あなたの欠片 44
2014 / 12 / 28 ( Sun ) スースーと気持ちよさそうな寝息だけが響く暗い室内を黒い影が動く。
明かりがなくとも全てを把握しているかのような動きは真っ直ぐにある一点を目指す。 やがて目的の場所に辿り着くと、音を立てないように布団の中にその体を滑り込ませていく。その真ん中で深い眠りに落ちている女の体を自分の中に引き寄せると、額にそっと唇を寄せて囁いた。 「おやすみ・・・」 「・・・・・ん・・・」 肌に触れる感触が心地いい。 つくしは温もりを求めるようにそこに自分の体を擦り寄せていく。 ふわりと沈んでいくはずの毛布の感触とは少し違う。 「・・・・・・あれ・・・・?」 ボーッとしながら目を開けていくと、目の前には眠っていても腹が立つほど整った綺麗な顔がある。目が覚めると真っ先に入ってくるのがこの光景であることにもすっかり慣れてしまった。 「また来てたんだ・・・一体いつの間に」 呆れたように笑うと、つくしは目の前の顔をそっと手で撫でていく。 長い睫に筋の通った高い鼻、厚すぎず薄すぎず絶妙なバランスの唇、肌は女性が悔しがるほどつるつるで毛穴一つ見当たらない。男でこんなに綺麗だなんて世の中不公平にもほどがあると思わずにはいられない。 こんな男を独り占めできるのはこの世に自分ただ一人。 そう思うと言葉にできない幸福感が全身を満たしていく。 「お疲れ様・・・」 そう囁いてそっと唇にキスを落とすと、ぐっすりと目を閉じたままの司に擦り寄るようにして再びつくしも眠りについた。 *** 「きゃ~~~~っ!! 大変っ!!」 あれから数時間、邸中に悲鳴にも似た声が響き渡る。 はじめのうちこそ何事かと驚いていた使用人も、今ではまるでそれが日常の一ページであるかのように全く動じる気配はない。むしろニコニコと嬉しそうに持ち場の作業を続けている。 「司っ、起きてっ!!」 「・・・・・・ん・・・」 突然耳元で響く叫び声に目の前の顔が歪む。 それでも構わずにつくしはゆさゆさと体を揺らしながら声を張り上げる。 「ねぇってば! 起きてっ!! 遅刻しちゃうからっ!!」 「・・・・・んだよ、俺は今日は遅出でいいんだよ」 ボソボソとやっと聞き取れるほどの声で呟くと、背中に回していた手に力を込めて細い体を引き寄せ、そのまま目の前にある胸元にスリッと頬擦りする。 「ちょっ・・・ねぇ、寝ぼけないで! あんたはよくてもあたしは遅刻しちゃうの!」 凄い力で巻き付いている手が離せない代わりに肩を掴んで必死で大きな体を揺らしまくる。しばらくはそれでも無視し続けて寝ていた司だったが、あまりの揺れにそうもできなくなったのか、やがて不機嫌そうに顔を上げた。 「・・・・・・なんだよ。安眠を妨害すんじゃねぇ」 「それはこっちのセリフだよ! 仕事っ! 遅刻しちゃうからっ」 「・・・ったく、うるせーな。もう少し穏やかに起こせねぇのかよ」 「はぁっ?! 勝手に人の部屋に入って来たのはそっち・・んぐっ・・・!」 尚も不満の言葉を続けようとした口があっという間に塞がれる。 いつの間にやら下に組み敷かれていた体が大きな体に押さえ付けられ、抵抗する術もなくキスの波に呑み込まれていく。一度触れてしまえばその気持ちよさにたちまち体中から力が抜けていってしまう。 「・・・・・・はぁっ・・・」 ようやく離れた口元から艶めかしい吐息が漏れる。キッと睨み付けてはみたものの、全く迫力がない。司はそんなつくしに満足そうに笑うと、チュッと音を立ててもう一度啄むようなキスを落とした。 「はよ」 「・・・・・・おはよう。・・っていうか時間! ほんとにないんだから」 ようやく力を緩めてくれた司の体をグイッと押しのけると、つくしは急いで体を起こす。時計を見れば既に7時を過ぎている。このままでは遅刻ギリギリのラインだ。 「うちの車で行けばいいだろ?」 ふあぁと欠伸をしながらゆっくり体を起こしつつさも何でもないことのように言う司を、つくしは横目で睨む。 「それだけはダメっ!!」 「なんでだよ。遅刻するよりマシだろーが」 「それでもダメっ! あんな目立つリムジンなんかで通勤だなんてシャレになんないから。会社が大騒ぎになっちゃう」 「別にいいだろ。もうすぐ結婚すんだし」 「それとこれとは話は別! 仕事納めまではちゃんと自分の仕事を全うしたいの。これ以上自分の事で会社に迷惑かけたくないから」 「・・・相変わらず融通のきかねぇ女だな。普通なら喜んで送ってもらうんじゃねぇのかよ」 「あいにくあたしは普通の女じゃないんですよーだ」 振り向きざまにベーーッと舌を出したつくしに司がプッと吹き出す。 「ガキかよ」 「あんたこそ、いい加減夜這いみたいな真似はやめてよね・・・って、もう時間ないんだってば!」 ハッとしたようにベッドから飛び降りると、超特急で身支度を整えていく。 そんなつくしの様子をベッドに肩肘をつきながら司はじっと眺める。いつもなら着替えを見るな! などと文句が飛んでくるところだが、さすがに本当にピンチなのだろうか、今日はそんな余裕もないらしい。 まるで何かの芸を見ているかのような早技で準備を終えると、最後に鞄を手にしてつくしが司を見た。 「じゃああたし先に行くから! 今日は遅出でいいんでしょ? ゆっくりしてってね。じゃあ行ってきます!」 「あぁ、気をつけていけよ」 「うん、じゃあねっ!」 言うが早いか、まるで小動物のように部屋を出て行ってしまったつくしにひとしきり笑うと、司は再びベッドにその体を投げ、まだつくしのぬくもりの残る布団に顔を埋めて静かに目を閉じた。 _____あれからもうすぐ3ヶ月。 司の計画的犯行により邸に移らざるを得なくなったつくしは、結局そのまま邸での生活を続けている。当然の如く司は自分と同じ部屋で生活しろと主張したが、つくしがそれだけは断固拒否した。 確かに結婚はする。そこに迷いは一切ない。 けれども、きちんと籍も入れていないうちから同じ部屋で過ごすことはつくしの性格ではどうしても躊躇われた。司には何を今さらと言われたし、普通に考えればそう思うのも当然のことなのかもしれない。 だがつくしにはどうしても気になることがあった。 それは楓の存在だ。 楓とは司が渡米してから一度たりとも会っていない。司にすら会えなかったのだから当然と言えば当然だろう。 司は何一つ心配することはない、とっくに認めてもらっているというが、つくし自身が直接顔もあわせずに道明寺邸で同棲、そして結婚と進んでしまうことにどうしても抵抗があった。 きちんとけじめをつけてから気持ち良く結婚したい。 それがつくしの唯一の願いだった。 結局つくしの希望に司が折れる形となり、記憶が戻らない頃から借りていた部屋をそのまま使っている。だが別の部屋というのも名ばかりのもので、夜になれば問答無用で司が部屋に押しかけ、朝まで一緒にいる。帰りが早かろうが遅かろうが関係なし。今日のようにつくしが眠っていれば黙って布団に侵入して朝を迎える。 何度文句を言おうとも変わらないその強引さに、この頃ではつくしの方が根負けしている状態だ。 司からしてみれば今さら遠慮する理由など何一つない。 しかも一度知ってしまったつくしの肌の温もりと敢えて離ればなれで生活する意味がわからない。 なんだかんだいいながらも本音の部分ではつくしは一緒に過ごせることを嫌がってなどいない。 それがわかっているからこそ司も強引な手段に出ているのだろう。 「斉藤さん、今日もありがとうございました!」 「いいえ、とんでもございません。それではつくし様、気をつけていってらっしゃいませ」 「はい、行ってきます!」 駅まで送ってもらうと、つくしは頭を深々と下げる斉藤に笑顔で手を振って構内へと消えていく。そんなつくしの姿が完全に見えなくなるまで見送るのが最近の斉藤の日課だ。 司や斉藤から何度も会社まで送迎すると言われても、つくしは首を縦には振らなかった。 それは半年以上も病休で会社に迷惑をかけたという負い目が大きかった。 司の存在を隠すつもりはない。隠したところでいつかはばれてしまう相手だ。 だがそれは今ではないとつくしは思っていた。 現段階で司の存在を話してしまえば、必ず大きな騒ぎになることは目に見えている。おまけに周囲がつくしに対して気を遣い始めるに違いない。 それだけは絶対に嫌だった。 ただでさえ半年以上も病休で会社に迷惑をかけている。 しかもようやく復帰したと思えばほんの数ヶ月で退社しなければならない。 残された時間はとにかく会社のために精一杯自分のできることをやり尽くしたい。 それがつくしの絶対に譲れない信念だった。 司はつくしのその想いを受け入れてくれた。 ただし退職時にはきちんと全てを話すという条件付きで。 当然つくしはそのつもりでいたし、二つ返事でOKして今に至る。 仕事に復帰してからもうすぐ3ヶ月。 充実した日々はあっという間に過ぎ、退社の日を迎えるまでの時間も残り僅かとなっていた。 「はぁ~、肩凝った」 一日の業務を終えパソコンの前でコキコキと首を回していると、ふと見つめた視線の先で主のいないデスクが目に入ってくる。 「今頃どうしてるのかな・・・」 つくしが呟いたその主こそ、相良葉子だ。 最後に会ってから3週間、職場に復帰したつくしを待っていたのは相良本人ではなく彼女から託された手紙だった。最後につくしは彼女に仕事をやめないように約束させた。そして彼女もそれを承諾したはずだった。 だが実際来てみれば彼女はいなかった。 『 牧野つくし様 まずは手紙という形となってしまったことを許してください。 そして一連の私が引き起こしてしまった不祥事についても、お詫びの言葉もありませんが言わせてください。本当に申し訳ありませんでした。 あの時牧野さんと交わした約束、決して忘れてはいません。 会社はやめませんし、あらためて牧野さんを始めご迷惑をかけてしまった皆様に直接お詫びをするつもりでいます。 ただ、私自身、ここ1年ほどずっと心療内科にかかっていました。 今回のことを自分の人生の転換期だと捉え、今はきちんと自分の状態に向き合って改善に努めたいと思いました。そうすることで自分のしでかした事の大きさをあらためて痛感することになると思うのです。 約束します。 決して逃げることはしません。必ずまた会いに行きます。 それまでどうか少しだけ時間をください。 次に会うときにはきちんとした自分でお詫びの言葉を伝えたいと思っています。 少しでも早く会いに行けるようにきちんと自分と向き合いたいたいと思います。 勝手な私をどうかお許しください。 相良葉子 』 上司によればとりあえず春までの休暇届が出ているらしい。 春になればつくしは退社する。当然ながら葉子はその事実を知らない。 彼女に会うことができるのか、ギリギリのラインだろう。それでもつくしは信じていた。たとえ退社した後であろうとも必ず彼女は会いに来るに違いないと。 あんなことがあったが、つくしはどうしても葉子のことを嫌いにはなれなかった。それは彼女が会社でつくしをよく目にかけてくれていたことが決して偽りの姿ではなかったと思えるから。 本音を言えばすぐに会ってゆっくり話をしたかったが、彼女がそうして欲しいと望むのであればつくしにできることはそれを信じて待つことだけだ。 「ねぇねぇ牧野さん」 「はっ、はいっ?」 物思いに耽っていたつくしに隣の席の同僚が声をかける。 慌てて横を見ればどこか緩んだ顔で自分を見ている。・・・こういう時は嫌な予感しかしない。 「な、なんですか・・・?」 「あのさ、ここだけの話、牧野さんの退社って寿退社なんじゃないかって噂が流れてるんだけど・・・実際のところどうなの?」 「えぇっ?!」 思わず出してしまった大きな声に周囲の目が集まる。いくら就業時間を過ぎているとはいえ、まだ社内にはほとんどの人が残っている。つくしは慌てて口を押さえて同僚に耳打ちした。 「なっ、なんなんですかそれはっ?!」 「え~、だってまだまだ若いのに退社なんてそう思うのが普通でしょ? せっかく病休から復活したのにってのもあるしさ」 「もしかして皆さんそう思ってるんですか・・・?」 「どうかなぁ? とりあえず一部の女子社員が噂してるだけだけど」 まだ社内全体に広がっているわけではないのだとひとまずホッとする。 きちんと報告するつもりでいるが今はまだ勘弁して欲しい。 「で? どうなの?」 「えっ? えーと・・・あはは・・・あっ、そうだ! 今日は用事があるんでした。急いで帰らないと間に合わないっ!」 「えっ?!」 「じゃあ私急ぐのでお先に失礼しますね! お疲れ様でしたっ!!」 「あっ、ちょっとっ、牧野さんっ?!」 それだけ言い残すと、つくしはまるで逃げるようにその場を後にした。 取り残された同僚は一体何が起こったかわからずにただ唖然としている。 バタバタバタンッ! 「あ~、焦ったぁ~! っていうか皆噂好き過ぎでしょ・・・」 更衣室に駆け込むと、ハーーッと大きく息を吐き出す。 「でもまぁ急にやめるんだもんね。そう思われても仕方ないか・・・」 まだ入社2年目のペーペーが早々に退職するともなれば色んな憶測が飛ぶのも自然なことだろう。上司にだけは結婚する旨は伝えているが、相手が誰であるかなどまでは話していない。 会社を去るときにはきちんと伝えようと思っているが、どうかその時までは平穏に過ごしたい。ちゃんと最後まで仕事を全うするまでは。 つくしはシャラッと胸元に潜めているネックレスにそっと触れた。 司から常に身につけるようにと厳命された指輪だが、つくしの意思を尊重してくれた時点で仕事中は外すことを認めてもらえた。実際、億単位もするものを身につけて仕事するなんてとてもじゃないが集中なんてできっこない。しかも周囲が放っておいてくれるはずがない。 仕事中だけ大事に部屋に保管されている指輪の代わりに、こうして土星のネックレスがいつもつくしに寄り添っている。 「あと一週間無事に過ごせますように」 祈るようにそう独りごちると、つくしは急いで着替え始めた。 *** 「お帰りなさいませ、つくし様!」 「ただいま帰りました~」 司との旅行から帰ってきてからというもの、邸での呼び名が「牧野様」から「つくし様」にいつの間にか変わっていた。まるで女主人のようだからやめて欲しいとお願いしたが、誰一人として聞いてくれる者はいなかった。 もうすっかり浸透してしまったその光景は、この邸での若奥様としての立場を確立しているようなものだ。 「つくし様、今日は素敵なお方がつくし様に会いたいといらっしゃってますよ」 「えっ? 誰ですか・・・?」 素敵なお方? 一体誰だろう? 全く検討がつかない。 「つくしちゃんっ!!」 「・・・・・・えっ?」 ちょうどその時後ろから名前を呼ばれた声にどこか聞き覚えがあるような・・・ この声は・・・・・・ ゆっくりと振り返ったと同時にギュウッと凄い力で抱きしめられていた。 たちまちふわっといい香りがつくしを包み込んでいく。 そして香りだけではなく感触も極上にフワフワしている。 この人は・・・ 「つくしちゃんっ、会いたかったっ!!」 「お・・・お姉さんっ?!」 目の前にいるのは6年ぶりに会う絶世の美女、道明寺椿だった。 ![]() ![]() |
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by: * 2014/12/28 02:23 * [ 編集 ] | page top
--ke※※ki様--
椿を出すか迷ったんですが、番外編もやることですし一度出すことに決めました。 いよいよ一区切りが迫ってきました。 --ゆ※ん様<拍手コメントお礼>--
はい~、滑り込みで椿姉さんの登場です! ここでのラスボス的な?(笑) 番外編でも活躍してもらいましょうかね~?( ̄∇ ̄) --み※※き様<拍手コメントお礼>--
細やかなお気遣いにいつも感謝しています。有難うございます(; ;) 少しずつ余裕も出てきたのでお返事も大丈夫です^^ 子どもの吐き戻し、どうにもできないですよね。 うえーんと泣きながら咳込んでは戻す、 どうしてやることもできずに可哀想になるばかりで。 今は鼻水と咳の症状が出てますが、快方に向かっている証拠なのかなと思ってます。 さて、最後に椿姉さんの登場です。 いよいよラスト目前ですっ! |
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