さよならの向こう側 side司 6
2016 / 07 / 23 ( Sat ) シン…と静まりかえった狭苦しい室内に固唾を呑む音だけが響く。
それも次から次に順番を変えていくように規則的に。 3羽の鳩は背筋をピンと伸ばして押しくら饅頭のように身を寄せ合ったまま硬直している。指で突けばたちまち崩れ落ちてしまうのではないかというほどの固まりっぷりだ。 その向かいに美しい佇まいで正座している男 ____ 道明寺司もまたどこか緊張の面持ちを滲ませながらそんな彼らと対峙していた。 数では三対一と圧倒的に不利なはずなのに、この光景を見た者は間違いなくこの男に軍配を上げることだろう。この狭い空間にあまりにも不釣り合いなオーラを放つこの男に。 「…まずは突然の訪問をお詫びします。驚かせてしまい申し訳ありませんでした」 「へっ…? いやいやいやっ?! ちょっ、道明寺さんっ!!」 長い沈黙を破ってようやく空気が流れたかと思えば、突如目の前で深々と頭を下げた司に鳩が揃いもそろってパニックに陥る。その勢いはそのまま畳にひれ伏してしまいそうなほどだ。 「お願いですから顔を上げてくださいっ!」 「……」 晴男の必死の懇願にやっとのことで司が顔を上げると、正面からぶつかった視線にまたしても3人が息を呑んだ。元々雲の上の人間だったとはいえ、7年ぶりに見る彼はさらに手の届かないところへ行ってしまったように思える。学生の頃から年齢以上に大人びて見えた男だったが、それでもつくしといる時の彼は時に子どもっぽくもあった。それが恐縮しながらもどこか親近感を抱けていた理由の1つだった。 だが今目の前にいる男はどうだというのか。どこからどう見ても立派な大人の男であることに寸分の疑いもなく、庶民には想像もつかないほど一回りも二回りも大きく成長したのだろうことが容易に窺える。 それほどまでに今の司からは絶対的な自信が満ち溢れていた。 「あの…それで、道明寺さんはどうしてこんなところに…?」 そう。彼らがもっとも知りたいのはそこ。 夢うつつだった意識からいち早く抜け出して根本的な疑問を投げかけたのは進だ。 司は想定済みの質問だとばかりに頷くと、胸ポケットから一枚の紙を取り出して畳の上に広げて見せた。わけがわからずに視線を注いだ3人の顔がやがて驚愕に染まっていく。 「つくしさんとの結婚のお許しをいただきに参りました」 「………」 鳩豆再び。 だが先程と違うのは、あんぐりと口を開けたままフリーズしてしまった彼らを前にしても司は笑うどころか至極真面目な顔をしているという点だ。真剣な眼差しで見つめたまま、その答えをじっと待っている。 それに引き寄せられるように、やがて晴男も我に返ると姿勢を正した。 「あの…道明寺さん、これは一体どういうことなんでしょうか? 私達には何が何やらさっぱり…。つくしとはとうの昔に何でもなくなったんじゃ…?」 「仰ることは当然だと思います。確かに私達が別離の道を選んだことも事実です。ですがそれはこの日を迎えるために必要なことだった。それだけに過ぎません」 「え…? それは、どういう…」 「7年前、私は4年後に彼女を迎えに来ると約束をしてこの地を離れました。何があろうともその誓いが変わることはなかった。…ですが6年前、恐らく皆さんもご存知の大不況が世界を襲った。それは我が社にとっても無視することのできない荒波でした。当然ながら私の決意はそれでも揺らぐことはなかった。…ただ、つくしさんを納得させられるだけの力があの時の私にはまだなかったんです。私の元から離れていく彼女を止める術が…なかった」 「……」 重苦しい沈黙とは対照的に、司の眼差しは依然として強い。 「だから私は彼女の言い分を受け入れました。一度は離れるという選択を」 「それって…」 「彼女の中では私との関係は終わらせたつもりかもしれませんが、私の中では何も変わってはいません。彼女と共に生きていくために避けては通れない別離だった。それだけのことです」 「……」 「どれだけの時間がかかるかはわかりませんでした。結果的にあれから6年も経ってしまった。それでも、私は自分のただ一つの願いを叶えるために脇目も振らずに死ぬ気で走ってきました。そうしてようやく名実ともに胸を張って彼女を迎えに行けると判断し、こうして皆様の元へとやって来たのです」 「道明寺さん…」 チラリと晴男が目線を送った婚姻届には威風堂々とした達筆な字が既に刻まれている。 その名前を見るだけでも震えてしまいそうなほどのその相手は… 「ご覧の通り既に両親からの了承は得ています。過去に色々あったことは事実ですが、今後私達のことに一切の手出し口出しはさせません」 はっきりと言い切ったその力強さに、どこか脱力したように晴男の体から力が抜けた。 「道明寺さんのお気持ちはよくわかりました。…ですがつくし自身はどう思ってるのでしょうか? こんなことを言うのはなんですが、この6年の間につくしの口からあなた様の名前が出たことはありません。お気持ちは嬉しくありがたいですが、結婚は当人の問題ですから。我々の一存で決めることは…」 「彼女がこの申し出を受け入れないことはありえません」 「…え?」 「彼女は別れたくて別れたのではない。身を引いただけです。そしてそれを引き止められなかったのは私の力不足が原因です。ならば彼女が安心してこの腕の中に戻って来られるだけの環境を整えてやればいい。私に必要なのはそこだけでした。何故なら私も彼女も他の人間では幸せになることなどできないのだから」 「……」 「時間はかかりましたが全ての準備は整いました。本来なら真っ先に彼女の元へ行くべきなのでしょう。ですが頑固で素直じゃない彼女がすんなり頷かないのは嫌と言うほど知ってます。今更彼女を逃がしてやる気なんてサラサラありませんから。後は彼女が頷くだけの状況を先に整えておこうと思いまして」 「 ____ 」 ニヤリと策士の如く微笑んだ司に3人が呆気にとられている。 「断言します。彼女は絶対に私から離れることはできない。これはもう運命で定められたことですから。お互い以外にこの心を、身体を満たせる者はどこを探してもいない」 「道明寺さん…」 寸分も崩れることのない綺麗な姿勢のまま、司は今一度ゆっくりと頭を下げた。 「お願いします。つくしさんとの結婚をお許しください」 まるでスローモーションのような美しい所作に、3人は言葉もなくただただ見入ってしまっていた。天地がひっくり返るほどありえないことが目の前で起こっているというのに、何故か不思議と心は落ち着いていて。 顔を上げた司と正面から視線がぶつかってからようやく晴男が口を開いた。 「……正直いまだに何が起こっているのかわかっていません。明日になれば夢だったんじゃないか、ドッキリだったんじゃないか、そんなオチが待ってるんじゃないかって気がするのも本音です。……でも、それと同時にこれが現実であってほしいと心の底から願っている自分がいるんです」 「これは夢ではありません。一生醒めることのない、一点の曇りもない現実です。必ず幸せにすると誓います。ですから娘さんを私にください」 即座に返ってきた力強い言葉に、晴男の顔がクシャッと歪んだ。 「…っ、ありがとう、ございますっ……どうか、どうか娘を幸せにしてやってください。貧乏で何の取り柄もない我が家ですが、つくしは私達の自慢の娘なんですっ…」 「もちろん承知しています。何と言ってもこの私を惚れさせた女ですから。あいつはただ者じゃありません」 「…へ?」 感極まっていた晴男が何とも気の抜けた声になる。 司はそんな彼らの顔を見渡すと、再びあの自信に満ち溢れた顔でニッと笑った。 「牧野つくしはこの俺に出会うために生まれてきてくれた女です。俺が幸せにせずに誰がするって言うんです? 愚問ですよ、 『 お義父さん 』 」 「……」 鳩豆再々。 ポカーーーンと口を開けたまま完全に呆気にとられてしまった姿にとうとう司が吹き出すと、まるで緊張の糸が切れたように晴男達もどっと笑いに包まれた。 「はははっ、いやこりゃまいったな…ママ、腰が抜けちゃったよ」 「やだ、パパったら…。 …あら? 私も力が入らないわ」 「おいおい、オヤジもおふくろもしっかりしてくれよ」 「だって、こんなことが起きるだなんて誰も想像しないだろう?」 「そりゃそうだけどさ…」 すっかり 「らしさ」 を取り戻した彼らのやりとりを微笑ましく見つめていた司だったが、おもむろに胸元からペンを取り出すとそんな彼らの前にスッと差し出した。すぐに視線が手元に注がれる。 「ではお願いしてもよろしいですか?」 「…! は、はィっ…!」 思いっきり声が裏返ったが、今度は誰も笑ったりなどしなかった。 …否、できなかった。 「ちょっ…オヤジ、手ぇ震えすぎだろって。そんなんで書けるのかよ?!」 「そ、そんなこと言ったって・・・震えるんだからどうしようもないじゃないか!」 ペンを握った晴男の手は生まれたての子鹿よろしくガックンガックン震えている。 「万が一書き損じたときには私の7年間の血と涙の努力が無に帰すことをお忘れなく」 「 !!!!! 」 静かに入ったツッコミに晴男が岩のように固まった。 「……ぷっ、あははははっ! オヤジ、固まりすぎだろって!」 「ちょっとパパぁ、しっかりしなさいよぉ~!!」 だが意外や意外。結果的にはそれが全員の緊張をほぐすこととなり、その後すこぶる時間はかかったものの、晴男の手によって無事に残された証人欄が埋め尽くされた。 残すはただ一つ、妻となるつくしが記入するのを待つばかり ____ 「…ありがとうございます。心から感謝します」 晴男の手から戻って来た婚姻届を愛おしげに見つめると、司は今一度向き直って頭を下げた。既に何度目になるかもわからないその光景に、全員があたふたと恐縮しまくりだ。 「いえっ、お礼を言うべきはこちらの方です! 本当に、一途につくしを想ってくださって…何と感謝をすればいいのか…。つくしは本当に幸せ者です。せかい、いちのっ…!」 そこまで言いかけて感極まってしまった晴男は、堪らず両手で口を覆った。 その目には今にも零れ落ちんばかりの涙がとどまっている。 もちろんその両側に座っている千恵子と進だって同じだ。 「あいつは世界一の女ですから。世界一幸せな花嫁にすると誓います」 「道明寺さんっ…ありがとうございますっ…」 「こうして皆さんにお許しをいただきましたが、今すぐ彼女を迎えに行くことはできません。本音で言えばすぐにでもかっ攫いたいところではありますが。ここに来るまで7年もかかったんです。今更ヘマをするのはごめんですからね。今度メープルで大々的な場を設けて全世界に発信、そしてその足で入籍したいと思ってます」 「…つくしには…」 「それまでは一切話すつもりはありません。どうせやるなら盛大に彼女を迎えに行きたいですから」 「……」 「とはいえ彼女には既にメープルで働いてもらってますから。近いうちに顔を合わせることはあるでしょう。その時に自分が平静を保てるのか正直自信はありませんが…楽しみを最後までとっておくためにも理性を総動員して耐えてみせますよ」 「……その時が来たらねーちゃん卒倒するんじゃねーの…?」 思わず漏れ出た進の声に司がニヤッと笑った。 「かもな。でも一応振られた形になってるのはこっちの方だからな。死ぬ気で頑張ってきた俺がこのくらいの意趣返ししたってバチは当たらねーだろ?」 「 ! 」 いきなり 「本音」 を口にした司に進が目を丸くする。 さっきまでの全く手の届かない場所にいた男は何処へやら。今そこにいるのはイタズラを仕掛けてわくわくしている子どもそのものだ。 「……もしかして道明寺さん楽しんでます?」 「当然だろ? この俺様にここまでさせたんだからな。少しは楽しませてもらわなきゃ割にあわねーっつーんだよ」 「……」 すっかり地を出した司に呆気にとられつつも、それこそが自分が憧れて止まなかった道明寺司なのだと思い至り進はプッと吹き出した。 「ははははっ! さすがは道明寺さんってことですね」 「まーな。お前の姉貴にも少しは俺の苦労をわかってもらわなきゃだからな」 「ねーちゃん泣くかもしれないですよ?」 「それならそれで構わねーよ。その後嫌ってほど幸せの涙に変えてやる」 普通の男が言えば鳥肌が立つようなセリフも、司が言えばこの上なく様になる。 その迷いのなさに思わず進がひゅうっと口を鳴らした。 「あいつだって俺と同じ時間苦しんで、耐えて、そして必死で生きてきた。一人で泣いた夜だって一度や二度じゃないはずだってこともわかってる。だからこそこれからは嬉し涙しか流させねーよ」 「道明寺さん…」 ふざけたかと思えば今度は真剣な眼差しに。 少年から大人へところころと表情を変える彼から目が離せない。 こんな魅力的な人が姉の夫になり、そして自分の兄になるかと思うと…歓喜のあまり心が震えた。 「ま…ママっ!!」 「パ…パパっ!!」 そして喜びに震えているのは進だけではない。 未だにふわふわと夢心地の両親もまた、この言葉にできない感動の渦に包まれていた。既に心を通わせているようにすら見える男同士の絆を前に、その想いは膨れ上がっていくばかりだ。 「や、やったあぁあああああああぁ~~~~~っ!!!」 興奮と歓喜が最高潮となった瞬間、気が付けば晴男の手には年季の入った鍋が握られていた。いつの間にやら歩いて数歩の流し台から持って来ていたらしい。 進があっと思った瞬間にはけたたましい音でそれが叩きつけられ、千恵子もまたいつの間に握りしめていたのか、フライパンとお玉を狂喜乱舞とばかりに振り回して喜びに暮れた。 「ちょっ、おやじ、おふくろ、やめろって!! 近所迷惑で通報されるだろうが!!」 「この爆発した喜びを抑えられるわけがないだろう?!」 「そうよぉ~! 夢の玉の輿よぉ~~!!」 「ちょっ…道明寺さんの前で何言ってんだよ!!」 「あぁっ、幸せっ! 生きててよかった~! 神様仏様、ありがとう~~!!!!」 「道明寺様、ありがとうございます~~~~!!!」 「やめろっつってんだろっ!!!」 それからしばらくの間、顔を真っ青にした進がどんなに止めに入ろうとも、夢のような幸福な現実に震える晴男と千恵子の喜びの舞が止むことはなかった。 やっとこさ収まったのは漏れ出る声を見るに見かねたアンドロイドが部屋に突入した後だったとかなかったとか。
すみませ~ん、全く定時に間に合わなかったので明日に回そうかと迷ったんですが…早いほうが嬉しい人もいる(多分…)かと思って今日にしました。その代わり明日の更新は多分なし…かな?(^_^;)未定ですが。
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by: * 2016/07/23 06:29 * [ 編集 ] | page top
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