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噂のアイツ 完結編
2015 / 10 / 21 ( Wed )
「どこも怪我してねぇか? 触られた場所は?」
「・・・大丈夫。腕と肩を少し掴まれただけ」

問答無用で邸に連れて来られるなりお風呂に入れられた。おそらく今さらながらにあの男に触られたことが怖くて悔しくてたまらなくなってしまったあたしを気遣ってのことなのだと思う。

「あっ・・・ちょっ・・・道明寺っ・・・!」

グイッとバスローブの胸元を開くと、ほんの少し赤くなっている肩口を司の唇が優しくなぞっていく。
口では抵抗しながらも体は少しも動かない。
恥ずかしいのにやめないで欲しい。
それは心の底からこの男に飢えていた何よりの証拠。
つくしはふいに溢れそうになった涙を誤魔化すように、目の前の男の頭を必死に掻き抱いてしばらくの間なされるがままにその身を委ねた。







「結局どういうことなの? まさかあのハーフが司だったなんて・・・」
「あれは西田の指示なんだよ」
「西田さん?」
「あぁ。俺としてはいきなり会社に乗り込んだってよかったんだけどな。でもそうしたところでお前は絶対に納得しないし、事態は余計ややこしくなるだけだってうるせーほどに言いやがって。かといってあのままじゃお前だって限界だったろ?」
「・・・・・・」

そう。 もう限界だった。
あの上司が来てから、どんな理不尽なことにも耐えてきた。
自分の事ならまだ我慢もできる。けれど、何の非もない同僚がやめていくのを見続けているうちに、それを黙って見ているしかない自分は一体何なんだと日々葛藤するようになっていった。

それは司にすらばれてしまうほど顔に出ていたようで。
全てを話さないまでも、今の上司がろくでもない男なんだという話をしたところで例の喧嘩に発展してしまったのだ。
俺が何とかしてやると主張する司とそれだけはやめてくれと突っぱねるつくし。
両者一歩も譲らず平行線のまま、結局1ヶ月近くも連絡すら取らずじまいだった。

・・・いや、一度だけ連絡した。
拒否されたけれど。

「ずっと怒ってたの・・・? だからあの時電話を・・・」
「それは違ーよ。あの時はちょうどお前の様子を見に行ってたときで・・・んな時にいきなり電話が鳴って焦ったんだよ」
「焦る?」
「西田がお前の会社に潜入するつもりなら身バレすることは絶対に許さねぇとか言いやがるから。あのタイミングでお前に携帯の音が聞こえてみろ。鈍いお前でもさすがにおかしいと思うだろうが」

それは確かに・・・。

「悪ぃとは思ったけどな。あの時はああするよりなかった。今まで連絡しなかったのも、下手にお前と顔を合わせると隠せる自信がなかったからだ」

つまりは怒っていたからじゃない・・・?

「あの飴玉は・・・」
「あれも西田の指示だ。万が一お前に手が出そうになった時にはあれを渡して誤魔化せってな」
「それって・・・」
「あれがなけりゃあ間違いなくお前を抱きしめてたな」

非常階段でも、エレベーターの中でも、本当はあたしを抱き締めたくて仕方がなかった?
西田さんがそれを見越して飴玉を持たせていた・・・。いくらあたしでも抱き締められれば道明寺だってことくらい気付いてしまう。実際さっきがそうだったのだから。
エレベーターで頭を撫でられたのは・・・つまりは我慢ができなくてついやってしまったってこと?

「・・・じゃあ買収ってどういうこと? まさか、ほんとにあたしのために・・・」
「半分合ってるけどあと半分は不正解だな」
「えっ?」

戸惑いを滲ませるつくしの髪の毛をくしゃっと笑いながら大きな手が撫でた。

「お前のことは関係無しにあの会社を買収する話は出てたんだ」
「えっ!!」
「実際、お前の会社の業績は下降の一途を辿ってたんだよ。だが会社としてはもともと悪くない。うちが補強したい分野だったってのもあるし、買収することにデメリットは何一つなかった。・・・お前を除いてはな」
「・・・あたし?!」
「あぁ。企業人として買収することに迷いは一切なかった。だがそれをすればお前が穿った見方をすることは避けられない。俺にそんなつもりは一切なかったんだとしてもな。だからむしろ私情を入れてたのはそっちの意味で、だ」
「・・・・・・」
「だがお前の話を聞いてそれもやめた。仕事の愚痴をぜってぇにこぼさないお前があれだけ弱ってたんだ。あれ以上踏みとどまる理由なんてどこにもねぇだろ? 実際、うちに買われなきゃお前の会社は潰れていくだけだったぞ」
「・・・・・・」

それは間違いなくその通りだと思う。
たった3ヶ月であそこまで組織が崩壊していったのだから。
どんなに時間をかけて作り上げたものでも、崩れ去るときは本当に一瞬だ。

「だったらお前が一番納得のいく形でやったらどうだって西田の奴がな。俺としては変装するなんて死んでも嫌だったんだが・・・まぁそうすることで自分の目で実態を把握することができたし、その点に関しては良かったと思ってる。それでもあのクソ野郎がお前に触ったってだけでブチ切れそうだったけ・・・おわっ?!」

ドサドサボフンッ!!

ラガーマン顔負けのタックルが入っては、さすがの司の体もベッドに真っ逆さま。

「いって~・・・いきなり何なんだよ?!」
「ごめん・・・」
「え?」
「ごめん、ごめん・・・ごめんなさい・・・・・・」
「牧野・・・」

ごめんなさいがタックルに対してでないことは明白だった。

あの時、五十嵐を蹴り飛ばすつもりでいたが、それがつくしの思うようにうまくいっていたかは実際のところわからない。むしろ失敗に終わって最悪の事態になっていた可能性もあるわけで・・・
つくづく自分の無力さを痛感する。
そしてこの男が助けてくれて本当はどれだけ嬉しかったのかを。

「ごめんね・・・ごめんなさい・・・・・・・・・でもありがとう・・・・・・」

グスッグスッと鼻をすする音と共に聞こえてきた言葉に、司はふぅっと呆れたように笑いながらつくしの頭をポンポンと撫でた。途端に自分にしがみつく細い腕に力がこもってもう笑うしかない。

「少しは反省したかよ、この意地っ張り女」
「・・・うん」
「お前の言いたかったこともわかる。けどな、お前は女だってことを忘れんな」
「・・・うん」
「俺に会えなくて寂しかったか?」
「・・・うん」
「会いたかったか?」
「・・・うん」
「俺が好きかよ?」
「・・・うん。 きゃっ?!」

バサッ!!

ぐるっと視界が反転してあっという間に立場が逆になる。
つくしが組み伏せられて司がそれに覆い被さるいつもの構図。

「なんかやけに素直で逆にこえーぞ」
「・・・だってほんとにそう思ったんだもん。自分の要領の悪さに心底嫌気がさしたし、それでも素直になれない自分がどうしようもなくて。一度だけ勇気を出して電話をしたら切られるし・・・」
「だからそれを根に持つなっつってんだろ」
「あんたの声が聞けないだけでこんなにこんなに寂しくて苦しいなんて・・・」

苦しみを吐露するのにあわせてぼろぼろと涙が溢れ出す。
耐え続けた1ヶ月分が、滝のように。

「何をしててもあんたのことばっかり浮かんでっ・・・声が聞きたい、会いたいって、そればっかりでっ、んっ・・・!」

滅多に聞くことができない素直な告白だというのに、それが最後までなされることはなかった。
愛する者に会えなくて気が狂いそうに飢えていたのは何もつくしだけではない。
近くにいるのに何もできないことでむしろその飢えは増すばかりだった。
全てを食べ尽くすような激しいキスがそれを愛する女に伝えている。

「はっ・・・そんなんこっちだって同じだっつーんだよ。どんだけお前に会いたかったと・・・!」
「道明寺・・・どみょじ・・・っ!」

ほんの少しだけ離れた唇に離さないでとばかりにつくしの両手が司の頭に絡みつく。
言いたいことがたくさんある。
聞きたいことだって。
それでも、今は互いでしか埋めることのできないこの飢えを、乾きを満たしたい。





今望むことは、ただそれだけ _____









「・・・それにしてもあの変装、びっくりするくらい似合ってたね」
「二度とあんな真似はやらねーぞ。目に異物まで入れて・・・気持ちわりぃったらねぇ」

素肌を寄せてベッドの中で微睡みながら、つくしはクスクスと笑う。
この俺様がそれだけ嫌なことにもかかわらずやったのは・・・他でもない自分のため。
そう思うと体中から愛おしい気持ちが溢れ出してくる。

「しかしお前全然気付かねーのな」
「だって、道明寺がうちの会社にいるだなんて普通思わないでしょ。しかもあんな変装までして」
「・・・まぁな」
「でもすっっっっごいオーラのある人だとは思ってたよ。正体を知ってそりゃそうだって今なら納得」
「まぁ俺様のオーラを隠す術なんかこの世には存在しねーからな」
「ふふっ、何言ってんのよ全く・・・」

熱い胸板に頬を寄せながらウットリと瞼が下り始める。
久しぶりに互いに心地よい眠りを迎えられそうだ。

「そういえば・・・非常階段で会った時、花沢類みたいだなって思っちゃった」
「・・・は?!」

半分閉じかけていた司の目がクワッと開く。
そんなこととは露知らず、つくしは夢の世界に足を突っ込みながらぽつりぽつりと爆弾を投下し続けていく。

「なんていうか・・・場所もそうだし・・・雰囲気も・・・あぁ・・・類とは昔よくあんなことがあったなぁ・・・なんて・・・・・・すっごく懐かしかっ・・・」
「・・・・・・」

1人すやすやと夢の世界に旅立ったつくしとは対照的に、司の目はギラギラと燃えている。
額には幾本もの青筋が浮かび上がったまま。

バサバサーーーッ!!!

「きゃあっ!! なっ・・・なにっ?!」

掛けていた布団が吹っ飛ばされ、いつの間にか組み敷かれている自分にさすがのつくしも目を覚ました。しかも何故か目の前の男は怒っている。
・・・すこぶる。

「てめぇ・・・よりにもよって類と重ねて見てやがっただと・・・?」
「えっ・・・何の話・・・?」
「何の話もかんの話もねぇよ。お前が今言ったんだろうが。・・・んの野郎、二度とそんなことを考えないように俺は俺だっつーことを教えてやる」
「えっ? えっ? えぇっ?!」
「今夜は眠れると思うなよ?」

ゆらりゆらりと壮絶な色気を滲ませた男の顔が近づいてくる。




「えぇ~~~~~~~~っ????!!!!!」




その日、久しぶりの安らかな眠りが2人を包み込むことは・・・結局なかったとか。





 
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こちら名前当て企画でみやとも賞をゲットされたたか※※ママ様からのリクエスト作品になります。
リクエスト内容は 「つくしちゃんの会社に司が潜入!」 といった主旨のものでした。
つくしに内緒で潜入って・・・まず不可能じゃないか?! と。だってクルクルパーですし(笑)
あのルックスじゃ絶対にすぐばれる。じゃあ変装させる? でもそれもな~・・・・・・(=_=)
・・・あれ、ぱっと見類っぽくしたら(つまりは正反対)案外気付かないかも?
ということでこのお話が生まれました。(ちなみに潜入期間中はいつものコロンはつけてません)
どうせなら司カッケ~! と言って欲しかったのでその辺りのツボはおさえつつ(笑)鋭い人ならすぐにピーンと来たかとは思いますが、それも含めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
最後思ったより長くなってしまって後編におさまりきらず、結局完結編まで加わってしまうという何ともいかにも私らしいお粗末な展開ではございますが(^◇^;)まぁ私ですからそんなもんだと目を瞑ってやってください(笑)全部がわかった後でもう一度読んでもらえるとまた違った楽しみ方ができるかなぁなんて思ってます。
たか※※ママ様、楽しいリクエストを有難うございました。楽しかった~!^^
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噂のアイツ 後編
2015 / 10 / 20 ( Tue )
「な、なんで・・・」

つくしの前に立ち塞がっている男。
それは他でもないここに来させた張本人であるクソ上司、五十嵐だ。
男はニヤニヤと、薄気味悪い笑いを浮かべてこちらを見ている。
ジリ、ジリ、と一歩ずつ近づいてくるその姿に、底知れぬ恐怖心が湧き上がってきた。

___ ここにいては危険。

それは直感だった。

「あの、私先に戻ってますからっ・・・あっ!!」

危険センサーが作動すると同時にすぐに横をすり抜けようとしたがそれも全て読まれていたのか、すれ違いざまに思いっきり腕を掴まれてしまった。
所詮男と女。力の差は歴然で、必死の抵抗も虚しく引き摺るようにして死角となる隅へと追い込まれてしまった。

「何するんですかっ!」

努めて冷静に、動揺を見せずに、けれど強い意思だけははっきりと示して睨み付ける。

「お前さぁ、何をやっても何の反応もしねーんだもん。面白くねぇんだよ」
「面白くないって・・・私は真面目に仕事してるだけですっ!」

遊び感覚で仕事をやってる方がおかしいんだよ!
やる気がないならお前こそやめちまえっ!!
必死で心の中で怒鳴りつける。

「あれこれ仕掛けても素知らぬ顔して気に食わねぇったらねーんだよ。だから考えたんだよ」
「な、何を・・・」

戸惑うつくしを見下ろしながら男はニヤリと口元を緩めた。
その笑いにゾクッと全身が震えると、逃げ場はないとわかっていながらも再び逃げ出した。

「あっ・・・!」
「おっと、逃げてんじゃねーよ。それじゃあ目的が果たせねーだろ?」

が、当然の如くすぐに捕まってしまう。

「ふざけないでっ!」
「ふざける? お前の方こそふざけてんじゃねーぞ。何も言い返さないくせして人を見下した目でスカしやがって。お前見てっとイライラすんだよっ!」
「きゃっ!!」

ガタガタンッ!!

いきなり足払いをかけられると、油断していた足元から思いっきり床に倒れてしまった。
すぐに腹の上に馬乗りされて起き上がる術を奪われてしまう。
この男・・・嫌がらせでここまでやるなんてどれだけ腐った人間なんだ!

「いい加減にしないと警察呼ぶわよっ!」
「はぁ? くっははははは! いいぜ? 呼んでみろよ。・・・まぁ、全てが終わってもお前がその気になればの話だけどな?」
「いやっ、やめなさいよっ!!」
「どうせお前みたいな女、男と付き合ったこともねぇんだろ? 感謝しろよ、その貴重な経験をさせてやっからよ」

男の手がブラウスへ伸びてくると、プツップツッと音をたててボタンを外し始めた。

嘘でしょ・・・? こいつ、本気なの・・・?
本気で狂ってる・・・!
嫌だ、嫌だ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!
直に触れられていなくても吐き気しかしない。
こんな男になすがままにされるなんて・・・死んでもゴメンだ。

会社をクビになる?
だから何なのよ。
このまま死んだように自分を押し殺してこの会社に居続けて何になるっていうの。
だったら自分らしく散っていった方がよっぽどマシ。

『 そこにいてお前が得ることは何なんだよ 』

・・・あぁ、今になってあいつに言われた言葉がこんなにも痛い。
あいつの言う通りだった。
変な意地ばっかり張って自分を貫き通した結果がこれだ。
自分のバカさ加減にほとほと嫌になる。

「・・・あれ、お前これ何だよ?」

ボタンを2つ外したところで男が胸元に光るあるものに気付く。

「なんだよこれ、すっげ~高級品じゃんか。・・・ははっ、男がいねーからってこんなもん買うのか? どんだけ虚しい女なんだよ、お前は!」

男などいるはずがないと決めつけている五十嵐は心底バカにしたように高笑いする。

「こんな不相応なものなんかつけてっからお前はいつまで経ってもイモなんだよ! こんなもんはなぁ・・・」
「やっ・・・やめなさいよっ!!」

男がチェーンの部分をグッと握りしめたのがわかった。

____ もう限界。
これ以上耐える意味などどこにもない。
最後くらい、あたしらしくいたい。
つくしはそう固く心に誓うと、男を蹴り上げるべく右足に思いっきり力を込めた。


「おわっ?! ぐはっ!!!」

ガツッ! ガタガタンッ!!

「 ?! 」

だがつくしが足を振り上げるその直前、体から男の重みが消え去った。
続いて聞こえてきた呻き声と何かがぶつかる音に、何が起こったのかが全くわからない。

「大丈夫か?!」
「えっ・・・?」

その声に我が耳を疑った。
何故ならその声は・・・

「いってぇ~・・・! おいっ、てめぇ、何しやがるっ!!」

だが事態を把握する前に五十嵐がゆらりと起き上がるのが見えて思わず身を竦めた。
そんな不安ごと包み込むように隣にいる人物がつくしの体を抱きしめる。

ちょっと待って、どういうこと・・・?

「お前・・・確か情報課に研修に来てる男だよな?」

そう、五十嵐が睨み付けているのは他でもないあのブルーアイの男性だ。
何故ここに? 考えればわからないことだらけだが、つくしが最も混乱しているのはそこじゃない。

「研修生の分際でこの俺にこんなことしてどうなるのかわかってんのか? ただのクビで済むと思うなよ。傷害沙汰で刑務所行きだからなっ!!」
「ま、待ってくださいっ! この人はあたしを助けてくれただけです!」
「そもそもお前のせいでこんな目に遭ってんだぞ! てめぇもただで済むと思うんじゃねーぞ!」

自分が強姦未遂したことなど棚に上げてそんなことを怒鳴りつける男に言葉もない。

「・・・・・・そのセリフをそっくりそのままお前に返してやるよ」
「何?」

口を開いた栗色の髪の男に視線が集中する。
五十嵐は自分に刃向かったことに、そしてつくしはその声に。

「てめぇこそ自分の立場をわかっちゃいねぇみたいだな」
「お前・・・何言ってやがる?」
「てめぇは今日限りでクビだ」
「なっ・・・?! おいっ、ふざけてんじゃねぇぞっ!!」
「誰がふざけるかよ。俺は大真面目だ。・・・行くぞ」
「えっ?!」
「おい、待てよっ!!」

わけがわからずに五十嵐が叫ぶのも当然のことだろう。
今ばかりはつくしも彼と同じ気持ちなのだから。
自分の体を抱き寄せてそのまま歩き出した男を見上げながら、混乱する頭の中を何一つまとめることができないままオフィスへと連れて行かれた。





ザワ、ザワ・・・


オフィス内がざわついているのも仕方がない。
研修生として噂の渦中にいた男に肩を抱かれたままつくしが戻って来たかと思えば、怒り狂った五十嵐がその後を追いかけてきたのだから。突然の出来事に一同が戸惑いを隠せていない。

「おい、てめぇいい加減に・・・」
「一同に告ぐ。今日からこの会社は大手企業の傘下に入ることになった。それに伴いそこにいる男は今日付で懲戒免職とする。その理由についてはここにいる人間なら説明するまでもないだろう」
「なっ・・・?! お前マジで何言ってやがる! おいっ、このキチガイをつまみ出せっ!!」

突然の宣告にもかかわらず、不思議と誰一人としてそれに異論を唱える者はいなかった。
・・・ただ一人を除いては。
皮肉にもそれだけ誰もがそうなることを切望していたのだと証明された形だ。

「あのっ・・・あなたは一体・・・? 確か情報課に来た研修生ですよね?」

1人の社員がおずおずと口にする。
上司の解雇は喜ばしいことだが、そもそもこの男性は一体誰なのか。ただの研修生にそんな権限があるはずもないことはバカにだってわかること。

もっともな疑問を投げかけられると、男はつくしの方にチラッと目を向けた。
栗色のサラサラな髪に真っ青な瞳、長身の体格。
そしてこの世のものとは思えないほどの圧倒的なオーラ。

まさか・・・まさか・・・

「・・・・・・道明寺なの・・・?」

半信半疑だった。
まさかこの男がこんな場所にこんな格好でいるはずがないという思いと、
あれだけのオーラを放つ人間などこの世に2人といないという思い。
・・・いや、本当は十中八九確信していた。

目を見開いてその名を口にしたつくしにやがてフッと目を細めると、目の前にいる男がおもむろに自分の髪の毛を掴んだ。そして全員が見守る前でそれを思いっきり引っ張った。

「あっ・・・?!」
「うそっ・・・!」

その瞬間を目撃した人間がそれ以上の言葉を失う。
それもそのはず、ハーフだと信じて疑わなかった男の髪が真っ黒に、そしてクルクルと特徴のある髪の毛へと一瞬にして変わったのだから。続けざまにカラーコンタクトと眼鏡を外したことでその印象はガラリと変わってしまった。
だが圧倒的なオーラだけは何一つ変わらない。

「道明寺・・・! どうして・・・」
「どうして? 意地っ張りな女を守るためだったら俺は何でもする。ただそれだけだ」
「・・・!」

驚くつくしから一同に視線を移すと、司は呆然とする社員に言い切った。

「今日からこの会社は我が道明寺ホールディングスの傘下となる。無能な人間は今日限りでクビだ。お前達の新しい上司は追って決定する。それまではこの俺が兼任することとする」
「道明寺ホールディングスって・・・」
「まさか・・・あなたは・・・!」

道明寺ホールディングスの名を知らない人間などこの日本で探し出す方が難しい。ましてや社会人であればそのトップにいる男が若くて凄まじいイケメンだという噂くらいは耳にしたことがあるはず。
季節外れの研修生だと信じて疑わなかった男がまさかそんな大それた人間だったとは。
上司のクビ話など一瞬にして霧散し、たちまち社内は騒然となる。

「それからお前」

だがそのクビの張本人を名指しで睨み付けたのは他でもない司自身。
一体何が起こるのだろうかと、ざわついていた面々が再び息を呑んだ。

「目に余る愚行に加えて俺の婚約者であるこいつに危害を加えようとした。その事実はてめぇが考えてる以上に重いぞ。本当ならこの俺が半殺しにしてやりてぇところだが・・・ブタ箱行きだけで済むのをありがたく思えよ」
「えっ・・・婚約者・・・?!」
「ちょっ・・・道明寺っ!」
「今さらだろうが。どうせ遅かれ早かれお前がここをやめる時にはわかることだ。俺だって充分お前に譲歩して来たつもりだ。だがな、その結果お前に危険が及ぶなんて冗談じゃねーんだよ。言っただろ、俺はお前を守るためなら何だってするって」
「道明寺・・・」
「とりあえず今日は帰るぞ」
「えっ?」
「後のことは西田に任せればいい」

グイグイ引っ張られて行く先で待ち構えるようにして西田が立っているのが見えた。
こちらに気付くと深く頭を下げた後入れ違うように中へと入っていく。
一体いつから?
全ては予定通りだったってこと?!

突然告げられた衝撃的な事実の連続に、まるでアイドルのコンサート会場の如く熱気に包まれたオフィスを後にしながら、つくしも今起きていることが夢なのか現実なのか掴みきれずにいた。





 
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すみませ~ん!後編なんですがもう1話だけあります!
最初はひとまとめにしてたんですがあまりにも長くなってしまうので・・・急遽「完結編」を加えることにしました。今回で終わりだと思っていた皆様ごめんなさい><
あとはラブラブだけなので許して~!! ←実に疑わしい無責任発言
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噂のアイツ 中編
2015 / 10 / 19 ( Mon )
「うえっぐずっ・・・」
「ど、どうしたの?!」
「あ、牧野さん・・・それが・・・」

更衣室に入るなり泣き崩れている女性が目に入り、慌てて駆け寄る。
泣いているのは部署は違うがつくしと同期入社の女性だ。

「もしかして・・・またあいつ?」
「・・・」

言葉こそないが女性はコクンと頷いた。
・・・やっぱり。

「お茶を出した時にね、ほんの少しだけ机の上に零しちゃったみたいで・・・。そしたらあいつ何て言ったと思う? 『お前みたいに無駄に胸と尻がデカイ奴にはもっと向いてる仕事があるだろ』 ですって」
「何それ、ひどい! っていうか完全にセクハラじゃん!」
「ほんと・・・誰も何も言えないのをいいことに、日に日にエスカレートしてるよ・・・」

モラハラ、パワハラ、セクハラ。
ありとあらゆるハラスメントに泣かされる者は日ごとに増すばかり。
ギリギリと拳が小刻みに震えてくる。

「いい加減・・・あたしキレちゃうかも」
「牧野さん? だめだよ! あいつの性格わかってるでしょ? それこそが狙いなんだから。その瞬間クビにされて今までの努力が水の泡になっちゃう。気持ちは痛いほどわかるけど・・・ここはグッと我慢して、ね?」
「・・・・・・」

その通り過ぎて何も言えない。
あの男、こっちが刃向かうのを今か今かと待っているのだ。
特につくしはどんな嫌がらせをされようとも泣き言一つ言わず、顔色一つ変えずに淡々と無理難題をこなしてしまう。それがあの男にとってどれだけ気に入らないことかなんて考えるまでもない。ましてや自らミスを犯すことなんてほとんどない。だからこそわざわざ手を加えてまでミスを捏造するのだ。
どこまでも性根の腐った男だ。

「はぁ・・・。菅野さん、悔しい気持ちは痛いほどにわかる。でもいつまでも今の状態が続くわけじゃないってあたしは信じてるから。いつか起死回生のチャンスが絶対に来る。その時を信じて頑張ろう?」
「牧野さん・・・」

涙でグチャグチャだというのにそれでも可愛らしい。
仕事だって真面目に頑張る彼女に対してすらそんな仕打ちをするなんて許せない。
いつか・・・いつか絶対にあの男をギャフンと言わせてやる!!!
そんなつくしの思いがひしひしと伝わったのか、涙に濡れながらも女性はコクンと力強く頷いた。

「そういえばさ、例の研修生! すっごい仕事ができるらしいよ」
「えぇっ、見てるだけでも癒やされるのに? 仕事までできるの?」
「同じ部署の子に聞いたんだけど・・・なんでも上司も顔負けなくらいだって」
「へぇ~、ますますなんでこんな会社に来たのか謎は深まるばかりだねぇ・・・」
「でもいいわよ。どんな理由だろうといてくれるだけでこんなに幸せ気分をもらってるんだもの。今さらいなくなってもらっちゃ困るわ!」
「あはは、確かに~!」

コロッと話題を変えて盛り上がり始める女性人に呆気にとられるやらなんやら。
相変わらず彼女たちの話題の中心はあの研修生のようだが・・・ある意味彼の存在に皆が救われているのかもしれない。ミーハー心がきっかけとはいえ、それが仕事へのモチベーションに繋がっているのならそれはそれでいいことなのだと思う。
とはいえ自分には関係ない話だと軽く聞き流しながらつくしは急いで着替え始めた。




***




「はぁ~~~~~~~~っ・・・」

薄暗いオフィスに1人、悲壮感に満ちた溜め息が響き渡る。
いつか来るその日を・・・と言った張本人だというのに、早くもその自信がぐらついている。
身に覚えのない尻ぬぐいを押しつけられて残業するハメになってしまった。あれはどう考えてもあの男のミスだ。それなのにこともあろうにそれを部下になすりつけて自分はさっさと帰るなんて・・・
しかも1時間2時間で終わるような内容じゃない。下手すれば終電にも間に合わないかもしれない。

「こんなことありえないでしょっ!!!」

ガンッ!!!

デスクに八つ当たりしたところで現実は変わってはくれない。
ジンジンと鈍く痛む手を摩っているとなんだかとてつもなく虚しくなってきた。

「何やってんだろ・・・」

いつまで経っても現状打破の糸口は見えない。
しかも私生活だってうまくいかない。
・・・意地っ張りなんかいい加減やめてしまえばいいのに。
どうしてそんな簡単なことすら自分はできないのか。
あいつが可愛げのない女だって呆れるのもこれじゃあ仕方ない。
だって自分でも心底そう思うんだもの。

「・・・やば、なんか泣きそう」

やだやだやだやだ。
ここで泣いたらダメ。
一度緊張の糸が切れてしまったらもう全てが崩れてしまう。

「・・・・・・」

ブラウスの上からそっと鎖骨の辺りに触れる。
服の上からでもはっきりとわかるコロコロとした小さな存在。
見えないようにしているけれど、それは常につくしが肌身離さず身につけているお守りだ。
今のつくしを支えているのはこれだと言っても過言ではない。

「・・・会いたいな・・・」

とはいえ忙しくて会う時間すらろくに取れないのが現実で。
それならばせめて声だけでも聞きたい。
気が付けばそんなことばかり考えてしまってる自分がいかに弱っているのかを実感する。

つくしは鞄の中から携帯を取り出すと、無言でそれを見つめた。
相変わらずメールも着信のお知らせもなし。
あいつと連絡を取らなくなってからというもの、バッテリーの減りが著しく遅くなった。
いかに自分の日常があの男のウエイトに占められていたのかを思い知らされる。

「・・・・・・・・・」

せめて、せめて、声だけでも・・・
祈るような気持ちでつくしはゆっくりと馴染みのある番号へと電話をかけた。

プルルルル・・・ プルルルル・・・

手が震える。
ただ電話をしているだけだというのに。
怖くて怖くて堪らない。
もし、もしあいつが・・・

プルッ・・・

「あっ、あのっ・・・!」

ブツッ!!

「えっ・・・?」

ツーッツーッツーッ・・・

響き渡るのは無機質な音だけ。それは相手に電話を切られたという何よりの証拠。
携帯を持つ手がダラリとぶら下がる。
全身から力という力が抜けていくのが自分でもわかった。

・・・・・・切られた?
あいつに・・・あいつの意思で・・・

「・・・・・・・・・」

・・・ダメだ。
その意味を考えることなんて今のあたしにはできない。
もう浮上できないほど奈落の底まで沈んでしまいそうで。

つくしは力の入らない体で後片付けをすると、まだ仕事も完全に終わりきっていないというのにフラフラとオフィスを後にした。どうせ完璧にやったところであの男には難癖をつけられるのだ。それが少しくらい増えたところで今さら何も変わりはしない。
今はとにかく何も考えずに眠りたい。
・・・・・・現実から目を背けたい。

トボトボ。
きっと今の自分は見るに堪えない程に情けない姿をしているに違いない。
あれだけ我慢していた涙がふいに込み上げてきて必死に唇を噛んだ。
どんなに理不尽な要求をされても、怒ることはあっても涙が出そうになったことなんてないのに。
電話を切られたというその事実だけでその涙腺がいとも簡単に崩壊しそうになる。
・・・ダメだよ。せめて家に帰るまではまだ泣いちゃ・・・


ガンッ!!!


「きゃあっ?!」

閉まりかけていたエレベーターの扉から突然足が侵入して来て心臓が止まりそうになる。
もうほとんど会社に残っている人はいないと思っていたのに・・・まさか侵入者?!
さっきとは違う意味で涙が込み上げてくるつくしの目の前に徐々に姿を現したのは・・・

「えっ・・・」

ブルーアイ。
見覚えのある特徴的な瞳に栗色の髪。そして見上げるほどの長身。
開いた扉から入って来たのは数日前に非常階段で偶然会ったあの男性だった。
とりあえず社内の人間だったことに胸を撫で下ろすと、つくしは今の自分の顔がどうなっているかを思い出して慌てて俯いた。涙を流してはいないけれど、零れる一歩手前だったのは一目瞭然だったはず。
彼にはタイミングの悪いところばかり目撃されてしまってどうにもこうにも気まずい。

「・・・・・・・・・」

沈黙が苦しい。
チラッと横目で見た男性は真っ直ぐに前を見ていた。相変わらずオーラが凄い。
彼もこんな遅くまで残業していたのだろうか・・・?
仕事ができるって彼女たちが言っていたけど、研修生ならやることも多いのかもしれない。
本当ならばこの前飴をもらったお礼を言うべきなのだろうけど・・・今は口を開いて冷静に話せる自信がない。少しでも喋れば涙が溢れ出してしまいそうで。
それほどにさっきのことが心を深く抉っていた。

・・・だめだ、ダメダメ!!
思い出しただけでまた泣きそうになっちゃうじゃないか。
人前で涙を流すなんてぜっっっったいにダメっ!!!

早く・・・早く1階に着いてっ・・・!

顔を見られないように俯いてひたすら息を潜めている時間が永遠のように長く感じた。
やがてポーンと音をたててつくしの待ち望んだその瞬間が訪れる。
顔を見られたくないから彼に先に降りてもらう。そのためにつくしは人の気配が消えるまでひたすらじっとしていた。

コツン・・・

「・・・え?」

だが下を向いているつくしの視界になかったはずの革靴が入ってきて思わず顔を上げてしまった。
見れば先に降りるとばかり思っていた彼が目の前に立っているではないか。
何・・・? 一体何を・・・

「えっ?」

戸惑うだけのつくしにいつかのように彼が右手を差し出した。
これは・・・まさかとは思うけど、もしかして・・・
そんな思いが伝わっているのかどうかは定かではないが、相変わらず何も反応できずにいるつくしの手を取ると、この前と全く同じように右手にコロンとした飴玉を握らせた。

「あ、あのっ・・・! えっ?!」

何かを言おうと口を開いたつくしの言葉がそこで止まる。
何故ならつくしの手から離れたその男性の手がそのまま頭へと移動したから。
まるで子どもをあやすようにいい子いい子と撫でているのだ。
突然のことに口を開けたまま呆然としているつくしにほんの少しだけ微笑むと、またしても男性は何も言わずに先にエレベーターから出て行ってしまった。いつまでも降りてこない女に痺れを切らしたかのように、やがてエレベーターの扉が閉まっていく。

「な、何、今の・・・」

一体何が起こったというのか。
相変わらず意味不明なことの連続に、その後もしばらく身動き一つ取れずに棒立ちしていた。
そのことでさっきまで心を埋め尽くしていた鬱屈とした気持ちが吹き飛ばされていたことに気付いたのは、もっともっと時間が経ってからのこと。






***



「あの研修生って部署はどこなんだろう・・・」

飴玉の入っていた袋をぼんやり見つめながら今さらながらにそんなことを呟く。
結局彼に遭遇したのはあの2回だけ。
興味も何もなかった相手だが、今思えばきっとどちらも落ち込んでいる自分を慰めてくれたのだろうということくらいはわかる。そして結果的にそれに救われたことは紛れもない事実なわけで。
せめて一言もらったものに対するお礼くらい言ったのではいいのではないだろうか。
クソ真面目な性格ゆえかついついそんなことを考えてしまっている自分がいた。


「おい牧野っ!」


だがそんな考えもその一言に全て吹き飛ばされる。
顔を見なくとも、今日のアイツがいつにも増してすこぶる機嫌が悪そうなのは明白だった。
自分が何かをした覚えは全くない。
・・・ということはあの男の憂さ晴らしに巻き込まれるということに他ならない。

「・・・はい」
「お前の準備したこの資料、年度が全然違うじゃねぇかよ! どこに目ぇついてんだっ!!」
「それは・・・」

あたしじゃなくてあんたが準備した資料じゃないかっ!!
確かに別年度の資料を準備したのはあたしだ。
でもいまこの男が難癖をつけているものに携わったのはあたしじゃない。
文句を言っている張本人だ。

「なんだぁ? 口答えすんのか?!」
「・・・・・・いえ、すぐに探してきます」
「お前みたいなボンクラはいつでもやめちまえっ!」

いつものように背中に捨て台詞を投げつけられても必死に耐える。
一体いつまでこの地獄のような日々が続くのだろうか。
日に日に本当にこれでいいのかと葛藤していく自分がいる。
昔のようにもっと怖い物知らずでぶつかっていってこそ自分なんじゃないのかと。
・・・でも現実社会は厳しいものだということを嫌というほど見てきたのだ。
きっと今ぶつかっていったところで木っ端微塵に砕け散って終わり。
それじゃあこの会社は何も変わらない・・・

「一体どうすればいいのよ・・・」

前にも後ろにもどうにも身動きがとれない自分が歯がゆくて仕方がない。
資料室に入るなりまたしても出た特大の溜め息に、今の自分に残された幸せのバロメーターがあとどれほどのものなのだろうかと嘆きたくなった。

結局、電話を切られて以降一度も連絡をしていない。
一度拒否をされてしまったのだ。
再びぶつかっていく勇気など、ただでさえ弱っている今の自分にはもう残ってはいなかった。
まさかアイツの中ではもう別れたつもりだったりして・・・

「ダメダメっ、弱気になるな、あたし!!」

纏わり付く雑念を振り払うと、すぐにあのクソ上司に持って行くための資料を探し始めた。


ガチャッ バタン


「誰か来た。・・・誰だろう」

ここは社内の資料室。社員が出入りするのはごく当然のこと。
つくしはそれが誰であるかも気に留めずに目的のものを探し続ける。

コツンコツンコツン・・・カタン。

「・・・え?」

だがふいに自分の真後ろで止まった足音に振り返った。




___ この後にあんなことが起ころうとは夢にも思わずに。





 
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噂のアイツ 前編
2015 / 10 / 18 ( Sun )
あたしに触れたらヤケドするぜ?

そんなバカバカしいセリフを言いたくなるほど、あたしの気分は最低最悪だった。






「ねぇねぇ、牧野さんはもう見た? 例の研修生!」
「あ、いえ、私は何も・・・」
「えぇ~っ、まだ見てないの? 今社内で話題の中心なのに! 早く見てみなよ~!」
「あははは・・・はい・・・」

コテコテのネイルとグロスを光らせながら離れていく同僚を見ながらドッと脱力する。
あんた達は一体何しに会社に来てんだよ?!
・・・そう言えたらどんなにいいか。

このところ、季節外れの研修生がうちの会社にやって来たという話は聞いていた。
なんでこんな時期に? と社員の注目を集めるのは当然のことで、来る前から話題になってはいたのだが、それはその研修生が来てからますますひどくなる一方だった。
なんでも長身の見目麗しいハーフだとかで、社内の女達がこのところ浮ついているのだ。
さっきのように声をかけられることがここ数日だけでも何度あっただろうか。

部署もフロアも違うつくしには面識はなかったし、そもそもそんなことはどうでもいい。
イケメンだろうがイケてないメンだろうが大事なのは仕事。
そう、ここは仕事をするための場所。
それなのに・・・


「おい牧野」


自分を呼ぶ声が耳に入ってきただけで頭が痛くなる。
我ながら結構な末期症状なんじゃなかろうかと思う。

「・・・はい。お呼びでしょうか」

だがそれを必死で隠して平常心を装って声の主の元へと急ぐ。
ちょっとでも遅れようものなら何を言われるかわかったもんじゃない。

「お前さぁ、文章打つくらいまともにできないわけ?」
「えっ?」
「ここ見てみろよ。誤字だらけ。しかも1つや2つじゃねーぞ。何をどうやればこんなに間違えんだよ? ったく、今時小学生でもこの程度のこと簡単にやれるっつーのに。一体お前の脳内は何歳なんだぁ?」
「・・・・・・」

放り投げるように返された書類をじっと見つめる。

「何だよ? 何か文句でもあんのか?」
「・・・・・・・・・いえ、すぐに直してきます」
「仕事ができねーなら来なくていいんだぞ」

背中に捨て台詞を吐かれても必死で耐える。

・・・ダメだ、ダメ。
キレたらダメ。
その時点でこっちの負けになってしまう。
絶対にその手にだけはのってなるものか。

ぶるぶる震える手をなんとか押さえ付けながら自席に戻ると、すぐにパソコンを立ち上げ当該のデータを出した。そしてそこで予想したとおりのものを目の当たりにする。
・・・原本には誤字脱字などどこにもないということを。

「・・・・・・」

入力し直すことなく即座にそれをプリントアウトすると、気怠そうに書類に目を通している男の元へと再び戻っていった。

「・・・なんだよ」
「できました」
「なんだぁ? やけに早いじゃねーか。できんだったら最初っからちゃんとやれよな」
「・・・・・・はい」

心底人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら、男は受け取ったばかりの書類をデスクの隅へと放り投げた。指摘していた場所の確認どころか中を開くことすらせずに。
つくしはじっとそれを見つめると、静かに頭を下げて自分のデスクへと歩き出す。

「ったく、やる気がねぇならいつでもやめてもらって構わねーぞ?」

そんな言葉を背中に浴びようとも、ただひたすらに耐えて。






***




「ムカツク、ムカツク、ムカツクーーーーーーっ!!! 仕事ができないのは一体どこの誰だっつーのよ?! 毎日毎日毎日毎日偉そうに暇そうに座ってるだけでろくな仕事なんかしてないくせに! やってることは人の足を引っ張ることだけ! あんのボンクラ能なしボンボンがぁっ!!!!」

ドガッ!!!

鈍い音を響かせて壁に一発お見舞いしたつくしはぜぇはぁと全身で息をしている。
言えなかった不満を一気に吐き出して呼吸をすることすら忘れていた。
それほどに鬱憤は溜まりに溜まっているのだ。

あの野郎、五十嵐という名の男が突然上司になったのは今から3ヶ月ほど前のこと。
いきなりの人事に驚いたが、どうもその男がこの会社の跡取りであることが後に判明した。何でもこの会社を継ぐべくアメリカで武者修行をしていたとのことで、満を持して帰国した。
・・・あくまでも表向きはそうなっている。

が、その実態たるや酷いものだった。
傲岸不遜な態度は言わずもがな、あの男、驚くほどに仕事ができないのだ。
態度が悪くとも仕事ができるのならばまだ我慢のしようもあるのだが、人を人とも思わないような態度に仕事はまるでできない。その最悪な男のせいでこのところの社内は目に見えて雰囲気が悪化していた。

将来を最も有望視されていたとある男性社員が見るに見かねて一度意見を述べたことがあったのだが・・・その3日後には彼の地方への異動が命ぜられた。
結局、この会社の将来に見切りをつけたその男性は会社を辞め、自力で別の会社へと転職したと風の噂で聞いた。
逆らえば問答無用で首を切られる。それはエリート街道まっしぐらの人材であっても。
それを目の当たりにした一同はそれ以降物言えぬ人となってしまった。
あの男はそれをわかった上で自分の憂さ晴らしをしているらしく、わざと部下のミスを誘導してはここぞとばかりに叩きつぶす。逆らおうものなら首を飛ばす。
そうしてこの数ヶ月の間に何人の同僚がやめていっただろうか。

そしてそのターゲットが今現在自分になっているということにも気付いていた。
・・・いや、あれで気付かない方がどうかしている。
穴が開くほど確認して完璧な状態で提出したさっきの書類だってそうだ。あの男、わざわざ自分でデータを取り込んで一部を書きかえやがった。そうしてわざと不備を作り出してこっちが反論するのを今か今かと待っているのだ。
そんなことが今日が初めてじゃないのだから、こっちだっていい加減我慢の限界ってもの。

とはいえキレたら相手の思うツボ。
その時点でこちらの負けだ。
ぜっっっっっっっったいに相手の思い通りになどなってやるものか。
やるなら機を外してはならない。
・・・いつか、いつか必ずその時はやって来る。このままあの男の天下が続くはずなどない。
そのタイミングを絶対に見逃してなるものか。
それだけを信じてひたすら日々を耐え抜く。今の自分にできることはそれだけ。

「はぁ・・・無能な上司が1人いるだけで組織ってこんなに崩壊していくものなのね・・・」

あの男が来るまでは至って平穏な会社だったというのに。
上が怖くてビクビクしている社員の士気は下がりっぱなし。女子社員が季節外れの研修生に仕事そっちのけで夢中になるのもある意味では仕方がないことなのかもしれない。

「・・・・・・あいつ、どうしてるのかなぁ・・・」

同じ俺様ジュニアでもあの男なら絶対にこうはなっていない。
一緒に仕事をしたことがあるわけじゃないけれど、何故かそう確信できた。
確かに容赦なく首を切ることができるタイプという点では同じだけれど、あいつの場合はまず自分が率先して仕事ができるのだ。ああ見えて頭が切れるし、それに、なんだかんだでしっかり会社の将来を考えている。それはバカばっかりやってた学生時代ですら感じられたことだった。
同じ緊張感でもあいつの場合は部下の志気を高めることができる。
ボンクラ男とはそこが決定的に違う。

「って、あたしってば何考えてるんだか・・・」

こんなときにあいつのことを思い出すなんて。

___ もう3週間も連絡を取っていないというのに。

「はぁ・・・全てがうまくいかないなぁ・・・」

最後に会ったときに喧嘩した。
いや、自分の中では喧嘩のつもりはなかったのだけれど。
意見が最後まで噛み合わなくて結局それっきり。
いつもなら1週間もすれば 「俺だ」 なんて言って偉そうに連絡してくるのに、今回はそれすらもなかった。だったら自分からすればいいだけのことなのに、いつもと違うあいつの出方に 『もし無視されたら』 なんて、らしくもなく怖くなってしまって結局今に至る。
正直、今はこれ以上悩み事を増やしたくないのが本音なのだ。

・・・と言いつつ1日経つごとに気分は沈んでいくばかり。
家に帰れば鳴らない携帯と睨めっこ、会社に来ればろくでなしに振り回され。
こんなに憂鬱なのは生まれて初めてかもしれないと思うほどに心はどんよりしていた。

「はぁ・・・・・・会いたいよぉ・・・」

1人ならこんなに素直に口に出せるのに。




カタン・・・




背後から聞こえてきた物音にハッとする。

「だ、誰?!」

誰もいないと思っていたのに。
ここは会社の外れの外れにある非常階段。
偶然見つけたこの場所が学生時代を思わせて密かなつくしの憩いの場となっていた。ここに他の社員がいるのを見たことなどただの一度だってなかったのに。
まさかさっきの雄叫びも・・・聞かれた?!

「あ・・・?」

ドクンドクンと嫌な汗が噴き出してきたつくしの前に現れたのは長身の男性だった。
一瞬あいつかとバカなことを考えそうになったけどこんなところにいるはずもないわけで。
よく見れば似ても似つかない風貌だというのに、体格が似ているだけでそんなことまで考えるようになってしまうなんて・・・自分で思っている以上に相当参っているのかもしれない。

「あ、あのっ・・・」

青色の瞳と栗色のサラサラとした髪をなびかせた見目麗しい男性。
それがさっき同僚が興奮気味に話していた噂の研修社員だということは一目瞭然だった。
ハーフでかっこいいとは聞いていたが・・・それ以上にオーラが凄い。
普段身近にいないハーフだからそう感じるのか、それとも彼の醸し出す雰囲気がそうさせるのか。
薄茶色のフレームの眼鏡が殊更彼を知的に見せていて、これなら女性陣が騒ぐのも妙に納得してしまった。・・・だからといって自分にとってどうでもいいことに変わりはないのだが。

それよりも気になることはただ一つ。
彼が一体いつからここにいたのか、だ。

「あの、さっき・・・」

一段上の踊り場にいたらしいその男性がつくしの目の前まで降りてくると、あまりのオーラに思わず息を呑んでしまった。こう言ってはなんだが、いい男には見慣れていたつもりだったのに・・・彼らにも負けず劣らず凄いオーラがあるのだ。

「・・・えっ?」

何かを言わなければと思いながらも雰囲気に押されて口ごもるつくしの前にスッとその男性が手を出した。突然のことにわけもわからずにつくしがキョトンと顔を上げた。
が、それと同時に手を掴まれると、右手に強引に何かを握らされた。

「えっ、えっ?! あのっ・・・!」

それはほんの一瞬の出来事。
つくしが手の中を確認しようと下を向くと、その男性は扉を開けて中へと入っていってしまった。
慌ててそれを追いかけたが、足が長いゆえか彼は遥か遠くまで行ってしまっていて追いつけそうもない。

「な、何? 一体なんなの・・・?!」

一体何が起こったというのか。
さっぱりわからない。
結局彼がいつからいたのかも、彼の行動の意味も、何一つ。

「そういえば・・・」

いきなり何を握らされたというのか。
はたと思い出して恐る恐る右手を開いていくと・・・

「え・・・・・・飴・・・?」

コロンと。
手のひらに可愛らしくおさまっているのは子どもの頃から定番のイチゴの飴玉。
懐かしい~!

「・・・じゃなくて、なんで?!」

顔を上げてもその答えを知る人物はとうの昔にいなくなってしまっている。

・・・・・・わけわかんない。
もしかしてあまり日本語得意じゃないとか?
あたしが言ってることはよくわかんなかったけどとりあえず怒ってるみたいだからこれでも食って落ち着けよ、みたいなそんな感じ?
だとしたらそれが一番しっくりくる。
・・・というかもうそういうことにしておこう。

「ここはありがたく頂戴しておこうかな。・・・ん、おいしいっ!」

口の中にほんわりとした甘さが広がっていく。
それと同時にさっきまで心の中に渦巻いていた棘が削ぎ落とされていくようだった。

思わぬ形で噂の研修生と顔を合わせることになったけれど・・・
とりあえずなんとなくいい人そうだということはわかった。
っていうか・・・



「 なんか花沢類みたい 」



誰もいない廊下を見ながらそう呟いたつくしの足取りは心なしか軽くなっていた。




 
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忘れえぬ人 67
2015 / 10 / 17 ( Sat )
トントントンとどこからともなく不思議な音が聞こえてくる。
途中でピーッとこれまた奇妙な音が響いてきたが、不思議なことにそれをうるさいとは思わない。

「あっつ!」

それは続くように聞こえてきた声が何よりも心を穏やかにさせるせいか、それとも・・・




そこまで考えたところで司の意識は再び深い眠りの底へと沈んでいった。











「・・・じ、・・・みょうじ・・・」
「ん・・・」
「どうみょうじ・・・?」
「・・・・・・」

爆睡してる・・・
眠りが浅くて寝付けないと言っていたのが嘘としか思えないほどに。

「すご、まつげこんなに長かったんだぁ・・・。うわ、毛穴とかも全然ないじゃん」

つくしは目の前で子どものように眠る男の顔をここぞとばかりに観察していた。
普段はどうにもこうにもこの男を直視することができないでいる。
今までは畏怖から、最近では 「男」 を意識するようになってしまったから。
元々見た目はいいのはわかっていたけれど・・・こうしてあらためて見ると、どこかの彫刻のように完璧に整った造形にただただ感嘆の溜め息しか出ない。

「世の中って不公平」

片やお金もあって完璧な見た目。
片や超ド貧乏で見た目も並以下。
せめてブサイクだけどお金持ちとか、貧乏だけど見た目はいいとか、もう少しバランスよくしてくれたっていいんじゃないの?!

「どうしよう、今日の予定とか大丈夫なのかな・・・」

既に8時を回っている。もし仕事があるのならばすぐにでも叩き起こした方がいいのだろうが・・・こんなにもぐっすり眠っているのを目の当たりにすると、なんだか起こすのが可哀想になってしまう。

「・・・・・・あと10分だけ」

早朝に外せない仕事があるならきっと泊まるだなんて言い出さないはず。
そう自分を納得させると、つくしははだけたシーツを掴んでそっと司の体へとかけた。

ガシッ!!

「えっ?! きゃああああああっ???!!!!!」

が。
突然シーツの中から伸びてきた手に腕を掴まれると、そのまま凄まじい勢いで体が引き上げられてしまった。

「道明寺っ・・・起きてたの?!」
「今起きた。お前が耳元でカッコイイだの大好きだのうるせーから」
「ちょっ・・・そんなこと一言だって言ってませんからっ!!」
「あーうるせー。人の睡眠じゃますんじゃねーよ」
「だったら離しなさいよぉっ!!」
「やなこった」

じったんばったん藻掻くがいつも通り身動き一つできず。
仰向けの男の上にまるで打ち上げられたトド状態で乗っかって恥ずかしいったらありゃしない。

「道明寺ってば!!」
「お前、前も思ったけど軽すぎだろ。もっといいもん食えよ」
「よ、余計なお世話です! っていうか腰に手ぇ回さないでよ!」
「でもまぁ不思議と抱き心地は悪くねぇな」
「えっ? ひゃあああっ! どこ触ってんのよぉっ!」

腰と背中をがっちりホールドした手がさわさわとその周辺を撫で始める。
相変わらずその手は燃えるように熱くて、動いた拍子に服の隙間からつくしの素肌に直に触れた。

「ぁっ・・・!」

無意識に出てしまった声に自分自身が一番驚く。
今・・・あたしってば何て声出した?!
・・・・・・・・・やだやだやだっ、恥ずかしい、恥ずかしすぎるっ!!!
やだーーーーーーーーーーーーっっ!!!!

「・・・・・・・・・」

羞恥に身悶えてすっかり固まってしまったつくしをよそに、何故か司も無言になる。
・・・と、何を思ったかつくしをのせたままむくっと起き上がった。

「・・・道明寺?」
「・・・あんまふざけてっと俺の方がミイラになる」
「は? ・・・ミイラ?」
「余計なところまで起きそうになる」
「余計なところ・・・? 起きる・・・?」
「いいからはやく降りろ。反応しちまうだろ」
「反応って一体なんのこ・・・・・・」

そこまで言いかけてハッとする。
この、お尻の下に感じる得体の知れない物体は・・・・・・


「ぎゃああああああああああああああっ!!!!」
「あ、おい、牧野っ!!」


ズタッ、ドシーーーーーーンッ!!!


絶叫と共に響き渡った鈍い音に、電線にとまっていたスズメがパタパタと飛び立っていった。






***




「いつまでも睨んでんじゃねーよ」
「睨むわよ、睨むに決まってんでしょ! アタタタ・・・」

全く、なんで朝からお尻にアザをつくるはめになるんだか。

「男なんだから仕方ねーだろうが。手ぇ出さずにいてやったんだ。むしろ感謝しろ」
「か、感謝って。アポなしに来ておきながら相変わらず傲慢過ぎでしょ」
「はぁ? 付き合ってる同士がいちいちアポ取らなきゃ会えねぇのかよ」
「そ、そういうわけじゃないけど・・・。ほら、もういいから食べるよ! 冷めちゃうでしょ!」

箸置きに置かれた箸を掴んで司の胸倉に押しつけると、つくしは両手を合わせてお辞儀した。

「いただきます」
「・・・いただきます」

なんだかんださすがは作法を身につけた男。その所作は見惚れるほどに美しい。

「・・・これ何だよ」
「どれ? あぁ、子持ちししゃもだよ。おいしいよ~」
「子持ち・・・?」
「その都度聞かれるのも面倒だから先に説明しておくね。これは大根の菜っ葉と豆腐のお味噌汁、こっちはキムチネギ納豆。今日はいつもよりう~んと奮発してるんだから。心して食べなさいよ!」
「・・・・・・」

そう言ってパクッと一口でししゃもを放り込んでしまったつくしをどこかの異星人を見ているかのような眼差しで見つめる。やがて手元にある同じものに視線を戻すと、げんなりしながらも黙ってそれを口に運んだ。

「どう? おいしい?」
「・・・・・・見た目ほど悪くはねぇな」
「でしょでしょ? もう、そういうときは素直においしいって言えばいいんだってば!」
「いや、うまくはねぇぞ?」
「わかったわかった、素直じゃないからね~」
「おい」
「はいはい、食事中はご飯に集中! ちゃんと残さず食べましょうね~」
「・・・・・・」

すっかり子ども扱いのつくしに青筋を立てつつも、何故か素直に従っている自分がいる。
見たことも聞いたこともないような食べ物を前にしながらも、不思議と箸が進んでいる自分がいる。
・・・食事の時間がこんなに楽しいと思ったのは生まれて初めてだった。

目の前で心の底から幸せそうに食事をしている女を見ながら、いつの間にか自分も同じような表情になっていたことに、司自身はまだ気付いていなかった。





***



「じゃあまた連絡する」
「あ、うん。大変だけど・・・頑張ってね」
「あぁ」

結局つくしの予想は当たっていて、司はこの後も仕事だったらしい。
すこぶる嫌そうにしながらも、立場上それを放棄できないのが辛いところだろう。
少しでもここで心と体を休めることができたのならいいのだけれど。

「あ・・・」

玄関まで見送りに来たところで振り返った司の顔が近づいてくるのがわかった。
条件反射のように一瞬手が出そうになったが、そんなことをする必要はないのだと我に返ると、つくしは静かに目を閉じてそれを受け入れた。

唇にふわりと柔らかいものが触れる。
その触れ方は、いつも驚くほどに優しい。
・・・そして心地よい。

「 ッ・・・! 」

だがしばらくして唇の隙間から侵入して来た生温かい物体に、つくしの体が激しく揺れた。
それを予想していたかのように背中に回された手にグッと力が込められる。まるで離れることは許さないと言わんばかりに。

「・・・ふっ・・・ぁ・・・!」

これまでのキスのほとんどが軽いものばかりだった。
こういうキスをしたことがないわけじゃない。
けれど、ここまで強い意思をもったものはこれが初めてでどうしていいかわからない。

・・・それなのに、決して嫌だなんて思っていない自分がいる。

そんな戸惑いも全てお見通しなのか、司は小刻みに震えるつくしを宥めるように背中を撫でつつも決してそれを止めようとはせず、そのまま長い時間をかけて翻弄し続けていった。



「・・・・・・・・・」
「・・・牧野、最近お前の周囲で何かおかしなことはなかったか?」
「・・・・・・え・・・?」

ようやく長いキスから解放され、頭も体もフラフラの状態ではいまいちすぐに理解できない。
司が抱きしめてくれていなければ間違いなく膝から落ちている。

「いや、何もねーならいいんだ」
「・・・・・・なんでそんなこと・・・」
「俺は道明寺の人間だからな。知らないところで俺たちの関係を良く思わない人間も出てくるかもしれねぇ。・・・ま、俺はそんなこと知ったこっちゃねーけどな。とはいえお前に危害が加わるようなことだけは絶対に許さねぇから」
「危害って、そんな大袈裟な・・・」
「受付の女にすら絡まれてただろうが」
「 あ 」

言われてみれば確かに。

「とにかく何もなきゃそれでいい。だが付き合ってる以上お前も常に警戒心は持っておけ。俺が24時間お前に張り付いて守ってやれるわけじゃねーから」
「う、うん」
「・・・なんならうちで一緒に暮らすか?」
「はっ?! な・・・何言ってんのよ!」
「それも悪くねぇな。ま、お前も前向きに考えておけよ。 じゃあな」
「ちょっ・・・!」

呆けたつくしの唇にもう一度キスを落とすと、司はあっという間に玄関から出て行ってしまった。
ようやく我にかえったつくしも慌ててその後を追う。


「・・・いってらっしゃいっ!!」


さすがは足の長い男。ほんの少しの時間で既に階段から降りていた。
目の前の手すりから顔を出して思いっきりそう言うと、驚きに染まった顔が振り返った。
一瞬言われた言葉の意味がわからないような、そんな表情で。


「・・・おう、行ってくる」


だが徐々に表情が和らいでいくと、最後にはつくしの大好きな少年のような笑顔へと変わった。
軽く手を挙げる仕草すら腹が立つほどにカッコイイ。

「頑張ってね・・・」

いつの間にかスタンバイされていたリムジンが見えなくなるまで見送りながら、つくしは今まで感じたこともないような温かさで心が満たされていくのを感じていた。




でもこの時のあたしは道明寺の言っていたことの意味をまだわかってはいなかったのだ。




 
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00 : 00 : 00 | 忘れえぬ人(完) | コメント(13) | page top
忘れえぬ人 66
2015 / 10 / 16 ( Fri )
「そ、そんなにくっつかないでよ」
「仕方ねーだろ、落ちそうなんだから」
「うぅっ、だから布団で寝ればって言ったのに・・・!」

結局おとなしく同じベッドで寝ることを了承してしまったものの、実際問題これだけ大きな男とシングルベッドで身を寄せるとなるとかなりの密着状態となってしまう。
今さらながら早まってしまったと後悔しきりだ。

「・・・お前なぁ、やらねーっつってんだからそんなにガチガチになんじゃねーよ」
「し、仕方ないじゃん! 男の人と一緒に寝るなんて経験したことがないんだからっ!」

恨めしそうに睨み付けると、しばらくして何故か目の前の男の顔がほんのり赤くなった。

「・・・なんであんたが赤くなってんの?」
「あ? 別に赤くなってなんかねーよ」
「嘘っ! だってどう見ても赤いもん!」
「うるせー女だな。好きな女が自分以外知らねーと思うと嬉しくなるのが普通だろ」
「自分しか知らないって・・・」
「・・・なんだよ、まさか違うのか?」

直前までの照れ顔が一瞬にして鬼の形相に変わる。
怖っ!!

「ち、違わないわよ、悪かったわね!!」
「ぶはっ、だからそれが嬉しいんだっつってんだろうが。ったくお前はよ」
「わわっ?!!」

いい加減埒があかないとばかりにつくしの背中ごと引き寄せると、あっという間に自分の腕の中へとその細い体を閉じ込めてしまった。
正真正銘密着状態。
ピタリとくっついた場所からリアルに体温が伝わってくる。

「ちょっ・・・道明寺・・・!」
「恋人同士なんだからこれくらいいいだろ? 普通ならこの状態ならとっくにやってんぞ」
「ぞ、って・・・」

強引にこの状態に持ち込んだのはどこのどいつだよ?!

・・・・・・あぁでも、こいつの体ってあったかぁい・・・
なんていうか、すっごく・・・

「そもそもお前と一緒に寝るのなんて初めてじゃねーだろ」
「え?」
「覚えてねーのか? お前が泥酔したあの日、とっくに一緒に寝てんだろうが」
「泥酔した日・・・? ・・・・・・・っ!!」

封印してしまいたいほどの・・・いや、実際この男が言うまではほとんど封印されていた記憶がその一言で鮮明に蘇ってくる。
あの、つくしの運命を大きく変えたと言っても過言ではないあの夜が。

「あの時お前は素っ裸にバスローブ、俺だって下しか履いてなかったわけだろ? あの時に比べりゃこのくらいどーってこと・・・」
「もうわかったから! お願いだから勘弁してぇっ!!」

そうだ、この男にはこれ以上ないってほどに大失態を見られているのだ。
おまけに半裸状態で朝まで爆睡・・・
我ながらあり得なさすぎる失態に次ぐ失態の数々。
・・・なんだかそれを考えると、ぎこちないながらも恋人関係になったというのに一緒に布団に入るというだけで大騒ぎしている自分が殊更マヌケに思えてきた。
いや、実際に端から見ればマヌケそのものなのだろうけど。

「お、やっと力が抜けてきたか?」
「・・・なんかもうあれ以上辱めにあうことはないかと思ったら脱力しちゃって」
「くくっ、なんだそりゃ」
「はぁ~~・・・もうあの日のことは言わないでよ。あたしの封印したい過去なんだから」
「なんでだよ。俺にとっちゃお前への気持ちを自覚した一生忘れらんねー記念日みたいなもんだぞ」
「やーめーてぇ~~~!!」

ブンブンと頭を振るつくしに司が軽快な笑い声を上げる。

・・・なんだかこんなに嬉しそうに笑ってもらえるんならもうそれでもいいかなんて思えてきた。
あぁ・・・さっきから思ってたけど・・・やっぱりこいつの体って・・・

「・・・・・・あんたの体ってすごくあったかいんだねぇ」
「あ? 普通だろ」
「ううん、すっごくあったかいよ。見た目はあんなにおっかなくて絶対零度って感じなのに」
「おい」
「すっごくすっごくあったかくて・・・・・・安心できる」

言葉が途切れ途切れになってきたつくしはかなり眠そうだ。

「それを言うならお前こそ、だろ」
「ふふ、そう・・・かな・・・」
「あぁ。眠りの浅いこの俺をあそこまで爆睡させたんだからな」
「そっかぁ・・・・・・あんたの役に立てたんなら・・・それはそれで嬉しいかも・・・」
「・・・」
「・・・・・・道明寺・・・」
「ん?」
「なかなか・・・連絡できなくて・・・ごめんね・・・? ど・・しても緊張して、どうしていいか・・・わかんなくて・・・。でも忙しい中こうして会いに来てくれて・・・ほんとは・・・すごくうれしかっ・・・・・あ・・りが・・・」
「・・・・・・・・・牧野?」

いつまで経っても聞こえてこない 「とう」 に顔を覗き込むと、既にスースーと寝息を立てて気持ち良く夢の世界へと旅立っていた。ほんの少し前までガッチガチに緊張していた人間と同じだとは思えないその変わり身っぷりに、呆れるやら笑えてくるやら。

「・・・くっ、お前はほんとおもしれぇ女だな」

男慣れしていないかと思えばガーガーと平気で爆睡しやがって。
確かにやらねーっつったのは俺だけど、本音で言えばやりたいに決まってるってお前はわかってんのか? 遅かれ早かれいずれそうなるってこともわかってんのか?

「ん~・・・ムニャムニャ・・・」

そんな複雑な男心なんてお構いなしにすりすりと頬を寄せてきやがって。
素面だったらぜってーしねぇだろうが!


「・・・くっ、くくくくっ・・・!」


ありえなさすぎて笑える。

この俺が、特定の女にこんな風に振り回される日が来ようとは。
しかも振り回されっぱなしなのにそれが嫌じゃないなんて。
・・・むしろ楽しんでいる自分がいる。
この俺が女に惚れるってだけでもありえねーっつーのに。
よりにもよってその女は一見何の取り柄もないただの貧乏女。

・・・だがそれこそがこの女の最大の魅力。
振り回されようがどうしようがそれでもこの女と一緒にいてぇと思うんだから、逃げようとどうしようと絶対にお前を離しはしない。


・・・そう、たとえどんな妨害をされようとも絶対に。



「 牧野・・・ 」



完全に身を委ねて安心しきった顔で眠るつくしの額にそっと唇と落とすと、離さないとばかりに燃えるように熱い体で抱き寄せ自分自身も静かに目を閉じた。





 
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忘れえぬ人 65
2015 / 10 / 15 ( Thu )
「ちょっ・・・押さないでってば!!」
「押してんのはお前だろうが。早くどけ」
「む、ムリっ!! そんないきなり言われて泊めるとか・・・絶対にムリっ!!」

キスですら思考が止まりそうになる女にいきなり泊まりに来ただなんて・・・
そんなん 「はい、そーですか」 なんて言えるかっ!!
帰って来るなり扉一枚を挟んでの攻防戦が繰り広げられて既に何分が経過しただろうか。

「おい、あそこで人が怪しそうにこっち見てんぞ」
「えっ・・・? あっ!!」

つくしの力がフッと抜けたそのほんの一瞬の隙に思いっきりドアを引くと、司はつくしが抵抗する暇も与えずに一気に部屋へと侵入した。

「ず、ずるいっ!!」
「何がだよ。こっち見てたのは事実だぜ」
「くっ・・・! っていうかなんなのよ? いきなり来て泊まるとか、ほんとムリだから!」
「無理じゃねーだろうが。雨風凌げる部屋があんだ。何の問題もねぇ」
「だからそういうことじゃなくて・・・」
「嫌なのか?」
「えっ?」
「お前は俺と一緒にいんのが嫌なのか? 本気で嫌だっつーなら帰るぜ」
「そ、それは・・・」

な・・・何よ、何なのよ?
そんな顔しないでよ。卑怯者!
まるですんなり受け入れないあたしが悪いみたいな気分になっちゃうじゃない。

「どうなんだよ」
「だ、だからっ・・・嫌・・・とかそういうことじゃなくて、なんていうか、」
「嫌じゃねーのか?」
「え? う、うん・・・」
「じゃあ泊まる」
「えぇっ?!!」

切り替え早っ!!
っていうかほんとに帰る気なんてあったのか?!

「バーーーーカ! 心配すんな。やったりしねーよ」
「なっ??!!! やっ・・・?」

真っ赤になってろくに言葉も出てこないつくしに司が吹き出す。

「ブッ、わーったわーった。ちょっとは落ち着け、な?」
「う゛~~~~、わざわざからかいに来たの?!」

すっかり自分のペースに取り込んで楽しんでいる司を涙目になりながら睨み付けると、それまで笑っていた男が一瞬にして真顔に戻った。

「からかってなんかねーよ」
「だって、じゃあどうして・・・」
「お前があまりにも深刻に受け止めてっからだろ? 俺は最初っからやるつもりで泊まるだなんて言ってねーよ。・・・まぁお前がその気になれるっつーなら俺はいつでもOKだけどな」
「なな、何言って・・・!」
「だから最後まで聞け。俺は男だ。好きな女に対してそう思うのはごく自然な感情なんだよ。それくらいは認めろ。でもだからってそこで暴走するほど俺の理性は壊れちゃいねーよ。今日はお前と会いたかった。ただそれだけだ」
「・・・・・・」
「日中会えれば一番いいんだけどな。今はマジで忙しいから。会いに来るならこの時間しかねーんだから仕方ねぇだろ? お前はちっとも連絡してきやがらねぇし」
「あ・・・」

ジロリと睨まれて何も言い返せなくなってしまう。
彼の・・・言うとおりだ。
照れくさいだのなんだの理由をつけてあたしが連絡をしないのだから、結局は彼が動くしかない。
あたしってば・・・

「俺も少し疲れてんだよ。そういう時ほど眠れなくてな」
「え・・・そうなの?」
「あぁ」

見れば確かにこの前会った時よりも少しやつれているような・・・
ギャーギャー騒ぐばかりでそんなことにも気付かないなんて、恋人失格だ。

「・・・ごめん。何も知らずに騒ぎ立てて」
「まぁ予想してたことだから気にすんな。むしろ何の反応もなくあっさり受け入れられる方がびびるし。お前がそんだけ男慣れしてねーって何よりの証拠だろ」
「う、うるさいわね」
「バーカ。喜んでんだろうが」
「もう・・・! あ、そう言えばお腹空いたって言ってたよね? 何か食べる?」
「あー・・・そのつもりだったけどな。フロ入ったらどうでもよくなった。それより横になりてぇな。メシは明日の朝食わせろよ」
「あ、じゃあ進の着替え出すから脱衣所で待っててくれる?」
「あぁ? 別にここでいいだろ?」
「ダメっ!! 脱衣所か外かどっちかでしか着替えちゃダメっ!!!!」
「外って・・・くっ、くくくっ・・・!」
「いいからもう! 脱衣所はあっち!!」

笑い上戸にでもなったのかというくらい笑い続ける司を無理矢理脱衣所に押し込むと、つくしはクローゼットの中から進用に置いてあるスウェット一式を慌てて引っ張り出した。






***




「・・・・・・ぷっ、あははははは! 何それっ!!」
「・・・てめぇ、笑ってんじゃねーぞ」
「だ、だって、それっ・・・、笑うなって方が・・・ムリっ・・・!! ブフフフフッ!!!」
「くそったれが・・・お前の弟の足の短さはどうなってんだよっ!!」

つくしが笑い転げるのも無理はない。
司に渡したのは確かに長袖長ズボンだったはずなのに、いざそれを身につけた彼はどうだというのか。どこからどうみても半袖、せいぜい7分袖にしかなっておらず、まるで巨大化した園児だ。

「背が高いのもあるけどあんたってやっぱ足長いのね~。なんかムカツクわ」
「おい、どさくさ紛れに何言ってやがる」
「とにかく急に来たんだからそれで我慢しなさいよね。で、布団敷いておいたから。言っとくけどワンルームなんだから狭いのはどうにもならないからね。あと布団が小さい硬いって苦情も一切受けつけません!」
「・・・布団なんかいらねーだろ?」
「えっ・・・なんで? カーペットの上に直接寝るつもり?」
「アホか。お前ベッドで寝んだろ? だったら俺もそこで寝るに決まってんだろうが」
「はっ・・・? ・・・・・・はぁあああああああぁああああっ???!!!」
「ばっ、うるせぇ!」

深夜に響き渡る雄叫びに司が慌ててつくしの口を塞いだ。
もごもごと抵抗しながらもその目は驚きに見開いている。

「言っただろ? 眠れねーんだって。何もしねーから心配すんな。とにかくお前と一緒だと不思議と安心できんだよ」
「・・・・・・」

ゆっくりと手が離れていってもつくしは何も言わない。
・・・いや、言えなかった。
それほどに、司が言っていることが真剣だと思えたから。

「変なことはしねーって約束するから。お前もここで寝ろよ」
「・・・・・・」

同じベッドに寝るなんて考えられない。
いくら好きだと自覚したとはいえ、手を出さないとはいえ、異性と同じベッドで寝るなんてそんなことはすぐには無理!!
・・・心底そう思ってるのに。
あたしってば一体どうしちゃったっていうの。

いつもの俺様な口調は全く崩していないのに、何故か愛情に飢えた小さな子どものようで。
やましさなんて微塵も感じられずに、本当に人肌恋しいだけなのだと思えるなんて。
手を取って導かれても、ちっとも抵抗できずに素直に従ってる自分がいるだなんて。




・・・あぁ、やっぱりこの男は魔術師に違いない。





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忘れえぬ人 64
2015 / 10 / 14 ( Wed )
「よぅ」
「ど・・・どうしたの?!」
「どうしたのって、お前に会いたいから来たに決まってんだろ。なんか問題あるか?」
「あるかって・・・だってこんなにいきなり・・・」

しかも時間はもうすぐ夜9時になろうとしているところ。
いくら週末だとはいえ、何のアポもなしに突然訪問されれば驚くのが当然というもの。
突然現れた男を前につくしは言葉もない。

「腹減った。何か食わせろよ」
「えっ? 入るの?」
「あぁ? 当たり前だろ」
「いや、でも中散らかってるし・・・」
「んなんどーだっていいよ」
「でもっ・・・!」

妙によそよそしいつくしの態度にみるみる司の眉間に皺が寄る。
どこか違和感を覚えて後方に目をやれば、明らかに男物だとわかる靴が見えた。

「あっ?! ちょっとっ!!」

つくしの制止も振り切ってズカズカと部屋の中へと突き進んでいく。
もしも中にいるのが本当に男なら一発殴るだけじゃ気が済まない。
・・・ブッ殺す。

「道明寺っ、待ってってばっ!!」
「うるせぇっ、一体誰がいんだよ!」
「違うの、誤解なんだってばっ!」


バンッ!!!!


もげてしまいそうなほどに叩きつけられた扉の先にいたのは ____

「こっ、こんばんは・・・! ご、ご無沙汰してますっ」
「・・・あ? 誰だ、テメェ」
「ちょちょちょちょちょーーーっと!! 待ちなさいよ、このバカッ!!!」

今にも胸倉に掴みかかろうとしている司の腕にしがみついて必死に止めに入る。

「あぁん? お前こそこんな時間に男を家に上げるなんざどういうつもりだ!」
「はぁっ?! だから誤解だって言ってるでしょ!」
「何が誤解なんだよ? 俺が来るなりあたふたしやがって。やましいことがあるからだろうが!」
「なっ、なんですって?! ひどいっ!」
「だから俺は言っただろうが。キョトキョトすんじゃねーって。お前にその気がなくてもなぁ、男なんて・・・」


「ぼ、僕は弟ですっっっっっ!!!!」


「弟だろうがなんだろうが男なら・・・・・・・・・・・・・・・え?」

睨み合いを続ける2人に箸と茶碗を持ったままの男が割って入った。
司はその男の顔をジーーーーッと凝視する。
心なしか、自分の好きな女に似ている・・・気がする。
見比べるようにつくしに視線を戻せば、すこぶる不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。

「・・・・・・まぁ、あれだ。勘違いするのもこの状況じゃ仕方ねぇ」
「へぇ? あたしは誰でも彼でも男を連れ込む尻軽女なんでしょ?」
「いや、だからそれは・・・」
「そんな女やめた方がいいんじゃない?」
「おい、お前今何つった!」
「フンッ!!」

「ちょっ、姉ちゃん! 自分から話をややこしくしてどうするんだよ! すみません道明寺さん、僕は弟の進といいます。両親から預かったものを届けたついでにメシを食わせてもらってて・・・ただそれだけですから」
「・・・お前、俺を知ってんのか?」
「もちろんです! 以前裸のお付き合いをさせてもらいましたから。僕の一生の思い出です」
「はぁ?!」
「ちょっ・・・進、あんた何言ってんの?!」
「なにがだよ。俺は本当の話をしただけだろ」
「裸の付き合い・・・?」

女とすら付き合ったことのない人間が何をどうすれば野郎と裸の付き合いになるというのか。
想像したくもないその地獄絵図に司の意識が遠のきそうになる。

「ちょっと道明寺、あんたはあんたでとんでもないこと考えてんじゃないでしょうね?!」
「・・・あ?」
「裸の付き合いっていうのは一緒にお風呂に入ったりすることなんだからね?」
「一緒に・・・風呂・・・?」

ヤローと一緒に風呂・・・?
この俺がこともあろうにヤローと楽しく風呂、だと・・・?
一緒に風呂に入って一体何するっつーんだ?
まさか・・・

「ど、道明寺さんっ、変な方向に誤解しないでくださいね?! 風呂って言っても銭湯のことですから!」
「・・・・・・銭湯?」
「はい、大衆浴場のことです!」







***




「何がどうしてこんなことになるのよ・・・」

カポーーーーンコーーーン・・・

つくしの嘆きに合わせたかのように桶の小気味いい音が響き渡る。
進から聞かされた 「銭湯」 に興味を示した司の指示により、ほぼ強制的に銭湯に行くはめになってしまった。だったら男だけで行ってこいと言ったが、そんな恥ずかしい真似ができるかと逆ギレされてしまった。
恥ずかしいも何も、中に入れば別々になるんだから同じことじゃないか!

「はぁ・・・でも気持ちいいなぁ」

こんなにゆっくり湯船につかるなんていつぶりだろう。
最近は忙しさにかまけてほとんどカラスの行水状態だった。
やっぱり日本人はお風呂だなぁなんて年寄りくさいことまで考える始末。

「あいつ、ちゃんとおとなしく入ってんのかな・・・」

ほんの少しだけ開いた上の空間を思わず見上げる。
好きだと認めてから会うのは実はこれが初めてだったりする。
彼の宣言通り、あれ以降仕事が忙しいらしく、この一週間はたまに電話がかかってくるかメールが届く程度だった。その度にお前からも連絡しろだなんて文句を言われたけど、正直どんな風に連絡すればいいかわからずにいた。何度も携帯と睨めっこをするだけで、結局一度もできてはいない。しかも忙しいとわかっている相手だけに尚更気が引けてしまうのが本音で。
だから突然だったとはいえ・・・こうして会えたことを内心嬉しくも思っているのだ。

今、この壁一枚を隔てた場所にあいつがいる・・・
そう思うだけでドキドキが止まらない。
しかも裸で・・・
そういえばアイツ、いい体してたなぁ・・・

「あわわわっ、何考えてんのよっ!! ブクブクブク・・・!!」

目の前にちらつき始めたとんでもない残像を振り払うように、つくしはドボンと思いっきりお湯の中に潜り込んだ。







「どうですか?」
「・・・悪くねーな」

単なる大衆浴場だというのに、この男がそこにいるだけで高級温泉に見えてくるのだから不思議だ。どんな場所でも様になる、それが進の憧れの男、道明寺司。

「よかったです。4年前も道明寺さんに気に入ってもらえたんですよ」
「・・・・・・」
「あ、すみません。余計なことを言ってしまって・・・」
「・・・いや。もっと聞かせろよ」
「! ・・・はい!」

思いも寄らない一言に、進の顔が一瞬にして華やいだ。

「あの・・・聞いてはいけない質問だったらはっきりそう言ってくださいね。その・・・道明寺さんの記憶って・・・」
「戻ってねぇな」
「・・・ですよね。・・・でも、それじゃあどうして・・・?」

司が記憶を無くし、結果的にはそれが原因で2人は別れた。
しかもつくしまで記憶を失うというおまけまでついてきて。
一方的に突き放していた姉のところに記憶も戻っていないのに何故今さら? と思うのは当然だ。

「どうやっても抗えねぇらしいな」
「・・・え?」

天井を仰ぎながらフーッと深く息を吐くと、何故か司は堪えきれずに笑い出した。
そしてそれを不思議そうに見つめている進に視線を向ける。

「俺の細胞はどうやってもお前の姉貴を求めるようにつくられてるみてーだ」
「道明寺さん・・・」
「あいつを見るとイラついてイラついてどうしようもなかったっつーのにな。気が付けば落とされてるのはいつも俺らしい。・・・なんのことはねぇ。結局、あいつを思い出せない俺自身にイラついてただけだったってわけだ」
「・・・」
「その証拠にあいつを好きだと自覚したらどうだ。俺ん中で渦巻いてた行き場のない黒い感情が嘘のように消えた。・・・この4年は一体何だったんだってほどに一瞬にしてな」
「道明寺さん・・・」
「・・・フッ、情けねぇ顔してんじゃねーぞ!」
「わぷっ!!」

今にも泣きそうな進の顔面に凄まじい量のお湯が直撃する。
突然のことに驚くほかないが、それを見て楽しそうに肩を揺らしている男の姿を目の当たりにしたら・・・またしても泣けてきてしまった。そんな進にますます司の笑いは止まらない。

「悪ぃけどお前のことも覚えてねぇんだわ。それどころかあいつのことすらまだ何も・・・。それでも俺は自分の直感を信じて突き進むだけだ。綺麗にリセットされて、それでも惚れるなんてそうそうできることじゃねーだろ?」
「は、はい!」

力強い頷きに司もニッと口角を上げる。

「失った時間を取り戻すことはできねぇかもしんねーけど、これから新しい記憶を作っていくことはできる。人生まだまだ先はなげーからな。あっという間に失った記憶以上の新しい記憶がつくられていくだろ」
「道明寺さん・・・やっぱり相変わらずかっこいいです・・・!」
「あ? なんだお前、もしかしてそっちの人間か?」

睨みをきかせて距離をとった司に進がもげそうなほどに首を振る。

「ちちちち違いますっ! これは男としての憧れっていうか・・・初めて会った時から道明寺さんに憧れてたんです! 4年前ああいうことになったときは悲しかったですけど、でもどこかで現実に戻っただけなのかな~なんて思ってる自分もいて・・・」
「・・・? どういうことだよ」
「いや、もともとうちみたいな貧乏一家で育った姉貴と日本を代表する大富豪の道明寺さんがお付き合いするってこと自体が夢物語みたいで・・・だから全ては夢だったのかなって、そう言い聞かせることである意味自分を納得させてきたっていうか・・・いでででっ!!!??」

突然頬を思いっきり抓られて目が飛び出そうなほどの痛みが進を襲う。

「これは夢か? 夢だったら痛くねぇよなぁ?」
「い゛っ、い゛だい゛ですっ!!!!」
「だよな? じゃあこれは夢・・・」
「じゃないでずっ・・・!!!!」

間髪入れずに返ってきた答えに不敵な笑みを浮かべると、司がようやく手を離した。

「まぁお前にそう思わせたのは俺の責任だけどな。金輪際そんなこと言ったらぶっ飛ばされると思えよ」
「えっ?!」
「これが夢オチだとか冗談じゃねぇっつーんだよ。もうこの4年のような意味のわからねぇ苛立ちはゴメンだ。這い上がってきたからには二度とテメーの姉貴を離したりしねーからな。覚悟しとけ」
「は・・・はいっ!!」
「クッ・・・つーか、お前名前は?」
「あ・・・進、牧野進ですっ!!」






***




「「 ・・・・・・あ。 」」


暖簾をくぐったところでバッタリ示し合わせたかのように鉢合わせして互いに目を丸くする。
普段クルクルになっている司の髪がストレートになっていて、その色っぽさに思わずドキッとした。
男の方が色気があるっておかしくないか?!

一方、司は司で濡れた髪がうなじにかかっている姿を見ただけで相当テンションが上がっているのだが、鈍い女はそんなことには全く気付かない。
こいつ、いい加減少しは自分が女だって自覚を持ちやがれ!

「じゃあ姉ちゃん、俺はここで帰るから。道明寺さん、楽しい時間をありがとうございました」
「えっ?! あんた帰るのめんどくさいから今日は泊まってくって・・・」
「バカだな~。いくら俺でもそんな野暮なことするかよ」
「野暮なこと・・・?」

本気で意味のわかっていない姉に心底呆れると同時に男として司に同情したくなる。

「道明寺さん、こんな姉ですけどこれからよろしくお願いします」
「おう。じゃあな」
「はい、また裸のお付き合いよろしくお願いします!」
「あっ、ちょっ・・・進っ?!」

笑う司に何故か敬礼すると、進はつくしの制止も振り切って颯爽と夜道に消えてしまった。

「な、なんなのあいつ・・・?」
「あいつなりの気遣いだろ」
「気遣い?」

何の? そう言いかけるよりも先に心臓が跳ね上がる。
後ろから伸びてきた手が自分の右手に絡まってきたのだから。
ハッとして顔を上げたつくしに少しも表情を変えていない司がはっきりと言い切った。




「 今日はお前んちに泊まっから 」





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忘れえぬ人 63
2015 / 10 / 13 ( Tue )
「おす」
「お、おはよう」

事務所に入って真っ先に視界に入った人物にドキッとする。

そうだ。
あいつを好きだと自覚したのならばあたしにはやらなきゃいけないことがある。
これ以上中途半端なことが許されるわけはないのだから。

「あの・・・大塚! 今日ちょっと・・・いいかな」
「え?」

驚きながら振り向いた大塚はしばらく何かを考えると、やがて真剣な顔で頷いた。

「わかった。昼はちょっと無理だから・・・仕事終わってからでもいいか? 俺今日は一日外回りなんだわ」
「もちろん。大塚の都合に合わせるよ」
「じゃあ7時にとら藤で待っててくんねーか? 俺も仕事が終わり次第すぐ行くから」
「わかった。急でごめんね?」
「ハハッ、別に俺たちなんていつもこんなもんだろ? じゃあまた後でな」

屈託なく見せる笑顔に苦しくなる。
きっと彼はどんな話になるのか気付いたに違いない。それでもああやって向き合おうとしてくれている。
だからあたしが落ち込んでなんていられない。
ちゃんと自分の言葉で伝えなきゃ。それが今のあたしにできる唯一のことなのだから。

遠ざかっていく後ろ姿を見つめながら、つくしは自分の心を奮い立たせた。






***




「ごめんなさい。あたしはやっぱり大塚とお付き合いはできません」

時間きっかりにやって来た大塚に、乾杯したままの勢いでつくしは頭を下げた。
すぐに言われるとは思っていなかったのか、彼は驚きを隠せてはいない。

「・・・理由は?」
「・・・自分の気持ちに気付いてしまったから」
「自分の気持ち?」
「・・・あたしは道明寺のことが好きなんだって」
「 ! 」

思いの外はっきりと言い切ったつくしに大塚が面食らっているように見える。
それもそうだろう。
ついこの間まで好きどころかむしろ嫌いだとすら思っていた相手なのだから。

「自分でもびっくりしてるの。・・・でもそれが揺らぎようのない事実だって気付いたから・・・」
「・・・・・・」
「大塚のことは好きだけど、それは男とか女とか関係ないところでっていうか、もっと言えば家族愛に近いっていうか・・・。すごく大事な人であることに変わりはないけど、どうしてもそういう対象として考えることはできなかった。・・・ごめんなさい」

再び頭を下げると、やがて頭上から深く息を吐く音が聞こえてきた。

「・・・そっか。・・・うん、わかったから顔上げてくれよ」
「・・・・・・」

神妙な面持ちで顔を上げたつくしに大塚はどこか苦笑いしている。

「やっぱあいつを最初に見た時の嫌な予感が的中したか」
「え?」
「なぁ牧野、本当のことを教えてくれよ。お前らって本当は昔つきあってたんじゃないのか?」
「えっ?!」
「俺前にも同じようなこと言った気がするんだけどさ、あいつを初めて見たとき・・・なんつーか、言葉にできない焦りみたいなのを感じたんだよな。それはもう男としての直感としか言いようがないことなんだけど。お前とあいつの間には何かあるんじゃねーかって、根拠はないけどそう思ったんだよ」
「・・・・・・」
「あ、別に責めてるつもりじゃねーからな?」
「・・・それは、本当に自分でもわからないの。・・・もしそれが本当の話だとしても・・・」
「え? ・・・それってどういう意味だよ?」
「・・・・・・」

ここまできて隠す意味もないと考えると、つくしは自分達が互いに記憶を失っていること、その上で再会して今に至っていること、これまで話さずにいたことをぽつりぽつりと話し始めた。



「そんなことが・・・」
「ごめんね? 隠してるつもりはなかったんだけど・・・自分でもわからないことを人に話すことはどうしてもできなくて」
「いや、そりゃお前の言う通りだよ。そっか、そういうことだったのか。なるほどなー・・・」
「・・・大塚?」

頷きながら妙に納得している大塚につくしの方が戸惑っている。

「いや、なんかそれを聞いて全ての合点がいったっつーか」
「・・・え?」
「要するにお前達はお互いに記憶を失いはしたけど、結局は潜在意識の中でずっと求め合ってた、そういうことだろ?」
「えっ・・・?」
「だって考えてもみろよ。普通なら簡単に出会うような相手じゃねぇぞ、あいつは。それなのに2回も出会って、結果的に恋に落ちるなんてさ。・・・正直、俺が入り込む余地なんてねーだろ」
「それは・・・」

言葉に詰まるつくしに大塚は笑う。

「なんか俺の中でぐるぐるまとまらずにいたことがそれを聞いてすっきりしたっていうか。お前らに対して感じてた違和感の正体がようやくわかった気がするよ。ありがとな、言いづらいこと話してくれて」
「大塚・・・」
「おいおい泣くなよ? 今泣かれたら俺も困る。っていうか諦めがつかなくなるだろ」
「うん・・・ごめん」

色んな感情が涙と共に溢れ出しそうになるのをグッと堪える。
彼の言う通り、こんな時に泣くのは卑怯だ。絶対にそれだけはしてはいけない。

「大塚は社長や里子さんたちと同じくらいあたしにとって大事な人。高校を卒業して不安でいっぱいだったあたしが今まで頑張ってこられたのも、全ては周囲の人に恵まれてたから。これだけは胸を張って言える。だから大塚の気持ちは素直に嬉しかった。ありがとう」
「あ~うん、・・・お前さぁ、だから振った相手にそんなこと言ったらダメだろって」
「えっ?」
「そんなこと言われたらあわよくばって気持ちになっちまうっつーの」
「えっ・・・? ご、ごめんっ・・・!」

そんなつもりは毛頭なかったのだが・・・素直に伝えるということは難しい。
あたふた戸惑いを滲ませるつくしを見ながら、それもまた彼女らしさであることを実感していた。

「まぁ俺はお前の中ではっきり答えが出るまで待つって言ってたわけだし、その答えが出た以上は潔く身を引くよ」
「えっ?」
「なんだよ、そのつもりで俺を呼び出したんじゃないのか?」
「う、うん・・・」

その通りだがこんなにあっさり納得してもらえるとも思っていなかったのが正直なところで。

「まぁお前がそう思うのも当然だよな。正直、すぐに諦めるのは無理だと思う。なんてったってこの俺がマジで好きになった女なんだからな」
「・・・」
「でもだからって好き合ってるお前らを邪魔するような無粋な真似はしねーよ。だからきっぱりと踏ん切りがつくまで心の中で想うくらいは許せよな」
「う、うん・・・」

そう面と向かって言われると恥ずかしくて顔も見られなくなる。

「・・・ただ、お前大丈夫なのか?」
「えっ? 何が?」
「いや、誤解しないで聞けよ? なんつーか、相手はあの道明寺財閥の御曹司だろ? そんな奴が一般人と付き合ってるとなると色々とめんどくせーしがらみとか出てくるんじゃないかって心配でな」
「・・・・・・」
「まぁあいつを見てたらそんなことを気に留めてもいねーってのは一目瞭然だけど。お前を守り切る自信だってあるんだろ。ただ、そのことと周囲はまた別問題っつーか。もしかしたら思わぬ形でお前が苦労することもあるんじゃないかって・・・」

大塚の言う通りだ。
身分違いの恋であることは百も承知。
とんだとばっちりであの男の近くにいたときですら目を付けられたくらいなのだ。
それが本当に付き合ってるともなればどんなことが起きるかくらい想像するに難くない。
きっとそれは杞憂などではなく遅かれ早かれ現実問題としてぶち当たることになるのだろう。

「・・・それはよくわかってる。あいつはあの世界の大変さを誰よりも知ってるだろうし、その上であたしを好きだって言ってくれた。そしてあたしも時間はかかったけどそれに応えたいって思えた。身分の違いに失った記憶、考え出したら不安になることもいっぱいあるけど・・・今は自分の気持ちに素直に従っていたいと思うの」
「牧野・・・」

時折不安に揺れながらもキッパリとそう言いきったつくしの姿は美しかった。
それこそもう一度惚れ直してしまいそうなほどに。
だが彼女をそうさせているのは他でもないあの男だと思うと、それも出鼻を挫かれた格好だ。
白旗を揚げる以外に何が残されているというのか。

「そっか。お前がそこまで考えてるなら安心したよ。気にいらねー奴だけど、あいつは本気でお前を好きなんだろうし、何かあれば死に物狂いで守ってくれるんだろう。ただこれから先お前が何かに悩むようなことがあればいつでも遠慮なく相談しろよ。俺だけじゃない、社長だって里子さんだって、お前の力になれると思えばいつだって耳を貸してくれるはずだ」
「大塚・・・うん、ありがとう」
「お前があいつとのことに悩んでチャンスがあると思えば俺も遠慮する気はねーし」
「えっ?!」
「なんてな」
「・・・ぷっ、もう大塚ってば・・・」

悪戯っぽく笑う大塚につられるようにつくしが吹き出す。
それも全ては彼を振ってしまったつくしへの気遣いだと思うと、申し訳ないと思う一方で、その分きちんと自分の気持ちに正直に生きていかなければダメだと強く感じていた。
この優しさを決して無駄にしてはいけないと。

「大塚、本当にありがとう」
「やめろよ。俺は礼を言われることなんかなんもしてねーって」
「うん、でも言いたかっただけ。ありがと」
「おーおー、そんなに礼をしたいなら今日はお前が奢れよ」
「えっ?!」
「そうと決まれば話は早いな。すいません、のどぐろの煮付けを追加で!」
「えぇっ!!!」
「お前も遠慮なく飲み食いしろよ。どうせお前が払うんだから」
「えぇえぇっ??!!!」

声をひっくり返して驚くつくしに、しばし大塚がお腹を抱えて笑い転げ続けた。









***





「どういうつもりだよ。帰ってくるなんて聞いてねーぞ」

目の前に座る人物を前に、司の気分は最悪だった。
負のオーラを隠す気など全くない。

「あなたの許可を得ないと帰国できない理由などあるのですか?」
「・・・何を企んでやがる?」
「どういう意味です?」
「別に今すぐ帰国しなきゃなんねーような案件なんてなかっただろ。それなのにわざわざ帰国するなんて、てめぇが何も企んでねーわけがねぇだろうが」
「・・・・・・」

ハァッと深く息を吐き出すと、掛けていた眼鏡を静かにデスクに置いた。
そして目の前に憮然と立つ男をゆっくりと見上げる。

「そんなことをわざわざ言いに来るなんて、あなたの方こそ何か思い当たることがあるのではなくて?」
「・・・んだと?」

司の脳裏に浮かんだのは他でもないつくしの華やかな笑顔、ただそれだけ。

そして今目の前にあるのはこの世で最も忌々しい存在。
自分とよく似た冷たい瞳から発せられる鋭い光に、司は知らず知らずに拳に力を込めた。





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忘れえぬ人 62
2015 / 10 / 12 ( Mon )
ふわふわする。
頭の中がぼーーっとして、なーんにも考えられない。
もしかして熱でも出ちゃったんだろうか?

・・・うん、そうかもしれない。
だって、全身が燃えるように熱いんだもの。

「大丈夫か?」
「・・・・・・うん・・・」
「メシは? いらねーのか?」
「・・・・・・うん・・・」

「・・・このままうちの邸に来るか?」
「・・・・・・うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?!!」

はたと我に返って横を凝視すると、途端に目の前の男が吹き出した。

「くっはははは! お前・・・呆けすぎにもほどがあるだろうが!」
「えっ・・・えぇっ?!」

あれ・・・ここどこだっけ?
っていうか何してたんだっけ?

「何だお前、自分が今どこにいるかもわかってねーのか?」
「・・・わかってない」

今になってようやくキョロキョロし始めたつくしに司が呆れたように笑う。
ここはジェットの中・・・じゃなくてリムジンの中?!
ということは・・・

「えっ!! もしかして帰ってきたの?!」
「お前・・・マジでぶっ飛んでたんだな」
「・・・みたい・・・」

この男が呆れるのも仕方ない。自分でもびっくりなのだから。
自分の記憶に残っているのは・・・

「まさか忘れたなんて言い出すんじゃねーだろうな?」
「っ!!」

スッと伸びてきた指に突然唇をなぞられて全身が跳ね上がる。

「わ、忘れてなんか・・・」
「本当か? 曖昧なこと言い出すのも許さねーぞ。もしそんなことでも言おうものならここで・・・」
「ひぃっ、お、覚えてる! ちゃんと全部覚えてるからっ!!」

首を傾けて距離を縮めてきた司の胸元を思いっきり押し返すと、つくしは必死に叫んだ。
今これ以上やられたら今度こそ頭の回線がショートしてしまう。

・・・覚えてる。
はっきりと、この体が覚えてる。

「フッ・・・お前はほんと、おもしれぇ女だな」
「・・・っ!」

口元にあった指がサラリと頬を撫でると、そのまま背中に手を回してつくしの体を引き寄せた。
ガッチガチに硬直してはいるが、決して抵抗しようとはしない。

「くっ、緊張しすぎだろって」
「し、仕方ないじゃん!」
「これからはこういうことが当たり前になっていくんだから、早く慣れろよ」
「なっ・・・?!」
「当然だろ? お前は俺を受け入れたんだから。 違うか?」
「・・・・・・・・・ちが、わ、ない・・・・・・」

その答えにクックッとますますご機嫌そうに男の体が揺れる。



・・・・・・そう。
あたしはこの男の気持ちを受け入れてしまったのだ。
それはあのキスを受け入れてしまった時に認めざるを得ない事実となった。

嫌・・・じゃなかった。
キスをされたとき、キュウッと何故だか胸が苦しくなって、そして落ち着かせるように背中を優しく撫でるこの男の手の温もりに・・・この上ない幸福感で満たされた。
いくら鈍いあたしにだってわかる。


・・・・・・それが好きだということなんだって。


情けない顔で真っ赤になってるあたしに、この男は何度も何度もキスをした。
その度に 「お前が好きだ」 と言われているような気がして、されればされるほど何も考えられなくなっていった。最後に長い時間キスをされた時・・・多分あたしは自らこの男の背中に腕を回していたと思う。

「顔が赤ーぞ。エロイこと考えてんだろ」
「なっ?! ち、違いますっ!!」
「どうだかな」

こんなに真っ赤な顔で否定したって説得力ゼロに決まってる。
・・・あぁ、なんて幸せそうな顔で笑ってんのよ。
あんたはそんなキャラじゃないでしょう?!

「・・・あのね、あんたに大事なことを言っておきたいんだけど・・・」
「今さらなしにするとかは一切聞かねーぞ。お前は俺の女だ」

話す前にピシャリと釘を刺されてしまった。
でも、これだけは正直に言っておかなければ・・・彼が真剣であるのなら尚更のこと。

「そんなことは言わないよ。・・・でもね、あたしもようやく自分の気持ちが見えてきたばっかりって言うか・・・正直まだ戸惑ってる部分も大きいし、その・・・」
「何だよ」

もごもごと言いづらそうに自分を見上げているつくしの言葉をじっと待つ。
その上目遣い、わざとやってんのかと押し倒したくなるのをこいつはわかってんのか?

「・・・・・・あんたがあたしを好きだって言ってくれる気持ちの10分の1しかあんたを好きじゃないかもしれないよ?」
「・・・何?」

ピクッと明らかに引き攣った顔につくしが慌てて続ける。

「いやっ、だから、まだ自覚したばっかりっていうか・・・自分でも頭の中がゴチャゴチャで。だから、あんたの望むような恋人になれるかって言われたらその自信は・・・」

徐々に小さくなってついには聞こえなくなってしまった言葉に司が盛大に溜め息をつくと、ベシッと思いっきりデコピンした。

「いたぁっ!! なっ、何すんのよっ?!」
「この俺様の気持ちの10分の1だとぉ? てめぇ、ざけんなよ」
「だ、だって仕方ないじゃん! それが今のあたしの正直な気持ちなんだもん!」
「・・・・・・」

涙目でおでこを擦りながらつくしが必死で訴える。

「だから、そういうのがあんたにとって許せないって思うなら、あたしは・・・」
「ブァーーーーーーーーーーカ!!」
「なっ、ば、バカで悪かったわねっ! わわっ?!」

引っ張られた体が司の体にぶつかって止まる。
すぐに回された手がギュウギュウに体を締め付けてどこにも動くことができない。

「ちょっ・・・くるしいっ・・・!」
「俺のことが好きなんだろ?」
「・・・え?」
「たとえ10分の1だろうと、ちゃんと俺を好きだって自覚したんだろ?」

そう言って顔を覗き込んできた男の顔は、いつもの傲岸不遜なオーラなどどこにもない。
縋るような目でみているその姿がまるで捨て犬のようで・・・

「 うん 」

それ以上そんな顔をさせたくなくて、あたしは大きく頷いていた。
明らかにそれに安堵したように息を吐き出すと、すぐにいつものオーラが甦った。

「まぁいい。いや、本音で言えばよかねーけど。とりあえずお前が俺のもんになるんならそれでいい。・・・早く俺に追いつきやがれ」
「・・・努力はします」
「くっ、なんだそりゃ」

クスクス、どちらからともなく笑えてくる。
こんな気持ちで一緒に笑いあうなんて、きっと初めてに違いない。
なんだか心に重く引っかかっていたものがようやく取れたような、そんな気分だった。


「あ・・・じゃああたし行くね。送ってくれてありがとう」

気が付けばリムジンは止まっていた。
そして窓の外に見えるのはよく見覚えのあるアパート。

「 牧野 」
「 えっ? 」

ドアノブに触れた手が横から伸びてきた手に掴まれる。

「マジで・・・うちに来ねぇか?」
「えっ?!」
「このままお前と離れがてぇんだよ」
「・・・・・・」

それって・・・。

・・・ううん、きっとこの男ならそんなことを無理強いしたりしない。
ただ純粋にあたしと一緒にいたい、それだけなのだろう。
不思議とそう確信がもてた。

「あの、道明寺・・・」
「 !  わり、」

口を開きかけたところでおもむろに司が胸ポケットから携帯を取り出した。
メールなのだろうか、中身を確認すると明らかに眉間に皺が寄ったのがわかった。

「道明寺・・・?」
「・・・わりぃ。自分から言っておいてなんだけど、急用が入った。だからまた今度来いよ」
「え? あ、うん」

っていうかまだ行くって言ってないんですけど。

「じゃあありがとう。斎藤さんもありがとうございました!」
「いえ、とんでもありません。今度は是非お邸の方へいらしてください。一同心待ちにしておりますから」
「は、はい・・・」

心の底から嬉しそうにしている斎藤を見て今さらながらに気付く。
同じ車内にいたのだから2人の会話など全部筒抜けになっていたに違いないわけで・・・
は、恥ずかしすぎる・・・!

「行くぞ」
「えっ? いいよ、目の鼻の先だしあたし1人で・・・」
「いいから」
「えっ、ちょっと・・・!」

相変わらずのやり取りを繰り返す2人を斎藤がニコニコと見守っている。
半ば押し出される形で車を降りると、離さないとばかりに肩を抱かれたまま部屋へと向かった。つくしの言葉通り、ほんの数十歩で目的地へとついてしまった。

「あの・・・ありがとう」
「おう。悪いけどしばらく仕事で忙しくなりそうだ」
「え? ・・・あ、そっか。うん、わかった」

さっき顔をしかめていたのはそれが原因なのだろうか。
まぁ副社長という立場なのだからそれも仕方のないことだろう。

「連絡すっから。お前も遠慮せずに連絡して来いよ」
「う、うん。 じゃあまた、・・・っ!!」

鍵を握ったのと同時に体ごと引き寄せられていた。
驚いたあまりするりと手放してしまった鍵がカシャンカシャンと音をたてて落下する。

「ちょっ・・・ここ、外だから!」
「うるせー。こうするくらいいいだろ」
「くらいって・・・」

いつ誰に見られるかもわからないのに。
恋愛偏差値が低すぎる女にはハードルが高すぎる。
そう思うのに、心の底から抵抗できていない自分の変化に自分が一番戸惑ってる。
それほどに、この場所が安心できるだなんて・・・

「牧野、俺のことが好きか?」
「・・・・・・は?」

今何て言った?

「言えよ。俺のことをどう思ってる?」
「な、な、なんで・・・」
「お前の口から聞きてぇからに決まってんだろ。正直に言えよ。言わねーとこのまま離さねぇぞ」
「なっ・・・」

ググッと体に回された手に力が入ったのがわかる。
文句を言ってやろうと顔を見上げたら・・・思いの外真剣な顔とぶつかって呼吸が止まった。
ふざけてるんじゃなくてこの男は真剣だ。
真剣に・・・あたしの言葉を待っている。
もしかしたら気持ちの変化に戸惑ってるあたし以上に不安なのかもしれない。

そう思ったら・・・

「・・・・・・すきだよ

そう言わずにいられなかった。

「・・・聞こえねぇな」
「う、嘘っ!! 絶対聞こえてたでしょ?!」

ガバッと真っ赤な顔を上げれば、目の前の男の顔も心なしか赤くなっているような・・・

「・・・え、何、もしかして照れてんの?」
「はぁ?! んなわけねーだろ!」
「だって、耳まで真っ赤・・・」

自覚がなかったのか司が慌てて耳を隠したがそんなのもう遅い。

「・・・ぷっ、あははははは!」
「おい、笑うなっ!」
「だって・・・言ってることとやってることにギャップがありすぎて・・・か、カワイイっ・・・きゃあっ?!」

それ以上は言わせないとばかりに再び抱きしめられた。
だがそれも照れ隠しだと思うと笑いはなお止まらない。

「くっそ・・てめぇ調子のってんじゃねーぞ」
「うんうんそうだね、ぷくくっ・・・!」
「いつまでも笑ってっとここで濃厚なキスすんぞ」
「 っ!! 」

その言葉に嘘のようにピタリと笑いがおさまった。
が、それはそれで司には面白くなかったらしい。

「おい、どういうことだよ」
「それは困る。絶対にムリっ!!!」
「くっ・・・!」
「・・・ふふっ」

自然と笑いが溢れてきて、それから2人思いっきり笑いあった。



「じゃあほんとにありがとう」
「あぁ。いいか、仕事でしばらく思うように時間が取れねぇかもしんねーけど、間違っても他の男にきょときょとしたりすんじゃねーぞ」
「はぁ? そんなことするわけないじゃん」
「お前は自覚がねぇからな・・・。まぁいい。とにかくまた連絡する」
「うん」
「じゃあ中入れ。見ててやっから」
「う、うん・・・じゃあまたね」
「あぁ」

そう言って笑って見せた顔があまりにも優しくて、なんだかそれ以上見ているのが恥ずかしくて急いで部屋の中へと入っていった。部屋の電気がついたのを確認してしばらくすると、ようやくカンカンと階段を降りていく音が聞こえてきた。
静かなエンジン音が離れて行って長くせずして鞄の中の携帯が音を奏でる。

「・・・!」

何も考えずに中を見て心臓が止まるかと思った。


『 俺もお前が好きだ。 夢だなんて言わせねーからな 』


「な、何よ、なんなのよ・・・」

ズルズル、ズルズル。
へなへなと力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

・・・言ってしまった。
あいつのことが好きだと認めてしまった。

「あいつがあたしの恋人ってこと・・・?」

信じられない。
信じられない。
信じられない・・・!

・・・でも、夢なんかじゃない。
それはこの体が、唇が全てを覚えているから。
そして何よりもあたしの心があいつを好きだと言っていた。


「あいつのことが好き・・・」


口にした途端一気に熱くなっていく体を、つくしは溜らず自分で抱きしめた。





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