直な少年を突き放そうとできたのか。 一時の気の迷いとはいえ、自分の愚かさを心の底から悔いてならない。 ・・・だからこそ。 今自分にできることを、すべきことを全力で。 「ハル、本当にありがとう。 じゃあ行ってくるから」 「・・・え? 今から行くのか?」 「うん」 思った以上の展開の早さにさすがの遥人も目を丸くする。 3人で出かけた日からまだわずか一週間しか経っていない。 あれだけぐだぐだ悩み続けていたくせに、この変わり様は一体何なのか。 「ハルの言葉一つ一つがあたしの心にガツンと響いたの。考えて、考えて・・・今まで自分は何をしてたんだってようやく目が覚めた。そうしたらもう悩んでる時間がもったいないって思えてきて。全部ハルが気付かせてくれたことだよ。本当にありがとう」 「・・・」 「自分らしく行動してくるから」 「・・・」 こんなに生き生きした姿を見るのは初めてだった。 これが本当の牧野つくしの姿なのか。 元気だけが取り柄の女だとは思っていたが、今はその比ではない。 内から溢れるパワーが直視できないほどに眩しく見える。 「・・・じゃあ時間もないからそろそろ行くね」 最後にそう言い残すと、つくしは笑って背を向けた。 「おいっ!」 玄関を出たところでかけられた声に足を止めて振り返る。 「・・・・・・気をつけて行ってこいよ」 「・・・! ハル・・・。 行ってきます!」 やっぱり視線を合わせずにどこか照れたようにそう呟いた遥人に満面の笑みを見せると、つくしは大きく頷いて再び歩き始めた。 今度はもう振り返らずに。 そのつくしの後ろ姿を、遥人は見えなくなるまでずっと見続けていた。 *** 「はぁ~~~・・・」 執務室に戻るとすぐにソファに体を投げて天を仰いだ。 つくしに会うためには半日ほどは時間を確保しなければならない。 つまりはその分のしわ寄せが必ずどこかに来てしまうわけで、このところの激務にさすがに疲労も蓄積していた。いつもならつくしの顔を見るだけでその疲れも吹っ飛んでいくのだが、しばらくはその時間すら作れそうにない。 「・・・西田」 「はい」 「次にまとまった時間が作れそうなのはいつだ?」 「そうですね・・・。しばらくは大柳産業との東京での仕事が主軸になりますから、おそらく2、3週間ほどではないかと・・・」 わかってはいたが、予想通りの答えに再び深い溜め息が出る。 確実につくしとの距離が再び縮まったと確信できたというのに、このタイミングで会いに行くことができないなんて。あわよくば向こうから会いに来てくれたらどれだけいいことか・・・なんて、あり得ない展開を期待してしまうほどに今すぐにでも会いたい。 「・・・会いてぇな・・・」 ぽつりと零れた一言に西田が司を見るが、変わらず目を閉じたまま。 ほんの少しの時間ですら司にとっては貴重な休息であることをわかっている西田は、音をたてないようにそのまま静かに部屋を後にした。 コンコン! 「・・・・・・」 沈んだ意識の中に音が聞こえたような気がしてフッと目が覚める。 どうやらあのまま一瞬だけ眠ってしまっていたらしい。時間にしてほんの数分程度だろうか。それでも、さっきよりは遥かに頭がクリアーになっているのを感じる。 コンコン! どうやらあの音は夢ではなかったらしい。 「・・・誰だ」 そう答えても何の返事も返ってこない。 この部屋に直接入って来られる人間など限られている。さっきの今で西田が戻って来るとも思えないし、そもそもあの男なら既に室内に足を踏み入れているはずだ。 いつもと違う状況に司の眉間に深い皺が寄る。 ガチャッ とその時、何の言葉もなく扉が開いた。無言で侵入するなど命知らずもいいところだ。 「おい、てめぇ何してやが・・・」 人を殺しかねないほどの眼光で入って来た人物を睨み付けると、次の瞬間にはその目が大きく見開かれた。 「 ?! 」 無意識だが思わず立ち上がってしまうほどに予想外のその人物とは___ 「プロジェクトの進行はいかがかしら」 棒立ちしている息子を目の前にしても、鉄の女は顔色一つ変えずビジネスモードを崩さない。 帰国するだなんて話は一言だって聞いてなかったし、ついさっきの西田の様子からも知っていたとは思えない。 「ババァ・・・なんで・・・」 「香港に行ったついでです。抜き打ちでチェックをするのも上としての大事な仕事ではなくて?」 「・・・」 それは確かにそうかもしれないが、この女がたったそれだけの理由でわざわざここに足を運ぶだろうか? 過去の事を考えれば疑心暗鬼になるなという方が無理な話だ。 「あなたが帰国なさってもうすぐ半年かしら」 「・・・何が言いたい」 「最初に言った通り、あなたに与えられた期限は半年以上一年未満。それで駄目なら・・・」 「させるかよ」 最後までは言わせない。 「もしもの話なんていらねぇんだよ。俺はやるっつったらやる。それ以上もそれ以下の話も必要ねぇ」 「・・・・・・」 バチバチと見えない火花が飛び散る。 何事にも動じない同じDNAを持つ者同士、互いに一歩も引くことはない。 「・・・いいでしょう。期限は期限です。あなたがどのような手腕を発揮されるのか、お手並み拝見とさせていただきます。話はそれだけです」 そう言い残すと、楓はたった今来たばかりの道を戻っていく。 「待てよ。てめぇは知ってたのか?」 「・・・何のお話をなさってるのかしら」 部屋から出る寸前、司の投げかけた問いにその足が止まる。 「とぼけんじゃねぇよ。牧野の弟がうちに入ったことをてめぇが知らないはずがねぇだろ。一体何を企んでる?」 「・・・・・・」 ふぅっと呆れたように息をつくと、明らかな敵意を剥き出しにした我が子と向き合う。 「あなたがどう思おうと自由です。あの青年はうちの入社基準を満たしていた、ただそれだけのこと。それ以上もそれ以下もありません。わが社は不必要な人間を取り入れるほど暇な会社ではないことはあなたもよくご存知なのではなくて?」 「・・・・・・」 「仰りたいことはそれだけかしら? でしたらこれで」 フイッと視線を逸らしたと思った時にはあっという間に目の前からいなくなっていた。 正味何分の出来事だっただろうか。 まるで今起きたことが夢だったかのように、風のようにやって来て風のように去っていった。 あの女が額面通りプロジェクトの進行状況を聞くためだけにわざわざ足を運んだとはどうしても思えない。 「一体何を考えてやがる・・・?」 自分とはまた違う高貴な香りの残された部屋で一人、司は今起きたことの意味をいつまでも考えていた。 「 まさかまたここに来るなんて思いもしなかったな・・・ 」 目の前を流れるのは人の波、波、波。 もう長いこと忘れていた感覚に圧倒されそうになりながら、つくしは実に7年ぶりに東京の地へと足を下ろした。
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愛が聞こえる 45
2015 / 05 / 20 ( Wed ) 箱の中にあるのは決まって白か青の封筒ばかり。
そしてその一つ一つから微かなコロンの香りが漂い、それが何十通ともなれば箱を開けた瞬間に離れた距離にいてもわかるほどの香りを放つ。 決して忘れることのない世界にただ一つの香りを。 思わぬ再会を果たしてから早5ヶ月。 目を逸らし続けてきた時間の積み重ねが確かにここにある。 つくしは箱の底からうっすらと見覚えのある一枚の封筒を取り出した。 それは職場の司書づてに渡された最初の封筒だ。 あの時からこれまで、間接的に封筒の数は増え続けていった。 だが、ただの一度も開けることはなかった。 かといって捨てることもできず。 自分でも中途半端な行動だと重々自覚していたし、何度か捨てようと踏み切ったこともあった。 だがどうしてもできなかった。 『 万が一の時に後悔する資格なんてない 』 十以上も離れた少年に言われた言葉が重く重く心にのし掛かる。 一言一句、彼の告げた言葉は全てが正論だ。 もうずっと目を逸らし続けていた。 ___ 自分の気持ちから。 未来から。 自分と深く関わりをもたなければ、誰かを不幸にすることもない。 必死にそう自分に言い聞かせて生きてきた。 でも・・・ 『 今の俺を見て笑ってくれてんのかなって 』 この言葉が強烈な刃となって胸に突き刺さる。 ・・・本当に・・・? 本当に、誰かを傷つけたくなくて心を閉ざしてきた? 本当はずっと気付いていたんじゃないの? ____ 傷つきたくないのは、他でもない自分自身だったんだということに。 封筒を握りしめた手にギュッと力を入れて目を閉じると、油断すれば一気に呼吸が上がってしまいそうになる体を必死でコントロールしながら深呼吸を繰り返していく。 そうして自分の心を静めると、これまで封印され続けていた封筒を開けてゆっくりと中の紙を取り出した。 そこにはおそらくじっくり見るのは初めてであろうあの男の字が並んでいる。 最初にこの封筒を目にしたときにも率直に思ったことだったが、その字は普段の横柄な態度からは想像もつかないほど綺麗だった。 達筆とはまた違う、端正な字。 その字一つ見ても育ちの良さがわかる、そんな印象を与えるものだった。 「やっぱり何でもそつなくこなせるんだな・・・」 確かに、大財閥の上に立つ人間が書く字が下手だったら・・・それはそれで残念かもしれない。 自分が思っている以上に幼少期からずっとずっと厳しい躾や教育を受けてきたのだろう。 つくしはそんなことを考えながら封印の解かれた文字を目でなぞっていった。 『 牧野 ○月△日、7年にもわたる俺の地獄の時間が突然終わりを告げた。 俺にとってこの時間は生きていても死んでいるかのような、まさに地獄の日々だった。 蘇った記憶と共に考えたのは他でもない、牧野、お前のことだった。 やっとのことで見つけたお前には予想だにしないことが起こっていた。 その原因に俺があることは違いない。 7年もの間お前を突き放しておきながら記憶が戻ったからと再びお前を手に入れようとするなんて、自分勝手でどうしようもない奴だと誰もが思うことだろう。 そんなことはこの俺自身が一番わかっている。 どんなに詫びようとも取り返しのつかない7年が過ぎてしまったということを。 それでも、俺はお前を失えない。 あのまま地獄の底で沈んでいたかもしれない俺をすくい上げたのはお前だと信じてる。 そしてお前が今何かに苦しんでいるのなら、それを救い出すのも俺だと信じてる。 言い訳はしない。 己の過ちから目を逸らすことは絶対にしない。 何をどうしようと、過ぎてしまった過去を変えることはできない。 ならば俺はお前との未来を掴むためにどんな努力も惜しまない。 お前が自分と向き合うことができないのなら、代わりに俺が向き合う。 ・・・・・・必ず。 必ずこの手にお前を取り返す。 たとえ地獄の果てまででも、お前を追いかけて絶対に手放しはしない。 俺はお前との未来を信じてる 司 』 紙を持つ手が震える。 ・・・どうして・・・ どうして彼はこんなにも・・・ 震える手で急くように別の封筒の中身を取り出す。 『 うちの主治医と今日話す時間をつくって過呼吸についての話を色々と聞いた。 原因は当然ながら精神的なものが大きいと言われた。 だがきちんと時間をかけて向き合っていけば必ず治るとも言われた。 苦しいだろうがどうかお前にも向き合って欲しい。 散々苦しめてきた俺が言うのはおかしいのはわかっているが、お前が苦しむ姿を見ているのは辛い。お前を助けられる術があるのなら、俺はどんな情報でも手に入れたい 』 そこから先には再会したあの日つくしがやっていた対処法が今では危険だと言われるようになっていて、時代と共に対処法も変わりつつあることが書かれていた。それと同時に咄嗟の時にはどうすることが望ましいかなどが事細かに書かれていた。 おそらく遥人の持っていた紙にも同じ事が書かれていたのだろう。 他の封筒の半分ほどがつくしの過呼吸に関することだった。 『 あいつ、多分医者にでも会って色々聞いたんじゃねーのか? 』 遥人の指摘はその通りだった。 医者にでも聞かなければ到底知りようがないことが事細かに、かつ素人にもわかりやすく噛み砕いた言葉で書かれていた。 そしてもう半分は何でもないただの一言のようなものが書かれているだけ。 仕事でこんなことがあった、天気はどうだった、 全てが特に意味を持たない日常の一コマを切り取っただけの一言。 パタッ パタッ・・・ 手にしていた紙に一粒、また一粒と滴が落ちて染みこんでいく。 最初は数えられる程度だったそれも時間と共に紙全体へと広がり、次から次と滝のように滴り落ち始めた。 「 なんで・・・ 」 あの男がどれだけ多忙な生活を送っているかなど考えるまでもない。 この地に赴くまで片道3時間、往復すれば6時間、それだけの時間を確保することがあの男にとってどれだけ大変なことであるか。 それなのにこんなくだらない一言が書かれた手紙を渡すためだけにわざわざ足を運ぶなんて。 休む暇もないほどクタクタだろうに。 そんな中で無理をして来て事故にでも遭ったらどうするのか。 「バカじゃないのっ・・・?!」 どうして、どうしてあの男はこんなにも・・・ 『 己の過ちから目を逸らすことは絶対にしない。 未来を掴むためにどんな努力も惜しまない。 』 何故こんなにも強くいられるの。 一方で自分はどうだというのか。 度重なる不幸に自ら心を閉ざし、現実から目を逸らし、未来から逃げてきただけではないか。 誰かを傷つけたくないと言いながら、ただ自分が傷つくのが怖かっただけじゃないか。 「ほんとに・・・・・・バッカじゃないっ・・・?!」 何故こんなことにすら気付かなかったのか。 辛い現実から自分の心を守ることに精一杯で、大事なことに何一つ気付いてなどいなかった。 自分が大切な人は今のこんな自分を望んでなどいないということに。 どんなに夢の中で再会しても、どこか悲しそうに笑っているだけだった。 どうして? 何故? いつもそう思って悲しかったけれど、そうさせていたのは他でもない自分自身だったんじゃないか。 目の前の写真立てにいるのは眩しいほどの笑顔を見せる大好きな家族。 夢の中でももうどれだけこの笑顔に会えていないのだろうか。 でもそれは何ら不思議なことではなかったのだ。 自分が笑っていないのに、彼らが笑ってくれるはずがない。 全ては合わせ鏡だっただけ。 ___ 私が幸せでなければ彼らは幸せになれない。 こんなシンプルな答えに辿り着くまでに、一体どれだけの遠回りをしてしまったのか。 「ごめんっ・・・ごめんなさいっ・・・パパっ、ママっ・・・!」 大量の手紙の山に蹲りながら、つくしは声を上げて泣き続けた。 そんなつくしを、頭上の写真の中の4人が言葉もなくただ静かに見守っていた。 *** ガタッ・・・ 30分ほどひたすら泣き続けると、ぼんやりとする頭を奮い立たせてつくしはさらに別の引き出しを開けた。そしてその最奥からあるものを取り出す。 それもまた長年封印されたままで捨てられずにいたあるものを。 「・・・・・・」 しばらくそれと睨めっこを繰り返すと、つくしはボタンへと手を伸ばした。 充電などとっくに切れているだろう。 それ以前にとっくに壊れているかもしれない。 「・・・あ」 だがその予想に反してそれは光を取り戻した。 とても懐かしい光を。 「嘘・・・ついた・・・」 7年前に封印した携帯が今その力を蘇らせたのだ。 ・・・信じられない。 いくらバッテリーがある状態で電源を切っていたとはいえ、あれからもう7年も経っている。 それなのに電源が入るだなんて、奇跡だとしか思えない。 ____ まるで自分を後押ししているかのように。 「 ・・・・・・ 」 つくしはこの奇跡が天国にいる両親が起こしてくれたものではないかと思えてならなかった。 あり得ないことがあり得ている、この今が。 「・・・・・・・・・逃げてばかりじゃ未来は掴めない」 自分に言い聞かせるようにそう独りごちると、つくしは手にした携帯のボタンを押した。 ピリリリリリリッ ピリリリリリリッ とちょうどその時、鞄の中に入っていたつくしの携帯の音が部屋に鳴り響く。 その音にハッとして手の動きが止まった。 「・・・誰・・・?」 尚も鳴り続ける音につくしは手にしていた携帯を一度テーブルに置くと、鞄の中から急いで音を奏でる携帯を取り出した。 「・・・あ」 そして液晶に表示された名前を確認すると、つくしはすぐに通話ボタンを押した。 「 もしもし? 」
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