忘れえぬ人 26
2015 / 08 / 29 ( Sat ) 「本当に大丈夫かい? 熱もあるんだしいくらだってここにいてもらって構わないんだよ?」
「ありがとうございます。でもご覧の通り動けますから。ちゃんと家に帰っておとなしく寝ます」 「・・・そうかい。またいつでもここに来て構わないんだからね」 「そうですよ、牧野様、いつでもお待ちしてますから」 「あ、ありがとうございます」 タマをはじめ使用人は皆一様に残念がっていて、なんだか申し訳ない気持ちになってくる。 「あの・・・タクシーを呼びたいんですけど、この場所って・・・」 「そんなものは必要ないよ。ちゃんと邸の人間が責任をもって送り届けるんだから」 「えっ、でも・・・」 「行くぞ」 「えっ?」 身支度を済ませたつくしの前に現れたのはこれまた身なりを整えたあの男。 初めて見る私服は濃紺のシャツに黒パンツという極々シンプルなものなのに、信じられないほど様になって高級感に溢れている。実際高級な服なのだろうが、だからといって誰が着ても同じように着こなせるわけではない。 この男だからこそだろう。 「何だよ」 「えっ? ・・・ううん、何でもない」 「ふん、見惚れてんじゃねーぞ」 「みっ・・・?! 見惚れてなんかいませんっ! ったく、なんで見た目がいい男ってこうも自信過剰な奴が多いんだか・・・ブツブツ」 「何か言ったか?」 「言ってません!」 本人達にはそんなつもりはないのだろうが、とてつもなく低レベルな言い争いにその場にいた使用人がクスクスと笑いを堪えきれずに肩を震わせている。 「ほんとに身体は問題ないんだろうな?」 「あ、うん。あと一晩ぐっすり寝れば大丈夫。身体の丈夫さだけが取り柄だから。それにさっき栄養たっぷりのおいしいお粥もいただいたしね。あはは」 「・・・じゃあ行くぞ」 「えっ、行くってどこに?」 既に数歩先を歩いていた司が振り返る。 「お前の家に決まってんだろうが。それとも何だ、適当にその辺に捨てりゃあいいか?」 「いや、それは困るけど・・・え、もしかして一緒に行くの? まさかね」 「そのまさかが不満だっつーのか?」 「えっ!!」 ジロリと突き刺すように睨み付けられたものの、驚くなという方が無理な話で。 わざわざこの男自ら家まで送ってくれるってこと? いや、まさか・・・ 「どうせこの後仕事に行かなきゃなんねーんだよ。どっかのバカのおかげで昨日は予定がずれこんだからな」 「あ・・・それは・・・ほんとにごめんなさい・・・」 思った以上にダメージがあったのか、つくしはしょんぼりと項垂れてしまった。 萎れた葉っぱのようになってしまったつくしにはぁっと溜め息をつくと、司は再びスタスタと歩き始めた。 「あと10秒以内に来なけりゃ1人で帰れ」 そう捨て台詞を残して。 「えっ、まっ・・・待ってぇっ!!!!」 案の定、条件反射のようにその後を追いかけるというのを計算しているのかいないのか。 つくしは何度も後ろを振り返って見送る使用人達に頭を下げながら、後れを取らないように必死に前を追った。 「・・・・・・あれっ」 「あ?」 長すぎる廊下を歩いてたつくしがふとあるものに気付いて足を止めた。 何故だか司もその声につられるように振り返る。 つくしが見ているのは扉が開いたままのとある部屋の中。 「なんだよ」 「いや、すごい天体望遠鏡だなぁと思って」 物置と思しき室内で一際存在感を放っているもの。 それは立派な1台の天体望遠鏡だ。 つくしにとって天体望遠鏡はお金のある家にしかないというまさに憧れの代物だった。 小学生の頃の宿泊学習で望遠鏡越しに見た星空が大人になった今も鮮明に残っている。 「好きなんだ? 天体」 「・・・さぁな。いつからそれがあるかも知らねーし」 「そうなの? こんなに立派なものがあるのにもったいないなぁ」 「くっ、物乞いか?」 「なっ、そんなわけないじゃん! ただ、宝の持ち腐れになるのはやっぱりもったいないよ。たまには覗いてあげなよ。ね?」 「・・・フン、知らねーな」 「もう、全く・・・!」 相変わらず愛想もクソもない男に呆れて言葉も出ない。 もう一度部屋の中央に置かれた望遠鏡を見る。 ただ置かれているだけだというのに、何故だかそれが酷く寂しげに見えて、つくしの心をわけのわからない切ない感情が包み込んでいく。 「あと2秒」 「え? あぁっ、待ってっ!!」 我に返ると、いつの間にか10メートルほど離れてしまっていた司を猛ダッシュで追いかけた。 *** 初めて一緒に乗るリムジンの中は緊張感でいっぱいだった。 とはいってもつくしが一方的に緊張しているだけなのだが。 沈黙が苦しい。 会話のない重い空気の車内と、昨日の雨がまるで嘘のように青々と澄み切った空がまた悲しいほどに対照的だ。 「あの・・・あらためて言うけど、昨日は本当にありがとう。ご機嫌取りでもなんでもなく、助けてもらったことに対するお礼だから。ありがとうございました」 目の前で深々と頭を下げたつくしを司は悠然と足を組んだまま黙って見ている。 きっと特段答えが返って来ないだろうとは思っていたが・・・うんでもスンでもいいから言ってよ! ・・・でも、何故この男が自分のテリトリーなんかに自分を連れて行ってくれたのか。 確かに倒れているのを目の当たりにすればどんな人間でも焦るに決まってる。 とはいえ常に運転手を引き連れているような男ともなれば、そういう人達に全てを丸投げにすることだっていくらでもできるわけで。 そもそもタイピンを放り投げられた時を考えれば、そのままあの場に放置されていたってなんら不思議じゃなかった。そんな男が一体どうして・・・ 相変わらず無言で窓の外に視線を送ったまま何を考えているかわからない男をチラッと見る。 ・・・うまく言葉にできないけれど、最初とは漂う空気が変わってきている気がする。 多分端から見れば何一つ変わってはいないんだと思う。 実際、相変わらず無愛想だし冷たいし、相手の都合なんてお構いなしだし。 ・・・それでも、最初の頃だったらどしゃ降りの中熱を出して倒れていようとも、絶対に助けてくれたりしなかった。平気で見殺しにできる、それくらい酷く冷たい目をしていた。 それなのに・・・ 夕べ、夢か現実かはわからなかったけど、熱でうなされているときに優しく頭や顔を撫でてくれた手があった。ひんやりしてるのに何故かあったかくて。そして大きかった。 まさか・・・まさかだよね? いくらなんでもそんなバカなこと・・・ 「何じっと見てんだよ」 「えっ?!」 ぼーっと思考に耽るあまり、いつの間にかこっちを見ていたことに全く気付かなかった。 あわわわわわ、あたしってば一体何を・・・! 「あ、あのさ、そういえば昨日って一体何の仕事だったの?」 「・・・お前をカメラテストに連れて行くつもりだったんだよ」 「カメラテスト?」 「お前、自分がどんな仕事を引き受けたか忘れてんじゃねーよな?」 「わ、わわ、忘れるわけないじゃない!」 嘘ばっかり。 あまりにもその仕事がないからすっかり忘れてたくせに。 とはいえ本気でモデルとして採用するつもりなのか。 いや、今さらなのはわかってるけど。 この前の話だと顔は出さずにいてくれそうな感じだったけど・・・一体どんなものを作ろうとしているのか。まさか類の時と同じでまた後ろ姿だとか?だとしたら色々と企業間で問題は出てこないのだろうか。 「うるせーな。それを考えるためにテストしようと思ってたんだろうが」 「えっ、なんで・・・・・・また?!」 「マジでうるせーんだよ、お前」 即座にパクッと口を真一文字に閉じて手で押さえた。 あ~もう、一体この口はどうなってるっていうんだ。 「お着きになりましたよ」 「あ、ありがとうございます!」 会話を始めたらびっくりするほどあっという間に辿り着いてしまった。 沈黙が続いたときは1分1秒があんなに長く感じたというのに。 「あの、本当にありがとう。感謝してます。斎藤さんも、ありがとうございました。じゃあこれで失礼します。 ・・・あ」 リムジンから片足を出したところでフッとつくしが何かを思い出す。 「あの、ちょっとだけ待っててもらってもいいかな?」 「あ? なんだよ」 「1分以内に戻って来るから。お願い、ちょっとだけ待ってて!」 そう言うが早いか、つくしは司の返事も聞かずに部屋へと走って行った。 中に入ると脇目も振らずに一直線にある場所を目指す。 収納の中から滅多に触ることのない小さな金庫を取り出すと、急いで鍵を解除していく。カチャッと音がしたことを確認すると、その中に大切にしまわれていたあるものを手に再び外へと出ていった。 もしかしたらもうリムジンはいなくなっているかもしれないとも思ったが、車は変わらずその場で待っていてくれた。この時点でやはり出会った頃とは明らかな違いを感じる。 「はぁはぁはぁ・・・待たせてごめん。あの、これ」 「? なんだよ」 「あの時のタイピン。ずっと返したいと思ってたの」 つくしの手のひらに包まれた輝きを見て珍しく司が驚いた顔に変わる。 それもそのはず、司からすればあの日放り投げてとっくになくなっているか壊れているとばかり思っていただろう。 「お前、これ・・・」 「あはは、貧乏人の性ってやつ? あんな目にあったけどやっぱり物を粗末にすることを見過ごすなんてできなくて。おまけにこんな高価なものでしょ? あんたにとっては取るに足らない物かもしれないけど、でもちゃんとこれは自分で持ってて」 「・・・・・・」 そう言って窓の外から司の腕を掴むと、つくしはその大きな手の中に強引に押し込んだ。 今の彼ならまた放り投げたりはしない。 ・・・・・・と信じたい。 内心ドキドキしながら相手の出方を待っていると、しばらく無言で握らされたそれを見ていた司が顔を上げた。 「・・・これはお前が持ってろよ」 「えっ?」 ・・・今、なんて? だが状況が掴めないつくしをよそに、たった今ようやく渡したばかりのタイピンが今度は自分の手に返されてしまった。 「えっ・・・えっ?! ちょっ・・・意味わかんないから! これはあなたのものでしょう? なんであたしなんかに・・・」 「さぁな。とにかくお前が持ってろ」 「お前が持ってろって・・・だからなんで? あたしこんな高価な物持たされても困るの!」 「撮影はまたあらためて日程を連絡する。今度こそちゃんと携帯持ち歩けよ。次同じようなことがあったら見殺しにするからな」 「わ、わかった・・・・・・って、そうじゃなくて! だからこれっ、あっ! 待ってよっ!!」 言いたいことだけ言うと、司はパワーウインドウを上げてつくしの会話を遮断していく。 そして間髪入れずにリムジンが走り出してしまった。 「ちょっ・・・ねえってばっ!! こらっ、道明寺っっっっっ!!!!」 精一杯の叫びも虚しく、黒い車体はあっという間に角を曲がっていってしまった。 呆然とタイピンを握りしめたままつくしはその場に立ち尽くす。 「な・・・なんで・・・? 本気でわけわかんないんですけど・・・」 別に怒っているようには見えなかった。 最初にこれを返そうとしたときには全身から怒りのオーラが滲み出ていたというのに。 だからこそ今なら受け取ってくれると思ったのに・・・ どうしてもいらないというのなら、せめて自分で処分してくれればいいのに。 「一体なんだって言うのよ・・・ほんとわけわかんない・・・」 すごすごと戻って来た部屋の中で、さっき開けたばかりの箱の中に再びタイピンを戻していく。 たかが1つのタイピン、これを返すことがこんなに難しいことになるだなんて、一体世界中の誰が想像できたというのか。 「っていうかこれもどこ経由でこんなところにあるっていうのよ・・・」 タイピンのすぐ隣で輝きを放っているもの。 それは土星の形をした見るからに特注品だとわかる高級ネックレス。 まさか知らぬ間に盗みでも働いたわけではないだろうに、何故貧乏人の自分がこんなものを持っているというのか。 『 付き合ってたとか? 』 『 もちろん知ってるさ 』 『 こちらに何度もいらっしゃったことがありますから 』 『 いつでもここに来て構わないんだからね 』 『 いつでもお待ちしてますから 』 つくしの脳裏に次から次に色んな言葉が溢れていく。 目の前にあるのは本来自分がもてるはずのない身分不相応な高級品。 同じような輝きを放つその2つが並んでいるのはただの偶然? それとも・・・ 「 まさか、まさかね・・・。 そんなことがあるわけ・・・ 」 絶対にそんなことはあり得ない。 そう思っているのに、どこかでそう言い切れずにいる自分に、つくしは戸惑いを隠せなかった。
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by: * 2015/08/29 10:34 * [ 編集 ] | page top
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このコメントは管理人のみ閲覧できます --ゆ※ん様<拍手コメントお礼>--
一体司は何故つくしにタイピンを返したんでしょうねぇ?まぁ本能がそうさせたんでしょうけど。 本人がその意味に気付くのはいつになるのやら? --名無し様<拍手コメントお礼>--
あはは、ドラマのシーンを思い出しますね。 ほんと、思い出せ~、思い出せぇ~~!ですよ。 ちょっとだけ距離が近くなった・・・? --管理人のみ閲覧できます--
このコメントは管理人のみ閲覧できます --k※※hi様--
子育てしてると「あの時こうしてやればよかった」ってことの連続ですよね。 私も常に何かしら悩む日々です(苦笑) 今は泣きのぶり返しがほんとにひどくて、先日部分参観みたいなものに行ったら私を見た途端号泣し始めてしまって。活動の間もずーーっと泣いてて、自分の子だけがそういう状態になってるのを見るのは辛かったですね。 帰るときに泣くのは覚悟してましたが、まさか見た瞬間から泣かれるとは(^_^;) 来てくれて嬉しいことよりもこの後帰ってしまうってことの方が悲しいんですよね。 1人帰ってきてぽろっときちゃいまして、自分もまだまだダメだな~と思いました。 親子共々日々が修行です(笑) と長くなってしまいましたが(笑) 2人とも微妙な変化が出てきてますよね。 司は気持ちを自覚してしまえば一直線、つくしは・・・気付くのも遅ければ行動も遅い?!になるんでしょうかねぇ。 そうそう、そもそも記憶が戻るのかって根本的な問題がありますからね! --の※様--
つくしも悶々と考え出しちゃってますね。 誰かに聞けばすぐに答えがでることも、記憶がない状態だとなんだかドキドキして逆に聞けないのかもしれませんね。自分だったらどうするんだろう?知りたいような、今の自分がいなくなってしまうようで知りたくないような・・・ これからも2人を見守ってやってくださいね^^ --ke※※ki様--
鈍いつくしではありますが、さすがにお邸での自分の待遇に疑問を感じざるを得ないようですね。まぁ普通はなんで?って思いますよね。 聞けばいいじゃん!って感じですけどね、それじゃあ物語が終わっちゃうので(笑) 司はどうしてタイピンを受け取らなかったんでしょうねぇ・・・? 彼自身そこまで深くは考えてないのか、それとも・・・? 確実に距離を縮めている2人。このまますんなりといく・・・なんてそうは問屋が卸さない?! |
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