幸せの果実 29
2015 / 06 / 30 ( Tue ) 「ふ~、今日もいい汗かいたぁ。 ・・・よいしょっと」
額の汗を拭いながら随分大きくなったお腹を抱えてゆっくりと腰を下ろす。 類の渡仏から1ヶ月、7ヶ月に突入したつくしの体はすっかり妊婦そのものになっていた。 安定期に入ってからは体調も良く、従来の食欲にプラスしてつわりの反動を恐れたつくしが司に志願したのは、普段お世話になっている病院で定期的に行われているマタニティエクササイズだった。マタニティビクスだったりヨガだったり、内容はその時によって様々。 とにかく妊婦同士で気軽に楽しく運動をしましょうという主旨のものだ。 最初は妊婦が運動なんてとんでもない! と難色を示していた司だったが、あくまでも妊婦のために設けられた場であること、そういった活動は今では全く珍しくないことなどを医者から説明を受けたことでようやくゴーサインが出た。 ペースはまちまちだが、週末に司が仕事で不在時などの時間を活用してつくしも積極的に参加するようにしていた。 道明寺家御用達の病院ともなればそこはやはりセレブの世界。 つくしが顔を合わせる奥様達は基本的にセレブリティばかり。 ずば抜けてその頂点にいるのが自分だという自覚などあるはずもなく、つくしは完全に庶民目線でそのセレブの世界を楽しんでいた。 セレブとはいえ実態は様々。 司のように生まれたときから生粋のセレブもいれば、つくしのように庶民の世界から足を踏み入れた者まで。英徳時代に散々な思いをしているつくしは内心怖くもあったが、予想に反して出会った女性は誰もがフランクで付き合いやすい人ばかりだった。 あの道明寺司を射止めた女性として一目置かれていたというのを差し引いても、つくしが元来持つ魅力で互いに良い関係が築けているのは間違いなかった。 「元気だしなって。まずはお腹の子のこと考えよ? ねっ?」 「うぅっ・・・ぐずっ・・・」 「・・・ん?」 今自分が出てきた部屋から聞こえてきた声に顔を上げると、エクササイズの時に知り合いになった奥様2人がちょうど出てくるところだった。だが会話も様子も明らかにどこかおかしい。 1人が泣いていてもう1人が支えるようにして歩いている。 「どっ、どうしたんですか?!」 「あ、つくしさん・・・。 それが・・・」 慌てて立ち上がったつくしにどこか気まずそうな顔をしている。 と、泣いていた女性がゆっくりを顔を上げて言った。 「主人が浮気してたみたいなんです・・・」 「えっ?!」 浮気?! 全く想定だにしなかった答えにすぐに言葉が出てこない。 そんなバカな。 だって、だって・・・ つくしの視線を腹部に感じたのか、泣いていた女性が悲しげに笑った。 「・・・世の中には妻の妊娠中に浮気するような男もいるんですよ」 「そんな・・・!」 「実はこれが初めてじゃないんです」 「えっ・・・?」 「うちの人は私と結婚したくてしたんじゃないから。親から言われて仕方なく結婚しただけなんです」 「・・・・・・」 どこかで聞いたことがあるような非現実的な話だが、そういう現実があるということをつくしはもうよく知っている。 「私はあの人のことが元々好きだったから結婚できて嬉しかった。たとえあの人にとって本意じゃなくても、日々の生活の中でゆっくり私を好きになってもらえればいいって。そのために出来る努力はなんでもしてきた。・・・でも、お腹が大きくなってしまった私はもうあの人にとって魅力のある女性ではなくなってしまったみたいで・・・うっ・・・」 「の、野崎さん・・・!」 再び涙を流し始めた女性に慌てて駆け寄って抱きしめる。 互いのお腹がぶつかり合って思うように抱きしめてあげることができないのが嬉しことであるはずなのに、今だけはこんなにももどかしい。 野崎のお腹はいつ産まれてもおかしくないほどにパンパンに膨れ上がっているというのに。 「本当の話だとしたら許せないけど・・・でも何かの誤解かもしれないじゃないですか」 つくしの言葉にもすぐに首を横に振る。 「いいえ、間違いないです。あの人、前にも同じ事してるから・・・わかるんです」 「そんな・・・」 一度だけご主人を見かけたことがあるが、とても人当たりの良さそうな人だった記憶がある。 あんな人が身重の妻を差し置いて浮気なんてするだろうか・・・? ・・・いや、人を見た目だけで判断しては痛い目を見る。 そう見えない人ほど意外なギャップがあったりするのもまた事実なわけで。 いずれにせよ絶対に許せないことだ。 この人の代わりに一発殴ってやれたらどれだけいいかと思うほどに。 「とにかく今は元気な子を産むことだけ考えましょう? 赤ちゃんは野崎さんに会えるのを楽しみに待ってますよ」 「・・・そうですね。私にはこの子がいますもんね」 「そうですよ!」 つくしの力強い返事にぐずっと鼻を啜ると、野崎は目を真っ赤にしながら笑った。 その笑顔が胸が締め付けられるほどに痛々しい。 「・・・ありがとうございます。少し元気が出ました。皆さんもお腹が大きいのに変なお話を聞かせてしまってごめんなさい」 「そんなことは全然気にしなくていいんです!」 「ふふっ、じゃあまた次回もよろしくお願いしますね」 「それはこちらのセリフですよ」 力こぶを作ってみせたつくしにやっと彼女らしい笑顔を見せると、ペコッと頭を下げて連れの女性と共にその場からゆっくり離れて行った。つくしはただその儚げな後ろ姿を見つめることしかできない自分がもどかしくて堪らなかった。 *** 「あたしって実はすんごい幸せ者なんじゃない・・・?」 「え? 何か仰いましたか?」 「え? ・・・あっ! あたしってばまた口に出しちゃってました?」 「はい」 バックミラー越しに斎藤がクスッと笑う。 どうやら考え込む余りいつもの癖が出てしまっていたらしい。 「いえ、実は・・・今日ご主人の浮気に悩んでる奥様がいらっしゃって・・・」 「浮気・・・ですか。それはまたなんとも・・・」 「しかも今回が初めてじゃないらしいんです。浮気自体許せないですけど、よりにもよってお腹が大きいときにするなんてあんまりだと思いませんか?! 私だったら再起不能なくらいにおしおきしてやるのにっ!!」 「あはは、それは大変なことになりそうですね」 「・・・・・・」 「・・・つくし様? どうされましたか?」 急に静かになってしまったつくしに斎藤が思わず車を停めて振り返る。 「・・・・・・結局、それだって人ごとだから言えるんですよね。いざ自分が本当にその立場に置かれたら・・・ショックで実際は確認することすらできないような気がします」 「つくし様・・・」 もしも。 あり得ないとわかっていても、そのもしもを想像するだけでもこんなにも胸が苦しい。 万が一にもそのもしもがあったら自分はどうなってしまうのだろう・・・ 「クスッ」 「・・・え?」 笑い声にハッと顔を上げると、何とも表現するのが難しい顔で斎藤が笑っている。 「怒られますよ」 「えっ?」 「そんな 『もしも』 を想像したってだけでも司様に怒られてしまいますよ。天地がひっくり返ろうとそんなことがあり得ないってことはつくし様が誰よりも一番ご存知なのではありませんか?」 「斎藤さん・・・」 ・・・そう。 そんな 『もしも』 なんて絶対にあり得ない。 自分の夫がそういう男だということを一番間近で見てきたのはこの自分ではないか。 「・・・あはっ、ほんとですね。こんな話してたってばれたら雷が落ちちゃいます」 「仰る通りですよ」 「ということでこれは私と斎藤さんだけの秘密ですからね?」 「えっ? ふふふっ、そうですね。そういうことにしておきましょう」 「ふふふっ」 顔を見合わせて笑うと、斎藤は大きく頷いて再びリムジンを走らせ始めた。 自分たちには自分たちの、人には人の、それぞれにしかわからない歴史がある。 ここに辿り着くまでは決して平坦な道のりではなかった。 自分たちが掴んだこの未来を、今を大切に。 今ある幸せに感謝をしてこれからも生きていこう ____ つくしは窓の外を流れる景色を見つめながら、お腹に手を当ててあらためてそう心に誓った。 *** 「つくし、ちょっといいかい?」 夕方を過ぎ、あとは司の帰宅と夕食を待つばかりとなった頃、突然タマが部屋を訪ねてきた。 少しベッドで横になっていたつくしが体を起こす。 「ゆっくりしてるところを申し訳ないね」 「そんなことは全然構わないんですけど・・・どうかしたんですか?」 大抵この時間はゆっくり横になっているのをタマは熟知している。 だから普段なら余程のことがない限りこの時間に部屋を訪れることはないのだ。 その上でこうして来ているということは・・・ 「ずっと黙ってるつもりだったんだけどねぇ・・・」 「え・・・? 何がですか?」 「・・・・・・少しだけついてきてもらってもいいかい?」 「・・・?」 今はそれ以上を語ろうとはしないタマだが、彼女ほどの人物が何の考えもなしにこんなことを言うはずがない。きっとそこには自分にとって大事な何かがあるに違いがないのだ。 「わかりました」 タマに全幅の信頼を置いているつくしは、それ以上何も聞かずに頷くと静かに立ち上がった。 タマはそんなつくしの体を気にかけながらゆっくりと歩き出すと、つくしもそれに続いて部屋を後にした。 「ここは・・・?」 連れてこられたのはつくしとタマにとってはとても懐かしい場所とも言える。 あの雨の日、司との別れ、そしてタマとの別れを経験した通用門のある場所だ。 こんなところに一体何の用が・・・? 「あんたにどうしても会いたいって人がいるんだよ」 「あたしに?」 来客ならば普通に正門から来ればいいようなものを、何故こんな場所で? まるで隠れるかのようにこんなところで・・・ カツン・・・ 不思議そうに辺りを見回したつくしの耳に革靴の音が聞こえてきた。 ハッとそちらを見ると、そこには思いも寄らぬ人物が立っていた。 「・・・・・・遠野、社長・・・?」
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by: * 2015/06/30 00:06 * [ 編集 ] | page top
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出た・・・遠野社長。 つくしにお詫びに来たのかな? 小林さんもいなくなってさぞや落ち込んでるだろうなぁ・・・。 で、どんな話をするのかな? 接触を司が知ったら激怒するだろうけど、タマさんの判断だから・・・。 でも結局つくしが話してしまいそう、司に。 そんな内容なんだろうなぁ。 --管理人のみ閲覧できます--
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