愛が聞こえる 3
2015 / 03 / 04 ( Wed ) 「随分派手にやられましたねぇ」
「・・・呼んだ覚えはねぇぞ」 バスルームから部屋へ戻って視界に入ってきた人物を見て、司の眉間に深い皺が寄った。 「呼ばれなくとも私は参りますよ。お仕えする主が怪我をしているんですからね」 「・・・ずっと部屋にいたのかよ?」 何故そんなことまで知っているというのか。 黙って部屋に入って音を聞いていたとしか思えない。 だがますます眼光を鋭く光らせる主を前にしても、目の前の女は少しも怯むことはない。 「言っておきますが私は今ここに来たばかりですよ。何も見ていませんし聞いてもいません」 「じゃあなんで知ってんだよ」 「そりゃあどれだけ坊ちゃんを見てきたと思ってるんですか。7年ぶりにお邸に帰られたと思ったら誰一人近寄れないような空気を纏ってるんですから。その後にどんなことが起こるかなんて容易に想像がつくってものですよ」 「・・・・・・チッ!」 目の前の老婆、7年ぶりに見るタマには威嚇すら何の効果も発しない。 司は忌々しく舌打ちするとスッと視線を逸らした。 「何はともあれ怪我の手当をいたしましょう」 「いらねーよ」 「そんなわけにはいきません。そんなに血が出ているのに放置しておいたらばい菌が入ってもっとひどいことになりますよ」 「・・・・・・」 それでも尚その場を動こうとはしない司に呆れたように笑うと、タマはやれやれと曲がった腰を前に進めていく。 「あらあら、絨毯にも染みこんでしまいましたねぇ」 大きな男の右手からは今もぽたぽたと真っ赤な滴が落ち続けている。 「坊ちゃんのことですから病院には行かないんでしょう?それならばこの老いぼれの言うことくらいはちゃんと聞いてもらわなきゃ困りますからね」 「・・・・・・」 「はい、じゃあとにもかくにも一度座ってくださいな」 素直に従わないことなど想定済み。 言いながらタマは司の手をぐいぐい引っ張って問答無用で座らせていく。 不満げながらもひ弱なタマの力でも動いてくれるのは本気で嫌がってはいない証拠だ。 「出血は多いみたいですけど、傷自体は思ったより深くないようで何よりです」 「・・・・・・タマは知ってんのか?」 「・・・何をです?」 「あいつが今どこにいるのかを」 淡々と作業を続けていたタマの動きがその一言で一瞬だけ止まった。 だがさすがはベテラン。1秒にも満たない動揺など何もなかったかのように再び手を動かし始めた。 「・・・あいつとは一体誰のことです?」 「誤魔化すんじゃねぇよ。わかってんだろ」 だが相手は司だ。 記憶のなくなっていた腑抜けた司ではない。 本来の司にその一瞬の動揺が見抜けないはずもなく。 司の緩むことのない追求にタマは包帯を巻き終えると静かにふぅっと息を吐き出した。 「・・・・・・やっぱり記憶が戻られたのですね」 「あぁ」 あっさりと。 全く隠そうともせずにさらりと認めた司の瞳はやはり最後に見たときとは違う。 邸に入ってきて7年ぶりにその姿を見た瞬間、もしかしてという疑念が確信に変わっていた。 この7年、一度だってこの日本の地を踏まなかった男が突如帰国すると言い出した。 司を知る者ならばその時点でピンと来るのは当然のことだろう。 「いつから気づいてた」 「坊ちゃんが帰国されると伺った時からもしやとは思ってました。後は実際にお姿を拝見してからですね。長年見てきたんです。戻ったのかどうかなんて一目でわかりますよ」 「・・・・・・」 「そうですか、とうとう記憶が・・・」 「あいつは・・・牧野は今どこにいるんだ?」 「・・・残念ながら私は存じ上げません」 「んだと・・・? 嘘はつくんじゃねぇぞ」 まるで恫喝するように凄むその姿は記憶が戻ったとはいえまるでつくしに出会う前の司のようだ。 タマは薬を道具箱にパタンと閉めると、自分を睨み上げている男を真っ直ぐに見つめた。 「嘘などではございません。私にはつくしが今どこにいるか何一つわかっていません」 「・・・どんなに調べようとしてもあいつの所在地がわからねぇ。何かしらの力が働いてない限りうちでもわからないなんてことはあり得ないだろ。タマは何か聞いてねぇのか?」 「残念ながら私もあの子にはもう長いこと会っていません」 「最後に来たのはいつなんだ?」 「・・・・・・あれは確か・・・」 雨の降る日だった。 つくしが司に最後に姿を見せてから1年以上たったある雨の日、彼女が突然現れたのは。 たまたま用事で外から戻ってきたタマが邸の通用門の前でびしょ濡れのまま佇む一人の少女に気づいた。 『・・・つくしかいっ?! そんなにびしょ濡れになって・・・一体どうしたんだい! さぁ、そんなところに立ってないで中へお入り。風邪を引いたら大変だよ』 ガシッと掴んだ腕はまるで氷のように冷たかった。 一体いつからここに立っていたというのだろうか。 冬の峠を越えたとはいえ、初春の雨はまだまだ冷たい。 『・・・いえ、ここで大丈夫です』 『何を言ってるんだい! こんなに冷たくなって、いいから中へ入りな!』 『・・・タマさん、今日はお別れに来ました』 どんなにぐいぐい引っ張っても動こうとはしないつくしがぽつりと消え入りそうな声で呟いた。 その言葉にハッとして顔を上げると、つくしは笑っていた。 ・・・・・・今にも泣きそうな顔で。 『お別れって・・・』 『父の仕事の関係で東京を離れることになったんです。本当ならもうここには来るべきじゃないと思ったんですけど・・・どうしても最後にタマさんにご挨拶がしたくて』 『最後ってあんた・・・』 『運が良かったら会えるかなーなんて思ってたんですけど・・・こうして会えて良かったです。タマさん、今まで色々とお世話になりました。タマさんとの出会いは私にとってとてもかけがえのないものになりました。本当に感謝しています』 『ちょっ・・・ちょっと待ちな! あんた一体何を言ってるんだい?! 東京を離れるって・・・最後って一体どういうことだい?!』 『え? だから父の仕事で・・・』 『そういうことを言っるてんじゃないよ! もう二度と会わないってことなのかい?!』 タマの追求につくしが悲しげに目を伏せる。 だがすぐに顔を上げると、もう一度にこっと笑って見せた。 『・・・はい。その方がいいと思います』 『・・・っどうしてだい! またこれからもいつだって来ればいいじゃないか! 坊ちゃんだって、いつか・・・』 そこまで言いかけるとつくしは首を横に振った。 『いいえ、もういいんです。道明寺のことはこれを機にきちんと踏ん切りをつけます。タマさんにも色々とご心配をかけてしまって申し訳なく思ってます』 『そんなことはいいんだよ!それよりも坊ちゃんはいつか必ずあんたのことを思い出す。その前に全てを諦める必要なんてないんじゃないのかい?!』 『・・・そうかもしれません。でも、今回のことは私にとっていいきっかけになると思ったんです。高校も卒業しましたし、東京も離れる。いつまでもぐだぐだ悩むんじゃない!って神様に言われてるような気がして』 『つくし・・・』 言葉の続かないタマにつくしは心からの笑顔を見せた。 『離れていても、もう会えなくても、タマさんのことは一生忘れません。お邸の皆さんのことも。ずっとずっと大切な思い出として心の中で温めながらこれから生きていきます。・・・ってなんだか堅苦し過ぎますね。あははっ』 『つくし・・・』 『会える確率なんて0に等しいのに、今日こうして会えたのも奇跡だと思ってます。タマさん、今まで本当にありがとうございました』 『・・・・・・』 言いたいことは山のようにあった。 だが、タマはそれ以上の言葉を何一つ続けることができなかった。 つくしの性格を思えば、今日ここに足を運ぶだけでどれだけの勇気を必要としたというのか。 ましてや 「いつか」 なんて誰一人として知りようもない、確証のない話でこの子の未来を縛り付けることなどできっこない。 今も尚もがき苦しんでいるはずの少女を、老婆の我儘でこれ以上追い詰めるようなことなど言えるはずもなかった。 『・・・あんたがその気になったらいつでも来ていいんだからね。あの時あんなことを言ったから、なんてそんなつまらないことは気にしなくていいんだよ』 『あはは、そんなことは言いませんよ』 『とにかく! ・・・またおいで。 いつまでも待ってるから 』 『・・・・・・タマさん、どうかお元気で。お邸の皆さんにもよろしくお伝えください。直接挨拶に伺わない不義理をお許しくださいとも。 ・・・それじゃあ!』 『待ちな! 家の者に送らせるから。それ以上濡れたら大変だよ』 『大丈夫です! 走ればすぐですから』 『じゃあせめてこの傘だけでも・・・』 自分の持っていた傘を差し出そうとしたタマにつくしは首を振った。 『ほんとに大丈夫です。じゃあこれで失礼します。 ・・・・・・さよならっ!』 『あっ、つくしっ!!』 ガバッと頭を上げたつくしの顔は笑っていた。 だがその笑顔は一瞬だった。 今にも泣きそうな顔に変わる前に、つくしはその場から全速力で駆け出した。 タマが声を出したときにはもう手の届かないほどの距離へと。 つくしはタマの言葉に最後まで頷くことはなかった。 そして最後の最後まで笑顔を見せ続けた。 ____ たとえ心の中では泣いていたのだとしても。 まるであの雨の日を彷彿とさせるその現実に、タマはその場に佇むことしかできなかった。 どんどん小さくなっていくその背中を、ただ見つめていることしかできなかった ____
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つくしの行方がわからない司も苦しいけど、最後にタマに別れの挨拶に訪れたつくしを想うと、すごく切ないし、辛い。 タマさんも、涙を堪えて笑顔をつくるつくしを見て、何とも言えない気持ちだっただろうなぁ。 司はそのつくしの様子を訊いて、どう思ったかな? 記憶を無くしてたとはいえ、愛するつくしがどんな想いで別れの挨拶に来たか…それも呼び出さず、待ってたら会えるかもという覚悟で…雨に濡れて冷たい身体で…司はまずそれを考えなければ。 ただ会いたいという気持ちだけで、先走らないで。 でも知りたいよね、会いたいよね。 だから、切ないんだなぁ…。
by: みわちゃん * 2015/03/04 00:31 * URL [ 編集 ] | page top
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それぞれの思いが切なく交錯してますよねぇ。 司の気持ちもつくしの気持ちもタマの気持ちも痛いほどにわかる。 しかも誰も悪くないから余計に辛い。 しばらくは耐え時が続きますが、暖かい春を迎えるためにも司には踏ん張って欲しい。 こちらでの司はまだ十分成長できてませんからね。 その差をどう埋めていくかがポイントになりそうです。 --k※※ru様<拍手コメントお礼>--
しばらく不規則な更新になってしまってすみません>< 早く本調子に戻せるように頑張ります! 体調はお陰様でもう大分回復しました^^ 予想に反してこちらの更新を望まれてる方が多くて。 頭の中がごっちゃにならないように頑張ります(笑) --ゆ※ん様<拍手コメントお礼>--
つくしちゃん、切ない雨の別れの再現です(;;) 彼女は今どこで何をしているのでしょう。 皆様には今しばらく焦れてもらいます(笑) --ke※※ki様--
あはは、寝る前の閲覧は要注意ですよ。 そして自己責任ですから(笑) しばらくは誰にとっても耐える時間が続きますが、 ここは司に頑張って成長してもらわねばなりません。 「あなたの欠片」との大きな違いは司の成長度合いですからね。 体調はお陰様でかなり良くなってきました! いやぁ、せっかくの里帰りなのに参りましたよ^^; 子どもも逆にべったりになるし書く時間もいつもより取れないんです(苦笑) --ブラ※※様<拍手コメントお礼>--
ふふふ、切ない坊ちゃんが好物でございますか? 私も読み手の時はダメなくせに書いちゃってます(笑) あ、私もぶっ飛ばされちゃうかな・・・(笑) --H※様<拍手コメントお礼>--
あはは、ついに我慢できなくなっちゃいましたか。 読み手としてその気持ちよーーくわかります。 私も辛い展開は苦手なくせに、ついつい気になって覗いちゃうんですよね~。 どうぞ坊ちゃんを応援してあげてくださいませ。 |
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