幸せの果実 30
2015 / 07 / 01 ( Wed ) 思わず言葉に詰まりながら名前を口にしたのには理由がある。
何故なら、つくしの目の前にいるのはよく知っている顔のようでそうではなかったから。 姿形からそこに立っているのが数ヶ月ぶりに見る男だということはわかるが、だがそれと同時に本人に確認をしなければ絶対的な確信は持てなかった。 いつも整髪料できっちりと整えられていたオールバックの髪の毛は何もつけていないせいなのかボサボサに乱れ、見かけたときは必ず高級スーツをビシッと身に纏っていたスタイルのいい体はよれよれのシャツとズボンで何ともくたびれて見えた。 司とはまた違った自信とオーラと纏っていた人物だとは思えないほどに。 ___ そこにいるのが遠野康介だとはパッと見ではわからないほど別人になっていた。 「あ、あの・・・遠野社長・・・ですよね?」 戸惑いがちに声を掛けたつくしを見ると、遠野は突然ガバッと頭を下げた。 「本当に申し訳ありませんでしたっ!!」 「えっ?! あ、あのっ、一体どうしたんですかっ?!」 ここにいることにも驚きだったが、いきなりのこの行動にますます状況が掴めない。 自分の腰よりも低い位置まで頭を下げている遠野を見てオロオロするつくしに、その様子を見ていたタマが口を開いた。 「実はあの日から毎日ここに来てたんだよ」 「えっ?!」 完全に寝耳に水で驚きを隠せない。 毎日?! 「坊ちゃんとつくしにあらためて謝罪をさせて欲しいと言ってねぇ。でも坊ちゃんが一切合切取り次ぐなと仰って」 「司が・・・?」 あの一件について司がつくしの前で口を開いたのは退院して邸に戻ってきた時のみだった。 遠野に対してどのような制裁を与えたのか、そしてその内容が司としてはかなりの譲歩をしたものだったということもわかっている。 それ以降、司が遠野の名前を口にすることはただの一度もなかった。 何のためにそうしているのかがわかっていたからこそ、つくしもそのことに触れようとはしなかった。心の中で彼ら・・・特に小林がどうしているのかが気になっていたのだとしても。 だからこの前偶然佐藤の口から聞いた近況があれ以来初めて耳にする彼の名前だったのだ。 それがまさか毎日ここに通っていただなんて・・・ とはいえ司にとって徹底してつくしに余計な情報を与えないようにするなどわけないことで。 きっとタマはつくしが心の奥底でずっと気に掛けていたことに気付いていたのだ。 そして遠野のこの姿を毎日見て放っておけなかったのだろう。 今回のこの行動は司にも内緒で彼女の独断によって行われたに違いない。 「あ、あのっ、とりあえず頭を上げてください! お願いしますっ」 「・・・・・・」 つくしの必死のお願いにやがてゆっくりと遠野が顔を上げた。 あらためて正面からその顔を見てやはり驚きを隠せない。 明らかにやつれていて、頬も少し痩けている。 誰の目から見てもイケメンだと言われていた男の影はどこにも見当たらない。 「・・・・・・私の自己満足だということは百も承知です。・・・ですがどうしてもあなたに面と向かって謝罪がしたくて・・・。私のせいであんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ありませんでした」 「遠野さん・・・」 どんなに拒絶しようと我が物顔で事を進めようとした人間と同一人物とは思えない。 それほどに目の前の男は別人のように覇気がなくなってしまっていた。 「あの、もうそのことは本当に気にされないでください。幸いお腹の子も無事でしたし」 「・・・・・・」 チラッとつくしの大きくなったお腹を見てほんの少しだけ胸を撫で下ろしたように見える。 「本当に申し訳ありませんでした」 機械仕掛けの人形のようにただひたすら謝罪の言葉を繰り返す姿が痛々しい。 「あの・・・それよりも遠野さんこそ大丈夫ですか? 何だか凄くやつれていて・・・一瞬誰だかわかりませんでした。ちゃんとご飯食べてますか? そんなんじゃ倒れて・・・」 「私はいいんです」 「え?」 つくしの言葉を遮ると、遠野はどこか投げやりな顔で儚げに笑った。 「私が今までやってきたことのツケが回ってきているだけですから。こうなって当然なんです」 「そんな・・・でも・・・!」 「こんな私のことを気に掛けてくださってありがとうございます。でもいいんです。一度全てを失ってゼロからやり直せと言われてるのだと思って、逆らうことなく現状を受け止める覚悟ですから」 「そんなこと・・・」 「駄目な人間はとことん落ちるところまで落ちた方がいいんです」 「・・・・・・」 見た目の雰囲気通り、ひたすらネガティブな言葉ばかりを並べていく遠野に言葉を失う。 「・・・・・・・・・小林さんは・・・?」 だが次に口にした言葉にピクッと激しく反応を見せた。 「・・・・・・彼女は会社を辞めました」 「・・・」 やっぱり・・・。 彼女は有言実行の人だと思っていた。 それでなくとも彼のこの有様を見れば一目瞭然なわけで。 「散々彼女から忠告を受けていたにも関わらず・・・私もとことん駄目人間ですね。彼女がいい加減見切りをつけるのも当然のことです。自分ですらこんな情けない自分にうんざりするんですから」 そう言ってハハッと乾いた笑い声を上げる。 その声を聞いた瞬間、つくしの右手にグッと力が入った。 「・・・・・・・・・・・・何がおかしいんですか?」 「・・・え?」 尚も空笑いをし続けていた遠野の声がつくしの放った低い声でピタリと止まる。 「・・・・・・ふざけんなよ・・・」 「えっ? 今何と・・・?」 ぼそぼそと聞き取れない言葉に遠野が少し屈んだところでつくしがキッと睨み上げた。 その迫力に押されたのか、一瞬遠野の体が後ろに引いたのがわかる。 「ふざけんなっ!! 見切りをつけられて当然? 自分にうんざり? 一体何言っちゃってんの? ・・・で、それで? だから何なの?!」 「な、何なのって・・・」 さっきとはうって変わって突然戦闘モードになったつくしに遠野も言葉が出てこないでいる。 「そんなの当たり前じゃん! だって自業自得なんだから。自分で蒔いた種の処理は自分でする、当たり前でしょう?! 現状に打ちひしがれてそれで何? あたしに謝ってそれで満足? だとしたらバッカじゃない?!」 「ば、バカ・・・?」 「そうよ、大バカもんだわっ!」 あまりの啖呵の切りっぷりに遠野はただただ目を丸くしているだけ。 「どうしてわからないの? 小林さんが何のためにあなたの元から離れて行ったのか」 「え・・・?」 「彼女は最後の最後まであなたの支えになることだけを考えてた。だからこそあなたの元を去ることにした!」 「・・・?! それは、どういう・・・?」 「あなたが自ら間違いに気付いてそして自らの力で立ち直って欲しい、そのためには自分の存在がかえって邪魔になってしまう。だからこそ身を引いたんでしょ?! それなのに、 『見捨てられて当然だ』 なんて・・・ほんと、一体どこまで彼女をバカにすれば気が済むのよっ!」 「・・・」 「自分が去ってますます情けなくなったあなたを見たら彼女が何て思うかわからないの? そんなこともわからないでよく社長だなんだ言ってられたわね! いーい? あなたが落ち込むのも凹むのもあなたの勝手。でもね、会社のトップとして上に立つ以上、個人の感情だけで勝手に終わらせるなんて許されないんだから! あんたみたいな情けない社長に巻き添えくらっちゃう社員の迷惑を考えなさいよ! そんな情けない顔で、そんな情けない格好して・・・それでも見捨てずについてきてくれてる社員の気持ちを考えたことがあるの?!」 「・・・・・・!」 ガツンと頭を殴られたような顔で遠野がつくしを見ている。 「いじいじ落ち込むのは勝手だけどね、やるんなら最低限の責任は果たしてからにしなさいよ」 「責任・・・」 「そうよ。こんな小娘にバカにされて悔しいって気持ちが少しだってあるんなら、あなたの社長としてのプライドを見せてみなさいよっ!」 「・・・・・・」 一気に捲し立てたつくしの息は上がっていた。 はぁはぁと肩で息をするつくしの背中にタマの手がそっと触れる。 「・・・つくし、あまり興奮しすぎるとお腹の子がびっくりしちまうよ」 「タマさん・・・。 そうですね、ごめんなさい。久しぶりにやってしまいました」 「はははっ、でもそれでこそあんただね。なんだか久しぶりに聞いた気がするよ」 「えへへ・・・お恥ずかしい限りで」 「ほら、もう充分だろう? 坊ちゃんもそろそろお帰りになるし、体も冷えるから部屋に戻りましょう」 「・・・そうですね」 タマに手を引かれてその場を後にしようとしてもう一度遠野を見た。 彼は未だに衝撃を受けたような顔で呆然とつくしを見ている。 つくしはすぅっと大きく息を吸い込むと、最後のセリフと共に一気に吐き出した。 「いーい? このまま駄目になるような男ならあなたの名前は 『おたんこなす』 に改名させるからねっ!」 幼稚園児もびっくりな捨て台詞にますます遠野の目が丸くなる。 つくしはそんな遠野にべーーーっとこれまた園児レベルのあっかんべーをお見舞いすると、今度こそ男に背を向けてその場から離れて行った。 歩いている間ずっと背中に視線を感じ続けていたが、つくしは一度も振り返ることはしなかった。 どうかこの想いが・・・ 小林の本当の願いが彼に届いてくれますようにと願って。
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by: * 2015/07/01 00:21 * [ 編集 ] | page top
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いいですね~おたんこなすに改名(笑) あっかんべーまで・・・。 司が激怒するんじゃなくて、つくしが激怒しちゃったわけですね。 小林さんの気持ちを知ってるのに、すべてを諦めたような、投げやりな態度を見たら仕方ないですよね。 赤ちゃんもビックリだろうけど・・・(笑) 小林さんを想うつくしのことを考えて、司は会社をつぶさなかったのなら、やるしかないでしょ、遠野君! 立つんだ、遠野!(笑) --管理人のみ閲覧できます--
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