幸せの果実 29
2015 / 06 / 30 ( Tue ) 「ふ~、今日もいい汗かいたぁ。 ・・・よいしょっと」
額の汗を拭いながら随分大きくなったお腹を抱えてゆっくりと腰を下ろす。 類の渡仏から1ヶ月、7ヶ月に突入したつくしの体はすっかり妊婦そのものになっていた。 安定期に入ってからは体調も良く、従来の食欲にプラスしてつわりの反動を恐れたつくしが司に志願したのは、普段お世話になっている病院で定期的に行われているマタニティエクササイズだった。マタニティビクスだったりヨガだったり、内容はその時によって様々。 とにかく妊婦同士で気軽に楽しく運動をしましょうという主旨のものだ。 最初は妊婦が運動なんてとんでもない! と難色を示していた司だったが、あくまでも妊婦のために設けられた場であること、そういった活動は今では全く珍しくないことなどを医者から説明を受けたことでようやくゴーサインが出た。 ペースはまちまちだが、週末に司が仕事で不在時などの時間を活用してつくしも積極的に参加するようにしていた。 道明寺家御用達の病院ともなればそこはやはりセレブの世界。 つくしが顔を合わせる奥様達は基本的にセレブリティばかり。 ずば抜けてその頂点にいるのが自分だという自覚などあるはずもなく、つくしは完全に庶民目線でそのセレブの世界を楽しんでいた。 セレブとはいえ実態は様々。 司のように生まれたときから生粋のセレブもいれば、つくしのように庶民の世界から足を踏み入れた者まで。英徳時代に散々な思いをしているつくしは内心怖くもあったが、予想に反して出会った女性は誰もがフランクで付き合いやすい人ばかりだった。 あの道明寺司を射止めた女性として一目置かれていたというのを差し引いても、つくしが元来持つ魅力で互いに良い関係が築けているのは間違いなかった。 「元気だしなって。まずはお腹の子のこと考えよ? ねっ?」 「うぅっ・・・ぐずっ・・・」 「・・・ん?」 今自分が出てきた部屋から聞こえてきた声に顔を上げると、エクササイズの時に知り合いになった奥様2人がちょうど出てくるところだった。だが会話も様子も明らかにどこかおかしい。 1人が泣いていてもう1人が支えるようにして歩いている。 「どっ、どうしたんですか?!」 「あ、つくしさん・・・。 それが・・・」 慌てて立ち上がったつくしにどこか気まずそうな顔をしている。 と、泣いていた女性がゆっくりを顔を上げて言った。 「主人が浮気してたみたいなんです・・・」 「えっ?!」 浮気?! 全く想定だにしなかった答えにすぐに言葉が出てこない。 そんなバカな。 だって、だって・・・ つくしの視線を腹部に感じたのか、泣いていた女性が悲しげに笑った。 「・・・世の中には妻の妊娠中に浮気するような男もいるんですよ」 「そんな・・・!」 「実はこれが初めてじゃないんです」 「えっ・・・?」 「うちの人は私と結婚したくてしたんじゃないから。親から言われて仕方なく結婚しただけなんです」 「・・・・・・」 どこかで聞いたことがあるような非現実的な話だが、そういう現実があるということをつくしはもうよく知っている。 「私はあの人のことが元々好きだったから結婚できて嬉しかった。たとえあの人にとって本意じゃなくても、日々の生活の中でゆっくり私を好きになってもらえればいいって。そのために出来る努力はなんでもしてきた。・・・でも、お腹が大きくなってしまった私はもうあの人にとって魅力のある女性ではなくなってしまったみたいで・・・うっ・・・」 「の、野崎さん・・・!」 再び涙を流し始めた女性に慌てて駆け寄って抱きしめる。 互いのお腹がぶつかり合って思うように抱きしめてあげることができないのが嬉しことであるはずなのに、今だけはこんなにももどかしい。 野崎のお腹はいつ産まれてもおかしくないほどにパンパンに膨れ上がっているというのに。 「本当の話だとしたら許せないけど・・・でも何かの誤解かもしれないじゃないですか」 つくしの言葉にもすぐに首を横に振る。 「いいえ、間違いないです。あの人、前にも同じ事してるから・・・わかるんです」 「そんな・・・」 一度だけご主人を見かけたことがあるが、とても人当たりの良さそうな人だった記憶がある。 あんな人が身重の妻を差し置いて浮気なんてするだろうか・・・? ・・・いや、人を見た目だけで判断しては痛い目を見る。 そう見えない人ほど意外なギャップがあったりするのもまた事実なわけで。 いずれにせよ絶対に許せないことだ。 この人の代わりに一発殴ってやれたらどれだけいいかと思うほどに。 「とにかく今は元気な子を産むことだけ考えましょう? 赤ちゃんは野崎さんに会えるのを楽しみに待ってますよ」 「・・・そうですね。私にはこの子がいますもんね」 「そうですよ!」 つくしの力強い返事にぐずっと鼻を啜ると、野崎は目を真っ赤にしながら笑った。 その笑顔が胸が締め付けられるほどに痛々しい。 「・・・ありがとうございます。少し元気が出ました。皆さんもお腹が大きいのに変なお話を聞かせてしまってごめんなさい」 「そんなことは全然気にしなくていいんです!」 「ふふっ、じゃあまた次回もよろしくお願いしますね」 「それはこちらのセリフですよ」 力こぶを作ってみせたつくしにやっと彼女らしい笑顔を見せると、ペコッと頭を下げて連れの女性と共にその場からゆっくり離れて行った。つくしはただその儚げな後ろ姿を見つめることしかできない自分がもどかしくて堪らなかった。 *** 「あたしって実はすんごい幸せ者なんじゃない・・・?」 「え? 何か仰いましたか?」 「え? ・・・あっ! あたしってばまた口に出しちゃってました?」 「はい」 バックミラー越しに斎藤がクスッと笑う。 どうやら考え込む余りいつもの癖が出てしまっていたらしい。 「いえ、実は・・・今日ご主人の浮気に悩んでる奥様がいらっしゃって・・・」 「浮気・・・ですか。それはまたなんとも・・・」 「しかも今回が初めてじゃないらしいんです。浮気自体許せないですけど、よりにもよってお腹が大きいときにするなんてあんまりだと思いませんか?! 私だったら再起不能なくらいにおしおきしてやるのにっ!!」 「あはは、それは大変なことになりそうですね」 「・・・・・・」 「・・・つくし様? どうされましたか?」 急に静かになってしまったつくしに斎藤が思わず車を停めて振り返る。 「・・・・・・結局、それだって人ごとだから言えるんですよね。いざ自分が本当にその立場に置かれたら・・・ショックで実際は確認することすらできないような気がします」 「つくし様・・・」 もしも。 あり得ないとわかっていても、そのもしもを想像するだけでもこんなにも胸が苦しい。 万が一にもそのもしもがあったら自分はどうなってしまうのだろう・・・ 「クスッ」 「・・・え?」 笑い声にハッと顔を上げると、何とも表現するのが難しい顔で斎藤が笑っている。 「怒られますよ」 「えっ?」 「そんな 『もしも』 を想像したってだけでも司様に怒られてしまいますよ。天地がひっくり返ろうとそんなことがあり得ないってことはつくし様が誰よりも一番ご存知なのではありませんか?」 「斎藤さん・・・」 ・・・そう。 そんな 『もしも』 なんて絶対にあり得ない。 自分の夫がそういう男だということを一番間近で見てきたのはこの自分ではないか。 「・・・あはっ、ほんとですね。こんな話してたってばれたら雷が落ちちゃいます」 「仰る通りですよ」 「ということでこれは私と斎藤さんだけの秘密ですからね?」 「えっ? ふふふっ、そうですね。そういうことにしておきましょう」 「ふふふっ」 顔を見合わせて笑うと、斎藤は大きく頷いて再びリムジンを走らせ始めた。 自分たちには自分たちの、人には人の、それぞれにしかわからない歴史がある。 ここに辿り着くまでは決して平坦な道のりではなかった。 自分たちが掴んだこの未来を、今を大切に。 今ある幸せに感謝をしてこれからも生きていこう ____ つくしは窓の外を流れる景色を見つめながら、お腹に手を当ててあらためてそう心に誓った。 *** 「つくし、ちょっといいかい?」 夕方を過ぎ、あとは司の帰宅と夕食を待つばかりとなった頃、突然タマが部屋を訪ねてきた。 少しベッドで横になっていたつくしが体を起こす。 「ゆっくりしてるところを申し訳ないね」 「そんなことは全然構わないんですけど・・・どうかしたんですか?」 大抵この時間はゆっくり横になっているのをタマは熟知している。 だから普段なら余程のことがない限りこの時間に部屋を訪れることはないのだ。 その上でこうして来ているということは・・・ 「ずっと黙ってるつもりだったんだけどねぇ・・・」 「え・・・? 何がですか?」 「・・・・・・少しだけついてきてもらってもいいかい?」 「・・・?」 今はそれ以上を語ろうとはしないタマだが、彼女ほどの人物が何の考えもなしにこんなことを言うはずがない。きっとそこには自分にとって大事な何かがあるに違いがないのだ。 「わかりました」 タマに全幅の信頼を置いているつくしは、それ以上何も聞かずに頷くと静かに立ち上がった。 タマはそんなつくしの体を気にかけながらゆっくりと歩き出すと、つくしもそれに続いて部屋を後にした。 「ここは・・・?」 連れてこられたのはつくしとタマにとってはとても懐かしい場所とも言える。 あの雨の日、司との別れ、そしてタマとの別れを経験した通用門のある場所だ。 こんなところに一体何の用が・・・? 「あんたにどうしても会いたいって人がいるんだよ」 「あたしに?」 来客ならば普通に正門から来ればいいようなものを、何故こんな場所で? まるで隠れるかのようにこんなところで・・・ カツン・・・ 不思議そうに辺りを見回したつくしの耳に革靴の音が聞こえてきた。 ハッとそちらを見ると、そこには思いも寄らぬ人物が立っていた。 「・・・・・・遠野、社長・・・?」
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彼と彼女の事情 4
2015 / 06 / 29 ( Mon ) スースーと眼下で寝息を立てる女・・・もとい 「俺」 の目尻はまだ濡れている。
拭って頭を撫でてやろうとしたところで我に返り、伸ばした手をグッと握りしめた。 「・・・・・・何が悲しくて自分にこんなことしなきゃなんねーんだ。・・・・・・クソッ!」 やり場のない苛立ちを押さえるように立ち上がると、尚も眠り続ける牧野を寝室に残してリビングへと足早に戻る。そしてテーブルに置かれたままになっていた携帯を乱暴に掴んでひっくり返るようにしてソファーにダイブした。 あの後、たかだかトイレを済ませるだけでも散々だった。 結局選択を迫られた牧野が選んだのは自力でするというもの。 とはいえ当然ながら直接見ない、触れないという大前提付き。 ガラガラと紙をこれでもかと引っ張り出して泣きながら触ったんだろう。あんなにペーパーホルダーが回転する音を聞いたのは生まれて初めてだったっつーくらいに大量に出してやがった。 ざけんなっ! 俺様の大事なもんをまるで新型ウイルスのように扱いやがって。 泣きてぇのはこっちの方だっ! しかもやっとのことでトイレ騒動が終わったと思った矢先、今度は俺の方が用を足したくなった。 俺だって女の体に詳しいわけじゃねーが、とりあえず男と違ってただ座ってやりゃあいいってことくらいはわかる。しかも大事なところを見る必要だってない。 だから何の問題もなく済ませようと思ったのに・・・ あのヤロウ、またしても嫌だ嫌だと号泣しやがった。 結局タオルか何かを下半身に掛けた状態でやるということでなんとか落ち着いたが・・・ そんなん根本的な解決になんざなってねぇ。 生理現象はこれから嫌ってほど繰り返されるし、フロにだって入らなきゃなんねぇ。 んなときにいちいち体なんて隠してられっか! セックスだってした仲だっつーのに今更それくらいで何言ってんだ!! ・・・といってやりたいのは山々だが、やったとは言ってもまだたったの2回。 俺はともかく、牧野からすればほぼほぼ未経験も同然な状態なんだろうとは思う。 実際、俺はあいつの体のほとんどを見てるのに対しておそらくあいつはまともに見ちゃいねぇ。つーか見れるような性格じゃねぇのは百も承知だ。 最初はすっげー泣いてたし、2回目は泣きこそしなかったが、見たところまだ気持ちがいいとか感じるまでには至ってねぇだろうってことは俺にだってわかる。 あいつらだって言ってたが、どんなに経験があってもこればっかりはどうにもならねぇらしい。 とにかく時間をかけて、女の反応を見ながらじっくり慣らしていくしかねぇって。 あいつを待たせた俺が言うのもなんだが、そっちのことに関しては充分待ったと思う。 決して焦ってるつもりも無理強いしたつもりもない。 お互い合意の上で極々自然な流れで最初の時を迎えた。 この歳にして初めて知った女っていうのは・・・想像以上に凄かった。 それはもう言葉でなんか簡単に表せねぇくらいに。 当たり前のことだが、女なら誰でもいいって問題じゃねぇ。 この俺が心底惚れて、心底欲しいと望んだあいつだったからこそ得られた快感だ。 だからもっともっとあいつといたいと思ったし、もう少しだって離れていたくねぇと思った。 それなのにあの女、相変わらずわけのわからねぇ御託を並べるばかりでてんで埒があかねぇ。 人がどんな思いでこの5年を突っ走って来たのかわかってんのか! あのヤロウ! ・・・そんな中で起きた今回のあり得ないこの状況。 「ったく、ようやくあいつと一緒にいられると思ったのに・・・俺は呪われてんのか?!」 体が入れ替わったって愛し合うことはできる。 でもそれじゃあ意味がねぇ。 俺が愛したいのは牧野つくしただ一人。 頭のてっぺんから足の爪先まであいつじゃなけりゃあ意味がねぇんだよ。 「くっそ、とにかく現状を何とかしねぇとな・・・」 ピピピッ 携帯の画面を見ると短縮2番へとコールする。 今現在夜中の3時過ぎ。 普通で考えれば電話なんてしねぇ時間だろうが今はそんなことなんざ言ってられねぇ。 プルルルルルッ プルルルルルッ プルッ・・・ 『 ・・・・・・はい。 いかがなされましたか 』 ましてや相手がこいつなら尚更のこと。 緊急時ほどこの男の存在は欠かせねぇ。 「俺だ。ちょっと厄介なことになった」 『・・・・・・・・・・・・』 「・・・おい? 聞いてんのか?」 予想通りこんな時間にも関わらず電話に出た男だったが、こっちの声を聞いた途端黙り込んでしまった。 話しながら自分ですっかり忘れていたがそれもそのはず。 今は俺であって俺じゃねぇんだから。 『・・・はい。申し訳ありません、もしかして牧野様でいらっしゃいますか?』 「表面的にはそういうことになる。だが間違いなく俺だ」 『・・・・・・牧野様、今どちらに? 司様は近くにいらっしゃらないのですか?』 こいつ・・・牧野が酔っ払ってわけのわかんねぇ電話したとでも思ってやがるな。 つーかまぁそう思うのが普通だろうな。 「おい西田。細けぇことは後からだ。とにかく今話してんのは牧野であって牧野じゃねぇ。俺だっつーことだけは言っておく。全てはマンションに来てからだ。さすがに今すぐ来いとは言わねぇ。だがお前の段取りがついたらすぐにマンションまで来い。わかったな」 『・・・・・・』 西田からすりゃあどう考えても酔っ払いの戯れ言にしか聞こえねぇだろう。 誰がどう聞いても牧野の声なんだから。 だが同時にどんなに酔っても牧野がこんなことをあの西田に言うはずがないってことにだって気付いてるはずだ。 『・・・・・・かしこまりました。1時間ほどでそちらに向かいますのでお待ちください』 ほらな。 わけのわからねぇ状態でも冷静さを失わねぇ。 こんなときこそこの男の力が必要だ。 「あぁ、頼んだぞ」 そう言ってすぐに通話を終了すると、携帯を持ったまま手を額に載せてはぁ~っと息を吐いた。 これで何度目になるかもわからない。 目を開けたら夢でした・・・そうあってくれたらどれだけいいか。 何故だかそんな願いは叶わないと確信を持ちながら、少しでも自分を落ち着かせるために俺は静かに瞳を閉じた。
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彼と彼女の事情 3
2015 / 06 / 28 ( Sun ) 「嘘・・・でしょう・・・?!」
「残念ながら嘘じゃねぇ」 そう返ってくるのはわかっていても言わずになどいられない。 今更ながらにようやく気付く。 自分の発している声がとてつもなく低くて太い声になってしまっていたという現実に。 そしてあの時確かに道明寺が自分を守ってくれたと思ったのは気のせいなんかじゃなかった。 『 守ってくれたからこそ痛かった 』 何故ならあたしが 「道明寺」 になってしまったのだから。 「つーかマジかよ・・・どうすりゃいいんだ?」 ぼりぼりと目の前であぐらをかきながら頭を掻きむしる男・・・じゃなくて 「あたし」 が。 「ちょっとっ! あたしの体でそんな格好しないでよっ!」 「うおわっ?! 何だよ?! 仕方ねーだろ、自然に出ちまうもんは!」 「やだやだやだやだ! いくらあたしでもそんなことはしないんだからっ!!」 「つーかそりゃこっちのセリフだ! 俺の姿でんな気持ちわりぃセリフ吐くんじゃねぇよ! 鳥肌が立ってしょうがねぇっつーんだよ!」 「そんなこと言ったって中身は 『あたし』 なんだからしょうがないじゃん!」 「それを言うなら俺だって一緒だっつの!」 道明寺の言葉は至極正論で。 この状況にどうしていいのかわからないのは彼だって同じに決まってるのだ。 「う゛っ・・・」 「おっ、おいっ?!」 あっという間に瞳が潤んでいくあたしに、目の前の 「あたし」 がみるみる慌てていく。 「うわぁ~~~~んっ!!!」 「おいっ、泣くなっ! つーか俺の姿で泣くとかマジでやめろっ! どう考えても罰ゲームじゃねーか! おい牧野っ、頼むからやめてくれっ!!」 「そんなん言ったってムリ~~!! うわあ~~~んっ!!」 「・・・マジかよ・・・」 目の前で突っ伏しておーいおいと泣き出してしまった 「自分」 を目の当たりにすると、道明寺はクラッと一瞬目眩を起こしながら天を仰いだ。 *** すっかり雷雨のおさまった深夜の室内はシーーンと静まり返っている。 ソファーに座って向かい合って互いに難しい顔をしたまま。 「・・・・・・どうするの・・・?」 「・・・・・・」 聞いたところで道明寺に答えがわかるはずがない。 だって自分にだって何をどうしていいのかわからないのだから。 あれからしばらくして泣き止むと、2人で何とかして元に戻る方法はないかと試みてみた。 当時の状況からわかることは、雷が鳴っていたこと、激しく転んだこと、体が密着していたこと、 せいぜいこの程度のことしか考えられないと思う。 そもそも本当にそれが原因なのかすらわからないのだけれど。 でも何も行動に起こさないなんて選択肢はあたし達にはなかった。 だからまだ鳴り響いていた雷のタイミングを狙って何度もあの時の再現をしてみた。 ・・・けれど、繰り返せど繰り返せど何一つ変化はなく。 いや、あるとしたら互いの体が痛くなっていくだけという何とも有難くない変化だけ。 結局2時間ほどそんなことを繰り返しながら今に至るのだ。 「はぁ・・・なんでこんなことになっちゃったの・・・」 「・・・・・・」 相変わらず黙り込んだままの道明寺に、思わず頭を抱えて項垂れてしまった。 なんで? なんでこんなことに・・・?! これが夢じゃないということはさっき互いに散々頬をつねり合って証明済みだ。 こんなあり得ないことが夢じゃないなんて、もしかしてあの世に来たんじゃないかとすら思える。 それくらいに信じられないしあり得ない。 ___ まさか互いの体が入れ替わっちゃうだなんて。 ギシッ・・・ 「 ?! 」 ソファーのすぐ隣が沈み込んでハッと横を見たときには既に手が握りしめられていた。 その手は今の自分よりも一回りも小さい。 そして目線だって頭一つ分低いところにある。 どこからどう見ても 「牧野つくし」 そのもので。 「大丈夫だ。根拠はねーけど心配いらねぇ。なんとかなる」 「道明寺・・・」 それなのに。 不思議なくらい目の前にいるのが 「道明寺」 にしか見えなくなる瞬間があるのだ。 きっと道明寺だって混乱しまくっているに違いないのに。 動揺してるのはあたしだけじゃないに決まってるのに。 こうして1人混乱しまくっているあたしを落ち着かせようとしてくれている。 あぁほら! そんなことを考えるだけでまたドキドキしてきちゃうじゃないか。 ダメダメダメ! 今はそれどころじゃないんだから。 まずはこのあり得ない状況をどう乗り越えるか、それだけを考えなきゃ。 「・・・っていうかさ、週が明けてもこのままだったらどうなっちゃうの・・・?」 そう。 不幸中の幸いか今は金曜日。 土日でこの状況が打破されていなければ月曜から一体どうすればいいというのか。 お互い仕事だってある。 百歩譲って道明寺があたしレベルの仕事をやるには何の問題もないだろうけど、あたしが道明寺の仕事をやるなんて・・・ 「むっ、ムリムリムリムリ! あたしに道明寺の代わりなんてぜっっっっっったいにムリっ!!」 「おい、落ち着け! 最悪の場合の対策は土日の間になんとか考えればいいから」 1人パニック状態のあたしを道明寺は必死で宥める。 っていうか・・・ 「・・・なんで道明寺はそんなに落ち着いてるの? こんなあり得ない状況になってるのに! ねぇなんで?! 怖くないの? 焦らないの? なんでっ・・・」 「わかったからちょっと落ち着けっつってんだろ!」 目の前の 「あたし」 の両腕を掴んで必死に問い詰めるあたしに 「あたし」 が声を荒げる。 自分の声なはずなのに驚くほど野太く聞こえて、思わず体が竦み上がった。 道明寺はそんなあたしを見てはぁっと大きく息を吐き出した。 「・・・悪ぃ。ただ、無理矢理にでも冷静にしてねーと頭の中がパニックになりそうで・・・。俺だって混乱してるに決まってんだろ。だからって2人してパニくってたってどうにもならねーだろうが。お前の焦りも苛立ちもよくわかるから、とにかく少し落ち着け。・・・わかったか?」 「・・・・・・うん、ごめん・・・」 一言一句全てが正論過ぎて、もはやぐうの音も出ない。 すっかり意気消沈してしまったあたしを見て再び道明寺が溜め息をついた。 「別に謝る必要はねーよ。つーか俺の姿でそんなションボリするとかマジでやめろ。さっきから鳥肌が消えねぇんだよ」 「そんなこと言ったってムリだよ・・・だって中身はあたしなんだもん」 「・・・はぁ~、マジでなんでこんなことになったんだ・・・」 額に手をついたまま再び天を仰いだ道明寺・・・もとい 「あたし」 の足がパカッと開いている。 「だからっ!! 足開くのやめてって言ってるでしょ!」 「あぁ?! 中身は俺なんだから仕方ねぇだろうが!」 「やだやだやだ! 元に戻ってもそのままになってそうでやなんだもん!」 「 『だもん』 とか 『やだやだ』 とか俺の顔で気色わりぃこと言ってんじゃねーよ! つーかそれ言うならお前だって内股で座るのやめろっ!!」 「そんなのムリっ!!」 「だったら俺だってムリだってんだよ!」 ギャーギャー結局辿り着く場所は同じ。 何一つ解決の糸口なんて見つからない。 それでも、今はこうして騒いでなきゃとてもじゃないけど落ち着いてなんていられなくて。 て・・・・・・。 「・・・・・・・・・」 「・・・? おい、急に黙り込んでどうした?」 急激に黙り込んで俯いてしまったあたしを道明寺が心配そうに覗き込む。 「おい牧野。 まき・・・」 「・・・・・・どうしよう」 「は? つーかお前顔が真っ青じゃねーか。どうしたんだよ?!」 ゆっくり顔を上げたあたしを見て道明寺の顔が驚きに染まる。 それもそのはず。多分今のあたしの顔からは血の気が引いているはずだから。 「・・・・・・たい」 「は? 聞こえねぇよ。今なんつった?」 「・・・トイレに行きたい」 「は・・・」 そう言って互いに見つめ合ったまましばし空気が固まったのがわかった。 考えなきゃならないことは山ほどある。 万が一月曜になってもこのままだったらどうしようとか、金太郎飴のように問題は尽きない。 ・・・でも。 でもっ!!! もっと現実的な問題が今そこにあるじゃないか! 今そこに迫る危機が!!!! 「道明寺ぃ~、どうしよう、どうすればいいの?!」 「ま、待てっ! とりあえずトイレ行くぞ!」 うるうると涙目のあたしの手を引っ張ると道明寺はトイレへと急いで連れて行く。 「ほら、行ってこい!」 「えっ?! むっ、ムリだよ!! 男の人の体なんて何もわかんないもん! ムリムリムリっ!」 「手で掴んですりゃあいいんだよ!」 手で掴む・・・? な、なに、何を・・・ ナニを・・・? 「ひぃっ! むっ、ムリムリムリムリムリっ! 死んでもムリ~~~~~っ!!」 「仕方ねぇだろが! 男は皆そうしてんだよっ!」 「だってあたしは男じゃないもん~~! むりむりむ゛り゛ぃ~~~~っ!!!!」 「じゃあションベン我慢できんのかよ!」 「それもム゛リ゛~~~~!!」 もうあたしはほぼほぼ泣いてると思う。 道明寺の姿のまま。 「チッ・・・! 仕方ねぇな」 そう言うと、見た目はあたしの道明寺が見た目は道明寺のあたしの体を押して自分の体ごとトイレの中へと入って来た。超高級マンションだけに大人2人が入ったところで中は広々空間だ。 「えっ、なに? 何するの?!」 「決まってんだろ。そんなに嫌ならお前は目ぇ閉じてろよ。俺がやってやるから」 飛び出したトンデモ発言に思わず粗相してしまいそうなほどに飛び上がる。 「はっ?! 何言ってんの?!」 「お前がムリなんだったらそうする以外ねーだろが。ほらいいからズボン下ろすぞ」 パニックを起こすあたしとは対照的に道明寺は努めて冷静にベルトへと手を掛けた。 呆然としていたのがカチャカチャという音でハッと現実に引き戻される。 「いやーーーーーーっ! ムリムリムリっ!! あたしの体でそんなことなんて絶対にムリっ!!」 「中身は俺なんだから気にするんじゃねぇよっ!!」 「ぜったいにムリーーーーっ!!! 目の前で自分があ、あ、あんなもの触ってる姿なんて絶対に耐えられないっ!」 「おいっ、あんなものとはなんだあんなものとは!」 「とにかくムリなものはムリなのぉっ!!」 「じゃあションベン漏らしてもいいんだなっ!」 「それもいやああああああああああっ!!!!」 深夜の高級マンションに野太い男の悲鳴が響き渡る。 あぁ神様。 今からでもいいからやっぱり夢だと言ってください!!
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彼と彼女の事情 2
2015 / 06 / 27 ( Sat ) 道明寺が帰ってきたのは約束の4年・・・から更に1年過ぎた2ヶ月前のことだった。
4年が過ぎる頃、ちょうどその時手がけていたプロジェクトが山場に差し掛かっていたとかで、結局なんだかんだと1年延びてしまったのだ。 そのプロジェクトが成功に終わると、道明寺は23歳という異例の若さで副社長というポストに就いて日本へと戻ってきた。まぁ彼の生い立ちを考えればそれは自然の流れだったのかもしれないけど、多分そういうことじゃなくて実力で勝ち取ったものなんだと思う。 5年の間に全く会えなかった・・・ということはさすがになかった。 あの悪友達に半分騙される形で2回渡米したことがあるのだ。 ・・・とはいえ当然ながら向こうは多忙の身。 ゆっくりデートらしいデートををする時間なんていきなり作れるはずもなく。 当然ながらあたしだってそんなことは望んでなんかいなかったわけで。 見るに見かねた彼らにNYを案内してもらいながら夜はひたすらあいつの帰りを待つ。 一見すっごく悲しい女に見えがちだけど、それでもあいつは必死に時間を作ってくれたんだと思う。 強がりでも何でもなく、あたしはそれだけでも充分幸せだった。 夜遅くに帰ってきて数少ない2人だけの時間を過ごす・・・ なんて言うと甘い響きに聞こえるけど、自分の間の悪さは折り紙付き。 タイミング悪く 「あの日」 になってしまったあたし達に甘い展開など結局なく。 お前は狙ってんのか! なんて恨み節半分に言ってたけど、きっとそれはあたしが必要以上に気に病まないようにするためのあいつなりの優しさだったんだと思う。 でもタイミングが悪いのはあたしだけじゃなかった。 たまーーーーーーに、しかも、何の前触れもなくある日突然あいつが帰国してきたこともあった。何でも仕事で東南アジアに飛ぶ前に立ち寄ったんだとか言って。 でも何にも話を聞いてないあたしは当然バイトを入れているわけで。 帰ってきたからじゃあ仕事をドタキャンしますなんてできるはずもない。 あいつはギャーギャー文句言ってたけど、彼氏が突然帰ってきたから仕事休みます! なんてことがまかり通ってたら社会人なんて成り立たないに決まってる。 そんなことの繰り返しの5年を経てついにあいつが帰ってきた。 正真正銘この日本の地に。 5年の間に何度か会ってるわけだし、テレビや雑誌を通していつもあいつの活躍を見てきた。 だから再会だって今更照れるようなことでもない。 ・・・そう思ってたのに。 帰ってきたあいつはまるで別人のように見えた。 悔しいけれど、あいつが底抜けにカッコイイ男なのは誰の目にも明らかな事実なわけで。 でも帰ってきたあいつをそう見せていたのはそれだけじゃなかった。 5年という年月を過ごしてきた自信がそうさせているのか、自分が知っていた道明寺司からはひと回りもふた回りも大きく、そして輝いて見えた。 ___ 直視できないほどに。 帰国してしばらくはさすがのあいつも多忙を極めていた。 あたしもこの4月から社会人になったばかりだったし、ほんとに日本に帰ってきたの? ってくらいにすれ違いの生活が続いてた。 それに痺れを切らしたのはあいつの方で。 今すぐにでも結婚するぞと言い出した。 ・・・いや、正確には会えないからそう言い出したわけじゃないんだけど。 でもこんなに忙しい中で結婚だなんてあまりにも現実離れしすぎた話だった。 今以上にてんやわんやになるのなんて目に見えていて、想像するだけでも恐ろしい。 いつか結婚するならあいつしかいないって考えに変わりはないし、そんな焦った気持ちでするものでもないって思う。 せめてもう少しお互いが落ち着いてからでも決して遅くはない。 すぐには無理という答えを突きつけたあたしにあいつは納得してなかったけど、じゃあだったら同棲だけでもと、今度はマンションを準備しやがった。 おもちゃを買う感覚でいとも簡単にポン、と超高級マンションを。 言われてすぐにはいそーですか、なんて言うようなあたしじゃないから当然同棲はお預け状態だったのだけど。 ・・・その、いわゆる 「男女の関係」 というものをもってしまったのだ。 ついにというか、やっとというか。 もう痛いやら恥ずかしいやらではっきり言ってその時の記憶なんてまともに残ってないんだけど。 それでもすごく幸せな気持ちで満たされたってことだけは揺らぎようのない事実だった。 あぁ、あたしはこの男のことが心から好きなんだなって心の底から思った。 だって、そうじゃなきゃあんなことなんて絶対無理でしょ?! 好きでもない相手とあ、あ、あんなことができる人間が信じられない!!! 経験したからこそ尚更強くそう思う。 そんなこんなの初体験から約3週間。 その間に 「そういうこと」 があったのはまだわずか2回。 なかなか思うように会えないっていうのが第一だけど、恋愛ビギナーのあたしにとってはむしろこれくらいのペースの方が有難くて助かってたり。 対照的にあいつの方はますます結婚したい、同棲したい願望が強くなる一方のようだった。 ようやく結ばれたともなれば、男性心理を考えればきっとそれも当然のことなんだろうとは思う。 だから会う度にそればっかり言われては平行線を辿る日々だった。 ・・・というか正直なところ、今は道明寺を真っ直ぐに見られないのだ。 もちろん嫌だからじゃない。 その反対で、恥ずかしすぎて直視できないのだ。 帰国した時から感じてた何とも言えない違和感に、エ、エッチをしたことで気付いてしまった。 ・・・あいつがカッコ良すぎて、ドキドキし過ぎて自分が自分らしくいられないということに。 あぁ! こんなのあたしらしくない! こんな乙女乙女した思考なんてあり得ない!! 気持ち悪いっ!!! 心底そう思うのに、いざ顔を合わせると平常心なんて保っていられない。 あいつに悟られないようにしようと思えば思うほど、可愛くない態度になってる自覚はある。 だってしょうがないじゃん! ほんとに普通にしてられないんだから! 一体どうすればいいの?! こんな状態で結婚だ同棲だなんて絶対にムリ!! いや、実際問題まだ早すぎると思ってはいるんだけど、せめて自分が平常心を保てるようになってからにして欲しい。 あなたに会うとドキドキが止まらないからもうちょっと待って! ・・・だなんて言えるはずもなく。 だから現実的な話としてなんとかわかってもらおうと必死で説得してはいるものの・・・ あの男がそう簡単に納得してくれるわけがない。 だから会えば結局言い合いになることが増えていってたんだ。 ____ それなのに。 「・・・・・・・・・何、これ・・・。どういうこと?」 目の前に見えている光景が全く理解できない。 あたしの体に乗っているのは・・・あたし。 ・・・・・・・・・ってどういうこと?! 「・・・・・・つーかなんで俺がそこにいんだ?」 「えっ?!」 目の前で呆然としていた 「あたし」 がようやく口を開いた。 ・・・かと思えばその口調はどう考えても 「道明寺」 そのもので・・・ っていうか今何て言った? ナンデオレガソコニイル・・・? 「えぇっ?!」 ガバッ!! 「おわっ?!」 「あっ!」 ゴツッ!! 「きゃあっ、ごめんっ!! 大丈夫っ?!」 突然体を起こした勢いで目の前の 「あたし」 がいとも簡単に後ろへと転がってしまった。 慌てて手を伸ばしたところでハッとする。 こ、この手は・・・ この大きくて骨張ってて、それでいてウットリするほどに綺麗なこの手は・・・!! 「どっ、どういうことっ?!」 真っ青になりながら両手で押さえた顔は明らかに自分のものとは違う。 「いってぇ~・・・」 「ハッ! だ、大丈夫?! 道明寺っ!」 頭を押さえながらやっとのこと体を起こした 「あたし」 に咄嗟に出た一言。 『 道明寺 』 目の前にいるのは間違いなく 「牧野つくし」 だというのに。 どうして自然と道明寺だなんて口にしたのだろうか。 「・・・・・・どうやら間違いねぇみてーだな」 「・・・え?!」 尚も痛みのせいか顔を歪ませている 「あたし」 がハァッと大きく息を吐き出すと、こっちを見ながらゆっくりと口を開いた。 「俺とお前の体が入れ替わっちまったらしい」 あぁ、神様。 どうか夢だと言ってください。
新作が楽しくて合間合間に息抜きしまくってます(笑) そしてチビゴンの病気がアデノウイルスだと判明しました!まだまだ熱はありますが、とりあえず原因が判明したことに関してはホッとしてます。原因がわかって気持ちが楽になったので、できる限り更新頑張っていきますね♪ ただコメント返事だけはごめんなさい、もう少しお休みいただきますm(__)m でもコメントいただけるのはとってもとっても嬉しいです!・・・ってワガママですね(^_^;) |
彼と彼女の事情 1
2015 / 06 / 26 ( Fri ) 「牧野さーん、さっき携帯鳴ってたわよ?」
「え? ・・・わかりました。ありがとうございます」 隣のデスクに座る先輩の親切心も正直今はありがた迷惑でしかない。 とはいえ教えてもらっておきながら無視するわけにもいかず。 「・・・はぁ・・・」 せっかくの休憩だったというのに、戻って来て早々誰にも聞こえないように溜め息をつきながら恐る恐る携帯をチェックする。 こんなに気が重いのにはちゃんと理由がある。 だって・・・ 「・・・・・・ほらね」 中身をチェックして再び溜め息が出た。 『 今夜8時 マンションに来い 』 有無を言わさない俺様口調。 こっちの都合なんてお構いなし。 行こうが行かまいがどうせ逃げられやしないのだ。 間違いなくSPにこっちの行動を監視させているに違いないのだから。 「ほんっと俺様を中心に世界を回してるんだから」 「え? 何か言った?」 「あ、いえっ、何でもありません!」 ガバッと慌てて携帯をカバンに突っ込む。 「もしかして、デートのお誘い?」 「えっ?!」 「あら、違った?」 「あはは・・・まさか。そうだったらもっと嬉しそうな顔してますよ」 ・・・そう。 デートどころかむしろ地獄への招待状のようなもんだわ。 「・・・確かにそうかも。なんか眉間に皺が寄ってるしね」 「はははは、そうですそうです」 乾いた笑いをするのが精一杯。 全く、皺が取れなくなったら一体どうしてくれんのよ! 超高級美容整形で顔中の皺ごと取ってもらうんだからね! 「デートじゃないんなら、よかったら今日牧野さんも合コン行かない?」 「ご、合コン?!」 「そう。なんと! 今日はY社の男性陣との合コンなのよ。かなりのハイスペックが揃うらしいから、なかなかないチャンスよ~!」 Y社・・・確かにエリートが集う会社に違いない。 普通なら眉唾もののお誘いなんだろうけど・・・ 「・・・ごめんなさい。お誘いは有難いんですけど、私そういうのはちょっと・・・」 「え~、また?! っていうか牧野さんこの手の誘いに1回ものったことないよね? 飲み会参加も必要最低限だし。やっぱり付き合ってる人が・・・?」 「あぁっ! 私午後の会議の資料の準備で終わってないのがあったんです! ごめんなさい、ちょっと失礼しますっ!」 「え、ちょっと、牧野さんっ?!」 それ以上の追及から危機一髪逃れると、脱兎の如く資料室へと逃げ出した。 「はぁ~~~~っ。もうなんで女ってこういう詮索が好きなのかな・・・」 それとも一切合切興味のない自分が異端児なのだろうか。 「あ~~、気が重い」 今日何度目かわからない溜め息をつくと、重い腰を上げて書類へと手を伸ばした。 *** 「・・・・・・・・・・・・遅ぇぞ」 むかつくほど高級な革張りのソファーにむかつくほど長い足を組んでむかつくほど偉そうな態度で開口一番そうのたまった男に顔を合わせて早々カチーーンとくる。 どしゃ降りのひどい天気の中わざわざ来てみればいきなりこれだ。 「遅いって、これでも都合つけて来たんですけど? 文句言われる筋合いなんてない」 「・・・来て早々何キレてんだよ」 「キレてんのはそっちでしょ?!」 「あぁ? お前だろうが!」 ガタンっ! と音をたてて立ち上がった男はこれまたむかつくほどスタイルがいい。 っていうかいちいち見上げるの首が痛いんだから立ち上がらないでよ! 「・・・で、何? SPに半ば無理矢理拉致させるような形で呼び出して」 「何じゃねーよ。話なんて1つしかねーに決まってんだろ。お前こそ白々しいこと言ってんじゃねーよ」 明らかに声のトーンが下がったのがわかる。 本気でいらついてる証拠だ。 ・・・ここは冷静に、至って冷静に。 「・・・はぁ。だからすぐに結婚は無理だって言ったじゃん」 「なんでだよ」 「なんでって・・・その理由だって散々話したじゃんか」 「俺にはさっぱり意味がわかんねーな」 「わ、わかんないって!」 「だってそうだろ? 俺は4年後にお前を迎えに来るっつったんだ。・・・まぁ実際は5年かかっちまったけど。でも自分の責任は果たした。だからお前と結婚する。それの何が悪い?」 「悪いってわけじゃ・・・」 「じゃあ何なんだよ」 「・・・・・・」 また、だ。 いつも同じ事の繰り返し。 何度理由を説明したところで理解してはもらえない。 そりゃあこの男の言うことだって正論なのはわかってる。 確かに4年後迎えに来るって言った。 実際には5年後になったけど、そこに文句を言うつもりはない。 こいつがどれだけ頑張ってたのかをこれでもかってほどに知ってるから。 でもこっちだってちゃんと待ってたんだ。 だから今度は少しくらいこっちの気持ちを待って欲しいと望んだってバチは当たらないんじゃないの? 「・・・あたしも仕事始めたばっかりだし、帰国しました、はい結婚しましょう、じゃなくてさ。もう少し落ち着いてからでも・・・」 「んな必要ねーよ。どっちにしたって結婚することに変わりはねぇ。だったら今すぐすりゃあいい。お前のぐだぐだに付き合ってたらいつになるかなんてわかったもんじゃねーからな」 カッチーーーーン! ・・・ほらね。 結局こうなっちゃうんだ。 いつだって冷静に話し合おうとしてるのに、ちゃんとこっちの想いを伝えようとしてるのに、結局この男はこの捨て台詞でバッサリ切り捨ててしまうのだ。 いつだって。 いつだって!!! 「・・・・・・もういいよ」 「あ?」 「もういい」 「もういいって・・・じゃあ結婚するってことだな?」 どこまでも俺様思考でめでたすぎる。 ・・・腹立たしいほどに。 「道明寺がそういうスタンスを崩さないならあたしにだって考えがある」 「・・・は?」 そんな勘違い男をキッと睨み付けると、スーーッと大きく息を吸い込んだ。 何やってんだって顔して見てるけど、そんなこと知ったこっちゃない。 「道明寺とは結婚しない」 思いっきり吐き出した息と共に出した言葉に目の前の男が固まる。 それもそのはず。つい数秒前まで結婚できるとばかり思い込んでいたのだから。 「・・・・・・何言ってんだ?」 やっとのことで反応した道明寺はまだ呆然としている。 けどここで情に流されたらおしまいだ。 「道明寺が今のままならあたしは結婚できません。ごめんなさい。 以上です」 そう言って立ち尽くしたままの男に頭を下げると、クルッと踵を返して部屋を後に・・・ 「おいっ! 待てっ!!!」 ・・・させてくれるわけがないのはまぁ予想してはいたけども。 ガッツリ握られた右手を恨めしそうに見ながら振り返る。 と、珍しく道明寺は動揺を見せていた。 ・・・さすがに効果があった? 「お前、ふざけんなよ」 「ふざけてなんかないよ」 「結婚しないってどういうつもりだよ!」 「どうもこうもその言葉の通りだよ。今の強引すぎる道明寺のままじゃ結婚なんてできない」 「ざけんなっ! じゃあ別れるってことかよ?!」 「そんなつもりはっ・・・」 ・・・・・あれ? ないって言い切れるのだろうか? 結婚するつもりはないのに別れる気もないって、なんか世で聞くクズ男の典型みたいな感じじゃない? あたしが言ってることってそういうことになっちゃうの? ・・・いやいやいやいや! あたしはただ道明寺にもっと歩み寄って欲しいだけで決してそんな・・・ 「・・・許さねぇぞ」 「痛っ・・・!」 ギリギリと、握りしめられた右手に痛みが走る。 ハッとして顔を上げれば道明寺の顔が苦痛に歪んでいた。 痛い思いをしているのはどう考えたってこっちなのに。 ・・・なんであんたの方が痛くて堪らないって顔をしてんのよ! ゴロゴロピカピカ。 まるで今のあたしたちのように外は不穏な空模様だ。 「お前を手放すなんてこと、ぜってぇに認めねぇからな!」 「ちょっ・・・右手、痛いからっ・・・離してっ・・・!」 「離さねぇよっ!!!」 ピカッ!! ガラガラガラガラドシャーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!! 「きゃああああああああっ!!!!」 「牧野っ! おわっ?!」 ドサドサドサッ、ガタンッ!!! 「いっ・・・たたたたた・・・」 突然響いた雷鳴に驚いて目の前の男にしがみついたはいいものの、あまりのタックルぶりにそのまま2人して倒れ込んでしまったらしい。 「・・・っていうか背中痛っ・・・!」 咄嗟に道明寺の手が自分を包み込んでくれたような気がしたけど・・・この痛みからするに気のせいだった? っていうか上に人が乗ってるし。 どうやら最終的にあたしが下に転がってしまったらしい。 道明寺が上に乗ってりゃ重いし痛いに決まってる。 「道明寺、大丈夫? ごめん、重いからちょっと下りてもらっていい?」 「ん・・・あ、あぁ、悪ぃ」 「よいしょっと」 ぶにゅっ。 「・・・ん?」 ぶにゅ? ・・・何、今の感触。 なんか、道明寺の胸が妙に柔らかかったような・・・ 「・・・・・・え?」 「・・・・・・は?」 次の瞬間、2人同時に声が出ていた。 そしてその一言を最後にそれ以上の言葉を出すことができなかった。 ・・・何故なら、あたしの目の前にいたのは 「牧野つくし」 あたし自身だったのだから。
看病続きで気分転換したくて新作に手を出してしまいました。コメディ路線になるのかな? 長編というより中編の予定。楽しんでいただけましたら嬉しいです^^ |
ご心配お掛けしてます
2015 / 06 / 25 ( Thu ) すみません、予告無しに更新をスキップしたことでご心配をお掛けしてしまっているようです。コメントをくださった皆様、有難うございます。
大方の予想通りなのですが、子どもがまた悪くなりまして。ずっと高熱が続いています。 病院に行っても何か病名がつくわけでもなく、今のところただの風邪だろうとのことですが・・・ 40度近い熱が続いているので、何とかしてあげたいと思いつつどうすることもできず。 変わってあげられたらいいのにと思うばかりです。 このところ短期間で高熱を出すことが増えていてちょっと心配です。 ちょっと私生活が落ち着くまではお休みさせていただこうと思っています。 と言いつつ短い内容で更新することもあるかもしれませんが、すみません、コメントのお返事はしばらくお休みさせてください。前回の更新からお返事が止まっていて申し訳ないのですが・・・どうかご理解いただけましたら有難いです。 私が言っても説得力に欠けますが、皆様も体調管理にはお気をつけくださいね。 「お休みの間これまでの作品の読み直しをしてます!」 等のコメント、本当に嬉しいです。 有難うございます^^ 早く復帰できることを願って・・・
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幸せの果実 28
2015 / 06 / 22 ( Mon ) 「寂しいか?」
「えっ?」 食事を終えて自室のソファーに深く腰を下ろしたところでおもむろに司が尋ねた。 「類がフランスに行くこと」 「・・・そりゃあ寂しくないって言ったら嘘になるよ。だって大事な友人なんだし、海外だし・・・。それに、類にはほんとに色んな意味でお世話になったから」 「・・・・・・」 「・・・何。 もしかして妬いてるの?」 「妬いてねー」 「・・・・・・」 即答だったがそこに説得力は全くない。 何故なら彼の顔が如実に 「面白くない」 と言っているのだから。 嫉妬する要素などどこにもないというのに、全くこの男は相変わらずなのだから。 「ふふっ」 「・・・何笑ってんだよ」 思わず吹き出してしまったつくしをジロリと鋭い瞳が睨み付ける。 それがまるでいじけた子どものようで、我慢しなければと思えば思うほど口が緩んでしまう。 「おいっ、笑うなっつってんだろ!」 「きゃ~~~っ!!!」 突如ガバッと飛びかかってきたと同時にソファが沈み込むと、まるで羽交い締めするように後ろから大きな体が覆い被さった。背中から伝わってくる温もりにすぐにつくしの体から力が抜けていく。 「あ~、このイスすっごい座り心地がいいなぁ」 「おい、俺はイスじゃねぇ」 「あはは、人間イスってことで。褒めてるんだから喜ぶところだよ?」 「意味わかんねーだろ」 「あははは!」 言葉はぶっきらぼうでも触れる手はこの上なく優しい。 「・・・今あたしたちがこうして笑っていられるのは類のおかげでもあるでしょう? だからやっぱり類には他の皆とはまた違った特別な感情がどうしても消せないよ」 「・・・・・・」 「これは好きとか愛とかそういう感情とは全く違ったものだから」 「・・・だからこそ面白くねぇんだろ」 「え? ・・・フフッ」 後ろから回された手にキュッとしがみつく。 まるで特注品であつらえてもらったかのようなこの抱き心地は言葉にできないほどに気持ちいい。 「赤ちゃんも 『パパ、変なことでヤキモチ妬かないでね~っ』 て言ってるよ?」 「だから妬いてねーっつの」 「あははっ! ・・・ん?」 掴んでいた手が解かれたかと思うと、大きな手がつくしの顎を掴んで後ろを振り向かせた。 それと同時に覆い被さってきた唇がつくしのそれと重なると、途端に部屋中に甘い空気が充満していく。やがて体ごと振り向かされると、抵抗することなくつくしは自分の体を司のそれに委ねた。 「・・・!」 だが司の手が胸元に伸びてきた次の瞬間、条件反射のように体を引き離した。 「・・・おい、つく・・・」 「あ、あのっ! お、お風呂! そう、ちょっと汗かいたからお風呂入ってくるねっ?!」 「あ、おいっ!」 言うが早いか立ち上がると、引き止める隙も与えないほどの早技でバスルームへと消えていった。 やがてバタンッと無情な音が聞こえてくると、その場に呆然と取り残された司が我に返ったようにくしゃっと頭を掻き分けた。 「はぁ~っ・・・まいったな・・・」 小さくそう呟くと、再びソファーにその大きな体を投げた。 *** チャポン・・・ 「あ~・・・ひどいことしちゃったよね・・・。 うぅ、どうしよう・・・」 広すぎる浴槽に膝を抱えて座りながらブクブクと半分顔を沈めて悶々と悩み続ける。 それもそのはず。実は妊娠発覚以降、一度も夫婦生活をもっていないのだ。 別につくしが嫌がっていたとかそういうことではない。 むしろどちらかと言えば司の方が遠慮していたと言った方が正解だった。 妊娠初期は流産のリスクも比較的高いと医者から聞かされていたため、決して彼は無理強いしようとはしなかった。更には思った以上につわりで苦しんでいるのを目の当たりにしたせいか、つくしが恐縮するくらいにいつも体調を気にかけてくれていた。 そうこうしているうちに安定期に入り、ようやくつわりも終息の気配を見せ始めた辺りからそれとなく誘いのサインを感じるようにはなっていた。もちろんそれは強引にではなく、あくまでもいい雰囲気の流れのまま、ということがほとんどなのだが。 だが一体どうしたことだというのか。 いざそれを受け入れようとすると、今度はつくしの方がどうしていいのかわからないでいた。 医師からも適度な夫婦生活はもっていいと言われていたし、つくし自身も司の肌の温もりを直に感じたいと思っていて、実際人肌恋しくもあった。 ・・・だが、いざそういった雰囲気になるとどうしてだか萎縮してしまうのだ。 本当にそんなことをして赤ちゃんは大丈夫なのだろうか? とか、変わってきた体を見て司がどう感じるのだろうか、とか、1人でぐるぐると考えるうちにさっきのようにそれとなく避けてしまっている自分がいた。 「絶対傷つけてるよね・・・・・・はぁ・・・」 実際その行為に及んだとしても、ああ見えて司ならとてつもなく優しく抱いてくれるだろうことはわかっているし、体の変化を目の当たりにしたところでどうこう考えるはずがないなんてことも本当はわかっているのだ。 ・・・わかっているのに、心と体のバランスがどうしてもうまく取れないでいる。 もっともっと深いところで繋がっていたいと思っているのに、あと一歩が踏み出せない。 「もしかしてこれもマタニティブルーってやつの一種だったりするのかなぁ・・・?」 全てが初めてのことでやることなすこと戸惑ってばかりだ。 世のお母さん達が本当に逞しく見えて仕方がない。 「・・・・・・ん?」 その時、ブクブクと息を吐いていたつくしの動きが止まった。 まるで金縛りにあったかのように、じっと瞬きもせずにそのまま固まってしまっている。 「・・・・・・・・・・・・」 「あ~・・・俺らしくもねぇ」 横になったソファーの上で天を仰ぎながら思わず溜め息が出る。 これまでは我慢しても何ともなかったというのに、ここにきてつくしに触れる度に衝動を抑えきれなくなる自分がいる。今までならば多少抵抗されようともそれも含めてのつくしだと思って強引に出ることもできたが、今は身重の体。 もしかしたら本気で嫌がっているのかもしれない。そう思うとそれ以上手を出せなかった。 自分らしくないのは百も承知だが、つくしを傷つけるようなことだけは絶対にしたくない。 「子ども産んだらどれくらいでできるようになんだ・・・?」 こんなことまで考えている自分がとことん情けないが、愛する女をこの手に抱きたいと思う気持を消すことなどできやしない。 「 つっ、つかさぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!!! 」 「な、何だっ?!」 突然部屋に響き渡った悲鳴のような声に慌てて飛び起きる。 急いで室内を見渡すがつくしの姿は見当たらない。 ということは・・・ 「風呂場かっ?!」 そう口にしたときには既にその体は走り出していた。 まさか何かあったのか?! もしかしてさっきのことがストレスで・・・? あぁっ、クソッ!! 風の如く部屋を駆け抜けると、凄まじい勢いでバスルームの扉を開けた。 「 おいっ、どうしたっ?! 大丈夫かっ!!! ・・・っ?! 」 バンッと音をたてて中に入った瞬間、思わず司の息が止まった。 何故なら、目の前の女がその神々しい体を惜しげもなく見せていたから。 どんなに関係を深めようとも、つくしが堂々と自分の体を晒そうとしたことなどただの一度もない。 あるとすればよっぽど泥酔したときくらいのものだろう。 そんなつくしが今、何一つ隠すこともなく浴槽の中に呆然と立ち尽くしているのだ。 長いことじっくり見ることのなかったその体に思わず見とれてしまうが、ハッと我に返ると司は慌ててつくしの元へと駆け寄った。 「おい、どうした? 何かあったのか?」 「・・・・・・たの」 「え? おわっ!」 目の前の手をガシッと掴むと、今にも泣きそうな目でつくしが司を見上げた。 「おい? つく・・・」 「動いたの・・・赤ちゃん・・・」 「・・・え?」 「ポコポコって、はっきり動いたの」 「・・・・・・」 目を見開いたまま動かなくなってしまった司の手をゆっくり引き寄せると、つくしは自分の下腹部へとそっと触れさせた。その手は少し震えているような気がする。 震えているのは自分か、司か。 それともどちらもなのか。 「「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あっ! 」」 長い沈黙の後、2人の声が同時に上がった。 その直後にさらにもう1回。 「・・・わかった?」 「・・・・・・あぁ」 「動いたよ?」 「・・・あぁ」 2人の手に確かに伝わった小さな振動。 それはここに私はいるよとはっきりとその存在を教えてくれていた。 目や耳ではなく、初めて体でその存在を感じた瞬間だった。 「・・・・・・」 司は無言で浴槽の中へと入ると、そのままつくしの体を引き寄せた。 「・・・濡れちゃうよ」 「んなんどーでもいい」 「・・・へへっ、・・・・・・嬉しい・・・グズッ」 「あぁ」 「司・・・・・・・・・大好きだよ」 「知ってる」 即答に腕の中で笑うと、つくしは涙で濡れた顔をゆっくりと上げた。 長い指でその滴を拭うと、司は引き寄せられるようにつくしの唇へと顔を落としていく。 触れ合うとすぐにつくしの手が背中にギュッと回された。 まるでもっと強く抱きしめてと言わんばかりに。 その想いに応えるように細い体を引き寄せると、司は何度も何度もつくしを恍惚の世界へと落としていった。 「はぁッ・・・」 長いキスの後、何とも艶めかしい吐息がつくしの口から漏れる。 「・・・今ね、キスしてる間にも何回か動いてたよ?」 ほんのり上気した頬と濡れた唇がこの上なく色っぽい。 「俺たちが仲良くしてんのが嬉しいんじゃねーのか?」 「え? ふふっ、そうかもしれないね」 そう言って心から幸せそうに微笑む。 そんなつくしの唇を指の背でなぞると、自分を見上げたつくしに司が囁いた。 「お前を抱きたい。・・・いいか?」 「・・・っ!」 あまりにもストレートなその言葉にカァッと頬が真っ赤に染まる。 「お前が嫌なら無理強いはしない」 「・・・・・・」 その瞳は少しも嘘をついてなどいない。 今ここでノーと言えば、この男はすんなりとそれを受け入れてくれるに違いない。 ・・・絶対に嫌がるようなことなどしない。 そう考えただけでキュウッと胸が締め付けられる。 つくしは胸に顔をうずめると、さらに強い力で司の背中にしがみついた。 「・・・・・・じゃない」 「え?」 「・・・嫌じゃない・・・」 「・・・・・・」 蚊の鳴くような声でやっとのことそう告げたつくしの耳は真っ赤だ。 司はフッと笑うと、つくしの顎を引っ張って上向きにさせたところでもう一度唇を落とした。 「きゃっ?!」 力が抜けた体がフワリと宙に浮く。 「・・・うんと優しくするからな?」 「へっ?!」 舐めるように耳元でそう囁くと、ニヤリと妖艶な笑みを浮かべた男はつくしを抱きかかえたまま浴槽から出ていく。しばらくは女の慌てふためいた声と男の軽快な笑い声が浴室内に響き渡っていたが、やがてバタンという音と共にその声も小さくなっていった。 そう長くせずしてそれが甘い声に変わったことは・・・2人とお腹の子だけが知っている。
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幸せの果実 27
2015 / 06 / 21 ( Sun ) 「・・・フランス?」
そう先に口にしたのは司ではなくつくしだった。 言いながらも呆然としているつくしに類はニコッと微笑む。 「そう。元々いつかは行かなきゃならなかったんだ。色々考えた結果今がベストかなと思って。うちの親父もいい加減うるさくなってきたしね」 「どれくらい行くんだ?」 「最低1年かな。そこから先はまだなんとも」 「そっか・・・お前も行くのか」 「・・・・・・」 まるでこうなることがわかっていたかのように淡々と話を進める2人をつくしはどこか他人事のように傍観していた。そこには自分には決して見えない壁のようなものがあったからだ。 つくしを寄せ付けないのではなく、自分が理解してあげることができない世界の壁。 短い会話は彼らのような人間にはそれは避けては通れない道のりなのだと語っている。 つくしには到底わからない、大企業の跡取りとしての宿命。 学生時代あんなに荒れていた司ですら、父親が倒れたという状況になればあっさり自分の立場を自覚していたのだから、それはきっと類にとっても同じ事に違いないのだ。 「そんな顔しないでよ。別に永遠の別れじゃないんだからさ」 「え?」 「あんた、今にも泣きそうな顔してる」 「・・・!」 言われて初めて気付いて慌てて頬を押さえたが、それでも湧き上がってしまう感情を誤魔化すことはできそうにない。 「・・・いつ行くの?」 「来月頭かな」 「来月って・・・もうあと2週間しかないじゃん! なんでそんな・・・」 「急に決まったってわけでもないんだけどね。さっきも言ったけど、話自体は結構前からあったんだ。あとはいつ話すかってタイミングだけだったって感じかな」 「え?」 その言葉にハッとする。 ・・・・・・もしかして? 「類、もしかして・・・」 「言っとくけどあんたのためじゃないからね? 単純に俺の中でのタイミングってだけ」 「・・・」 聞く前にサラッと返ってきた答えに確信する。 彼は身重の自分が余計なことを考えないようにわざと言わなかったのだ。 愛や恋じゃないのだとしても、つくしが類に対して特別な感情を抱いているのは疑いようのない事実なわけで、そんな彼がいなくなるともなれば悲しまないわけがないのだから。 かといって日本を発つ時に話してもそれはそれでショックを与えてしまう。 だからこそ、安定期に入って全てが落ち着いた今のタイミングを待っていたのだろう。 司が高校卒業と同時に渡米したように、類ももっと早い段階で海外に飛んでいてもおかしくはなかった。実際そういう話が前から出ていたと言っているのだから。 じゃあ何故今になったのか? ・・・それは自分のためだ。 今思えば、司と離ればなれになってからの年月、常に類が支えとなってくれていた。 もちろん他の友人達もそれは同じだが、それでもやはり彼の存在は特別だった。 さりげなく見えないところから支え、時には強く出て守ってくれた。 苦しかった時間も、ずっとずっと、精神的な支柱となってくれていた。 ・・・本当の笑顔を手に入れられるその時まで、ずっと。 「おい、お前泣いてんのか?」 「っ泣いてないっ・・・」 司に顔を覗き込まれて慌てて目尻を拭うと、変わらぬ表情で自分を見つめたままの類を仰ぎ見た。 「・・・・・・類、ごめんね? そしてほんとにありがとうっ・・・」 「何の話? 別に謝られる覚えもお礼を言われる覚えもないんだけど?」 そうやって返ってくるのも全ては想定通り。 ・・・それが花沢類という人間の愛情表現なのだ。 「うん・・・でもあたしが言いたいだけだから。 ほんとにほんとにありがとう・・・!」 「・・・何の話かさっぱりわからないけど、まぁどういたしましてとだけ答えておくよ」 「・・・うん、ありがと」 やれやれと肩を竦めた類につくしも笑って頷く。 そんな2人のやりとりを黙って見守っていた司もなんだかんだ内心複雑そうだ。 何もないとわかっていても、絶対に自分が入り込めない2人の世界があるのはどうにもこうにも否定しようがないのだから。 いつもならここですかさず間に入るところだが、今はつくしが大事な時期。 さすがの司もここは1歩引いて寛大な心で見守っている、そんなところだろうか。 お腹の子は生まれる前から既に偉大な力を発揮しているようだ。 「1年が目安ってことはこいつの出産時にはいないってことだよな」 「多分ね。でもまぁ仕事で日本に立ち寄ることもそれなりにあると思うから、タイミングが良ければ生まれたばかりの赤ちゃんと対面することもできるかもね」 「そうなんだ・・・。そうなるといいな」 「その時は俺が名前つけてあげようか?」 「えっ?」 突拍子もない言葉につくしの声が裏返る。 見れば類の笑顔は一見天使のように見えて、その実悪戯っ子のような悪~い顔をしている。 「アホかっ! 誰がお前なんかにさせっかよ!」 「なんで? 減るもんでもないんだしいいじゃん。俺、司よりいい名前つける自信あるよ?」 「ざけんなっ! てめぇの子じゃねぇ、俺の子だっ!!」 「別にいいんじゃない? 親が名付けしなきゃいけない法律なんてないんだし」 「んだとぉっ?!」 思わずガタンッと音をたてて司が立ち上がった。 その直後、 「 こらっ! いい加減にしなさいっ!!! 」 拡声器よろしく響き渡った声に、一瞬にしてその場が静まりかえる。 と同時に面白いように司の動きもピタリと止まった。 そんな男と以前として涼しい顔のままの男の間に仁王立ちして仲裁に入った女。 「・・・・・・牧野、ここが食堂だって覚えてる?」 「え? ・・・あっ・・・!」 どうやらすっかりその事実を忘れていたらしいつくしが一瞬にして真っ赤になったかと思えば、今度はみるみる青くなっていく。それもそのはず、360度どこを見渡してもそこにあるのは自分を凄いものでも見てしまったかのような驚愕の顔、顔、顔。 さらに真向かいの特等席で一部始終を目撃していたなんちゃって家政婦佐藤は、驚きつつも感動していると言った方が正解のような顔つきだ。 「あ・・・あのっ・・・うるさくしてごめんなさいっ・・・!」 我に返ったつくしはさっきまでの威勢が嘘のようだ。 「あ~、やっぱりこれがしばらく見られなくなると思うと残念だなぁ」 「えっ?」 ハッと横を見ればまたしてもそこにはあの悪戯っ子の顔が。 ・・・・・・夫婦揃ってまんまとやられたっ! 「~~~~~っ、類っっっっ!!!」 「ハハハッ!」 小悪魔の軽快な笑いが響き渡った午後、2人のイケメン御曹司を操縦する道明寺夫人の姿と、そのイケメン2人が食堂という何ともレアな場所でこれまたレアな笑顔を見せている写真が、瞬く間に道明寺ホールディングス社内を駆け巡ったことは言うまでもない。
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幸せの果実 26
2015 / 06 / 20 ( Sat ) 直視するのが眩しいほど王子様然とした目の前の笑顔に言葉を失っているのはつくしだけではない。その場にいた200を優に超える全ての人間の目がある一点に集中していた。
「・・・どうしたの? 変な顔して」 だが注目を一身に集める男だけは涼しげな顔をしている。 「・・・いや、どうしたのって・・・それはこっちのセリフでしょ?」 「なんで?」 「なんでって・・・だってこんなところに類がいるだなんて思うわけがないじゃん」 「・・・そう?」 「そうだよ!」 つくしの即答に何だか不思議そうに笑っているこの男は相変わらずだ。 突然の花沢物産御曹司の登場に当然ながらその場は騒然としていて、中にはキャアキャアと黄色い声が混ざって聞こえる。 ・・・むしろそちらがメインだろうか。 「どうしたの? 突然。今日うちに用事ってあったっけ・・・?」 隣に腰を下ろした類につくしが尋ねる。 「いや、ないよ? たまたまここの近くで仕事があって。時間もあったから何となく牧野の顔が見たくなって」 「・・・・・・」 「何?」 「いや、・・・もしかして、それだけ?」 「うん」 今度は類が即答する番だ。 というかいつだってこの男の言葉には迷いがない。 飄々とした顔でこちらがドギマギするようなことを平然と口にするから困ったものだ。 「そう言えば今日司が仕事でここにいないって話を前に聞いてたなーって思い出して」 「え?」 目を丸くするつくしに悪戯っ子の顔で類が微笑む。 「だから今来れば司に邪魔されずに牧野と会えるかな~と思って」 「は、はぁ?!」 「・・・それ、残ってるけど食べないの?」 「え?」 つくしの混乱などお構いなしで次から次に話を変えたかと思えば今度は目の前にある丼を指差している。そこにあるのはおそらくこの男にとって初めて目にするであろうカツ丼。 食べるも何も、あんたが来たからびっくりして食べられないんでしょう! なんて言おうものなら 「なんで?」 と言われて振り出しに戻るに違いないのだ。 ・・・あぁ、不毛過ぎる。 「俺が食べさせてあげよっか?」 「・・・へっ?!」 「こういうの一回やってみたかったんだよね」 「へ? え? はっ?!」 大混乱するつくしをよそに類はニコニコ顔でカツを掴むとつくしの目の前へと差し出した。 その瞬間周囲からキャ~ッ! という悲鳴にも似た歓声が上がったのが嫌でも耳に入ってくる。 「いいからいいから。遠慮しないで食べてよ」 「いやっ、全っ然意味わかんないから!」 「わかんない? 口開けて普通に食べればいいだけだよ?」 「いやっ、だからそういうことじゃなくて! なんでこんなことになってるのかが全くわかんないから! っていうか自分で食べるからっ!」 「いいじゃん別にこれくらい。減るもんじゃなし。 はい、あーん」 実に楽しそうにあーんと口を開けて見せる男につられて思わず口が開きそうになったのを慌てて引っ込める。 いやいやいや! そうじゃないから! 万が一にもこんなところをあの男に見られでもしたら・・・ えぇい、やっと戻って来た平穏な日々を掻き乱すでないっ!! だがそうこうしているうちにも大好物のカツが着々と目の前へと迫ってくる。 相手が類だけにSPもどうしたものかと考えあぐねているのか止められずにいるようだった。 おまけにチラリと横を見れば、佐藤が向かいの席で見てはいけないものを目撃してしまった家政婦のように、どこか期待を込めたキラキラした目でこちらを見ているではないか。 こらーーーっ、助けんかいっ!! 「ちょっ・・・類っ・・・!」 大好物がニコニコ美男子の顔が隠れるほどに接近した、その時。 ガツッ!! 後ろから伸びてきた手が突如類の手を掴んだかと思えば、まるでさっきの再現かのように箸先のカツがいきなり出てきた口の中にバクッと飲み込まれていった。 「 ・・・・・・・・・ 」 突然のことに今度はその場が一瞬にして静まりかえる。 「てめぇ、類・・・お前悪ふざけもたいがいにしろよ?」 獰猛なライオンのようにカツにかじり付いたその正体は・・・ 「 司っ?! 」 振り向いたつくしの目の前にいたのはここにいるはずのない男。 もう何が何やらわけがわからずに次の言葉すら出てこない。 「よぉ。 つーかお前何こいつに襲われそうになってんだよ」 「お、襲われるってそんな・・・」 「ったく、隙見せてんじゃねーよ。オラ類、いっこずれやがれ」 「えー、俺ここがいいのに」 「うるせぇよ! いいから隣に行けっての」 グイグイ肩を押されて文句を言いながらも類の顔はどこか楽しくて堪らない風だ。 ・・・もしかして最初からこれが目的だったとか? そんなばかなと思いつつも、悲しいかなこの男ならやりかねない。 「っていうかなんでここにいるの? 戻りは3時過ぎの予定だったよね?」 「あ? あぁ、今日の予定が思った以上に早く終わってな。戻って来たら見覚えのあるリムジンが停まってんじゃねーか。で、嫌な予感がして来てみりゃあこの有様だったってわけだ」 「あーあ。せっかくあとちょっとで牧野にあーんできたのに」 「あぁ?! てめぇ寝言言ってんじゃねーぞ」 「寝言じゃないよ? だって起きてるじゃん」 「んだとぉ・・・?!」 ああ言えばこう言う、相変わらずのマイペース男にまんまと司の額に青筋が浮かび上がる。 「ちょっ・・・司、落ち着いてってば! もうっ、類も類でわざと煽らないでっ!!」 「・・・了解」 「チッ・・・!」 やはり全てが狙い通りだったのか、妙に楽しそうに類があっさり頷くと、ますます司の顔が苦々しいものへと変わる。どうやら司本人も類の手のひらで踊らされていたということにようやく気付いたらしい。 ニコニコ上機嫌の類はまるで忠犬、ガルルと今にも噛みつきそうな顔で忠犬を睨み付けるのは獰猛な肉食ライオン。そんな2匹を鶴の一声で操縦してしまう猛獣使いが一人。 そのなんとも世にも珍しい光景をその場にいた誰もが手を止め息を詰め、ただただ食い入るように見つめていた。そして誰もが心の中で同じ事を思っていたに違いない。 ___ 道明寺つくし恐るべし、と。 「___ で? 実際のところ何の用があって来たんだよ」 「え?」 「こいつの顔見るためだけなわけがねーだろ?」 「・・・牧野の顔が見たかったのはほんとだけど?」 サラッと出された言葉に司の目がジロリと光る。 あまりにも期待通り過ぎたのかまたしてもプッと類が吹き出した。 「あははっ、そんな睨むなよ。・・・まぁ確かにそれだけじゃないのは当たってるかな」 「え・・・そうなの?」 てっきり本気でからかうためだけに来たと思い込んでいたつくしが意外そうに司の後ろから顔を出した。 「ぷっ、あんたのその姿、プレーリードッグみたいなんだけど?」 「えっ? ・・・もうっ! だって司が大きすぎてこうでもしないと見えないんだもん!」 「おい、俺が悪いみたいに言うんじゃねーよ」 「だってほんとのことだもん」 相変わらずくだらないことで痴話喧嘩・・・と言うより端から見ればただじゃれ合っているだけの親友2人にますます笑いが止まらない。 「・・・・・・しばらくはこの光景ともお別れかな」 「「 ・・・えっ? 」」 ひとしきり笑い終えた類がサラッと流すように放った一言に2人の動きが止まった。 いまいち理解できていないそんな2人を見てまた吹き出しそうになりながらも、類は真っ直ぐに目の前の親友2人を見つめながら言葉を続けた。 「 俺さ、しばらくフランス行くことになったから 」
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幸せの果実 25
2015 / 06 / 19 ( Fri ) 「つくしちゃん、大盛りのところを特盛りにしといたよっ!」
「えっ? わー、おばちゃんありがとうっ!!」 「いいってことよ。つくしちゃんには元気な赤ちゃんを産んでもらわないとだからねっ!」 「あはは、これじゃあ元気になりすぎて産むのが大変になっちゃう。 あっ・・・!」 笑いながら受け取ろうとしたトレーが横から伸びてきた手にサッと奪われる。 つくしと目が合ってニコッと笑うと、トレーを奪った男は一番人気の少ない最奥窓際の席へと無言で歩いて行った。 「今日も指一本触れられませんでしたね」 「・・・っていうか高速すぎでしょ」 呆気にとられたようにその後ろ姿を見送るつくしに同僚の佐藤がクスクス笑っている。 「それだけ社長が徹底して指示なされてるんでしょうね」 「全く・・・。病人じゃないっていうのに過保護なんだから」 「ふふっ、つくしさんとお子さんが大事で大事で仕方ないんですよ」 ぶぅっと不満そうなつくしのお腹は誰の目に見てもふっくらしているのがわかるほどになっていた。 「随分お腹もわかるようになってきましたね」 「・・・うん。もともと痩せ型だから余計目立っちゃうのかもしれない」 「ふふ、じゃあ行きましょうか」 「はーい」 そう言ってつくしたちが歩き出すと、暗黙のうちに道が開けていく。 さらにはつくしのすぐ隣には黒いスーツの厳つい男が貼り付いていて、誰の目に見ても普通じゃない光景がそこには広がっていた。さぞかし物々しい雰囲気かと思いきや・・・ 意外や意外。 むしろその逆で、その場は何ともほのぼのとした空気に包まれていた。 それもそのはず。 つい先日ようやくつくしの懐妊が大々的に公表されたのだ。 5ヶ月に入ったということ、つくしの体調も安定してきたこと、そして最大の理由は見た目で妊娠しているということが誰の目にも明らかになってきたということだった。 いつまでも隠し続けているよりは今度は公表することでつくしを守る。 司がそういう体制にシフトさせたのだ。 待望の発表に会社はもちろんマスコミも大いに盛り上がったことは言うまでもない。 社内でひそかに司に憧れを抱いていた女達も、隠すことなくまざまざと見せつけられるつくしへの愛情表現にすっかり戦意喪失し、今度はそれだけ愛されているつくしに自己投影することで幸福感を味わっているようだった。 元来自分から敵を作るタイプではなかったつくしの評判は上がっていく一方で、気が付けば妊娠発表後は会社全体で身重のつくしを見守っているような状態になっていた。 とはいえ、万が一の事態に備えて司が徹底してSPを配備していることだけはもうどうにもなりそうにないのだが。 「いただきま~す! ・・・ん~、おいしいっ!」 「ふふっ、じゃあ私もいただきます」 いつものようにつくしの歓喜の声が食堂に響き渡ると、満足したようにその場にいた誰もが再び自分の手を動かし始めた。 「それにしてもさすがは妊婦さん。凄い食欲ですね」 「あはは、ほんとに困っちゃう。つわりが思った以上にきつかったから、その反動もあるのかも」 「しばらくはほんとにきつそうでしたもんね・・・」 「まさか自分がああいう目に遭うだなんて予想もしてませんでしたよ。食べることが何よりの生き甲斐の私にとって食べられないことほど辛いことはないっていうのに」 「えっ? あはははっ! 相変わらずつくしさんは面白い方ですね」 「だってほんとにそうなんですよ! 食べ物を見るだけで気持ち悪くなったり戻したり・・・私の辞書には一生存在しなかったはずの現象なんですから!」 「あははは」 5ヶ月、いわゆる安定期に突入した頃からつくしのつわりもようやく落ち着きを見せた。 なんだかんだ2ヶ月近くはつわりに苦しめられることとなり、結局妊娠前より3キロ体重が落ちてしまっていた。ここに来て気分も安定し何よりも食欲が戻って来たことで、まるでこれまで食べられなかった分も! と言わんばかりにモリモリと日々の食事を楽しんでいた。 これまでは社食でお昼をとることも厳しく禁止されていた。 例の一件以降、司のつくしの安全確保への気の使い方は尋常ではなかった。 心身ともストレスをかけないようにと常に気を配り、ましてや人が集まる食堂などもっての外。 お昼は決まって執務室で司と食べるか、司不在の折には秘書仲間と控え室で食べるかのどちらかに徹底されていたのだ。 だがここに来て色々な状況が落ち着いてきたことで、たまにはつくしにも気分転換が必要だと、警護を徹底するという条件付きで社食利用の許可が下りたのだった。 司と一緒の時はシェフ特製の 「なんちゃって庶民弁当」 を作ってもらっているのだが、所詮そこはなんちゃって。見た目的にはいかにもそれらしいが、やはりセレブ感は隠せておらず・・・。 もちろん最高に美味しいのだけれど、やはり自分は庶民気質。 ふと 「普通の味」 が恋しくなるのは自然な感情だった。 そんなつくしにとって社食での食事が何よりの楽しみになるのは当然の流れなわけで。 許しが出てからというもの、司不在時には必ず足を運んでいた。 決して口が裂けても言えないが、司の外回りが決まっている日は朝からそわそわ落ち着かないほど待ち遠しかったりする。 「そう言えばもう胎動を感じたりしてるんですか?」 「あ・・・実はまだわからなくて」 「そうなんですか。でもそろそろですよね。楽しみですね」 「ふふ、ほんとに。でも私って凄く鈍いからちゃんと気付いてあげられるかどうか。もしかしたら既に何度か動いてたりして」 「あははっ、私の姉は6ヶ月に入ってから初めてわかったって言ってましたから、きっと大丈夫ですよ!」 「だといいんだけど・・・」 折り紙付きの鈍さは自分でも否定できないレベルだけにやや不安が残る。 もしかして今のがそうなのだろうか? と思うことがなかったわけでもないが、そうかもしれないし、たまたま腸が動いただけなのかもしれない。 とにかくあまりにも一瞬のこと過ぎてそれを確認する術がないのだ。 早くここにいるのだということを自分自身の体で感じたい。 少しずつ大きくなっていくお腹を見ながら日々つくしの想いは募っていく一方だった。 「そういえば少し前にうちと仕事した遠野デザイン事務所ってあるじゃないですか?」 「え?」 久しぶりに耳にした名前にドキッとする。 あの一件以降、彼らのことがつくしの耳に入ることがないようにと司が情報管理を徹底していた。 司がそうするのも致し方のないことだし、つくしもそれは納得の上だった。 これ以上自分にストレスを与えないためにしてくれていることだとわかっていたから。 だからあれから彼らが、特に小林がどうなったか気になってはいたものの、つくしがそれを知る術など全く存在しなかった。 だが予想外の形で耳にすることになるとは。 「あの事務所が・・・どうかしたんですか?」 「あ、いえ、昨日たまたま先輩が話してるのを聞いちゃったんですけど、なんでも業績が悪化してて結構大変みたいですよ」 「えっ・・・?」 「小さい事務所ではありましたけど、今かなり話題になってるところでしたし、何と言ってもうちとも仕事をしたくらいですからね。飛ぶ鳥を落とす勢いだったんだと思うんですけど・・・ここにきて状況が一変してるとかで。 何かあったんでしょうかね? 相当評判も良かったみたいですし、ちょっと意外でした。会社経営ってあらためて大変なことなんですねぇ・・・」 「・・・・・・」 しみじみと事情を知らずに話している佐藤はつくしの変化には気付かない。 彼女の言葉に、食べようとしていたカツを持ったまま手の動きが宙で止まってしまった。 ・・・そうなって当然のことを彼はしてしまった。 司にしてはかなり譲歩してあげたことも事実だ。 とっくに潰されていてもおかしくはない状況だったのだから。 だが・・・ たとえ甘いと言われようとも、やはりそういった現実を聞かされるのは辛い。 彼は自業自得だとしても、小林がどれだけ責任を感じているだろうかと思うと・・・ 「・・・・・・」 その時、食堂内がざわつき始めたことに思考に浸るあまりつくしは全く気付かない。 そしてそのざわつきが徐々に自分に近づいているということも。 「あっ・・・!」 「・・・え?」 目の前の佐藤が驚いて声を上げたことに弾かれたように顔を上げる。 「 っ?! 」 と次の瞬間、持ったままで固まってしまっていたつくしの右手の先にあったカツが、突然現れた口の中にパクリと消えていった。 突然のことに全く反応ができなかった。 「・・・うん、結構おいしい」 もぐもぐ咀嚼してゴクンと飲み込んだ後にそう言って涼しい顔をしているその男、 それは・・・ 「 類っ?! 」 驚きの余り大きな声の出たつくしに、目の前の男はフワリと天使のような微笑みを見せた。
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