王子様の憂鬱 5
2016 / 01 / 02 ( Sat ) 「ハルにぃ、どうしてあんなところに・・・?」
エレベーターの扉が閉まると同時に花音が遥人を見上げた。 「今日はたまたま出社する前に所用があったんだよ。で、遠目からお前らしき後ろ姿が見えたと思ったら男と一緒に歩いてたから」 「あ、あれはっ・・・!」 「わかってるよ。電車で偶然顔を合わせたとかそんなとこだろ?」 「う、うん・・・」 誤解されていないことにほっと胸を撫で下ろした。 ___ のも束の間。 「嫌なときははっきり嫌って言わないとダメだぞ」 「えっ・・・?」 急に低くなった声のトーンにハッと顔を上げる。 さっきまでの表情から一転、遥人の顔は真剣なものへと変わっていた。 というよりも怒っている・・・? 「あんな顔ではっきりしない態度とってたら男は脈ありだと思ってつけ上がるだけだぞ」 「 ! ご、ごめんなさっ・・・」 そんなつもりは全くなかったのに。 けれどあの時の山口の態度を思い出せば言われているとおりなのだろうと思うと、はっきりした態度を取れない自分が情けなくて仕方がない。 結果的にそれで一番大事な人に嫌な思いをさせてしまっては何の意味もない。 「ごめんなさっ・・・!」 ポーーーーーン 情けないやら腹が立つやら、そして遥人が初めて見せる態度にどうしていいかわからず軽くパニックを起こしかけていたところで扉が開いた。すぐにフロアへと降り立った遥人とは対照的に、花音はその場に足が貼り付いたように身動きがとれないでいる。 「・・・ちょっと執務室まで来て」 「えっ・・・?」 それだけ言い残すと遥人は足早にその場から離れて行ってしまった。 ・・・やっぱり怒っている。 どうしよう、どうしようどうしよう、どうしよう・・・! 扉が閉まるまで呆然とその後ろ姿を見送っていた花音も慌ててエレベーターから降りると、こんなに執務室までが遠かっただろうかというほど重い足取りで目的の場所へと向かった。 「し、失礼します・・・」 扉の前で何度も何度も深呼吸をしてようやく執務室へと足を踏み入れた。 次の瞬間、横から伸びてきた手に腕を掴まれると、そのまま花音の体が大きな何かに包まれた。 何かなんて考えるまでもない。そこは世界で一番安心できる場所。 自分が抱きしめられているのだと自覚すると同時に涙が込み上がってくるのを抑えきれない。 どうしていいかわからないくせに、こうしてもらえることがこんなにも嬉しいだなんて。 「ほっ、ほんとにごめんなさっ・・・!」 「悪い。わざと意地悪言った」 「・・・・・・え・・・?」 顔を上げようとしたが、強い力にそれを阻まれて上を向くことができない。 「お前が他の男に言い寄られてるのを目の当たりにしたら・・・無性に腹が立って」 「それは、ごめんなさっ・・・」 「バカ、違うって。お前は何も悪くないんだよ」 「でも、あたしが」 「あの状況でお前が相手を無碍にできないことなんてわかってるから。それに、これは単なる俺の嫉妬だ」 「え・・・?」 嫉妬・・・? 誰が? ・・・誰に? 「信じられないか? まぁ正直自分でもびっくりしてる。未だかつて嫉妬なんてしたことのないこの俺がたったあれしきのことでこんな風になるんだからな」 「・・・うそ・・・」 「嘘ついてどうするんだよ」 「だって、ハルにぃが嫉妬だなんて・・・」 ふっと腕の力が緩んだ拍子に上を見上げると、何ともバツの悪そうな顔で苦笑いしている遥人と目が合った。まるでいたずらが見つかった子どものような、何とも言えない顔で。 ・・・こんな表情、今まで見たことない。 「・・・まいったな。これじゃあおっさんのこと笑えねーよ」 「えっ?」 おっさんって・・・パパのことだよね? 「ガキの頃からおっさんのつくしに対する異常なまでの独占欲を見てきたけど・・・正直俺には理解できねーって腹の中で笑ってたんだよな。つい最近まではずっと」 「ハルにぃ・・・?」 「・・・認めたくないけど、今ならおっさんの気持ちが嫌ってほどわかる」 「・・・・・・」 「誰の目にも触れさせたくないくらい独占したくなる相手が必ず存在するんだってな」 その言葉に花音の目が大きく見開く。 「おっさんはその相手にすぐ気が付いた。それに対して俺はずっと気づけなかった。ただそれだけの違いなんだな」 「ハルにぃ・・・」 「あー、あれだけおっさんのこと笑ってたくせに情けないったらないよな。・・・っておい、何泣いてるんだよ?」 「だ、だって・・・!」 「さっきのことまだ気にしてるのか? 悪かったよ。我ながら大人げなかったって反省してる」 違う、違うよハルにぃ。そんなんじゃない。 あたしは・・・嬉しくて泣いてるんだよ。 だって、自分ばっかりが好きで仕方ないんだって思ってたから・・・ 「あー、頼むから泣かないでくれ。お前に泣かれると昔っから弱いんだよ・・・」 「ごめっ・・・グズッ」 オタオタすればするほど涙は止まらない。 いつもは冷静な 『ハルにぃ』 がらしくない姿を見せてくれればくれるほど、それだけ自分を好きだって言ってくれているようで。嬉しくて涙が止まってくれないのだ。 「花音・・・」 「・・・・・・」 背中に回されていた手が優しく頬に触れる。 自分を見下ろす顔はさっきとは真逆で慈愛に満ち溢れていて。 子どもの頃から大好きだった優しい優しいハルにぃ。 言葉はなくとも自分へ伝えたいことが手に取るように流れ込んできて、徐々に近づいてくるその顔を見ながら花音は静かに目を閉じた。 「・・・・・・」 ふわりと羽のような温もりが唇に触れる。 それと同時に再び背中に力強い腕の感触が戻ってきて、導かれるように花音の手も目の前の大きな背中へと回った。 ずっとずっと見ていることしかできなかった背中に、今こうして触れることができる。 自分は世界一の幸せ者だ。 「・・・・・・」 長いキスを終えると、まるでタイミングを図ったかのように2人同時に目を開けた。 至近距離でぶつかった視線に、途端に我に返って恥ずかしくなる。 「ま・・・また会社でこんなこと・・・!」 「まだ始業時間まで1時間近くもある」 「そ、そういう問題じゃなくてっ」 「仕事には何ら支障を出さないんだから問題ないよ」 「で、でもっ・・・!」 「花音は嫌? 俺とこうしてるの」 「 ____ っ 」 嫌・・・なわけがない。 だって自分から進んで抱きついたのだから。 嫌どころか嬉しいと思ってしまっている自分がいる。 だからこそ怖い。このままどんどんどんどん気持ちに歯止めが効かなくなりそうで。 公私混同しちゃいけないって思うのに、自分はまだまだ新人なのに、見えないところでこんなことしてるなんて ___ 「俺は花音とこうしてられるってだけでどんな疲れも吹っ飛ぶんだけどな」 「・・・え?」 「これでも俺、結構仕事頑張ってると思うんだよね。だからたまにはこういうご褒美がもらえてもバチは当たらないんじゃないかって思ってるんだけど・・・やっぱダメ?」 「・・・・・・」 おねだりのように聞かれて思わずキョトンとする。 「・・・ぷっ! もう、ハルにぃってば・・・」 「ははっ、ほんと、俺のキャラが崩壊してるよな」 「うん・・・でも今のハルにぃの方がもっと好き」 「 _____ 」 抱きしめるだけで顔を真っ赤にするくせに。 ちょっと深いキスをしただけで自分で立っていることすらできなくなるくせに。 時々こっちが言葉を失うくらい大胆なことをサラッと言ってのける。 本人はそんな自覚は露程もなく。 「・・・ったく、お前のそういうところ・・・」 「え?」 「はぁ・・・いや、惚れた弱みってやつだよな、ほんと」 「・・・? ハルにぃ・・・?」 「いや、こっちの話」 「ハルに・・・」 ははっと笑うと、再び端正な顔が近づいてくる。 戸惑いながらもそれを拒むことなどできなくて、花音も静かに目を閉じた ___ 「 専務、ちょっとよろしいですか 」 唇がほんの少し掠った瞬間聞こえてきたノック音に花音が跳びはねて驚く。 その動きはまるでうさぎのようで、1メートルほど後方までひとっ飛びだ。 呆気にとられている遥人と目が合った瞬間、カーーーーッと全身が真っ赤に染まっていった。 「かの・・・」 「し、仕事に戻ります! 失礼いたしましたっ!!」 「あ、おいっ!」 バンッ!! 「おや、おはようございます。お早いですね」 「は・・・はいっ・・・、し、失礼します!」 危うくぶつかりそうになったもう1人の上司、山野にガバッと頭を下げると、花音は真っ赤な顔でその場から走り去ってしまった。まさに逃げるという表現がふさわしい。 「・・・・・・なんだよ」 「いえ、ですから何も言っておりませんが?」 入り口に立ってしれっとそう言ってのけるこの男を今日ほど忌々しく感じたことはない。 この男、絶対にわざとあのタイミングでノックをしたのだ。俺が悔しがるのを面白がって。 どうせ仕事内容もさほど急を要するものではないに決まってる。 「はぁ~~~~っ、ほんっと、お前は 『優秀な』 秘書だよ」 「ありがとうございます。専務からのお褒めの言葉、光栄に存じます」 嫌味たっぷりに言ってやってもこの有様だ。 「それはそうと大変失礼致しました。まさか花音様がこちらにいらっしゃったとは露知らず・・・知っていればギリギリまでこちらに来ることは避けたのですが・・・」 「あー、もういいからさっさと用件を言えっ!!」 「・・・かしこまりました。ではこちらの書類を・・・」 最近つくづく思う。 一番厄介なのは相変わらず俺への対抗意識を持ち続けるおっさんでもなく、 無自覚に男を煽る花音でもなく、 今目の前にいるこの男なんじゃなかろうかと。
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by: * 2016/01/02 05:20 * [ 編集 ] | page top
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