明日への一歩 22
2015 / 01 / 30 ( Fri ) 「失礼します」
窓の外はすっかり黒の世界へと様変わりしているが、眼下に広がる世界は宝石をちりばめたように無数の光の海が広がっている。 突然の来訪者に手元に落としていた視線を少し上げる。 「何かありましたか」 「いえ。先程のお話の続きをと思いまして」 「続き?」 「はい。私自身の処分をお願いしたいと思います」 「・・・それはどういう意味ですか?」 会話をしながらもなお動き続けていた手がピタリと止まる。 「部下の不手際は上司である私自身の不手際です。部下だけに責任を負わせるわけにはいきません。私にもそれ相応の処分をお願いします」 「・・・・・・」 固い決意を伴ったその言葉にかけていた眼鏡を外してデスクに置くと、今度は完全に顔を上げて正面に立つ男の顔を見据えた。 そこには長年腹心としてこの会社を支えて来た男、西田がいる。 「・・・・・・司が次の創立記念パーティで婚約を発表するつもりだとか」 「・・・そうですか。それはおめでたいですね」 それは西田の本音だった。 その昔、司とつくしの前に立ちはだかった最大の壁の一つが自分でもあったが、それはあくまでも上司への忠義によるものに他ならない。 社長である楓の秘書をしていた西田にとって、行動の理由は全て彼女だった。 確かに冷酷非道な一面を持ち合わせている女だが、それは全て会社のためには必要なこと。 いくら鉄の女、極悪非道と言われようとも、楓には揺るぎない一本の信念があった。 西田はそれをわかっているからこそ、常に彼女の部下として忠誠を誓ってきたのだ。 西田自身、決して司に対する個人的感情があったわけでもない。 手がつけられない横柄な育ち方をしたことによる将来の道明寺財閥への憂いはあれど、司を忌み嫌うようなことも一切なかった。 当時の司からすれば自分は完全に恨むべき悪役に違いなかっただろうが、西田にとってそんなことはどうでも良かった。 大切なことは己の与えられた役割を全うすることだけ。 だがやがて忠誠を誓う相手が変わる。 それは自らが幾度となく自由意思を封じ込めてきた男だった。 傍若無人な男の下に就くことに一抹の不安がなかったといえば嘘になる。 しかし男はいつの間にか変わっていた。 短期間で人はこんなにも変われるのだろうかというほどに。 誰も手などつけられないはずの男が、まるで別人になっていた。 感情の起伏がほとんどない西田にとっても、それは想像以上の驚きであった。 あの司を変えてしまったもの、それは一つしかない。 そしてあの男を変えるだけの力を持つのならば、己を、引いては楓をも変えてしまうかもしれない可能性など想像するに難くなかった。 ___ たった一人の少女が全てを変えたのだ。 それは、過去に類を見ないほど窮地に立たされた会社を立ち直らせてしまうほどに。 もはや身分の違い故などと、それらしい大義名分でその絆を断つことは何の意味もなくなってしまっていることは明白だった。 いや、むしろそうすることこそ愚かだと言えた。 司の安定は財閥の安定をもたらす。 そしてそれを支えているのは牧野つくしの存在だということは疑いようがない。 立場故に何のトラブルもなく全てが順風満帆ということは難しいだろう。 だが、彼らならもう大丈夫だという確信が持てた。 ____ たとえ自分がいなくとも。 「今の副社長なら何も心配はいらないと思います。ですから私にも厳正なる処分をお願いします」 怯むことなく真っ直ぐに楓を射貫くその瞳は至極真剣だ。 彼の中ではもうどんな処分を受けるのか覚悟ができているかのように。 「・・・・・・」 楓は無言で立ち上がると、背後にある一面ガラス張りの窓から眼下に広がる景色に視線を移した。どこか自分が別世界にいるような錯覚を覚えてしまうほど、下界はキラキラと輝いている。 「あの子達は未熟です」 「・・・は」 視線を外に向けたまま楓は言葉を続けていく。 「心配ない? そんなことなど誰にもわかりません。いつどこでどんな落とし穴が待っているかなど誰にもわからない。常に一寸先は闇。それほど甘い世界ではない」 「・・・・・・」 「あの子達は未熟です。だからこそそれをしっかり支えられるだけの存在が必要なのです」 ゆっくりと振り向くと、発する言葉に迷いがあるような西田を真っ直ぐに見据えた。 「あなたが支えなさい」 思わぬ言葉にさすがの西田も多少の動揺を見せる。 「ですが私は・・・」 「責任を取るというのならば、最後まであなたがこの道明寺財閥の片腕として働きなさい。責任の取り方は一つではありません」 「しかし・・・」 「これは社長命令です」 ピシャリと。 西田の反論をそのたった一言でシャットアウトした。 これ以上の議論は許さないと言わんばかりに。 西田はしばらく黙り込むと、やがて何かを決意したようにグッとその手に力を込めた。 「・・・かしこまりました。この身が滅びるまで、粉骨砕身、この道明寺財閥にお仕えさせていただきます」 「滅びてもらっては困ります」 表情を変えずにそう言うと、楓は再びデスクに戻り先程までやっていた仕事に取りかかる。 「・・・はい。かしこまりました」 「話はそれだけですか?」 「はい」 「では今日はもう結構です。私はもう少しだけ残りますから。あなたは先にお帰りなさい」 「・・・はい。ではお先に失礼致します」 既にこちらを見てなどいない楓に一礼すると、西田は踵を返してドアの方へと歩いて行く。 やがてドアノブに手を触れようとしたところでもう一度振り返った。 そこには手元の資料を真剣に見つめているこの会社のトップの姿がある。 西田は体の向きを変えて姿勢を正すと、もう一度深々と楓に向かって頭を下げた。 彼女が顔をあげることはなかったが、きっと気付いているに違いない。 長いお辞儀を終えて顔を上げた西田からは一切の迷いは消えていた。 部屋を出てカツカツと響く足音は、まるで未来へと真っ直ぐに伸びているようだった。 *** ガタンッ、バタバタバタバタ・・・・! 「タマ様! タマ様っ!!」 だだっ広い廊下を忙しなく走り回る音が響き渡る。 早く、早くと急く心を止めることなどできやしない。 たとえこの先 _____ 「コラッ!! 使用人たる者が廊下を走るとは何事だいっ!!」 雷が落ちることがわかっていようとも。 「はぁはぁはぁ、申し訳ありません。ですが一秒でも早くタマ様にご報告したくて・・・!」 「報告?」 「はい。さきほどお手紙が届いたんです」 「手紙? ・・・まさか」 ぜぇはぁとみっともない姿で肩を揺らしながらも、使用人の顔は心の底から嬉しそうだ。 満面の笑みで頷くと、エプロンのポケットから一通の封筒を差し出した。 「そうです。アメリカの牧野様からお手紙が届いておりました」 「つくしが・・・そうかい。どれ、見せてごらん」 タマは出された手紙を受け取ると、ガサガサと中を開いて手紙を取り出していく。 目の前の使用人はそこを離れようとしない。 それどころか今か今かとタマの口から出される言葉を待ち構えている。 「えーと、なになに・・・」 『 タマ先輩、お邸の皆さん、お元気ですか? 早いもので私がこちらにきて4ヶ月以上が経ちました。自分でもびっくりです。 慣れないことばかりなのは相変わらずですが、そこは雑草らしく逞しく過ごしています。 前の手紙でも書きましたが、こちらのお邸の皆さんも本当によくしてくださり、 自分は本当に幸せ者だなぁと実感する毎日です。 司の秘書としての生活もそれなりに色々とありましたが、ダメなりに精一杯頑張っています。 毎日が勉強勉強で、大変ながらも充実して楽しくて仕方がありません。 やっぱり私はじっとしていられない性分なんだなと思い知りました(笑) ふとしたときにいつも皆さんのことを思い出します。 どうしているかな、元気かな、 私たちがいないからきっと驚くくらい邸の中が静かなんだろうな、なんて思ったり。』 「ふふ、牧野さまったら」 使用人が思わずクスッと笑う。 「実はご報告があります。・・・・・・」 「・・・・・・タマ様?」 そこまで読んで言葉の止まったタマに使用人が首を傾げる。 「『・・・実は、この度正式に婚約を発表することが決まりました。月末の創立記念パーティでお披露目をするそうです』」 「まぁっ! 遂に・・・!」 「『今でも信じられないし、実はその場でドッキリでしたなんて大どんでん返しがあるんじゃないかと未だに心配ではありますが、決まったからには腹を括って挑みたいと思います』 ・・・って、フッ、戦じゃないんだから。全くこの子は相変わらずだねぇ」 「ふふふ、そうですね」 「『緊張もするし怖くもありますが、雑草っ子世に憚る! と言われるくらいに自分らしくいられたらと思っています。そしてそれが終われば長くせずして帰国となります。皆さんに会える日を楽しみに、こちらでの残された時間を大切に過ごしたいと思います。どうぞお体御自愛ください。それではまた。 つくし』」 最後まで読み上げると、タマがふぅ~と一息ついた。 その時。 「タマ様っ!! ついに、ついになんですねっ!!」 「あぁっ、嬉しくてどうにかなってしまいそうです!」 「正式に発表されるということは奥様にも正式に認めていただいたということですよね? あぁ、さすがは牧野様! 私もう感動して涙が・・・」 「あらいやだ、泣くのはまだ早いわよ!」 「ちょっと、そういうあなただって泣いてるじゃない!」 「あ、あら? おかしいわね・・・グズッ・・」 ガタガタガタッ! と音がしたかと思えば柱の陰から使用人の山が飛び出してきたではないか。 そして間髪入れずに各々の思いの丈をこれでもかと語っていく。 「牧野様、どんなドレスをお召しになるのかしら」 「そうねぇ、司様のことだから盛大にされそうよね」 「でも牧野様は素材がいいから実はそんなに派手にしなくても充分素敵な方なのよね」 「そうそう。肌が白くていらっしゃるからどんな色でもお似合いなのよねぇ」 「司様が誇らしげに鼻を伸ばしている姿が想像できるわね」 「でもそれと同時に他の男性の視線にヤキモキされそう」 「あぁ、それは言えてるわ! もう牧野様にゾッコンだものね~」 「うふふ・・・!」 「あはは・・・!」 カツン・・・ 廊下に響いた乾いた音に井戸端会議に花を咲かせていた使用人達がハッと我に返る。 現実に引き戻されたように一気に冷静になっていくと、恐る恐るその音の主を辿った。 「あんたたち・・・・・・」 「・・・ひっ! た、タマ様・・・、あの、これはですね・・・!」 「喋ってる暇があるならさっさと仕事せんかいっ!!!!」 「はっ、はいぃいいいぃいいぃ~! 申し訳ありませんでしたぁ~~~~っ!!!!!」 邸中に轟いた雷に使用人達が蜘蛛の子を散らしたように去って行く。 最初に手紙を持ってきた者も含めて、あっという間にその場にはタマだけになってしまった。 「・・・やれやれ、全く困ったもんだね」 方々に散っていった部下を見ながらタマが呆れたように溜め息を吐く。 そして己の手に握られた手紙をあらためて見つめた。 「・・・そうかい。とうとうその日が来るのかい。・・・つくし、あんたはよく頑張ったよ。長い時間本当によく頑張った。あんただからこそ奥様もお認めになったんだよ。お披露目の時は堂々と胸を張ってその姿を世界中の人間に見せておやり」 まるで誰かに語りかけるようにそう独りごちると、タマは窓の外のどこまでも続いている青空を見上げながら、その先にいる我が子のように愛すべき存在を思った。
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by: * 2015/01/30 00:29 * [ 編集 ] | page top
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西田さんって、控えめなようでいて、その実誰よりもその存在をど~んと示している。 楓にとっても司にとっても、今があるのは、西田さんの働きがあればこそ。 その西田さんに、これからもささえてくれとの厳命は、さすが楓さん。 --管理人のみ閲覧できます--
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今日は主役は出てきませんでした。 一日お休みした上に彼らが出てこないなんて皆さんの反応はどうだろう? とちょっと心配でしたが、思った以上に楽しんでいただけたみたいでほっとしました^^ 愛すべきサブキャラですからね。 書いてて楽しかったです(・∀・) --k※※ru様<拍手コメントお礼>--
もっと休めばいいのにと自分でも思うんですけどね。 なんだかんだ気になって書いちゃいます(笑) そのうち一気にペースダウンするかもしれませんが、 その時は流れに身を任せてみようと思います( ̄∇ ̄) 今日はサブキャラのお話でした。 さぁパーティはどうなる?! --こ※様--
もう少し休もうかな、でも気になるしな・・・ のウズウズ病で結局書いちゃいました(笑) 主役が出ない話はどうかなぁと思いましたが、 いい反応をいただけて嬉しいです(*^_^*) お披露目ではどんな事件を起こしましょうかね? ←エッ --みわちゃん様--
そうそう、西田の存在ってとっても大事ですよね。 良くも悪くも彼の活躍なしでは私の二次の世界は広がらないんです(笑) 寡黙な人間がぽつりぽつりと発する言葉って重いですね。 魔女もさすがやるなって言い回しですね。 絶対にデレにはならないツンツン女(笑) --ke※※ki様--
お~、予報通りの天気なんですね。 都市部で雪だとまたテレビとかが大騒ぎしちゃいそうですね(^◇^;) こっちは細雪程度です。 庭に積んで置いた滑り台用の雪も随分小さくなってきたのでもっと降って欲しい~! どうしてこうも極端なのか・・・0か500かみたいな(笑) 今日は主役なしのお話でした~! そして明日は坊ちゃんハピバでございます。 めったにない4回更新、是非お楽しみくださいませ(・∀・) --管理人のみ閲覧できます--
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そう。それぞれに正義があって、実際真の悪役なわけではないんですよね。 立場が変われば何が悪なのかは人それぞれ。 彼のような腹心がいることが司とつくしにとっては心強いことでしょう。 今日は4回更新となります。 めったにないコラボ作品をお楽しみくださいませ(*^o^*) --ブラ※※☆酔拳様--
おぉ~!ここまで読んでくださったのですか! いやぁ、お師匠様に読んでいただけるだけで感涙ものなのに、 こうしてお褒めの言葉までいただいて・・・いつも感動しきりです(*´Дヽ)泣 お師匠様の作品もしかと拝読いたしましたよ! そしてそのメッセージもしかと受け取りましたっ!!(・_・)ゞ ほんと、勇気がいりますよね。 伝わるといいんですが・・・なかなかですよねぇ。 言われてみれば拍手の方はその通りですね。 色々と勉強になります、先生! これからもずっとついていきますから! 嫌だと言われても蹴落とされてもストーキングしますからっ!! ε=ε= (ノT▽T)ノ そうそう、平安の坊っちゃん早くも2回目貫通とか・・・早っ( ̄∇ ̄) |
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