忘れえぬ人 27
2015 / 08 / 31 ( Mon ) 「牧野を広告モデルにするぅ?!」
F4御用達のVIPルームに男2人の声が綺麗にハモった。 「牧野本人が嘆いてたからね」 「モデルって・・・そんなでかいプロジェクトに牧野を・・・か?」 「みたいだね」 「確かに牧野はよく見れば素材はそう悪くないかもしんねーけど・・・普通に考えれば素人を使うなんて正気の沙汰じゃねぇだろ?」 「それを俺に言われてもね。司が決めたことでしょ」 そう言われてしまっては総二郎としてもそれ以上は何も言えない。 だがあきらはそうではなかった。 「類、お前に聞きたいことがあるんだよ」 「・・・何?」 「この前会った時に司が言ってたことなんだが・・・お前のところでここ数年話題になってた後ろ姿の広告の女、・・・あれって牧野だったのか?」 「はぁっ?! あきら、お前何の冗談言ってんだよ?」 「俺だってそう思ったさ。でも司の奴が大真面目な顔でそう言うんだよ。あの後ろ姿は牧野で間違いないって」 「司が・・・? おい類、マジなのか?」 あきらは至極真剣に、総二郎は半信半疑の様子で類に詰め寄る。 そんな2人を一瞥すると、類は呆れたように溜め息をついた。 「・・・今まで気付かなかった方がおかしいんだろ」 「え? それじゃあ・・・」 「そうだよ。司の言う通り」 あっさりと認めた類に2人が言葉を失う。 「俺は別に隠してたわけじゃないけどね。ただ言う必要もないと思っただけ。牧野の素性は絶対に明かさないって約束であの仕事を受けてもらったから」 「マジかよ・・・あれだけ会ってるのに全然気付かなかったぜ・・・?」 「絶対あり得ないって自己暗示がかかってると目の前にいても気付かないものなんだよ」 「え・・・それじゃあ司の奴、まさか牧野の記憶が?」 「いや、それはないみたいだぞ。俺にその話をしたときにもその気配は全くなかった」 「じゃあなんで・・・」 最後につくしと司が一緒にいるのを目の当たりにしたのは例のタイピンを巡っての一悶着の時だ。贔屓目に見ても司がつくしを気にしているような素振りは微塵も感じられなかった。 だというのにいつの間にそんなことに? 首を傾げる総二郎に、何故だか類は楽しそうにクスッと笑った。 「そんなの決まってるじゃん。本能でしょ」 「本能・・・?」 「あいつを誰だと思ってんの? 野獣でしょ?」 「でも記憶を失ってからのあいつは野獣っつーよりもむしろなんつーか・・・こう、生きる屍みたいな感じじゃねーか?」 「プッ! 司にそんなこと聞かれたら屍になるのは総二郎の方なんじゃないの?」 「でも実際そうだろ? 目が死んでるっつーか・・・」 「まぁ確かにそうかもね」 鉛色の鋭い眼光。全身からは黒いオーラがじわりじわりと滲み出ていて、その物々しい雰囲気は見る者を問答無用で竦み上がらせる。 司をそうさせてしまっているのは他でもないつくしだということに気付いていないのは本人だけだが、記憶を失ってからの司はそのことに気付くことができないでいる。そのことが余計に司を苛立たせているのだ。 何故? どうして? 口で言うのは簡単だが、記憶を失った苦しみなどその立場になった者にしかわからないこと。 手の届きそうなところに望むものが転がっているのに、どう足掻いても藻掻いても、永遠にそれを手にすることができないような、そんな絶望感が転がっているのかもしれない。 「・・・あいつ、この前会った時にはギラギラ燃えるような目をしてたな」 あきらの脳裏にこの前の司の姿が浮かぶ。 「司がか?」 「あぁ。その時あいつ言ってたんだ。夢に女が出てくるんだって」 「女?」 「決まってその女は背中を向けていて決して顔が見えないんだと」 「それって、まさか・・・」 あきらは静かに頷いた。 「その女と花沢物産の広告の女が同一人物であることは間違いないってな。・・・そしてそれが牧野だって」 「でも牧野と鉢合わせた時はそんな素振りは少しも・・・」 「さっきも類が言ってただろ? 先入観があると人は目の前の真実に気付かないって。4年前、あいつが記憶を失った時のことを思い出してみろよ。強く思いすぎるあまりにあいつは牧野にだけおかしくなった。あいつに対して敵意に近いほどの激しい感情をぶつけてたんだ。4年のブランクがあるとはいえ、帰国したばかりのあいつはその状態とほとんど変わらなかったってことだ」 そう考えればこの前のつくしへの酷い仕打ちも納得がいく。 「でも視点を変えて気付いたんだろ」 「視点を変える?」 「あぁ。牧野つくしという女がどうこうじゃなくて、あいつの言う 『後ろ姿の女』 だけに神経を研ぎ澄ました先に牧野がいた。そういうことだろ、きっと」 「・・・」 「司、帰国早々俺のところに来て 『あの広告の女を出せ』 って凄んできたからね」 「そうなのか?」 その時のことを思い出したのか、類がおかしそうに肩を揺らす。 「4年ぶりに会うってのにさ、アポなしに来たかと思えばそれだよ? 一体何のために? って聞けばそれを知りたいからだって支離滅裂なことを言う。結果的にその直後にあいつらは再会して・・・その後の展開はお前達も知ってるとおり」 「・・・・・・」 類の手に握られていたグラスの中の氷かカランと音をたてた。 誰もが黙り込んでいただけに余計にその音が響いて聞こえる。 「・・・司の奴、牧野への気持ちが甦ってきてるってことか?」 「さぁね。それはわからない。ただ確実に言えることはあいつが牧野に執着してるってことだけ」 「あいつの性格を考えれば気持ちを自覚してしまえばそれを隠したりはしないだろうからな。つーことはイライラしながらも牧野に執着せずにはいられないって感じか」 「お前達がこの4年疑いもしなかったあのモデルの正体に司はすぐに気付いた。あいつの野獣の本能は死んではいないってことだろ」 「本能・・・か」 「今後司がどういう行動に出るかはわからない。良くも悪くもあいつの行動に裏はないからね。案外あっさり気持ちを自覚するかもしれないし、牧野と一緒にいることで記憶が戻る可能性だってある。・・・そして平気で牧野を傷つけることだって」 昔、気持ちを自覚するまでに司がつくしに対して行ってきた数々の仕打ち。 意味不明な感情に揺さぶられている司だからこそ、どっちにどう転がるのかは読めない。 「もしもの時は俺は牧野を助けるつもりだよ。司が相手だろうと、あいつを傷つける者は許さない」 「類、お前・・・もしかして牧野をモデルにしたのは・・・?」 「・・・ま、そんなことはただの杞憂に終わると思うけどね」 どこか複雑そうな顔で自分を見ている友人にフッと目を細めると、類はすっかり氷の溶けたグラスの中のアルコールをゆっくりと飲み込んでいった。
ごめんなさい! 週末は法事等々忙しくて今日は短くなってしまいました。予定ではもう少し先まで書きたかったのですが・・・更新する方を優先させてもらいました。なんだかおセンチな終わり方になっちゃってますが決してそんなことはありませんからね(^_^;) |
ねがいごと、ひとつ
2015 / 08 / 30 ( Sun ) 今日は誰もが主人公になれる1年にたった1度の日。
ドキドキ、ワクワク、ぼくはこの日が来るのが楽しみでずっと眠れなかったんだ。 「誠お坊ちゃま、お誕生日おめでとうございます」 「おめでとうございます!」 ほらね、少し歩けばみんながそう声をかけてくれる。 ぼくは今どんな顔をしているんだろう? お邸の人たちに負けないくらい笑ってるのかな? 自分じゃ見えないからよくわかんないや。 プレゼントは何にする? すぐに 「ぜいたく」 をしてしまうパパはいっつもママに怒られてるけど、この日だけはママも違う。 よっぽどとんでもないことを言わない限り、ママも笑って 「いいよ」 って言ってくれるんだ。 だからぼくは考えた。 何日も、何日も、いつもより遅くまで起きて、そしていつもより早起きしてずっと考えた。 大きな大きなプラモデル? 世界一周旅行? アフリカに動物を見に行く? ___ ううん、そんなものじゃ全然足らない。 数え切れないくらい考えて迎えた5回目の誕生日の今日、やっとぼくのねがいがかなうんだ。 「タマっ! みんなはもう来てるっ?」 「これはこれは誠坊ちゃま。えぇえぇ、皆さんもうお揃いですよ」 「やったぁ~~!!」 ぼくが飛んで跳ねて喜ぶと、タマの顔のしわが一気にふえた。 タマはパパが生まれる前からずっとこのお邸で働いてる人。 パパが生きた化石だなんて言ってたまにママに怒られてるけど。 こわいときもあるけど、ぼくの本当のおばあちゃんみたいに優しいんだ。 バンッ!! 「おっ、やっと主役が来たな~」 「誠くぅ~ん、久しぶり~!」 走ってやっとのこと辿り着いた部屋には、久しぶりに見る顔がたくさん。 みんながこの日のために集まってくれたんだと思うと、嬉しくってピノキオみたいに鼻が高くなっちゃうかもしれない。 でも、まずはその前に・・・ 「パパッ!!」 「うおっ?!」 こっちを見た瞬間思いっきり飛びついたぼくをパパはナイスキャッチしてくれた。 ちょっとだけよろけちゃったけど。 「おまっ、いきなり飛びつくなっつの!」 「お帰りなさいっ! お仕事大変だった?」 「あ? あぁ、そうでもねぇぞ。ちゃんと今日に間に合うように帰って来ただろ?」 「うんっ!!」 「フッ・・・またえらい嬉しそうだな、おい」 「うれしいに決まってるじゃん!」 パパがあきれたように笑ってるけど、ぼく全然おかしくなんかないよ? だって、お仕事で10日くらい日本を離れてたパパが今日に間に合うかどうか、ぼくにとってはすごくすごく大きな問題だったんだから。 そんなのとびきりうれしいに決まってる! 「あはは、誠~、よかったね~」 「うんっ!」 でもぼく知ってるよ。本当はママだってパパが帰って来たことが嬉しくてしょうがないってこと。 いつもより何倍もママが元気で嬉しそうになるんだもん。ママは絶対に違うって言うだろうけどね。 でも全然隠せてないよ? ママ。 「それで欲しいものは決まったの? 当日になったら言うなんて言ってたけど」 「うん! もちろん決まってるよ!」 「それじゃあなぁに? 教えて?」 いつもは誕生日の前に願いごとを言うのに、今回は違う。 パーティの時に教えるねって約束してたから、まだぼく以外は誰も知らないんだ。 「うん、じゃあ順番に言っていくね」 「え? 順番・・・?」 きょとんとするママにニッコリ笑うと、ぼくはパパから下りてある場所を目指して走った。 「 西田さんっ! 」 まさか自分のところに来ると思ってなかったのか、走ってきたぼくに西田さんも驚いてる。 「誠様・・・いかがなされましたか?」 「お馬さんやってっ!」 「は・・・」 可愛い顔から飛び出したトンデモ発言にその場にいた全員の動きが止まった。 「お馬さん・・・ですか?」 「うんっ! ぼくね、何日も考えたんだよ?」 「・・・・・・」 ニッコニコ天使の笑顔の少年 vs サイボーグ。 この勝負の行方は・・・? 思わず周囲の人間がゴクリと息を呑む。 「・・・かしこまりました。誠様のためとあらば喜んで」 「ほんとっ?! やったぁっ!!」 ぴょんぴょん跳びはねるぼくのとろこへママが走って来た。なんでそんな顔してるの? 「あの、西田さん、無理はしなくてもいいですよ・・・?」 「いえ、今日は誠様のお誕生日ですから。こんなことで喜んでいただけるのならばいくらでも」 「西田さん・・・」 「じゃあやってやってっ!」 「かしこまりました」 そう言ってスーツの上着を脱ぐと、西田さんはみんなが注目している中で四つん這いになった。 ぼくはすぐにその背中に飛び乗った。 ぼくが乗ったのを確認すると、お馬がゆっくりと動き出す。 わぁ~い! ずっと前から西田さんにやってもらいたかったんだ! 「すげぇ・・・あの西田さんを馬にしてやがる・・・」 「さすがは牧野と司の遺伝子を受け継いだだけはあるな・・・恐るべし」 「くくくっ・・・!」 類にぃ、総二郎にぃ、あきらにぃが何だかすごく楽しそうにこっちを見てる。 もしかしてうらやましいのかなぁ? でもだめだよ! 今日はぼくの誕生日なんだからね?! 「ぶははっ! 西田、お前なかなか様になってんじゃねーか。くくくっ・・・!」 中でもパパは特に笑ってた。西田さんを指差して大笑い。 パパ、人に指差しちゃだめなんだよ! 「今日は誠さまのお誕生日ですから。私からのささやかなプレゼントです」 「お前、馬やりながら真顔で答えてんじゃねーよ。・・・にしてもお前が馬とは・・・ぶふっ!」 「ちょっと司! 西田さん厚意でやってくれてるんだから笑わないの! 誠嬉しそうじゃん!」 「それはそれ、これはこれだろ。お前だって半笑いになってんだろうが」 「そっ、そんなことは・・・!」 ママが慌てて西田さんに背中を向けちゃった。パパはますます大笑い。 「ぱーぱー、たーたんも~!」 「何っ?!」 じーっとこれまでの様子を見ていた弟の尊(たける)がパパの洋服を引っ張っておねだりし始めた。 尊は一度言い始めたらなかなかあきらめないから、あまりのねばりに時々パパからなっとーマンって呼ばれてるんだ。 「おい司ぁ~、お前の可愛い息子がおねだりしてんじゃねーか。さっさとやってやれよ」 「くっ・・・総二郎、てめぇ・・・面白がってんじゃねぇぞ」 「人聞き悪いこと言うんじゃねぇよ。んなわけあるかよ、なぁ?」 そう言って総二郎とあきらはニヤニヤと顔を見合わせる。 司の額に青筋が浮かんだが、すぐに尊がしがみついてきてどうやら逃げ場はないらしい。 「くっ、なんだって俺がこいつらの前でんなことを・・・」 「パパ、頑張って~!」 ママの応援をうけながら、パパもしぶしぶお馬さんになった。 パパはおっきいから、尊でも乗れるようにうーんとちっちゃくなってなんだか動きづらそうだ。 尊はママの手を借りながら大喜びでよじ登っていくと、とっても嬉しそうにぼくに手をふった。 「にいに~!」 「お~い!」 負けじとぼくも大きくふり返す。 「野獣対サイボーグの馬対決とかすげー構図だな、おい」 「誠の誕生日じゃなければあいつ今頃ブチ切れてるところじゃねーか?」 「暴れ馬も子どもの願いには逆らえないってか・・・くくくっ」 馬と化して広い室内を縦横無尽に動き回る司と西田の図に、その場にいた誰もが大笑いした。特にF3に至っては涙を流すんじゃないかというほどに大爆笑。時折司の鋭い睨みを感じつつも、子どもを盾にここぞとばかりに笑いたい放題だ。 ___ が。 「次は総二郎にぃの番だからね!」 「なにぃっ?!」 まさかの宣告にそれまで笑っていた総二郎がフリーズする。 「その次はあきらにぃで、最後は類にぃ! みんなじゅんばんだよ!」 「ぶはっ! てめーら、ざまーみやがれ! お前らの時には盛大に笑ってやるから覚悟してろよ!」 「「「 ・・・・・・ 」」」 ぼくの言った言葉にどうしてだがパパが大喜び。 何がそんなに嬉しいのかぼくにはよくわかんないけど、でも楽しそうだからそれでいいや。 「さすが牧野と司の息子・・・抜かりねぇぜ」 そんなことを言われてたなんてこと、ぼくは全然知らないけどね。 *** 「ぜぇはぁぜぇはぁ・・・誠、もう勘弁してくれ・・・ちょっと休憩だ」 あれから大の大人が小さな子どもに扱き使われること約30分。 気が付けば全員が汗だくで息も切れ切れ。見ているだけの大人達は終始爆笑の渦だ。 「えへへ、みんなありがとう! たのしかったぁ~! ・・・あれ、西田さん汗がすごいけど大丈夫?」 「・・・大丈夫です。どうぞご心配なく」 「西田さんが息を切らして汗かいてるところなんて初めて見たかも・・・」 ママが汗をふいている西田さんに驚いてるけど、動いたら出るのが普通じゃないのかなぁ? 「誠、プレゼントってもしかしてこれだけなの?」 「ううん、違うよ。まだまだあるんだ!」 「おい誠、馬の次は牛とか冗談じゃねーぞ」 「あはは、おもしろーい! それもいいかもなぁ~!」 「おいっ!」 「じゃあ他のお願いってなぁに?」 「うんとね、それは・・・」 ギギィーーバタンッ ちょうどその時開いた扉から現れた人を見て、僕の目がまん丸に大きくなった。 「おばあさまーーーっ!!!」 嬉しくて嬉しくて思いっきり走って行くと、立っていたおばあさまが座って待ってくれていた。 ぼくはそんなおばあさまにしがみつく。 「おかえりなさいっ! 来てくれたんだねっ!!」 「遅くなりましたが間に合ったようで何よりです」 「お義母様・・・お忙しいのにわざわざありがとうございます」 ママはおばあさまにゆっくりと頭を下げた。 「手書きの招待状をいただきましたからね。今年は仕事の方も都合がつきましたし。礼を言われるようなことではありません」 「はい。でも私もこの子も嬉しいから何度でも言いたいんです。ありがとうございます」 「・・・」 ママはおばあさまに会うといつも本当に嬉しそうに笑ってる。 ぼくのおばあさまはNYに住んでいて、1年に数回しか会えない人。 誕生日の時だっていつも来てもらえるわけじゃない。もちろん会えなくてもいつも素敵なプレゼントが届くんだけど・・・今日はどうしてもおばあさまに来て欲しかったんだ。 だからぼくはいっしょうけんめい手紙を書いた。想いが届きますようにって。 そしたら本当に来てくれた! がんばってよかったぁ! 「おばあさま、ぼくから1つねがいごとを言ってもいい?」 「何ですか?」 ぼくはおばあさまの手をギュッと握りしめた。 「あのね、・・・ぼく、おばあさまとにらめっこしたい!」 「えっ!!」 大きな声を出したのはおばあさまじゃなくてママ。 どうしてそんなにびっくりしているの? 「ま、ままままま、誠っ! それはちょっと・・・ね?」 「どうして? ぼくおばあさまとにらめっこしたいの!」 「でも、それは、なんていうか、その・・・」 急に焦りだしたママを見て思う。 やっぱりおばあさまにこんなことを言うなんてわがままなのかな? おばあさまは怖い人ではないけど、めったに笑ったりもしない。 パパはそれが 「せいじょうなこと」 だなんて言ってたけど、ぼくにはよくわからないんだ。 何かが欲しいわけじゃない。ただにらめっこをしたいだけなのに、そんなにむずかしいおねがいなのかなぁ・・・? 「・・・おばあさまはどう思いますか? おばあさまがいやなことはぼくはしたくない」 どんどん小さな声になっていく僕の頭にふわりと何かが触れた。 びっくりして顔を上げたらおばあさまが頭をなでていた。 「・・・今日は何の日ですか?」 「え? ・・・ぼくの・・・たんじょうび・・・です」 「プレゼントは何もいらないと言っていたあなたの願いがそれだというのならば、私はあなたにそのプレゼントをあげなければなりませんね」 「えっ? それって・・・」 「お義母様?!」 「ただし。勝負は1回のみですよ。よろしいですね?」 きっと今のぼくはぽかーんとしていると思う。 でもそれもほんの少しだけ。言われた言葉の意味がわかると、ぼくはもう一度おばあさまにしがみついた。 「うんっ! おばあさま、ありがとうっっっ!!!」 「お義母様・・・あの、本当に・・・?」 喜ぶ誠とは対照的に戸惑いを隠せないつくしを楓が見上げる。 「あなたのためにするのではありません。これがこの子の1年に1度の願いだと言うのならば、私にできる範囲でそれに応えるだけのこと」 「お義母様・・・ありがとうございます」 「あなたに礼を言われる必要はありませんよ」 「・・・はい、そうですね。でもやっぱり言いたいので言っちゃいます。えへへ」 「おばあさま、じゃあもっと中に来て! ほら!」 ぼくはおばあさまの手をグイグイ引っ張って部屋の中央へと連れて行く。 なんでだかまわりのみんなはやけに緊張した顔になってる。 どうして? 「じゃあここに座って!」 導かれるままに向かい合った椅子に座ると、楓は固唾を呑んで自分を見守っている周囲の人間を一瞥した。その瞬間、ササーーーっと蜘蛛の子を散らすように各々が場所を移動していく。 料理に手を伸ばす者、窓の外の景色を見始める者、雑談を始める者。 不自然極まりないが、そうしてさっきまで浴びていた視線が嘘のように霧散していった。 「笑った方が負けだよ?」 「わかりました」 「あー、おばあさまとにらめっこができるなんてぼくドキドキする! よーし、ぜったいに負けないぞっ!!」 ぼくは両手をひざの上でゴシゴシこすって気合を入れた。 「じゃあいくよ? にーらめっこしーましょ、あっぷっぷぅ~~!!」 そう言ったぼくは、両ほおを思いっきりつぶしてタコさんの顔をしてみせた。おばあさまはじーーっと真顔のままで全然動かない。 ・・・あれ、にらめっこなのに何もしないの? と思ったその時、楓の両手がスッと伸びて両目を思いっきり横に引っ張った。 「ブブーーーーーッ!!!」 瞬間、誠の口から盛大な笑いが漏れた。 「ぷっはははははは! おばあさま、おかしい~~~っ! あはははは!」 「・・・勝負ありましたね」 「あははは・・・あーあ、負けちゃったぁ。でもふしぎ、全然くやしくないや。それどころかなんだかすっごく嬉しくて仕方がないんだよ? ほんとにふしぎだね」 「そうですね」 ・・・あ。 今のおばあさまの顔、とってもやさしい。 はっきりと笑った顔を見たことって実はあまりないけれど、それでも、時々すごーーくやさしい顔になるときがあるんだ。それを見るとぼくもすごーーーく嬉しい気持ちになるんだよ。 「あ、ママ、パパ、今の見た? ぼくが勝ったんだよ!」 こっちに近づいて来たママに抱きつくと、ママはなんだか泣きそうな顔で笑ってた。 ママだけじゃない。タマも同じような顔で笑ってる。何人かの使用人も。 「うん・・・よかったね。誠、ほんとによかったね・・・」 「どうしたの? ママ、どこかいたいの?」 「ううん、違うの・・・そうじゃないの。ママ今ね、とってもとっても嬉しいの」 「ほんとに? どこもいたくない? パパ、ママほんとに大丈夫?」 ママのすぐ後ろにいるパパに聞いたら、パパは呆れたように笑ってママの身体を引き寄せた。 「あぁ、何の問題もねーぞ。ったく、お前の母ちゃんは泣き虫で困った奴だな?」 「ほんとだねぇ。これじゃあぼくのねがいが叶わなくて困っちゃうよ」 「お前の願いって結局なんなんだよ?」 ぼくはママから離れると、えっへんと鼻をこすってみんなの顔をぐるっと見た。 「・・・あのね、ぼくの欲しいプレゼントは、ぼくの大好きな人達が一度にみーーーーーんな笑ってくれること! パパとママ、尊はもちろん、おばあさま、西田さん、タマ、類にぃ、総二郎にぃ、あきらにぃ、滋さん、桜子さん、優紀さん、おじいちゃん、おばあちゃん、進にいちゃん、そしてお邸の人・・・みんなみぃーーーーんな!」 「誠・・・」 「ほら、みんな笑ってるよ? だからママも笑ってよ。ぼく、ママの笑った顔、だーーーいすき!」 「誠・・・」 あっという間にママの目におっきな水たまりができて、ポロンと床にきれいな丸が落ちていった。 そしてそのすぐ後にママはぼくの大好きな顔でニッコリ笑った。 「誠、お誕生日おめでとう。そして生まれてきてくれてありがとう」 「うん! ママも、ぼくを生んでくれてありがとう!」 「えっ・・・?」 「あのね、幼稚園で読んだ絵本に書いてあったんだ。誕生日は生まれてきた子がお祝いされる日でもあるけど、生んでくれた親にありがとうって言う日でもあるんだって。だからパパとママにもありがとう、だよ」 「誠・・・・・・大好きっっ!!!」 「わわっ?! ママっ、くるしいよっ!!」 「いいのっ! これはママが誠のことを大好きっていう証拠なんだから!」 「うぅ~~、苦しいってばぁ~~!」 つぶれそうなくらいにママがぼくをギュウギュウに抱きしめる。 耳元でグズグズ音がするから、またいっぱい泣いてるんだろうなぁ。 おかしいなぁ、ぼくはママに笑ってほしかったのに、どうしてママは泣いてるんだろう? でも、パパが尊を抱っこしながらそんなぼくたちをとーっても優しい顔で見てくれてるから、まぁいっか。 パパだけじゃない。その向こうに見えるおばあさまも、みんなみんなみーんな、笑ってる。 あれ、タマはちょっと泣いてるかもしれないぞ? ぼくがほしかったもの。 それは大好きな人が一度に笑ってくれること。 ぼくのためにたくさんの人が集まってくれて、たくさんの人が笑ってくれる。 今一番好きなヒーローのプラモデルをもらうよりも、今のぼくが一番うれしいこと。 それが今、ぼくの元に届いたよ。 みんな、本当にありがとう! 「・・・ねぇ、ママ。ほんとのこと言うとね、もう1つだけ欲しいものがあるの」 「・・・? なぁに?」 ゆっくり体を離したママはやっぱり顔中涙でぐちゃぐちゃだった。 ぼくは笑いながら、言おうかどうしようか迷っていたもう1つのおねがいを口にした。 「あのね、ぼく、いもうとがほしいの」 「・・・えっ!!!」 ママのお目々がまん丸になっちゃった。 「ほら、尊は男の子でしょ? 弟もかわいいけど、やっぱり妹もほしいな。この前タマにその話をしたらね、そのねがいを叶えられるのはパパとママしかいないからおねがいするといいよって言ってたから」 「・・・・・・」 「ねぇ、パパママ。ぼく妹がほしい! ・・・ダメ?」 「いや、だめってわけじゃ・・・」 「じゃあ妹つくってくれるのっ?!」 「あ、あうあぅ・・・」 なんだか真っ赤になってもごもごしているママの体をパパがガシッと抱きしめた。 「誠、任せておけ。今夜のうちにでもつくってやる」 「ちょっ・・・、司っ?!」 「パパっ、ほんとうっ?!」 「あぁ、任せろ」 「やったあーーーー!! みんな聞いた? 妹つくってくれるって!」 「ひぃっ・・・! 誠、そんな大声で言わないでっ!」 「どうして? だってパパがそう言ったんだもん。ね、パパ?」 「あぁ。なんなら今すぐにでも構わねーぞ」 「やーーーめーーーてーーー!! 何言ってんのよ、このバカバカバカっ!!」 「いって! 息子の願いだろうが。叶えてやるのが親の務めだろ」 「うるさーーーーいっ!!」 あぁ、またパパとママのけんかが始まっちゃった。 でもね、けんかって言ってもいっつも気が付いたらチュッチュし始めてるんだよ。 だからぼくは止めないの。だってどうせ時間の問題なんだもん。 それに、そんなパパとママをみてみんなが笑ってるからいいんだ。 みんな、本当に楽しそうに笑ってるから。 「ねぇパパ、妹はいつ生まれる? ぼく少しでも早い方がいいなぁ」 「今日つくるっつっても明日生まれるわけじゃねーからな・・・。よし、来年のお前の誕生日にはいるってことを約束してやる」 「ほんとっ?! パパ、ありがとうっ!!」 「おう、俺に不可能はねぇんだよ」 「ちょっとぉっ! いい加減にしなさーーーーーーいっ!!!」 「いってぇっ!!」 ママからおっきなげんこつをもらったパパは怒ってたけど、しばらくしたらママを抱きしめてみんなの前でちゅーしちゃった。 ほらね、時間の問題って言ったでしょ? みんなもそれがわかってるから笑って見てるんだよ。 ぼくの5回目の誕生日は、こうしてみんなでたくさん笑ったすてきな1日になりましたとさ。 未来の話を少しだけ。 迎えたぼくの6回目の誕生日、パパはちゃんと約束を守ってくれたよ。 やっぱりパパはすごいんだなぁ!
こちらは名前当て企画で見事的中された、てっさざくら様からのリクエスト作品になります。 リクエスト内容は、タマ、西田、楓、それぞれが誠に振り回されて普段なら見られないようなことをしてくれる。そんな姿を見たつくしや司が大笑いする、といったものでした。 最初見た時に 「超高難度キターー!」 と思いました( ̄∇ ̄) だって西田と楓が笑うとかね、ないでしょう?(笑) どんな話ならまとめることができるかな~と必死に考えました。その結果浮かんだのが誠の誕生日。望めばきっとなーーーんでも手に入るであろう彼が、 「みんなに笑って欲しい」 という極シンプルだけどとっても幸せな願い事をする。これだ! と思いました。 相変わらずとっちらかってちっともまとまりはありませんが、今の道明寺家が幸せに溢れているということが伝われば嬉しいなと(*^^*) ちなみに基本的には誠目線で書いてるので、漢字の使用率をぐっと減らしてます。(ひらがなばかりだとさすがに読みづらいので) てっさざくら様、素敵なリクエストを有難うございました^^ |
忘れえぬ人 26
2015 / 08 / 29 ( Sat ) 「本当に大丈夫かい? 熱もあるんだしいくらだってここにいてもらって構わないんだよ?」
「ありがとうございます。でもご覧の通り動けますから。ちゃんと家に帰っておとなしく寝ます」 「・・・そうかい。またいつでもここに来て構わないんだからね」 「そうですよ、牧野様、いつでもお待ちしてますから」 「あ、ありがとうございます」 タマをはじめ使用人は皆一様に残念がっていて、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。 「あの・・・タクシーを呼びたいんですけど、この場所って・・・」 「そんなものは必要ないよ。ちゃんと邸の人間が責任をもって送り届けるんだから」 「えっ、でも・・・」 「行くぞ」 「えっ?」 身支度を済ませたつくしの前に現れたのはこれまた身なりを整えたあの男。 初めて見る私服は濃紺のシャツに黒パンツという極々シンプルなものなのに、信じられないほど様になって高級感に溢れている。実際高級な服なのだろうが、だからといって誰が着ても同じように着こなせるわけではない。 この男だからこそだろう。 「何だよ」 「えっ? ・・・ううん、何でもない」 「ふん、見惚れてんじゃねーぞ」 「みっ・・・?! 見惚れてなんかいませんっ! ったく、なんで見た目がいい男ってこうも自信過剰な奴が多いんだか・・・ブツブツ」 「何か言ったか?」 「言ってません!」 本人達にはそんなつもりはないのだろうが、とてつもなく低レベルな言い争いにその場にいた使用人がクスクスと笑いを堪えきれずに肩を震わせている。 「ほんとに身体は問題ないんだろうな?」 「あ、うん。あと一晩ぐっすり寝れば大丈夫。身体の丈夫さだけが取り柄だから。それにさっき栄養たっぷりのおいしいお粥もいただいたしね。あはは」 「・・・じゃあ行くぞ」 「えっ、行くってどこに?」 既に数歩先を歩いていた司が振り返る。 「お前の家に決まってんだろうが。それとも何だ、適当にその辺に捨てりゃあいいか?」 「いや、それは困るけど・・・え、もしかして一緒に行くの? まさかね」 「そのまさかが不満だっつーのか?」 「えっ!!」 ジロリと突き刺すように睨み付けられたものの、驚くなという方が無理な話で。 わざわざこの男自ら家まで送ってくれるってこと? いや、まさか・・・ 「どうせこの後仕事に行かなきゃなんねーんだよ。どっかのバカのおかげで昨日は予定がずれこんだからな」 「あ・・・それは・・・ほんとにごめんなさい・・・」 思った以上にダメージがあったのか、つくしはしょんぼりと項垂れてしまった。 萎れた葉っぱのようになってしまったつくしにはぁっと溜め息をつくと、司は再びスタスタと歩き始めた。 「あと10秒以内に来なけりゃ1人で帰れ」 そう捨て台詞を残して。 「えっ、まっ・・・待ってぇっ!!!!」 案の定、条件反射のようにその後を追いかけるというのを計算しているのかいないのか。 つくしは何度も後ろを振り返って見送る使用人達に頭を下げながら、後れを取らないように必死に前を追った。 「・・・・・・あれっ」 「あ?」 長すぎる廊下を歩いてたつくしがふとあるものに気付いて足を止めた。 何故だか司もその声につられるように振り返る。 つくしが見ているのは扉が開いたままのとある部屋の中。 「なんだよ」 「いや、すごい天体望遠鏡だなぁと思って」 物置と思しき室内で一際存在感を放っているもの。 それは立派な1台の天体望遠鏡だ。 つくしにとって天体望遠鏡はお金のある家にしかないというまさに憧れの代物だった。 小学生の頃の宿泊学習で望遠鏡越しに見た星空が大人になった今も鮮明に残っている。 「好きなんだ? 天体」 「・・・さぁな。いつからそれがあるかも知らねーし」 「そうなの? こんなに立派なものがあるのにもったいないなぁ」 「くっ、物乞いか?」 「なっ、そんなわけないじゃん! ただ、宝の持ち腐れになるのはやっぱりもったいないよ。たまには覗いてあげなよ。ね?」 「・・・フン、知らねーな」 「もう、全く・・・!」 相変わらず愛想もクソもない男に呆れて言葉も出ない。 もう一度部屋の中央に置かれた望遠鏡を見る。 ただ置かれているだけだというのに、何故だかそれが酷く寂しげに見えて、つくしの心をわけのわからない切ない感情が包み込んでいく。 「あと2秒」 「え? あぁっ、待ってっ!!」 我に返ると、いつの間にか10メートルほど離れてしまっていた司を猛ダッシュで追いかけた。 *** 初めて一緒に乗るリムジンの中は緊張感でいっぱいだった。 とはいってもつくしが一方的に緊張しているだけなのだが。 沈黙が苦しい。 会話のない重い空気の車内と、昨日の雨がまるで嘘のように青々と澄み切った空がまた悲しいほどに対照的だ。 「あの・・・あらためて言うけど、昨日は本当にありがとう。ご機嫌取りでもなんでもなく、助けてもらったことに対するお礼だから。ありがとうございました」 目の前で深々と頭を下げたつくしを司は悠然と足を組んだまま黙って見ている。 きっと特段答えが返って来ないだろうとは思っていたが・・・うんでもスンでもいいから言ってよ! ・・・でも、何故この男が自分のテリトリーなんかに自分を連れて行ってくれたのか。 確かに倒れているのを目の当たりにすればどんな人間でも焦るに決まってる。 とはいえ常に運転手を引き連れているような男ともなれば、そういう人達に全てを丸投げにすることだっていくらでもできるわけで。 そもそもタイピンを放り投げられた時を考えれば、そのままあの場に放置されていたってなんら不思議じゃなかった。そんな男が一体どうして・・・ 相変わらず無言で窓の外に視線を送ったまま何を考えているかわからない男をチラッと見る。 ・・・うまく言葉にできないけれど、最初とは漂う空気が変わってきている気がする。 多分端から見れば何一つ変わってはいないんだと思う。 実際、相変わらず無愛想だし冷たいし、相手の都合なんてお構いなしだし。 ・・・それでも、最初の頃だったらどしゃ降りの中熱を出して倒れていようとも、絶対に助けてくれたりしなかった。平気で見殺しにできる、それくらい酷く冷たい目をしていた。 それなのに・・・ 夕べ、夢か現実かはわからなかったけど、熱でうなされているときに優しく頭や顔を撫でてくれた手があった。ひんやりしてるのに何故かあったかくて。そして大きかった。 まさか・・・まさかだよね? いくらなんでもそんなバカなこと・・・ 「何じっと見てんだよ」 「えっ?!」 ぼーっと思考に耽るあまり、いつの間にかこっちを見ていたことに全く気付かなかった。 あわわわわわ、あたしってば一体何を・・・! 「あ、あのさ、そういえば昨日って一体何の仕事だったの?」 「・・・お前をカメラテストに連れて行くつもりだったんだよ」 「カメラテスト?」 「お前、自分がどんな仕事を引き受けたか忘れてんじゃねーよな?」 「わ、わわ、忘れるわけないじゃない!」 嘘ばっかり。 あまりにもその仕事がないからすっかり忘れてたくせに。 とはいえ本気でモデルとして採用するつもりなのか。 いや、今さらなのはわかってるけど。 この前の話だと顔は出さずにいてくれそうな感じだったけど・・・一体どんなものを作ろうとしているのか。まさか類の時と同じでまた後ろ姿だとか?だとしたら色々と企業間で問題は出てこないのだろうか。 「うるせーな。それを考えるためにテストしようと思ってたんだろうが」 「えっ、なんで・・・・・・また?!」 「マジでうるせーんだよ、お前」 即座にパクッと口を真一文字に閉じて手で押さえた。 あ~もう、一体この口はどうなってるっていうんだ。 「お着きになりましたよ」 「あ、ありがとうございます!」 会話を始めたらびっくりするほどあっという間に辿り着いてしまった。 沈黙が続いたときは1分1秒があんなに長く感じたというのに。 「あの、本当にありがとう。感謝してます。斎藤さんも、ありがとうございました。じゃあこれで失礼します。 ・・・あ」 リムジンから片足を出したところでフッとつくしが何かを思い出す。 「あの、ちょっとだけ待っててもらってもいいかな?」 「あ? なんだよ」 「1分以内に戻って来るから。お願い、ちょっとだけ待ってて!」 そう言うが早いか、つくしは司の返事も聞かずに部屋へと走って行った。 中に入ると脇目も振らずに一直線にある場所を目指す。 収納の中から滅多に触ることのない小さな金庫を取り出すと、急いで鍵を解除していく。カチャッと音がしたことを確認すると、その中に大切にしまわれていたあるものを手に再び外へと出ていった。 もしかしたらもうリムジンはいなくなっているかもしれないとも思ったが、車は変わらずその場で待っていてくれた。この時点でやはり出会った頃とは明らかな違いを感じる。 「はぁはぁはぁ・・・待たせてごめん。あの、これ」 「? なんだよ」 「あの時のタイピン。ずっと返したいと思ってたの」 つくしの手のひらに包まれた輝きを見て珍しく司が驚いた顔に変わる。 それもそのはず、司からすればあの日放り投げてとっくになくなっているか壊れているとばかり思っていただろう。 「お前、これ・・・」 「あはは、貧乏人の性ってやつ? あんな目にあったけどやっぱり物を粗末にすることを見過ごすなんてできなくて。おまけにこんな高価なものでしょ? あんたにとっては取るに足らない物かもしれないけど、でもちゃんとこれは自分で持ってて」 「・・・・・・」 そう言って窓の外から司の腕を掴むと、つくしはその大きな手の中に強引に押し込んだ。 今の彼ならまた放り投げたりはしない。 ・・・・・・と信じたい。 内心ドキドキしながら相手の出方を待っていると、しばらく無言で握らされたそれを見ていた司が顔を上げた。 「・・・これはお前が持ってろよ」 「えっ?」 ・・・今、なんて? だが状況が掴めないつくしをよそに、たった今ようやく渡したばかりのタイピンが今度は自分の手に返されてしまった。 「えっ・・・えっ?! ちょっ・・・意味わかんないから! これはあなたのものでしょう? なんであたしなんかに・・・」 「さぁな。とにかくお前が持ってろ」 「お前が持ってろって・・・だからなんで? あたしこんな高価な物持たされても困るの!」 「撮影はまたあらためて日程を連絡する。今度こそちゃんと携帯持ち歩けよ。次同じようなことがあったら見殺しにするからな」 「わ、わかった・・・・・・って、そうじゃなくて! だからこれっ、あっ! 待ってよっ!!」 言いたいことだけ言うと、司はパワーウインドウを上げてつくしの会話を遮断していく。 そして間髪入れずにリムジンが走り出してしまった。 「ちょっ・・・ねえってばっ!! こらっ、道明寺っっっっっ!!!!」 精一杯の叫びも虚しく、黒い車体はあっという間に角を曲がっていってしまった。 呆然とタイピンを握りしめたままつくしはその場に立ち尽くす。 「な・・・なんで・・・? 本気でわけわかんないんですけど・・・」 別に怒っているようには見えなかった。 最初にこれを返そうとしたときには全身から怒りのオーラが滲み出ていたというのに。 だからこそ今なら受け取ってくれると思ったのに・・・ どうしてもいらないというのなら、せめて自分で処分してくれればいいのに。 「一体なんだって言うのよ・・・ほんとわけわかんない・・・」 すごすごと戻って来た部屋の中で、さっき開けたばかりの箱の中に再びタイピンを戻していく。 たかが1つのタイピン、これを返すことがこんなに難しいことになるだなんて、一体世界中の誰が想像できたというのか。 「っていうかこれもどこ経由でこんなところにあるっていうのよ・・・」 タイピンのすぐ隣で輝きを放っているもの。 それは土星の形をした見るからに特注品だとわかる高級ネックレス。 まさか知らぬ間に盗みでも働いたわけではないだろうに、何故貧乏人の自分がこんなものを持っているというのか。 『 付き合ってたとか? 』 『 もちろん知ってるさ 』 『 こちらに何度もいらっしゃったことがありますから 』 『 いつでもここに来て構わないんだからね 』 『 いつでもお待ちしてますから 』 つくしの脳裏に次から次に色んな言葉が溢れていく。 目の前にあるのは本来自分がもてるはずのない身分不相応な高級品。 同じような輝きを放つその2つが並んでいるのはただの偶然? それとも・・・ 「 まさか、まさかね・・・。 そんなことがあるわけ・・・ 」 絶対にそんなことはあり得ない。 そう思っているのに、どこかでそう言い切れずにいる自分に、つくしは戸惑いを隠せなかった。
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忘れえぬ人 25
2015 / 08 / 28 ( Fri ) 「ん~~~!」
極上の寝心地のベッドでぐっすり眠ること・・・何時間? カーテンの隙間から差し込む光はすっかり夜が明けたことを教えてくれている。 体中に重りがついたようにだるかった体も今では嘘のように軽い。寝込んだことは予定外だったとはいえ、我ながら頑丈な体だと思う。 「おはようございます。お目覚めですか?」 「あ、おはようございます」 タイミング良く入って来たのは昨日倒れそうになったのを助けてくれた女性だ。 「お加減はいかがですか?」 「あ、びっくりするくらい楽になってます。皆さんのおかげです。本当にありがとうございます」 「とんでもございません。よかったです、少しでも元気になられたのならば」 「あの・・・失礼ですけど、お名前は・・・?」 「あ・・・私、本田と申します」 ふわりと優しく微笑む女性。何故だかこの人を見ていると懐かしく思える。 「本田さん・・・もし失礼なことを聞いてしまったらごめんなさい。本田さんは私のことをご存知なんですか?」 「えっ?」 「あ、あのっ、実は私・・・4年前に部分的な記憶喪失になってしまいまして・・・。昨日の様子を見ていたら初対面じゃないのかなって思って、それで・・・」 しどろもどろに話すつくしを本田が切ない顔で見つめている。 だがつくしと目が合うと、また瞬時にニコッと華やかな表情へと変わった。 「はい、もちろん存じております。牧野様はこちらに何度もいらっしゃったことがありますから」 「あ・・・そうなんですか?」 「はい。私だけではなく多くの使用人が牧野様のことを知っておりますよ」 「・・・」 そうなんだ・・・。 一体何しにここへ・・・? この4年、あの色男3人衆のお邸へ行ったことなどただの1度もない。 あるとすればせいぜい類がアパートに来るくらいだろうか。 それなのにこのお邸には何度も来ているという。 『 もしかして付き合ってたとか? 』 聞いてみたいけれど、今の自分にその答えを受け止めるだけの心の余裕はない。 それに、どちらにしても向こうだって記憶がないのだ。 驚きの過去があったとしても・・・今さらどうにかなる問題でもない。 「目が覚めたようだね。具合はどうだい?」 「あ・・・タマ、さん・・・」 「どうして名前とさんの間を区切るんだい? おかしな子だね」 「あ、いえ・・・勝手に名前を呼んでしまって良かったのかなと一瞬迷ってしまって」 「いいに決まってるさ。ほら、熱を測ってみな」 「あ、はい」 体温計を受け取ると脇に挟んであらためて室内を見渡す。 昨日は頭がボーッとしていてはっきり見えなかったが、こうして見ると本当に凄い部屋だ。 自分が今ヨーロッパのお城にいるんじゃないかという気さえしてくる。 あの男は正真正銘のセレブなんだということを目の当たりにした格好だ。 ピピピッ ピピピッ 「どれ。・・・さすがにまだ熱は下がりきってないようだね」 デジタル体温計が示す数字は37.6分。 「でも昨日に比べれば天と地の差ほど体が楽です。家に帰って今日1日おとなしくしてれば明日には回復しますから。私、体の丈夫さだけが取り柄なので!」 「今日もここに泊まっていって構わないんだよ?」 「えっ?! いやいや、さすがにそれは・・・。ほんとに大丈夫ですから。ちゃんと帰ってしっかり寝ます。明日からまた仕事ですしね」 いくら厚意だとはいえ赤の他人の家にお世話になるなんてダメだ。 しかもよりにもよってあの男のお邸だなんて・・・ 「朝食はどうするかい? 無理はしなくていいけど、食べられるなら少しでも口に入れた方が元気になると思うけどね」 「あ・・・じゃあいただいてもいいですか?」 「もちろんさ。ここに運んでもいいしダイニングで食べてもいいし、あんたの体調に合わせて好きな方を選びな」 「えっと・・・じゃあ自分が動きます」 「無理はするんじゃないよ?」 「大丈夫です。本当に体は軽いので」 「それじゃあこの子から上着をもらって温かい格好をして来な。あたしゃあ向こうに伝えてくるから」 「あ、ありがとうございます!」 見た目は腰が曲がったお婆さんなのに、その移動速度は驚くほどに速い。 「牧野様、こちらをどうぞ」 「あ、ありがとうございます・・・」 すぐに持って来た羽織をおずおずと受け取って身につけていく。朝になって気付いたが、今自分が着ているのは今まで経験したことのないような肌触りのパジャマだ。 ありがたい一方で気になることが。 「あの、本田さん」 「はい、なんでしょうか?」 「この着替えって・・・」 どうにも気まずそうに尋ねるつくしに全てを理解したのか、本田はふふっと笑った。 「あぁ、それなら私がさせていただきました。失礼だとは思ったのですが、ここに来られたときに牧野様はずぶ濡れで酷く冷たくなっておられましたから・・・」 よもやあの男がしたとは思わなかったけれど、それを聞いて心底ほっとする。 「ありがとうございます。・・・あの、本当にあの人があたしのことをここへ・・・?」 「司様のことですか? そうでございますよ。運転手の者から事前にこちらに連絡は入っていたのですが・・・牧野様を抱きかかえられて邸に戻られた司様はたいそう心配なさったご様子でした」 心配? あの男が? 「怒ってなかったですか?」 「いいえ、高熱にうなされている牧野様のことを心から心配なさっておりました。すぐに医者に診てもらい、点滴を打たれて容態が落ち着くまではずっと牧野様のご様子を見守られておいででしたよ」 「えっ・・・?」 「普段の司様からは絶対に考えられないことです。やっぱり牧野様は牧野様でした」 「え・・・?」 どういうこと・・・? やっぱりって・・・何が? 戸惑いを隠せていないつくしにフッと目を細めると、背中にそっと手を添えた。 「さぁ、お食事に参りましょう。本当に移動されて大丈夫ですか?」 「あ、はい。それはもう。じゃあ案内をお願いします」 「はい、かしこまりました」 嬉しそうにあの柔らかい笑顔を見せると、本田はつくしをゆっくりとダイニングへと連れて行った。 *** 「あ・・・」 小さく出た言葉に気付いた男が手にしていた新聞からフッと顔を上げた。 広いダイニングテーブルに座っているのは・・・あの男。 「あ・・・あの、おはようございます。昨日は本当にあり・・・」 「熱は?」 「えっ? ・・・あ、まだ完全ではないですけど、随分下がって楽になりました。これも助けてもらったおかげです。本当にありがとうございました」 「気色わりぃ」 「・・・・・・え?」 深々と下げた頭に降ってきた言葉。 ・・・気色わりぃ? 「お前、何いきなり敬語なんて使ってやがる。散々人に悪態ついておきながら今さらしおらしくしてんじゃねーよ。気色悪くてこっちの具合が悪くなるっつーんだよ」 「なっ・・・?!」 病み上がりの人間に開口一番言うことがよりにもよってそれか?! 「今さら態度変えんじゃねーよ。いつも通りにしろ」 「・・・・・・」 「何ぼーっと突っ立ってやがる。食わねぇなら出て行けよ」 「くっ、食いますっ! ・・・じゃなくて食べますっ!!」 ・・・って、一体どこに座ればいいんだ? テーブルが無駄に大きいやら長いやらでどうしていいのかわらかない。 とりあえず、ナイフとフォークが置かれてる場所に座れってことでいいのかな・・・? つくしはおずおずと司の向かいになる席へと腰を下ろす。 とは言っても互いの距離は数メートルも離れているのだが。 遠っ!! 「あ、ありがとうございます」 「いえ、とんでもございません」 初めて見る顔の女性が座ったと同時に食事を並べていく。その隙のなさに驚きっぱなしだ。 「牧野様はまだ熱がおありになるということで、今回は胃に優しいお粥にさせていただきました」 「わぁ、ありがとうございます!」 お粥とは思えないほどいい香りがする。 黄金に輝くご飯を見た途端、なんだか一気にお腹が空いてきた。 「ごゆっくりどうぞ」 「ありがとうございます! じゃあいただきます!」 司にも配膳がされたのを確認すると、つくしは手を合わせて頭を下げてからゆっくりとお粥を口に含んだ。 「ん~~~~~っ、おいひい~~~っ!!!」 何これ、何これ、何これっ!! こんなにおいしいお粥なんて今まで食べたことがないっ! っていうか本当にお粥なの? だって、お粥って言ったら普通は梅干しが入ってるくらいで・・・ ここに入ってるのは鶏肉に牡蠣に、他にも旨味成分たっぷりの高級食材ばかり。 はぁ~っ、これがセレブにとってのスタンダードってやつなのねぇ・・・ 一生に一度のこの黄金お粥、ありがたく最後まで頂戴しなければ。 「・・・・・・ん?」 ふと、どこからともなく視線を感じて顔を上げる。 と、正面に座っている司がじーーーーっと無表情でこちらを見ていた。 ・・・一体いつから? 「あ、あの・・・」 「お前、うるせーぞ」 「えっ?」 「メシぐらい黙って食えねぇのかよ」 「・・・・・・えっ!!」 ずっと黙って食べてたはずだけど・・・・・・まさか・・・まさかっ?! 「粥ぐらいでギャーギャー騒ぐなんてある意味めでたい奴だよな。だが貧乏人とはいえ黙って食えよ」 「うっ・・・ご、ごめん・・・」 やっぱりやってしまったらしい。 どうしてこうも自分で気付かずに声に出してしまっているのか。 つくしは今度こそと気を引き締めて食べ始めたが、やっぱり口に入れた途端破顔するのを止めることはできそうもない。 「・・・そんなにうまいかよ」 「うん! めっちゃくちゃおいしい!」 「フン、これだから貧乏人は」 「おいしいものをおいしいと感じることにお金持ちも貧乏人も関係ないでしょ? そっちこそなんでそんな仏頂面で食べてるのよ。おいしい料理が不味くなるでしょ!」 司の前に並べられているのはとても朝食とは思えないほど豪華なコース料理だ。 「別にうまいと思ってねーからな」 「はぁっ?! 本気で言ってるの?」 「いちいち嘘つく必要がどこにある? 生まれてこの方メシがうまいなんて感じたこともねーな」 「・・・・・・」 開いた口が塞がらない。 本気・・・? またわざと憎たれ口叩いてるんじゃないの? ・・・そう思ったけど、でもこの男はきっと心の底からそう言ってる。何故だかそう思えた。 ぐるっと室内を見渡してみる。一体どれだけの人が入れるんだというほど広いダイニングには、これまたどれだけの人間が座るんだと言わんばかりの大きなテーブルが置かれている。今ここで食事をしているのは2人だけだというのに、その2人ですら数メートル離れた場所にいる。 なんだかこれじゃあ・・・ 「・・・いつもこんな感じなの?」 「あ?」 「食事の時、いつもこんな広いところで?」 「まぁな」 「1人で? 家族は?」 つくしの投げかけた質問に、何故だか司は嘲笑うように息を吐いた。 「家族? そんなもん知らねーな」 「知らないって・・・」 「仕事でせいぜい年に数回顔をあわせるだけの奴を家族云々言われても迷惑なんだよ」 「・・・・・・」 ズキン・・・ 胸が痛い。 こんなに広い部屋に? こんなに広いお邸に? いるのは自分と使用人だけ・・・? 一体何のためにこんなに大きなスペースがあるのか。 むしろ大きければ大きいほど孤独感は募るばかりじゃ・・・ 「フン、同情でもしてんのか? いかにもお前がやりそうなことだな」 「なっ、違います!」 「てめぇにとってどう思うか知らねーけどな、俺にとっちゃこれが 『普通』 なんだよ。お前のわけのわからねー正義感を勝手に押しつけられるなんて迷惑以外の何物でもねぇっつんだ」 「・・・・・・」 確かにその通りだと思う。 育ってきた環境なんて人それぞれで、この男が貧乏人の世界を理解できないように、あたしだってセレブの世界は理解できない。そして家族のあり方だって・・・ スプーンを握っていた手にぎゅっと力が入る。 「・・・別にあんたがどうこうなんて思ってないから! あたしはこのお粥を食べておいしいって思ったらか素直に口にしただけ。あたしにとってはこれが 『普通』 なんだから、あんたにどう思われようと正直に口にし続けるから! うるさいって言われようとも関係ないから!」 「・・・・・・」 「ん~、おいしいっ! こんな贅沢なものを毎日食べてたら感謝の気持ちも薄れるのもある意味では仕方ないのかもね~」 「うるせぇぞ」 「あ~、おいしいなぁ! ほら、手が止まってるよ。早く食べなさいよ。熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べる。それが作ってくれた人への礼儀ってものだよ」 「・・・チッ!」 「はいそこ、舌打ちしない! さすがはセレブ、食事の所作が綺麗だな~なんて思ってたけど、やっぱり内面の悪さは隠せないみたいだね」 「・・・んだと?」 「おっと、何でもないっ! ・・・あ~、おいしいな~サイコー!」 「・・・」 とても昨日40度以上の熱を出してぶっ倒れていた奴だなんて信じられない。 あれは幻だったんだろうかと思いたくなるのも当然だ。 ・・・だが。 司はじっと己の両手を見つめた。 昨日この女を抱き上げたとき、あまりの軽さに驚いた。 貧相な女だとは思っていたが、雰囲気からか至って健康的に見えているのに。 それとも女なんてどいつも似たようなものなのだろうか。 倒れようがどうしようが女を抱き上げるなんてことのない人間には到底知りようのないことだ。 では何故あの時俺は・・・ 「ほら、早く食べなさいよ。冷めちゃうでしょ!」 「・・・うるせーな。人のこと言ってる暇があったらてめぇこそ食えよ。あんな鶏ガラみてぇな貧相な体しやがって」 「とっ・・・み、見たの?!」 「誰が見るかよそんなもん。抱えたときにわかったんだよ。どうせろくなもん食ってねぇんだろ? よかったな、今日はたいそう栄養のあるもんが食えて」 予想通りみるみるふくれっ面に変わっていく。 だが半分は事実を言われている自覚があるのか、目の前の女は気を取り直してまた食べ始めた。1口食べてはいちいちウマイだのサイコーだの声をあげやがる。 ったく、うるせーったらねぇ。 ・・・だがうるさいとは思っても、何故かいつものような鬱屈とした苛立ちがない。 1人で食事しているときはいつも眉間に深い皺が刻まれているというのに、今は言葉に反してそれが見られない。 司自身はそのことに全く気付いてなどいないが。 それでも、部屋の隅に控えていた使用人がそんな2人の様子を涙を堪えながら見守っていたなどと・・・この時の2人は考えだにしなかった。
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忘れえぬ人 24
2015 / 08 / 27 ( Thu ) 熱い・・・
苦しい・・・ 頭が割れそうに痛いよ・・・ 「 大丈夫だよ。 じきに点滴が効いてくるから、ゆっくりお休み 」 ・・・誰・・・? なんだか、凄く懐かしくて、あったかい声がする。 あたしはこの声を知っている。 ・・・・・・でも顔が浮かばない・・・ ・・・・・・名前がわからない・・・ あぁ、熱くて、熱くて、何にも考えることができない。 このまま脳みそが溶けてなくなっちゃうんじゃないかってくらいに熱くて、何も・・・ ヒヤッ・・・ ・・・・・・気持ちいい・・・ 触れた手は冷たいのに、不思議ととても温かく感じる。 大きくて、安心できるこの手は、誰・・・? ずっとずっと、触れていて・・・ このままずっと、離さないでいて _____ 「う・・・」 ・・・だるい。 まるで体が鉛になったように重くてだるい。 重しがついてるんじゃないかと思える瞼をゆっくり開けると、ぼやけながらも徐々に世界が鮮明に彩られていく。自分が室内にいるのだとわかると同時に、どうやって家まで帰ったのかと不思議に思う。 確か仕事だと呼び出されて待ち合わせ場所で待たされて・・・ 「・・・・・・・・・」 ・・・ん? ぼんやり見上げたシャンデリアに目が釘付けになる。 キラキラと宝石のように光を放つそれは人を魅了して止まない。 ・・・・・・ってそうじゃなくて! シャンデリア?! 「えっ・・・?」 一気に現実に引き戻されて慌てて体を起こした。 が、ぐるんと回転するように視界が揺れ、そのまま真っ逆さまに倒れていく。 「牧野様っ!!」 咄嗟に聞こえた声と伸びてきた手がつくしの体を間一髪支え、辛うじて落下は免れた。 「大丈夫ですか?!」 「え・・・あ、ありがとうございます・・・って、え・・・? ここは・・・? 一体何が・・・」 たいそう心配そうにしているのは30代ほどの女性だろうか。まるでメイドのような服装に見るからに豪華絢爛な室内。ふかふかの大きなベッドにどこかの貴族を思わせるような調度品の数々。 自分は今一体どこにいるというのか。 よもや無意識でメイド喫茶に来たなんてことは・・・ 「気が付いたようだね」 「あ、タマ様・・・」 タマ様? 混乱するつくしの前にもう1人、見知らぬ老婆が姿を現した。 腰の曲がった小柄な女性に見覚えは・・・ない。 「具合はどうだい?」 「あ・・・体がだるいですけど、でも大丈夫です。それよりもここは一体・・・皆さんはどちら様ですか?」 「牧野様・・・?」 つくしの言葉に若い女性がひどく驚いている。何かを訴えるようにすぐに隣に立つ老婆を見たが、対照的にその人は落ち着いた様子でじっとこちらを見つめたまま。 「覚えてないかい? あんたは昨日雨の中でずぶ濡れになって倒れてたんだよ」 「倒れてた・・・?」 導かれるように少しずつ記憶が蘇ってくる。 そうだ、あの男から仕事だと命を受けて待ち合わせ場所に行ったはいいものの、待てど暮らせど誰も来なかった。途方に暮れていたところでどしゃ降りになるという、まさに泣きっ面に蜂状態だったのだ。 元々風邪気味で熱っぽいなとは思ってたけど・・・まさかあのまま倒れてしまっただなんて。 ・・・でもちょっと待って。問題はそれからどうしたんだってことじゃない? 「・・・あのっ、それでここは一体・・・」 「やっと起きたかよ」 「えっ・・・?」 離れたところから聞こえた声に顔を上げると、そこには思いも寄らぬ人物がいた。 ____ まさか。 何故?! 何故この男が・・・ 「 道明寺っ・・・! 」 思わず口をついて出た名前に司の眉がピクリと上がって慌てて口を押さえた。 ズンズン近づいてくる男は見るからに・・・怒りのオーラに満ちている。 驚いてつい呼び捨てにしちゃったくらいでそんなに怒らなくたっていいでしょうが! そんな心の声も虚しく、さっと横へずれた女性陣の代わりにすぐ目の前で司が仁王立ちになった。 な、何を言えばいいのやら。 全くもって状況が見えずにどこから聞けばいいのかもわからない。何から・・・ 「 このバカ女っっっっ!!! 」 「ひゃあっ!!」 が、突然落ちた雷にそんな思考も全て吹っ飛ばされてしまった。 「な・・・何っ?! 確かに呼び捨てしちゃったのは悪いけど、でも驚いて咄嗟に出たくらいでそこまで怒んなくたってい・・・」 「てめぇ何考えてやがる?! あんなどしゃ降りの中ずっとずぶ濡れで立ってるとかバカだろうが! 死にてぇのかっ!!!」 鬼の形相で怒鳴りつける男に一瞬言葉を失うが、こっちにだって言い分はある! 「そっ、そんなに怒らなくたっていいでしょ?! だいたいね、時間を守らずに散々人を待たせたのはどこのどいつよ! こっちがどれだけ待たされたと思ってんの? 挙げ句の果てに雨まで降ってきて・・・何度帰ろうと思ったことか。それでもちゃんと待ち続けたんじゃない!」 「携帯は」 「えっ?」 「お前、俺が渡した携帯はどうした」 「・・・あ・・・それは、家に忘れて・・・」 「メール、電話、何回したと思ってる。俺は予定変更をお前に幾度となく連絡してんだよ」 「あっ・・・・・・」 シーーーーーーーーーン・・・・・・ さっきとは対照的に静かに降ってくる声が逆に恐ろしい。 沸々と湧き上がっている怒りがよりリアルにびしびしと全身に突き刺さってくるから。 「ご・・・ごめんなさい・・・」 あぁ、なんだか腑に落ちないけれど、それでも自分の落ち度は認めないわけにはいかない。 思いの外あっさりと謝罪の言葉を口にしたつくしを司はただ黙って見下ろしたまま。 うぅ、空気が重い。 ちゃんと謝ったんだから何か一言くらい言ってよね! 「坊ちゃん、もうその辺にしておいたらどうですか。まだ体調だってよくないんですから」 「・・・フン」 重苦しい空気に助け船を出してくれたのはあの老婆だ。 「あ、あの・・・さっきも聞いたんですけどここはどこですか?」 「ここは道明寺のお邸だよ。あんたが倒れてるのを坊ちゃんが見つけてここに連れて来たのさ」 やっぱり・・・ この男が現れた時点でもしかしたらとは思っていたけど、本当にそうだったなんて。 この高級過ぎる室内もそれで合点がいくというもの。 理由はどうあれ迷惑をかけてしまったことに変わりはない。 「あの・・・迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい」 「・・・・・・」 うぅ、だから何か言ってよ! 「・・・助けてくれたことには心から感謝します。・・・すぐにあたしは帰りますから・・・わっ?!」 「危ねっ!!」 「ぶっ・・・!」 布団を捲って急いで立ち上がろうとした瞬間、またしても景色がぐるんと回った。 何が起こったかもわからないままに倒れていった体が、顔面から硬い何かに激突する。 は、鼻がっ・・・!! 痛みに思わず鼻を押さえると、その拍子にふわりと鼻孔をいい香りがくすぐった。 この香りは・・・ 「・・・・・・ひぇっ!!」 「・・・」 見上げた直後に硬直する。 そりゃそうだろう。 だってこの男の腕の中に自分がいるともなればそうなるのも当然だ。 どうやら倒れそうになった体を支えてくれたらしい。 「あわわわ・・・ご、ごめんなさいっ! 重ね重ね迷惑かけて・・・あのっ、ほんとにもう帰るのでっ」 「迷惑かけたくないならじっとしてろ」 「えっ?」 肩に置かれたままの手にグッと力が入ったような気がする。 「つくし、あんたは肺炎を起こしかけてたんだよ」 「えっ・・・」 「坊ちゃんが迎えに行かなかったらどうなってたことか・・・今は点滴で随分楽になっただろうけど、まだまだ安静にしてなきゃだめだよ。熱だってまだあるんだ。今日はこのままここでゆっくり休みな」 「え・・・えぇっ?!」 このままって・・・ここに?! いやいやっ、ありえないから! 「いえっ、あの、手厚くお世話していただいたのは本当に感謝しています。でもこれ以上ご迷惑をかけるわけには・・・タクシーを使って帰りますから」 「お前、ほんとに悪いと思ってんのか?」 「え・・・? も、もちろん・・・」 だからこそこれ以上迷惑はかけられないんじゃん。 なのになんでそんな怖い顔で睨み付けるのよ。 「死にてぇなら帰れよ」 「え?」 「そしてさらに迷惑をかけてもいいってんなら勝手にしろ」 「・・・・・・」 体を支えていた大きな手がするりと離れていく。 なんだかそれが無性に寂しく思えるだなんて・・・どうかしてる。 熱のせいだ、絶対。 「つくし、坊ちゃんはあんたのことを心配してるんだよ」 「おいタマ、てめぇ勝手なこと言ってんじゃねーぞ。ぶっ飛ばされてぇのか」 「はいはい、この老いぼれでよろしければ後でいくらでもどうぞ。 つくし、とにかくあんたはほんの数時間前まで40度以上熱があったんだ。冗談抜きで死んでたかもしれないんだよ。今は素直に坊ちゃんの言葉に甘えておきな」 「でも・・・」 「お世話のことなら気にするんじゃないよ。ここにはいくらだって部屋は余ってるし、お世話する人間だって溢れてる。あんたが気にするようなことは何一つないさ」 「・・・・・・」 チラッと上を伺う。 相変わらずとんでもなく恐ろしい顔で睨み付けられているが、あの極悪非道なはずの男が一言だって 「帰れ」 とは言わない。いつものことを考えればいの一番に言いそうなことだというのに。 というか状況が状況だったとはいえ、まさか自宅に連れて来るなんて・・・ それだけ心配してくれたということ・・・? つくしは胸元にあてた手をきゅっと握りしめた。 「・・・あの、それじゃあお言葉に甘えて今日だけ・・・。今日だけお世話になってもいいですか? 明日になればすぐ帰りますから」 「そんなことは気にしなくていいんだよ。ちゃんと回復するまでは余計なことを考えるのはよしな。坊ちゃん、それでいいですね?」 「・・・・・・好きにしろ」 無愛想に一言だけそう言うと、司は背を向けてベッドから離れていく。 「あ、あのっ!」 だがつくしの声に足を止めると、ゆっくりと振り返った。 「あの・・・迷惑をかけてしまってほんとにごめんなさい。・・・それから、助けてくれてありがとう」 「・・・・・・」 じーっと、まるで時間が止まったかのように無言で見つめられる。 ・・・というか睨まれている? 無表情すぎるその顔からは何を考えているのかは全くわからない。 だからっ、何でもいいから何か言ってってばっ! 「あ・・・」 だがその願いも通じず、結局司は何も言わずに部屋から出て行ってしまった。 ・・・何よ、何だよ。 人が素直に謝ったっていうのに。相変わらずあの冷酷男は! ・・・・・・でも・・・ 「何か口にするかい?」 「あ・・・いえ、まだそんな気分では・・・」 「そうかい、じゃあゆっくり休みな。ほら」 「あ、ありがとうございます・・・」 横になったつくしに老婆が甲斐甲斐しく布団を掛けてくれる。 そういえば気になることが。 「あの・・・タマさん・・・でしたよね? あたしの名前を呼んでましたけど・・・あたしのことをご存知なんですか?」 司から名前を聞いにしてはやけに親しげだった。 もしかして欠けた記憶に彼女も含まれているのだろうか。 つくしの問いかけにほんの一瞬だけ老婆は寂しげな表情を見せた。 「・・・そうだね。でも今は余計なことは考えるんじゃないよ。とにかくゆっくり休みな」 「・・・そうですね。ありがとうございます」 「使用人が部屋の前にいるから。何かあったときには遠慮なく声をかけるんだよ」 「はい。お心遣いに感謝します」 つくしの言葉に優しく微笑むと、照明を少し落としてからタマと呼ばれた女性も部屋を後にした。 広すぎる部屋にポツンと残され途端に寂しさが襲ってくる。 1人でいるなんて日常的なことなのに、何を急におセンチな気分になっているのか。 全く、子どもじゃないんだから。 これはあれだ、珍しく熱なんか出したからに違いない。 ・・・そして、思いがけぬ優しさに触れたから。 いつものようにふざけんなって怒鳴りつけて容赦なく追い出せばいいのに。 具合が悪かろうがなんだろうがそんなことおかまいなしの冷酷人間のくせに。 ・・・なんで黙って受け入れてんのよ。 「らしくないことなんてしないでよね・・・」 猫の子のように小さく丸まったつくしを、いつまでもさっきの甘い残り香が包み続けた。 薄暗い部屋に伸びる大きな影。 窓の外は相変わらず大粒の雨が落ち続けていて、静まり帰った室内にやけに響いて聞こえる。 「 ・・・あの女、やっぱり記憶がねぇんだな 」 外を眺めながら小さく呟いた声も、激しい雨音に一瞬にして掻き消されていった。
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忘れえぬ人 23
2015 / 08 / 26 ( Wed ) 「くっそ、思ったより時間かかんな」
早朝からトラブルの関係で急な予定が入り別会社を訪れていたが、予想を遙かに上回って仕事がずれ込んでいる。時計を見ればじきに午前9時を指そうとしていた。 つくしをモデルとして採用すると宣言してから1ヶ月以上。 結局今までそれらしい仕事はさせていない。 離島に行く際、広告のイメージを掴むためにあの女を連れて行ってはみたが・・・これだという決定打は浮かんではこなかった。 いい加減このままじゃあの女が自分の立場を忘れかねないと、強制的にカメラテストをさせることに決めた。完全にノープランだが、撮影しているうちに何かイメージが掴めるかもしれない。 事前に教えておくとろくでもないことになりそうだと、とりあえず時間と場所だけ伝えておいたのだが・・・ 「・・・間に合わねぇな」 「迎えに行かせましょうか?」 「いや、確かスタジオはあそこから近かったよな? だったら車を出すよりも歩いた方が早いだろ」 言いながらスマホを操作して短縮に電話をかける。 ・・・が、コール音が延々と鳴り続けるだけ。 「・・・・・・あのクソ女、出やがらねぇ」 「もしかしたら待ち合わせ場所に移動している最中なのでは? 動いているときは電話に気付かないことも多いですから」 「チッ、手間のかかる女だぜ」 この俺に二度手間かけさせるとは。 忌々しく思いつつもメールを打っている自分もどうかと思うが。 「・・・このところ随分楽しそうにされてますね」 「・・・・・・はぁ?」 じっとこちらを見下ろしていた西田が突然わけのわからないことを口にする。 楽しい? 誰が? 何が? 「何と言いますか・・・忙しいことに全く変わりはありませんが、帰国されてからの副社長は生き生きされているといいますか」 「お前何言ってんだ? わけわかんねーこと言ってっとブッ殺すぞ」 「・・・大変失礼致しました」 珍しく雑談を始めたと思ったら全くもって意味のわからねぇことを言いだしやがった。 マジで何言ってやがる? 生き生きしてる? バカバカしいにもほどがある。 思い当たることなんか何1つない。 生き生きじゃなくて俺は常にイライラしてんだよ! 「すみません、お待たせ致しました」 忌々しい気持ちでメールを送信すると、ちょうどそのタイミングで相手方の社長が戻ってきた。司はスマホを胸ポケットに放り込むと、それからはその存在も忘れて仕事へと没頭していった。 *** 「やっと終わったか。結局3時間もずれ込んだわけだな」 気が付けばもう11時を回っている。 6時にここに来てからぶっ通しで5時間。どうりで疲れるはずだ。 首をコキコキと動かして筋肉をほぐしていると、電話に出ていた西田が慌ただしく戻って来た。 「司様、今スタジオの担当の者から連絡がありまして、牧野様がまだ来ていないと」 「・・・何? どういうことだ?」 「わかりません。ですが現地に行っていないことだけは確実なようです」 「あの野郎・・・まさかすっぽかしやがったか?」 すぐにスマホを取り出して電話をかける。 だが何度かけても先と同じで、コール音が鳴り続けるだけで全く出る気配がない。 「チッ! いつでも連絡が取れるようにしろっつってるのにあのクソ女・・・!」 「いかがなさいますか? 私が指定場所に行って確認をしてまいりましょうか」 「車を出せ」 「・・・はい?」 「俺が行く」 いつの間に雨が降り出していたのやら。 仕事に没頭するあまり空模様の変化になど全く気付かなかった。 薄暗い鉛色の空から大粒の雨が落ちて容赦なく地面へと叩きつけられていく。 跳ねた滴がスーツの裾にじわじわとシミを作り、思わず舌打した。 「鬱陶しいったらねぇな」 晴れたからって気分がよくなるわけでもないが、雨の日は殊更いらつきが増す。 鬱屈とした気持ちをなんとか抑えながら車を降りて歩いて行くと、やがて待つように指示したビルが見えてきた。だがぱっと見それらしい女は見当たらない。 「・・・? やっぱあの女すっぽかしやがったか?」 雨のせいでこの場を離れたかとも考えたが、それならば電話には出るはずだ。 電話にも出ない、指定場所にもいないということはとうとう逃げ出したか。 だが残念だったな。 この俺から逃げられると思ったら大間違いなんだよ。 「あの、大丈夫ですかっ・・・?!」 ちょうど死角となるビルの脇から男の声が聞こえてくる。 何故だか導かれるように足が動くと、角を曲がったところで1人の男が座り込んだ女に手をかけたところだった。 「おいてめぇ、何してやがる」 「えっ?!」 突然肩を凄まじい力で鷲掴みにされた男が驚いて振り返る。 その男の手が触れているのは・・・あの女だ。 「いえっ、たまたまここを通ったらこの女性が座り込んで苦しそうだったので、それでっ・・・」 「どけっ!」 まだ何か言っている男を突き飛ばすと、目の前には男の言う通り壁にもたれ掛かるようにして女が苦しそうに蹲っている。おまけに全身ずぶ濡れだ。 まさか朝からずっとここに?! 「おいっ、お前何やってんだよ! こんなにずぶ濡れになってバカじゃねぇのかっ!」 「う・・・」 肩を揺らした拍子に頭がグラリと倒れそうになるのを慌てて受け止める。 ___ 触れた体は燃えるように熱い。 「お前・・・。 おいっ、しっかりしろっ! おいっ、 ___________ 牧野っ!!!」 初めて読んだ名前にうっすらと目が開く。 だが虚ろな視線は名前を呼んだ張本人を捉えることはなく、焦点が合わずにぼんやりとどこかを見た後にすぐに閉じられてしまった。 「チッ、くそったれが・・・! おい、そこのお前!」 「えっ!!」 「その辺りに散らばってる荷物を持ってこい!」 「え・・・あのっ・・・?」 「いいからさっさとしろっ!!」 「は、はいっ!!」 言うが早いかつくしを抱き上げて歩き出す。 偶然居合わせただけで突き飛ばされるわ命令されるわで散々だが、ビジネスマンと思しき男は司の言う通りに辺りに散乱している荷物を掻き集めると、既に数十メートル先を凄いスピードで歩いて行く男を慌てて追いかけた。
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忘れえぬ人 22
2015 / 08 / 25 ( Tue ) 「た、ただいま帰りましたっ・・・」
「おう、お疲れ~。毎度毎度悪いな」 「いえ、仕事ですから・・・」 そう、これはれっきとした仕事。 ・・・だなんて思えるかっ!! どー考えても嫌がらせが入ってるだろうが! 契約が成立してから早1ヶ月。 来る日も来る日も小間使いを命ぜられてこの事務所と道明寺HDを行き来する日々。 ぶっちゃけ、それ必要ないんじゃない? ってなことにまでこき使われる始末。今日もそんなに急ぎではない書類を1時間以内に持ってこいと言われて超特急で向かう羽目になった。 おまけに例の受付が人を見る度に露骨に嫌な顔をするのだ。まるでこっちが一方的に押しかけてると言わんばかりに。 毎回行きたくて行ってるわけじゃないんだよっ!! それもこれも全てはあの男のせいだ。 右往左往するあたしを見てほくそ笑んでるに違いない。 あの性悪男めっ! 「あ゛~、疲れた・・・」 パッタリとデスクに突っ伏すと、しばらくして耳元でコツンと音がした。 顔だけ動かして横を見ればそこにはつくしの大好物のイチゴオレが置いてある。 「・・・大塚? これ・・・」 「あ? 知らねーな。妖怪でも現れたんじゃねーの」 「プッ! 妖怪って・・・。妖怪さん、どうもありがと」 素直にお礼を言うと、自称妖怪は素知らぬ顔をしてパソコンと向き合っている。 だがほんのり赤く色づいている耳だけは正直者で、つくしは堪らずクスッと笑った。 「そう言えばお前昼飯食ったのか?」 「え? ううん。そんな余裕なかったし」 「そっか。俺もまだだし今からリヨンに行かねーか?」 「あ~いいね。行く行く!」 「よし、じゃあ社長に休憩とること言いに行くぞ」 「うん!」 ビルの1階にあるカフェレストラン 『リヨン』 はいつ来てもビジネスマンやOLで溢れている。 つくしも入社してから幾度となくこの店にお世話になってきたが、最近はなんだかんだと忙しく、気が付けばもう1ヶ月近く来ていない。それもこれも原因は1つしかない。 「わ~、おいしそうっ! いただきま~す! ・・・ん~、おいしいっ!!」 本日のランチのハンバーグにかぶりつくと、つくしはほっぺを擦りながら心底幸せそうに笑った。 「お前っていつ見てもうまそうにメシ食うよなぁ」 「だっておいしいんだも~ん! ん~、やっぱりここのご飯はサイコー!」 「・・・ふっ」 目の前の女は断然色気より食い気。 何故だかそのことにホッとすると、大塚も目の前のカツカレーを口に運んだ。 「・・・最近やたらと忙しいよな、お前」 「あ~、うん。通常業務と例の補佐の仕事があるからね」 「お前ってさ、マジで英徳出身なわけ?」 「え? ・・・まぁ、一応ね」 「実はすげーお嬢様だとか? ・・・見えねぇけど」 「ないない。360度どこからみてもパンピーだよ。っていうか実際はパンピー以下の貧乏家族だけどね。うちの母親の執念でなんでだか英徳なんて場違いな高校に行くはめになっちゃってさ・・・」 「ふ~ん・・・よくわかんねーけど色々大変なんだな」 「もうほんとに大変だったんだから! まわりを見ればセレブ・セレブ・セレブ・セレブ・・・。通学にリムジン使う者から腕時計はロレックスにオメガ。それが通常運転の世界なんだもん。あたしにとっては地獄の3年間だったわ」 はぁ~、今思い出しても溜め息しか出ない。 「・・・その中でも群を抜いてたのがあの道明寺さんってことだろ?」 「えっ?」 その名前に不覚にもドキッとしてしまう。 ドキってなに、ドキって! いやいやいや、これは悪い意味でドキッとしただけであって決してそういう意味では・・・ 「ずっと気になってたんだけどさ、お前らの関係って・・・実は何か特別なものだったりすんの?」 「・・・は? 何、特別なものって」 「いや、だから、なんつーかその・・・付き合ってたとか」 ・・・・・・は? 「はあああああぁああああっ???!!」 突然響き渡った大声に驚いた人がそこかしこでガシャガシャンと手にしていた物を落としている。 「ばっ・・・おまっ、声がでけぇよ!」 「あわわわ・・・ごめんっ! だって、大塚がいきなりとんでもないこと言い出すから!」 「なにがだよ。俺は普通にあり得そうなことを聞いただけだろうが」 「全然普通じゃないから! あんな桁違いのセレブと貧乏女が付き合うとか、天地がひっくり返ってもあるわけないじゃんか!」 「・・・そうか? 結構身分違いの恋ってのも燃えると思うけど」 「ブッ・・・! ちょっとドラマの見過ぎじゃない? 色々期待してるところ悪いけどそんなことは絶対あり得ないから」 「・・・・・・」 つくしは全力で否定しているが、それでも大塚はどこか納得できないでいる。 男としての直感とも言うべきか。 つくしがどうこうというよりも、問題はあの男にある気がしてならない。 一見つくしで遊んでいるように見えて、それと同時に彼女に対するとてつもない執着心を感じるのだ。つい先日打ち合わせに同行した際、何でもないことでこいつと笑い合っていたら鋭い視線を感じた。 見ればあの男が人を殺せるんじゃないかってくらいの形相で睨み付けていたのだ。 ・・・・・・ざわざわする。 何か嫌な予感がしてこのところずっと落ち着かない。 そういうことに疎い奴だからこそじっくり時間をかけて、決して焦るつもりなんてなかったのに。 このままでは・・・ 「大塚? どうしたの?」 「あ・・・わりぃ、ちょっとトリップしてたわ」 「 ? 変なの」 クスッと笑うと大口で残りのハンバーグを頬張った。 ほんと、色気もクソもない女のはずなのに、どうしてこうも惹かれるというのか。 「・・・どっちにしてもあの人とは仲が良かったってことだろ?」 「え? う~~ん・・・良かったっていうか・・・まぁ、友人の1人? みたいな」 正直そこを具体的につっこまれてもつくし自身も困るのだ。 あくまで人づてでその事実を聞かされているだけで実際に自覚症状はないのだから。 ただF4として彼らの友情が確固たるものであるならば、そのうちの3人と友人関係にあった自分が彼とだけ接点がないというのも不自然なわけで。 とどのつまりはやはり友人だったと考えるのが自然だろう。 記憶喪失のことを話したところで、だったら尚更どうしてと聞かれるに違いない。 自分にだってわからないことを聞かれたところでどうにも答えようがない。 だから記憶のことについては口外しないに限る。 考えに耽るつくしを大塚がじっと見つめているなんてことにも鈍い女は気付かない。 「・・・とにかく、なんか困った時には言えよ。いつだって助けてやるから」 「ふふ、ありがとう。そう言ってくれる人がいるってだけでまた頑張れそうだわ」 「・・・」 ケラッと見せる笑顔に思わず溜め息をつきたくなる。 この女、暗に好意を滲ませてることにまっっっったく気付いてはいない。 露骨にそういう感情を表に出すことで逆に警戒されても嫌だからと地道に行く作戦をとってきたが・・・悲しいかな全く効果が期待できそうにない。 「そろそろ本気で動けってことなのかな」 「え? 何か言った?」 「・・・なんでもねぇ。 ほら時間だ、行くぞ」 「えっ? あっ、待ってよ! 最後の1口まで全部飲んでから・・・!」 *** 「くしゅんっ! ・・・あ゛~、風邪引いたかも・・・」 鼻を啜ってずびびっといい音がするのは風邪引き確定だ。 体の頑丈さだけが取り柄だというのに、よりにもよってこのタイミングで引くなんて。 「だいたい大塚が変なこと言うから悪いんだよ・・・!」 ランチの時に何気なく言われた一言。 『 お前ら実は付き合ってたりとか? 』 何をとんでもないことを言い出すんだと思った。 ないないないない、アリエナイから! ・・・でも、今まで考えもしなかったその言葉に何故だかあれから眠れない。 まさかまさかとは思いつつ、記憶がない以上それを確信づける証拠もないわけで。 そもそも何故住む世界の全く違う彼らと、しかも英徳の象徴とも言える彼らと何をどうすれば友人になどなれたのかとずっと不思議でしょうがなかった。 そして記憶を失った時にしきりに出てきた 『道明寺』 の名前。 いくら友人だとはいえそんなに頻繁に出てくるものだろうか? 「いやいやいやいや、ないでしょ。 ない・・・・・・よね?」 一体誰に聞いているんだか。 2つの 『まさか』 の間で感情が激しく揺らいでいる。 そんな時に限って仕事で呼び出されるなんて。しかも休日返上だ。 ちゃんと普通の顔で会えるか自信がない。 「・・・っていうかいつまで待たせる気よ。もうとっくに時間過ぎてんじゃん!」 『 明後日 ○○ビル前朝9時 遅刻したらブッ殺す 』 そんな愛想もクソもないメールが来たのは今から2日前のこと。 久しぶりに買い物にでも行こうと思っていたのに。渋々時間厳守で来てみればこの有様。 約束の時間を優に30分は過ぎている。 「ブッ殺されるのはあんたのほうでしょ?! っていうかほんとどうなってんのよ」 何か連絡が入っていないかとあの携帯を探すが、荷物の中のどこを探してもないことに気付く。 「・・・あれ、ない。・・・そうだ、別の鞄に入れっぱなしで移し忘れてたんだ!」 どうやら気分転換にと変えた鞄に入れたままにしてしまったらしい。 当然ながらあの男と連絡を取り合うにはあの携帯以外に手段など存在しないわけで。 「やっば~・・・今さら取りに帰ることもできないし、どうしよう・・・」 ・・・考えたところでどうしようもない。 手段がない以上ここで待つより他にない。 万が一すれ違いでもしたらあの男に何を言われるかわかったもんじゃないのだから。 だがそれから待つことさらに1時間。 いつものリムジンも西田の姿も、もちろん司の姿もどこにも見当たらない。 行き交う人の波を必死で探すが、現れそうな気配は皆無だ。 ポツ、ポツ・・・ ザアアアアアーーーーーーー 「えっ・・・嘘でしょ?! 雨宿りする場所なんてこの辺りにないのに勘弁してよ!」 おまけに無情にも雨まで降り出してしまった。 今度こそこの場を離れようかと一瞬本気で迷ったが、自他共に認めるクソ真面目女。 この状況下でも仕事を放棄することはできなかった。 「あのバカ男、覚えておきなさいよ。会った時にはただじゃおかないんだから・・・!」 雨は嫌い。 何故だかわからないけれど、雨を見ていると胸が苦しくなる。 まるでこの世に自分1人だけが取り残されてしまうような、そんならしくないセンチメンタルな気分に沈んでしまうから。 早く雨よ上がって。 早く、早く来て・・・! ザアアアアアアアアーーーーーーーーーーーー! 願いも虚しく、それからもつくしはずぶ濡れになりながらひたすら待ち続けた。 頭がクラクラする・・・ もしかしたら熱が出てきたのかもしれない。 今何時だっけ・・・? あぁ、会った時にはあの男の綺麗な顔に一発お見舞いしてやらなきゃ気が済まない。 お偉いさんか知らないけどね、自分が言い出した約束くらいは守りなさいよっ! 「ろくでなし、バカ男っ・・・! ゴホゴホッ・・・」 熱い・・・でも寒い・・・ どっち? もう何にもわかんないよ・・・ とうとう耐えきれずにズルズルとその場に座り込むと、やがてつくしの瞼がゆっくりと閉じられた。 「___ おいっ、___ おいっ、牧野っ!!!」 沈んでいく意識の中で、微かに自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
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忘れえぬ人 21
2015 / 08 / 24 ( Mon ) 注) 本日2回目の更新となります。20話を未読の方は先にそちらを読んでください。
「・・・あんのクソ女! 一体どこ行きやがった!」 左手のロレックスはもうすぐ午後1時を示そうとしている。 約束の正午からほぼ1時間。 遅刻も遅刻、大遅刻だ。 「なんだって俺がこんなこと・・・・・・ん?」 自ら車を運転して島内を回っていると、とあるビーチ入り口に例の自転車を見つけた。 「あれは・・・」 すぐに車を降りてビーチへと入っていく。だが砂浜には人っ子1人いない。 「あの野郎、一体どこ行きやがった・・・?」 自転車があるということはこの辺りにはいるはず。 イライラしながら歩き回ると、いくつか点在している小屋の中にチラッと人影が見えた。 白くて細い腕が見えてそれが女だと認識すると、イライラも頂点に達する。 「おいっ、このクソ女っ・・・!」 大声を張り上げて中に入ると、つくしはベンチの上に横たわって熟睡していた。 司の大声にも全く反応する気配はない。 「なんなんだこの女・・・さっきもあれだけ寝ておきながらまた寝てんのか?!」 目の前の光景が俄に信じがたい。 まさかここに来てからずっと寝ていたというのか。確かに自由に過ごせとは言ったが、ひたすら寝るとは想定外だった。 「おいてめぇっ! いい加減にっ・・・」 条件反射でベンチを蹴り上げようと右足を振り上げたが、そこでふと思いとどまる。 意識したわけではないが、寝顔を見ているうちに何故か足を下ろしている自分がいた。 「・・・・・・」 スースーと気持ちよさそうに寝息をたてている女をじっと見つめる。 とりたててこれといった特徴のない、どこにでもいる平凡な女。 顔がいいわけでもスタイルがいいわけでもない。 そんな女がこの4年、幾度となく夢に出てきては自分を苛立たせてきた。 一体この俺に何を訴えようとしているのか。 自分のことを思い出せとでも言っているのだろうか。 まぁ普通に考えればそう思うのが自然だろう。 それなら何故夢の中で決してその顔を見せようとしないのか。 自分が記憶を失っているから浮かび上がらないのか、そうすることで思い出せと促しているのか。 「なんでてめぇは俺に何も言わない?」 再会して後、つくしの口からそれらしい言葉が出たことはただの一度もない。 4年前、記憶のないこの俺の元へ幾度となく押しかけて来た奴と同一人物だとはとても思えない。 それともこの4年の間に吹っ切ったということか。 それならそれで一向に構わないが、じゃあ何故未だに夢に出続けるのか。 ・・・そう。 帰国してからも、もっと言えばこの女と再会してからも尚あの夢を見続けているのだ。 しかも相変わらず背中を向けたまま、決して俺を振り返ろうとはしない。 あの女はこの女ではないということか? ・・・いや、それだけは絶対ない。 たとえこの女が死ぬまで認めないとしても、あの後ろ姿の女は間違いなくこいつだ。 そして気になる点がもう1つ。 最初に顔を合わせた時、こいつはまるで初対面の人間でも見るかのような顔をしていた。 いないはずの人間を目の前にして驚いていただけなのか、それとも・・・? 「・・・てめぇは俺をイライラさせんだよ」 すっきりしない、モヤモヤと相変わらず心にかかった靄は晴れない。 だが何故自分こそこの女を無視できないのか。 一番の苛立ちはそこにある。 過去の関係を認めることもできなければ放置することもできない。 己こそ一体どうしたいというのか。 「ん・・・」 いつの間にかつくしの頬に触れそうになっていた手がその声にハッと止まる。 「俺は、一体何を・・・」 ギリッと唇を噛んでその手を握りしめると、司は立ち上がって大きく息を吸い込んだ。 「おいっ起きろ! このクソ女っっっ!!!」 「ひゃああっ??!!!」 ガタガタッ、ドシンッ!! 「いったあ~~~! な・・・何っ?!」 突然の大声に飛び起きたつくしの体が勢い余ってベンチの上から転がり落ちた。 頭やら腰を押さえながら鳩が豆鉄砲を食ったようにキョロキョロと辺りを見渡す。 「てめぇ、何時までに戻ってこいっつった?」 「えっ? ・・・あっ!!」 司が目の前にいることにやっと気付いたのか、ようやく我に返ったつくしの顔色がみるみる真っ青になっていく。ぱっと目に入った高級腕時計は既に1時過ぎを示している。今から自転車を超特急で飛ばしても20分はかかる。 なんてことだ! 「ごっ、ごめんなさいっ!!!」 慌てて立ち上がって司の横をすり抜けようとしたところで突然左手を掴まれた。 「な、何っ?! ___ っ?!」 驚いて振り返ると、すぐ目の前に美しく整った顔があって呼吸が止まる。 決定的な身長差がなければ唇がぶつかっていたのではないかと思えるほどの距離。 女を見下ろしたまま、男を見上げたまま、互いに金縛りにあったように身動き一つできない。 ドクンドクンドクンドクン・・・! な・・・なに? 一体何が起こってるの?! この距離感はなに?! 近すぎでしょう! っていうかその表情は何? いつものように怒っているのとも違う、かといって笑っているわけでもない。 その真剣な眼差しは一体 ___ 「・・・・・・わざわざ探しに来てやったこの俺を差し置いてどこに行くつもりだ」 「へっ? い、いや、自転車で戻らなきゃだから急ごうと思って・・・」 「・・・・・・」 「あ、あのっ、何か問題でも・・・?」 だからこの至近距離からじーっと見るのはやめてっ! いくら貧乏ブサイク女だろうと、異性とこんなに密着していて何とも思わないほど女を捨ててはいない。・・・つもりだ。 つくしは刺すような視線に耐えきれずにギュウッと目を閉じた。 その瞬間、掴まれていた腕がフッと軽くなる。 「・・・・・・?」 そーっと目を開けると、目の前にいたはずの男はいつの間にかいなくなっていた。 「え・・・? えっ?」 狐に抓まれたような気分で振り返ると、司は既に小屋を出て凄まじいスピードで歩いている。 だがしばらくして足を止めると、呆然とそれを見ていたつくしに言った。 「てめぇがどうしても自転車で戻りてぇっつーならそうさせてやる。ただし10分以内に戻って来いよ」 「じ、10分っ?!」 30分かけてここまで来たというのに、そんなの絶対にムリだ! 「それが嫌ならさっさと来い」 「えっ?」 それってどういう・・・ 「10秒以内に来なけりゃ置いていく」 「えっ!!」 そう言い残すと、サッと目の前の男の姿が見えなくなってしまった。 一体どういう意味・・・? 「っていうか・・・10秒っ?! まっ、待ってぇ~~~~っっっ!!!!」 青い大海原につくしの雄叫びが響き渡った。 「ぜぇはぁぜぇはぁ・・・」 なんとか滑り込んだ助手席でグッタリと、今にも死にそうなほどに項垂れる。 この男と会ってからというもの走ってばかりな気がするのは思い過ごしだろうか? 「・・・あの、これからすぐ帰るの?」 「さっきの事務所で少し打ち合わせがある。それにお前も参加してもらってそれから帰る」 「そうなんだ・・・大遅刻してしまって本当に申し訳ない・・・」 「打ち合わせ自体は俺と西田の3人だ」 「え、そうなの?」 「あぁ」 ・・・そうなんだ。 もしかしてあたしの素性を明かさないようにしてくれてる? ・・・なんて、自分に都合良く考えすぎか。 シーーーーーーーーーンと車内を沈黙が包む。 別に何か話したいわけではないが、狭い密室の沈黙はどうにも居心地が悪い。 「あ、あの、遅刻してほんとにごめんなさい。それから迎えに来てくれてありがとう」 「・・・・・・」 肩肘をついてハンドルを握ったままウンともスンとも反応がない。 ・・・何だよ、何だよ! 人が素直に言ってるってのに相変わらずこの男は。 しかも何なのよ、そのやってらんねーと言わんばかりの気怠そうな態度は! ・・・くっそー。 それでもカッコイイことだけは認めざるを得ないのがまたむかつく! つくしはフンッと横を向くと、凄いスピードで流れていくオーシャンビューに視線を送った。 「・・・・・・」 そんなつくしをチラッと横目で確認した後、司は自分の右手を見つめた。 あの時、・・・この女が自分の横をすり抜けていこうとした瞬間、何故かこの手が勝手に動いた。 理由なんてわからない。 だが、何故だかすり抜けたらそのまま消えてしまうのではないかという錯覚に襲われたのだ。 そして気が付いたときには腕を掴んでいた。 『 惚れて惚れて惚れ込んでたのは間違いなくお前の方だ 』 親友の言葉が甦る。 この俺が? こんな何の取り柄もない貧乏女に? ・・・そんなバカな。 だったら何故記憶がなくなった? 何故この女を前にしても思い出さない? 「・・・・・・・・・バカバカしい」 誰にも聞こえない声でそう呟くと、額にかけていたサングラスを下ろして一気にアクセルを踏み込んだ。
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忘れえぬ人 20
2015 / 08 / 24 ( Mon ) 「わぁ~~~っ! 凄いっ、きれ~~~!!」
ジェットに揺られること2時間余り、連れてこられたのはどこかもわからない無人島。 日本とは思えないほど真っ青な海に、目にも眩しい青々とした緑、まるでどこかの南国の島へやって来たかのような錯覚を覚える。 「凄い・・・ここって日本なの?」 「クッ、相変わらずお前はバカなことばっか言ってんな」 「だってこういうことでもなきゃ離島になんて来ないんだからわかるわけないじゃん」 「日本どころか都内だっつーの」 「えっ!! ここが東京なの?! 凄い・・・」 日本じゃないと言われた方がまだ驚かないかもしれない。 「日本の島の数は6千以上あるって知ってるか? デカイものから小さいものまで、まだまだ手付かずの島もたくさんある。やり方次第でビジネスチャンスはそこかしこに転がってるってわけだ」 「へぇ~、・・・なんか初めてまともに喋ってるところを見たかも」 「あぁ?!」 「なっ、なんでもない! それで? 今日はここで何するの? まだ施設も何にもないけど・・・」 確かに綺麗な島ではあるが、現状まだ施設らしい施設もほとんど見当たらない。 リゾート開発に向けてそこかしこの道路が整備されているのだけはわかるが。 「適当に散策してろ」 「・・・はい?」 「俺はそこで打ち合わせをする。その間お前は好きなように島を散策して回れ」 指で示したのはおそらくこの島唯一の建造物と思しき小さな事務所のようなもの。 「は、はぁっ?! 好きに散策しろって、そんな・・・」 「そこに車があんだろ。心配すんな、道路とビーチだけは島内一周整備されてっから。ゆっくり回っても1時間くらいのもんだからお前の好きなように見て来いよ」 「いや、だから意味わかんないって! 仕事で来たんでしょう?!」 「そうだ。この島を見てお前のインスピレーションを刺激してこいよ」 「無理っ!」 「・・・あぁ? てめぇ、今なんつった?」 「だからムリっ!!」 「・・・んだと?」 ピクッとこめかみが動いたのがわかるが、無理なものはムリなのだ。 根本的な問題がど真ん中に鎮座しているのだから。 「あたし、車の免許持ってないんだもん」 「・・・は?」 「だから! こんな立派な車を用意してもらったところで運転できないのっ!!」 シーーーーーーーーーン・・・・・・ バサバサバサ・・・ 絶妙なタイミングで海鳥が一斉に空へ向かって飛び立っていく。 あぁ、鳥にまで笑われてる気分だ。 「お前・・・はぁ~~、こんの貧乏人が!」 「びっ・・・うるさいわね! しょうがないでしょ、ないものはないんだからっ!」 「無免許でも行けんだろ」 「ムリに決まってんじゃん! 素行の悪いあんたと一緒にしないでよね!」 「何・・・?」 「あわわわ・・・!」 テンポのいい低レベルな言い合いに乗せられてついつい本音が出てしまう。 「マジかよ・・・斎藤はいねぇしどうすっかな」 斎藤さんというのはおそらくあのリムジンの運転手さんのことだろう。 離島にやってきたのは西田さんを含む3人、あとはジェットのパイロット2人のみ。 現地で待っていたのはおそらく開発に携わる人達に違いない。 「西田、お前運転できんだろ」 「えっ?!」 「それはできますが・・・打ち合わせはどうされるんです?」 まさかこの秘書さんに運転手をお願いするということだろうか? それは勘弁して欲しい! 「ねぇっ、仕事の邪魔になるようなことはやめてよ!」 「じゃあ自分で運転すんのかよ」 「それは・・・・・・あ。 あれ!」 「 あ? 」 つくしの視界にふと入ったもの。 それは事務所に横付けされた1台のママチャリだ。 「その自転車。それを貸してもらえないかな?」 「はぁ?!」 「これがあれば充分だよ。大丈夫、あたしこう見えて体力だけは自信があるから!」 やけに自慢気にポージングしているが、その実ちっとも膨らんでいない力こぶを半ば呆れ気味に2人の男が見ている。 「・・・チッ、わーったよ。じゃあそれで移動しろ。ただしタイムリミットがあるからな。正午までにはここに戻って来い。間違っても森の中に入ったりすんじゃねーぞ」 「入らない入らない。時間さえ守ればあとは自由ってこと?」 「あぁ」 「了解! じゃあ早速行ってきま~す」 「おい、これを持っていけ」 「え?」 差し出されたのはペットボトルの水と帽子、そして薄手の上着だ。 「お前が思ってる以上に日射しが強いからな。ぶっ倒れでもされたら迷惑なんだよ。持って行け」 「・・・あ、ありがとう」 「・・・・・・」 すんなりとその言葉が出た。 倒れようとそのまま野放しそうな男がまさかこんな気遣いをしてくれるだなんて。 素直に嬉しかった。 だが手を伸ばしても何故だかそれを手放してはくれない。 不思議に思って顔を上げれば、じっとこちらを見下ろしている男と目が合った。 「・・・? ねぇ、くれないの?」 「あ? ・・・あぁ、ほら」 「はい、ありがとう。2時間以上も時間があればゆっくり散策できそうだね。じゃあ行ってきます!」 カゴにペットボトルを放り投げると、つくしは敬礼をして颯爽とママチャリに跨がった。 相当乗り慣れているのか、やや上り坂の道のりもスイスイと進んでいく。 「ひ、ひゃああ~~~~!!!」 「「 ・・・・・・ 」」 そのうち登り切ると、今度は悲鳴と共にその姿があっという間に視界から消え去った。 *** 「わあ~~っ、ほんとに綺麗だな~~っ」 ママチャリを漕ぐこと30分。一際美しいビーチに辿り着いたところで休憩することにした。 工事をする人達のためのものだろうか、ビーチには数カ所日よけのための小屋のようなものが設置されており、疲れたらそこで一休みすることができるようになっていた。 つくしはひとしきり海に足をつけて満喫すると、小屋に戻ってゴロンと大の字に横たわった。 「仕事で来たのに放置されるって一体どういうことよ・・・」 本当に一体何しにここに来たというのか。 なんでこんなことになっているのか、考えれば考えるほどわけがわからないが、こうしているとそんなこともどうでもよくなってくる。サワサワと体を優しく撫でて吹き抜けていく風は極上だ。 ぼーっとしていると、色んな事を考える。 類から知らされた借金完済という衝撃の事実。 一体いつ頃終わっていたのやら。 顔を出さないとはいえ仮にもモデルとして契約しているというのに、道明寺のモデルをやっても構わないなどという。そんなに緩くていいものなんだろうか? 『 お前が思ってるほど悪い人間じゃない 』 あの言葉がまたしても甦る。 確かに口は悪いし態度も冷たい。 ・・・けれど、最初に会った時ほどの冷酷な空気が幾分和らいで見えるのは気のせいか。 ふと手元のペットボトルに視線を落とす。 「なんであたしなんかをモデルにしたいわけ・・・?」 4年前、同じ事を類が言い出したときも正気の沙汰じゃないと思った。 それでも、彼とは友人関係だという下地があればこそ受け入れることができたのだ。 でも今回は・・・いくら昔友人だったとはいえ、今現在互いの記憶はないわけで。 ましてや贔屓目に見ても好意をもたれている状況だとは到底思えない。 大きなプロジェクトの広告に、あの男の言葉を借りれば貧乏人のブサイクな女を何故わざわざ採用しようだなんて思えるのか。類とは比較にならないほどに暴挙としか思えない。 ただ1つわかることは、あの男が 『後ろ姿の女』 に異様な執着をもっているということ。 今でもあれが自分だなんて認めちゃいないが、この4年、友人はおろか親ですらその事実に気付くことはなかったというのに。 野生の肉食獣のようなあの野心に満ちた目の鋭さは、決して見た目だけではないということか。 見抜いたところでじゃああの男と 『後ろ姿の女』 がどう交わるのかが全くわからない。 そもそも向こうだってこっちのことは覚えていないはず。 では何故? 「う~~、ボンボンの考えることってほんっとわっかんないなぁ・・・」 考えてもちっとも答えの見えてこない難読問題に、つくしは天を仰いで目を閉じた。
今日は2回更新でお届けです。 2回目は午前6時の予定ですのでお楽しみに^^ |
忘れえぬ人 19
2015 / 08 / 23 ( Sun ) 「おはようございます。本日は休日にもかかわらず朝早くからありがとうございます」
「お、おはようございます! こちらこそ、よろしくお願いしますっ・・・」 まだ夜も明けない薄暗い中、まるでロボットのように綺麗に男性が頭を下げる。 しばし見入ってしまっていたが、ハッと我に返って同じようにお辞儀をする。 ゆっくりと顔を上げてみればまだ相手はお辞儀をしていて、慌ててつくしも下げ直した。 この人はあの時執務室にいた秘書の男性だ。 名は確か・・・西田さんだったか。 「では参りましょうか」 「はい・・・あの、どちらへ行かれるんですか?」 「副社長から伺っておりませんか? ジェットで離島へと行っていただきます」 「り、離島?! じ、ジェット?!」 全く聞き慣れない言葉に思わずどもってしまった。 「先日仕事の詳細について説明したときにお話しした離島です。今度我が社がリゾート開発に着手することになりまして」 そういえばあの後たっぷり説明を受けたんだった。 にもかかわらずイライラもやもやしっぱなしで何一つ覚えちゃいない。 あぁ、我ながら社会人失格の烙印を押されてしまうダメっぷりだ。 「でもまだ開発前ですよね? 私1人が行ってどうするんですか?」 「そこは副社長の考えですので私にはわかりかねますが・・・おそらくあなたを現地に連れて行くことで広告のイメージをつくられたいのではないかと」 「イメージ・・・」 ああいう業界にはそれ専用のクリエーターがいそうなものだが、それすらも自分でやるということだろうか。 「その通りでございます」 「えっ!! な、なんでっ・・・」 「何故と言われましても・・・牧野様の口から出たことに返事したまでですが?」 「あ、あわわ・・・!」 またしてもやってしまった! どうして自分という人間は独り言が無意識に口に出てしまうのか。 「では時間も迫っていることですし参りましょう。副社長もお待ちです」 「あ・・・はい!」 案内されるがままに車に乗り込むと、後ろを振り向いていた運転手の男性がたいそう優しい顔で微笑んでいる。・・・確かこの人は手を挟まれたときに心配してくれた人と同一人物ではないか。 「あ・・・よろしくお願いします」 「こちらこそよろしくお願い致します。その後お怪我はどうですか?」 「あ、もう全然大丈夫です! ずっと心配してくださってたんですか? ありがとうございます」 「いえ、とんでもございません。では安全運転で参らせていただきますね」 何がそんなに嬉しいんだろうというくらいニッコリ笑ってハンドルを握る後ろ姿は、今にも歌い出しそうなほど軽快なものだった。つくしは不思議そうに首を傾げつつも、この男性には全く嫌味がなく、何故か懐かしさすら感じる雰囲気にさっきまでの緊張がほどけていくのを感じていた。 それにしても・・・これが噂に聞くリムジンというものか。 無駄に長いと思っていたが、それに加えて無駄に座り心地が良すぎてかえって落ち着かない。 4時起きで眠くて仕方がないはずなのに、不思議と全く眠気が襲ってこない。 貧乏故にお金持ちが羨ましいと思わないわけでもないが、あまりにも住む世界が違いすぎて自分のような人間はかえって生きづらい世界に違いないと、全くする必要のない心配までしてしまう有様だった。 *** 「おせぇぞ」 相変わらず顔を合わせれば憎たれ口ばかり。 朝からこんな陰気な奴の顔なんて見たくもないのに! 「私はちゃんと約束前に外で待ってました。これ以上はどうしようもありません」 「相変わらず口の利き方のなってねぇ女だな。俺が上司だってこと忘れてねぇか?」 「そうですね。忘れてます」 怯むどころかツンとそっぽを向いてしまったつくしに何故か司は面白そうにしている。 「フン、そうやってお前の虚勢がいつまで張れてるかが見ものだな。そのうち泣きついてくるのがオチだ」 「死んでもありません」 「じゃあ死ぬのが先だ」 「なっ・・・、もう! いちいちうるさいっ!!」 せめてもの抵抗にと敢えて丁寧口調でいようと思っていたのに、ものの数秒で脆くも崩壊してしまった。案の定、にっくき男はしてやったりとばかりに愉悦に顔を歪めている。 「ねぇ、っていうかここどこよ! ジェットで行くんなら羽田から飛ぶんじゃないの?」 「クッ、ばーか。誰があんなクソ混雑したところなんか行くかよ」 「えっ? でも・・・」 「ジェットならそこにあるだろうが」 「え?」 暗がりの中、司の指差した方向にぼんやりと見える大きな物体。 朝靄がかかっていていまいちよく見えないが、その先にあるのは・・・ 「じ・・・ジェット機?!」 「プライベートジェットだ。行くぞ」 「ぷっ、プライベート・・・?!」 確かハリウッドのセレブがそんな単語を口にしていたのを雑誌で見たことがあるようなないような。 「おい、乗らねぇならてめーは泳いで来いよ。時間に遅れたらブッ殺すからな」 「ハッ! い、行きますっ! 乗りますっ!!」 決定的な足の長さの違いがなせるのか、いつの間にかタラップに足をかけていた男にようやく気付くと、つくしは猛ダッシュでプライベートジェットなるものを目指した。 ゴオオオオオオオオ まさか・・・生まれて初めての飛行機がプライベートジェットになるだなんて。 人生、生きていれば本当にどこで何が起こるかわからない。 しかもよりにもよって一緒にいるのがこの男だとは。 っていうか自宅の敷地内に飛行場があるってどういうことよ!その自宅とやらも敷地が広すぎてちっとも見えやしないし。 お前はセレブかっ!! 「・・・って、あ。 ガチセレブなのか」 自分で自分に突っ込んで特大の溜め息が出た。 ジェットで離島へ行ける、普通なら手放しで喜びそうなシチュエーションだというのに・・・ まるでこれから閻魔様に地獄巡りに連れて行かれんばかりのこの浮かなさは何だというのか。 「なんであたしの人生ってこう波瀾万丈なんだろ・・・」 浮き沈みという言葉があるけれど、ずーっと沈みっぱなしのような気がしてならない。 「さっきからグチグチうるせーぞ。独り言なら便器に向かって言え」 「なっ・・・?!」 通路を挟んで反対側の席に悠然と座っている男は、視線をこっちに向けることすらせずに毒を吐く。豪華なシートにゆったりを体を預け、長い足を見せつけんばかりに前に組んで肩肘をつきながら書類に目を通す・・・ その姿が腹立たしいほどに様になっていてこれがまた癪に障る。 どこからどう見ても文句なしのセレブ。少しも名前負けしていない。 本当に住む世界の違う人間というものは存在するのだ。 「ジロジロ見惚れてんじゃねーぞ」 「みっ・・・?! 見惚れてなんかいませんっ! 自惚れないで!」 「あぁ? さっきからこっち見てんのはてめぇだろうが」 「そ、それはっ・・・」 図星だが見ていた意味が違うっ! 「ふん、女っつーのはどいつもこいつもハイスペックな男にすぐ群がるからな」 「・・・はぁ?!」 何言ってんのコイツ。 たとえ事実だとしても自分でハイスペックなんて普通言うか? 群がるどころかドン引きだよ、ドン引き! ・・・けど、今の言い方から考えるに、そういう人種ならではの苦労もあるんだろうか? そんなことを考えながら視線を戻すと、じっと探るように自分を見ている司と目があってドキッとする。一体いつから見られていたというのか。 その睨み付けるような、射貫くような鋭い目がどうにもこうにも居心地が悪くて、つくしは目を逸らして慌てて話題を探した。 「あっ、あのさ、やっぱりもう1つだけどうしてもお願いしたいことがあるんだけどっ・・・」 「・・・・・・」 「あの・・・広告で顔を出すのだけは何とか避けてもらえないかな・・・? たとえ一瞬だけだとしても、どうしても抵抗が・・・」 「お前んち」 「 えっ? 」 「お前、いくら貧乏人だからってちゃんと鏡くらい家に買えよ」 「・・・・・・え?」 どういうこと? 鏡ならちゃんとあるけど・・・ 考えあぐねて眉をハの字にするつくしを司が鼻で笑う。 「てめぇの顔くらいよく見ろっつってんだよ。誰がブサイクな貧乏人の顔なんか出すかよ。身の程を知れ」 「なっ・・・?!」 怒りと羞恥でカーッと顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。 その変化こそが愉快で堪らないとばかりに笑っている男に、ますます怒りが込み上げてくる。 「ブサイクで何が悪いの?! いくら見た目がよくてもね、腐った根性してる性格ブサイクよりはよっっっっぽどマシだわ!」 「・・・んだと?」 思わぬ反撃に司の顔からスーーッと笑みが引いていく。 そのあまりの変わりっぷりにゾゾッと背筋が凍ると、つくしは何も見なかったように精一杯の虚勢を張ってフンッと背を向けた。 怖っ、怖っ、 怖~~~っ!! コイツ、前世で殺し屋でもやってたんじゃないの? っていうか現世でも実は何人か犠牲になってるんじゃないの? イエスと言われても全く異論がないくらいにあの真顔が怖すぎる。 あぁもう! こういうときは寝るに限るのに。 余計なことなんか考えずにひたすら寝る! そうできたらどんなにいいことか。 よりにもよってこんなときに限ってちっとも睡魔が襲ってこないなんてどういうこと?! 「・・・・・・おい西田」 「はい」 「コイツの鼻と口に大根でも詰めろ。うるせーったらねぇ」 「・・・さすがにここに大根はございませんが」 「チッ! このクソ女が・・・」 あれからわずか5分。 ガーガーと大口を開けて豪快に眠りこける女を横目に、司は忌々しげに舌打ちして見せた。 ・・・なんてことがあったことに当の本人が気付くはずもない。
日頃の感謝を込めて明日は2回更新でお届け致します! 定時(0時)と午前6時の2回となりますので、読み飛ばしにご注意を! |