王子様の憂鬱 21
2016 / 01 / 20 ( Wed ) 「ハルにぃ、ここは・・・?」
がっしりと右手を握られたまま連れて来られたのは20階建てほどのマンション。 比較的新しいそれは超とまではいかないものの高級であることに違いはない。 だがそもそもこんなところに何の用があるのかが全くわからない。 見たこともなければ聞いたこともない場所なのだから。 相変わらず問いかけに答えることなく無言のまま足を進めると、オートロックを解除してすぐにエレベーターへと押し込まれた。狭い空間でチラッと顔を見上げてみても、やはり視線がぶつかることはない。 あれから彼は一度だってこちらを見ようとはしない。 怒っているのは明白で、この後一体どんなことが待ち受けているというのか・・・ 今度こそ本当に愛想尽かされたとか・・・ その先の最悪のシナリオが頭を過ぎってブルッと震える。 信じられないような醜態をさらしたのだ。 自分ですら嫌気がさして仕方がないのに、他人がそう思わないはずがないわけで・・・ 「行くぞ」 「えっ? あっ・・・!」 いつの間に目的の階に着いたのか、再び手を引かれるとそのまま問答無用でとある部屋の前までと連れて来られてしまった。一体ここには誰が住んでいるというのか。 不安と混乱でどうしていいかわからない。 「入って」 「でも、ここ・・・」 「いいから入って」 扉を開けると同時に中へと押し込まれると、すぐに後ろからバタンと扉が閉まる音が響いた。 「ハルに ___ 」 振り向こうとするよりも先に体を引き寄せられて、一瞬にして目の前が真っ暗になった。 何が起こっているのがすぐに理解することなど出来ず、ただただ混乱に陥っていく。 だが唇に触れる何かと背中に回された力強い腕、・・・そして優しく後頭部を撫で続けるその柔らかい感触に、今自分が何をされているのか、少しずつ頭がクリアーになっていく。 「ハ・・・んっ・・・!」 開き書けた唇はすぐに塞がれ、それどころか喋ることは許さないとばかりに生温かいものが口内で暴れ回る。逃げることなど絶対に許さないと拘束を強める腕に、無意識のうちにこのまま離さないでと自ら手を回している自分がいた。 どれほどの時間が経ったのかわからないほどそれは続けられ、気が付けば自分の足では立っていられないほど全身から力という力が抜けてしまっていた。 「はぁっはぁっ・・・・・・ハルに・・・」 「お前一体どういうつもり?」 「え・・・?」 ようやく解放されたかと思えば彼の顔も声も怒りに満ちている。 ついさっきまで満たされていた幸福感から一瞬にして現実に引き戻された気分だ。 「ハ・・・」 「あんなところであんな可愛いこと言うなんて。俺の理性を試してるのか?」 「・・・・・・え・・・?」 何を言っているのか全くわからない。 可愛い・・・? 理性を試す・・・? ・・・・・・何を言ってるの? 「物わかりのいいお前が初めて我儘を言ったと思ったらあんな可愛い内容とか。俺があの時どんだけ我慢したかわかってるのか?」 「・・・・・・」 わかるわけがない。 「あっ?!」 「とりあえず中に入ろう」 混乱する体ごと掬い上げられると、抱き上げられたまま部屋の中へと連れて行かれる。 やがてリビングに置かれたソファーにゆっくりと座らされると、遥人も体を密着させるようにしてすぐ隣に腰を下ろした。両手は握りしめたままで離されることはない。 「ここは・・・?」 「ここは俺のマンションだよ」 「えっ?」 「誰にも教えてない俺だけの空間。こっちに帰国してすぐに借りたんだ。1人になりたい時や仕事でどうしても遅くなりそうな時はここで過ごしてきた」 初めて知る事実に驚きを隠せない。 そんな素振りは微塵もなかったというのに、もう5年も前から・・・? 「当然ここへ足を踏み入れたことがあるのは俺だけ。・・・そしてお前だけだ。この空間に足を踏み入れてもいいと思えたのは、後にも先にもお前ただ1人。今日は最初からここに連れて来るつもりだった」 「ハルにぃ・・・」 ぐっと握りしめられている手に力が込められたのを感じる。 「まず最初に言っておくが俺は何も怒ってなんかいない。むしろその逆だ。お前があまりにも可愛いこと言うもんだから・・・正直あの場で押し倒したいくらいの衝動に駆られたんだぞ。それを必死で押し留めるために顔を見ることも喋ることもしなかった。・・・できなかったんだ」 「・・・」 「ちょっと待ってて」 そう言って一度リビングから出て行くと、しばらくして遥人は小さな箱を手に戻ってきた。 隣に座ると同時にそれを手渡される。 「ハルにぃ・・・?」 「いいから開けて」 「・・・」 意味などわからないが言われるままに箱を開けると、中身を見た瞬間花音が目を見開いた。 「 ___ これって・・・!」 「覚えてるか?」 「覚えてるも何も・・・」 箱の中に所狭しと入れられているもの、それは他でもない自分が送り続けた手紙達だ。 まだまだぎこちない子どもの字が書かれたものから遥人が帰国する直前に出したものまで、10年近く、数にして100通は超えているであろうと思われる全てがそこにはあった。 箱を持つ手の震えが止まらない。 「これを見ても俺が迷惑に思ってただなんて思うか?」 「・・・・・・」 「俺はな、花音。本当にお前達に、お前から力をもらってたんだ。いくら経営者の息子だって言っても俺は所詮ひよっこの若造に過ぎない。理不尽な思いをすることだってあったし、時には全てを投げ出して自由に生きたいと思うことだってあった。でもいつだってそうやって迷ったときに絶妙なタイミングでお前からの手紙が届くんだ。純粋で穢れのないお前の言葉の1つ1つが俺の心を癒やしてくれた。そうしてまた頑張ろうって思えて今日までやってこれたんだ」 「・・・・・・」 「年に数回お前達に会えるのが本当に楽しみで仕方なかったよ」 「ハル、にぃ・・・」 その言葉が真っ直ぐに心に染みこんできて、スーッと瞳から涙が零れ落ちていった。 それを指で拭いながら、遥人は少しだけバツが悪そうな顔をしてみせる。 「・・・あいつは・・・五十嵐と付き合ってたってことは否定しない。俺も30過ぎたおっさんだから、人並みにそういうことがあったってことも。・・・ただ、あいつとの付き合いはちょっと特殊だったって言うか・・・」 「・・・どういうこと?」 「いや、なんつーか・・・こんなことを言ったらまたお前に軽蔑されるだろうけど、正直俺はあいつに対してそういう気持ちはなかったんだ。告白されるまで付き合うだなんて考えたこともなかったし、OKしたのもあまり深い意味はなかったっていうか・・・。ただ一緒に働く上であいつがどんな人間かをある程度理解しているつもりだったし、実際仕事していて居心地がいい相手でもあった。だから付き合っていくうちに自分の気持ちも変わっていくだろうくらいの気持ちだったんだ」 「・・・」 子どもじゃないのだから、必ずしも両想いから始まることばかりではないのだということはわかる。 それに、彼ならきっかけは何であれ相手に対して不誠実なことはしないに決まっている。 「でも俺は何もわかっちゃいなかった」 「え・・・?」 「あいつは表面に完璧な仮面を貼り付けてる女だったんだよ。俺も付き合って初めて気付いたんだが・・・恋人という立場を手に入れたあいつは目に見えてその本性を出し始めたんだ」 「本性・・・?」 「あぁ。とにかく嫉妬深くて攻撃性が強い。嫉妬からあることないことでっち上げてしつこく追求されるのは日常茶飯事。当然その矛先はあの当時まだ子どもだったお前にすら向けられた。自分の見る目のなさと軽率さに心底後悔もしたが・・・受け入れた以上はきちんとあいつと向き合っていこうと思い直したんだ。でも・・・」 その先を聞きたいような聞きたくないような。 変な汗がじわりと滲んでくる。 「仕事上で繋がりのある別の同僚にわざとミスの濡れ衣を着せたことが判明したとき・・・俺の中で何かが切れた」 「濡れ衣・・・?」 「あぁ。あいつは俺とその子が仕事で仲良くしてるのが気に入らないってだけで重大な書類に不備を加えたんだ。結局、ギリギリのところでそれに気付いたおかげで会社に直接の影響を与えることはなかったが、万が一の時にはその子の首が飛ぶどころか会社の存続さえ危うかった。それほどのことに手を出したんだ」 「・・・!」 「矛先が俺に向かうならいくらでも向き合うつもりでいた。だが全く無関係の、しかもあいつの完全なるでっち上げだけで人を、会社を陥れようとした罪は重い。当然ながらあいつはクビになったし俺も2人の関係に見切りをつけた。半年にも満たない付き合いだったよ」 「・・・」 そこまで話すと、自責の念を込めているのか遥人が深く溜め息をついた。 「もともとはあいつの本性を見抜けずに安易な気持ちで受け入れてしまった俺の責任だからな。さすがに自分の不甲斐なさに落ち込んだよ。・・・そしてもう女はこりごりだとも思った」 「・・・え?」 「あぁ、お前の考えてるとおりだよ。俺はそれ以降誰とも付き合っていない。もう6年になるかな」 「う、そ・・・」 予想通りの反応をされて遥人も苦笑いするしかない。 「こんなことで嘘言ってどうするんだよ。言っただろ? 俺はお前に嘘をついたことはないって。まぁ帰国して専務となってそんな余裕なんてなかったのも事実だけど、それ以上に俺自身が全くそういう気持ちになれなかった」 「・・・・・・」 「そんなときにお前に告白されたんだ」 「えっ?」 「目に入れても痛くないお前にそんなことを言われて素直に嬉しいと思ったよ。・・・でもそれ以上に怖くなった」 「・・・怖い?」 「あぁ。純粋で穢れを知らないお前を俺と付き合うことで変えてしまうかもしれない・・・そう思ったら怖かった。本当にお前が大事だからこそ、絶対に手を出すわけにはいかないってね」 「・・・・・・」 「でも自分にそう言い聞かせながらも本当はその時点からとっくに答えは出てたんだよな」 「・・・え?」 フッと柔らかく目を細めると、遥人は花音の前髪をくしゃっと掻き上げた。 「さっきも言っただろ? 渡米中の俺の心を癒やしてたのはお前の存在だったって。そうして帰国してからは尚更それを実感したんだ。・・・どんなときでもお前の笑顔を見るだけで心が洗われていくようだって。だから大した用もないのに邸に行ってただろ?」 ・・・確かに。 帰国してからの彼はまるで離れていた時間を埋めるかのように足繁く通ってくれた。 告白して玉砕するまでの1年間はずっと。 「そうしてる時点でとっくに俺はお前なしじゃ駄目な男だったんだよ。その証拠にお前がいなくなってからの4年はやり場のない喪失感に苛まれ続けてたからな」 「・・・・・・」 サラサラと髪を梳いていた手がそのまま頬へと移動する。あまりの心地よさにそのまま頬擦りして目を閉じてしまいたくなるが、最後まで彼の話を聞こうと花音は真っ直ぐに遥人を見つめた。 「不謹慎なのは百も承知だけど、お前が嫉妬してくれて俺は嬉しかった」 「・・・え?」 「お前は昔から物わかりが過ぎるくらいに良すぎるんだ。俺に対しても我儘どころか甘えることもそう多くはない。それがお前らしさでもあるけど、俺としてはもっともっと我儘をぶつけて欲しい。ずっとそう思ってたよ。・・・この前の夜みたいにな」 「 !! あれはっ・・・! 」 「ははっ、わかってるって。でも俺にとっては本気で嬉しかったんだぞ? この前のこともさっきのことも。あんなに可愛い我儘ならいくらでも聞きたいって思うくらいに」 「ハルにぃ・・・」 「・・・確かに俺とお前の年齢の差は永遠に埋めることはできない。でもそのことに不安を感じるのはお前だけじゃない。俺だって、お前と同世代で他にいい奴が現れたら・・・なんて全く考えないわけじゃないんだから」 「そんなことっ・・・!」 言いかけた言葉がスッと目の前に出された手で制止される。 「でも俺たちは長い時間一緒にいたからこそ誰よりもお互いのことをわかってる。そうじゃないのか?」 「・・・」 「この30年以上、俺が積み重ねてきた時間は消すことはできない。でもこれから先刻まれる時間には全てお前がいる。・・・それに、お前は俺の初めてを何も知らないって言ってたけど、思ってる以上にお前は俺の初めてを目にしてるんだぞ」 「えっ?」 「らしくもなく感情を乱されたり、年甲斐もなくガキみたいになったり・・・恋人にこんなに甘い顔を見せたり。全てが花音、お前とこうしていなければ自分でも知ることのなかったことばかりだ」 「ハルにぃ・・・」 うるうると瞳が揺らぎ始めると、すぐに大きな手が首の後ろへ回され体ごと引き寄せられた。 「俺はお前が生まれた頃からずっと成長を見守ってこられたことを本当に幸せなことだと思ってる。こういう出会いだったからこそ今の俺たちがある、そう信じてるんだ」 「・・・・・・」 「不安に思ったことや気に入らないことはこれから先いくらでもぶつけてくれればいい。俺はそれを正面から受け止めるし、たまには俺にも年上の貫禄ってやつを見させてくれよ」 「えっ? ・・・ぷっ!」 初めて顔を綻ばせたと思った次の瞬間、花音の目からはぽろぽろと涙が流れ出した。 遥人はぽんぽんと優しく頭を撫でながら、穏やかな口調で同じ言葉を繰り返し花音に言って聞かせる。 「心の底からお前が好きだよ」 「っ・・・ハルにぃ・・・ハルにぃっ・・・! ごめんなさいっ・・・!」 「謝る必要なんかない。もっと自分の感情を出していいんだ」 「うぅっ・・・ハルにぃ・・・ハルにぃ~~っ・・・」 「・・・お前には悪いけど、俺はお前の初めてを全てもらえて世界一の幸せ者だと思ってる。この部屋に入った以上もう逃げることは許されないからな?」 「・・・・・・」 キョトンと上げた顔が予想以上に涙でぐしゃぐしゃで思わず吹き出した。 普段大人びて見える彼女がまるで子どものように感情を剥き出しにする。 それがこんなにも幸せなことだなんて、彼女に出逢わなければ知ることもなかった。 「 好きだよ 」 もう一度耳元でそう囁くと、しばらく無言で見つめ合った後、どちらからともなく引き寄せられるように静かに唇を重ねた。
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by: * 2016/01/20 00:16 * [ 編集 ] | page top
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本来パスワードについてのお答えはコメント欄ではしていないのですが今回だけ。 パスワードは一切変更していません。コメントを拝見してすぐに携帯からやってみましたが、問題なく入室することができました。他に入れないといったご報告も一切来ておりません。 ですので、おそらく計算ミスか何かをしている可能性が高いかと思われます。 (現状それ以外に原因は考えられません) 今一度お確かめになられてみてください。 |
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