噂のアイツ 中編
2015 / 10 / 19 ( Mon ) 「うえっぐずっ・・・」
「ど、どうしたの?!」 「あ、牧野さん・・・それが・・・」 更衣室に入るなり泣き崩れている女性が目に入り、慌てて駆け寄る。 泣いているのは部署は違うがつくしと同期入社の女性だ。 「もしかして・・・またあいつ?」 「・・・」 言葉こそないが女性はコクンと頷いた。 ・・・やっぱり。 「お茶を出した時にね、ほんの少しだけ机の上に零しちゃったみたいで・・・。そしたらあいつ何て言ったと思う? 『お前みたいに無駄に胸と尻がデカイ奴にはもっと向いてる仕事があるだろ』 ですって」 「何それ、ひどい! っていうか完全にセクハラじゃん!」 「ほんと・・・誰も何も言えないのをいいことに、日に日にエスカレートしてるよ・・・」 モラハラ、パワハラ、セクハラ。 ありとあらゆるハラスメントに泣かされる者は日ごとに増すばかり。 ギリギリと拳が小刻みに震えてくる。 「いい加減・・・あたしキレちゃうかも」 「牧野さん? だめだよ! あいつの性格わかってるでしょ? それこそが狙いなんだから。その瞬間クビにされて今までの努力が水の泡になっちゃう。気持ちは痛いほどわかるけど・・・ここはグッと我慢して、ね?」 「・・・・・・」 その通り過ぎて何も言えない。 あの男、こっちが刃向かうのを今か今かと待っているのだ。 特につくしはどんな嫌がらせをされようとも泣き言一つ言わず、顔色一つ変えずに淡々と無理難題をこなしてしまう。それがあの男にとってどれだけ気に入らないことかなんて考えるまでもない。ましてや自らミスを犯すことなんてほとんどない。だからこそわざわざ手を加えてまでミスを捏造するのだ。 どこまでも性根の腐った男だ。 「はぁ・・・。菅野さん、悔しい気持ちは痛いほどにわかる。でもいつまでも今の状態が続くわけじゃないってあたしは信じてるから。いつか起死回生のチャンスが絶対に来る。その時を信じて頑張ろう?」 「牧野さん・・・」 涙でグチャグチャだというのにそれでも可愛らしい。 仕事だって真面目に頑張る彼女に対してすらそんな仕打ちをするなんて許せない。 いつか・・・いつか絶対にあの男をギャフンと言わせてやる!!! そんなつくしの思いがひしひしと伝わったのか、涙に濡れながらも女性はコクンと力強く頷いた。 「そういえばさ、例の研修生! すっごい仕事ができるらしいよ」 「えぇっ、見てるだけでも癒やされるのに? 仕事までできるの?」 「同じ部署の子に聞いたんだけど・・・なんでも上司も顔負けなくらいだって」 「へぇ~、ますますなんでこんな会社に来たのか謎は深まるばかりだねぇ・・・」 「でもいいわよ。どんな理由だろうといてくれるだけでこんなに幸せ気分をもらってるんだもの。今さらいなくなってもらっちゃ困るわ!」 「あはは、確かに~!」 コロッと話題を変えて盛り上がり始める女性人に呆気にとられるやらなんやら。 相変わらず彼女たちの話題の中心はあの研修生のようだが・・・ある意味彼の存在に皆が救われているのかもしれない。ミーハー心がきっかけとはいえ、それが仕事へのモチベーションに繋がっているのならそれはそれでいいことなのだと思う。 とはいえ自分には関係ない話だと軽く聞き流しながらつくしは急いで着替え始めた。 *** 「はぁ~~~~~~~~っ・・・」 薄暗いオフィスに1人、悲壮感に満ちた溜め息が響き渡る。 いつか来るその日を・・・と言った張本人だというのに、早くもその自信がぐらついている。 身に覚えのない尻ぬぐいを押しつけられて残業するハメになってしまった。あれはどう考えてもあの男のミスだ。それなのにこともあろうにそれを部下になすりつけて自分はさっさと帰るなんて・・・ しかも1時間2時間で終わるような内容じゃない。下手すれば終電にも間に合わないかもしれない。 「こんなことありえないでしょっ!!!」 ガンッ!!! デスクに八つ当たりしたところで現実は変わってはくれない。 ジンジンと鈍く痛む手を摩っているとなんだかとてつもなく虚しくなってきた。 「何やってんだろ・・・」 いつまで経っても現状打破の糸口は見えない。 しかも私生活だってうまくいかない。 ・・・意地っ張りなんかいい加減やめてしまえばいいのに。 どうしてそんな簡単なことすら自分はできないのか。 あいつが可愛げのない女だって呆れるのもこれじゃあ仕方ない。 だって自分でも心底そう思うんだもの。 「・・・やば、なんか泣きそう」 やだやだやだやだ。 ここで泣いたらダメ。 一度緊張の糸が切れてしまったらもう全てが崩れてしまう。 「・・・・・・」 ブラウスの上からそっと鎖骨の辺りに触れる。 服の上からでもはっきりとわかるコロコロとした小さな存在。 見えないようにしているけれど、それは常につくしが肌身離さず身につけているお守りだ。 今のつくしを支えているのはこれだと言っても過言ではない。 「・・・会いたいな・・・」 とはいえ忙しくて会う時間すらろくに取れないのが現実で。 それならばせめて声だけでも聞きたい。 気が付けばそんなことばかり考えてしまってる自分がいかに弱っているのかを実感する。 つくしは鞄の中から携帯を取り出すと、無言でそれを見つめた。 相変わらずメールも着信のお知らせもなし。 あいつと連絡を取らなくなってからというもの、バッテリーの減りが著しく遅くなった。 いかに自分の日常があの男のウエイトに占められていたのかを思い知らされる。 「・・・・・・・・・」 せめて、せめて、声だけでも・・・ 祈るような気持ちでつくしはゆっくりと馴染みのある番号へと電話をかけた。 プルルルル・・・ プルルルル・・・ 手が震える。 ただ電話をしているだけだというのに。 怖くて怖くて堪らない。 もし、もしあいつが・・・ プルッ・・・ 「あっ、あのっ・・・!」 ブツッ!! 「えっ・・・?」 ツーッツーッツーッ・・・ 響き渡るのは無機質な音だけ。それは相手に電話を切られたという何よりの証拠。 携帯を持つ手がダラリとぶら下がる。 全身から力という力が抜けていくのが自分でもわかった。 ・・・・・・切られた? あいつに・・・あいつの意思で・・・ 「・・・・・・・・・」 ・・・ダメだ。 その意味を考えることなんて今のあたしにはできない。 もう浮上できないほど奈落の底まで沈んでしまいそうで。 つくしは力の入らない体で後片付けをすると、まだ仕事も完全に終わりきっていないというのにフラフラとオフィスを後にした。どうせ完璧にやったところであの男には難癖をつけられるのだ。それが少しくらい増えたところで今さら何も変わりはしない。 今はとにかく何も考えずに眠りたい。 ・・・・・・現実から目を背けたい。 トボトボ。 きっと今の自分は見るに堪えない程に情けない姿をしているに違いない。 あれだけ我慢していた涙がふいに込み上げてきて必死に唇を噛んだ。 どんなに理不尽な要求をされても、怒ることはあっても涙が出そうになったことなんてないのに。 電話を切られたというその事実だけでその涙腺がいとも簡単に崩壊しそうになる。 ・・・ダメだよ。せめて家に帰るまではまだ泣いちゃ・・・ ガンッ!!! 「きゃあっ?!」 閉まりかけていたエレベーターの扉から突然足が侵入して来て心臓が止まりそうになる。 もうほとんど会社に残っている人はいないと思っていたのに・・・まさか侵入者?! さっきとは違う意味で涙が込み上げてくるつくしの目の前に徐々に姿を現したのは・・・ 「えっ・・・」 ブルーアイ。 見覚えのある特徴的な瞳に栗色の髪。そして見上げるほどの長身。 開いた扉から入って来たのは数日前に非常階段で偶然会ったあの男性だった。 とりあえず社内の人間だったことに胸を撫で下ろすと、つくしは今の自分の顔がどうなっているかを思い出して慌てて俯いた。涙を流してはいないけれど、零れる一歩手前だったのは一目瞭然だったはず。 彼にはタイミングの悪いところばかり目撃されてしまってどうにもこうにも気まずい。 「・・・・・・・・・」 沈黙が苦しい。 チラッと横目で見た男性は真っ直ぐに前を見ていた。相変わらずオーラが凄い。 彼もこんな遅くまで残業していたのだろうか・・・? 仕事ができるって彼女たちが言っていたけど、研修生ならやることも多いのかもしれない。 本当ならばこの前飴をもらったお礼を言うべきなのだろうけど・・・今は口を開いて冷静に話せる自信がない。少しでも喋れば涙が溢れ出してしまいそうで。 それほどにさっきのことが心を深く抉っていた。 ・・・だめだ、ダメダメ!! 思い出しただけでまた泣きそうになっちゃうじゃないか。 人前で涙を流すなんてぜっっっったいにダメっ!!! 早く・・・早く1階に着いてっ・・・! 顔を見られないように俯いてひたすら息を潜めている時間が永遠のように長く感じた。 やがてポーンと音をたててつくしの待ち望んだその瞬間が訪れる。 顔を見られたくないから彼に先に降りてもらう。そのためにつくしは人の気配が消えるまでひたすらじっとしていた。 コツン・・・ 「・・・え?」 だが下を向いているつくしの視界になかったはずの革靴が入ってきて思わず顔を上げてしまった。 見れば先に降りるとばかり思っていた彼が目の前に立っているではないか。 何・・・? 一体何を・・・ 「えっ?」 戸惑うだけのつくしにいつかのように彼が右手を差し出した。 これは・・・まさかとは思うけど、もしかして・・・ そんな思いが伝わっているのかどうかは定かではないが、相変わらず何も反応できずにいるつくしの手を取ると、この前と全く同じように右手にコロンとした飴玉を握らせた。 「あ、あのっ・・・! えっ?!」 何かを言おうと口を開いたつくしの言葉がそこで止まる。 何故ならつくしの手から離れたその男性の手がそのまま頭へと移動したから。 まるで子どもをあやすようにいい子いい子と撫でているのだ。 突然のことに口を開けたまま呆然としているつくしにほんの少しだけ微笑むと、またしても男性は何も言わずに先にエレベーターから出て行ってしまった。いつまでも降りてこない女に痺れを切らしたかのように、やがてエレベーターの扉が閉まっていく。 「な、何、今の・・・」 一体何が起こったというのか。 相変わらず意味不明なことの連続に、その後もしばらく身動き一つ取れずに棒立ちしていた。 そのことでさっきまで心を埋め尽くしていた鬱屈とした気持ちが吹き飛ばされていたことに気付いたのは、もっともっと時間が経ってからのこと。 *** 「あの研修生って部署はどこなんだろう・・・」 飴玉の入っていた袋をぼんやり見つめながら今さらながらにそんなことを呟く。 結局彼に遭遇したのはあの2回だけ。 興味も何もなかった相手だが、今思えばきっとどちらも落ち込んでいる自分を慰めてくれたのだろうということくらいはわかる。そして結果的にそれに救われたことは紛れもない事実なわけで。 せめて一言もらったものに対するお礼くらい言ったのではいいのではないだろうか。 クソ真面目な性格ゆえかついついそんなことを考えてしまっている自分がいた。 「おい牧野っ!」 だがそんな考えもその一言に全て吹き飛ばされる。 顔を見なくとも、今日のアイツがいつにも増してすこぶる機嫌が悪そうなのは明白だった。 自分が何かをした覚えは全くない。 ・・・ということはあの男の憂さ晴らしに巻き込まれるということに他ならない。 「・・・はい」 「お前の準備したこの資料、年度が全然違うじゃねぇかよ! どこに目ぇついてんだっ!!」 「それは・・・」 あたしじゃなくてあんたが準備した資料じゃないかっ!! 確かに別年度の資料を準備したのはあたしだ。 でもいまこの男が難癖をつけているものに携わったのはあたしじゃない。 文句を言っている張本人だ。 「なんだぁ? 口答えすんのか?!」 「・・・・・・いえ、すぐに探してきます」 「お前みたいなボンクラはいつでもやめちまえっ!」 いつものように背中に捨て台詞を投げつけられても必死に耐える。 一体いつまでこの地獄のような日々が続くのだろうか。 日に日に本当にこれでいいのかと葛藤していく自分がいる。 昔のようにもっと怖い物知らずでぶつかっていってこそ自分なんじゃないのかと。 ・・・でも現実社会は厳しいものだということを嫌というほど見てきたのだ。 きっと今ぶつかっていったところで木っ端微塵に砕け散って終わり。 それじゃあこの会社は何も変わらない・・・ 「一体どうすればいいのよ・・・」 前にも後ろにもどうにも身動きがとれない自分が歯がゆくて仕方がない。 資料室に入るなりまたしても出た特大の溜め息に、今の自分に残された幸せのバロメーターがあとどれほどのものなのだろうかと嘆きたくなった。 結局、電話を切られて以降一度も連絡をしていない。 一度拒否をされてしまったのだ。 再びぶつかっていく勇気など、ただでさえ弱っている今の自分にはもう残ってはいなかった。 まさかアイツの中ではもう別れたつもりだったりして・・・ 「ダメダメっ、弱気になるな、あたし!!」 纏わり付く雑念を振り払うと、すぐにあのクソ上司に持って行くための資料を探し始めた。 ガチャッ バタン 「誰か来た。・・・誰だろう」 ここは社内の資料室。社員が出入りするのはごく当然のこと。 つくしはそれが誰であるかも気に留めずに目的のものを探し続ける。 コツンコツンコツン・・・カタン。 「・・・え?」 だがふいに自分の真後ろで止まった足音に振り返った。 ___ この後にあんなことが起ころうとは夢にも思わずに。
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by: * 2015/10/19 05:39 * [ 編集 ] | page top
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あんなことって?・・・何々・・・めっちゃ気になるぅ~。 気がつきゃ、このお話いまだに司は出てきてないですよね~。 電話を切ったのは、ほんとに司なのか? ならばどうして切ったのか? ブルーアイは何者か? 気になりどころ満載ですね(笑) どうでもいい密かなこだわりの世界・・・。 お天道様あんがとーーーと思っていただいて、何よりです(笑) --管理人のみ閲覧できます--
このコメントは管理人のみ閲覧できます --た※き様--
あはは、オチ、気になりますか? そりゃそうですよね~、このままなーんにもなしに終わったら・・・皆さんにぶっ飛ばされそう( ̄∇ ̄) 皆さんが色々と予想してくださってるのを見るのが楽しくて( ´艸`) 是非是非日付が変わるまで色んな予想を立ててみてくださいね♪ --こ※様--
おぉっ?!すっかり気になる気になる木状態ですか? そんなこと言われたら・・・ヨッシャーってガッツポーズしまくりますよっ(笑) でもこっちもない頭捻って必死に考えてるのでね、そういう感想をいただけると俄然やる気になるんですよ。えぇえぇ単純回路でできてますよ、私めは( ̄ー ̄) あの男はどこの誰?ムカツク上司はどうなるの?! 色々謎だらけですが・・・さてさてどうなる! --みわちゃん様--
ほんと、一体どんなことが起きるのやらって終わり方ですよね。 自分が読み手だったら「ぬぉ~~!!(`Д´)」ってなってるな、間違いなく(笑) しっかし勇気を出した電話をブッチした司、ひでぇよぉ!!(T△T) ブルーアイも謎だし上司は最高にムカツクし・・・ ほんと、我ながらとっちらかったお話になってますなぁ。 ちゃんとまとめることができるのかしら? --さ※ら様--
めちゃくちゃ気になる終わり方しちゃって・・・どうもスンマセン(`Д´) ←いつぞやの芸人風に ほんとほんと!司のアホ~~!!一体何やっとんのじゃ~~!!ですよね。 せっかくつくしが素直になろうとしたのに・・・(T-T) えへへ、そう言っていただけて嬉しいです(*´ェ`*) もうね、お話のネタが底を尽きかけていて。毎回毎回必死です(笑) でもね~、今回はある程度柱ができたら面白いくらいにスルスルと書けたんです! 多分自分好みの内容だからなのかな?とにかく楽しかった~。 え、何がって? うふふ、それはまた深夜に・・・(^_-)-☆ --ゆ※ん様<拍手コメントお礼>--
おぉっ!!たった2日でしたか?なんだかもう長いこと会っていないんじゃないかってくらいに久しぶりに感じましたよ~。 会うのがもうほぼほぼ日課になってましたからねぇ(* ̄∇ ̄*) 運動会爆走もお疲れ様ですっ!( ̄^ ̄)q 何だか謎のキラキラマンが現れましたが・・・ ぶはは!司ってタケチャンマン眉毛なんですか? 違う違う、それって絶対松潤と混同してますって!(笑) まぁでも司が濃いか薄いかで言ったら間違いなく 「濃い!!」 でしょうけどね。 っていうかむしろ濃厚?( ̄∇ ̄) --管理人のみ閲覧できます--
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このコメントは管理人のみ閲覧できます --ち※す。様<拍手コメントお礼>--
あはは、瞬きするのを忘れちゃ駄目ですよ!ドライアイになっちゃう!!(笑) 続きが気になって夜も眠れないですか? そこまではまり込んでもらえて嬉しいです~(*^^*) 少しでも楽しんでもらえる展開になってたらいいなぁ・・・! --ke※※ki様--
なるほど、世間がお休みの日がメインのお仕事されてるんですね~。 それだと家族サービスとかが大変ですよね。 うちの旦那はサービス業ではありませんがやっぱり休日ももれなく出勤しなければならない職種でして・・・ とどのつまり年がら年中忙しいという(=_=) もうお泊まりで旅行に行くなんてどれだけできてないことか・・・悲しい(T-T) えへへ、肝心要のお話についてですが~・・・ もうね、ke※※kiさんと話すと危険危険!!!絶対ボロが出ちゃう!!(笑) 仰るとおりね、ここは多くを語らずに結末を待ちましょうか(笑) --k※※a様--
あはは、我慢できずに読んじゃいましたか? 私的にはヨッシャーーー(≧∀≦)とガッツポーズですよ(笑) ほんと、めちゃくちゃ気になる終わり方ですよねぇ。 気になる謎がいーっぱいありますよね。 このコメントを読む頃は後編も読み終わってるかな? また感想お待ちしてまーす(*^o^*) |
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